EX.サルドル・ネイピアの物語2
三月十七日
キリエの病気は治る様子がない。
ヴォン・クラウスは無医村なのだ。
無医村。
こんな言葉を作って世の中を表現した気になってる奴らが憎い。
期待するだけ無駄とは分かっているが、外の町へと医者を探しに出た。
空振りだった。
外の医者を責める訳にはいかない。
登録抹消村落の村人を治療しても、補助や補償は出ないのだから。
タダで見れば噂が広がり、貧民が押し寄せるのだから。
「キリエ一人」
こんな表現は腹が立ってしょうがないが、
キリエ一人のためにお金を出してくれるような村人はいない。
いてもキリエ一人の診療代の半分も出せない。
誰か、誰でもいいから妹を助けて欲しい。
助けられないなら何のための啓発教義だ、××××××
――ペーネーン・アールネの日記より抜粋。
×印の連続部分は後から墨で塗り潰されていることを示す。
恐らくは強烈な罵倒であろう。
聖堂騎士団領ヌーロディニアを出て徒歩で三日、サルドルは途中の町にあった教会で食事を取り、現地の啓蒙者たちと情報を交換した。
サルドルもニュースで聞いた覚えがあったが、一月に妖獣が連続して出現したのがここの地方なのだという。
情報僧ではないので微小機械などの支援でどんなニュースも瞬時に検索という訳にはいかず、サルドルは卓上の補給機で燃料供給中の自分の端末をつついてアーカイブを開いていた。
「……汚染種も出たの?」
関連ニュースを閲覧して、サルドルは少し驚きながら仲間に問いかけた。この町の協会で初めて会う啓蒙者で、サルドルの卒業した市民学校の先輩だというオリョーシャヤという名の女だ。
彼と共に、スウィフトガルドでの任務に就くことになっている。
「私たちも調査に出たんだよ、既に逃げられた後だったけど……大型汚染動物を駆除したのはそいつ等だったんじゃないかって言われてる」
「汚染種が汚染種をね……」
やはり、啓蒙できない種族なのか。サルドルは互いに殺しあう醜悪な生物たちを想像しながら、自分の来た目的を反芻した。
「登録抹消村落の移転支援か……このヴォン・クラウスって村、僕らが行く所じゃないですか」
「大丈夫だよ、無翼人の騎士団が汚染種を放逐したと報告が上がってる」
オリョーシャヤの補足に、サルドルは無翼人たちの国の行く先を憂いた。
長期の不況によって経済構造から半ば分離され、納税能力・兵役能力などの観点から著しく劣ると判断された自治体、つまりは国にとってあらゆる観点から“役立たず”とされた市町村などがある。
これらは無翼人たちの国――スウィフトガルド王国の政策によって、市町村の登録を停止、あるいは抹消される。生活が苦しいことに不満を爆発させて敵である魔女の国々を呼び入れるような行為を予防するという、前大戦の教訓に基づいたドクトリンが実行されたためだ。
そうなった地方自治体の住民は、わずかな補助金を支給されて別の余裕のある都市へと移住することが推奨されており、そうしてその意思のある者が流出、残った住民が構成しているのが登録抹消村落、いわゆる貧民村というものだ。彼らは生存していながら、王国の国力強化に全く貢献していないとされている。
そうした場所に残った人々を司祭種族である啓蒙者として説得し、未だ健在な町や村へと移ってもらう。
それがサルドルたちに与えられた役目だった。
深い山の中、豊かな髭を蓄えたみすぼらしい身なりの老人が、片腕だけで三つの果実をお手玉のように弄んでいた。
だが、これまた豊かで長い毛を蓄えた彼の眉が、ぴくりと動く。
「よからん風じゃなあ」
大気がはらむ何かを感じ取ったのか、隻腕の老人はお手玉をやめて果実を積み重ねると、一つを残してそれをゆったりとした袖に仕舞い込んだ。
そして残った一つを一口かじると何事かを小さく呟き、黒い衣をまとって南へと飛び去ってしまった。
乗用移動機で走ること三十分ほど、サルドルたちは険しい山道を走る車体に揺られていた。水はけの悪い土壌が続いており、降水で容易に抜かるんでしまうことだろう。
乗車しているのは彼とオリョーシャヤの二人だけで、乗用移動機は無人運転モードになっている。村に着けば勝手に最寄りの町まで離脱してしまう予定だ。不用意な技術流出を防ぐためとはいえ、いつかはこのようなことが不要となる社会になれば良いのだが。
窓の外に流れる森の景色は、深さを増して向こう側が見えなくさえなっている。その途中で、乗用移動機に備わっている第三等級人工知能がアナウンスを流した。
