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霊剣歴程  作者: kadochika
第02話:灰の雪、降る
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1.魔女との邂逅











 刃を研ぎ澄ますもの、黄金で畝を彩るもの、子を産み育て、導くもの。

 それら全ての礎こそ、信仰である。

 領域の汚染を浄化し、携挙までの下地を作るべき、信仰ある人々。

 近づきつつある栄光の世界、面映き宝貴の国家、成すの全ては、血を恐れず、肉を惜しまぬことによってこそ。

 歩く人々よ、信仰あれ。

 悪しきそれらよ、絶滅あれ。

 

――聖典より抜粋。






 強く赤みがかった髪色の男が、夜明けも近い街道を歩いている。

年の頃は二十代前半、丈は少々高く、背には大きな深緑色の背嚢を負っていた。

厚手のマントを羽織り、足取りは確か、目じりはやや垂れ気味だがこちらも確かに前を見ている。

 街道は山地の谷間の川沿いに敷かれたもので、さすがにここまで東の辺境ともなると整備も行き届いておらず、むしろ所々に舗装が残されていると形容したほうが良い。

当然電灯などもないのだが、それでも字のかすれて消えかかった案内標識が時折顔を出し、彼が確実に東部の緩衝諸国に向かっていることを教えてくれた。


(ソーヴル村.この先十二キロメートル(なり)


 彼の脳裏に、彼の紡いでいない言葉が浮かぶ。だが、彼は対して気にした様子も無くぼやいた。


「まだ歩くのか……」


 着く頃には日も昇っているだろう、グリュク・カダンは嘆息し、それでもとぼとぼと薄暗い夜明けに歩みを進めた。

 自動車が普及しつつある東部は宿場町も減少し、野宿を嫌った彼は昨晩から強行軍で歩いていた。

 気候の関係で雪こそあまり降らない大陸中央台地だが、冬の寒さは緯度に比べて中々に厳しく、一日でもっとも下がる夜明け前では零下に迫るほどだ。

 街道はまだまだ広いが、左右の森は樹木の背も高く、かなり鬱蒼としている。

 ふと気になって森の中に注意を向け、そろそろ慣れてきた魔女の感覚を思い起こす。

 周囲に敵意が八つ。

 距離を置いた相手の大まかな心理状態を読み取るのは数日前のとある事件で出会った、今腰に下がっている霊剣に習った技法だ。

 これまでの道中で武装商隊の幾つかとすれ違った時に――その時背嚢の中身をほとんど売り払い、その金でマントや懐中電灯の替えの電池を買った――霊剣の助言に従い練習したものだ。

 その甲斐あって、今やある程度ではあるが、他者の感情の流れを把握できるようになっていた。

 大まかには、敵意の中に、僅かな歓喜。

 獲物が、つまりグリュクが彼らに気づいていないと考え、そのことを肯定的に捉えており、すぐにでも取り囲む――あるいはその場で殺す――準備が出来ているということだろう。

 そして狼の群と人間の強盗は、気配の地面からの高さがやや違うことで区別できた。

 数は八人。恐らく、野外強盗だろうとグリュクは見当をつけた。


(主よ、気づいているとは思うが、このまま襲わせて一網打尽にするぞ)

「(正気かよ……)」

(正気なり。容易いことだ)


 霊剣の提案に、グリュクは嘆息した。彼が腰に帯びている剣、その名も――いや、その銘も、か――霊剣ミルフィストラッセが、彼の精神に直接語りかけているのだ。

 だが、彼と霊剣の性格には今の所少々の齟齬があった。


「(一網打尽って……まさか全員返り討ちにして道に血の海でも作る気か)」

(それは鮮やかではない)


 訝るグリュクを他所に、霊剣は術を構成し始めた。

 鞘の中の剣に強い力が集まり、同時にグリュクの神経に、痛みと似て非なる刺激が走る。

 霊剣がグリュクの魔力を消費しているのだ。彼の全身の細胞に存在する“変換小体”によって空間に存在する魔力線から取り出されたエネルギーが、超自然の力となって発現している。

