04.結晶の悪魔
そこに集まった九人の妖族。
彼らに共通していたのは、その父親だけ。
妖魔領域の現生神、狂王ゾディアック・ヴェゲナ・ルフレートの、子女であるという点だ。
その血を引く直接の子だけでも数百人、全員が生誕に続柄を交えた順に狂王位の継承権が与えられている。狂王ゾディアックは廃嫡を行わず、また他の妖族にもこれを行うことを許された権利者や執行機関は存在しない。
その子女たちの継承権順位が変動することがあるとすれば、それは死亡することによってしかあり得ないのだ。
そして、狂王位の継承とは妖魔領域の生き神となることを意味する。
それが、後継闘争と呼ばれる状態を作り出した。
父親を同じくする数百名の王子や王女たち、そして彼らを支持するそれぞれの配下や出資者たちが、日夜殺し合いを続けているのだ。
母方の一族や後援者たちの期待を背負って戦意の旺盛な者、己の道と定めて闘志を燃やす者、あるいは周囲に半ば強制されて身を投じる者。
そして、戦いに敗れて他の兄弟に隷属に近い状態で従っている者。
カスカ・ヴェゲナ・ルフレートも、その一人だ。
その広い談話室のような空間には、彼女と同じような境遇の異母兄弟たちが、彼女を含めて九人、集められていた。順位などに法則性は無く、全員が、フォレルとタルタスの二人に敗れ、あるいは圧倒的な実力差の前に戦うことなく従っている。
「兄上方は俺たちに、何をさせる気だろうな」
九人の中で最も継承権の順位が高い、アークェネイ・ヴェゲナ・ルフレートが、そう呟いた。
この場で四番目の順位のディット・ヴェゲナ・ルフレートが、それに答える。
「また彼らに従わない異母兄弟を殺してこいって話に決まっています」
「こんな要塞まで手に入れて、今度は麗しのエルメール、ですものね……タルタス兄上としては、フォレル兄上のこの隙を狙って来た相手を排除したいのでしょう」
これは、二番目に順位の高いベール。三本の弦が峰の側に張られた片刃の直剣の手入れをしながら、気だるそうにしている。
「リーン姉さまですね」
「それともフランベリーゼ姉さまかしら」
瓜二つの格好をした二人の娘――エニ・ヴェゲナ・ルフレートとファニ・ヴェゲナ・ルフレート、双子の王女が面白くなさそうに呟いた。
「どっちだろうと、こっちは九人だ。多少年上だろうと、返り討ちにする……今はこのローエンボウ伯の空中要塞もあるしな」
「タルタス兄さまの好きなセージテキハイリョとかはいいからさ、妖族らしくこの要塞で遠くからどーんと領地ごと消しちゃえばいいんだよね。そういうのあるみたいだし」
これは、グレーチャ・ヴェゲナ・ルフレートと、ハインハイン・ヴェゲナ・ルフレート。双子というわけではないが、タルタスの配下に降る前から、後継闘争のさなかにあっても仲の良かった二人だ。
「……僕は嫌な予感がします」
最年少のイルシュスク・ヴェゲナ・ルフレートが、ためらいがちにそう言う。狂王の直接の息子の中では最年少に当たる、弱冠十四歳の王子だ。ちなみに、継承権の順位は531位。レヴリス(1714位)のような二世代以上を隔てて離れた続柄を除けば、彼が後継闘争において最も低い位置にある。
「うっせーなぁ……イルたんの嫌な予感は毎度のこったろ! 坊やは遠くから魔弾撃ってろ!」
「そーそー、俺らに当てんなよな」
「そんな、僕はただ」
「ちょっと、二人とも……」
「カスカ姉さんはイルたんびいきだもんな。ちゃんと守ってもらえよイルたん」
二人をたしなめようとすると、彼らは口笛交じりにカスカのこともからかう。
口は悪いようだが、同じ境遇の異母兄弟同士としてそれなりの連帯感はあり、双子などは微笑ましげにころころと笑っていた。