『前方に無翼人二名。脅威度・最低級』
「……子供?」
子供が二人、廃棄物の山を前にうずくまっている。サルドルもまだ完全な成人ではないが、彼は首を捻った。
まさかあの二人の子供がこれらを捨てたわけではあるまい。この一帯は警察力もさほど働いておらず、廃棄物処理業者が安価な報酬で収集した大型の廃棄物を投棄して行く場所なのだろう。大きな街道からはさほど離れていないにも関わらず道路は比較的原形を留めて残っており、大都市の処分施設へ搬入する車両の燃料費さえ惜しんで不法投棄を行う民間業者にとっては都合がよい筈だ。彼はそんな情報を、頭の片隅から引っ張り出してきていた。
このような行為は啓蒙者にとって理解しがたいことではあったが、それはともかく、サルドルたちの目に入ったのは二人の子供――いや、接近につれてどうやら少女らしいと分かる。
一人はサルドルと似たような年頃、もう一人は十歳前後。無翼人の姉妹か、彼女たちはサルドルの乗る啓蒙者製の乗用移動機を見て立ち上がり、こちらを見てなにを語りかけようとするでもなく佇んでいた。
服装は控えめに言って上等ではなく、恐らくこの一帯は貧しいのだろう。
『停止しますか?』
既にかなり速度を落としていた第三等級人工知能がそう尋ねると、サルドルもオリョーシャヤも頷いた。泥にまみれた多目的高分子の装輪が山道の土を切って止まると、車体は彼女たちから五メートル程度の距離を開けて安全に停止した。
扉を開けて降車しながら、尋ねる。
「最初の御方の祝福あれ。初めまして、歩く人々」
「……はじめまして、翼ある人々」
「はじめましてー!」
背の高い少女――おそらくは姉か何か――は僅かな間を置いて、もう一方の妹らしき小さな娘は溢れるような溌剌さで、それぞれ応えた。
「僕は宣教師サルドル・ネイピア。失礼でなければ君たちの名前と、なにをしていたのか教えて欲しいんだけど……」
「……私はペーネーン・アールネ。何をしていたかは、お教えできません」
「えー、ダメだよお姉ちゃん。司祭さまにはちゃんと本当のことを言わないと」
「キリエ、ちょっと黙ってなさい」
「ダメだよ! 訊かれて言わないのはしょうきょくてききょげんって言って――」
「まあまあ……」
「二人とも、ここは穏便に!」
どうやら、雰囲気からすると二人は姉妹であるらしい。サルドルとオリョーシャヤが二人を宥めると、何とか二人は矛を収めたようだった。
それぞれペーネーン、キリエというらしい険悪な雰囲気の少女に、サルドルは話題を変えようと話しかけた。
「僕たち二人は、ヴォン・クラウスという村に用があるんだ。君たちは、そこの住民だよね?」
「はい! じゃあキリエが案内します!」
全身を使って元気よく右手を跳ね上げたキリエは、癖がちな赤毛を左右の側頭で二つ結びにした活発そうな娘だ。見たところ、彼女におけるサルドルたちの心証は良好なようだ。
「……まぁ、いいけどね」
一方の直毛の姉、ペーネーンは、あまり不愉快さを隠そうともせずにそう呟く。啓蒙者種族はその体内に存在する小体の力で、ある程度ではあるが無翼人たちの感情の機微を一方的に読みとってしまうことが出来るのだ。
だがサルドルはその原因が何かまでは分からず、オリョーシャヤに助けを求めようとそちらを向いた。
「ヴォン・クラウス村はすぐそこでしょ? だったら彼女に案内してもらおうよ。ちょっと早いけど、乗用移動機は戻して」
「……そうしようか」
二人が最低限の生活物資を詰め込んだ保持器を取り出すと、オリョーシャヤは非常用運転操作盤にコマンドを打ち込む。
乗用移動機は四つの車輪の角度を変形させて超信地旋回――前後には一切動くことなく、車輪の回転の組み合わせだけで車体の向きを変える動き――、無人となって元来た道を帰っていった。例え心ない無翼人の集団に狙われても自衛機能や近隣の啓蒙者への緊急発報能力があるので、心配はいらない。
「はいはーい! それじゃあキリエが教士さまをごあんないしまーす!」
がほがほとサイズの合わないブーツを鳴らしながら先を行こうとする二つ結びの少女に向かってその姉が苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、彼女もまたすぐに歩きだす。
二人を抱えて秘蹟で飛ぶことも出来るが、サルドルもオリョーシャヤもあまり、無翼人たちの前で力を誇示するような行為はしたくなかった。