 本来であればこの地では存在を許されない魔女の力、“魔法術”だった。

 彼がとある事故で魔女となってからまだ一週間と経っておらず、グリュクはいまだ慣れない感覚に歯噛みしつつ、霊剣が術の構成を終えてそれを解き放つまで魔力を提供した。

 術が発動する前に、左右の森から飛び出してきた二人の男が前途を塞いだ。

 人間という見立てが当たったことに仄かな上達の喜びを感じたグリュクだったが、さすがに表には出さずに相手をざっと観察する。

 全身を防寒着で覆っており、この寒い夜明け前に強盗行為に及ぼうとしているという説得力だけはあった。

 同時に魔女の感覚で、振り返るまでもなく後方左右から出てきた二人の男に後方を塞がれたのが分かった。四人は森の中で後詰か。

 リーダー格らしき男が無言の身振りで金品などを要求する仕草を見せるが、彼がグリュクの無反応ぶりに言葉を発する前に、彼が呪文を唱えた。


「安らげ」


 音声によって、自然界に霊剣の魔法術が解放された。

 緩やかな力場がグリュクの周囲に生成され、男たちに暴力とは異なる決定的な影響を与えるのが見て取れた。

 原理的な部分までは、今の彼の知識では知り様の無い所だが、力場の作用で彼らの脳の神経電位を低下させ、強制的な昏睡状態に導いているのだ。

 男たちは抗いがたい睡魔に襲われたように或いは膝を突き、或いはよろめいてゆっくりと倒れていった。森の中の四人も同様のようだ。


「……死んだ訳じゃないよな」

(よしんば死んだ所で、此奴等は旅人を襲って糧を得ようと目論んでいたのだ。

 反撃を受けて死ぬ覚悟をしていなかったのであれば、遊び半分で狼藉を働く痴れ者、知ったことではない)

「お前もずいぶん厳しいね……」


 倒れた男たちを見回し、霊剣の少々手厳しい言い方に難色を込めて呻く。死んでいれば今のグリュクには脈などを取らずともそれが分かるようになっていたが、八人を即座に制圧してみせる霊剣の非破壊的、かつ圧倒的な能力には驚きを隠せなかった。

 まだ連れ立って一週間と経っていない間柄だが、彼にもこの霊剣という得体の知れない器物の性格――いや、人格か――が分かって来た気がしていた。

 基本的には古臭い性向を持ち、自分を吾人(ごじん)、グリュクを(あるじ)、或いは御辺(ごへん)などと呼ぶ。

 冗談を言う側面があるかと思えば、今街道に転がっている暴漢たちのような相手には非情を隠さない。人を陥れて喜ぶような性格でも困るのではあるが。


「ていうか……どうするの、こいつら。端っこの藪に転がしとくか? 熊とか出なきゃいいけど」

(他にも仲間がいないという保証はないが……とりあえずはそうする他あるまい。

 警察機関にでも突き出したい所ではあるが、そうした場所まで連行した結果、御辺が魔女と発覚するのは避けたい)

「……仕方ないか」


 彼らは防犯、治安といった思想に反する存在ではあるが、王国においては今のグリュクと霊剣も似たようなものだった。

 野外強盗なら禁固刑で済むだろうが、魔女は死刑か、より苦痛を伴う死刑だ。

 現在グリュクがいる場所はスウィフトガルド王国に属しており、先の事故で魔女として覚醒してしまったグリュクはここから更に東の魔女たちが作った国、“ベルゲ連邦”を目指している。

 もっとも、その前に“緩衝諸国”と呼ばれる、王国と連邦それぞれの思惑で作られた国家群が位置する一帯を通過しなければならないのだが。

 四人を道端の藪の中に放り込むと、グリュクは再び歩き出した。見れば先ほどまで曙光だけだった彼方の稜線から、太陽がすっかり全体を現し終えていた。

 そして、およその見立てどおり三時間ほど歩いて、グリュクはようやくソーヴルに辿り着いた。











 ソーヴルはまさに寒村と言えた。日差しこそ暖かだが、大気は冷たい。街道もそうだったが、道の端の方を歩けば霜柱がザクザクと音を立てて崩れてゆく。

 山がちな王国極東地方の中では居住に向いていたので開拓されたのだろう、谷間に広がる広い針葉樹林の中で村全体が東に向かって緩やかに傾斜しており、周囲には畑が広がっていた。春になれば小麦の芽が出るはずだ。

