01.再起の始点
これまでのお話――
移民追撃団を退けたグリュクたちが、宿を借りていた移動都市ヴィルベルティーレ。
移民を運ぶその巨大施設にやってきたのは、以前宿場町で出会った青年カイツと、巨大な天船に乗った狂王の息子、セオだった。
セオは魔人に変身できるカイツを自分の船の動力源にしようとし、事態は彼を庇うグリュクやレヴリスたちとの戦いにまで発展してしまう。
カイツとレヴリスの奮戦でセオ王子を、グリュクとグリゼルダの連携で部下の戦士たちを降すが、今度は彼と百年前に契りを交わしたという妖族の令嬢、トラティンシカが更に巨大な天船を駆って現れた。
セオに好意を拒絶され、巨大魔導従兵を暴れさせる彼女だが、意思の名を持つ霊剣の発動した黄金の旋風の力で二人は和解、危機は去る。
だが、一難が過ぎ去って遂にマトリモニオに到着したという矢先、フォレルとタルタス、二人の狂王の息子たちが現れた。
その圧倒的な戦闘力に、意思の名を持つ霊剣は破壊され、裁きの名を持つ霊剣が奪われ、そしてグリュクと想いを通わせつつあったフェーア・ハザクまでもが連れ去られてしまう。
グリュク・カダンと霊剣ミルフィストラッセの旅は、終わってしまうのだった。
今は昔、一人の妖族の王子と一人の妖族の娘とがいた。
王子フォレルは武にも仁にも優れた狂王の息子であり、娘エルメールは才気あふれる稀代の妖術使いであった。二人は味方として共に戦い、後継闘争において多くの競合者を排除してきた。
そして、当時有力だった異母兄に勝利した際の祝宴において、フォレルは彼女に愛を打ち明けた。
「申し訳ございません殿下。私にも心に決めた方がいますので」
返事は穏便ながら、にべもなかった。
「どうやら、魔女の男と懇意のようです。敵の背後を突くための共同作戦の際に知り合ったとか」
弟の言葉も、胸に空いた穴を通り抜けて行くようだ。
「いかが致します」
「……彼女が幸せになるならば……それでいい」
目障りな男の一人や二人はすぐにでも排除するという含みを持たせたタルタスの提案は、退けられた。
そのようなことを許せば、彼はエルメールを愛するに足る男では無くなってしまう。
フォレル・ヴェゲナ・ルフレートは三日間だけ、魂の抜けた人形のようになっていたが、それから程なくして立ち直り、後継闘争を再開した。
しかし、長い時間の奥底に埋れて行った彼の恋慕は、堆積した月日の圧力で変形して行った。それに気付かぬタルタスではない。
故に、彼は今でも、グラバジャでエルメールに瓜二つの娘を見つけた時の衝撃を忘れられずにいる。たとえ紛い物でも、敬愛する兄の魂に生じた亀裂を癒せるならば。
だが、以前ならば退けたであろう提案を受け入れられたこと、連れ帰った娘を本気でエルメールだと認識している彼を見るのは、辛いものがあった。
それは、あるいは後悔と呼ぶべき感情だったかも知れない。
グラバジャ辺境伯領は、境界危機以来、魔女諸国と友好的な関係にある妖族の住む地方だ。
むしろ、擁立しているパピヨン・ヴェゲナ・ルフレートが狂王の実の娘にしては信じられないほど戦闘能力に欠けるため、その不利を補うために、魔女諸国との紐帯を深めていると言っても過言ではない。
最近はその風向きも変わりつつあるというが、目下のところ、特に関係が悪化したといったことはない。
だから、魔女の国であるベルゲ連邦も、こうしてささやかながら諜報員の活動の拠点を持つことが出来る。
しかし、ブラット・ボスク一等巡視兵は不満だった。
「これだけかよ……」
渡された金を懐に仕舞いながら愚痴を言うと、店の親父が諌めてくる。
「愚痴りなさんな。現場の言うままに寄越していてもきりがないのは分かるだろ」
「これから本格的に妖魔領域に踏み込もうってのに……」
