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霊剣歴程  作者: kadochika
第11話:白耳、ときめく
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4.対立遺伝子

 爆音の原因を確かめようと、霊剣の収まった鞘を帯びて階下に降りようとした矢先、卓のある部屋の窓に差す影があった。

 グリュクは魔女の知覚でそれに気づくと、席を立って窓を開けた。


「あれ、もしかしてこの前俺と一緒にいてくれたフクロウさん? だよね?」


 使い魔は屋根板から窓枠に飛び乗ると、グリュクに向かって体を傾けた。


「その節はどうも。今日はハダル全体に関わる事態をお伝えしに来ました」

(もしや……)

「はい……残念ながらレヴリス社長とセオ殿下のお話は決裂したようです。現在グリゼルダさんや他の使い魔たちが敵に情報が知れ渡らないよう妨害してくれていますが、どうなるか分かりません。社長は、霊剣使いのお二人に参戦を要請しています。戦闘の準備は整っていますが、弊社の現在の戦力では万全とが言えませんので」


 彼が霊剣の不安気な声を肯定すると、グリュクは立ち上がろうとしていたカイツとフェーアに向かって告げる。


「時間がない……フェーアさん、彼をここ(ヴィルベルティーレ)の地下部分まで案内してください」

「分かりました」

「待てよ」


 フェーアが頷いたところで、カイツがその流れを押しとどめた。ただでさえ温和とは言いがたかった神経質そうな目つきが、更に悪化している。


「それはあのイカレ野郎の相手をお前らがするっていう意味か」

「喧嘩はもう無しだ。君を隠して、あの海賊みたいな王子を取り押さえるだけだよ」

「勝算は」

「さっきも言ったけど、一応狂王の王子と王女を一人ずつ撃退してる。霊剣使いが二人いるんだから、そこは心配無いよ」

「なら俺も入れろ」

「いや……それよりも今、もっといい手を考えた」


 それ以上何かを言い募られる前に、グリュクは考えを明かすことにした。画期的という訳ではなく、先日のレヴリスの発案を応用したに過ぎないが。


「フェーアさんに君を連れて逃げてもらって、敵を撹乱(かくらん)する」

「……彼女が? 箒で飛ぶのか、妖族が」

「ちょっと違うけど、出来るよ。フェーアさんは」

「……マジなのか」

「任せてください」


 (いぶか)しげな目で幼女を見る青年の目つきに対し、フェーアが少しだけ得意気に両手を腰に当て、胸を僅かに反らす。

 日頃何かあるたびに自信なさげな表情を見せていた彼女がそうした顔をするようになって――それは増長と呼ぶのかも知れないが、今までが今までだ――、グリュクはこの状況にもかかわらず密かに喜んでいた。鞘の中の霊剣がそれに対して何を思っているのかは、大体察しがつくが。


(主よ、浮かれている場合ではないぞ)

「分かってる。フクロウさん、フェーアさんに付いて、使い魔の情報網を教えてあげてくれるかな?」

「やりましょう。でも、無茶はしないでくださいね」

「大丈夫、二人をよろしくお願いします。カイツも、出来るだけ協力して欲しい」

「お前は?」

「霊剣も狙われてるのには変わりはないけど、俺も出来るだけ正面切って戦わないようにするよ。フェーアさん、カイツをよろしく頼みます」

「ええ、それじゃあ早速。いいですか? 行きますよ?」

「え、いやちょっと待――」


 グリュクは抗議しようとするカイツを一先ずは無視して、フェーアに告げた。


「早い方がいいです。お願いします」

「彼方は目と鼻の先!」

「おま――」


 カイツがそれ以上何かを言う前にフェーアの呪文で妖術が開放され、二人と一羽の体は空間の狭間へと侵入、そしてその向こうに消えた。

 広くはない食堂で、グリュクは食卓の上に残った三人分の食器に目を留めると、それを流しに運ぶ。


(主よ、吾人は万全なり)

「……あぁ、分かってる」


 そして次の瞬間、その積み重ねた食器をドアノブを破壊して突入してきた妖族の男の顔面に思い切り叩きつけた。彼は堪らず廊下に倒れこむが、その後ろから間髪入れずに後続の新手が魔弾を解き放とうとし、また同時に、彼の背後の窓を割って別の敵も侵入してきた。彼らに対し、グリュクは魔法術を構築しながら姿勢を下げ、叫ぶ。