通気、緩衝、耐久性に優れた神聖啓発教義領製の靴の裏ごしに無翼人たちの国土を感じつつ、サルドルとオリョーシャヤは姉妹の後ろについて行った。
「ようこそヴォン・クラウスへ、翼のある人々!」
登録抹消村落ヴォン・クラウスに到着した啓蒙者の宣教師二人(うち新人一人)は、歓迎された。
恨まれていても文句は言えないと思っていたのだが、既に登録が抹消されて三十年以上経つにも関わらず、住民である無翼人たちの啓蒙者への畏敬は衰えていないようだった。
「ご覧の通りの卑しい村でして、歓迎らしい歓迎など出来申しませんが……」
「(こんな不遇にあっても僕たちを敬うのか……僕はそこまでの信仰を持っているだろうか……?)」
サルドルは低位の新人僧に過ぎない自分たちへと平伏する村の筆頭格を見て、――所詮は登録抹消村落なのだからと言って、彼は頑なに村長を名乗らなかった――戦慄に近い感情を覚えた。
噂や画像、動画資料などで知っていただけで、所詮はサルドルも世を知らぬ小僧に過ぎなかったのだ。
だが、これから知っていくことは出来る。彼はそう思い直して、ひれ伏す老人の肩に手を当てて立ち上がらせた。
「気になさることはありません。これからみなさんと親交を深めあって行く、いわば携挙の友なのですから」
「もったいないお言葉……どうか、どうかお手を汚されぬよう!」
そこから十分ほども回りくどいやりとりをさせられた後、彼らは筆頭の――いやこの際村長と呼んでしまおう、彼の家の決して広くない居間に通され、水などで歓迎された。痩せて神経質そうな彼の細君が、か細い声で茶菓子らしき物を彼らに勧めてくれた。
「畏れ多くも、司祭の御種族の方がお二人もお見えになるとは……いかな御用向きでしたか?」
一歩間違えば無礼寸前の言葉遣いに閉口しているオリョーシャヤの横で、サルドルは答えた。
「誤解を恐れず言えば、移転の勧告にです」
「……何と」
村長は目を丸くしてそう漏らし、数秒ほどもそうして動きを止めていた。サルドルは、自分たちを貧しくとも平和に停滞していた村にやってきたやっかい物なのかも知れないと考えた。
「あ……あなた……司祭さまは何て……?」
扉の向こうに控えていたらしい村長夫人が肩を震わせながらそう呟いて、入ってくる。
「こ、こら! お前、司祭さまのお話を盗み聞きしたのか!!」
「だ、だって……! そんな……どうせ今更どこかにいったって、新参の貧乏人がまともに受け入れられる訳……!」
「お前って奴は! もういい、どこかへ行ってろ!」
彼らの目前で妻に手を上げようと構える村長を、サルドルもオリョーシャヤも必死で止めた。若い啓蒙者二人に制止されてまた十分ほども興奮して、村長は落ち着いたらしく元の席に着いた。妻はとっくに逃げて、二階でヒステリックな声を上げて泣いているらしかった。
気まずいことこの上ない。
「啓蒙者はこの問題を非常に憂いています。あなたがたは貧困の中で苦しんでおり、国家はあなた方を必要としている」
「わ、わたくしどもは所詮、菜種滓です……あの愚妻ではありませんが、町に移ったところで馴染めはしませんでしょう……」
「生活支援プログラムが準備されています。都市での就業のための訓練所だって――」
「出ていく気でしたら、とっくにやっております……今更よそに行くのは、その、お言葉ですが……」
神聖啓発教義領には、貧困と呼ばれる現象が存在しない。その言葉もあくまで、無翼人たちの社会で学者たちが研究のために古代語から引っ張りだしてきたものだ。サルドルにとっては虚数や黒い白馬のような理論上、概念上の存在であって、実感を伴って理解できるものではなかった。
その貧困とは、ここまでヒトを萎縮させるものなのか? それとも、彼らが無翼人で、サルドルたちが啓蒙者であることに原因があるのだろうか? いずれにせよ、サルドルは自分自身で理解しがたい感情がふつふつと沸き上がってくるのに戸惑った。
空き家があることは事前の情報があったので、二人は元々は防護具工場だったという大きな廃屋を整理して使うことにした。
適切そうな広さの倉庫に目当てをつけると、周囲を確認してサルドルは奇跡を念じ、聖典の一節を口にする。
「地の障害を払え――」
顕現した秘蹟が干渉念場となって室内に広がり、壁を這って覆った。
「――それは天に富を積むこと!」
そして念場が変形すると、倉庫の中に埃を被って並んでいた棚や書類などの雑多な物品が浮き上がり、列を成して扉の外へと飛んでゆく。