ただ、こうして語らいあってはいても、しかし全員、狂王の後継者を目指す戦いにおける負け犬だ。戦い敗れ、あるいは戦わずして、フォレルとタルタスに降ったのだ。
助命する代わりに要求されたのは、後継闘争から降りること、二人に従い、「嫡子部隊」としてその戦力になること。継承権こそ剥奪されてはいないが、実質は放棄したに等しい。
「しかし、いくら当時の名の知れた妖術師とはいえ、まさか本気で本人だと思ってる訳ではないでしょう、フォレル兄上も」
ディットが、疑わしげにエルメール・ハザクについて言及した。
当時協力関係にあったフォレルの影に隠れて魔女諸国では無名に近いようだったが、狂王の血を引かない妖術使いとして、また文字で記録が残っている術者としては比較的知名度の高い部類に入る。
ベールもそれに頷いて、同調した。
「そこよね。何か……それでいいのか、みたいな」
「口を慎み給え、諸君」
そこに音もなく現れたのは、彼らを従えている二人の兄弟のうちの一人、タルタス・ヴェゲナ・ルフレート。
一同は何かを言い返すこともなく沈黙し、立ち上がってその言葉を待つ。
彼らを見回すこともなくタルタスが本題を切り出すのを、カスカは憂鬱な思いで聞いていた。
「仕事の時間だ。“彼”にとっては初陣であり、君たちとの最初の共同作戦となる」
“彼”、とは、カスカの異母兄弟たちの誰かことではない。
「聞こえていよう、ローエンボウ伯……サンキボウ・ハークァリーコッド」
『はい……殿下』
タルタスの声に応え、天井の伝声装置からくぐもった唸り声が聞こえてくる。
ローエンボウ伯などと呼ばれたが、この空中要塞の持ち主であった彼はフォレルとタルタスに敗れ、現在ではその地位も剥奪されている。
その彼がそう呼ばれ、タルタスに従っている理由を知っているだけに、カスカは恐怖に震えた。ちらと様子を窺えば、他の兄弟達も同様のようだった。
「君には期待している。私の弟、妹たちと協力して、事にあたってくれ」
『ぐふ、ふ……身に余る光栄……恐悦、至極……ぐぶ、ぶ、ぶ、ぶ……』
とても妖族のそれとは思えない、重量と湿度を感じさせる不気味な声。この場にいない理由も、彼女たち全員が知っていた。
だがタルタスはそんなものは意にも介せずといった調子で、彼女たちに語りかける。
「情報では、あのセオが、ペレニス家の当主と共に天船で、兄上の婚儀を妨害するために向かっている。これを落とし、そして搭乗しているであろう霊剣使い、グリュク・カダンを生きたまま捕獲するのが第一の目標だ。それ以外の搭乗員などについては、諸君らの判断に任せる。私も参加するが、第一目標の達成の障害とならぬよう、適切な行動を望む」
セオの首級を挙げれば、カスカたちの戦果となるだろう。あるいは殺さずに生かして、嫡子部隊に加えるのもいい。天船を鹵獲することが出来ればフォレルとタルタスの航空戦力は大幅に増強され、何かと口出しをしてくるペレニス家の力も削げる。二人にとっては、重要な意味を持つ作戦だろう。
「任務達成の暁には、嫡子部隊の解散を約束しよう。再び独立した継承権者としての活動を、保証しよう。諸君らの成果を期待している」
そう締めくくると、タルタスは音もなく、幻だったかのようにそこから消えた。
九人の異母兄弟と、タルタスの最後の台詞に対する驚きだけが、そこに残っている。
空中に跳ね上げられた金属のような一抱えほどの塊に向かって、グリュクは得物を振るって飛びかかった。
一息に武器を突き出すと、超硬永久魔法物質の欠片は小さな破片を散らしながら軌道を変える。
「火焔は鋭くそこに!」
聞こえてきた声と共に、横合いから一条の火焔の柱が高速で迸り、永久魔法物質の欠片を飲み込んだ。