(なげう)てッ!」


 術者を中心に発生した不可視の力場が炸裂し、派手な音を立てて挟撃を仕掛けたはずの妖族たちを弾き飛ばした。廊下から魔弾を放った妖族の方は、念動で弾き返された魔弾が球電魔弾だったらしく、盛大に感電していた。

 同時に家財道具が吹き飛んで壁もかなり損傷してしまっていたが、この際仕方がない。グリュクは敵が破壊して彼自身が駄目押しをした窓へと助走をつけると飛び出し、扉の向こうの廊下から続々到着した敵の仲間が更に放ってくる魔弾の群れを回避した。再び魔法術を念じて開放する。


「飛ばしめ(たま)え!」


 魔法術によって一時的・部分的に反転した重力が、グリュクを天へと落下させた。


「(可能な限り目立って、囮をする……!)」

(主よ、ここは少々(わざ)とらしい程に参るぞ! 壊滅させてしまっても構わんのだろう!)

「不吉なんだよお前のそういう発言は!」

(何を言うか!)


 久方ぶりに調子が戻ってきたような感覚を覚え、グリュクは不本意ながら昂揚した。転移させている重力作用を調整しながら空中で体勢を整えて、既に外で待ち伏せしていたらしいセオ・ヴェゲナ・ルフレートの配下の戦士たちが放ってきた魔弾の対空斉射を逃れながら着地。すかさず霊剣を投げつける。

 猛烈に回転しながら飛んだ霊剣は、そのまま円形の盾のように敵が放った幾つもの魔弾を弾き飛ばし、あるいは回転の衰えないその刃で敵に傷を負わせながら彼らの路面の足元へと突き刺さって止まった。


「う! 奪え! その剣も隕石霊峰(ドリハルト)の結晶だ――」

「繋ぎ給え!」


 セオの配下の戦士たちが自分たちの元に飛んできた霊剣を奪おうと手を伸ばす前に、グリュクの手元から伸びた念糸がその柄を絡めとって急速に引き戻し、きらきらと陽光を反射しながら霊剣が再び宙を舞う。そして妖族の戦士たちが妖術を構築して反撃の魔弾を放つよりも、彼が行った構築のほうが圧倒的に早かった。


(つんざ)け!」


 電離された誘導路を通って高圧電流が妖族たちを飲み込み、電光の軌道が青白い光となって発散する。

 少々強く威力を込めたが、向こうから仕掛けてきた戦いで遠慮をする気はない。今のグリュクには意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)を彼らに渡すつもりなど、毛筋ほどにも無かった。

 出会ったばかりならばまだしも、今やこの人格剣は彼にとって――実際にそう意識するのは少々気恥ずかしいが、かけがえのない無二の相棒なのだ。


(そこまで思ってくれているとは、吾人嬉しくて涙が――)

「涙腺とか無いだろお前は!」


 ひとしきり喚くと、グリュクは戦闘が一段落したと見て上空から降りてきたムクドリの使い魔に状況を尋ね、飛翔して他の敵の目を引くべく重力作用を反転させる魔法術を構築した。






 焼け焦げた土砂の匂い、所々に陽炎さえ漂う岩場。

 ここも元は単なる岩場に過ぎなかった場所であり、本来は変換小体を含んだ黄色い植物がまばらに生えているに過ぎなかった場所だ。だが、今や所々に溶融・凝固して黒曜石になった土砂が野ざらしになり、あるいは小規模ながら幾つものクレーターが口を開けている。移動都市(ヴィルベルティーレ)の一角に急に出現したこの小さな戦場跡を生み出したのは、その上空を飛び交う黒と銀の閃光たちだった。


「その矢の名は烈火!」


 黒い装束を纏ったセオ・ヴェゲナ・ルフレートが、一抱えほどもある爆裂魔弾を複数生成して解き放つ。不規則な軌道を描いて殺到する先には、銀灰色の全身具足。

 絵本の中から出てきたような優雅な海賊と、燻し銀の色をした鎧の戦士とが戦っている。


「悪を(さえぎ)る壁になれッ!」


 銀灰色の鎧(シクシオウ)の並外れて強固な装甲に守られたレヴリスだったが、直に表面で受け止めることはせず、魔法術による防御障壁を展開してそれを防ぎ――いや、狂王の息子と、その子孫とはいえ魔女とでは術の威力に圧倒的な開きがある。防ぎきることは考えていない。

