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霊剣歴程  作者: kadochika
第10話:石火、瞬く
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10.闘志

 数時間程度の家出から帰ってきたら、既に家族が全員殺されていた。

 グリゼルダから直接それを打ち明けられたなら、グリュクは彼女の気持ちなど、自分には分かれないと思っただろう。

 同情ならともかく、そこから復讐を志すとなると、物心が付く前だったとはいえ家族を皆殺しにされてのうのうと生きてきた彼には想像もつかない。

 だが、霊剣の力はそんな彼に、復讐者となって大陸をさまよった彼女の心を理解させてしまった。


「死ね! あたしに殺される以外に、お前に出来る償いがあるって言うなら言ってみろぉッ!!」


 父を殺され、ようやく仇に辿り着いた矢先、違う相手を誤って殺し、自らも復讐の対象となってしまった妖女、イグニッサの無念と後悔も。


「(あのタークス・アフトニも、こんな心境だったのかな……)」

「今更遅いのよッ!!」


 もはやその泣き声の混じる叫びも含めて、声帯で生じた肉声か、粒子の力で直接の疎通が可能となっている意識の声なのか、その場にいる全員が曖昧になっていた。

 絶叫と共に繰り出された限りなく致命的な一撃を、しかしイグニッサは紅い刃で払う。そして素早く左腕を伸ばし、グリゼルダの襟首を掴んだ。


「ッ!!」


 それでも、若き霊剣使いは冷静に到来する刃を防ぎ、そして自分の襟をちぎるのでは無く、今度はグリゼルダも相手の襟首を左手で掴み返して霊剣で斬りつける。その脇腹に届く寸前に今度は再び紅い剣が霊剣を弾き、応酬が始まった。

 互いの襟首をつかみ合った二人の女剣士が、虫の羽音さえ連想させる速度で互いの剣をぶつけ合い、その軌跡が二人の周囲に刃の残像を作り続けてゆく。

 一筋打たれる度に互いの髪が散り、切り傷が生まれ、薄皮が削がれていった。

 互いに決定打は一つも無いが、その瞬間が訪れるのは時間の問題だ。


「責任は取ろう、それなら君に殺されるのも吝かではない! だが、その剣だけは! 父の無念を本当に晴らすためにも、必ず破壊するッ!!」

「させるかぁッ!!」


 本音を言えば、グリゼルダに助太刀をしたかった。例え彼女に恨まれることになろうとも、イグニッサの側にも同情すべき理由があるとしても、何度も彼を助けてくれたグリゼルダが死ぬ可能性を放置しておくことなど、絶対にあってはならないことだ。

 だが、状況はそれを許さない。

 霊剣からの粒子は止む気配がなく、触媒と化した彼らの相棒はおそらく、天空からの魔力線の供給がある限り無尽蔵に粒子を放出しつづけるだろう。今の所は自然消滅する分と釣り合いが取れているように思えるが、この異様な空間にも慣れてきただろうか、あるいは二人の女剣士の戦いに刺激されてか、記憶の渦動に翻弄されていた妖族たちが続々と我にかえり始めていた。

 金色の粒子と光が溢れて、赤い雨の降り注ぐ、廃墟の公園。このような異常事態ならば状況把握のためにもすぐに撤退する所べきだろうが、粒子の嵐は怨念をぶつけ合う二人の剣士の心をグリュク以外にも伝えてしまっている。


「(イグニッサを守れ!)」

「(これは……心の声が!? よく分からん術が……!)」

「(魔女の剣を受けるな、とにかく妖術で牽制しろ!)」

「(彼女に当てるなよ!)」


 ファンゲンの妖族たちが、概ねそうした考えで一致するのを知り、グリュクは暖かな気分になりつつも舌打した。互いの思考が筒抜けになっているこの状況は、数で劣るグリュクたちに非常に不利だ。


(粒子の放出が止まらぬ……どうなっているのだ!)