超高温の魔法物質に焼かれつつも弾かれた塊に向かって跳ね、グリュクは再び砂漠の刻印の杖を突き出す。
金属状の塊は二つに大きく割れ、硬い床にごとりと音を立てて転がった。
着地すると呼吸を整えながら、グリュクは火焔を放った少女に呼びかける。
「使い勝手はどうかな」
「あんまり屋内で使いたくないね……まだまだ強い火が出せそう」
「こっちと違って全力運転は無理か」
場所は合体天船トリノアイヴェクスの格納庫、射出架。
元は何かを高速で打ち出すための施設だったらしいが、今は他には何もない状態だ。
二人の霊剣使いはそこで、奪われた霊剣に代わる、レヴリスから借りた武器を扱う練習をしていた。
グリュクは、砂漠の刻印の杖。本来は魔力線を吸収・蓄積出来る杖として作られたようだが、石突が鋭く尖っており、刺突剣としての使い方も想定されているのだと思われた。霊剣に匹敵する硬度は、戦力になってくれるだろう。
グリゼルダは、紅い炎の剣。彼女の家族の仇である妖族イグニッサが持っていた両刃剣で、剣身の幅が広く、彼女が今まで相棒としてきた裁きの名を持つ霊剣とは性質や重量のバランスが全く異なる。だが、それでも彼女の中に残る霊剣使いたちの記憶は、グリゼルダがそれを十全に取り扱うための力になっているようだ。
一時間も手合わせのようなことをして、グリュクもこの杖の使い勝手に慣れつつあった。
ちなみに、今しがたまで練習の標的となっていた金属状の塊は、彼らが先日破壊した、超硬永久魔法物質製の魔導従兵の破片だ。他に適切な強度を持つ手頃な標的がなかったこともあり、命役符の修復が終わるまでの間という約束で借り受けたものだ。
「ちょっと心残りだけど、もう休もうか」
「うん……」
グリュクが手近な高さの足場――恐らく、何らかの弾体か兵器を射出などする機械と、その整備用の足場だ――に掛けると、グリゼルダもその隣に腰を降ろす。
心が、逸っていた。
「……もどかしいな」
「その気持ち、分かるつもり」
独り言のつもりだったが、傍の少女は応えてくれた。
「……グリュク」
「何?」
「もしもの話。もしあたしが死んだら、レグフレッジのことをお願い」
「それは……出来ないよ」
少し驚きつつも、素直な所感を口にする。
「狂王の王子二人を相手に殴り込むんでしょ。あたしだって死にたくないけど、必ず生き残れるとは限らない」
「…………」
「遺言も残せず消し飛んで死ぬかも知れない。そんなことになったら、お互い後悔すると思うし……その代わり、グリュクが死ぬことになっても、フェーアのことは絶対に助け出すから。あたしだってあなたに死んで欲しくないって思ってるけど、それでも……大事なことでしょ?」
「……分かった。約束する」
言い募る少女の視線から目を逸らしてしまいそうになるのを堪え、その言葉に応える。
そこで、グリュクとグリゼルダは大きく揺れた。
格納庫全体が、いや、合体天船トリノアイヴェクス全体が揺れたのだと、二人の霊剣使いの直感が教えてくる。
天井にある伝声装置から、トラティンシカの説明が響いた。
『搭乗者各位、現在本船は敵からの長距離砲撃を受けております。衝撃と回避運動に注意しつつ、所定の配置についてくださいまし』
「長距離砲撃!?」
高度千メートル以上の高さを飛ぶ巨大な合体天船だ。千メートル離れているだけならば射程の長い魔法術の幾つかは届かせることができるだろうが、天船は時速数百キロメートルで、照準の修正を行う比較対象の少ない空中を巡行しているのだ。
そして何より、何百万トンもの巨体にここまでの振動を与える威力。
グリゼルダに事態の確認を提案する前に、さらに大きな振動が、今度は皮膚に感じる爆圧を伴って彼らを襲った。
「……!?」
グリュクたちのいる格納庫に直撃弾があったのだ。船殻が破損し、気流が入り込んできていた。
