5.銀灰・虹・黒
「彼方も目と鼻の先!」
何度目かの転移。
もはや驚きはないが、魔人に変身したカイツでは扱えない瞬間移動のような妖術を鼻歌交じりにでも使えてしまいそうなこの妖族の娘の技術は、相当高度らしい。
敵も追いすがってきてはいるが、彼女ほどの資質を持つ術者はいないようで、追いついたそばからカイツの攻撃を受けて人数を減らし、反撃に移る前に妖女フェーア・ハザクの座標間転移の妖術によって引き離され、相当に疲労しているらしかった。
こちらの彼女も連続した転移の副作用だという、乗り物酔いのような症状で一時は平衡感覚を失いそうになっていたが、魔法術を使って全身にそよ風を吹きかけてやることでかなり軽減された。乗り物酔いに近いものらしい。
それでも短時間に転移を繰り返すのは健康に支障があるので、二人はこうして合間に徒歩を挟みながら、敵の転移や接近を警戒しつつ移動を続けていた。
追手が転移してくる気配を感じ取ったらこちらも転移するのだが、それだけを続けていては時間ばかりが過ぎてゆくので、折を見てカイツが反撃をし、フェーアが神経と酔いを回復させる余裕を取るための時間が必要だった。
「追手の方が転移の間隔が伸びてきてるな。向こうの方が同じ術でも酷く酔うとか、魔力を食うとか……そういう差があるのかね」
「変換小体の量はそんなに違わないはずです。ただ、私の場合は……その、親類にすごい術者がいて、その人に……教わりましたから。妖術の扱いの効率がいいんだと思います」
それまで物腰は柔らかくともそれなりに芯の通っていた彼女の話し方が、急に鈍る。
カイツは僅かに奇妙さを感じつつ、自分の事情を説明した。
「俺の場合は、自分で転移をすると体内の電流もどき共の生命維持に危険が生じるらしくて、見よう見まねでやろうとしてもこいつらが拒否してくるからな……でもそろそろ、追手も減ってきた頃だ」
「諦めてくれるでしょうか」
「どうかな……あいつら、何かに怯えているようにも見えた。それに比べて、移民請負企業を敵に回して俺を手に入れようとするのには抵抗がないらしいし」
「やっぱり話し合いは……それが決裂して今こうなってるんですものね」
思案する妖女は、無自覚な所作なのだろうが、白く大きな耳がゆっくりと上下し、被っているフードをもぞもぞと動かした。戦いについてはドの付く素人らしい彼女に代わって追手の気配を捉えようと警戒するカイツの感覚に、大きな戦闘音が波を立てた。
「あっちでも誰かが戦ってますね……ちょっと離れましょう」
「いや、あれは……あのおっさんだ」
「……レヴリスさんのことですか?」
「…………押されてる」
森の向こうの開けた岩場で、立て続けに生じる複数の爆轟、吹き飛ぶ樹木、土砂。
銀色の鎧と、黒衣の妖王子が戦っており、加速している後者に対し、レヴリスはかなり不利な立ち回りを強いられているように視えた。
「あんた、戦いに自信はあるか」
レヴリス・アルジャンには、追われる自分を匿おうとしてくれたという義理もある。彼が敗北、あるいは死ぬなりしてしまえば、主を失った移民請負企業とやらがカイツを敵に引き渡してしまわないという保証はない。霊剣使いたちもここでは外様なのだから、この状況では頼る訳にはいかない。
そうした打算ではあったが、それでもそれは動機として強く働いた。何より、理由はどうあれ彼のために体を張っている男の戦いを横目に通り過ぎるという真似を、してはならない気がしたのだ。
伺いを立てるわけではないが、体内の電磁生命体も特に強く反対などはしていないようだ。
「レヴリスさんを助けたいんですね」
「まぁ……そうなる」
「でも、私では足手まといになりそうですし……カイツさんがこのまま割り込んでも、追手の人達を連れて行っちゃいませんか?」
「……無理があるか」
やはり多少回り道になっても追手の心配を完全に無くし、この娘を安全な場所に向かわせてから助けに入るべきなのだろう。意を決して形態を変化させようと念じ始めると、フェーア・ハザクが首を軽く横に振って彼に答えた。
「私に考えがあります」
「…………?」
白い影が、稲妻のように森から飛び出した。雪のように白いその姿は、異形の魔人。
それを追う破軛戦士団の部隊は、彼を転移させていた移民請負社の女の姿が近くにないことを訝りつつも、追跡を開始した。
女の方はすぐに見つかり、魔人とは逆方向に逃げていた。転移酔いが酷いらしく、その足取りは重い。ようやく神経が限界を迎えたのだろう。罠という可能性もあるが、いずれにせよ別れたということは好機だ。
彼らは酔いを押した転移で逃げうる女は放置し――戦闘力としてはさほど重要ではない――、魔人の捕獲に全力を傾けた。
転移酔いが軽くなってきた術者が集中し、転移の妖術を解き放つ。部隊は空間の狭間をくぐり抜け、魔人の行き先を塞ぐように出現。
そして催眠電場や拘束用の念動力場を一斉に解き放とうとした瞬間、追い詰められた魔人が声を発した。
「引っかかりましたね!」
女の声だ。雪のような白い表皮が、ふるい落とされた粉砂糖を思わせる微粒子となって崩れ落ちた。
中から現れたのは、先ほどまで転移を使っていたはずの女だった。先ほどまではフードで隠れていたらしい、白く大きな耳が顕になっている。
化けていたのだ。非常に高い精度で行使された、変化の妖術で。
ならば、魔人の方は手つかずで逃げているはずだ。彼女の貸したであろう、フード付きの上着を羽織って!