器物たちはそのまま乱雑に転がるのではなく、そこは行使者であるサルドルの性格というか、彼の信じる教えの性質が出た。重い木材で作られた事務机は優しくゆっくりと廊下の一方の端に整列し、棚はそこに載った書類を保持したまま同様に並ぶ。
舞い上がった大量の埃も、続いて発生したオリョーシャヤの念場でゆっくりと絡めとられて凝集し、握り拳ほどの大きさの繊維片の集合体となって転がった。
「これで寝床は確保できたかな」
「机と椅子を二人分だけ入れ直そうか」
オリョーシャヤがもう一度秘蹟を行使すると、埃を落とされた椅子と机が二組浮き上がって部屋の中へと戻ってゆく。
啓蒙者技術の流出を防ぐため、宣教師はその文明の利器を必要最小限にしか持たない。
夜は保持器の中の寝袋で睡眠を取り、食事も現地で購入するか――その分の無翼人の貨幣は持たされている――、持参した分で済ますように決められている。貧困地域での活動はそれなりに厳しいのだ。
ただ、必要とあらば救援を呼ぶことは当然に可能で、そのための命綱が装甲端末だ。
宣教師のために民生用の規格の数千倍の耐久度を持たされて作られたこの掌より小さな情報端末は、無翼人の銃で弾丸を撃ち込んでもひび一つ入らない。啓蒙者を殺して奪ったとしても、無翼人の技術レベルでは分解すら不可能。
それでも、画面に映る鮮やかな各種の情報は無翼人たちの興味を大いに引くので、彼らの前で用いることはないが。
蓄電技術の流出対策として極小の発電装置とも一体化しているそれは、一度補給機で燃料を補充してしまえば連続三ヶ月の動作も可能で、その端末をいじりながら、サルドルは寝袋の中で前途を案じて唸った。
「(……みんな、愛着を持った土地からは離れられないってっことか?)」
完全に管理された啓蒙者の社会では、そもそも移住という事態が希有だ。都市計画という概念が高度に洗練されている為、後の時代で鉄道や空港を建設する必要が出たから元の土地の住人が移住を強いられる、などという事態がそもそも起こり得ないからだ。
だが、無翼人たちはまだまだ幼い種族だ。啓蒙者とて発展の途上にはそのような未熟があったのだから、先進種族としては辛抱強く付き合わなくてはならない。
それが最初の御方の、御意志でもある。
住民各戸への訪問で、サルドルは最初に難敵に遭遇していた。
「や、やあ……最初の御方に栄光あれ」
「あなた……噂は聞いてるのよ! 司祭さまが地上げに来るの!?」
「え、じ……ジア?」
戸口に立つ赤毛を切り揃えた少女が両の拳を腰に当ててうんざりした表情を見せる。サルドルは分からない単語について訊ねるので精一杯だったが、ペーネーンは上半身を少し前に突き出して彼を睨み、言った。
「強制的に退去させに来るってこと!」
「強制的にだなんて、そんな……」
「同じことよ! ここから私たちを立ち退かせようって言うんでしょ!? あなたたちの都合で!」
正確には、都合の悪い事態に対処できない王国へのささやかな補助的介在だ。王国の総合自立ドクトリンは続いており、戦時となれば緊密に協力する準備は行いつつも、平時は啓蒙者の補助を受けずに独力で発展すべしという機運は続いていた。啓蒙者から肝心の技術援助を受けることが出来ず、やや挫かれた状態になってはいるが、それでも行政や立法において啓蒙者の介入を穏やかに、しかし強く拒む姿勢は継続している。
啓蒙者としてその姿勢は喜ばしいことではあるが、時には手を貸さねばならないこともある。
「これが、子孫の幸福になる」
「子や孫に逃げられた年寄りも大勢入るのよ、この村は。今更都市に行って、覚えるのも難しい生活支援プログラムを受けろっていうの? 頭が良くなる機械っていうのもあるそうだけど、そんなの私たちには使わせちゃくれないんでしょ?」
図星だった。基本的に、王国民の介助事業は王国の領分となっており、無翼人の高齢者を全くの無償で生活させる方法は、王国の民生政治へは基本的に不介入としている神聖啓発教義領には無かった。彼らの所得では、高齢者の有料介護業者への料金を支払うことも難しいだろう。
汚染種以外への博愛を旨とする種族の一員であるサルドルには、高齢者たちを捨てて若い住民たちだけでも都市に移住すべきだ、などという発想は浮かびもしなかった。
啓蒙者文明は既に遺伝子治療すら無償で可能だというのに、これらの技術をみだりに与えられないというだけで、無翼人たちの現実はここまで過酷になるのか。