「そこまで行く命令は出てないんだろう。捜査員の判断で捜索を打ち切っていいって言われてる段階になったんだから、あとはお前さんの意地とか、そういうのだし」
「わーってるよ……」
そして、さすがにそのようなものにまで金は出ない。今しがた親父から受け取った活動資金も、今まで使った必要経費の最終精算ということで受け取ったもので、実はかなりの粉飾がされている。露見すれば実刑だ。
ブラットは既に、カウェス防衛に一役買ったという強力な在野の魔女、グリュク・カダンを探し出すことにかなりの執念を燃やしていた。
越境犯罪者など珍しくもないベルゲ連邦で、重度の軍紀違反者を何人も捕らえてきたのだ。
件のグリュクは犯罪者ではないが、追いつけと命じられれば追いついてみせるのが、軍の犬の矜持というものだ。
狼には狼の、犬には犬なりの、牙と爪がある。
「赤い髪の剣士と、白耳・亜麻色髪の妖族の女か……」
目撃情報では、魔具剣を賭けて辻試合を呼びかけていた妖族の荒くれ者たちに、彼らが声を掛けられていたという。
店の外へ出ながら、携えていた箒を構える。
「(……エルメール・ハザクの容姿の情報と一致するな)」
やはり、ドロメナ村の一件は共謀による脅迫だったのだろうか?
ブラットは、出来れば改心した妖族の女を護送などしているだけだと思いたい気持ちを胸中に仕舞いこみながら、妖魔領域の空へと離陸した。
幾つかの情報を結ぶと、グラバジャ伯の城へと向かったらしい。だが、自分が行った所で、魔女の憲兵の下っ端が有用な証言を得られる人物に接触できるかどうか。
不安は尽きないが、それもまずは、やってみてからのことだ。
妖魔領域の春風が、そんな不安を紛らわせてくれる。
グリュクは涙した。
水溜りの中に倒れ伏したまま動かない黒髪の少女。
崩れ落ちた家屋に埋もれて、砕け散った自慢の鎧の破片の中で息絶えている屈強な魔女の男。
血まみれになりつつも、固く手を握り合ったまま冷たくなっている、妖族の夫婦。
胸郭を貫かれ、体内から輝く結晶核を摘出されつつある白い魔人。
そして、奪われた二振りの霊剣と、白耳の妖族の娘。
自らの弱さが招いた喪失に、悔恨と涙が止まらない。
「己を呪うことだ」
深海の色の鎧をまとった妖王子が、魔人から核を引き抜きながら、彼を冷たくせせら笑う。
「行こう、エルメール。これが二人の門出だ」
野性味と優しさとを併せ持った金髪の偉丈夫が、グリュクの懸想する娘に顔を寄せ、囁く。
怒りに燃えるべきなのだろう。立ち上がるべきなのだろう。
だが、既に力は無い。彼に力を与えてくれていた相棒は砕かれ、幸せな未来を感じさせてくれた娘は奪われてしまった。
数日とはいえ寝食を共にした従士選抜志願者たちを助けられずに自分だけ生き残ってしまったあの時と、何ら変わっていなかったのだ。
むしろ増長して狂王の王子に斬りかかっていっただけ、悪くなっているのではないか。
ひたすら増幅していく悲しさの中で、ふと何かが体に当たるのを感じ、青年は目を覚ました。
やや窮屈な寝台から、ゆっくりと上半身を起こす。
強く赤みがかった髪をした頭を抑え、頭痛をこらえる。
そこで、右は肩口から、左は上腕の中程から切り落とされたはずの自分の腕が、揃っていることにも気づいた。
傷跡に漂う鈍い痛みで、縫合してくれた誰かがいるのだと分かる。
「…………!」
よく聞き慣れていたはずの、いつもなら寝起きに何か言ってくるであろう、音ならざる声が聞こえないことに気づいてしまった。
とある事件で彼の命を救い、これまで共に旅をして、共に窮地をくぐり抜けてきた相棒。
意思を持つ武器、霊剣ミルフィストラッセ。
それももう、いないのだと実感する。
散々にふやけていた目元から更に液体がこぼれそうになり、それを拭おうと左手をあげようとすると、その近くに広がった黒い波に気づいた。意識の焦点を合わせるのに苦労したが、すぐに分かった。
