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霊剣歴程  作者: kadochika
第11話:白耳、ときめく

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3.使い魔は戦場に飛び交う

 使い魔たちのくれた情報でフェーアがまだこちらに向かい始めたばかりだということを知り、グリゼルダは座標間転移の魔法術を行使して彼女の元へと急いだ。

 フェーアは突然目の前に現れた彼女を見て僅かに困惑したようだったが、すぐに何事かがあったのだと察してくれたらしかった。


「もしかして、またですか?」

「霊剣を狙ってる連中が本格的にここを嗅ぎつけたみたい。詳しくは後で説明するから、取り敢えず一緒に来て! また面倒なことにならないとも限らないし……」

「戦いがあるんですか……?」


 会って一ヶ月と立っていないにもかかわらず、この妖族の娘はグリゼルダのことをそれなりに信頼してくれているらしかった。妖王子の企みに共に巻き込まれたことや、霊剣使いであり、グリュク・カダンの以前からの知り合いであることもあるのだろうが、少々簡単に信じすぎではないかと穿つ思いも、無くはなかった。

 それがこの娘の美点なのだろうが、しかし恐らく、彼女はグリゼルダの人生計画の上に無自覚に立ちはだかる可能性の高い仮想敵だ。一方的に対抗心を燃やすのは不毛だが、やはり胸中穏やかではない。

 グリゼルダは小さくかぶりを振って、答える。


「分からない。グリュクはレヴリスさんのところに報告に行ってるから、そっちに合流しよう。カラスさん!」

「はい。社長とグリュクさんは今は――」


 先日の戦いの際に彼女の連絡役を務めたカラスの使い魔がそう返すのと同時、グリゼルダたちの耳に小さな爆音が届いた。


「!」


 フェーアの、白い産毛に覆われた木の葉状の大きな耳が一際大きく上下している。幻聴などではないようで、使い魔のネットワークを通じて情報を取得しているらしくしきりに首を傾げ回していたカラスが、呟く。


「何だかあっちもややこしいことになってるみたいですね……」

「あっちでも敵襲……!?」

「敵かどうかは……よく分からないようです」

「事件っていうのは続くんですね……」


 フェーアが不思議そうに感嘆すると、今度は更に大きな轟音がやって来た。






 朝から異変が続き、グリュクは戸惑っていた。

 霊剣を奪おうとする妖族に部屋に侵入され、半日と経たずにより多数の妖族たちに襲撃を受け、そして今度は妖族の王子の空飛ぶ船がやってきた。

 そして積み重なったそれらは彼の不安の種であると同時、彼らが世話になっている移民請負企業やその社長たちに対し、確実な負担や迷惑などになるだろうと考えると、それもまた憂鬱だった。


(しかし息災であったか、カイツ・オーリンゲンよ!)


 だが、以前宿場町を守って共闘したことのあるこのカイツという青年と、そこから遠く離れたこの地で生きて再会できたということについては喜んでも良いだろう。

 意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)も、珍しく相好を崩していた。


「相変わらずみたいだな、ミル……ミルフィーユだっけ」

(違う!? ミルフィストラッセ!!)


 青年は、この移動都市(ヴィルベルティーレ)にやってきた当初の白い魔人の姿ではなく、グリュクと初めて会った時同様の、やや目付きの悪い黒髪の学士の姿をしていた。眼鏡をしていたと思ったが紛失したそうで、魔人となって以来視力が上がっているのでそのままなのだという。一方で衣服は酷く劣化していたので、グリュクの着替えを与えて温かい風呂にも入らせた。変身さえしなければ普通の魔女と区別は付かないが、魔女の知覚で見ると、青年の持つエネルギーは強力な妖族のそれに似ているような気がした。

 今は、彼らはグリュクに割り当てられた部屋にいる。グリュクと霊剣とカイツ、そしてフェーア。グリゼルダは船から現れたセオという妖王子とレヴリスとの会談に立ちあう役目を請け負ってくれたので、今は地上の施設にいるはずだ。


「お前の方は、何だか華やかなことになってるみたいじゃないかよ」

「……色々事情があるんだ。別にやましいことはない」

(まぁそういうことにしておこう)

