6.記憶増大
それから三十分ほど経ったか、グリュクたちの借りた部屋の一つで(男女三人で使うということで二部屋を借りていた)、彼は椅子に座らされて囲まれていた。
壁を背に不本意を隠すことなく腰掛けるグリュクを囲んでいるのは、白い耳を小さくゆっくりと上下させているフェーア、レヴリスとシロガネの父娘、そしてグリゼルダ。グリゼルダは、腰に下げた相棒以外に、鞘に収まったグリュクの相棒を切っ先の方を下に床に突いて両掌を柄に被せている。
そうして、久方ぶりにグリュクに対して対面するような場所に位置した意思の名を持つ霊剣が、魔女や妖族だけに聞こえる声を発してその主に語りかけた。
(意思の名の下に。吾が銘、ミルフィストラッセ……そして御辺の名はグリュク・カダン。吾が主なり)
そんなことは分かってる、と言い返す前に、グリゼルダが口を開いた。
「あなたはグリュク・カダン。霊剣使い。あたしはグリゼルダ・ドミナグラディウム。あなたと同じ霊剣使い」
(その下僕にして裁きの名の下に、霊剣レグフレッジ)
「フェーア・ハザクです。以前あなたに助けて頂きました。分かりますか?」
「そして俺がレヴリス・アルジャン――」
「娘のシロガネ――」
「あああぁッ、もう分かりましたから! 分かってます! 少なくとも今は! そうだろ、ミルフィストラッセ!」
矢継ぎ早に彼の正気を確かめようとするような問いかけをしてくる面々に苛立ちを隠せず、グリュクは喚いた。だが、既に三ヶ月を共にしつつある彼の口の減らない相棒は、そうした心境を意にも介さず要求してくる。
(しからば、名乗って見せよ)
「グリュク・カダン! 霊剣ミルフィストラッセの主だ!」
(霊剣ミルフィストラッセとは何か)
「お前だろ!?」
(ふむ。では御辺が先ほどまでどのような状態にあったか、という自覚はあるか)
「…………!」
グリュクは酒を飲んだことが殆ど無い。酒に高い税のかかる王国ではグリュクのように所得の危うい者には手の届かなかったこともあるが、何より彼は酒に弱く、多少は贅沢をと飲んで意識を失うことがあったためだ。
今の状況は、そうした時に覚えた記憶の欠落に似ていた。
「あなた、どのくらい支離滅裂なこと喋ってたか覚えてないの? スオーディア・テトラストール……なんて名乗ったりしてたわよ。気持ち悪い仕草つきで」
「気持ち悪かったんだ……」
「スオーディアって、霊剣を作った人の養女の名前だよね。レグフレッジの記憶だと、ミルフィストラッセを与えられて旅立ったってことになってる」
「あの……私もグリュクさんにそういう趣味があるのは否定しませんけど……」
「しゅ……!?」
グリゼルダの説明もそうだが、グリュクはそれよりも視線を逸らしながら呟かれたフェーアの言葉に衝撃を受けた。記憶が飛んでいるというのに、何やらこうも手酷く言われるようなことをしていたらしい。
(フェーア嬢、吾人と吾が主の名誉のために言明させてもらいたいのだが、あれは吐き気を催す“なりきり”などではなく、恐らくは記憶の増大で生じた一時的な混乱と思しい)
「記憶の……混乱ですか?」
「吐き気とかお前ホントに俺のこと主だと思ってる……?」
(先ほど、吾らは“心臓”の復旧のために気勢を上げた。吾人と裁きの名を持つ霊剣の内部に蓄積された情報、歴代の所有者たちの記憶も活性化したのだ。吾人たちの中に眠っている記憶は、脳の中の記憶と同様、外部からの刺激を受けて想起される。そして、主が存命中に得た記憶、思い出は、吾人たちの中にも流れ込んでくる。通常はそうしたやり取りしか行われてはいないが、今回はそれが、遂に逆流した! ……あぁ、少々話が長くなるやも知れぬ。聞きたいものは適当に腰掛けるべし)
ミルフィストラッセの薦めに応じて、既に椅子に座らされていたグリュク以外の全員が腰を落ち着ける先を探した。経過を省いて結果を記せば、一先ずグリュクをベッドへと追いやり、残りの四人で卓の椅子を引き出して座ることになった。