こんな簡単な手で謀られてしまったと気づいた時には、既に遅い。
高速で精密な妖術が構築され、広範囲に解き放たれた。構築が速すぎて、内容が読み取れない!
「この地を深く、重くっ……!」
呪文と共に強烈な高重力がフェーアを中心に発生し、彼女の周囲を取り囲んだ妖族の戦士たちに襲いかかる。
折れる枝葉、倒れる若木。彼女を中心とした半径七十メートル圏内、彼女以外の全てが、局所的に増大した重力の暴圧に苦しんでいた。
高速で転倒して骨折する者、折れて落下してきた妖樹の枝で強かに頭を打つ者、反射的に足を踏ん張って堪えた者も、脳の血液を体の下方の血管に追いやられて失神するなどした。
この状況でも魔弾を放ってくるものが数名、さすがは狂王の息子の私兵だ。
だが魔法物質とはいえ重力の作用は逃れられない。魔弾は彼女に害を及ぼすはるか手前で落下して破裂、崩壊する。
フェーアも、大妖術の負担でずきずきと痛みを訴え始めた神経に苛まれながら、術を維持した。敵は全員、二トン近い体重になっているはずだ。みしみし、ぎりぎりといった小さな音以外の立たない静かな重力地獄が、二十秒ほど。
それで、立ち上がってくる敵はいなくなった。
カイツは無事に、レヴリスと合流できただろうか?
「ぅ……!?」
フェーアは術を解除し、それに伴い不意に襲ってきた激しい頭痛に喘ぎつつも、青年や仲間を案じた。
移動都市ヴィルベルティーレに着陸し、恐らくは燃料が残り少ない天船アムノトリフォン。
それぞれの指導者であるレヴリスとセオの交渉決裂は双方に周知され、今や霊剣と魔人の存在を巡り、移民請負社と破軛戦士団とは完全に交戦状態にあった。
移民請負社の戦闘部隊は先日の移民追撃部隊との戦闘である程度疲弊していたが、それでも果敢に障壁を形成したり、念動力場で少しずつ地形を変えながら接近を続けていた。破軛の戦士たちが乗り込んだ巨大な天船は即席の城となっており、堅牢な装甲で生半可な魔弾を寄せ付けないのだ。
無論、破軛の戦士たちも手をこまねいて突入を待つのではなく、魔弾を多数撃ち、多重障壁を形成して自分たちの船を守ろうとしていた。
そこへ――
「砕けろぉッ!!」
「轟火は軍勢を塵にッ!!」
力強い呪文によって自然界へと生み出された双子の魔弾が、互いに螺旋の軌道を亜音速で突進、天船の左の舷へと着弾した。破裂した超高温・高圧の魔法物質の塊は熱と閃光と轟音、衝撃波をまき散らし、その振動を船からその不時着している移動都市へと伝えた。
造成区画へと着底した巨大な船を中心に爆轟と煙が広がり、天船を包囲していた移民請負社の部隊にも僅かな余波と粉塵が及ぶ。
頑強な船体ながら、グリュクとグリゼルダの放った爆裂魔弾は、一方がかろうじて間に合った敵の防御障壁を破壊し、もう一方がその穴から障壁を通過して装甲本体に直撃を与えたものらしい。数人の妖族の戦士が倒れている甲板、その下の船体の横腹には、直径二メートルほどの穴が穿たれていた。
(期待よりも効果が薄い也)
「あそこから突入するか、もう少し穴を開けさせてもらう」
呪文を唱えて爆裂魔弾の魔法術を解放したと同時、グリュクの術が発動する。
座標間転移だ。
「遷し給え!」
放った魔弾が着弾した時には既に、彼らは転移で森の違う場所へと姿を表していた。敵からの反撃も、虚しく木々を散らすだけだ。
「再び――業火は軍勢を塵に!」
「砕けろ!」
再び二人の霊剣の主が爆裂魔弾を同時に放ち、巨大な爆炎が移動都市の反対側にいても聞こえるであろう轟音と共に天船から膨れ上がった。すると二人はまた別の場所に転移して、敵の警戒が薄い方向から更に爆裂魔弾を放つ。
それを四回、計八発。
(座標間転移を交互に行使して疲労を分散させつつ敵を翻弄し、防御の薄い方向から強烈な一撃を叩き込む!)