「お前は黙ってろ」


 グリュクは軽く揶揄するようなカイツと剣の言い方に小声で抗議しながら、フェーアの様子をちらと伺った。聴こえない振りをしているのでなければ、彼女は彼らの分の食事を作ってくれている最中だ。

 グリュクは改めて、椅子に腰掛けたカイツにそれまでの経緯を色々とぼかして語った。

 大方を語り終えた所で彼の漏らした感想は、


「お前も大変なんだなあ」

「……まぁ、君ほどじゃないと思う、ような……気がしないでも……なかった……筈が……」


 グリュクは思い返し、とてもその道のりが平穏なものではなかったことに思い当たって言葉を濁した。


「あいつも含めて一ヶ月の間に狂王の直子(ちょくし)に三人も出くわすっていうのは相当だぞ」

「そのうち一人にはまた会う可能性が高いから――自分で言ってて不安になってきた……!」

(今更何を……御辺(ごへん)も吾が主としてまた一つ長じたのだ。そうそう遅れは取らぬ)


 霊剣の叱咤に煙たげな手振りで応えると、両腕を組んで膝に載せたカイツが何かを言いたそうにしているのに気づく。


「その……グリュク」

「何?」


 ためらいがちに切り出す彼を促すと、何か恥ずかしいのか、遠慮がちに言葉が続く。


「……ありがとうな。だけど、連邦に指名手配されてる俺が、連邦と妖族の協定でこっちでも指名手配されるのも時間の問題だろうからな。あいつから逃げ切っても、終わりじゃ無いんだ」

(確かに、大戦期に魔女と妖族は色々と協定を結んだ。指名手配者の引渡しに関してまでは定かではないが、この半世紀でそうしたものが増えた可能性もあるな)


 霊剣が頷くが、グリュクは、カイツが以前会った時と比べて明らかに弱気になっていることが気になった。それが表情にも出ていたかも知れないが、グリュクはともかく、率直に所感を告げる。


「駄目だよ。話を聞いた限りじゃ、あいつは君を船の動力にする気らしいじゃないか。生きたままにせよ殺してからにせよ、そんなのは許さない」

「俺が黙ってそうされるつもりだと思ってるのかよ! ……逃げるに決まってるだろ。この移動都市に住んでる連中にもそうだが、何よりお前とその剣に迷惑をかける真似は出来ない」

「カイツ、結局追われて振りきれなかったんだろ! だったら――」

(止さぬか! 御辺らも何も――)

「はいっ、お待たせしました!」


 ともすれば喧嘩に繋がりかねない気配すら帯び始めたグリュクとカイツの間の卓に、フェーアが大きな鍋を持って割り込んできた。香辛料の(かぐわ)しさを漂わせながら突入してきた鍋を避けて、二人は軽く仰け反る。

 寄木模様の鍋敷きにやや乱暴に鍋を置くと、立ち上る湯気を耳でパタパタと仰ぎながらも、フェーアが小さく口を尖らせた。


「ダメですよ、ミルフィストラッセさんはともかく、二人ともいらいらしてます。グリゼルダさんには悪いですけど、これでも食べて落ち着いてください」


 グリゼルダは、レヴリスと妖王子の話し合いの直前、フェーアが準備してくれたシリアルを平らげていた。確かに彼女には悪いが、グリュクも体を動かしたことでかなり空腹になっていた。フェーアの言う通り、苛立っていたのだろう。


「まずは食べましょ? お腹が空いたまま何かやっても、いいことないですよ」


 フェーアは一転して笑顔を見せると流し台へと歩いて行き、その脇に置いてあった紙袋から今朝調達したらしいパンを取り出してナイフで切り始めた。


「……すみません。いただきます」

「……俺も、どうも」


 グリュクは鍋の脇に重ねられた皿を一枚取り、鍋の中身を杓子(レードル)でそこによそってカイツの前に置いた。彼は次にフェーアの分をとスープをよそうグリュクに向かって、目を伏せる。