「何、あれ! 天船なの!?」
グリゼルダの言う通り、天船に空いた穴の向こうの空には、このトリノアイヴェクスの同類と思えなくもなさそうな何かが浮かんでいた。しいて言えば、空飛ぶ城。比較対象が無いために分かりにくいが、少ない情報から推測して良いならば、あれが砲撃をしかけてきたのではないか。
「グリュク! 大丈夫か!」
声の方に振り向くと、カイツ。まだ変身はしていないが、厳しい表情で彼方の浮遊物体を睨んでいた。
「あたしもいたんだけど」
やや不満げに告げるグリゼルダに対し、カイツは素っ気なく、
「んな文句が出るってことは心配無用だったってことだろ」
「……こいつきらい」
鬱陶しそうにあしらわれて凄絶な表情をするグリゼルダだが、彼のセリフの次を聞いてそれが改まる。
「それよりもあのデカブツ、何か嫌な臭いがする」
すると、急激に天地がぐるりと反転する。
『船体の回転にご注意くださいまし!』
「!?」
悲鳴のようなトラティンシカの警告に、グリュクが重力作用を反転させて床に留まろうと思った時には既に天地の方向は元に戻っていた。天船が一回転したのだ。
トラティンシカが全長千二百メートルの船体を恐ろしい勢いで振り回しながら、敵の火線の殆どをすり抜けているのだ。
だが、敵は速度も天船に匹敵するようだ。格納庫の破損部分から伺える浮遊物体は、徐々に大きさを増していた。
予想外の強敵。
トリノアイヴェクスを上回る巨体で空中に浮かぶどころか運動を行い、こちらの飛行に追随する。あまつさえ合体天船の装甲を貫く攻撃を継続可能な火力。
妖魔領域の常識では考えられない超兵器だが、あれが噂の、ローエンボウ伯の空中要塞だろうか?
こうしてその脅威に晒されてみれば、彼が「もう一つの宝物庫」を探し当てたのだという噂も真実味を帯びてくる。
愛しい夫が、彼女を案じて尋ねてきた。
「トラティンシカ、合体天船はどうか?」
「こちらは兵器らしき装備は休眠中で使用できませんし、恐らくは装甲も、稼働当時の十分の一の強度も出ておりませんわ……あの不細工な要塞に無理に対抗しようとすれば、破壊されてしまうかも知れません」
トラティンシカは自分の分析を答え、懸念を伝えた。
「分離してアムノトリフォンで近づき、俺が突入する。多少疲弊してはいるが、破軛と俺ならば内部を制圧可能だ」
「セオさまをフォレル殿下の元までお連れして、決闘に勝って頂くようあらゆる手を尽くすのが、わたくしたちの使命ですわ? ここはアムノトリヌス単独で、わたくしと、わたくしの部下たちだけで対処します」
彼女がそこまで言ったところで、避け切れなかった至近距離での爆発に船体が揺れ、構造が軋む。
先程よりも揺れは大きく、ベルトで操船座に固定されていなければ、大きく投げ出されていただろう。
「……いいか、死ぬな」
「夫が生きているのなら、いかなる状況でも生き残るのが妻の勤めでしてよ!」
「その意気や良し」
トラティンシカはそれを船内に通達するため、マイクを取って告げた。
「搭乗員各位、搭乗員各位。極めて厳重にお聞きくださいまし」
「帰りを待っていてくれ、我が妻よ」
トラティンシカはウインクでそれに応え、アナウンスを続行した。
「本船はこれより戦術分離を行います! アムノトリヌスの操船に関わる方以外、式場強襲に参加する要員は速やかに、アムノトリフォンに移乗くださいまし! なお、振動大きく充分注意されたし、ですわ!」
カイツが、聞こえてきたトラティンシカのアナウンスに疑問を呈する。
「分離って……ここはどっちの区画なんだ」
「ここはトリフォンの方だね。セオ殿下の船だ」
『分離六十秒前!』
天船の主であるセオとトラティンシカの判断ならば、依存はない。