旅の途中で出会った、彼と同じく意思を持つ剣を相棒に旅をしていた少女、グリゼルダ・ジーベ。
生きて、小さく寝息を立てている。
彼の命を救うために、かけがえのないはずの相棒を敵へと差し出すことまでしてくれてしまった少女も、今は疲れ果てて臥せっていた。
腰まで伸びた黒髪が幾束か、彼の寝ていた寝台に広がっていたのだ。
「(……ずっと傍に付き添っていてくれたのか)」
以前に妖族の暗殺者と戦って魔法術の使いすぎで倒れた時にも、彼女は彼の傷を癒やし、その身体を気遣ってくれていた。
そんな彼女の好意を無下にしてまで思慕を伝えたフェーアも、もういない。
彼が守るべきだったものは、こんなにも奪われてしまっていた。
「……………っ」
急激に、心臓に鋭くこみ上げる痛み。
傍らに疲れて眠る少女を起こしてしまう恐れがあるというのに、彼は、霊剣使いではなくなってしまったグリュク・カダンは、情けなく声を上げて泣いた。
今はただ、悲しかった。
目の前で弱さを見せた彼を、グリゼルダは否定できなかった。
出来ることなら抱きしめ、慰めてやりたいとさえ思ったが、そうすれば彼は、もっと傷ついただろう。
ずっと傍で、恋人のように優しく声をかけ続けることが出来たなら。
だがそれは彼の望みではないし、今すべきことでもない。
体躯の大きな彼が自分の視線も厭わず泣き続けるのを見ているのが辛かったこともあるが、彼女は立ち上がり、グリュクに与えられた病室を出て己の為すべき事を探した。
彼の命は助かった。ならば、自分を小娘と侮った妖王子に意趣返しを行うべきだ。
恋敵とはいえ友である妖女と、二振りの霊剣を彼女たちから奪った復讐を。
奪われたりとはいえ、彼女は未だ、己が裁きの名を持つ霊剣の主である資格までもを、誰かに譲り渡した覚えはない。
「思い知らせてやるんだから……!」
裁きの名を持つ霊剣の主を敵に回して、無事で済むと思っている奴らに。
同じく移動都市ヴィルベルティーレ。こちらは、いまだ建築計画が白紙のままの造成区画だ。
そこにぽつりと佇む白い魔人の体に力が集中し、その身体の直上に、直径百メートルほどの巨大な球状の念動力場が生成された。念動力場は基本的に不可視だが、魔女や妖族などが持っている第六の知覚で捉えることが出来る。
また、光線の屈折率がわずかに変化したり、余剰エネルギーが電子などに変換されてごく小さな電光や振動音を発することがあり、それを頼りに観測することも出来なくはない。
そうした球形の念動力場の中心、地上五十メートルほどの高度に、人型の何かが出現した。
魔法物質で形成された、即席の標的。
魔人と化したカイツが魔法術で作り出したそれは、次の瞬間粉砕された。力場の球体の内部を跳ねまわる赤い光弾と化した魔人からの、秒間二十五回に及ぶ打撃を四方八方から受けて。
標的は術者によって維持されていない魔法物質なので、体色を赤く変じたカイツの攻撃でばらばらになった直後に、自然界に存在できなくなって消滅する。
それとどちらが速いか、カイツは再び背後に標的を作り出し、同様に念動力場の球体の中を超音速で跳ね回って攻撃した。
それを三十回ほども繰り返し、自分の創りだした念動力場の球体が限界を迎えると、カイツはその維持を放棄して着地、変身を解いた。
「フゥゥゥゥゥ……!!」
荒ぶる魔人。
このように魔人の力で一つの術を維持したまま別の術を使うことが出来ても、少々豪奢な鎧を着てみせただけの妖王子を突破できなかった事実を思い返すと、カイツは憤った。
彼はつい一ヶ月ほど前に成り行きで一度死に、気づいた時には電気知性と永久魔法物質とを混ぜ込まれた異形の生命体になっていた。報酬を目当てに参加した人体実験が苛酷さを増し、逃げ出したが、待っていたのは指名手配。
