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霊剣歴程  作者: kadochika
第12話:剣士、燃ゆ
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02.出航の天路











 場所は、天船アムノトリフォンの内部。

 グリュクたちは、セオの配下の妖族たちに案内されて、内部を歩いていた。

 彼を含めた、グリゼルダ、カイツ、レヴリスの面々だ。

 セオとトラティンシカは、戦闘指揮所で先に待っているという。

 歩きながら内部を見渡して、グリゼルダが呟く。


「何か、壊しまくっちゃったのが申し訳なくなってくるね……」

「そこはセオ殿下も直るから気にするなって言ってくれたし、いいんじゃないかな」


 全長四百メートルの飛行物体なのだからさぞ軽量化されているのだろうと思っていたのだが、内部の作りは思いの外重厚で、実用重視の戦闘区画らしいここでは空調や用水循環のためと思しき配管がそこかしこに走っていた。

 これほど頑強に作られた物体を飛ばす推進力こそが驚くべきものなのだ、と表現するべきか。


「(そういえば、これも狂王の宝物庫から“発掘”されたものなんだっけか……大昔の妖族が作ったものなんだろうか?)」


 霊剣と共にあった期間に、彼の持っていた記憶や知識は全てグリュクに受け継がれていた。ただ、そのような事柄についての知識はない。あくまで、類推出来るだけ。

 セオの船は先日の戦闘でグリュクとグリゼルダが盛大に損害を与えたばかりだと思っていたが、妻に迎えたトラティンシカの天船アムノトリヌスから燃料の供与を受けたらしく、何と構造材の自己修復が始まっていた。

 複雑な機器までは短時間での修復はできないようだが、彼らが魔弾で空けた穴を塞いでいる大きな養生布の下では、既に殆どがかさぶたのような状態の素材で塞がっているのが見えた。あと一日もあれば、表面は完全に滑らかになるという。

 そんなことを可能にする妖術が、太古にはあったのだろうか?

 考えているうちに、先導する妖族の声がした。


「ここです」

「ありがとうございます」


 彼に礼を言って改めて内部を見回すと、そこは何やら、壁面を多くの機械で埋め尽くされた場所だった。

 無線機の一種だろうか、しかしそれと呼ぶには少々怪しい光る板が目立つ。恐らく、何か重要な場所であろうという程度にしか、想像がつかなかった。

 そこに囲まれ一段高くなった位置に、セオ。傍らにはトラティンシカが控えていた。


「それでは、席についてくれ。これから計画の概要を説明するが……」


 黒衣の妖王子はグリュクの方を見て、そこで言葉を一旦切った。


「その前に。この話を俺、セオ・ヴェゲナ・ルフレートから、霊剣使いグリュク・カダンへの礼としたい」

「礼、ですか」

「妻との仲を取り持ってくれた、その礼だ」

「ああ、その……ありがとうございます」


 グリュクとしては、半ば成り行きのような形でそうしたに過ぎない。王位継承権などという大層なものを持つ男がそうまで恩義を感じてくれるのは悪い気こそしないが、どうにも奇妙さばかりを覚えてしまうのも事実だ。

 セオは照れくさそうに小さく笑うと、一同を見渡して続けた。


「さて、この一連の企ては、彼の伴侶である、フェーア・ハザクの奪還を目的とする。彼女が拉致された目的として考えられる中で最も可能性が高い――というか、それしか考えられんのだが、それは正式な婚姻だろうな。フォレル・ヴェゲナ・ルフレートが、念願であった花嫁を迎えるというわけだ」


 セオの口にした婚姻という言葉が、グリュクの胸に刺さった。

 だが、恐らく確実であろうそれを阻止するために、グリュクは彼らの力を要求したのだ。

 怯んでいる場合ではない。


「だが――妖魔領域で父上を除けば第三、第四の地位にある、俺の異母兄たちが相手だ。こう言っては悪いが、彼女はただの村娘でこれといった地位はない。大義名分も無しに彼らに挑んでは、我々は単なる(わきま)え知らずに過ぎないことになる」


 今更だ。妖魔領域では、武力こそが尊ばれる。

 数奇な運命を辿ることにもなったとはいえ、一介の村娘にすぎないフェーアに、それこそ魔女諸国で偽造された身分証しか持たない住所不定のグリュク。彼は更に運びの悪いことに、フォレルに剣で敗れている。そんな彼が、奪われたとはいえ村娘を返すようにフォレル相手に主張した所で、妖魔領域全体の反感を買うだけだ。事情を察して同情してくれるのは、移動都市(ヴィルベルティーレ)やグラバジャで出会った妖族たちくらいのものだろう。