「(このままじゃ!)」


 彼らから、グリゼルダを守らなくてはならない。また、ハダルの妖族たちが侵入路を固めてくれているが、形勢が逆転するには他の戦線で味方が勝利しなくてはならないだろう。

 だが、構えを取ると霊剣が警告を発した。


(主よ、北東の方向から高速で接近する気配がある!)

「こんな時にか……!」

「イグニッサァァァァァ!!!」


 初めて聞くその叫び声には、真剣に他者の身を案じる響きがあった。気配と声のやってくる方向の空を見遣ると、粒子に霞む空間の向こうに青い鳥が飛んでいた。比較対象が無いので大きさは――いや、首筋に若い娘がしがみついているので、それと比較するとかなり大きい。


「あれは……」


 霊剣の記憶に容姿があった。確か、リーンという名の狂王の娘。パピヨン王女やタルタス王子の異母兄弟に当たるはずだ。

 青い鳥は彼女を乗せたまま粒子の中へと飛び込んできたかと思うと大きく羽ばたいてブレーキをかけ、そこから空中で一回転し、白金色の髪の王女をまさしく姫君のように両手に抱えた従者らしき男に変形、そのまま優雅に着地した。


「(……何だ、あれ)」

「オラそこの赤っ髪! 聞こえてんだぞ! 手前ェかこの筒抜け広場をこさえやがったのは!」


 以前に騎士団領で出会った口の悪い騎士に似た喋り方の王女は、イグニッサの名を呼びながらここまでやってきた。どういった関係なのか通り一遍のことは、この場に漂う金色の風と降りしきる赤い雨の作用で理解できてしまっている。

 ファンゲンの妖族たちにとっては扱いが難しい存在なのだろう、意気の上がっていた妖族たちがその登場で一気に沈静化するのが分かる。


「名乗らなくていい。生かしておいてやっからイグニッサの所に通しな!」

「…………!」


 言うことを聞く訳には行かない。だが、既にグリュクも消耗が激しく、ファンゲンの部隊を抑えるので手一杯だった所に、狂王の娘。

 互いに思考を用意に読み取りあえる状況で、あのタルタス王子に匹敵する相手は手に余る。

 しかし、そこに更に乱入するものがあった。


「夜空の蒼き流星となれッ!」


 突然視界に乱入してきた銀灰色の輝きが――断じて蒼くは無かった――、脇に控えていた従者を一瞬にして巨大な盾に変形させて構えたリーン王女によって防ぎがれる。

 同じく北西の空から飛来したレヴリスが、空中から自分と鎧の全重量を乗せた蹴りを放ったのだ。レヴリスは従者の変形した盾に足裏を乗せたまま、鎧の背部から強烈な四条の光を噴射して王女を押しやった。

 焦げた臭いの残る大きな土煙をあげて二人は公園の地面を抉り、二十メートルほど進んだ時点で距離を取り合い、互いに二刀流となって戦い始める。レヴリスは腰から突き出ていた突起が柄となったらしい光の剣を二本持ち、リーンに至っては従者が変形した盾をドレスに変化させて身にまとい、どこからか二本の剣を取り出して得物として。


「(……あとでお礼を言わなきゃな)」


 白金色の闖入者はレヴリスが引き受けてくれたのだと解釈し、グリュクは気を取り直して攻撃を再開しようとしていたファンゲンの妖族たちの相手に専念することにした。

 飛び交う粒子も差し迫る頭痛を軽減してくれる訳ではなく、今はグリゼルダが勝ってくれることを祈るしかない。

 これが終わった時、彼女に何が残されているのか。

 粒子の風雨を通してその心は、グリゼルダにも伝わっていた。


「(グリュク……こんなあたしのことを心配してくれるんだ……)」


 相変わらず流れ込んでくる無数の記憶と因果、水平に広がる現在と垂直に延びる過去とに押し潰されそうになりつつも霊剣を振るうが、高まった体温の中でも精神が凍り付いていた自覚のあったグリゼルダは、心に僅かな熱が戻るのを感じた。