「……そういえば、妹のキリエちゃんは?」
「昨日の夜から熱出して寝込んでるのよ」
「え……!?」
「だからあなたに構ってる暇なんてもう無いの! さあ! 悪いけど帰って!」
「解熱剤ならある。せめてそれだけでも!」
「その薬、無翼人には効くの!? 他の村人全員に行き渡る分はある!? 効いたとして、もしまた同じ熱を出した時、まだあなたはこの村にいるの!? 薬をくれるの!?」
「…………!」
痛罵だった。後から考えてみれば理不尽な八つ当たりではあったが、少なくともサルドルは、見捨てられた村の悲しみを目の当たりにはしたといえるだろう。
彼は、陳謝してその場を去り、文明の力が無くしてはろくな救済を提示できない己を恥じた。最初の御方のようなあまねき救いをもたらそうなどというつもりはないが、せめて村一つ、いや少女一人の病にすら、手が届かないものか。
啓蒙者といえど個人ではこの村を覆う状況に全く無力であることに胸を痛めつつ、サルドル・ネイピアは次の門戸へと向かう。
そして、オリョーシャと共に全ての住居を回った。持てる限りの誠意と論理を尽くして説得したつもりだったが、村人のささやかな歓待の陰に潜む彼らの介在を厭う感情に気づいて、二日目が終わるのだった。
三日目の朝が来た。
啓蒙者の少年の声が、聖典の一節を小さく謳いあげる。
「灯火を絶やすな、受け継ぐのだ」
その声で、彼の手にした小さな円筒上の物品に熱が宿った。
照明などはとっくに死んでいるその部屋で、サルドルは保存食の加熱機能を起動していた。秘蹟などを一切使わず化学反応によって熱を出すものも存在するが、それは啓蒙者科学の範疇に属する技術なので、彼らが神聖啓発教義領の外に持ち出せるのはこの、秘蹟を行使できる啓蒙者にしか加熱できない即席非常食だけだ。
蓋を開けると、神聖な香料の匂いが溢れて鼻をくすぐった。
それをもう一人分加熱し、オリョーシャヤの向かっている古い木の机に置いた。
「ありがとう。ところでサルドル」
「何?」
「この村、どう思う?」
オリョーシャヤが、古い木の机に向かって自分の端末に状況を記録しながらサルドルに尋ねた。
彼はわずかに考えて、告げる。
「……住み慣れた土地だっていうのは分かるけど、それでも都市に比べればここは過酷だよね」
「情報はあったけど、医者どころか薬剤知識のある住民もいないなんてね……」
「僕は宣教師になったら、教義への理解を深めたい人々の為に何かが出来るって思ってた。無医村とか貧困とか、そんな言葉は講義の中だけのものだと、頭のどこかで思いこんでたんだと思う」
オリョーシャヤがスープを啜りながら、こちらを向いて問いかける。
「想像と違ってた?」
「恥ずかしながらね。この村の人たちは強い信仰を持っているけど……信仰のある人々がこんな暮らしを送っているなんて、おかしいんだ」
サルドルもスープを吸い込み、付属の匙で具を口の中に掻き入れた。
その時、懐の端末が振動と共に鳴る。取り出して画面を見ると、『接近情報』とあった。それは啓蒙者でなく、かつ彼らのスケジュールに登録のない人物が工場跡に近づきつつあることを示している。
「オリョーシャヤ、僕は表を見てくる。ここを頼むよ」
「分かった」
市民戦闘プログラムで習った通り、サルドルはオリョーシャヤを残して慌てずにその場を発った。実際には実戦経験のないサルドルでは慌てずなどという真似は不可能だったが、言ってしまったのは仕方ない。
そうして警戒しながら外を確認すると、そこには少女が、あのペーネーン・アールネが立っているのが見えた。
狭い彼女たちの家で、憔悴したペーネーンと彼女の母親に迎えられ、二人の若き啓蒙者たちは無翼人の生活に対する自分たちの意識が変わるのを感じていた。
昨日は門前払いを食らったが、粗末な寝台に、軋む床。老朽化した壁には隙間風を防ぐ泥が詰まって乾いており、かすかにカビの臭いさえ漂っている。
彼女たちとて決してこのような場所に住みたいわけではないだろうに、サルドルは己の五感で感じる貧困というものの実態を見てしまったようで、率直に言えば困惑した。
そういえば、転居交渉で各戸をまわった時も、外から雑然とした室内を覗き見ることこそ出来たが、こうして内部に入ることは無かったのだ
だがそれも、寝台で苦しむキリエ・アールネの病状を見て些事となった。
彼女の姉であるペーネーンが、ただ悲しげに訴える。