 投射された七発の爆裂魔弾のうち障壁で防げたのは四発、そこでレヴリスの張った障壁は完全に破壊され、それを突破した三発の爆裂魔弾が爆炎を纏ってレヴリスへと突進する。

 しかし、


「脅威を弾く白刃となれッ!」


 レヴリスが鎧の腰の部分から引き抜いた一対の光の剣の刃が踊り、残りの魔弾をことごとく両断して着弾を反らす。全弾が直撃していても内部のレヴリスに深刻な問題はなかっただろうが、爆発の衝撃までは無視出来ないため、態勢を崩されないようそう処理した。

 そして、凄まじい脚力で瞬時に斜め後ろへと回りこんできたセオの右手に構えた銃から脅威が発射される。


「(恐らく徹甲弾――!!)」


 複数の大威力の魔弾も、牽制に過ぎない。何とか体を反らし、レヴリスは祖先の銃口からやって来た弾丸を躱そうとした。

 しかしやや遅く、頭部の左側面の装甲が砕かれる。その衝撃で態勢も崩してしまい、岩場を蹴って左手に握った蛮刀で斬りかかってきたセオに、彼は背中の噴射推進機能を全開にして姿勢を立て直しつつ、“剣なる灯火”の一方で蛮刀を、もう一方で銃を受け止める。


「(……剣はともかく、銃も……光の刃で切断できない素材か!)」


 互いの得物を介して組み合う二人、だがセオが銀灰色の鎧(シクシオウ)の装甲を破壊できる威力の武器を持っている以上――銀灰色の鎧(シクシオウ)は防御に専心すれば装甲の強度も上がる仕組みなので一概には言い切れないが――、レヴリスはかなり不利だ。ただの妖族であれば鎧の加護とレヴリス自身の戦闘力で問題なく蹴散らせるが、身体能力で並の妖族を大きく凌駕する狂王の嫡子が相手では、先日のリーンとの戦いの時のように、僅かな切っ掛け一つで大きく差が開いてしまう。


「……ッ!!」


 “剣なる灯火”で銃口を反らしたまま押さえつけているセオの銃が、徐々にレヴリスの方へと照準を合わせつつある。


「(通常出力では……銀灰色の鎧(シクシオウ)の馬力でも押し負けるというのか!)」


 さすがは、狂王の息子。その血を間接的に引いたるとはいえ魔女に過ぎない彼とは、変換小体の絶対量が違う。

 かといって、先日のようにレヴリスの身体強度を完全に無視した出力を出せば――出自を辿れば妖族が着るための鎧なのだから、それは当然可能だ――、体に強烈な反動がくる。先日のダメージが抜けていない状態で実行すれば、今度は骨折や内蔵の損傷などもあり得る。戦闘中にそうなっては致命的だ。


「(だが、まだだ……)」


 そう、諦めるには早すぎる。リーンにこそ後れを取ったが、彼がセオさえ抑えておけば、後は彼の会社(ハダル)と霊剣使いたちが事態を打開するだろう。


「ッ!?」


 レヴリスは不意に剣なる灯火の刃を消すと、セオが蛮刀と銃とで彼を挟み込もうとするのに先んじて、背中の推進器を噴射した。

 銀灰色の鎧(シクシオウ)の兜を使った、痛烈な頭突きがセオの額を直撃した。銀灰色の鎧(シクシオウ)の一次装甲はイスターベルク固体と呼ばれる永久魔法物質(ヴィジウム)の変種で形成されており、比較的軽量でありながら鋼鉄の数百倍の強度がある。先のセオの放った徹甲弾で損傷こそしたが、これで作られた兜でもって噴射の勢いも加えた頭突きが生身の部分に直撃すれば、さしもの狂王の直子といえども怯まずにはいられまい。


「ぐぅッ――!?」


 思わずといった様子で蛮刀を持った手で額を押さえつつのけぞるセオ。その右手の銃から立て続けに放たれる弾丸を、しかし今度は剣なる灯火の刃が閃いて弾く。

 そのまま両手に光の刃を構え、レヴリスは押し切りにかかった。


「はあぁぁぁッ!!!」


 正しく乱舞。剣なる灯火による太刀筋の嵐は、もし離れて見る者がいれば残光によって幻想的に映っただろう。

 だが、それでもセオはその全てを二つの魔具で何とか受け止め、或いは体を反らして直撃を回避していた。レヴリスは巧みに剣の軌道を変えて、セオに照準を付ける余裕を与えない。