 普段は素っ気ない彼が、戦いの最中でもそのような気遣いをしてくれている。

 その喜びに精神が緩んだか、霊剣を握る右手に違和感が走った。僅かに力が入らない。


「――!!」


 粒子を噴出しつづける裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)の刃が猛烈に弾かれ、次の一瞬を知覚した時には既に右の蹴り足が飛んできている。かろうじて左膝をあげて防御したものの、その威力を受け止めるには右足だけでは摩擦力が足りず、霊剣を握った右腕と左足を後ろに投げ出してしまう。相手の襟首もそれに耐えきれず、左腕は切れ端を握ったまま前方に突き出した格好だ。

 そのまま左手で自分の左手首を掴まれ、霊剣を引き戻してその手を切断しようとする前に、グリゼルダの小さな体躯は大きく弧を描いて大地に叩きつけられた。

 妖術で強化された、妖族の腕力で。


(グリゼルダ!)

「グリゼルダ!!」


 赤と金の粒子に覆われた空が視界を覆い、声にもならない空気が肺から漏れて全身が自由を失う。

 魔法術のおかげで全身が弾け飛ばなかっただけで、仰向けに五体を投地して、グリゼルダは倒れていた。

 それでも、師から受け継ぎ、その記憶を宿した相棒(レグフレッジ)だけは手放さない。師の記憶の中にいる家族の姿が、残ってもいるから。闘志が尽きていない証拠だとでもいうのか、粒子は生まれつづけていた。

 背中から叩きつけられる彼女の姿を見ていたのか、焦燥と共にグリュクの憤りが伝わってくる。

 だが、情けない事に意識の焦点が定まらない。周囲の状況が分かっても、体が動かない。


「…………」


 彼女の手から、イグニッサが霊剣をもぎ取ろうとしていた。破壊するつもりか。霊剣の刃を受け止めて火花の一つも散らない強度を持った伝説的な魔具剣であれば、或いはそれも可能だろう。

 だが、辛うじて右手は動かせた。上体を起こすことさえままならないが、集中が途切れて魔法術が解除され、握力が通常の状態に戻っていようとも、この手だけは放さない。


「(……何故ここまでこの剣に執着する!?)」


 玩具を手放すまいとする乳児の如き、半ば本能ではあったが、グリゼルダの右手は霊剣を手放さなかった。強化された妖族の力で引かれても。


「悪く思わないでくれよ……!」


 その右手ごと霊剣を破壊しようと紅い炎の剣が持ち上がった瞬間、グリゼルダは明確な意識を取り戻し、とにかく無秩序に魔法術を暴発させた。まともに構築をせず、無意味な音節を叫ぶような要領で発動させる、彼女が霊剣を受け継ぐ前に唯一扱えた稚拙な念動の魔法術。

 叫び声と共に、それを解き放つ。


「うああぁぁぁぁッ!!!!」


 それが一瞬にして、倒れた彼女の周囲に土煙を巻き起こした。まともな意味を持たせた構築を行っていないので発動も早く、粒子の作用で作戦を読まれていても対処されにくい。

 故に、イグニッサがとっさに剣を降り下ろしてもそれを避け、跳躍・後退して体勢を立て直すことも出来た。飛び交う粒子はなおも、彼女の心の動きを伝えてくる。


「(一時凌ぎの奇策など――)」


 確かに、既にグリゼルダの神経には身体強化を続行する力は残っていない。次にイグニッサの一撃を刃で受け止めれば、肘から先が弾け飛ぶだけでは済むまい。

 ならば。


「!?」


 粒子によって媒介された彼女の作戦を読み取った敵の驚愕を余所に、グリゼルダは深紅の刃の軌道の先に己の両腕を差し込んだ。

 次の瞬間、血にも似た色の炎の剣の刃が肉と骨とを一瞬にして切り裂き、肘と手首の中程で服の袖ごと切断されたグリゼルダの両手と、その握りしめた霊剣が宙に浮く。

 だが、既に全身に回った神経の痛みに比べれば、その激痛も紛れてしまう程度でしかない。

 何より、家族と師の受けた苦痛に比べれば!