「……わたしが昨日取った行動は、あなたたちの気が済むように償うわ……」
寝台に仰向けになった少女の肌が、黄褐色の染みに侵食されているのだ。クセのある赤毛までもが変色しており、黄色みがかった粉が枕や毛布に多量に付着している。
「だから、お願い、キリエを助けて……」
「司祭さま……どうか、お願い申しあげます……」
ペーネーンと、本人も決して健康には見えない彼女の母親は、そう言って俯いた。
サルドルもオリョーシャヤも、疾患についてはあまり専門的でない知識しか持ち合わせてはいなかったが、二人の装甲端末は撮像素子で病変を捉え、その画像データからアーカイブから即座に文書を検索してみせる。
「……汚染性植物胞子……!?」
はるか東の地に存在するという、邪悪な宇宙線による汚染を受けた生命体たちの跋扈する妖魔領域。キリエの体に見られる黄色い病変は、そこから飛来した妖植物の胞子が、彼女の体に入り込んで体組織中で増殖することでそうなっているのだという。
「この胞子は…………汚染種の体組織を苗床として生育する……!?」
オリョーシャヤの読み上げたその一節に、
「ちょっと……! あなた、キリエが魔女だっていいたいわけ!? 父さんも、母さんも――」
「両親や双方の祖父母が魔女じゃなくても、世代をいくつも隔てて遺伝することがあるんだ。そうして時折、成長途中で発覚する事例がある……」
「…………!」
「現に、君やお母さんどころか、村の誰にも発症していない……体が汚染種じゃないと、こいつらは定着できないんだ」
「じゃあ……キリエはどうなるんです……!?」
姉妹の母親にそう尋ねられ、サルドルは答えを口に出来なかった。教義では決まっている。汚染種は処分されなくてはならない。
だが。
「(この子を……処分する――!?)」
彼女、キリエ・アールネは、一昨日会った時は、信心深く元気の溢れる子供だったはずだ。汚染種として、それを駆除するのか?
それが啓発教義、最初の御方の教えなのか?
サルドルが身動き一つ出来ずに疑問に固まっていると、オリョーシャヤが何かに反応した。
「サルドル、何か来る!」
「――!?」
己の感覚でも捉えられたその異変で、彼は我に返った。五感とは異なる第六の知覚には、彼らのいる家屋に近づくその気配は、おぞましささえ感じるものだった。
苦しむキリエやペーネーンたちから逃げるようにサルドルは外へと飛び出し、せめて異変の正体を見極めようとした。
「サルドル!?」
玄関を飛び出した彼の目に真っ先に入ったのは、老人。
異様な老人だった。
その着衣はゆったりと、高価な素材で作られていたものだろう。だが今はぼろぼろで、伸び放題の白髪を腰のあたりでまとめ、顎から垂れた髭が腹を装飾のように覆っている。
「何じゃ、啓蒙者か」
老いたりとはいえ牙と老獪さとを備え合わせた猛獣のような、低く、恐ろしい声音で、彼はそう呟いた。サルドルを非難するような響きさえある。
「(……汚染種……!)」
キリエは例外として、サルドルは生きた汚染種を初めて間近に見た。標本としてなら何度も見たことがあるが、生きて動いて呼吸をする汚染種というものは。
「初めて見るか、汚染種を、魔女を」
「お、お前は……!」
「舌も動かんならワシから聞くぞ……家の中に赤毛の二つ結びの子がおるじゃろう。その子を預かりに来た」
「……何故だ!」
「分からんか! お主らに殺させんようにじゃ!!」
台詞と同時、老人の周囲に黒い力が渦巻いた。魔法術だ。サルドルはとっさに奇跡を念じ、誓文を発して秘蹟を発動した。
「ちから、威力があらんことを!」
自然界に神の力が顕現し、干渉念場が年老いた汚染種を握りつぶそうと襲いかかる。
「ぬるい」
しかし、実戦経験がないとは言え、サルドルの決して弱くはなかった力場を老人の体から出た黒い波動がかき消す。ゆっくりと歩を進める老人が、持っていた杖の先をサルドルに向けて掲げると――サルドルの右手の林から大きな陰が飛び出してきた。
乗用移動機だ。四つの車輪が力強く、土や砂利で覆われたヴォン・クラウスの道を爆走してきたのだ。無人か、いや、そこに乗っているのは――
「オリョーシャヤ!?」
ペーネーンたちの家の裏から出て呼び寄せた乗用移動機と合流したのだろう。
有人操縦で動くそれは汚染種の老人へ一直線に突進。
そして一瞬にして身長五メートルを超える巨人の形状に変形、彼に向かって回し蹴りを放った!