三人はこのまま分離を待つが、それより先に、格納庫の壁に空いた穴から見える敵の姿が、急速に近づいているのが見えた。
「何かあれ……近づいてきてない?」
「こ、こんな高い場所で帆船突撃まがいの事をやろうとする訳!?」
グリュクは時折回避運動で傾く床をものともせずに外部への穴へと駆け寄り、魔法術を念じて呪文を唱える。
「退け!」
剣士から発生した超高温、超高密度の魔法物質の塊が、まさに魔法の弾丸となって空中を突進した。
距離は一キロメートル程もあっただろうが、飛んで来る敵弾に撃ち落とされることもなく、圧縮魔弾は着弾、大爆発を起こした。
撃沈してしまってもおかしくない規模の爆炎が発生したが、彼らの乗る合体天船トリノアイヴェクスに追随して飛んでいるために、爆煙は敵の巨体にまとわり続けることなく気流に流されて行った。
「……やっぱり止まらないか!」
更に近づきつつある浮遊物体は、その巨大さと細部の形状が鮮明になりつつあった。圧縮魔弾は確かに損傷を与えていたが、いかんせん規模が違う。こちらから見える面積の五十分の一ほどの面積を陥没させた程度の損傷しか、与えられていなかった。ここに留まって、グリゼルダと共に神経が限界を迎えるまで圧縮魔弾を打ち続ければ、あるいは落とせるかも知れないが。
何処かから掘り出してきたものなのか、土砂などが表面に残存しており、所々にはグリュクの放った圧縮魔弾によるものではない損傷に見える箇所もある。全体的には船の甲板から巨大な城を生やしたような形状で、石のような表面の質感は複雑な幾何学的な線の絡み合った模様のようなものが走っていた。
トリノアイヴェクスも、激しい回避機動は取らないようだ。トラティンシカの分離の意図は恐らく接近を続ける敵の空中城塞をアムノトリヌス単独で引きつけ、その間にアムノトリフォンだけを式場に向かわせることなのだろう。
『分離十秒前! 九、八、七――』
トラティンシカの秒読みが始まる。
だが、それが終わって分離が始まるよりも早く、なおも近づきつつあった敵から何かが伸びてくるのが分かった。
平たく巨大な触腕のようなものだと認識した時にはそれは、グリュクたちのいる格納庫に着弾していた。
格納庫が激しく振動し、内装や機材の破片が跳ねた。
『ぶ、分離中止!』
彼らの近くには当たらなかったが、伝声装置からトラティンシカの悲鳴が聞こえてくる。
『敵構造物からの二百近い強制接続を受けましたわ! 戦闘要員は速やかにこれを排除願います!』
格納庫には、すでに開いた穴から飛び込んできた五本が、床や壁に貫入している。二百近くということは、トリノアイヴェクスの全体がこれらと同じものに接続を受けているのだろう。
「グリュク、ここは俺も食い止める。お前たちは分離した後、即座に離脱できるようにしておけ!」
「カイツ、具体的には何を!?」
「……分離の手助けをしつつ、嫌な臭いの元を断ちに行く」
そういうと、彼は爆音と共に変身し、銀色の光を尾に曳き飛び出して行ってしまった。
「グリゼルダ!」
「分かってる!」
グリュクは少女に呼びかけると、格納庫に向かって飛んできた平たい触腕のような物体を切断しにかかった。
カイツは外から同じことをするつもりなのだろう、グリュクの魔女の知覚に、彼が魔法術を連続して行使する激しい波が感じ取れる。
「断ち切れッ!」
砂漠の刻印の杖の形状ではこうした物体の切断排除は不向きなので、グリュクは硬い魔法物質の刃を生成して杖に被せ、不気味な触腕を切り裂いた。
カイツの他にもセオやトラティンシカの部下たちの働きもあったのだろう、拘束は程なく解かれ、今度こそトラティンシカが宣言する。
『操舵、返す! トリノアイヴェクス、合体解除!』