「(本当に……!? 故意に両腕を……!!?)」

「糸車は思念を線に……!」


 グリゼルダの呟いた呪文は糸状になった念動力場を生成し、霊剣の柄を堅く握りしめたままの切り離された両手とグリゼルダの爪先とを繋ぐ。

 後ろへ跳躍しながら放った彼女の蹴りの軌道を追って霊剣は大きく旋回し――

 そして鞭の先端のしなるような急角度を描いて、イグニッサの胸郭へと鋭く突き刺さった。


「(本当にそんな方法を……!?)」


 状況の異常さを理解した彼女の驚愕が、やはり粒子を通して伝わってきた。

 真っ直ぐに心臓を貫かれて倒れる妖女から、念糸の力で霊剣が引き抜かれる。緩やかに反り返った血染めの剣は、その柄を握りつづける少女の両手首と共に地面に落ちて転がり、からりと音を立てた。

 自分の体の一部を切断させて次の一手に繋げるという行為は通常であれば自殺にも等しいだろうが、しかし通常あり得ないという点においては大いに奇手として成立する。金色の粒子の交錯する空間で相手に思考を読まれてもなお反応を遅らせることが出来る、神経の疲労が限界に近いグリゼルダにとってはほぼ起死回生、しかし悪くない選択肢だった。

 心臓を霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムの刃で貫かれ、もはや虫の息でしかないイグニッサだが、意外にも、粒子を通じて感じ取れる意識ははっきりしていた。恐らく、心臓と同時に横隔膜が切り裂かれたので発声が出来ないのだろう。その苦痛は察して余りあるが、しかし家族と師の仇ゆえ、グリゼルダは己に同情を禁じた。

 悲願を成し遂げたのだから。

 そこで、赤い雨と黄金の風が消え去った。二振りの霊剣からの粒子の噴出も、止んでいる。


(……!? 粒子が止まったぞ、主よ!)

「お前の粒子が便利な物じゃないって、改めて分かったよ!」


 粒子の晴れた空は、日が傾きかけていた。街路を走る西日が、焼け焦げた公園と勝敗の行く末を照らす。


「まさか本気でこんな狂い沙汰を――なんて思った……?」


 蝋燭の最後の瞬きに似たものか、ともかくグリゼルダは語りかける。己の末期にしても、無言では寂しい気がしたのだ。


「(思ったさ……悔いは残るが、これも勝負というものなのかな)」

「……分からない」


 死にゆく仇に対して呟けた答えは、曖昧だった。

 それは回答を打ち出せないというより、失った手首からの流血によるものではないかという気もしたが。

 以前ならば、家族の仇に対して実際にどのような苦痛を、地獄を与えるべきかといった妄想を働かせた夜もあった。だが、全ての記憶と本来知らない過去を共有してしまった今なら、彼女がグリゼルダの家族の遺体の顔に布を被せた理由も分かる。

 決して許せはしないが、復讐の続行のためとは言え、本来無関係の者を殺したことを後悔していたからこそ、差し迫る状況の中で最低限、死者を悼んだのだろう。

 それを自ら問い直そうにも、既にイグニッサは、あれほど憎んで追い求めた妖族の女は、死んでいたが。


「……う……!」

(グリゼルダ!)