「くっ……舐めるな……!」


 セオが発動した妖術が念動力場となって炸裂するが、レヴリスは構わず吹き飛ばされた。ただし右手の銃で照準をつけられる前に、一旦剣なる灯火を上空に放り投げる。


「……!?」


 それを警戒して防御障壁の妖術を構築したセオだったが、対するレヴリスの繰り出す手は純粋な魔法術ではない。


「悪を許さぬ鉄拳となれッ!!」


 呪文と共に、レヴリスの肘から先の両腕が爆裂的に発射された。

 正確には篭手の部分だけが、肘部分の念動力場の反発によって、彼の腕から高速で抜け出たのだ。

 全身鎧から素手だけを晒すのは少々不格好だが、イスターベルク固体の貫手(ぬきて)は防御障壁を貫いてセオに重傷を負わせる――筈だった。

 しかし、


「その作用の名は加速!!」


 防御障壁の向こうから聞こえた呪文で開放された妖術が、セオ・ヴェゲナ・ルフレートの神経の好感間隔を加速し、かつその全身の細胞の強度を大幅に強化する。魔女の知覚でそれを察知したレヴリスは、難易度の非常に高い妖術同士の連鎖複合(れんさふくごう)をやってみせる自分の大叔父の技量に鎧の下の皮膚が総毛立つのを感じ――

 次の瞬間、彼は超音速で投げ返された自分の銀灰色の鎧(シクシオウ)の両前腕に叩きのめされ宙を舞った。






 転移は一瞬にして終わり、彼の視界は部屋の中から左右を林に挟まれた石畳の歩道へと移った。

 彼の肩に停まったフクロウが、時折首を回して何ごとかを呟く。

 使い魔に詳しくないカイツにはよく分からないが、恐らくはハダルの使い魔全体が形成しているネットワークと何らかのやりとりをしているのだろう。周囲の空間に展開しているそれを感じているのか、彼の体内の電磁生命体が僅かにざわめいている。


「俺達はここにいて大丈夫なのか」

「大丈夫です。上空や地表スレスレから、常に我々の仲間が目を光らせておりますので」


 彼の問いに、使い魔は首を回しながら答える。

 以前、ここから遠い西の宿場町でも住人に避難を呼びかけているらしい使い魔を遠目に見たことはあった。ただ、研究所に籠もっていてあまりそうしたものに縁の無かったカイツにとって、出くわした小動物とは高い確率で意思疎通が出来るこの場所は、まさしく迷い込んだ異世界にも等しいように思えた。


「(まぁ……信じるしか無いか)」

「あの……カイツ・オーリンゲンさんでしたよね」


 おずおずと切り出すのは、彼に同行している妖族の娘だ。聞いた名前は早速頭の中で曖昧になっていたが、取り敢えず、応じる。


「あ、あぁ」

「グリュクさんとは……どういう経緯でお知り合いに?」

「え?」


 カイツはその質問に要領良く答えることが出来なかった。彼の先導をするのか後ろを歩くのか、どっちつかずな歩き方をするこの頼りなさそうな娘は――妖族なので彼より遥かに年上である可能性もあるが――、しかし彼をあの家から一キロメートルは離れたこの森に、転移の妖術で運ぶという芸当をやってのける技術を持っているのだが。


「(どうもちぐはぐだな、この子……)」


 考古学者の見習いに過ぎなかったカイツでは、それは難しいのだろうという認識で精一杯だったが、転移――座標間転移と呼ばれる術は高度な技術が必要で、習得できる術者があまりに希少なために連邦軍でも通常の教育の過程には入れていない。だから、扱えるのは余程の天才か、然るべき訓練を受けたある程度の才能を持つものに限られる。

 彼女は恐らく、才能がある部類の術者なのだろうと粗雑に見当を付けつつ、カイツは言葉を選んだ。確か、彼女は彼の変身した姿を見ていない。妖族も魔女同様、魔力で見る第六の知覚があるので何かが変だということは感じているはずなのだが。