 小規模な村ながら家はしっかりとした石造りが大半で、苔むした井戸やくすんだ漆喰がそれなりの歴史のあることを窺わせた。太陽は既にすっかり昇っており、小規模な村では尚更なのか、村民の殆どが起き出して活動しているように思える。家の数などからして、人口は五百に届くかどうかといった所か。

 ただし、少し歩くとグリュクから見て村の反対側に、何やら畑でもない土地が開けているのも見えた。建設機械などが首をもたげて停めてあるところを見ると、これからあちら側の開発が進むということなのだろうか。


 少し歩くと傾斜が止まった踊り場のような小さな広場に小屋が建っており、近づくと老爺が退屈そうに構えているのが見えた。どうやらこれが、小規模ながらも関所のような役割を果たしているらしい。


「あの……」

「……あー、どなた?」


グリュクが声をかけると、彼は顔を上げ、やや神経質そうな甲高い声で返事をした。


「旅の者です。村に入っても構いませんか?」

「あぁ……珍しいね。まぁ、くつろげる保証は出来ないんだけど、それでも良かったらいいさ。

 宿屋は廃業しちまったけど、今でも金を出せば部屋は貸してくれるだろう」

「?」

(主よ、何か来るぞ)


 霊剣が囁くと同時に、グリュクにも音が聞こえた。

 魔女の感覚を使ってエンジンの熱を感知などせずとも、自動車と分かった。

 見れば運送用に座席を減らして荷台を取り付けた形式で、幌などはなく、剥き出しの荷台に銃を携えた男たちが六、七人ほど乗って座っている。

 銃はほぼどれもが連射式らしく、銃把ではない細長い部品や弾帯などでそうと見て取れた。

 少なくとも、狩りではない。人数はともかく、こんな重武装で行くのは熊が相手だろうと大袈裟過ぎるはずだ。

 グリュクは自然と、先日の出来事を思い出していた。


「(まさかこの間みたいな妖獣を……?)」


 そんな物々しい自動車が小屋の前で停車すると、運転席から男が顔を出した。

 体格は大きく、こんな冬の朝でも薄手の上着の袖をまくり、毛深い前腕を車窓の枠に掛けている。

 顎を覆う髭が蠢き、老爺に告げた。


「それじゃ爺さん、討伐隊出発だ。村から出して構わんよな?」

「あぁ、気をつけるといい」

「ありがとよ! じゃあな」


 男はそのまま窓を閉めようとしたが、こちらを見て、グリュクにも尋ねてきた。


「ん、あんたも魔女討伐の話を聞いてきたのか?」

「……いえ、ただ宿が欲しくて」

(討伐だと?)

「そうか、ならいいやな……邪魔したな!」


 そう言うと、今度こそ運転席の窓を閉め、男は自動車を発進させた。

 車体は再び傾斜を始めた坂をぐんぐんと駆け上がり、稜線の向こうへと姿を消す。


「……魔女討伐って、どういうことですか?」

「あー……えーとねぇ……」


グリュクが老人に尋ねると、彼は何か不都合があるのか、言葉を濁した。


「私を立ち退かせたいだけよ、あいつらは」

「!」


 グリュクが突然の背後からの声に振り向くと、女が立っていた。

 歳の頃は彼よりやや上か同程度、ブラウンに赤みがかった程度の彼のそれより格段に鮮やかな長い紅色の髪が陽光を反射し、燃え上がっている。

 脛の中程まで届く黒いローブに、同じ色のつばの広い三角帽、そして何より、手に携えた大柄な箒。

 飛来した女は、紛うことなき魔女という出で立ちをしていた。











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