 ひとまずは勝者となったグリゼルダも、血液が噴き出す傷口を押さえることも出来ず、魔法術で断面を縫合しようにも神経が限界を迎えつつあった。

 だが、近くで戦っている者たちが、その決着を見逃すはずも無い。


「グリゼルダ!!」

「イグニッサッ!!」


 彼女の名を呼ぶ霊剣使いの青年と、短い間とは言えイグニッサと親睦を深めたらしいリーン王女の声がする。

 やや背の高い、赤い髪の青年がグリゼルダのそばに、長い白金の髪を膝下まで届く二つ結びにした妖族の女がイグニッサの亡骸のそばに着地した。

 青年の方はグリゼルダの傍に立つと、


「護り給えッ!!」


 透き通るような魔法物質で出来た防御障壁が、怒り狂った妖女の魔弾の嵐を防ぐ。

 行動を急ぎつつ彼女を案じてくれる彼の心が伝わってきて、その嬉しさと安堵とで彼女の意識は途切れた。


「グリゼルダ……!?」

(グリュク、頼む。グリゼルダを……守ってくれ!)

「分かってる」


 グリュクは小さな魔女の生命の危機を感じ取り、切断された少女の手首に握られたままの、もう一振りの霊剣の願いに応じる。


「イグニッサ……イグニッサ……!!」


 そして、従者にイグニッサの容態を調べさせ、至近距離でその名を呼び続けるリーン。それに最大限の警戒をしつつ、グリュクは防御障壁を解除、慎重に裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)とグリゼルダの手首とを拾った。柄を握っていた少女の手首は酷く軽かったが、今ならばまだ、縫合が間に合うだろう。ファンゲンの妖族たちは、リーンの相手をする必要が無くなったレヴリスが抑えてくれているようだ。

 グリュクは裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)を彼女の腰の鞘に収め――そう、その主は彼女だ――、呪文を唱えた。


「癒し給え……」


 グリゼルダは既に、かなりの血を失っている。今しがたに人生の大目標を達成してしまい、生きる意欲さえを失ったかも知れない小さな魔女。だが、今はその生命力を信じるしかない。自身の脳が魔法術の反動で焼き切れようとも、救ってみせる。

 その意思と呪文に応じて自然界に開放された魔法術が、一度は切断された細胞と細胞を繋ぎ合わせていった。

 骨を応急的に繋ぎ、血管と血管、神経、筋、皮膚――だがそこで、リーンの従者が被りを振って呻くのが聞こえる。


「恐れながら……手遅れです。お嬢様……」

「くそぉ……折角友達になれたと……思ったのによォ……」


 悪口雑言以外を発しないかにも思えた王女の口から、嗚咽が漏れた。

 否応なく分かりあってしまう時間は、終わっていた。例え金色の粒子で記憶と記憶を繋ぎ合わせたとしても、相互に事情を隅々まで理解することでそれまでより更に深く憎みあうこともあるということなのだろう。ならば、相互の不理解というものはある意味で幸福なことなのかも知れない。

 裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)の発現させた、因果を辿って過去を暴いてしまう粒子の力に驚嘆もしていたが、何はともあれ今はまず、この場を離脱する必要があった。


「手前ェらぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!」


 白金の髪が、主の怒りに応じて天を衝く。従者は無言で王女の身長よりも長大で荘厳な剣に変形し、その手に収まった。


(主よ……!)

(グリュク、今は――)

「(…………!)」


 正直に言えば、逃げる余裕が無かった。神経の疲労は限界に達しており、ここから更に牽制程度の術でも放つことが出来るかどうか。

 “心臓”への直通路の防衛を放棄してグリゼルダの命を最優先に考えたならば、彼女の手首を諦めてでも離脱する必要があったかも知れない。

 だが、己の脳神経を焼き切る覚悟で魔法術を構築しようとしたグリュクの眼前に、ふわりとやってくる春風があった。


「身の守りは、軟らかく!」


 出現した障壁が威力を受け止め、絡め取る。硬度はやや低いものの、粘度を高く設定されたらしい魔法物質の壁が、ひしゃげつつも王女の振り下ろした大剣の威力を完全に吸収し、その刃に粘り付いた。