「えーと……その。前に腹を減らして行き倒れてた所に、施しをもらったんだ」

「す、すみません……失礼なことを」

「あー、いや、その、別に」


 女と恋人づきあいをしたことが無い訳ではなかったが、どうにもこの娘、フェーア・ハザクは苦手かも知れなかった。


「……あんたは。あいつと、グリュクと一緒にいるのは、どういう経緯なんだ。いや、話しづらけりゃいいけど」

「ちょっとややこしいんですけど……困ってた所を助けてもらいまして」

「ふーん……」


 その表現の裏にどのような事情があるのかは知らないが、カイツは僅かに生じた興味を抑えた。自分とて、その事情を既に知る数人――人と数えて良いかどうかを迷う存在が混じってはいるが――以外にはおいそれとは明かせない事情を抱えている。


「……追手だ。どうする」


 そう、変身していなくとも、通常の魔女の何倍も強力な知覚を持つ体になってしまったという事情を。

 彼の全身の体表に分布した、純粋人や魔女とは異なる性能を持つ極小の器官が、彼と妖族の娘を目指して忍び寄る脅威を捉えていた。


「え……あっ」


 小さく首を傾げる彼女も、気づいたようだ。彼女の場合は、見た目通り聴覚が優れているのか、白い産毛に覆われた木の葉のような形状の大きな耳が、ぴこぴことせわしなく動いて不思議な愛嬌を感じさせた。


「また転移します。使い魔の皆さんのサポートがあれば、追手の位置を把握しつつ、転移を繰り返して引っ掻き回すことだって――」


 しかし、彼女が最後まで言い終える前に、二人の第六の知覚に転移の前兆が感知できた。それはごく近くで鳴った雷音の直前に見えた閃光のような物にすぎないが、それでも、電気知性と融合していたカイツは反応し、反射的に変身した。

 衝撃などを殆ど伴わない穏やかな爆音が轟き、彼が後ろに庇った妖族の娘の耳を揺らした。彼の肩に停まっていた使い魔のフクロウが驚いてそこから落ち、慌てて羽ばたいて体勢を立て直す。

そして彼の、雪のように白く豹変した硬質な体表が、殺到した魔弾を弾く。


「ひ!?」


 超音速で硬い物質同士が激突する音に娘が白い耳をびくりと震わせ、土の上に落ちたフクロウも飛んで逃げこそしなかったものの、翼で頭を庇って見を縮めた。


「転移とやらを使える奴が敵にもいる……あんた、林に隠れろ」


 そう言って彼女を追い立てると、彼はすぐさま己の実像が揺らめいて変化するさまを思い浮かべた。

 魔弾を弾き返す体表に不気味ささえ覚えただろうか、しかし彼女は特に疑問を発するでもなく、素直にフクロウの使い魔を抱えて木々の中へと紛れ込む。

 余談のようなものだが、彼は魔人として再び生まれた直後、実験用の加熱装置の内部で蒸し焼きにされた際に、実際に自分が激しく燃焼する炎になるイメージを強く持った。その結果、全身が深紅の色の、速度と熱エネルギー操作に秀でた形態へと、いわゆる“二段変身“を遂げるようになったのだ。過酷な実験の項目が多岐に渡るにつれて、その形態は増えていった。

 そして、特殊な魔法毒や薬品への耐性を限界まで確認するという、通常の生物が対象であれば原型を失うような実験の際に発動したのが、深緑の魔人(オクソム)と呼ぶ形態への変化――変身だった。

 その最大の特徴は、隠密。

 通常緑色に見える体表面はカイツの意思一つでごく微細な力場を帯び、光を殆ど吸収・反射せずに回折(かいせつ)させ、反対側へと素通りさせてしまう機能を持つようになる。これはほぼ完全な透明化を意味し、純粋人や魔女、妖族の可視波長から外れた領域の光に対しても作用するため、赤外線や紫外線で外界を捉える生物や装置に対しても有効だ。


「吹き荒れろ」


 カイツは胸の中でざわめく雑音から意味のある音を拾い出すような容量で思考をまとめると、呪文と共にそれを解き放つ。

 単に踏み固められた土の遊歩道を挟み込む妖樹の林を、初歩的な突風の魔法術が、ただざわめかせる。大した制止力もない、ただの風だ。

 だが、深緑の魔人(オクソム)の光回折迷彩によって視覚で捉えることが不可能となったカイツの足音を消すのには十分な役割を果たした。

 魔人の蹴りが妖族の戦士の顎を砕き、声にならない悲鳴が上がる。魔人の拳の一閃が哀れな尖兵を空高くへと盛大に弾きだし、緩やかな放物線を描かせた。


「(……さすがに、あの海賊野郎ほどにやばい奴はいないか)」


 カイツは魔弾や電撃、念動力場などを物ともせずに妖族の戦士たち十数名を蹂躙しつつ、そんなことを内心で呟いた。彼と戦っている妖族の戦士たちも、かなり練達した使い手たちに違いはないのだが、やはり狂王の直子(ちょくし)ほどではない。