「よって、ここは俺、セオ・ヴェゲナ・ルフレートによる、フォレル、タルタスの両名への決闘状とする」

「決闘……?」


 怪訝そうなグリゼルダの問いに答えて、セオ。


「武力主義ではあるが、かといって無法ではないのだ。客人への非ならば、理由にはなる。タルタス兄上が居てはのらくらと言い逃れをされる恐れもあるが、そこは天船による強襲で有無を言わせぬつもりだ。一旦その状況に持ち込んでしまえば、あとは久方ぶりの大型決闘に湧き上がった民衆の手前、彼らも引くまい。正確には、二振りの霊剣を手に入れ、フォレル兄上に至っては見果てぬ夢であった麗しのエルメールを連れ帰ったのだから、ここで己が有利な決闘を断る利点がない」

「そういうもんか」

「そういうものだ。俺としても、このトラティンシカを娶ったからには後継闘争に参加する意志を明確にしたと看做される。そうなってしまうならば、自由であるために戦うのみだ。俺が勝とうと負けようと、お前たちはフェーア・ハザクを取り戻すことに専念すれば良い」


 疑問とも得心とも取れるカイツの呻く声に、セオが半ば自嘲を込めるようにして呟いた。

 どうやら、フォレル・ヴェゲナ・ルフレートが妖術使いのエルメール・ハザクに懸想していたというのは、それなりに知れたゴシップの類だったらしい。

 ならば、彼は妖魔領域で誰もが知るその話題の続きの渦中へと、自ら飛び込もうとしているのか。

 胸中でかぶりを振って、グリュクはセオの話に集中した。


「そしてその強襲だが、実は先ほど判明したことに、俺のアムノトリフォンと、トラティンシカのアムノトリヌスには合体する機能がある」

「さしずめ合体夫婦ぶね、という訳ですわね」

「はあ」


 トラティンシカのよく分からない合いの手に、思わずグリュクは生返事になる。

 巨大な天船同士で合体するなどという機能が先ほど判明したという表現が妖族たちの鷹揚さを表しているようにも思えるが、ともあれ、夫婦としては気にならないらしかった。


「合体というか、格納だな。アムノトリヌスが展開し、アムノトリフォンを中核にして外殻のようになる。この形態は、トラティンシカの解析によればトリノアイヴェクスと呼ぶらしい。これは互いに推進機関は干渉し合わずに、しかし炉が直列することで出力は倍増する。あとは彼らの居場所がわかれば、半日と経たずにそこへ急行し、お前たちは彼女を奪還、俺は決闘に臨むというわけだ」

「問題は、その居場所が分からないことだな……」

「本来であれば、最有力の一角であるフォレル兄上の挙式を大々的に喧伝することだろう」


 レヴリスの言及に、セオが答えて言う。


「だが、我々がこうしてフェーア・ハザクの奪還をやろうとしていることが読まれていれば、挙式は秘密裏に行われるかも知れん。その場合は、時間がかかることを覚悟してくれ」


 当然ながら、フォレルとタルタスがグリュクたちの前から姿を消して丸一日以上経っており、その間に彼らを追跡できた者はいない。

 フェーアが明確な言葉で彼の好意を受け入れてくれたわけではない上、そもそも相手が狂王の息子では、強制的に心変わりを起こさせられる可能性もあるだろう。彼女が雄々しいフォレル個人になびかないなどと、断言することもできない。

 グリュクの中で深まる憂鬱な妄想を、そこにやってきたレヴリスの秘書の声が払った。


「社長、外部の使い魔が来ています。挙式を知らせて回っていると」

「挙式って、まさか?」


 思わず立ち上がるグリュクに、彼女が腕に停めて連れてきた鳩の使い魔がさえずり答えた。


「領域全土に轟く勇名の持ち主、我らがフォレル・ヴェゲナ・ルフレート殿下のご結婚の挙式でございます! こうして我ら、ヴェゲナ全土に向けてお知らせしております。いやめでたい!」