「(そこはかとない疎外感……)」
「要するに、気合を入れまくったらその拍子に色々混ざっちゃったってこと?」
グリゼルダの実も蓋もない例えに、裁きの名を持つ霊剣があくまで雰囲気だけ頷いて、述べ始めた。
(これは、我々の――といっても、私と意思の名を持つ霊剣とだけで形成した意見に過ぎないが――この七百年において、初めて確認された事例だ。私こと、裁きの名を持つ霊剣においては、未だに発生していない。感情の高ぶりに応じて接続頻度が上がることはあるが……自分の名前まで間違えることはない)
「君たちがそうした魔具であるということは理解したが……つまり、それはどういう事態に発展しうるという意味なんだ?」
レヴリスが促すと、両霊剣は数秒ほど黙り込んでから言葉を発する。
(……創製者を含めて三十六代に及ぶ吾が主の系譜においても、初めてのこと。このままでは何が起きるか分からぬとしか、言いようがない)
(可能性としては、このまま記憶の混線が本格的に大脳に及び、グリュク・カダンの自我が、三十人を越える歴代の所有者たちの記憶で塗りつぶされてしまうなどという事態も、有り得るかも知れない……)
「……!?」
推測を聞いて背筋が凍るが、グリュクが息を呑んでいる間にも他の者たちは話を続けた。
「それって、あたしとレグフレッジとでも起こり得ること?」
(……分からない。ただ、私の主たちはいずれも強固でごく限定された一点だけを、つまり復讐や仇討ちを目的として生きた者が多い。復讐の対象は全員が異なるから――)
「先代以前の記憶を自分のそれと誤認しにくいから、混線も起こりにくい……?」
(あくまで推測にすぎないけれどね)
それを聞いて、彼は更に打ちのめされた。つまり、グリュクが過去の所有者たちの記憶に押し流されるようになったという事態を招いたのは、彼自身の人生において何らかの強い目的が、その内に通った芯が無いからだということか。否定的な考えが止まらない。
グリュク・カダンは、本当は霊剣ミルフィストラッセの主としては、全く不適格なのではないか?
自分から望んで主となった訳ではないはずだが、いつの間にやら厚かましくも、彼の主であることに執着するようになったのか? 何とも見苦しい生きざま、いかにも見苦しい死に損ない――
そんな泥沼の自己嫌悪は、扉を叩く小さな音で破られた。
「社長、緊急です」
「分かった」
ノックの直後に扉の向こうから聞こえてくるやや低い女の声は、何度か姿を見かけたレヴリスの秘書だったか。
「すまんが、移民請負社の会議だ。戦力と頼む以上君たちにも出来れば参加して欲しいが、いいかな」
グリュクはそう訊かれ、やや憔悴しつつも立ち上がる。
「……大丈夫です。二人は……?」
「あたしは是非。ただ、ちょっと頼みたいことがありますけどね」
「私も、何か力になれることがあれば……」
承諾しつつ、二人がグリュクへと気遣いの視線を向ける。記憶の混乱について言葉をかけてこないのは、優しさか、気まずさか。
しかし、それなりに道中を共にしたフェーアやグリゼルダならともかく、会話を交えたことさえないはずのシロガネまでもが心配そうにこちらを案じてくれているのが分かってしまうのが、今の彼には辛いことだった。
香辛料の匂いが黄色い森を漂い、食欲を刺激する。それに釣られて、思わずイグニッサの腹も鳴った。
彼女は装備の点検整理を終えて天幕の下で椅子に腰掛け、行商人から買った紙装本を読んでいた所だ。装丁は綻びやすく、内容は古典を写しただけ。しかし軽く安価で嵩張らないという点を、イグニッサは何よりも好んでいた。
しかし何度目かを順調に読み返していた所で、リーン(とその従者)も近くにいるというのに、いつに無く盛大に空腹音が漏れてしまった訳だ。隊の担当者たちが食事の準備を進めているのだ。
従者を相手にファンゲンの誰かから借りたらしい札遊びをしながら、リーンがイグニッサに話しかけてくる。