それが転移間射撃、敵を撹乱しながら大火力を叩き込む、いわば対多戦闘における切り札だ。複合加速と同様に短時間で神経に溜まる疲労が大きく、少人数や小さい目標を相手に使うには効率が悪い。使い所はこのような場合に限られるので、切り札と呼ぶのはやや不適切か。
とはいえ、一発は防がれたものの、妖王子の船には幾つかの穴が穿たれた。鋼鉄色の天船から噴煙と破片が飛び散り、船上の戦士たちには悲鳴が、その隙を突いて一気に接近を始めたハダルの部隊からは雄叫びが上がる。
二人は状況の変化を確認し、離れた場所で一旦転移を止めて推移を見守ることにした。
グリゼルダが、案じるように呟く。
「……これが決め手になるかな」
(あの船を制圧してしまえば、拠点を奪われたセオ王子も対応せざるを得ないだろう。もし自暴自棄になったとしても、君たちとレヴリス・アルジャン率いる移民請負社が連携すれば、対処は難しくない)
(かてて加えて、今はカイツ・オーリンゲンもいる。負けはすまい)
「共有したから知ってはいたけど、随分尖った知り合いがいるのね、グリュク」
「何ていうか……本当にいろんな人とこの短期間で出会ってきたと思う」
グリュクはそこまで呟いて、戦況に変化が生じたのに気づいた。
セオ・ヴェゲナ・ルフレートの天船のまだ無事な部分の横腹が開き、そこから何か大きな金属質の塊のようなものが滑るように、しかし重々しく迫り出してきた。
その鈍い輝きは、恐らく金属型の永久魔法物質結晶の塊だ。各辺が数メートル、長方に至っては十メートル以上の、概ね直方体の形状をしている。突然現れたそれを警戒するのも当然だろう、移民請負社の部隊から魔弾が何条も投射される。
だが、全て着弾しても、見る限りは破片の一つとして奪い取れてはいない。そこに、グリゼルダの持つ裁きの名を持つ霊剣が感嘆する。
(恐るべき硬度だ。原質から精製するのに長い時間を要しただろう)
そして船上に姿を現した大柄な初老の妖族。年齢は恐らく三百歳に迫るだろうが、もみあげから顎先までをびっしりと覆う厳かな黒い髭とゆったりとした黒い装束は、セオ同様に貴族然とも海賊然ともしていた。
「(セオ王子の補佐役ってところか……)」
だが、それよりも目を引いたのは彼が右手に支えている長大な杭だ。遠目に見てもその身長ほどもあり、小さく呪文を唱えて拡大視の魔法術を行使して更に観察すると、それが装飾文字で埋め尽くされた紙の帯に覆われた金属の類だと分かる。あるいは、船腹から出てきた永久魔法物質と同じ材質か。
(いかん! 主、止めろ! あれは――)
意思の名を持つ霊剣の警告に応えてグリュクが何らかの動きを起こす前に、彼はそれを持ってそこから跳躍し、岩場に滑り出た金属質の塊へと勢い良く突き刺した。
二人の霊剣使いが大きな金属に似た塊とそこに突き刺された杭の関係に気づいて座標間転移を構築し切る前に、鈍い金属光沢を放つ永久魔法物質塊は液体のように振る舞い始め、猛烈な速度で変形を始めた。
数百メートルほども離れて周囲を囲む移民請負社の部隊から、魔弾による火線が集中する。
「撃ちまくれ、ぶっ壊せぇぇ!!」
「生成が終わる前に倒せーッ!」
突き刺された杭は、命役符。魔導従兵を生成するための器具だが、人間大のものを生成するだけならば握り手に収まる大きさで事足りる代物だ。
