5.ハート・アンド・ブレーズ
実物を見た方が早いということで、グリュクたちは町の中心から少し離れた場所にいた。正確には、町の中心から下方に少し離れた場所、地下七階ほどに相当する深さ。
ヴィルベルティーレの保守管理見習いをしており内部構造に詳しいというシロガネを先頭に、その父親のレヴリス、次いでグリュクたちの順で内部を進んでいた。四方を岩に囲まれた下方へ伸びる空間を、鋼鉄で作られた骨組みのような階段を叩く複数の足音が下ってゆく。降り切ると、今度は長い直線の通路に出た。
通路は上下左右の壁を全て鉄板で覆われており、時折設けられた換気口から上部に住んでいる妖族たちのものらしい声が聞こえてくる。床の左右にはかなり深い排水溝も走っていたが、降水があってもここから外部へ排出されるか、非常用水としてどこかへ溜め込まれるかする作りになっているのだろう。
そのような設備を、ここ以外にも複数備えているであろうこの岩山が、動く。グリュク自身にはそれが信じがたかったが、霊剣の中にはそうした事物の記憶も残っていた。
成程、足元の岩山自体が動くのならば、分解組み立ての容易な住居を使用する必要も無く、一つの移民が終われば次の移民希望者たちが街を使用するということも可能だろう。
「ヴィルベルティーレは……先日ファンゲンの使った魔具のせいで不調なんです。心臓部に使われている霊峰結晶からの出力が安定しなくて」
「その魔具は?」
「この先にあります」
グリゼルダの問いに少女が指し示した先、やや広くなった通路の奥に両開きの扉があった。シロガネががちりと重々しい取っ手を押し下げて開くと、そこには上方からの光に照らし出された巨大な物体が鎮座している。
「あれが心臓となる機関です。私たちはそのまま“心臓”と呼んでいます」
心臓と呼ばれた巨大な機械的な物体から、一つ、二つ――合計四つの巨大な管らしきものが放射状に配置されて、そのまま壁の中へと突入している。
恐らく、霊峰結晶からの強力な魔力線の輻射を一定の効果の術に自動的に変換する魔具があるのだろう。この巨大な山が動くということは、重力を偏向させる術か、強力な念動力場でも発生させるのか。ただいずれにしろ、霊峰結晶を使っているということは、目の前の巨大な岩石機械は時計塔や霊剣と同じ本質の物ということになる。その微弱な魔力を感じて、霊剣が反応しているのが気にはなった。
そのままシロガネに案内されて一行が中へ進むと、グリュクは違和感に気づいた。
「自然光……?」
地下室にそぐわない眩しさは、上部に開いた孔から差し込んでくる太陽光によるものらしい。手で目を守りながら見上げると、四角い天井板がいくつか取り外されて太陽が覗いていた。
“時計塔”の地下にあった予知室と異なり、どちらかというと上下に広く作られた空間の吹き抜けのようになった構造。その中心に、磨き上げられた石材を組み合わせたような、しかし周囲に足場や配管を備えた機械然とした威容が収まっている。魔女の知覚には、それがどうやら不規則に、少しばかり弱弱しく胎動している様が窺えた。
フェーアも驚きながら、耳で庇を作って天を見上げている。
「地下にこんな場所があったんですね……」
「あの天井は?」
「先日のファンゲンの攻撃で空けられました。死傷者は出ませんでしたが……照明器具も一緒に破壊されたので、崩れ落ちそうな部分だけを撤去して……資材を新しく購入して復旧の目処が立つまでは、日中は明るさを確保するために開放しています」
「あいつらを何とかしないことには、外から商人を呼んで資材を買うわけにも行かなくてね。それも君たちに協力を依頼する理由の一つだ」
強力な妖族の傭兵団に狙われた移動都市が釘付けにされているという事態にもう少し苛立っていても良さそうなものだが、このシロガネという魔女の娘はグリュクたちの質問に嫌なそぶり一つ見せずに答えてくれ、またそれを父親であるレヴリスが補う。
「で……魔具はこちらです」
少女の案内に従い、一行は金属材を組んで作られた階段を上っていった。家屋で言えば五階か六階に相当しそうな高さを登ると、ようやく“心臓”の頂上部分に出る。
「機関長!」
そう声を上げたシロガネの視線の先には、一人の妖族がいた。作業服を着ているが全体的に毛深く、あご髭や首筋などから所々はみ出た白い毛がヤギを思わせた。
「シロガネ、レヴリス。そちらはお客さんかな」
「ええ。先ほど、逃がした者たちの保護を手伝ってくれました」
「それはありがとう。私からも礼を言うよ、ヴィルベルティーレの機関長を務めるブリッシ・トッケンブルクだ」
「よろしくお願いします」
外見での判断は難しいが、恐らく人間に換算すれば六十代前後。声には老いが差しているものの、まだまだ五感も舌も鈍ってはいない印象だ。グリュクが挨拶を返すと、今度はレヴリスが、そのヤギに似た機関長とやらに話しかける。
「丁度良かった、おやっさん。すまないが彼らの紹介は後にして、まずは“心臓”に刺さった魔具について説明してもらえますか」
「おう、これな」
そう言われるとブリッシ機関長は、先ほどから見ていたらしい物体を指し示した。鋼鉄製のような色合いの、鈍く光る儀仗。それとも剣だろうか?