つま先が腹へと直撃し、とても老人一人を蹴ったとは思えない重厚な音が響く。
だが老汚染種は黒い靄をまとって何事もなくそれに耐え、僅かに踵で土煙を立てただけに終わる。そのまま今度は老人の干渉念場が巨人に変形した乗用移動機に叩きつけられ、逆に吹き飛ばした。
『自動巨人の蹴りを直撃させたのに……!!』
衝撃で外部発声機が起動したか、関節の各所から黒い煙を上げる乗用移動機の中の悔しげなオリョーシャヤの声が外に響く。
老人は敵を退け、悠々と歩いていった。
「ペーネーン!」
サルドルは叫ぶが、老汚染種の戦闘力は尋常でなく高く、最高位の戦司祭に匹敵するかも知れない。
端的に言えば、恐怖で足が竦んで動けない。
そんな彼をあざ笑っただろうか、不気味な汚染種の老人がその脇を通り過ぎ、その後ろのペーネーン・アールネに語りかける。
「そこを通しなさい、女子よ」
「…………ラヴェルさん」
「そんな名は知らんな。さあ、退きなさい。中で伏せっている子が危ない」
思いのほか優しいその声音、何よりペーネーンがその老汚染種の名らしきものを呼んだことで、サルドルは恐怖を感じていた。まさか、この村全体が汚染種と関わりを持っているのか。
だが、彼はこうも思う。
「(僕は心のどこかで、信仰なんて捨てて汚染種の幼体を――いや、キリエ・アールネという少女が生き延びることを望んでいるんじゃないのか……?)」
多くの啓蒙者がおぞましい妄想だと否定するであろう考えに、しかしそれでもそれを否定できない。
それがサルドル・ネイピアの信仰すら越える優しさなのだと指摘してやれる者は、この場にはいなかったが。
それとは別に、返り討ちにあった可変乗用移動機の様子を見に、村人たちが集まってきていた。
「魔女だ! ゴミ山の魔女がいるぞ!!」
ゴミ山というのが何を意味する符丁なのか、サルドルには分からなかった。ただ、このままで居てはいけないという焦燥だけが募る。
動けないでいる間に、老人は体の各所を黄色く変色させたキリエ・アールネを赤子のように抱いて、家から出てきた。
「(……僕がすべきことは……何だ……!?)」
「案ずるなよ……啓蒙者の小僧どのよ」
「……!?」
「その葛藤を認めて名乗ろう、ワシはラヴェル・ジグムント……この子のことなら心配するでない。ワシが然るべき所へ連れていき、処置を施す。魔女どもの国なら、いけ好かんが治療薬もがわんさとあるわな」
彼は淡々と呪詛でも呟くような老人の言葉に、忌むべきことだが聞き入っていた。
そしてサルドルは、答えを出した。
「ここから去れ、汚染種。村人たちの安全を優先し、サルドル・ネイピアが逃走を許可する」
覚悟の力というものか、舌がもつれることなく宣言できた。
ラヴェルと名乗った老汚染種が、その発言に対してか鬱蒼とした眉の下に隠れた視線が見えるほどに目を丸くし、そして相好を崩す。
「こりゃこりゃ! ありがたくない話じゃわい。退散、退散」
おどけるなり、汚染種ラヴェル・ジグムントは抱き上げた少女ごと急激に発生した黒い渦に包まれ、衝撃と共に東の空へと飛んでいってしまった。
「キリエ――!」
ペーネーンは名残惜しそうに拳を胸に当てるが、寂しげな表情を見せただけだ。母親の方は、泣き崩れている。
暖かな春風と、小さな村人を一人だけ失った村が、後に残った。
やや臭うが、暖かい空気。苦しみの中でキリエが感じたのは、そうした感覚だった。
そして、白と黒の波が揺らぐ景色。
「……ラヴェじじ……?」
それは、彼の白い髭と、高齢の割りに黒さの残る長髪だった。
「起きてしまったか」
「……帰ってきてくれたの?」
「うーん、どう説明したもんか……ともかく、今は眠るんじゃ、キリエよ。元気になってから、全部話してやるからの」
