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霊剣歴程  作者: kadochika
第11話:白耳、ときめく
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9.暗転

 宴の翌日、彼らは移動都市(ヴィルベルティーレ)を発った。

 一時的ながら旅路を共にしたレヴリスたちとは別れ、今の一行はグリュク、グリゼルダ、フェーアと二振りの霊剣を数えるのみだ。

 腰に剣を下げた黒髪の少女が先を歩き、赤い髪の剣士と白耳の妖女がやや離れて後ろについていた。

 グリュク・カダンの今の心は羽のように軽くもあり、鉛のように重くもある。二つの人間関係になし崩し気味にとは言え決着を付けてしまったのだから、当然ではあったが。


「(グリゼルダ……)」


 後ろを歩く彼女の好意を無碍にしてしまったことが、苦しい。曖昧にはぐらかし続けることが、良いことではないとしても。

 彼の横を歩く妖族の娘フェーアも、彼の告白への返答を保留しているとはいえ、それも形の上だけに等しい。友と呼べた少女を間接的に傷つけてしまったことについて、浮いた気持ちにはなれないようだった。

 やはり、こんなタイミングで打ち明けるべき感情ではなかったかも知れない。


「何しょげてんのよ、二人して」


 半分うわずったようなその声で、グリゼルダが無理をしているのだと分かる。


「分かってる分かってる。あたしがふられて傷ついたと思ってるわけね。まー否定はしない」

「グリゼルダさん……あの」

「でも分かってくれるよね、あたしはそういう腫れ上がった虫刺されみたいな扱い嫌よ。自分の思い通りにならないことが一つや二つあったところで、それで誰かを恨んでいじける人間じゃないつもり」

(グリゼルダ、その……)

「ていうか何、別にそんなの誰だって経験することでしょ! レグフレッジだってそう、いつもは年頃がどうとか資質がどうとか偉そうにあたしに言うくせに、こんな時だけまっとうに優しい保護者ヅラして! いつもそうしてよ!」

「いや、あのね、グリゼルダ」

「分かった、あたしに癇癪起こして泣きながら走り去れって言うつもりね! わーったわよこうすりゃいんでしょこうすりゃあぁぁっ!」

(何を言っているのだ御辺は!)


 そこまでまくし立てると、少女は黒髪を後ろにたなびかせて街道を疾走した。

 そして二百メートルも走って停止すると、地団駄を踏んで叫ぶ。


「何よ二人とも! あたしがせっかく気い張ってんだから、ちょっとは汲んでよ! 空回りしてるほうが惨めなのよ分かる!?」


 グリュクはやや無理矢理に苦笑を作って、フェーアを促すと軽く走って少女に追いついた。

 既に目的の街、フェーアの左手首に次元毒を埋め込んだ妖族の王子の待つマトリモニオまでは数百メートルといった距離だ。いくつもの小高い丘に囲まれた街で、ゆるやかな低地沿いの街道を進む彼らの先にある関門と思しき場所では、多くの妖族たちが出入りしていた。上空を見れば、ちらほらと箒に乗った魔女の姿も見える。


「やっと着きましたね、マトリモニオ」

「気をつけないと、あのカッコつけ王子がどこから狙ってくるか分からない」


 周囲を警戒するグリゼルダだが、ここまでに一度も、妖王子タルタスの手先だと確信できる手合いは現れなかった。グリュクの就寝中を狙った魔具使いや、集団で忍び寄ってきた妖族たちはそれかも知れなかったが、収監されたあとに脱出して地上での戦闘に巻き込まれたらしく、森のなかでボロボロになっていた所を発見され、意識が戻った時には重度の記憶喪失になっていたそうだ。後者に至っては、粒子の力で依頼者が全くの別口だったと判明している。


「(仕掛けてくるなら、町の住民を全員自分の兵士で固めるくらいのことはやってきそうなものだけど……そういう様子もないみたいだ)」


 彼らだけでは採れる手段は限られる。誰かを斥候に出すような人的余裕――移民請負社(ハダル)にそこまでを要請するのは厚顔というものだろう――も、残された時間もさほど無かった。