「なあイグニッサ」
「腹の音については不可抗力だよ」
「え、いや良い匂いだなって言おうとしたんだけどよ」
「……そう言えば、二人は食事はどうするのかな」
「…………その分暴れるから前借りって事で罷らねぇ?」
「……まぁ、誰も文句は言わないと思うけどね」
「そか。ってオイ、アーノルド! てめぇババ寄越すなよ!?」
「恐れながらお嬢さま、最初に手加減はするなとのご命令を――」
「うるせぇッ!! ……なあイグニッサ」
「……何かな」
「あいつら誰だ」
リーンが指差すのは、垂れ幕の向こうにやってきた妖族たちの隊列だ。見ればそれぞれに武器を携え、余計なことを喋るでもなくしっかりとした足取りで、木々の間に張り巡らされた天幕の間を進んでいた。
イグニッサは、再び本に目を落として頁をめくりながら答えた。
「増援だよ。以前別行動を取るために分離したファンゲンの別隊が、ようやく合流できたんだ」
「じゃあ、さっきの攻撃は合流前に仕掛けたのか。合流してからにすりゃあ良かったのに」
「今回の仕事のために呼んだ訳じゃあ、無かったからね。それに、首領はスポンサーに報告するには一隊で攻略する方が印象がいいと判断したのさ。吸魔の杖で移動都市の動きを止めることが出来たから、精鋭でレヴリスさえ押さえ込めれば行けると踏んだんだろう」
その判断も、偶然か采配か、あの魔女の剣士たちの加勢がなければ吉と出たかも知れない。結果的に、レヴリスを抑えるべきイグニッサは魔女たちを相手に味方の被害を局限するのに精一杯で、人数も減っていた主力はレヴリスを始めとする移民請負社の戦闘隊の反撃を支えきれずに撤退してしまった。
今となっては後知恵だが、もしリーンや増援部隊の加わったこの陣容で次の作戦が決行できるなら、どうだろうか?
「ふーん……ま、増援の連中は知らんが、俺が来たからには大船に乗ったつもりでいろよな。レヴリスも、魔女の剣士とかいうのもまとめてブッ散らしてやるから、お前らは他の雑魚を抑えておきゃあいい。奴らも攻撃が収まったと思って緩む頃合いだろうしな!」
レヴリス。先ほど団長に引き合わせた際、リーンが語った参加の動機が、その移民請負人だった。
リーンが狂王の一族の命を狙っているというのは妖魔領域における公然の事実であったから、レヴリス・アルジャンがそこに連なる存在ではないかという推測は、彼女がレヴリスを殺すためにファンゲンに協力すると宣言した時点でそれは確信となった。
“移民請負人レヴリス・アルジャンは、狂王の子孫である”。
魔女なので寿命こそ百年未満と短いが、狂王は基本的に廃嫡をしないので、それでも彼にはその気になれば数十番目という狂王位の継承権が存在することになる。これ以上ややこしい事態にならないことを祈りながら、イグニッサは本にしおりを挟んで立ち上がった。
「面通しだけでもしておかないとね。私は増援の連中と会ってくるよ。会議があるかも知れないが、結果は知らせるから、どこかで待っていてくれても――」
がば、と立ち上がった反動で白金の髪が暴れ、リーンは差し出された従者の手に遊んでいたカードを預ける。
律儀にカードの絵柄を順番に揃え始める従者を背景に、彼女はイグニッサに要求してきた。
「俺も出るぞ、いいだろ」
「構わないよ」
尤も、何も言わずとも誰かしらが案内に寄越されたことだろう。万が一にもリーンの機嫌を損ねるようなことがあれば、妖族の兵団とはいえ蹂躙されかねないほどの強さを持つのが狂王の一族と言うものだからだ。そうした超絶的な戦闘力という点では、あの銀灰色の鎧をまとったレヴリスであっても敵うまい。
三人は木々の間に張られた幕の下から出ると、イグニッサの案内で会議に使う小さな天幕――森の中と言うこともあり、また見つかりやすくもなるので多数を収める広さのものは作れない――に向かって歩いて行く。