「うん……」
優しく諭す声に甘え、キリエは再び目を閉じた。
最初の御方のお慈悲のありますように。
二週間ほど経って、ヴォン・クラウス村の意見は一つに集約されつつあった。
「また汚染種が、ゴミ山の魔女がやってくるかも知れない」
その恐怖には勝てず、村全体が啓蒙者のささやかな支援を受け、ここから近いソーヴルという村に半年ほどかけて移住を進めることになったようだ。
ゴミ山の魔女とは、村に流れ着いた彼が、廃棄物が塔のように積み上げられた場所の麓に住み着いていたことから付いた名らしい。騎士団に撃退された汚染種でもあると、サルドルは後で知った。
今のサルドルは、村の広場で移住の準備を進める村人たちの様子を眺めている。
その傍らに、癖のない赤毛の少女がやってきて、立ち止まった。
「ソーヴル村なら、陸上騎士団の基地も比較的近いらしいから心配ないよね」
「うん……」
サルドルとは二週間ほどでだいぶ打ち解けた彼女だが、彼は未だに何もかもを喜ぶ気持ちにはなれず、頷く。
「何よ、わたしたちを移住させに来たんでしょ? 使命達成を喜べばいいじゃない」
「……君は、妹が――魔女だと分かって、連れ去られて、それで平気なのかい」
「お父さんは兵士で、キリエが生まれた頃に国境沿いの小さな戦いで死んだわ」
「……!?」
「騎士になった兄がいたけど、この前の妖獣事件で行方不明」
「…………そんな……!」
悲劇を語るにしてはあまりに達観したような少女の言葉に、サルドルは思わず悲鳴を上げた。
だが、ペーネーンは風に煽られて顔を撫でる髪を払いながら、言葉を続ける。
「……悲しいけどね。生きてるって分かれば、そんなに辛くはないよ」
「結局、君とあの……ゴミ山の魔女はどういう関係なのさ」
「……司祭さまにこんなこといったら、神聖な処刑機械で生きながら挽肉にされるのかも知れないけど……」
サルドルは、真剣なペーネーンの口から荒唐無稽な話を聞いた。
それが真実なら、もはや笑うしかないのではないか? 彼は、しかし生来の生真面目さからそれを笑って見せることも出来ず、よく分からない唸り声を上げることしか出来なかった。
「うぅーん……」
「悪かったわ、忘れて?」
「……いや。その意味を考えるのも、信仰に向き合うことだと思うから……」
サルドルがそう答えると、上空から聞こえてくる甲高い音が彼らの鼓膜を叩き、持てる限りの荷を持って集まった村人たちも空を見上げた。
「糞真面目なのね、サルドル・ネイピア!」
「それしか取り得が無いんだよ! 放っといてくれ!」
轟音に変わってゆく大気の振動に負けじと声を張り上げながら、軽口を叩き合う。
オリョーシャヤの調達してきた啓蒙者製の大型輸送機が、南の広場に――ペーネーンの話では、ゴミ山の魔女がいた場所なのだという――垂直着陸をしようとしていた。
通常、啓蒙者の乗り物に無翼人は乗れないことになっているが、移住する登録抹消村落の住民たちの移送に、特別に貸し出されることになっているのだ。
魔力線変換機関の発する歌うような高音が、ヴォン・クラウス村の上空に高らかに鳴り渡った。
お疲れ様でした、これにて第10話の完結です。
拙い四月馬鹿に更新開始後の遅延と、色々ご迷惑をおかけしてしまったかと思います。ご堪忍くださる皆様に感謝の言葉もありません……(´・ω・`)
ご意見ご質問等、ございましたら感想ページや活動報告、ウェブ拍手にてお気軽にお寄せ下さいませ。
半年も空いてしまった更新期間を辛抱強くお待ち頂き、本当にありがとうございました。
次回、第11話:白耳、ときめく(仮)
また間隔が開いてしまうかとは思いますが、それまでお待ち頂けましたら、幸い至極であります。