 フェーアを見捨てないのならば、タルタス・ヴェゲナ・ルフレートが宣言通りに彼女の左手の時限毒を解除できる術者を準備しており、彼らが期限内に到着した事実を認めて約束を守ることを祈るしかない。

 フェーアの手首の毒が溶け出すまで、あと十六日という余裕を持って辿りつけたのだ。まずは慎重を重ねても、間違いということはあるまい。


「(最悪、戦って何とかするしかないのかな……)」


 住民はほとんどが妖族であるこの街でも、やはり霊剣たちは言葉を発しない。

 何者かが触れを発しており、霊剣は今や妖魔領域全土で狙われていてもおかしくはない。よって、ちょっとした会話をするだけでもその声が周囲の妖族たちの精神に届いてしまう彼らと話すことは、深い場所にある地下室にでも行かない限りは自殺行為だ。

 タルタス王子との接触手段を、彼らは知らされていない。つまり、向こうが察知してこちらにやってくる以外の接触の可能性は皆無ということで、心の準備だけはしておかねばなるまい。

 思索を打ち切って泊まれそうな宿を探し始めた所で、通りの向こうからざわめきが広がってきた。

 そして聞こえてくる、歓声。

 ばらばらだったその声援はやがて収束し、連呼となってストリートに轟いた。


「フォレル! フォレル!! フォレル!!!」


 グリュクとグリゼルダ、二人の霊剣使いが相棒を抜かないまま身構える。

 歓喜に湧く妖族たちの群を割って現れたのは、英雄だった。


「………………!」


 錯覚かも知れない。

 しかし少なくとも、それは英雄にしか見えない誰かだった。

 背はグリュクと同等かそれ以上に高く、短く刈った金髪に、良く整えられた短い髭。胴鎧とマントと長大な剣とに身を包んだ、野性味あふれる偉丈夫の姿がそこにはあった。

 そして、彼はグリュクたちの方を優しく見つめながら、ゆったりと、しかし力強い足取りで近づいてくる。

 彼らの目前で立ち止まったその男は、周囲の歓声にも負けずに優しげな声を届けてきた。


「ようこそマトリモニオへ。俺はフォレル・ヴェゲナ・ルフレート……狂王ゾディアックが十子、今は狂王位継承第三権を預かる者だ」


 その表情に敵意はない。狂王の息子ということは、タルタスとはどういった関係にあるのか。それはともかく、攻撃や物騒な登場などを伴わずに名乗る、狂王の子の中でも常識的な部類には違いあるまい。

 グリュクは名乗り返そうとするが、フォレルはそれより先に自分の言葉を繋げた。


「君たちには礼を言う、わざわざ霊剣をここまで運んでくれたこと――」


 やはり霊剣を狙っている、そう判断して、フェーアを両脇から抱えて一旦後ろへ飛び退こうとしたグリュクとグリゼルダだが、フォレル・ヴェゲナ・ルフレートの台詞はそこで終わりではなかった。


「そして何より、我が最愛のエルメールを守ってここまで連れてきてくれたことに」

「…………!?」


 それは、どういうことか。

 グリュクが問い返す前に、フォレルは動きの止まった彼らに更に近づき、フェーアの手を取ると一気に彼女を抱き上げた。


「へ……?」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

「……何かな」


 グリュクの言葉に、フォレルの表情が僅かに変わる。


「彼女はエルメール・ハザクの遠い姪です! 面影があっても、フェーア・ハザクであってエルメールじゃない!」

「グリュクさん……!」

「何を言っているのかよく分からないが、お前さん、彼女の何だ。護衛じゃないのか」

「何って……こ、恋、人――」


 瞬間、殺意が爆発した。

 彼、グリュク・カダンは、霊剣ミルフィストラッセの加護を受けた剣士である。

 歴代の持ち主の記憶と経験を継承し、剣を高め、魔法術に通じ、戦って生き延びることに関しては地上最高に極めて近い能力を持っていると言っていい。

 その彼の目で以って、フォレル・ヴェゲナ・ルフレートがフェーアから手を離して腰の剣を抜き放とうとするのも、全て見えて、捉えていながら。

 グリュク・カダンは右腕を肩口から切断されて後ろに吹き飛ばされた。


(あるじ)よ!)