自分の無造作な足取りに比べてリーンやアーノルドの歩き方は洗練されており、イグニッサにはそれが、羨ましくも思えるのだった。
移民請負社ハダル、彼らに移民事業の護衛や各種手続きの補助を依頼した移民団。
レヴリスに連れられてグリュクたちはその会議にも臨席し、“心臓”の復調の報告、今後の展望、そして“非常勤務員”としてレヴリスが霊剣使いたちをスカウトしたという――そうした表現については特に異論は差し挟むまい――説明などが行われ、特に何事も無く解散となった。無名の魔女二人に若い妖族の娘という、傍から見れば心もとないにも程があるような戦力で納得を得たのは、彼らが“心臓”復旧の立役者となったこと、またレヴリスの実績や人柄による所も大きいのだろう。
そして、グリュクたちは再び別所へと移り、レヴリスと共に打ち合わせをしていた。
「霊剣使いの二人については、連絡用の使い魔を付ければ遊撃を任せても問題が無いと考える。フェーア・ハザクくんについては……戦闘は不得手との事だが、何か得意な妖術などはあるかな」
「え、ええと……得意不得意もまだというか、その」
胸の前で手を絡めて言い淀むフェーアだが、急激にその耳が頭頂を超える高さまで跳ね上がったかと思うと、
「ご、ごめんなさいっ!!」
彼女は恐るべき早さで妖術を構築し、煙のように消え去ってしまった。
唐突すぎて何が起こったのかを把握するのに難儀したが、落ち着いてフェーアの立っていた場所の床を観察すると、そこには一対の触角を持った、黒い楕円形の昆虫がかさかさと這っているのが判った。ゆっくりと動く髭が、所在なさげに反省しているようにも見える。
(……こうした昆虫を得手とするものはなかなかいまいが……)
「もしかして……ゴキブリに驚いて転移を使ったわけ?」
意思の名を持つ霊剣に続いてグリゼルダがその推測を口にすると、彼らのいる部屋の扉が外からがちゃりと開いた。相対座標間転移の妖術で黒光りする虫から部屋の外へと逃げ出した妖女が、申し訳なさげに顔を出す。頭が通るぎりぎりの幅で扉を開いているので、それに妨げられた耳が後ろの方に追いやられていた。
「……技術の無駄遣いすぎ」
「すみません、取り乱してしまって」
「…………いえ、悪い訳じゃなくてですね」
グリゼルダの呻き声に陳謝するフェーア。下手をすれば奇行となりかねない彼女の所作に、今回はグリュクもそう唸るしかなかった。
数メートル単位で行う短距離転移は技術的に非常に難しく、やったことだけを見れば、彼女の妖術の錬度は霊剣使いに匹敵するだろう。足元の虫に驚いてほぼ反射的に発動したという点を考えれば、ある意味では遥かに凌駕している。
レヴリスはと言えば、呆れた様な、感心したような表情で感想を口にした。
「ゴキブリから逃げるのに妖術を使うという発想は無かった」
「……き、消えてしまいたい……」
フェーアが赤面しつつも声を細めて萎縮すると、耳がすっかり垂れ下がり、頬に触れんばかりとなる。
擁護すれば、部屋は宴会が出来るような広さではなく、反射的に飛びのいてそこから逃れようとすれば調度やグリュクたちにぶつかる可能性があった。そうした点も考慮して、しかし反射的に短距離転移の妖術を構築して発動したのだとなれば、その技術をフェーアの脳へと残して逝ったエルメール・ハザクとは、術者として総括的にはどのような使い手だったのか。
扉の隙間から出した顔を引っ込めようとする彼女をその場の全員で引き留め――黒い昆虫はその後、小さく生成した念動力場で扉の外に放り出しておいた――、移民請負人はわざとらしい笑い声を上げてそれを誤魔化すと、右手の人差し指を立てた。
「その技術を生かさない手は無いな。君に頼みたいことが決まったぞ」
「……?」
レヴリス・アルジャンがほくそ笑むと、怪訝そうな表情のフェーアの耳がやや大きく上下に振れた。
グリュクが嫉妬の眼差しを隠すことに必死になっていると、その場にいる全員の魔女の知覚に急激な感が走り、こつこつと扉を叩く小さな音が鳴る。