「悪かった。お前がまた俺を助けてくれるって言うなら……俺も、それと同じ事をするべきだと思うんだ」

「……俺こそごめん。レヴリスさんの話し合いが終わるまでに、相手の出方次第でどうするかを決めよう。君を引き渡すっていうのだけは、無しだ」

「ああ……いただきます」


 ため息をつきながらも匙を握るカイツ。既に食事は三人分が食卓に載っている。

 

(吾人もいただきます)

「えーと、それは、その、嬉しいんですけど、ミルフィストラッセさん……」


 フェーアが言葉に詰まって匙を動かす手も止めたその時、またも大きな、不穏な爆音が彼らの所までやってきて、スープの液面を軽く揺らすのだった。


「今日何度目でしたっけ」

(吾人はもう数えるのをやめた)


 ぼやくフェーアに対し、意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)が極めて投げやりにそう答えた。






 活気のある街からやや離れ、わずかに風の音が聞こえるだけの静かな場所。

 移動都市(ヴィルベルティーレ)の地上部分にある空き家だった。空き家といってもそれなりに大きく、大規模な移民を受け入れた際の彼らの指導者や連絡役、あるいはより大きな料金を支払ったものに貸し出す家だった。

 ここしばらくは誰も使っておらず、最低限の保守だけがされていた状態のそこが会談の場所となった。

 妖魔領域では一般的な灯石(ともし)――魔力線を吸収して光る石――を使用した照明と、最低限の応接調度が配置された南向きの部屋。

 一方は、この移動都市ヴィルベルティーレを所有する移民請負企業ハダルの社長、レヴリス・アルジャン。年齢は恐らく三十代。

 応接机を挟んで腰掛けているのが、狂王位継承第十三権者であるセオ・ヴェゲナ・ルフレート。年齢は一千歳を超えるかも知れない。

 二人は血縁があり、レヴリスはセオの子孫だという。そして、今現在は白い魔人を巡って対立、もしくは協議を行う関係にある。そのために、この部屋にいる。


「………………」


 グリゼルダはそこで、一応の中立者ということで立ち会いに臨んでいた。

 本当は気が進まなかったのだが、セオ・ヴェゲナ・ルフレートの船に追われてやってきたという青年カイツ・オーリンゲンの面倒は唯一直接の面識があるグリュク――と、その下僕である霊剣――に任されており、そうなると必然、残っている霊剣使いは彼女だけということになる。

 フェーアも客分なのは同じだが、一触即発となりかねない状況に対応できるような胆力や経験はない。それに、求められているのは一応は中立の、仲裁役だ。人格的にはともかく、考えが表に出やすい彼女では不向きだろう。

 本来ならば、侮られる可能性のある小娘であるグリゼルダよりは、体格に優れるグリュクの方が遙かに向いているのだが。ちなみに、借りていた鎧の篭手は返却している。


「(仕方ないんだけど何かなー……)」


 もう一人、セオ側からも立ち会い要員が連れてこられていたが、こちらは穏和そうな青年だった。グリゼルダ同様中立かどうかは疑わしいところだが、彼女とは違って直接的な戦闘力はさほど高くはないようだ。先ほどの紹介では、カレッフォアと呼ばれていた。

 その金髪の妖王子、セオ・ヴェゲナ・ルフレート。船から降りてきた時の黒いマントは今は身につけてはいないが、魔女諸国とは趣こそ異なれど、貴族のような出で立ちだ。首に巻いたスカーフに至るまでが見るからに高級品であり、グリゼルダから見れば少々悪趣味ではないかと思えるものもあったが、それでも目の前に腰掛けているのが妖族の王子、それも狂王を除けばこの妖魔領域の数億の妖族の中の第十三位なのだという説得力は十分だった。