「ば、場所は、日時は!?」


 血相を変えて詰め寄るグリュクに、鳩は驚きつつも答える。


「ルフレート宮殿にて、明日の正午に執り行われます。まぁ、ここからじゃちょっと遠いので、後日全土にお配りする記念品で式の様子を偲んでいただくのもいいかもですね」

「殿下!」

「ああ」


 呼応するグリュクとセオを見て、鳩の使い魔は要領を得ない様子で首を前後させた。

 代わってレヴリスが、鳩に告げた。


「ありがとう鳩君。このことは私が住人に周知しておくから、君は次の町に向かってくれたまえ」

「ありがとうございます。それでは、そちらの窓からよろしいですか?」

「構わんよ!」


 そう言われるなり、鳩の使い魔はレヴリスの秘書の手の中からわさりと飛び降り、レヴリスの開け放った窓から飛び立って行った。

 彼が話を聞き取れない所まで飛んで行ったのを見届けると、レヴリスは窓を閉じて言う。


「だ、そうだ。俺たちの計画は知るまいが、あるいはそれだけ自信があるのかな。使い魔を大量に放っての大宣伝は、今一番妖魔領域で勢いのある王子の結婚式には相応しいのかも知れないが」

「でも、良いんですか?」


 疑問を発するグリゼルダに、レヴリスが尋ね返した。


「気になるかな」

「ルフレート宮殿って、狂王の住んでる所でしょう? 地上最強の生命体だか知りませんけど、そんな妖族の神様みたいな人のいるところへ殴り込んで、レヴリスさんやセオ殿下の立場は大丈夫ですか?」

「うん、まぁ……大丈夫だろう」

「……はい?」


 その返答に、問いを発したグリゼルダが少しばかり肩を透かされたように驚く。

 そこに補足して、セオが続けた。


「父上のことだ。面白がりこそすれ、不興を買うなどあり得んよ。あの方は俺が生まれた時には既に、怒りや悲しみといった負の感情を失っておいでだったからな。問題視するとすればフォレル兄上より上位の二人と大円卓の御歴々だが……どちらが勝っても彼らにはさほど問題のない話だ。静観すると見て間違いあるまい」

「決まりだな」


 静かに意気込むカイツだが、霊剣の遺した知識によれば、挙式が行われるという宮殿まではかなりの距離があるはずだ。


「トラティンシカさん、ルフレート宮殿はここから一千キロ以上離れてると思いますけど、どのくらいで向かえますか」

「トリノアイヴェクスなら、地上への衝撃波を考慮して向かっても三時間で到着可能ですわよ。合体試験もありますから、少々時間はいただきますけれど」

「は、速い……」


 移動都市の動力機関を復旧した時もそうだが、話の進み方がめまぐるしく、グリュクは面食らった。


「戸惑ってるの、グリュク」

「……そうだね」


 グリゼルダに答えて、頷く。

 だが、彼女の言葉は問いかけるだけに留まらなかった。


「カウェスで戦った時は、空軍の人に雇われてだったよね。でも、結果的にはカイツを助けることになった」

「!」


 彼女のいない時の出来事を話されてわずかに身震いするが、すぐに思い出す。三日前に移民追撃隊(ファンゲン)と戦った際に、二人は意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の粒子の力で記憶を共有していた。グリュクとその相棒との旅の記憶は、彼女も余さず持っていることになる。


「若夫婦のために戦ったけど、途中で乗っ取られてたフェーアに気づいて彼女を救った。レヴリスさんの頼みを聞いて、移動都市を守った。結果的にはだけど、戦う二人を見兼ねてセオ殿下とトラティンシカさんの仲を取り持った」

「…………」

「自分の記憶が分からなくなって辛かったのに、あたしのためにも戦ってくれた。捨てるはずだった命を拾ってくれた!」

「君の場合はサリアでの借りを――」

「だまらっしゃい‼」

「はい」


 思わず口をつぐむと、彼女は少し恥ずかしがるように体の向きをグリュクから逸し、


「と、とにかく、誰も完全無欠の善意だけであなたに協力してるわけじゃないってこと! それはあなたが、自分がすべきだと思った戦いをしてきて、それが正しかったからだってことを、分かるべきって言いたいの!」

「……ありがとう、グリゼルダ。そう言ってもらえて嬉しいよ、すごく」


 今は、素直にそう言える。瞬きをしながら唸る彼女の姿は、グリュクでなくとも可愛らしいと感じたに違いない。

 その好意を受け止められないことに申し訳無さを感じつつ、グリュクは出来るだけ、考えていることを率直に言葉にした。


「でも、正直に言うと分からないんだ。これはもしかしたら、正しいことじゃないかも知れない」

「……? 何を言ってるの……?」


 彼を案じる少女だけでなく、カイツやレヴリス、セオ夫妻にも向かって、グリュクは続ける。


「妖魔領域は、強い者こそが正しいっていう世界だ。フォレル王子はそれに従って行動しただけで、フェーアさんを守れずに奪われた俺は、その観点からすれば、正しくなかっただけってことになる」