「今出る」
そういって入り口に歩みよったレヴリスが取っ手を掴んで扉を引くと、彼は直後に猛烈な勢いで飛び込んできた烏や椋鳥、夜鷹の群に慌てて跳び退いた。そして、部屋を倦め尽くさんばかりの勢いで飛び交う使い魔たちにあっと言う間に囲まれる。
「社長! 緊急です!!」
「ファンゲンの攻撃が!」
「どこかで増援と合流――」
「至急指揮所に――」
「わ、分かった! 分かったからつつくな! 痛って! どいつだ今俺の尻つついた使い魔は!?」
肩や頭に止まられ、周囲や上空を旋回される移民請負人の少々情けない姿に、グリゼルダが悪寒を覚えたようなうめき声を上げる。
「うわぁ……」
(……自分の会社の各部署から一斉に連絡用の使い魔を放たれたようだな)
「大変なんですね……」
「それより、ファンゲンが? 増援だって……?」
「と、とにかく指揮所に急ぐ! 君たちも、配置と指示を伝えるから来てくれ!」
そう告げると、鳥たちにまとわりつかれつつ、レヴリスは扉を出て走り去っていった。
グリュクたちなら魔法術で転移をする所だが、いかにレヴリスが天から二物も三物も与えられたような男とはいえ、座標間転移は扱えないのだろう。扱えるグリュクたちは逆にヴィルベルティーレの内部の構造を殆ど知らず、この場合は徒歩で移動するしかない。
「(あれなら見失う心配はないか)」
羽毛の群を後に引いて駆け足に角を曲がるレヴリスの姿を見て、グリュクは少々薄情にそんなことを考えた。
そこから遡ること三十分ほど前、増援が到着し、戦闘能力としてはこれ以上を望むべくもないリーン元王女の参戦もあり、ファンゲンでは攻撃の準備が急速に進められていた。増援の別動隊の士気も到着時点でさほど低くはなく、リーンの存在を知ってむしろ旺盛になったほどではあったが、イグニッサにはどうも、その空気に馴染みきれなかった。
数時間前に移動都市から強烈な魔力線の輻射が観測され、詳しい者の見立てでは動力炉が復旧した可能性があるというが、それが原因ではあるまい。
ファンゲンの仲間たちにはある程度の愛着はあるが、それもここ数ヶ月の話であり、例えこの任務に失敗してファンゲンの傭兵部隊としての信用が揺らいだとしても、客分に過ぎないイグニッサの腹にさほど痛むところはないのだ。
もちろん、全力を尽くす気ではいるが。
「(作戦通りに行けるのかな……)」
先ほどの打ち合わせでは、リーンが移民たちの希望の星であり移民請負社の部隊の統率者でもあるレヴリスを討つ。
そしてイグニッサを含めた戦闘力に秀でた精鋭が、どこかに潜伏していたらしい剣の魔女たちを攪乱し、殺害か無力化、もしくは中枢部から引き離す。
すでに位置は見当が付いている食料庫を破壊、動力炉を制圧してしまえば――これはファンゲンの当初からの目標だが――、移民団の妖族たちは旅を続けることが出来なくなるだろう。
無論、レヴリスにリーンを翻弄、封殺され、イグニッサたちは魔女の持つ剣の未知の作用で全滅――などという最悪の可能性も想定できなくはなかった。だが、元王女であるリーンの要請には逆らえない。
概要自体は至って順当な挟撃作戦となっている。開始時間まで三十分を切り、ほとんどの兵は配置に付こうとしていた。
この期に及んで、イグニッサは不安だった。少し離れた場所から聞こえてくる脳天期な呼び声が、それを加速する。
「ようイグニッサ! いるかー」
「いるよ」
作戦が始まれば別行動となるが、それまでイグニッサはリーンに割り当てられた天幕に居場所を移されていた。既にイグニッサが公然と“リーン係”のような扱いをされていることに対する不満もあったが、何故かもっとも気を許されているのが彼女なのも事実だ。
リーン係か。自嘲しつつも、彼女はこの美しくも歪んだ復讐者が嫌いにはなれなかった。性格はともかく、外見と所作から滲み出る高貴さには憧れる所さえあると言っていい。
「邪魔するぞ」
「失礼」