「永久魔法物質を使って魔導従兵を作るの!?」
珍しく、グリゼルダが驚愕の声を上げる。
その全高は十五メートルほどもあるだろうか。この規模の大型魔導従兵自体はさほど希少なものではなく、過去の霊剣使いも魔女同士の紛争などで何度か交戦経験がある。だが、素材は混凝土などではなく、ましてや土壌や岩石からではない、金属型の強靭かつ堅牢な永久魔法物質。恐らくあの天船とやらの燃料には成り得ないものなのだろうが、あれほどの資材を保有しておきながら霊剣を狙うというのだから、グリュクの心には一部、釈然としない物が残った。
概ねはヒト型に見えるが、腕が足元に届くほどに長く、脚も膝から下が大腿部分の二倍ほど、獣の後ろ足を思わせる構造になっている。
鈍く輝く異形の巨人が自動生成を終え、地響きを立てて動き始めた。生成が始まった前から移民請負社の妖族たちから魔弾や力場の集中砲火を受け続けているのだが、歩き出した永久魔法物質の巨人は一向に堪えた様子がない。
「グリゼルダ!」
「分かってる!」
グリュクは素早く座標間転移を構築すると、呪文を唱えて巨人の近くへとそれを解き放った。
「(何だ……あれは)」
当然ながら、今まで地下の遺体安置室らしき部屋にいたのでは、地上の様子はよく分からない。
火事で移動都市を混乱させようと地上に出た彼が見たのは、未造成の区画にやや傾いて擱座、いや座礁か? いずれにしても一切動かずにいる巨大な鋼鉄の船らしきものと、その近くでの戦闘だった。恐らくセオ・ヴェゲナ・ルフレートの天船アムノトリフォンだろう。
包囲され、抵抗しているようだった。
「(俺が仮死状態になってる間に移民請負社と戦闘でも起きて撃墜されたか……?)」
ただ、使い魔の補助など得られない状態の彼では、やはり状況はよく分からない。
すると、立て続けに四度、その船体から巨大な爆炎が膨れ上がった。移民請負社が精鋭を回りこませていたか、しかし微かだが、立て続けに座標間転移が行使された形跡を、彼の第六の感覚は感じ取っていた。その痕跡を何とか追うと、向かって左手の森の枝葉の隙間に二人の魔女の姿が見える。
「……!」
更に、二人とも船に大きな打撃を与えた直後だからか、戦況を見ているらしい。彼には全く気づいていない。
好機か。彼も妖術、特に対人殺傷力に長けた術に関してはそれなりの自負があった。ここから霊剣使いの両方を狙撃で殺すことが、出来るか? 今撃てば頭部に当てられるが、一人目を殺せば異変に気づいたもう一人が転移で逃走、あるいは反撃してくるだろう。そうされる前に二人目を狙い撃てるかどうか。
確証はないが、成功すれば二振りの霊剣が手に入る。急がなければ、また転移されるかも知れない。
意を決して狙撃の妖術を構築し始めたところで大きな衝撃が背後からやって来て、彼は盛大に吹き飛んだ。
「…………!?」
吹き飛んだ眼下、船の向こう側――彼の位置からは見えなかった場所だ――で巨大な金属型永久魔法物質の巨人が自動生成されているのを見ながら、彼の記憶はそこで途絶えた。
気の抜けない戦いが続く。
残像しか見えないセオの動きの軌跡から徹甲弾ではなく炸裂弾が発射され、レヴリスは危ういところでそれを回避した。背後で生じる爆発音に、小さく悲鳴が混じったような気がする。今、自分の躱した攻撃の余波で何か吹き飛んだだろうか?