「グリュクッ!?」


 肉声を伴って最初に反応したのが、グリゼルダ・ジーベ。皆殺しにされた家族の復讐を決意したことを機に、霊剣レグフレッジの加護を得ることになった少女だ。まだ全くの若輩ではあるが、犠牲を厭わず戦って勝利することに於いて、彼女に勝る生物は皆無と言える。

 霊剣使いと露見することも構わず相棒を鞘から抜いて突進する彼女の前に、突如飛来した一本の剣が突き立てられた。

 グリゼルダの見たことのない剣だったが、それを投げたであろう相手はすぐに群衆の中から姿を現した。


「私も歓迎しよう、よく来てくれた、霊剣の加護ある者達よ」

「タルタス・ヴェゲナ・ルフレート……!」

(そして道標の名の下に、余が銘、パノーヴニク)

(霊剣の面汚しめ……!)


 グラバジャの城で、霊剣を狙って狼藉を働いた妖族の王子と、その下僕に成り下がった第三の霊剣だった。投げつけられた剣とは別に、既に抜身で主の手の中にある。


「グリュクさん……!」


 フェーアは右肩口の切断面から大きく血を噴き出しながらも立ち上がろうとするグリュクに駆け寄ろうとするが、フォレルに肩を強く掴まれて動けないでいるようだった。

 だからこそ闘志を燃やすのか、グリュクは失血と激痛で通常の魔女なら即座に戦闘不能になってもおかしくない状態のまま素早く魔法術を構築する。


「来たれ……!」


 誤射の可能性を考えれば魔弾や力場を用いた遠隔攻撃の魔法術は使えない。

 念動力場を生成すると、不可視の力場が、斬り飛ばされた彼の右腕から意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)だけを回収した。

 そして左手でそれを構えると、グリュクはフォレルに斬りかかる。


「離してくださいっ! 私は、フェーアです! グリュクさんっ!!」

「君に言っただろう、エルメール。必ずや、迎えに行くと」

「聞いてませんっ、そんなこと!」


 半ば狂乱の体で、フェーアは剣士を傷つけた妖王子から逃れようと妖術を構築したが、相手は動じない。


「無駄だ」

「謝絶を鋭く、固く!」


 どんなに怒りを覚えようとも、彼女が使ったことのない、相手の負傷を厭わない爆裂魔弾。

 以前暗殺者を踊らせたものとは比較にならない、怒りと威力に満ちた魔弾は、フォレルの顔面に直撃すると同時に砂のように散って消失した。


「……!?」

「君にはそのような術は似合わない」


 その手の中から離れようとするフェーアを抑えつけながら、フォレルは優しい声で語りかける。

 それはいっそ、不気味だった。

 だが、それ以上その様子を見届けることは出来ず、グリゼルダはかろうじて、タルタスの放った道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)による一撃を、自分の裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)で切り払った。

 一撃、二撃、何とか対応してみせるが、グリュクの方は片腕での攻撃を、難なく相手の、フォレルの剣に弾き返されている。相手もフェーアを押さえつけながら剣を振るっており、条件は同じ。

 だが、グリュクの体からは血が失われ続けている。

 グリゼルダは、心の底から叫んだ。


「誰か……! グリュクを助けてっ、誰かッ!!」


 彼女たちの周りを囲んでいる群衆は、皆フォレルに声援を送っている。グリュクはそれに交じる罵声などに一切怯むことなくフォレルの剣をかいくぐろうとしているが、彼を援護できる味方はいない。