やはり扉などは無いので、白い手袋をした男の腕が幕を除けると、そこをくぐって粗暴な美少女が入ってきた。
「何かな、リーン」
「ちょっとな、一対一で渡したいもんがある。手土産ってやつだ」
続いて、従者も入ってくる。一対一と言ってこの場に入れるのはどういう扱いを受けているのか少しばかり気になったが、彼は特に何も言わず、主人の言葉に応じてどこかから細長い包みを取り出した。
リーンはそれを受け取ると、そのままイグニッサに渡してきた。包み布の上からでも、ある程度は見当が付く。剣だとしたら、柄尻から切っ先までが片腕程度の長さの標準的なものだ。
「開けてみな」
言われるままに紐解き布をはだけば、予想通り、鞘に収まった剣が現れた。布を片手で適当に畳んで卓に置き、リーンたちの方に向けないようにして鞘から抜く。天井に向かって、冷たく鈍い輝きを持った、紅い刃がそそり立った。
「これは……!?」
そこから掌と第六の感覚を通して伝わってくる感覚に戸惑う彼女を、爆弾王女はいたずらを成功させた子供のようににやにやと眺めていた。
実際にいたずらなどをされた訳ではなく、手にした物への驚きだ。更に言えば、未知の物だから驚いているのでもない。その深紅の表面のすぐ裏側には、地獄の炎が途切れることなく爆ぜ続けている。
「ヨムスフルーエン」
リーンの発したそれが、確かにその剣の銘らしい。イグニッサはリーンとその従者の方に振り向くことも出来ず、戦慄しながらその暗色の刃を凝視していた。
「狂王の王子の宝物庫からブッこ抜いてやった逸品だ。こんなナリだが、その手の大鑑には必ず銘が載ってやがるらしい」
知っている。学者や剣鍛冶どころか、イグニッサのようなしがない傭兵業に身を置く女でさえ知っている。
装飾の殆ど無い、しかし禍々しい業物。その剣身からは火焔を放ち、放った炎は使い手の意志によって自由自在に操れる。規模や形状はおろか、燃える時間も命令可能という。
ただ、彼女のような、魔力をあまり用いず隠密と奇襲によって敵を倒す流儀の兵にとっては正直に言って、相性が悪い。それとも――
「(火計をやれと言うのか……?)」
「邪魔する手土産にと思ってな。誰にやってもいいと思ってたんだが……お前になら使わせたいと思えた」
ファンゲンも、理性的な兵ばかりではない。せっかく指名して渡してくれた物を、魔具の扱いに慣れない団員に使わせて下手に味方を巻き込んで焼いたり、ヴィルベルティーレの内部を大きく傷つけて使用不能にしてしまう事態になるよりは、彼女が持っていた方がいいだろう。復讐者となったあの黒髪の少女から、身を守る手段になってくれるかも知れない。
「ありがとう。有効に使わせてもらうよ」
「任せたぜ。俺は今は、レヴリスの野郎の首が欲しいだけだからな。奴の始末の邪魔だけはするんじゃねぇぞ。アーノルド!」
「はい、お嬢様」
「どこへ?」
きびすを返して外へ向かおうとするリーンを呼び止めるが、彼女は少々面倒そうに、振り返らずに首の横で手を振って答えた。
「散歩だ散歩! 作戦開始までには戻らぁ」
「なぜ私にこれを」
「実力相応と思っただけだ」
「……そうか」
更に食い下がると彼女は怪訝そうな庫をしていたが、一瞬左右を確認するように首を振り、こちらを向いた。視線はこちらから少しずれているが、左右に結んで下げた白金の髪が、ゆるやかに一対の螺旋を描く。
「…………お前から、他人だっていう匂いがしなかった。ぶっちゃけて言やぁ、復讐者だったことがあるんじゃねぇかと思ってな」
「……!」
イグニッサは彼女のことを粗暴で哀れな過去を持つ王女だと思っていたが、彼女はそれだけでは無かった。他者を見ただけでその素性を見抜く、王者の一族に相応しい眼力を持っていたのだ。彼女のことを突撃性の炸薬だと思っていた己を、イグニッサは少し恥じた。
「そんな陰気な誼で物をやっちゃあ、悪ぃと思ったんだが……まぁいいさ。そんなきっかけだろうと、お前のことを気に入ったのは事実だ」