彼は家族と自分の研究に別れを告げ、放浪者となった。そこまでして生きることに何の価値が有るのかという疑問も覚えはしたが、剣士と饒舌な剣とに出会ったことで、その考えも変わった。
面と向かっては言えないが、彼らはカイツにとって、恩義のある友人だった。
魔人として、名も知らぬ誰かの平穏を守るために戦うことも悪くはないのではないかと身を投じた戦いに助勢してくれた、似たような経歴の持ち主。同じく追われて逃げてきたものとして、親近感を覚えたと言ってもいい。
しかし、魔人の力ではグリュク・カダンが瀕死の重傷を負い、その下僕である意思の名を持つ霊剣が破壊され、破片を残らず奪われるという事態を止めることが出来なかった。
故に、カイツは苛立っていた。
「ぶち砕けろ!」
その一声で今度は虚空にとある老人を象った巨像を生成し、カイツは極大の念動力場でそれを捻り壊す。
魔法物質は維持を解かれて拡散し、虚空に消えた。欠片の一つとして地面に落ちては来ない。
「…………ん?」
そこにやってきた小さな人影に気付き、カイツは小さく声を上げた。
妻と息子とを自宅に迎える。レヴリスが一時の安堵を覚えるのは、そんな時だ。
だが、どうにも今日は、それを満喫しきれる気分ではなかった。
「アスミ、ジン、お帰り」
「大変だったみたいね」
「二人ともやめてよ、いい年して玄関でべたべたしないで!」
抱擁を交わす夫婦に、長女のシロガネが苦言を呈する。
言われるほど甘苦しい愛情表現をしていたつもりはないが、子供たちには、出来るだけ自分たちを庇護する二人の大人が、例え離れている時間が長くとも親密な関係にあるのだということを忘れないで欲しい。そういう訳で、二児を設けた間柄にしては、少々くどくじゃれあっているように映ったかも知れない。
レヴリス・アルジャンとその妻アスミは、そうした夫婦だった。
シロガネは、弟のジンを連れて子供部屋へと上がっている。夫婦が久しぶりに顔を合わせた際は、互いの業務報告に集中したいという事情を知っているのだ。親馬鹿というものかも知れないが、出来た娘だと思う。
食卓の椅子に腰掛けながら、レヴリスは妻の状況を聞く。
息子を連れて出発した彼女の仕事は、偵察調査だ。
移動都市の予定進路上に異状がないかどうかを調査し、必要があれば使い魔を使ってそれを迅速に移動都市へと伝えるのだ。
幸いそうした出来事は特に無かったようだが、行く先々で、今までになく人格剣型の魔具を探し求める動きが活発化しているという。
レヴリスはそれに関わる、移民事業防衛の協力者たちと彼らを襲った事件についてを語った。
「移民事業責任者の妻としては、これ以上深入りはしないで欲しいって言うしかないわ」
「…………そうだよな。いや、その通りなんだ」
剣士たちに借りはあるし、それを返すことには何のためらいもない。
だが、立場上それをすることが責任の放棄になりうるというのが、今のレヴリスの立場だ。
移動都市の防衛のための戦いならばともかく、今回の移民事業はまだ終わっていない。いかなる事情があろうと、現在最有力の一角とされる次期狂王候補へ戦いを挑んだ剣士に与することは、許されない。たとえどこまで恩義があろうとも、傷ついた彼らを救護する事こそすれ、彼らが仲間を取り戻すためにフォレル・ヴェゲナ・ルフレートに再び挑もうとするならば、そこに助太刀をする訳にはいかない。
既に一度助勢しているが、それさえも本来であれば立場をわきまえない無思慮な行為でしか無いのだ。
レヴリスがフォレルの不興を買い、移民都市ごと攻撃を受ける可能性もある。あるいは、タルタスの根回しで以って、移民たちが新天地でも迫害されるように仕向けられるか。
それを移民たちはどう思うだろうか?