 グリゼルダが絶望しかけた時、そこに雷音が鳴り響いた。

 驚く妖族の群集たちの輪が若干広がると、そこには白い魔人と、銀灰色の全身鎧が立っていた。


「カイツ、レヴリスさん……!?」

「グリュク……今度こそ借りを返すぞ」

「協力者の危機を看過したとあっては、顧客の信用は得られないからね」


 だが、フォレルとタルタス、二人の妖王子は全くと言っていいほど動じていない。全く未知の戦力であろうと、タルタスの下僕(パノーヴニク)ならばある程度の推察をするであろうにも関わらずだ。

 それどころか、タルタスは彼らからグリュクとフォレルの戦いを遮るように立ち位置を変え、両手の剣を左右に広げて構えて言う。


「兄上は宿願をお叶えください。この場は私が処理いたしますので」


 そうとまで言ってみせる余裕の源は、やはり異空間に相手を引きずり込む大妖術・精霊万華鏡なのだろう。グリュクと二人ならばその発動を妨害できるが、今は彼が重傷を負っている状態だ。出来るだろうか。

 その時、懸念するグリゼルダだけでなく、周囲全てに影が落ちる。


「今度は何……!?」

「どのような宿願か、知りたいものですな……兄上方!」


 空を覆い尽くすのは、巨大な天の船。

 そこから不敵な台詞と共に、黒いマントで全身を覆った海賊のような男が降りてきた。

 男は更に、長大な戦斧を携えた華奢な淑女を抱きかかえており、その態勢のまま、やたらと優雅に着地した。


「セオ王子に、ペレニス卿……!?」

「彼には我々も、借りがある。真実の愛に気づかせてくれた礼を、今こそ返す時」

「その通りですわ、セオさま!」


 夫唱婦随というものか、グリュクと意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の持つ力の影響ですっかり相思相愛となった二人の強力な妖夫婦までもが、グリュクの味方をしてくれるらしかった。

 だが、妖王子たちは一切の動揺を見せない。


「君もだ、セオ。何があったかは知らないが、兄上の宿願と我らの夢に立ちはだかる者は、誰であろうと排除する――」


 総勢五人、グラバジャの時以上に強力な顔ぶれに囲まれているにもかかわらず、タルタスは右腕を大きく天へと掲げた。


「あれは――!?」


 銀灰色の全身具足に身を包んだレヴリス・アルジャンが、その体勢に動揺を見せる。


来陣(ライジン)!」


 そして、電光と共に虚空から出現した、海より深い青色の全身鎧。グリゼルダたちがその素性に気づき、装着を妨害しようとするより前に、鎧は音を立てて分解し、猛烈な速度でタルタスの全身を覆い隠していった。


「爆轟は怯懦(きょうだ)を灰にッ!!」


 グリゼルダが爆裂魔弾を叩きつけた時には既に、それは完成していた。


「これが、宇宙を貫く青い稲妻……名をカテナ・デストルエレという」


 頭部全体を覆う兜でその表情は見えないが、禍々しい深海の色をした鎧に身を包んだ妖王子が言う。レヴリスの銀灰色の鎧(シクシオウ)よりも各部の装甲が大きく、より発展した形であるようにも思える形態だ。

 いずれにせよ、彼はセオと同じ狂王の息子にして、グリゼルダと同様に霊剣を持ち、更にそこに、レヴリスのそれと似たような鎧を着ているということになる。

 生物の一個体に、そこまで過剰な力が集中しているのだ。グリゼルダどころか、レヴリスやセオまでが、タルタスの完全武装した姿に緊張を隠さずにいる。

 そのタルタスが、全身鎧の重量を乗せて、がしゃりと一歩を踏み出した。来るのか。


「それが、どぉしたァッ!!」


 そこに殺到したのは赤い光弾、いや、赤熱の高速形態へと変身した魔人(アルクース)だった。


「ふむ……これは分が悪いな。またも無様に敗れてしまうかも知れん」


 魔人の短剣による攻撃を霊剣ともう一振りの魔具剣で弾きながら、タルタスは淡々とそのように言う。

 カイツの突進で仕掛ける糸口を見出したグリゼルダたちが実際に攻勢に出る前に、完全武装した妖王子は、義兄であろうフォレルと、彼と剣を交えるグリュク、そしてフォレルに捉えられたフェーアへと視線を向けた。