「そんなことないって――」

「聞いて。正しくないってことになるんだとしても、それでも俺はフェーアさんを連れ戻したい。連れ戻して、返事を聞きたい」

 

 そう、こうして彼を助けてくれる人々のためにも。

 ならば、彼も死ぬ気で力を示す他あるまい。

 霊剣(ミルフィストラッセ)から受け継いだそれは、確かに、彼の中に残っている。


「だから、あらためて、よろしくお願いします!」

「その意気や()し。既に出港の準備は始まっている。後悔しても遅いぞ」

「しませんよ」


 笑うセオに、そう答える。

 こうして、移民請負企業ハダルと破軛戦士団、及びペレニス家による一時的な協力体制が敷かれ、霊剣使いたちを筆頭とした花嫁奪還部隊が編成されることとなった。

 結成経緯から目的まで、全てが異例である。

 例えグリュクがどこまでフェーアに惚れていようと、彼女は住所不定となった妖族の村娘に過ぎない。それを誘拐したのが狂王の息子、それも隆盛著しいフォレルとタルタスの二人では、大抵の組織は諦めざるを得ない状況だ。

 だが、そこには今は亡き霊剣の紡いできた、人と人との繋がりがあった。

 霊剣使いに魔人という、彼に対する協力を申し出てくれる強力な個人戦力。

 情報面で様々な援助をしてくれる、移民請負企業。

 そして、地上のいかなる場所であろうと彼らを運んでくれるであろう、天船の主たち。

 グリュクと霊剣が出会い、助けて来た人々が、今度は彼を救ってくれようとしている。

 彼を助けて、相棒に鞘までくれた村娘。

 世話を焼いて渡りをつけてくれた魔女。

 彼を密告せずに見逃してくれた姉妹。

 彼を魔女と知りつつ助けてくれた騎士達。

 彼の負債を帳消しにする大口の依頼をくれた、恋するマフィアの御曹子。

 彼を助けて無事に出国させてくれた、逃がし屋の少年。

 母親かも知れない、聖女。

 旅の援助をしてくれた若夫婦。

 時計塔のある城で出会った妖王女と、その庇護者たち。

 思い返せば、本当に多くの、出会いと別れがあった。

 魔女の息子だと呼ばれ、日陰の生き方をしていた男が、今や己の無謀とも思える企みを、多くの人々に支えられている。

 ならば、戦える。

 グリュクは己の手に収まった儀仗を見て、胸中でそう呟いた。


「大叔父上から判明したが、その吸魔の杖は、正式な名称を砂漠の刻印の杖(ヴュステ)と呼ぶらしい。名前通り、砂漠の砂のように魔力線を吸収し続ける代物だが……大叔父上の見立てでは、移動都市の力を吸って霊剣にも劣らない強度を持っているらしい。剣として扱うことも、出来るだろう」


 正確には、刃が付いていないので刺突剣(しとつけん)のような使い方が妥当か。恐らくそうした使い方も製作者の想定にはあったのだろう。純粋な杖と呼ぶには、石突(いしづき)が鋭く尖り過ぎていた。


「これを、特に期限を定めず、君に貸与する。ミルフィストラッセ君の代わりとしては、不足かも知れないが」

「充分です。ありがとうございます」


 場所は静かな、地下の運動場だ。レヴリスに呼ばれて、霊剣を失った二人の剣士がそこに来ていた。


「グリゼルダ君の方は どうかな?」

「悪くないです」


 長い黒髪の少女が軽く振って重心のバランスを確かめているのは、深紅の剣。彼女の家族の仇が携えていた、強力な魔具剣だった。

 銘を、ヨムスフルーエン。


「レグフレッジよりは大分重いけど……使いこなして見せます」


 幅の広い、揺らめく炎を象った深紅の色の重厚な刃が、彼女の手の中で照明を鮮やかに反射して光っている。


「これも、君に無期限貸与だ。レグフレッジ君を取り戻したら、返してくれればいい」

「出来るだけ早く返します」


 それに合うよう拵えた即席の鞘に収めながら、グリゼルダはそう答えた。


「そして……」

「?」


 その所作に注目する二人の前で、レヴリスは呟くと右手を軽く天へと掲げる。


両腕(りょうわん)来陣(ライジン)