「リーン……」
「それに、火に炎の剣、なんてのは、組み合わせとしちゃお似合いだろ?」
「……ありがとう」
「ふん」
鞘に刃を収めて言うと、リーンは小さく鼻を鳴らして再び向こうに直り、従者と共に去っていった。あとにはしばし、不思議な余韻が残る。
リーンには知る由も無いだろうが、”イグニッサ”とは、父の付けてくれた名だった。それに似合う銘の剣をくれたのはさすがに偶然だろうが、少し、感じ入る何かがあったことは否定できない。
「(……そろそろ作戦の時間なんだけどな)」
リーンとて時間は守るだろう。イグニッサは腰の帯の余った部分で炎の剣を、ヨムスフルーエンを腰に帯び、そしてそのまま、幕を出て彼女の配置へと歩き始めた。
そして今、彼女はリーンや他の兵たちを囮に極少数で移動都市の心臓部を目指していた。彼女を含めて五人、どちらかといえばファンゲンの中でも少数精鋭の者たちが主で彼女は露払いだが、陽動は順調に行っているのか未だに障害らしきものは無い。森林迷彩である細かく微妙に異なる色合いの黄色で染め上げられた模様の衣を脱ぎ捨てると、その下には暗い灰色の都市迷彩。
目指すは食料庫だ。そこを破壊してしまえば、ヴィルベルティーレに存在する草木や小動物程度の栄養源しかなくなり、移民請負社は降伏するか、ファンゲンの勧告通りに移民中止を宣言せざるを得なくなるだろう。死に物狂いで抵抗されては増援も到着したとはいえ数の少ないファンゲンにとっては不利なので、殺すにしても最小限にしなければならないという制限つきだが。
とにかく彼女たちは、妖樹の林を抜けて内部への侵入路を目指していた。公園に開いた穴は今頃塞がれているかも知れないが、まずはそちらを。
音も小さく裏通りを進み、先頭を行く班長が手振りで合図をした時点で二手に分かれた。イグニッサは班長ともう一人の兵と共に右手へ、より身軽なもう二人がそのまま進んで公園の裏口側から穴へと向かい、陽動とする。警備の注意がそちらに向いた所で、妖術に秀でた班長ともう一人が挟撃して排除する。
そこまで考えて公園に近い距離で、一旦止まる。班長も手振りで停止を指示するのはさすがだ。第六の感覚に引っかかるのは、公園に居る何者かの気配。やはり警備者がいるか、イグニッサたちは気づかれていないようだが、ここは分かれた側の二人が陽動をかけてくれるのを待つほうが賢明だろう。
そして、一分と経たない頃、
「来たぞッ、ファンゲッ――!?」
警備の者の断末魔か、陽動が始まったらしい。班長の合図を確認して、イグニッサたちも走り出した。
公園に入ると散開し、それ専用の細い短剣を投擲。班長ともう一人は小さな妖術を構築して放ち、それぞれが反対側に注意を向けている警備の妖族たちに着弾――
「護り給えッ!!」
――しなかった。よく視れば、妖族の中に魔女が一人混じっている。
「(赤い髪の魔女剣士!)」
急激に展開される薄灰色の、魔法物質の防御障壁、その向こうにいたのは、先だって刃を交えた魔女の青年だった。レヴリスの手配した助っ人にしては、ここ数日のうちに何処かから呼び寄せられた様子は無かった。ましてや切り札として移民行程の最初から潜んでいて、ヴィルベルティーレが行動不能になってから慌てて出してきたという訳でもないだろう。あの黒髪の少女も含め、不可解な戦力増強。
「(まぁ、それはこっちも同じか)」
味方の増援とリーン(と、その従者)に、彼女がくれた魔具剣。どこまでこちらの作戦に利することが出来るか。名も知らない魔女の剣士が腰の剣を抜くと、イグニッサも紅い炎の剣を抜いた。ここでその威力を十全に生かすことは難しそうだが、とにかくやってみるしかない。この剣に、向こうの異常な鋭さの得物で簡単に切り落とされない強度があればいいのだが。
イグニッサは短く祈ると、小さく息を吐いて土を蹴った。
「(非は私に……理はあの黒髪の娘に……父さん、私はどうすればいい?)」