 妖魔領域の奥地に鎮座する生きた神話、狂王ゾディアック。彼の子女たちが控えめに言って常軌を逸した生命力と戦闘力とを持っているということは、彼の出身であるグルジフスタン共和国でも、遠い異国の奇妙な風習と同程度の深刻さで以って認識されてはいた。

 だが、先だって実物に相対して分かったのは、既に大型の永久魔法物質(ヴィジウム)の結晶を三つも取り込み、それを触媒として大地の底より更に深い場所に生息していた電流状の知的生命体と合体してしまった彼ですら、その戦闘能力では及ばないかも知れないということだった。

 白状するならば、連邦軍の追手を振り切り、町を飲み込もうとする巨大な妖虫の群を蹴散らしたことで、少々調子づいていた側面も、無くはないだろう。

 自戒して慢心を振り払うように――別に信念や矜持などといった話ではなく、あくまで放浪者として振りかかる火の粉を払う際の心構えに過ぎないつもりだ――、カイツは再び突風を起こした。

 今度は最大級の威力を込めた、悪夢のような暴風。枝葉は散り、ひとつかみ程もありそうな石くれさえもが吹き飛ばされていく。魔法術によって生成したため、カイツより後ろにいるフェーアには影響が及ばない。

 十秒に満たない奔流で敵のまとまりを大きく崩せたと判断し、カイツは林へと逃がした妖族の娘に告げた。


「もう一度転移を頼む」

「す、すごく圧倒的でしたけど……!?」


 恐る恐る顔を出しながら、彼女は疑問を持ったようだった。

 カイツも本来は戦闘などとは無縁の象牙の塔の住人に過ぎなかったが、彼と融合した電気知性の方が、そうした戦闘・戦術的な判断を行っている。カイツもその理屈に納得をしたからこそ、こうして行動に移しているのだが。


「長引かせて増援に囲まれるのを避けたいんだよ。転移で引き離して、転移で追い付いてきた連中から仕留める。一人なら遅れは取らないだろうが、群がられてからあんたと使い魔を守り切る自信はない」

「確かに……座標間転移を扱える技能者が何人かいるようです。向こうの使い魔のネットワークを頼りにこちらを探して、散発的に転移移動している形跡が」


 フクロウの使い魔が、カイツの方針に補足するように状況を伝えてきた。時折上空で鳥同士が争うように飛び交っているのを見かけたが、あれはこの移動都市側の使い魔と、セオ・ヴェゲナ・ルフレートの船の側の使い魔たちが交戦しているのだろう。


「わ、分かりました、それなら……」


 そして、座標間転移の妖術が発動した。






 背の高い寝台がいくつも並ぶ、遺体安置室のような場所で、彼は目覚めた。

 口の中に残った細かなガラス片をやや苦心して寝台の上に吐き出すと、周囲を確認しながらゆっくりと起きだす。今朝方、彼は霊剣使いの一人の寝室に侵入を試みて失敗しており、これは失敗した時のための保険のような任務だった。

 服用した仮死毒の影響はやや残っているが、体はすっかり心拍と血流、体温を取り戻しつつあった。それまでは、服用者の体を何時間も、毒の効用を知らない医者であれば死亡診断を下す他にないような状態にしてくれる。時間が限られるとはいえ、ほぼ完全な擬死(死んだふり)が可能な妖術の毒を作り出すのだから、やはり彼の主人の力は恐るべきものだ。

 万一、服用後の仮死状態の最中に焼かれたりなどしてしまえばお終いではあったが、賭けに勝てばこのように、完全に警戒を逃れた行動が可能だ。無論、ネタが割れれば一度きりになってしまうだろうが。

 衣類などは調べられたのだろう、物品などはことごとく抜き取られている。構わない。死体が蘇ることなど普通はないのだから、当然その部屋は――彼以外の住人はいなかったが――内側からの退出には無防備だ。妖術に関しては問題なく使えるので、彼は通路の表示などで現在位置に大雑把な見当をつけると、人気のない直通階段の通った垂直の通路を登り始めた。