 既に形式的な挨拶などは済んでおり、セオが一呼吸して口を開く。


「早速だが、本題に入ろう。俺たちの船の燃料は特殊でな、永久魔法物質(ヴィジウム)を使用して飛んでいる。まずはそれがあれば、有償での提供を求める」

「宝物庫から掘り出した天船(アムノトリフォン)ですから、何でもありでしょう。あの魔人の青年を追ってやってきたのは、それが理由ですか」


 霊剣の中にも知識としてあったその単語に、グリゼルダの興味が引き寄せられた。脈絡からして、その宝物庫とは狂王の居城にあるという広大で深遠な地下空間を指す。


「(よっぽど散らかってるのかな……)」


 霊剣に匹敵しようかという強力な魔具剣、赤い炎の剣(ヨムスフルーエン)もそこにあったとなれば、まだ見ぬ霊剣が奪われ、同様に納められている可能性もあるだろう。

 グリゼルダはその情報を頭の片隅にとどめつつ、だが、二人の話題はすぐにそこから離れた。


「船の探知器に反応があった。てっきり奴が結晶を持っていると思ったんだが……特にお前たちが匿う理由はあるまい。現金はさほど無いが、権利書ならば腐るほどある。出来れば引き渡して欲しい」

「こちらには、正式な名称は分かりませんでしたが吸魔の杖と仮称している魔具があります。これは現在膨大な魔力を蓄えており、一時的とはいえ殿下の船の動力源とすることも可能でしょう。いかかです」

砂漠の刻印の杖(ヴュステ)か。確かに、我が天船を動かすことは出来るだろう」


 何の前触れもなく出てきた名詞は、どうやら吸魔の杖の正式な名前らしい。妖族たちの作った魔具には強力な物も多いのだが、妖魔領域の実力者が厳重に秘蔵していることも往々にしてあり、七百年を擬似的に生きてきた霊剣使いであっても名前すら初耳という場合がある。

 もっとも口ぶりから類推するに、セオにはそれでも不足らしいが。


「だが、それでは今までと同じなのだ。魔力線を蓄積するだけの魔具では。俺がこの妖魔領域(ヴェゲナ・ルフレート)の本当の王になるには、燃料切れの起きる船では足りないんだ。やはり、俺はあの魔人が欲しい。あれならば、大気中の魔力線を集めて擬似的とはいえ無尽蔵の動力源となってくれよう」

「私とハダルだけならば、或いはそうしたかも知れません。ただ、我々の客人が、白い魔人と浅からぬ関係があるようですので」

「それが、あの時いた赤い髪の男か」

「彼は先日の防衛戦闘に協力してくれました。我々は、彼らに感謝している」


 ちら、と、金髪の妖王子が彼女の方を見て、すぐに視線を戻す。グリゼルダが「彼ら」に含まれるのだと、見当をつけたか。この男もまた凶王の直子(ちょくし)であり、会談に乗じて霊剣を狙ってきたタルタス王子や、激情の嵐のようなリーン王女に類する存在なのだと思うと、レヴリスも同席しているとはいえ、彼女は少々緊張した。


「つまり、借りもある魔女たちに便宜を図りたいというわけだな。そう言えば、彼女が持っている剣……霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムで出来ているそうだな」


 グリゼルダの体は、それを聞いても動揺するようなことはなかった。復讐を遂げるまでは何があろうと息を潜めて機を窺ってきた剣士たちの記憶が、相棒を通してその身に宿っているためだ。


「代わりにそれでもいいぞ。隕石霊峰(ドリハルト)の欠片ならば、我が船の燃料としては申し分ない」

「…………」


 故に、狂王の息子が自分の相棒に突然言及しても、彼女は迂闊な反応をしなかった。霊剣使いを挑発するのに、ただの言葉では足りない。


「誰が触れを出したかは存じませんが……既にその剣を狙う者がこの地にひしめいているのは聞き及んでおります。だが、剣は彼女たちの友であり、彼女たちは我々と協力関係にある。魔人同様、やはり軽々と身柄を引き渡しては移民請負社(ハダル)の信用に関わります」

「そうだろうな……それがお前の立場だ」


 セオが目を細めて頷く。妖魔領域での常識を知らないものがいれば、彼を物分りの良い王子だと考えたかも知れない。だが、霊剣の知識でそれを知ってもいたグリゼルダは警戒した。