またも大きな振動が生じる。
今まで花が蕾に戻るような要領で天船アムノトリフォンと合体していたアムノトリヌスが、急速に船体を再展開したのだ。
前後長千二百メートルの巨大天船が豪快に風を切る爆音を立てて開き、そこに収められていたアムノトリフォンが姿を露わにする。
『操舵、戻る! アムノトリフォン、急速離脱!』
かなり小さくなるが、それでもなお前後長四百メートルの威容を誇るセオの天船が、彼の操船で船体下面の推進装置を全開にし、そこを飛び出す。本来想定していない手荒な分離をしたせいで合体面を大きく損傷したものの、夫婦船は一時の離別を完了した。
それをさせまいとしてか、敵の浮遊城塞が更に平たい触腕を伸ばし、アムノトリフォンを捕まえようとする。
だが、
「させねぇよッ!!」
浮遊城塞に取り付いていたカイツの特大の念動力場が発動し、数十もある触腕は全て元来た方向に叩き返された。
先ほどセオから与えられた永久魔法物質を取り込んだせいか、力が溢れてくる感覚で体が満たされ、カイツは手応えを感じていた。
「(力だけじゃない、感覚も――)」
その知覚が、アムノトリフォンに向かって転移しようとする妖族たちの存在を察知した。
浮遊城塞の基部というべきか、下方の膨らんだ部分に、フォレルやタルタスにこそ劣るが、九人、かなり強力な魔力を感じたのだ。
「あっちを追うつもりか!」
分離の意図を見抜いて、式場へ向かおうとするセオの船に座標間転移で移乗するつもりなのだろう。
それこそ、させてはならない。
カイツは銀色の魔人に変身してそこを叩こうとしたが、それよりも更に差し迫った脅威に対して、反射的に体が動いた。
「!!?」
大きく飛び退くが、それでも激しい爆風に吹き飛ばされて放り出されそうになる。改めて銀色の魔人に変身し、他の形態なら地上に真っ逆さまに落ちるであろう所を飛翔、敵の姿を確認するより先に、そのまま全方位に電撃を放った。
「ぐふぅぅ……」
「!?」
不気味な唸り声が背後から聞こえたのと、彼が浮遊城塞の外壁に叩きつけられるのと、どちらが先だったか。
「見つ、けま、した、よ、魔女でも、妖族でも、ないもの……」
一瞬飛ぶ意識の中で見たのは、巨人だった。見れば、浮遊城塞の一角が崩れ、そこから姿を現している。
その体の各所から、天船に突き刺さってきた平たい触腕のようなものがうねりを上げながら生えており、彼はその幾つかに巻き取られていたのだ。それを引き寄せ、指でつまみ上げ、カイツの魔人と化した体を指の力だけで潰そうとする、巨躯。
それを天船アムノトリフォンに残って見ていたグリュクは、悲鳴を上げた。
「カイツ!!」
「先へ行け! 悪いが俺は……こいつに用が出来た! そっちに乗り込んだ連中に気をつけろ!」
『任せたぞ、カイツ・オーリンゲン!』
自身も妻を残して行くであろうセオがそういうと、天船は噴射光を眩く爆発させて急加速し、式場へと向かった。
それを見届けると、カイツは目の前の巨体を睨みつける。
浮遊城塞や天船に比べれば遥かに小さいが、それでも身長は推定四十メートルに達しようかという、巨大な怪物がそこにいた。
「こいつだ……嫌な臭いの元………!」
「失敬な奴」
「ぐっ、うぅ……⁉︎」
唸るような低い声の呟きとともに巨大な親指だけで腹部を押され、その恐るべき圧力によって魔人の外殻が悲鳴を上げる。
グリュクが以前、空を飛ぶ自動巨人に両腕で掴み上げられた時に比べて、カイツは巨人の片手の中に収まってしまう大きさだ。
巨人はもがく彼を口元へ運ぶと、笑った。
「ぐふ……いただきます……!」
まるで木の実を潰して中身を押し出そうとするように力を込められるのを感じ、カイツは己の体内から膨れ上がる力と、感情を感じた。