「私が彼女の手首の毒を、自分でも解除できないと言ったのは覚えているな」

「……?」


 その発言を覚えている、あるいは知っているのは、当事者だったグリゼルダと、粒子の力でグリュクと記憶を共有したセオ、トラティンシカのみだ。その三者が、タルタスの言葉の意味するところを予期し、白耳の妖女の方を見ると、彼女はうろたえながらうっすらと光る左手首の包帯を解いている最中だった。


「じゅう……ご……!?」


 グリゼルダの視点からはよく見えないが、フェーアの手首に刻まれた時限毒の紋が、輝きながら変形を繰り返しているのだ。


「その紋様……意匠化してはあるが、期限までの数字が描かれていることに気づいていたかね。様子を見るに早々に包帯で覆い隠してしまったろうから、気づけなかったかな? 十四、十三、十二……」

「い、いや……!?」


 彼女の顔から血の気が引き、悲鳴が上がる。解除こそできないが、期限を早めることは造作も無いのだろう。


「あんたって奴はぁ!」


 グリゼルダとセオが大きく踏み込み、カイツとレヴリスとトラティンシカが念動力場でタルタスの動きを押さえつけた。霊剣と、銀灰色の鎧(シクシオウ)の装甲を破壊しうるセオの剣ならば、深海の色の鎧の装甲を貫いてタルタスに一撃を与えることが出来るだろう。

 だが、


「我々を舐めるな」


 タルタスの全身から放射された強烈な念動力場によって、彼を抑えこんでいた三人の力場は全て破壊、グリゼルダとカイツも大きく吹き飛ばされた。

 一方、片腕となって大量に失血しながらなおもフォレルからフェーアを取り戻そうと斬りかかるグリュクに、フォレルが告げる。


「何度挑んでこようと、エルメールは渡せん」

「……彼女はフェーアだ……エルメールじゃ……ない……!」


 恐らく彼こそが、エルメール・ハザクの怨念がその末期に触れた、“求婚を断った狂王の王子”なのだろう。

 そして、容姿のよく似ているらしいフェーアをエルメールだと誤認している。それを止めようとして利き手を斬り飛ばされてはたまったものではないが、グリュクは薄れ行く意識の中で、何とか彼女を取り戻そうと相棒を振るった。

 その時グリュクの目に映ったのは、フェーアを背後に追いやり、持っていた剣を捨て、腰に帯びたもう一つの剣へと手を伸ばすフォレルの姿。


(今だ、主よ!)


 その隙を逃してはならない。

 だが、刹那、彼は有り得ない光景を目にした。


「ミルフィストラッセ――!?」


 霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムの刃が、意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の剣身が、中程から叩き折られたのだ。グリュクの目にも捉えられなかった、超音速の一撃。

 彼を握っている間、柄を通して常に感じていた鼓動のような力が消失し、グリュクは絶望しかけた。


「(まだだ……!)」


 それでも彼は折れた霊剣の刃を突き出したが、その左腕も上腕の中程から切り飛ばされて宙を舞う。

 そのまま体勢の崩れた所に胸郭へと強烈な足裏での蹴りを受け、両腕を失った霊剣使いは五メートルほど離れた生花店の陳列台に叩きつけられた。


「グリュクさんっ!!」


 彼を案じるフェーアの悲鳴も、酷く小さく聞こえる。

 片腕を失ったりとはいえ、失血で立てなくなりつつあるとはいえ、彼は霊剣の主である。剣士たちの記憶を受け継ぎ、次の世代へと手渡す使命を、望むと望まざるとにかかわらず帯びることとなった。