一瞬不安を覚えたレヴリスだったが、元々何の施設もない未造成区画に着陸した天船から離れた林の一角に、そうそう人などいるはずもない。気にすることはないだろう。
しかし――
「(何て速さだ……!)」
肉体の強度を増加させる術は高速移動を可能とし、神経の交感間隔を早める術は、主観時間の流れを高速化する。どちらか一方だけでも強力な術だが、その二つの術を組み合わせて同時に行使することで絶大な相乗効果をもたらしてくれる。爆発的な速度で動けるだけでは自分の反応速度や動体視力が付いていけない恐れも出てくるが、神経加速がそれを解決してくれるからだ。
連鎖複合と呼ばれる技術はそれだけでも高度な部類だが、特に、“維持を続けなければならない術”を二つ同時に行使するのは才能と修練とが必要と言われる。
まして狂王の息子が行使すれば、その相乗効果は計り知れない。
魔具銃から発射される弾丸の速度までは上がらないようなので、辛うじて動きまわることで直撃は避けている。だがこのままでは、鎧の補助があるとはいえ、いずれやられる。
「(悔しいが、こうなれば口先にも頼るべきか……!)」
かろうじて目で追えなくもないというような悪夢じみた速度で動き回るセオに、レヴリスは告げた。
「よろしいのですか、叔父上。先ほどの爆発、あなたの船が霊剣使いたちの攻撃を受けているようですが」
「あれしきのことで破れる破軛ではない。見るがいい」
セオの性格からして、罠ではないだろう。レヴリスが彼の指し示す方角を振り向くと、既に形成が完了したらしい巨大な魔導従兵が、霊剣使いたちの攻撃さえ物ともせずに暴れ回っている。
「あれは、永久魔法物質じゃありませんか! 何故あれを燃料に使わないんです!」
「永久魔法物質としては、硬いばかりで燃料にならん代物だ。もっと理想的な、物質の始原に近い魔法物質が望ましい。霊峰結晶の如くにな」
「我々の移動都市には精製が出来る術者もいる! 何故そこまで急ぐんです!」
「言っただろう、時間がないのだ」
「……! 欠片も残さぬ爆炎となれッ!」
レヴリスは呪文を唱えると小さな爆裂魔弾を生成し、それをセオがいるであろう辺りに向かって投げつけた。無論、加速したままの敵に対して当たりはしない。それどころか、炸裂すれば破壊をまき散らすはずの光る魔法物質の塊は地面に落ちてもぼとりと音を立てただけで、燃え上がることさえない。
それも意に介さず走りだし、レヴリスはその爆裂魔弾を両足で思い切り踏みつけた。それでようやく魔弾が爆発し、それに伴う爆圧で銀色の鎧をまとった移民請負人は大きく急激に跳躍――背中の推進機構だけで飛び出した場合、初速が足りずに魔弾で叩き落とされる恐れがある――、そのまま背中の推進機構を噴かせて空中を運動し、見当を付けた辺りに強力な念動力場を投射した。
「大地に沈んで土となれ!」
それが、見事にセオを捉えた。
目にも止まらぬ早さで彼を翻弄し続けていた黒衣の王子は動きを止め、黒いマントが念動力に引かれてその下の肩や背の輪郭を浮かび上がらせた。両手にそれぞれ携えた恐るべき魔具も、今は把持するのが精一杯に見える。右手の銃をもし発射しても、魔具の弾丸はレヴリスに到達する前に、展開された念動力場に捕まって墜落するだろう。
しかし、複合加速の効果で肉体の強度も増しているとはいえ、通常の妖族なら脊椎骨が破壊されてもおかしくはないこの出力に、セオは耐えていた。
「(いや、耐えるどころか……!?)」
動いている、歩いている! 妖術で強化されているのは分かっているが、この男の体組織は何で出来ているのか。
「これ以上の手加減は出来ませんよ、大叔父上……!」
焦燥が喉から声となって滲む。魔法術によって自然界に出現した思念の力場、下方への不可視の圧力が、更に出力を増した。
狂王の息子の足取りは、念動力場に耐え切れずにばくりと音を立てて陥没した岩肌にめり込んでもなお、止まらない。
ぐしゃり、ぐしゃりと岩の足場を踏み砕きながら、セオは鎧の力で地上十メートルほどに浮遊を続けるレヴリスに近づいてゆく。
そして、呟いた。
「レヴリス……手心を加えていたのか、俺に?」
第十三王位継承者が左手に握った蛮刀をゆらりと掲げ、稲妻のように素早く振り下ろした。
「ならば、間違っている」
その呟く声と同時、十五メートルは離れていたはずの銀灰色の鎧の、上半身左の前面装甲が大きく弾ける。
「ッ!?」