 高位の妖族は、相手の事情にも簡単に理解を示す。なぜなら。

 応接机を挟んだまま彼を睨むレヴリスから目をそらさないまま、セオが席から立ち上がった。


「ならば、俺と我が船団の総力を以って、全てを貰い受けよう」


 なぜなら、妖族は物事において、力で決着をつけた方が早いと考えがちな種族だからだ。だから、簡単に相手の立場を重んじる。重んじつつ、実力で叩き潰すことが尊ばれる社会。

 グリゼルダは王子の台詞に、予想はしていたが目眩を覚えた。これではグラバジャでの顛末と同じだ。


「船の周辺では俺の兵団とお前たちの兵団が睨み合っている。妹の遠い息子であるお前の体面までを壊したくはないから、移民どもに手出しはしないよう命じるが……移民どもから攻撃を受けた場合や、移民に偽装したお前の兵を見つけた際には、その限りではないからな」

「その心配はありませんよ」


 移民請負人のセリフが気になったのか、立ち会いの青年と共にその場を去ろうとしていたセオが、足を止めて振り返った。


「ほう?」

「私が今ここで、あなたを打ち負かすからだ!」


 太い腕が天を突き、室内だというのに落雷を思わせる轟音と閃光が溢れる。


来陣(ライジン)!!」


 呪文と共に室内の虚空に出現した全身具足が即座に飛び散り、全ての部品が彼の全身を貪るようにまとわりついて、レヴリスは完全武装を果たした。そのまま応接調度を蹴散らして妖王子に突撃したレヴリスの拳を、しかしセオはその掌ひとつで受け止めてみせる。

 その余波で室内に突風が生じ、グリゼルダの髪を大いにかき混ぜた。


「あなたはここで、俺が引き受ける! グリゼルダくん!!」

「!」


 更にレヴリスは腰から光の剣を抜いて斬りかかるが、対するセオはどこからか取り出した幅の広い片刃の剣と銃でそれを受け止める。


「例の青年と、我が社の移民たちを頼んだ!」

「カレッフォア! 破軛(はやく)に伝えて捜索を始めさせろ!」

「は、はい!」


 グリゼルダは立会人だった妖族の青年と同時、異口同音にそう答えて駆け出し、胸中で悲鳴を上げる。


「喧嘩っ早いのはレヴリスさんも同じじゃん!」


 気づくとそれは口に出ていたが、とにかく、今は二人の激突の余波で破砕されつつあった空き家から脱出するのが先決だ。

 セオの側にいた立会人の妖族の青年も慌ててそこから逃げ出しており、彼にぶつかりそうだった家屋の破片を片手間に霊剣で弾いたりしつつ――さすがにそれで頭を打って死ぬのを捨て置くのは忍びない――、彼女は走った。

 安全そうな距離まで出ると、一緒に逃げたセオ側の立会人の青年の服を掴んで引きずり倒すため、手を伸ばす。

 だが、それは(かわ)された。


「(意外に使える……!?)」

「飛んできた瓦礫から守ってくれたのに、今度は拘束する気なのかい」


 走りながらも器用にグリゼルダの足払いや髪を掴もうとする手を回避する彼も、見た目通りのおとなしい青年ではないということだろう。


「当たり前でしょうが! 素直に捕まるなら怪我までは――」

「怪我まではさせないで制圧するのも、僕相手なら大して難しくはないって思ってたんでしょ。さっきまで」

「……!」


 悔しいが、彼の言う通りだった。グリゼルダには歴代の裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)の所有者たちの経験、見識眼があるにもかかわらず、彼の運動能力については見ただけで看破することが出来なかった。幻惑などといった妖術の使い手である可能性を踏まえなければならないか。


(グリゼルダ、セオ側の使い魔が来る!)

「!」


 相棒の警告を聞いて妖族の青年の方を見ると、足に赤い帯を巻きつけた鳥たち――ハダルの使い魔は白い認識票をつけている――が上空を旋回し、走り続ける彼に近づこうとしているのが見えた。セオからの伝言を、使い魔によって船にいる兵士たちに迅速に伝えるつもりなのだろう。


「(打撃散弾でまるごと叩き落とす!)」


 グリゼルダが魔法術で生成した打撃魔弾の群れが、青年のついでに敵の使い魔たちを叩き落とす――つもりだった。が、


「駄目だよ」


 そう言って青年は懐から何かを取り出し、グリゼルダの前方へと投げて撒いた。妖族が戦闘で何かを散布するとなれば、それは高い確率で魔具であり、つい最近もグリゼルダはそれを見たばかりだ。小さな短い筒の形状をしたそれは、


魔導従兵(まどうじゅうへい)!)