 七百年という歳月の大半を戦いに投じ、もはや剣においてグリュクと意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)に勝る者は、数えるほどもいるまい。

 にも関わらず、グリュクはもう一方の腕も落とされ、相棒をも失った。


「折れたか……やはり、俺の剣の方が優れていたようだな」

「何、を…………!」


 鉢や草花に園芸用の土を派手にまき散らしながら、両腕を失った体で立ち上がろうとするグリュクに、フォレル・ヴェゲナ・ルフレートはよく通る美しい声で悠然と語る。


隕石霊峰(ドリハルト)への土産話に聞いておくといい。これはタルタスの道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)を参考に、俺が自ら鍛え上げた霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムの剣だ。言わば、新霊剣とでも呼ぶべき代物」

(人格は俺一人のものしか入っていないが……このことが千五百年を闘ってきた俺が二人がかりで思考と判断を行うのに相当するならば、寿命の短い魔女の数十人を束ねただけの旧い霊剣に負けるはずがない)


 瀕死のグリュクの魔女の知覚に、フォレルと全く同じように喋る、音ではない声が響いてきた。


(太陽の名の下に……我が銘、ウィルカ! 意思も、裁きも、全て焼きつくしてやろう!)


 新霊剣を名乗るその人格剣の宣言と共に、グリュクの目の前に深い青色の鎧をまとったタルタスが転移してきた。十メートルと離れていない短距離の転移をこの精度で実行する、霊剣使いに顕著な非常識の制御力。


「そこまでだ、霊剣使いとその協力者たちよ!」


 その一声で、グリュクに味方してくれた者達の視線が集中する。

 それを確認したか、タルタスは道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)を彼の喉元に突きつけ、続けた。


「グリゼルダ・ドミナグラディウム。彼にはまだ生きていて欲しいだろう? 私の要求が分かっているなら、あとは君の判断次第だ」

「……!」


 名を呼ばれた黒髪の少女が、びくりと震える。

 いけない、グリゼルダ。

 そう叫びたくてたまらなかったが、既にグリュクの喉は声を出せない。


(グリゼルダ……君の判断に従うのが、君を主に選んだ私の喜びだ。君が今、すべきと思ったことをするんだ)

「………………………………………………………………………………………………………………………………ごめん、レグフレッジ……!」


 グリゼルダが、裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)の切っ先を下に、力なく路面へと突き立てる。その刃はただそれだけの動作で、しっかりと舗装に食い込んで屹立してしまうほどに鋭かった。


「くく……愛剣を破壊された者と、手放した者。お似合いだな」


 そのように侮辱されれば、年頃に似つかぬ悪鬼のような形相で敵を睨んだであろうグリゼルダだが、今やその表情は生気を失い果てている。

 カイツやレヴリスたちは、その葛藤を汲んでか何も言わず、しかし身構えていた。


「あ……あと一日……」


 フェーアの怯えた声が聞こえてくる。手首からの光が収まっているので、期限の前倒しは終わったらしいが、その表情は恐怖に歪んでいた。


「ならば良し……兄上、もう彼女の左手の毒は解除して構いませんよ」

「全く……」


 呆れたように呟くと、フォレルは屈みこんでフェーアの左手を取り、その毒の紋に手のひらを当てた。


「!」


 すると、彼女の左手首に刻まれていた禍々しい紋章は、ただの泥はね跡を清流に晒したかのごとくに、あっという間に消え去っていく。

 そして、タルタスが念動力場の妖術を念じ、呪文を唱えてそれを開放する。


「集結する叡智よ」


 フォレルに破壊された意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の刃と、斬り飛ばされたグリュクの左腕からこぼれ落ちた残りの刃と柄。そして裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)が虚空に浮かび上がり、自分の霊剣を鞘に収めたタルタスの手中へと入った。