撃墜。鎧と己の肉体の損傷に動揺しつつも、レヴリスは受け身を取って落着、セオの追撃を受けないように岩陰に隠れながら状況を分析する。
「(俺の念動力場を切り裂いて、シクシオウの装甲を破壊した……!)」
油断をしているつもりが無かっただけで、隙があったのだろう。不覚の思いが傷の痛みを広げたが、それでも負傷は比較的軽い。少なくとも、確かな指先の感覚があるので神経までは切断されてはいない。傷口も、装甲の下の柔軟な有機部分が伸びてきて破損個所を応急的に埋め、自動で止血を行った。
破損したのは左胸、左肩、左上腕部分。レヴリスから見て左上から切り下ろされたような傷が装甲を大きく損傷させており、銀灰色の鎧を着ていなければ左肩から脊椎までを深々と切り裂かれていた筈だ。
「俺の苦労が分かるか、レヴリス。こうして加速していると、お前にも聞き取れるように喋るのが実に難儀なのだ」
実際に複合加速を行使したことなどないレヴリスには実感は無かったが、確かに主観時間まで加速していることを考えると、相手に確実に言葉を伝えたければ相応にゆっくりと喋る必要がありそうだ。
もっとも、実際にはそんなことを言いたいのではなく、「苦労」というのは別のことを暗に告げているのかも知れない。
だが、今は実力行使を伴う係争中だ。
「!!」
それで問答は打ち切るということか、セオが大きく左に跳躍しながら右手の魔具銃を発砲してきた。
幸い、複合加速――つまり統合身体強化と神経加速を同時に発動させた状態で、それ以上の妖術を使うことはできないらしい。左肩付近の装甲が酷く破損したこの状況で余波の大きな妖術を連発されれば危ういところだったが、レヴリスは鋭く左前方へと飛び出し、今や速度と反応で遙かに勝るセオに対する反撃の手を必死に考える。
戦闘力という面においては、銀灰色の鎧が無ければ魔女としても優秀であるだけに過ぎないレヴリス・アルジャン。
一方彼の大叔父はといえば、どうやら妖術の構築無しに内部で複数種類の魔弾を生成・射出できるらしい魔具銃に、十メートル以上離れた対象を斬ることが可能な魔具の蛮刀。そしてそのどちらもが銀灰色の鎧の装甲すら破壊できる威力を持ち、狂王の血脈に由来する莫大な魔力を持つセオが複合加速を行使しながらそれを繰り出してくる。
「(こりゃあ、“詰み”かもな……)」
先ほどまでは、セオが自分を殺すことはあるまいという確信があった。だが今は無い。情に厚いが、しかし本当に必要であると決断すれば身内も殺す男だった。そんなことは滅多になかったが、今は違う。
このままではレヴリスは、移民請負人は、敗北乃至は死ぬ。彼の大叔父は魔人を殺すか、生け捕るかするだろう。あるいは、霊剣使いたちさえも。
「蝶を捕らえる蜘蛛の巣となれ!」
今度は大地と平行に投射された念動力場の網だが、セオはそれを跳躍してかわすことなく、魔具の蛮刀を大きく振り回して破壊する。不可視の力場が透明度を失い、きらめく粒子の雲となって霧散した。
レヴリスに反応できない速度で急激に接近してきたセオが、その胴の装甲に魔具銃を突きつける。
そして発砲。だが引き金が引かれる直前、彼の視界に赤い閃光が飛び込んで来て、セオは横殴りに大きく吹き飛ばされた。
「!?」
その赤い閃光も残像しか残さない速さだったため、レヴリスは真剣に困惑した。
「間に合ったかよ。請負人サン!」
右から聞こえてきたその声の方を見ると、全身くまなく赤い色で塗り固めた細身の鎧が、吹き飛んだセオの方を向いて構えている。
閃光と目の前の鎧、赤の色合いは同じだった。その鎧姿の端々に、見覚えがなくはない。彼(?)が、助けてくれたのだろうか?
「ありがとう、えーと……」
「何だよ」
不機嫌そうに促されて、レヴリスは素直に疑問を口にした。
「……カイツ君のお兄さんか誰か?」
「ちげーよ本人だよ! そりゃ色が違うから分からんかも知れんが同一人物だよ!! 俺みたいなのがこの世に二人も三人もいてたまるか!!!」
口元が動いてもいないのに興奮して早口にまくし立てる彼は、どうやら、先ほど会った白い魔人の体色が変化したものらしい。そういった生態があるとはグリュクからは聞いていなかったが、あの時は事態が事態なので、彼もそうした詳しい説明は省いたのだろう。
だが、それ以上を聞くことは出来なかった。カイツに吹き飛ばされたセオが、岩場を跳躍して再び右手の魔具銃を連射してきたのだ。
二人は何とかそれを回避し、レヴリスは悲鳴を上げるようなカイツの提案を聞いた。