「でも、出来る限りのお礼はしないとね。移民事業に差し支えない程度の援助は、大賛成よ」
「あぁ。彼らには済まないが……」
「……薄情な女だと思う?」
「思わないさ……俺が、割り切れてないだけだ。シロガネが生まれて、妖族たちを集めて移民請負社なんてものを作った時点で、一人の戦闘員として死ぬことなんてとっくに許されなくなっていたっていうのにな」
父から受け継いだ銀灰色の鎧を以ってしてなお、戦士として太刀打ちしきれなかった事実が悔しい、ただそれだけだ。
レヴリスはそれ以上未練がましく考えるのを止め、あくまで移民請負人として、傷ついた剣士にしてやれることを考え始めた。
そこに、呼び鈴が鳴った。
「俺が出る」
出ようとする妻を止めて、彼は玄関へと向かう。
彼の予想通りなら、鈴を鳴らしたのはきっと彼女に違いあるまい。
そして、移動都市の上空に浮かぶ、二隻の天船。
全長四百メートル、巨大な一対の主翼を備えた徹甲の軍船といった威容を誇るのは、アムノトリフォン。
その隣を飛ぶ更に巨大な影は、全長千二百メートルを誇る超巨大天船、アムノトリヌス。
どちらも今はやや離れて、移動都市と並ぶように推進し続けていた。
それぞれに主がいるのだが、その二人は、今はアムノトリヌスの操艦指揮所にいた。
一夜にしてその所作の端々に仲睦まじさを滲ませるようになった、妖王子セオ・ヴェゲナ・ルフレートと、その妻トラティンシカだ。
妻が夫に、不安げに尋ねる。
「セオさま……」
「フォレル兄上と、タルタス兄上が揃って現れるとはな……」
妖魔領域で、今最も勢いのある二人の嫡男だ。
提携によって並み居る強豪の異母兄弟たちを蹴散らし、あるいは服属させているという。セオを後援しているサーク・リモール辺境伯領からの情報では、先日も、ローエンボウ伯の秘匿していた巨大な空中戦闘要塞を落としたばかりと聞いている。
グリュク・カダンとその剣の出す粒子である程度の顛末は既に知っていたが、妖魔領域ではこれまた有名な、フォレルの恋の病の向く先が彼の連れた娘の親族だったというのは、極め付きの奇運ではある。
「率直に申し上げれば、わたくしは彼らと敵対するべきではないと思いますの」
「……フォレル兄上は、今の妖魔領域で最も民衆の支持の大きな継承権者だ。こうしてお前の力も得られるならば、霊剣使いや魔人たちと共同して彼を倒し、最有力の一角に一躍することも可能。隕石霊峰の採掘事業に噛んでいない俺ならば、反対派の支持を集めることも出来るだろう。リーンやフランのような狂犬ならばともかく、俺より上位の兄上方は静観の姿勢を崩しはすまい」
「両殿下を、一度にお相手なさると」
「お前のためだ、トラティンシカ。もちろん、借りを返すためでもあるがな」
互いの左手の薬指には、既に同じ形の指輪が嵌められている。
「セオさま……」
継承権の順位に興味はなかったが、彼女を室に迎えたからには、妖魔領域の支配層には、彼が本気で狂王位の継承を目指す気になったと解釈されるだろう。
第十三という高位とはいえ他の兄弟たちからは障害とは見做されていなかったセオが、後継闘争に名を連ねることになるのだ。
ならば尚の事、負けることは出来ない。むしろ、霊剣使いたちにすぐ協力を要請できる状況にあり、彼らも蹂躙されて反撃の意志が明確であろう今こそ、フォレルが例の宿願を果たしつつあり隙を見せるであろう今こそが、優位を握る好機だ。
それが、セオの密かな狙いだった。
そこに、戦術長が知らせを持ってやってきた。
「失礼。殿下、レヴリス殿下がお友達を連れてお待ちです」
「そんな頃合いだろうと思っていた」