「待ちやがれ、手前ェッ!!」


 怒り狂った赤い魔人が無数の残像と共に上空から火炎魔弾を乱れ撃ち、レヴリスとセオ夫妻はフォレルに対して多数の魔弾を撃った。

 だが、全て防がれる。


「それでは参りましょう、兄上」

「あぁ」

「ぐ……ミルフィストラッセ……! フェーアさん……!」


 全力で叫ぶが、それは呻き声以上のものにはならなかった。既に失血は限界に達し、視界もほとんど残っていない。

 霊剣使いの少女も、魔人も、移民請負人も、黒衣の王子とその妻も、完全武装をしたタルタスを突破できない。


「グリュクさん……」


 だが、せっかく思いを伝えた彼女が奪われることを、何もせずに見ていることなど、出来はしない。

 その憤りを両足へと込めて、最後の力が振り絞られようとしていた。

 しかし。


「もう……やめてください……」


 涙と鼻水で顔を滅茶苦茶に歪めたフェーアは、グリュクにそう告げた。


「え……?」

「ごめんなさい、グリュクさん……私……この人の所に行きます……」


 その言葉の意味を、何とか脳は拒絶しようとする。


「だから……もう戦わないで……!」


 だが、涙と共に訴える、惚れた女の言葉とそこに込められた意味。それを分からない筈があるだろうか。

 ふと、何か大切なものが自分の中でほつれ、ぷっつりと切れたような感覚が訪れて。


「もう、私の、ことは……忘れてください……さようなら…………!」


 両脚を支えていた戦意は霧散し、グリュクは力尽きて倒れた。その意識は何処かへ深く、酷く深くに沈み込んで形状を失う。


「その闘志だけは認めよう、そして、忘れない」

「――いや、やめて……!?」


 妖王子が妖術を構築し、素早く解き放つと、大きな爆裂魔弾の威力が発散されて花屋は蒸発した。

 グリュクを助けようとその場に集まった全員が、剣士を飲み込んだ爆炎に動きを止める。

 裏返った悲鳴を上げて、囚われの妖女が彼の名を呼んだ。


「グリュクさんっ!?」

「では行こうか。我が最愛のエルメール」

「嫌……嫌ぁっ!」

「転換する時空よ」


 その絶叫も、転移の妖術が発動すると同時に掻き消える。

 二人の妖王子は妖術でその場から転移、二振りの霊剣と白耳の妖女を奪い、マトリモニオを去った。

 










「グリュク……グリュク……!」


 座標間転移で射線に割り込み、連鎖させた防御障壁で爆轟を防ぎ。

 そして自分の衣服を破って彼の傷口を止血し、かろうじて、グリゼルダは思いを寄せた剣士の命を繋いだ。

 両腕を切断されて傷めつけられ、死んだように意識を失っていたが、本当にギリギリの所で、彼は生きていた。

 その事実に安堵するべきか、無様にこうして彼が再び瀕死の重傷を追うことを許し、更には二振りの霊剣と友人を奪われた事実を嘆き悲しむべきか。

 焼けただれて骨組みすら残っていない花屋の跡地で、グリゼルダはただただ、彼の名を呼びつつ泣いた。

 降り始めた雨と、事態を聞きつけやって来た妖族の兵士たちが集まりつつある中、セオとトラティンシカが、彼を天船に収容する準備を整えてくれている。

 レヴリスは本来自分の請負人としての仕事もあるだろうに、この場でのグリゼルダたちの一行の代表として、やって来た妖族の役人だかの応対にあたり、カイツはグリュクの斬り飛ばされた腕を拾って来てくれた。魔法術で傷口を接合したが、再び剣を振るえるほどに回復するかどうかは分からない。

 これからどうするべきなのか、グリゼルダはまだ決めかねていた。

 今はただ、傷つき倒れた彼の身を案じ、泣き崩れている。

 雨は冷たく、そして強まりつつあった。











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