「あいつには二人がかりで行く!」
「……あぁ!」
魔人の戦闘力は未知数だ。グリュクたちなら知っているのだろうが、少なくともセオに追われて逃げてきた以上、彼には及ぶまい。レヴリスの方は傷を負っており、少々動きも鈍ってきている。少々都合が良すぎはしないかと疑いもしたが、この状況では頼らざるを得まい。
レヴリスの僅かな躊躇を余所に、赤い魔人は加速した。たった今レヴリスとセオとの間に割って入ったのと同様の速度なのだろう、踏み砕いた岩石の破片を猛烈に後方へと蹴り飛ばしながら。
「(速い……!)」
速度は、レヴリスの目には互角に見えた。黒と赤の稲妻が爆音を立てながら岩場を交錯し、時折レヴリスの方にまで余波が飛んでくる。
「(これを援護しろって言うのか!)」
念動力場は先ほど蛮刀で破壊されているので、広範囲に余波が及ぶ魔法術で足止めをするかといった手段しか思い浮かばないが、魔人と化したカイツまでもが同じような速度で動いているのであれば、誤射の危険がある。
「(いや……ならば!)」
どんな威力の魔具でも断てず、しかし味方を巻き込んでも被害の少ない術。セオの攻撃が魔人に向いている間に、彼は集中した。やはりセオの方が速いらしく、閃光のような速度帯での応酬にも関わらず、赤い魔人が目に見えて押され始めているのが理解できる。急がなくてはならない。
「波打つ海の青になれ!」
呪文によって自然界へと解き放たれた魔法術が、彼らの上空十数メートル程度の高度に巨大な液体の塊となって現出する。
極めて水に似た、しかし水ならざる魔法物質。太陽の輝きを受けて、それは美しい波模様の光を岩場に落とし、そして一瞬で落ちてきた。
岩場は巨大な水の塊――に極めて似た魔法物質――に飲まれ、加速していたセオとカイツの動きが、さすがに止まる。まだ一秒と経っておらず、魔法物質の水は周囲に散らばることなく、二人の高速戦闘者を包んでいる。
主観まで加速している者にとっては、大量の粘着液の海に投げ込まれたようなものだ。
レヴリスはすかさず、神経の疲労を押して大叔父に向かって質量魔弾を放とうとしたが、大質量の液状魔法物質を生成して集中の鈍った彼より、液体を被って純粋に驚いたらしいセオより、カイツの反応が早かった。
「……!?」
魔人は一瞬にして姿を変え、海の色をした姿となった彼は素早く泳ぐ水生生物を思わせる動きで液体の中をセオへと接近、そして体当り。
下方から突き上げられた妖王子は空中高くに跳ね飛ばされた。この間、一秒足らず。
魔法物質で作られた小さな海ははすぐに蒸発を始め――気体になるのではなく、崩壊して魔力線へと戻る――、後には岩場に着地した青い魔人と、空中に放り出されたセオが残った。
神経と肉体を強化しているだけの複合加速では、重力の作用である自由落下の速度までは上がらない。猛威を振るった驚異的な運動と反応の速度を、一時的に封じたのだ。
「今だオッサン!!」
「オッサンじゃない!!」
虚空に両腕を向けた二人は同時に現在の最大火力を放ち、レヴリスは高圧電流を、カイツは青い体色の全身に開いた射出孔から無数の魔弾を放ち、セオが落着する直前の一瞬を狙い撃った。
狂王の息子は堪らず吹き飛び、わずかに本物の水となって残った魔法由来の残留物質で湿り気を帯びた岩場に投げ出された。
「トドメだ……!」
「(…………)」
そう呟いて、青い魔人は立ち上がろうとしていたセオへと更に両腕を向ける。レヴリスは油断なく構えていたが、今度はセオも躱す様子が無い。カイツの放つ魔弾の激流が、止める間もなく彼へと迸り。
「待て――」
爆炎と煙の中から現れたセオの、その掌が吸い込まれるように魔人の顔面へと張り付き、次の瞬間青い魔人は爆音と共に岩に叩きつけられて深々とそこにめり込んだ。レヴリスの位置からは上半身が全く見えなくなり、右手の魔具銃を魔人へと突きつけたセオが呻く。
「即席にしては良い連携だった」
複合加速を解除している! 彼には申し訳がないが、レヴリスは魔人を救おうという意図ではなく、危険なこの男を倒すチャンスだという獣のような反射で以って踏み込んだ。その戦意に応じて、銀灰色の鎧の背中の推進装置が光を噴く。
一迅の風となって突進、両腰から”剣なる灯火”を引抜き、そして光で出来た刃を持つそれをセオへと全力で投擲する。それを左手の蛮刀でくもなく弾くセオに、レヴリスはもう一つの”剣なる灯火”を向け、その刃を射出した。