 この広い移動都市(ヴィルベルティーレ)で霊剣使いを探すよりは、地上部分で火事でも起こして呼び寄せた方がいい。その後動向を追って、一人ずつになった所を狙う。夜明け前の暗殺が本命だったのだから、その尻拭いでしか無いこの狙いの成功率など、たかが知れている。

 だが、彼は迷わなかった。やることが決まっていれば、迷いが混じることなどは有り得ない。






 限定的な戦闘が開始されてから、カレッフォア・マリは船の戦術長と共に、天船アムノトリフォンの司令室で戦況を見ていた。

 戦況と言ってもひっきりなしに連絡員が飛んでくるわけではなく、移動都市を模した卓上の手書きの図面の上に載った駒を、同じく卓上に陣取ったカモメの使い魔が報告し、時には自分のくちばしで位置を器用に移し替えていくといった趣だが。移民請負社(ハダル)に対抗したわけではないが、天船(アムノトリフォン)単体で移動する彼らにとっても、情報網化された鳥類の使い魔の力は不可欠だった。

 白髪の増えてきた屈強な妖族の戦術長は、味と香りを楽しむものだという燻製にされた肉厚の妖樹の葉を口に銜えながら呟く。


「肝心の魔人が転移で逃げているとなると、時間がかかりそうだな。ここから逃げる気が無いのなら、追いつかずに囲んで術者の疲労を待つ」

「それがいいでしょう。船長にこそ敵いませんが、あの戦闘力は厄介です」

「船長は請負人と戦闘中らしいが、時間を稼がれると厄介だ……防衛には余裕があるのだから、何隊か差し向けよう」

「ジャックニッカの鎧があるとはいえ、少々腕の立つ魔女に過ぎません。個人的には、未知数であるだけに二人の霊剣使いとやらの方が危険かと思います」

「その内の一人を上手くあしらって逃げてきたんだろう?」

「短距離でしたし、向こうも本気で仕留めるつもりはなかったようです。彼らの矛先が本格的に我々に向かうとなると、船が動けない我々も危ないかも知れない」


 既に魔人を追わせた一隊が霊剣使いの攻撃を受けて戦闘不能になったらしいという報告は受けているので、対処するとすればそちらだ。セオを除けば戦力でやや劣るであろうこの状態で、魔人を匿った移民請負社(ハダル)側の反抗をどうにかして押さえ、魔人、もしくは霊剣を確保しなければならない。


「最悪……離れた所に逃げるだけの出力は残っている。そこで完全に燃料が切れるだろうが、逃げても彼らの移民防衛という目的の性質上、追ってくることは無い筈だ」

「他のご子女に接収されないように、破壊する準備を整えておくべきでは?」

「セオ殿下が許さんぞ。ついでに言えば、お前以外の全ての船員もだ」

「……分かってますよ」


 戦術長に鋭く睨まれ、カレッフォアは黙った。

 順番通りであれば、次の狂王の位を襲うのはその長子である。だが、基本的に継承権位の近い上位の異母兄弟たちは仲が悪く、隙あらば後継闘争から他の兄弟を蹴落とそう、殺そうと狙い合っている関係だと考えて良い。

 千に迫る継承権者のうちの第十三という上位にいるセオが最大の武器である天船を失ったという事実が知れ渡れば、恐らく積極的な直子の何人かは遅くとも数週間以内にそれを嗅ぎつけ、襲ってくることだろう。行動不能で早急に燃料を調達する見込みも限りなく薄まったならば、脱出の用を果たした後には奪われないように処分するべきだというのが、カレッフォアの学んだ兵法だった。魔女とのパイプもそれなりに太いレヴリスならば、残骸からでも天船の修復を試みる可能性がある。

 まぁ、ここまで強く反対されたのならば、天船や破軛(はやく)戦士団がどうなろうと彼の責任ではない。それなりに、彼も全体のことを考えて発言したのだが。

 卓上に広げられた紙の地図の上には、移動都市(ヴィルベルティーレ)全体を模した、濃い鉛筆で引かれた楕円形の上にそれぞれ、セオを模した黒い象徴駒(シンボル)、レヴリス・アルジャンを表す銀色の小さな燭台、魔人を意味する蛋白石(オパール)の象徴駒、天船を模した小縮尺の模型などが配置されている。霊剣使いを示す菱型の色つきガラスは象徴駒を置く皿の中にあり、これは所在不明という扱いだ。