セオの妹の遠い子孫であるレヴリスも一応は狂王の一族と見做されており、血縁関係を知る彼の部下たちも、今はその名に敬称をつけて呼ぶ。
「行こう、トラティンシカ」
「はい、セオさま」
セオは妻を伴い、三人の来客を迎えるために下へと降りていった。
こみ上げてくる無念と悲しみも一応は収まり、グリュクはじっとしている気にもなれず、書き置きを残して病室を抜けだした。
いつもの癖で鞘に付いた剣帯を腰に帯びようとして、そこに収まるべき相棒がないことに再び気づく。
「…………」
だが、結局は鞘だけで帯びていくことにした。
そうした理由を言葉には出来なかったが、置いていくのだけは嫌な、そんな気がしたのだ。
出会ってから三ヶ月も経っていないというのに、実際に居なくなってしまえばこんなにも寂しい。彼は、ひたすらに自分の敗北を後悔した。
相棒は末期の言葉すらなく折られ、死んだというのに、グリュクはのうのうと、仲間に助けられて生きている。両腕も、やや違和感はあるが骨に神経と、丁寧で強力な縫合が施されている。グリゼルダ同様激しい戦闘には耐えないだろうが、多少動かす分には何の支障もない。
その事実も今は、辛かった。
「(ミルフィストラッセ……フェーアさん……!)」
命を救ってくれた相棒の、遺言すら聞けなかった。
大それた告白を嫌がらずに聞いてくれた女を、為す術もなく奪われた。
そうしようとすれば、何度でも後悔に泣き叫ぶことが出来るだろう。
だが、違う。
彼の命が今あるのは、霊剣ミルフィストラッセの助けがあってこそだ。
そこから更にここまで旅を続け、死にもせず様々な人々と出会い、時折心と心を繋ぎ、誰かを救い、守ることもあった。
戦わずして、それらは成し遂げられなかった。
相棒が死んでも、それは変わらない。
彼には悪いが、フェーアは恐らく、まだ生きている。彼女だけでも取り戻し、相棒の亡骸も、出来れば回収して弔いたい所だ。
だが、相棒を失った彼に、敵地に飛び込んでそこまでのことが出来るか。
「(………………それは……)」
不可能。
少なくとも彼一人では、次こそ命はあるまい。
「(俺、一人じゃ)」
グリュクは、感じた気配に後ろを振り向き、呼びかけた。
「みんな、突然だけど!」
「何、グリュク?」
少女の優しい声が、先を促してくれた。
「お願いが、あります!」
相棒との旅路の中で出会った人々が、そこにいた。
「グリゼルダ」
「うん!」
廃墟の街で出会った、同じ霊剣を相棒とする少女。
「カイツ」
「あぁ」
宿場町を守るために共に戦った、魔人の姿を持つ青年。
「レヴリスさん」
「応さ」
移動都市の主にして鎧の戦士でもある移民請負人。
「セオ殿下、トラティンシカさん」
「うむ」
「ええ」
そして、グリュクと知り合ってまだ三日と経ってはいないはずの、妖王子夫妻。
拳を握りしめながら、伝える。
「俺は、フェーアさんと霊剣たちを……フォレル王子の手から取り戻したい!」
グリュクは不安になりながらも、彼らの目を見て告げた。
「手伝って、くれますか」
「当たり前でしょ? あいつらは許さない。絶対に」
腰まで届く黒髪をぴょんと跳ねさせて、グリゼルダが頷く。
「俺の目の前でああまで好き放題にしやがった連中への借りは、利子付きで返さないとな」
カイツも、鼻を鳴らして戦意を顕にする。
「俺は立場上支援しか出来ないが、出来る限りを尽くさせてもらうよ」
レヴリスが、拳を軽く胸に当て、表明する。
「精々、互いに利用しあうとしようか」
「セオさまったら!」
妻を伴ったセオが、不敵に笑う。
皆の快諾に、全身が熱くなった。
「ありがとう……!」
溢れそうになる涙を堪えて、グリュクは俯いた。