 切っ先はフェーアを切り裂くこともなく止まり、変形した粘着障壁の向こうから激怒の形相の王女の姿が現れる。

 木の葉の形状をした大きな白い耳がぴくりと動き、その緊張を表す。


「(フェーアさん……!?)」


 まさか、といった思いが先立った。だが、白耳の妖女は――恐らく転移酔いで――ふらふらとしながらも、下ろしたままの掌を拳に握って宣言する。


「二人に手出しはさせません!」

「……どけ、クソメス……!」


 彼女の肩と耳の間からかいま見えるリーンの表情には、血の気を失った冷たい怒気が宿っていた。

 このような状況で、友人を失い怒れる狂王女の前に出る。既に霊剣使い二人がまともな戦力になれない状況で、正気なのか。


「フェーアさん、逃げて……!」


 だが、それにも気圧されず、フェーアは更に言い切った。


「出来ません!!」

「そうかよ! 死ねッ!!!!」


 障壁にまとわりつかれて振れなくなった大剣を手放すと、今度は巨大な魔弾が生成される。着弾するだけで周囲は全員が――行使したリーンですら無事には済むまい――蒸発し、移動都市(ヴィルベルティーレ)にも深刻な被害が生じる規模だ。

 全身に蔓延したままの苦痛を無視しきることは出来なかったが、グリュクは内心で相棒に向かって叫んだ。


「(防ぐぞ、ミルフィストラッセ!)」

(うむ! 何としても――)


 だが、霊剣が呼応の言葉を発しきる前に大地が揺れる。


「……!?」


 下から急激にせり上がる感覚は一瞬で終わり、続いてごろごろと雷さえ連想させる低音の地鳴りが始まった。

 足下は小刻みに揺れ続け、グリュクはこれが、移動都市(ヴィルベルティーレ)の起こしたものだと理解するに至った。


「こいつは……!?」


 リーンも少々動揺しているようだ。振動はなおも続き、ファンゲンの妖族たちを見れば彼らは集結し、撤退する様子を見せ始めていた。恐らく、移動都市の外で陽動を行っている別の部隊などから分断される危険があるからだろう。

 上空から聞こえてきた破裂音の方向を見ると、赤い煙が上がってもいる。撤退の合図なのか、それを見上げたリーンが鉄骨でも引き裂いたような歯軋りの音を立て、イグニッサの亡骸の下に手を差し入れた。


「……お嬢様」

「こいつは俺が葬る……誰にも文句は言わせねェ」


 彼女はそのまま膝裏と背中を支えて、未だ続く揺れをものともせずに立ち上がる。


「赤ッ髪……その霊剣使いの小娘はお前の女か」

「グリュクさん、やっぱりそういう関係だったんですか!?」

「違いますって!? 決してそういう関係じゃありません!!」


 フェーアの不穏な発言に思わず訂正を入れると、リーンは彼を睨んだまま告げた。


「どうでもいい、だが覚えとけ。今日はイグニッサを弔うために去るが……」


 その後ろに控えていた従者が、先ほどよりも巨大な青い怪鳥に変形し、リーンはイグニッサの亡骸を抱き上げてその上に飛び乗っる。


「俺はそのメスガキを必ず殺す……! そのグリゼルダ・ドミナグラディウムに、そう伝えろ!!」

「あなたの気持ちは理解できるつもりです。この子はあなたの友人の仇だけど……それでもそんなことはさせられない」


 グリュクはそれでも、去りゆく王女に告げた。

 たとえ激高した彼女が暴れ狂う恐れがあったとしても、それだけは表明しておくべきだと感じて。


「ならお前も、覚悟をするんだな」


 その台詞を残して、未だ揺れ止まぬ夕暮れの移動都市から、大きな青い鳥が飛び立った。

 リーンの前に立ちつつ警戒はしていたが、グリュクたちがリーンの相手をしている間に公園付近のファンゲンの妖族たちはとっくに撤退していたらしい。

 “心臓”への直通路の周囲で防戦していた移民請負社(ハダル)の妖族たちも、警戒を維持したまま周囲を確認し始めている。

 五分経ち、十分経ち。ひとまず、移動都市(ヴィルベルティーレ)の中枢を占拠されるという事態は避けられたと思っていいのだろうか?