 小さく生じた電光が収まると、グリュクも何度か見たことのある銀灰色の全身具足の、両腕だけが虚空に出現していた。

 そしてそれは肘や肩、上腕や前腕などに分解し、グリュクとグリゼルダの腕にばらばらとまとわりついてゆく。


「ここまでが、今の俺にできる精一杯だ」


 グリュクは左右の肩と上腕を、グリゼルダは先日のように前腕と手首から先を、それぞれ銀灰色の装甲に覆われていた。

 未だ治癒が不完全で、戦闘時に不意に骨折する恐れがあった二人の両腕の傷跡を保護、補強する形だ。セオが襲来する直前の模擬戦で使用したグリゼルダの感想は、奇妙な暖かさはあるが悪いつけ心地でもないというものだったが、まさにそういった感触だった。


「覆われている部位は筋力の補助が得られる。強度で霊剣には及ばない得物でも、高速で振るうことである程度補うことは出来る筈だ」

「あ、ありがとうございます」

「こんな使い方を長時間やっても大丈夫なんですか?」


 両掌を開いては閉じながら尋ねるグリゼルダに、レヴリスが言う。


「大丈夫、大したことじゃない。それよりも、出来れば俺も君たちについていって、あの青い鎧を悪用するタルタス王子に一矢を報いたいところだが……移動都市(ヴィルベルティーレ)移民請負社(ハダル)も、俺の指示で動いているものだからな。俺があまり遠くに離れては、運行に支障が生じる。君たちの背中を見送ることしか出来ない、これはその埋め合わせといった所だ」

「そんなことないですって。本当に感謝してます」


 グリゼルダが応じると、グリュクもそこに続けた。


「万一あなたを失って移民事業が危うくなったら、俺達が一緒に戦った意味も無くなってしまいますから」

「それもそうだ……君たちの勝利を願っているよ」

「セオ殿下はともかく、俺はフェーアさんを助け出せれば勝ちですから」


 困難はあるだろうが、何もフォレルと直接刃を交える必要もないかも知れない。そう思って口にした言葉だったが、レヴリスが存外に厳しい表情を見せる。


「……フォレル・ヴェゲナ・ルフレートを甘く見ない方がいい。彼は五百年前にエルメール・ハザクに袖にされて以来、どんな相手であろうと求婚者を退けてきた。それがかつての意中の娘に瓜二つだというフェーア君を、彼女の主張も無視してエルメールと呼んで連れ去った。これは恐るべきことだぞ」


 それこそは、妄執(もうしゅう)と呼ぶものだ。そのような考えに、戦闘力の極北たるフォレルのような傑物が陥っている。

 守ろうともして、戦いもした。

 だが、それでも敗れた相手。

 そのフォレルと再び戦うことは不可避であろうと、レヴリスは暗に言っているのだろう。

 一度は彼を消し炭同然の状態にしたタルタスまでもが、側にいるのだ。

 だが、グリュクはそれでも言う。


「負けません。もう後悔したくありませんから」

「今更かも知れないが、誰かを更に悲しませることになるかも知れない。それでも、そう考えるかね」


 レヴリスの視線が、一瞬だけグリゼルダを向いたのが見えた。

 フェーアの命と生活は保証されているだろうから、妖魔領域の慣習に倣って彼女のことは潔く諦め、傍らに立つ少女の気持ちに応えて暮らすことも、選択肢の一つだろう。レヴリスに雇ってもらうならば、飢えることも無い。


「……今ここで逃げたら、もう俺が自分の意思で望むものは、何一つ得られなくなる気がして」


 故郷から逃げ、志願者仲間たちの命も救えず、母かも知れない女の素性を確かめることも出来ず、そして恋人を奪われ、相棒を殺された。

 ここでもし怯んだままならば、世界の果てまで後ずさろうとも、際限なく何かを失い続けることになるだろう。

 その考えに根拠などは無い。

 だが、それだけは。


「それだけは、嫌なんです」

「そうか……ならば行くといい。そして、いつでも帰って来なさい。働き手は歓迎だ」

「はい!」


 移民請負人の温かい言葉にそう答えると、グリュクは無言の新たな相棒を腰の鞘に収めた。




 