「雨は罰を(したた)かにッ!」


 標的を切り替え、抉り取られた路面の石材が兵士の形状を取る前に破壊する。打撃散弾が路面と同時に魔導従兵を破壊し、グリゼルダは次の魔法術を構築しつつ、握りこぶし大の破片を握って走る青年へと投げつけ、隙を作ろうと試みた。

 そこで十字路に達した青年が右に曲がると、グリゼルダが偏差を狙って投げた石は外壁に当たって落ち、彼女はいよいよ霊剣を抜いて追うべきかどうか、殺傷力の高い術を行使すべきかどうかを検討しながらその後を追った。






 移民請負企業ハダルは、遠いながらも狂王の血を引く魔女、レヴリス・アルジャンが妖族たちをまとめて成立させた、妖魔領域に数少ない純粋人・魔女社会型の企業である。その歴史は未だ浅く、暦の上では設立十二周年を迎えたばかりだ。

 だが、そんな新興の移民請負企業と年齢を同じくするシロガネ・アルジャンでも、父の起こしたこの会社の優秀さは知っていた。

 その一つが、通常の武装組織よりも圧倒的に高い使い魔の保有密度だ。

 全長九キロメートル弱の巨体を五百名に満たない社員で運用するための連絡要員として必須ということもあるが、諜報専従の機関でもないこの規模の組織にしては、五千個体を超える脊椎動物(せきついどうぶつ)の使い魔の保有は異例だ。それはまた、優秀な”使(つか)()使(づか)い”を多く抱えているということでもある。

 防火水槽の点検に出ていたシロガネ――見習いである彼女は、こうした"心臓"とは直接の関係が無い設備の保守管理の一部も任されている――の頭上を、使い魔化された鳩の群れが飛んでゆく。


「移民者の皆様に重要なお知らせです。ハダルはこれより限定的な戦闘行動に突入します。戦闘は戦闘員同士に限って行われます。ハダルの戦闘要員以外は、絶対に戦闘に参加しないでください。繰り返します。移民者の皆様に重要なお知らせです――」


 彼らは合唱団のように、一糸乱れぬタイミングで同じ内容を唱和してまわっていた。

 動物使役型(どうぶつしえきがた)の使い魔は術者を同じくする個体同士で非物質的なネットワークを形成し、そこに限度はあるものの、成立した集団の大きさに比例して知性や会話能力が増大してゆく。優秀な術者を多く集めなければ難しいことだが、それが可能ならば、こうして事項の伝達を身軽な使い魔たちに任せ、他は自分の仕事に専念することが出来る。


「お嬢、お嬢!」


 自分を呼ぶらしき振り向くと、後ろの足元に上半身をもたげたネズミの使い魔が立っていた。白い認識票を首に結びつけた姿が、中々に愛らしい。ただ、使い魔たちは社長令嬢であるシロガネのことを「お嬢」などと呼んでいるが、そんなマフィアのような呼ばせ方をしているのは彼女の父だ。いつかは改めさせなければなるまい。


「どうしたの?」

「お嬢も避難してください。戦闘要員以外は避難推奨です」

「ちょっと待ってよ。次の箇所で今日の分全部終わりだから――」


 そう言いかけたシロガネのかぶっている樹脂製の安全兜に、こつんとぶつかって路面に転がる物体があった。

 小さな短い円筒。見た目は石のような質感だが、兜に当たった感じからすると随分と軽い。

 シロガネが点検道具を抱えたままそれに近寄ると、彼女より筒に近かったネズミの使い魔が首を傾げつつ前足でつついた。それが引き金にでもなったか、その円筒は前触れもなく路面の素材をどろりと溶かして沈み込み、次の瞬間には路面が石で出来た兵士のような形状に隆起、形成までを完了している。