 天船の周辺には移民請負社(ハダル)の戦闘部隊――赤い長方形、本来は陣形を示す――が集結しつつある。今のところは戦闘班を四つ――青い長方形――展開させて船への乗り込みを防いでいるが、転移を使える術者を含んだ班は全て魔人の追撃に出させている上、最大の戦闘力を持った船長セオはレヴリス・アルジャンとの戦闘中、そして戦闘力について未知数の霊剣使い二名が所在不明。

 ハダルの部隊については先日の戦闘からさほど時間も経っていないからか、カレッフォアの知っている情報以上に抵抗が手薄だった。そのため、十分以上に足止めできてはいる。


「(セオ殿下はレヴリス相手に優勢。霊剣使いの相手も殿下に任せたい所だけど……タルタス殿下も退けられたというし、不確定な要素が多すぎるからな。戦術長はセオ殿下を援護させる方を選ぶだろう。短時間でレヴリス・アルジャンを制圧できれば、確かにその方が話は早い)」


 船の防衛から引き抜くのは構わないが、カレッフォアは出来れば、霊剣の方を手に入れるべきだと考えていた。妖魔領域全体でタルタス・ヴェゲナ・ルフレート以外が手に入れたという情報の無い――もちろん情報が秘匿されている可能性は大いにあるが――希少な霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムで出来た剣を、奪取出来るならば。


「まぁ、いい。ザウ班とナセリ班を抜いて殿下を援護させろ。二人の霊剣使いとの交戦は避けさせてだ」

「伝えます」


 戦術長の命を受けて、カモメの使い魔は虚空を見つめるように首を傾げて何事かを呟いた。これで離れた所にいるそれぞれの班の使い魔を通じ、命令が届く。百羽に満たない船の所属の使い魔では敵の猛禽類の使い魔に襲われる危険もあるが、こちらはそれなりに獰猛な種を多く使っているため、積極的に狙われない限りは封殺されて役割を果たせないといった心配は無いようだった。

 連関網(ネットワーク)を通じて指示を伝えたカモメの使い魔に、戦術長が再び問いかける。


「……遠方の警戒はどうだ?」

「今の所、半径五十キロメートル以内に警戒を要する船影は見えません」

「警戒を怠るな」


 戦術長がそう聞いて、僅かに安堵の息をつく。

 カレッフォアは、彼以外の船員が、セオも含めて時折このような、カレッフォアの知らない”何か”を警戒する様子を目撃していた。決まって、戦闘中だ。勿論、想定外の何かに対する備えは必要に決まっている。だが、戦術長たちは確実に、具体的に想定しうる何かを恐れているように思えた。


「……戦術長。僕はまだまだ新参ですが……そろそろ我々が何をそう警戒しているのか、教えてくれませんか」

「……殿下のお許し無く教えることは出来ん。お前もいずれ知る機会が来るだろう」


 その態度はいつもよりも一層、無愛想に見える。


「(一体、何が怖いっていうんだ……?)」


 その武勇については疑いもない第十三位継承権者だいじゅうさんいけいしょうけんしゃであるセオと、彼を支える歴戦の戦士団、そして彼らの足となり、強力な魔具の兵器を装備した天船アムノトリフォン。また彼を擁立するサーク・リモール辺境伯領(へんきょうはくりょう)も、かなりの海軍力を持つ強力な伯領だった。

 地元の守りは万全、そして妖魔領域では希少な航空による機動力を持つ彼らが恐れるべきものがあるとすれば、それは狂王個人かその総軍、もしくは天船に匹敵する兵器を保有する存在でしかありえまい。


「(少なくともそれに匹敵する何かに、僕達も狙われているってことか……?)」


 いくらなんでも、総軍が動くなどという自体は考えられない。かといって心当たりが見当たらないカレッフォアの背筋に、悪寒と同時に衝撃が走った。

 船が物理的に揺れたのだ。


「!?」

「何があった」

「襲撃のようです」

「移民請負社の部隊か」

「違います」


 戦術長の問いに、使い魔が淡々と答える。彼が破軛(はやく)戦士団の使い魔の連関網(ネットワーク)に干渉して得た情報を伝える前に、甲板から駆け下りてきた伝令兵が簡潔に情報を報告してくれた。


「ほ、報告します! 本船は二人の魔女から――霊剣使いからの、攻撃を受けていますッ!!」


 彼らが報告を理解して戦慄する前に、一際大きな振動が船を揺らした。






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