 その頃、カイツ・オーリンゲンは広々とした空き部屋に呼ばれていた。

 壁から天井、床までの全てが金属らしき質感の素材になっており、よほど分厚いのか靴音もさほどしない。

 表には多目的室と書かれていたが、恐らくは何かの実験、それも危険のあることなどを行う部屋。

 彼をここに呼んだのは、目の前にいる黒衣の妖王子だった。


「さて。お前をここに呼んだのは、これを授けるためだ」


 彼の傍らの台車の上に乗っているものが用件だろうとは当たりをつけていたが、よりによってカイツ自身を船の動力源にしようと目論んでいた男の意図を、彼は図りかねていた。


「……中身は何だ」


 台車の上に乗っているのは、重厚な金属製の縦長の箱だ。

 セオが無言でその上部の取っ手らしきものを捻ると、箱は割れて四方に展開する。

 格子の内側に固定された、金属とも石とも知れない質感の、ぼんやりと光る結晶状の物体。


「……永久魔法物質(ヴィジウム)……!」

「天船の燃料として、トラティンシカから供与を受けたものだ。魔力線の放射の大きい種類で、恐らくこれを摂取すれば、お前の魔人としての強さの向上に繋がるだろうと思ってな。今回の作戦の成功率を上げるためには、お前の力も重要になってくる」

「…………」


 あのキアロスの巣の女王の部屋で、直衛個体が体内に取り込んでいた永久魔法物質(ヴィジウム)を、カイツが飲み込んでしまったのは、グリュクとその相棒も見ていた。

 恐らくセオは、二人の発動させた金色の粒子の作用でそれを知ったのだろう。

 この提案を、字句通り、飲むべきか。

 彼の体内に潜んでいる電磁生命体が、永久魔法物質(ヴィジウム)の波形を感じ取ってざわめいているのも分かる。

 だが、これ以上自分ではない成分を体内に取り込めば、より人間から遠い存在になるのではないかという懸念も、またあった。


「いいだろう」


 カイツはそう言うと、胸の奥で騒ぐ衝動を解き放つように、変身した。











 ゆっくりと歩を進める、六本足の山。

 その移動都市ヴィルベルティーレから、それよりはずいぶん小ぶりなものの、それでも全長千二百メートルを超える巨大な流線形が飛び発とうとしていた。

 合体天船トリノアイヴェクス。

 鋼鉄の色の天船を鎧のように覆う乳白色の船体は、さしずめ抜き身の剣を収める白木の鞘か。

 外殻となった白い装甲の隙間から覗く鉄色の表面が、陽光を反射して鈍く光っていた。

 後付けされた伝声管や放送機器を通して、合体天船(トリノアイヴェクス)の操船席に移ったトラティンシカ自らが、状況の告知を続けている。

 荷物の積み込みや段取りの共有などで慌ただしかったのが嘘のように、一帯は落ち着いていた。


『全乗員の乗船、配置を確認。推進開始三十秒前』


 破軛(はやく)戦士団にペレニス家の操艦要員、そして二人の霊剣使いと魔人、合体天船の持ち主である妖王子夫妻を乗せて、巨大な天船が様々な唸り声をあげる。


『推進開始二十秒前。炉心温度・圧力、巡航段階へ』


 そして、合体によって直列配置された魔力線転換炉に火が入る。

 炉心に格納された永久魔法物質(ヴィジウム)から放射される魔力線を超高温・超高圧の魔法物質に変換して噴射しているらしい――そこまではトラティンシカの調査で判明しているが、変換の仕組みまでは不明だという。

 運用法を記した操作解説書こそ内部に保存されていたが、何千年も前のものであろう文字は解読に難航し、同時に載っていた図像を頼りに手探りで動作を解明してきたに過ぎないのだ。

 本質についてが分かりきっていないものを扱うことに若干の不気味さを感じるのはグリュクも同意するところだが、それでも今は、これに頼るほか無い。


『推進開始十秒前。各乗員、反動にご注意くださいまし』


 彼と霊剣の旅路が、徒歩か乗り物に乗るかの違いはあれども殆どが地上を行くものだったのに対し、今では彼は、天を行く船に乗って目的地を目指そうとしている。

 今度は、相棒(ミルフィストラッセ)抜きで。


『五、四、 三――』


 最後部に設置された巨大な環状の推進装置の周囲に発生していた陽炎が、一際大きく揺らめいた。


『――二、一、噴射』


 秒読みの終了と同時に、そこから噴射炎の代わりに輝く粒子が放出された。

 推定重量七千万トンの巨体が徐々に前へと滑り出し、その穏やかさにグリュクを含めた乗員たちが拍子抜けしている頃、しかし合体天船は移動都市を離れ、高度を徐々に上げて行った。


『機関正常。本船はこれより強襲行動に突入いたします。衝撃には充分ご注意くださいまし』


 巨大な鳥が徐々に速度を上げて矢となり、弾丸となって、妖魔領域の空に白い航跡を描いてゆく。











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