「ひゅぇぉぅぃぇ――!!?」


 言葉にならない悲鳴を上げると、彼女は肩からベルトで下げていた開扉用の大型レンチを体全体で大きく振り回して、石の兵士を殴りつけた。確か、魔導従兵と呼ぶ代物だったか。その立っていた場所は体を構成する材料に使われたのか、小さなクレーターの形状に抉れている。


「お、お嬢! まだ生きてます!」


 破片をまき散らしながら一メートルほど吹き飛んだ魔導従兵は、既に起き上がろうとしていた。

 ネズミの使い魔に言われるまでもなく、シロガネは大型レンチを抱え直して身構えた。使い魔が叫んで回っていた限定的な戦闘とやらに関係していると見て、間違いはないだろう。

 ただ、シロガネはもちろん戦闘要員などではない。得物があるとはいえ、状況は箒も持たない十二歳の魔女の小娘にすぎない自分一人とネズミが一匹。


「逃げよう、ネズミさ――!?」


 レンチを捨てては拾われ、後ろから投げつけられる恐れもある。肩に担いで逃げ出そうと後ろを向くと、そちらにも既に数体の魔導従兵が生成されていた。シロガネがいるのは路地の中ほどで、前後にしか無い逃げ場は塞がれている。

 そこへ、急にシロガネの体を大きく揺さぶる衝撃が走った。視界が撹拌され、気づいた時には家屋の屋根に移っている。誰かが彼女の全身を抱え上げているのか、彼女の膝裏と両肩が温かい感触を覚えた。

 いわゆる“お姫様抱っこ”というやつだ。


「すっ、すみません!? どこのどなたか存じませんが――」

「ごめんね、追手を撒くために使った魔導従兵が君を襲ってしまったらしい。僕はカレッフォア・マリ、セオ・ヴェゲナ・ルフレート殿下の書記役をしている」

「追手……!?」


 後ろを窺うと、霊剣使いのグリゼルダが、恐ろしい剣幕でカレッフォアと彼女との間に立ちふさがる魔導従兵を蹴散らしながら突進してくる所だった。よく見れば、肩に先ほどのネズミの使い魔を乗せている。


「グリゼルダさん!?」

「シロガネっ! そいつ敵だから今すぐ離れて――」

「そういうことだから、ごめんね、シロガネちゃん!」


 温厚そうな妖族の青年カレッフォアはそう呟くと屋根の上から飛び降りて着地、すぐさまグリゼルダに向かってシロガネの体をぽんと放り投げた。妖族の筋力ならば朝飯前といったところなのだろうが、シロガネの尻と背中が路面に叩きつけられる前に、突撃してきたグリゼルダがそれを受け止めてくれた。そしてそのまま彼女は開放され、自分と大差ない年齢の魔女が強大な魔法術を構築、解放する様に目と第六の知覚をみはる。


(かいな)は汝を手中に!」

「霧を生み出さん!」


 霊剣使いの少女が生み出した念動力場から身を隠すように、カレッフォアの周囲には彼が生成したらしい妖術の霧が発生した。敵だというならばグリゼルダが彼を捕らえてしまうのが都合が良いのだろうが、シロガネは何となく――自分を投げ飛ばした男だというのに――、彼の無事を祈った。

 そして、霊剣の魔女は念動力場に手応えが感じられなかったのか、妖術の霧が晴れると魔法術を解除して拳を下に振り下ろして喚く。


「あーもうっ、逃げられたっ!?」


 飛来した妖王子の船までの距離はさほど離れていない。追いかけても、既に辿り着かれてしまっている頃だろう。


「ネズミさん、とりあえずグリゼルダさんをグリュクさんたちの所に案内してあげて。私はとりあえず、心臓の方に行ってみる」

「かしこまりました、お嬢もお気をつけて」

「シロガネ、また無茶したらダメだからね!」


 ネズミの使い魔を肩に載せ直したグリゼルダの言葉を聞き、頷く。

 自分で自分の両手首を切断までさせたくせに、私には無茶をするなって。

 シロガネは口には出さずにそう言い返し、地下へ通じる最寄りの連絡口へと走った。






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