体色が白に戻り、念動力場が大きく炸裂。彼を握りつぶそうとしていた巨大な手が開き、すかさず離脱する。
そして浮遊物体の表面に降り立った時、カイツは自分のものではない感情で体温が下がっているような感覚を、改めて確認した。
「(電気生命体が……怯えてるのか!?)」
(圧倒的エネルギー準位差。抗戦続行後の被食は不可避)
虫との戦いでも、妖王子に挑んだ際ですら、このようなことは無かった。カイツは高速で伸ばされる巨大な腕や、そこから更に伸びてくる平たい触腕を回避しながら、気づいた。
「(……この嫌な臭い、それをこいつらが脅威と感じているのは……永久魔法物質か!)」
巨人は全身の各所が鱗のようなもので覆われており、これが急激に伸びて触腕として使われるようだ。
かなり長くまで伸び、また全てが運動器官として筋肉のような組織で出来ているのか、強靭でしなやか、そして素早い。
「蹴散らすッ!」
次々と殺到してくるそれらを短い跳躍の連続で回避しながら、カイツは紺碧の魔人へと変身、そのまま全身から多種多様な魔弾の雨を投射した。
威力を帯びた無数の魔法物質は触腕を消し飛ばして爆発を起こし、カイツはその煙を後退しつつ、気流の魔法術で吹き払って不意打ちに備える。
「!」
だが、晴れた煙の向こうには既に巨体はなく、頭上から落ちた影に不審を感じた直後、魔人は踏み潰されて要塞の外部装甲の中に沈んだ。敵は驚異的な速度で構築した座標間転移で攻撃を躱して彼の頭上に移動、強大な念動力場を纏った蹴り下ろしを放ったのだ。
「(電気どもが大半を担当してる俺より構築が速い……!?)」
先日見たフェーア・ハザクのものより更に速い、というよりはいっそ、異質だったと表現する方が正しいかも知れない。
神がかり的な滑舌の早口言葉のようだったフェーアの術とも、明瞭で力強く構築されたグリュクの術とも違う。何を喋っているのか分からないが、とにかくそう言っているように聞こえてしまうといったような。
「どけ、この野郎ッ!」
踏み潰されつつも構築した念動力場は、セオから与えられた永久魔法物質を吸収したこともあり、やはり大幅に強化されていた。荒々しく暴れる強力な力場が、彼を踏み潰している巨大な脚を押し返して行く。
「むぅっ! これは誤算……何という出力!」
だがその唸り声とは裏腹に、巨人の念動力場は更に強さを増して、再びカイツを踏み潰した。カイツの力場は行使可能なエネルギー総量の限界に達しているにも関わらず!
「しかしさりとて、それにも負けぬ、この力ァ!」
「う……!?」
二倍、四倍、十六倍。
カイツは増大する敵の力場に耐えるため、自分の力場の作用範囲を縮小して代わりに強度を上げるが、追いつかない。
巨大な足が纏った不可視の運動エネルギーの奔流が、魔人の装甲を、運動器官を押しつぶしつつあった。
カイツは土色の魔人に変身して背後の構造材の中に潜り込んで逃れようとしたが、触腕の巨人の念動力場が強力過ぎて、もはや指一本さえ動かない。右腕に形成した削岩錐までもが、歪んで回らなくなっていた。
胸中の共生者たちが、激しくざわめく。
(敵エネルギー結晶極めて巨大。推定比、16,000:1。不利益。撤退)
「出来るか! 引っ込んでろ!!」
だが、人間で言えば戦意を喪失した状態に近いのか、体内の電気生命体は彼の頭の中に雑音を立てるばかりだ。
それらが勝手に逃亡のために銀色の魔人になろうとするのを無理矢理に押さえつけ、カイツは装甲化された顔面の内側で歯噛みした。
「美味しそうな音が聞こえてきましたぞ…… !」
「ぐぅ、あぁぁぁっ!!!」
思わず、悲鳴を上げてしまう。
無慈悲で強大な応力が、カイツの全身の装甲と骨格を破砕しつつあった。