「!!」
そしてすかさず刃を再形成し、銀灰色の鎧の背中の推力を得て斬りかかる。
その前に光の魔弾はセオへと直撃し、小さな爆発が起きた。長時間の複合加速でさすがに神経が疲労してきたか、妖王子の反応には若干の遅れがあった。
前回の戦いでも使用しなかった、切り札中の切り札。”灯火”の光の刃は魔法物質で形成されており、熱と質量を持つ。そして、これは開放してやることで飛び道具にもなった。敵に突き刺さってから爆発して大きな打撃を与える、侵徹炸裂魔弾。
剣を交えるほどの距離では絶対的な切り札であり、三日前に移動都市を襲撃してきた狂王の娘――彼とはセオ同様に遠い血縁にあたるが――を相手に戦った際でさえ使わなかった機能だ。もっともあの時は、使っても有効に機能したかどうか怪しかったが。
だが、爆炎の向こうには、その光の魔弾をマントの生地で防御したらしいセオの姿。彼は悠々と蛮刀でレヴリスの渾身の突撃を受け止め、言い聞かせるように呟いた。
「これも特別製でな」
戦慄する。どこまで魔具を纏うつもりか、これで先ほど、空中で無防備だった所に加えられた同時攻撃にも耐えたのだろう。
レヴリスの鎧と違い、このような繊維で出来た衣類の形式を取る防御用魔具は、重量も小さく携行性に優れる。しかし一方、その力を十全に発揮するにはかなりの魔力が必要になる。恐らくレヴリスが纏えば十分の一の性能も出せないに違いない。魔具銃に魔具の蛮刀、そしてこの黒い魔具の衣。さすがは狂王の息子といったところか。
「その轟音の名は膺懲」
一発一発の全てが小さく圧縮された爆裂魔弾で構成されている拡散魔弾を至近距離で浴びて、レヴリスは脳まで揺さぶられながら元来た方向へと吹き飛ばされた。
だが、決して無為に吹き飛ばされはしない。
レヴリスは苦痛にのたうつ五体を叱咤しつつ、鎧の中でほくそ笑んだ。セオが気づいたようだが、もう遅い。彼がその手で岩に沈めたはずの魔人は、その足元から忽然と消え失せている。
そして、強力な魔弾でレヴリスを吹き飛ばした直後、その隙を突いてセオの背後に土煙が吹き上がる。
右腕が巨大な削岩錐と化した、土色の魔人! その大きな鋭い円錐はどういったからくりか左腕同様の形状に戻り、彼はセオの腕を掴んで背後から羽交い絞めにする。
「ぐ……!?」
土色の魔人は、そのまま魔具銃を持つセオの右手を両腕で抑えこみ、蛮刀を振ろうとした左腕は両足を複雑に絡めて動きを封じた。魔人と妖王子とで出来た前衛的な十字架がそびえ立つ様子を見て、レヴリスは何とか立ち上がった。
装甲らしき硬質の器官が寄り集まって出来ているような魔人の表情も、心なしか反撃の機会に昂揚しているように見える。
「俺とお前と、境遇は随分と違うらしいが……関節技ならどっちが勝つかな……!」
そのまま複合加速を使ってカイツを振りほどくことも出来るはずだが、既にレヴリスは下したと判断したのか、セオは魔人の台詞に反応を見せた。
「俺だ……!」
「だろうな、止めとくわ!」
「……!?」
あっさりと前言を翻されて、やや離れたレヴリスの位置からでもセオの表情の変化が分かる。見れば、その背を固める魔人の体色は更に変化し、満月のような金色になっていた。
「(一体いくつ形態があるんだ……)」
半ば呆れつつ感心していると、その右腕が関節の構造を失ったかのようにぐにゃりとセオの体に密着し、力を込めようとする彼の胴体に素早く伸びて巻き付く。どうやらあの金色の形態は腕を――ひょっとしたら四肢の全てを――蛇のように軟化させ、更に自在に伸縮させることが可能らしい。
そして、セオの背後から上半身に組み付いていたカイツは彼に巻きつけた右腕だけを残して着地、全力で相手から遠ざかるように足下を蹴った。
金色の右腕に胴体を巻き取られていたセオは、一瞬にしてコマのように回転し、再び空中へと投げ出される。
「は」
遠心力で魔具のマントがはだけ、空中で回転する狂王の息子は、意外そうに短く呻いた。
それを見逃す、レヴリスとカイツではない。
「月までぶっ飛べ!」
「彼方に綺羅めく星となれ!」
金色の魔人の右腕が信じられない勢いで伸び、銀灰色の鎧の右前腕の装甲が彼の手から抜けて銀色の炎を尾に曳き飛翔した。
輝く二条の鉄拳は槍の穂先のように空中のセオを襲い、閃光と共に激しく音を立て、彼の魔具に守られていない部分を同時に直撃。
今度こそ、妖王子は悲鳴を上げて吹き飛んだ。