「夜鷹さん、状況はどうですか?」

「えっと……うー、徐々に……? 撤退しているようです。ただいま我が社(ハダル)の使い魔ネットワークが若干混乱しておりまして……」


 ファンゲンの攻撃で死亡したり、戦闘の恐怖で知性化が失われて野生に還った使い魔もいるのだろう。グリュクにも先ほどまではフクロウの使い魔が付いていたのだが、彼はどうなっただろうか、それなりに心配をした。


「見極めは必要だろうが……これでひとまず、ヴィルベルティーレは移動を再開できるな」


 そこに、合金が舗装を叩く音と共にレヴリスの声が届いた。見れば少々足取りがおぼつかないながらも、こちらへと歩いてくる。


「リーン王女は、逃がしてしまったか」


 そこからばらり、またばらりと装甲が剥がれ落ち、それらが集まって銀灰色の鎧として一揃いの形状を取る。そしてそれが大気に溶けるように消え去ると、移民請負人は膝を突いた。

 社長、と、公園に配置されていた移民請負社(ハダル)の妖族たちが彼に駆け寄り、助け起こす。

 リーンとの戦闘で大きく疲弊した直後に、少数の仲間の援護があるとは言えファンゲンの増援部隊を一手に引き受ければ、当然だろう。


「う……移民に被害は無いな」

「ありません。それより社長、早く医務室へ」

「そうか……それと……その」

「シロガネさんは無事ですよ。ちゃんと転移で運びましたから」


 言い淀むレヴリスに、フェーアが優しく答えた。


「……ありがとう」


 本当はそのことを第一に訊ねたかっただろうに、移民たちの守護者であるが故の責任感から順序が変わってしまうのだろう。

 そういえば、移民請負人には娘はともかく今現在の伴侶がいる気配がない。その点に思い当たって少々戦慄しながら、グリュクはやはり自戒して、そうした思考を今は追い出すのだった。


「よーし、そのままゆっくり!」


 レヴリスの部下たちが行使する念動力場の妖術で、通路上の土嚢や鉄板が慎重に退かされてゆく。

 体のあちこちに打撲痕などの創傷が出来ているレヴリスは、部下たちに支えられてその縦穴をゆっくりと下降していった。さすがにグリュクたちが行使するような難度の高い重力作用転移ではなく、やや効率は落ちるが使いやすい念動力場の応用だったが。

 一方、グリゼルダ。彼の腕の中で気を失っている少女は、ぼろぼろになりながらも――両腕を縫合するので精一杯で、斬り合いで生じた細かな傷はそのままだった――生きている。

 ただ、流出した血液までは魔法術で作り出すことが出来ない。早く措置を講じるべきだろう。


「グリュクさん、私たちも」

「ええ。お願いできますか」


 フェーアは妖術を構築しながら、グリゼルダを支えるグリュクに寄り添うと――基本的にこうした術は、術の働く範囲を限定して消耗を抑えるための工夫が求められる――二人の肩に手をかけて呪文を唱えた。


「――落ちる時も優しく」


 彼らに働く重力が疑似的に和らぎ、体が文字通り羽のように軽くなる。フェーアに付いていた夜鷹の使い魔にも作用しているらしく、元々軽い作りだった鳥の体が更に重量を軽減されてばたばたと空中に浮きながら慌てていた。


「ひえぇー!? わ、わたしは大丈夫ですから、この術解いてください!?」

「ごめんなさい、そこまで器用には出来なくて……」


 グリュクは二人の肩を掴んでいるフェーアに代わってばたばたと狼狽する夜鷹の片足を摘んで引き寄せると、フェーアを促して穴へと踏み出した。三人と二振りと一羽で緩やかに縦穴を落ちてゆくと、下方から心臓室の照明が見える。

 それが随分と、グリュクに安堵を与えるのだった。

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