頭を上に石突が刺さっていると思えば杖に見えるし、刃を下にした、柄尻のやや大きな刺突用の直剣だと思えばそう取ることもできる形状の物体だった。既に四方を赤く目立つ看板に囲まれており、さらに黄と黒の縞模様の帯で駄目押しの警告が為されている。
「一週間ほど前か、どうやって“心臓”の位置を突き止めたかは知らんが、この天井の大穴を開けられて、瓦礫を撤去した後にこうして残ってやがったのがこいつだ。レヴリスを含めてハダルの誰も知らん魔具のようだが、こいつのせいでヴィルベルティーレが動けなくなってるっていうのは確からしい。見ての通り、魔力線を吸収する機能があるようだ」
“見ての通り”とは、魔女や妖族に共通する第六の、魔力を読む知覚について言っているのだろう。
グリゼルダが、指で顎を撫でながら呟いた。
「今まで壊してないってことは、壊せないわけね」
「やたらと頑丈で、どうやら根っこのようなものを伸ばして“心臓”内部のかなり深いところにまで食い込んでいるらしくてな」
「しかも、移動都市であるヴィルベルティーレを動かせる魔力線を一週間吸収しつづけている強力な魔具だから……下手に壊せば、魔力線爆発で周囲の生き物の神経が灼き切られる可能性もあるってことか」
グリュクがそう分析すると、レヴリスがそれに答える。
「ただ、魔力を蓄積するものらしいということは分かっている……つまり、魔力線の届かない場所で術を使いたい場合や、強力な妖術使いが大量の魔力を必要とする術を扱いたい場合に有用なものだろう。当然、吸収できる量には限度がある」
「いつかは杖が魔力線の吸収をやめて、“心臓”の出力が回復する?」
「……今ンとこ、そうなる気配が全く無い。あと一週間やそこらでは止まらんだろうね」
「俺もおやっさんと一緒に色々試してはみたんだが……この通りだ」
グリゼルダの推測に、レヴリスと機関長が両掌を天に向けて肩をすくめる。
もし杖を破壊して魔力線爆発が起きれば、変換小体を含んだ神経の塊である脳が真っ先にやられ、近い距離にいた魔女や妖族は即死。変換小体を持たない純粋人ならば可能性はあるが――全くの余談になるが、魔女に覚醒する前のグリュクならば多少の頭痛程度で耐えられたかも知れない――、妖魔領域という場所では探しても見つかるものではない。
仮に何とかして連れて来て重火器を与えて杖を攻撃させても効果が無いどころか、“心臓”を必要以上に破損させる恐れもある。
またそれを実行するにしても、妖魔領域にいるかも知れない奇特な純粋人を探している間にファンゲンが移動都市を占領してしまうだろう。天井を破壊して“心臓”までの直通路さえもを開いておきながら動力源である“心臓”そのものを破壊していないということは、彼らもこの巨大な移動施設に利用価値を感じ、あわよくば自分たちの戦力などに欲している可能性がある。
「つまり……まー何でもいいからヴィルベルティーレを動けるようにすることが勝利条件な訳ね」
「そういうことになる。先ほどの話の続きになるが、そのためにも、俺は君たちと、正式に契約をしたい。ヴィルベルティーレが動けば、攻撃をされるがままの現状から脱却できる」
「…………」
不意にグリゼルダの方を見ると、彼女が目配せをしているのが分かった。小さく頷くと、彼女がレヴリスに話しかける。
「レヴリスさん、ちょっと三人で話しておきたいことがあって……どこか部屋を借りられますか」
「客室を案内させよう。少し待たせてしまうが、いいかな」
「構いません。グリュクもフェーアも、それでいいよね?」
その提案は穏やかに見えるが、有無を言わせない強制力のようなものを秘めている気もした。
「それじゃあシロガネ、とりあえずお客を空き部屋に案内しておいてくれ。俺は各部署を集めて対策をまとめなきゃならん」
「わかった。みなさん、こっちです」
「お三方、契約についても、結論を出しておいてくれよな!」
「あまりお待たせしないようにはします」
グリュクがそう告げると、請負人の娘を含めた四人は金属製の階段を降り始め、レヴリスと機関長は反対側にあった階段を降りていく。
案内されたのは、地下の一室だった。
窓などは無く、調度も寝台や椅子、卓などの宿にあるような最低限の種類しかないが、それでも内装などを含めた全体的な雰囲気は、先ほど招かれていたレヴリスの家に良く似ていた。いよいよ地上の町並みが危ういとなれば、移民者たちがこちらを使うこともあるのだろうか。
だが、岩盤や金属による遮蔽のあるここならば。
「……ここなら、話をしても大丈夫そうだね」
(うむ……正直、また意識が混濁してくるかと思い始めた所也)
(君は半世紀ほど祠に収まっていたそうだね……私はそういう目には遭いたくないな)
「はい、無駄話終了! みんな聞いて、霊剣たちと、あの“心臓”のことよ」
グリゼルダの一声で、沈黙を解かれた霊剣たちも特に減らず口を叩くことなく静まり、グリュクがフェーアと揃って頷くと、黒髪の魔女は言葉を続けた。
「グリュクはもう似たような結論を出してると思う。あの“心臓”の中枢と、あたしとグリュクの相棒たちとは、同じ素材で出来てるよね?」
「ああ。二振りの霊剣が歩調を合わせて共鳴しあえば、“心臓”の出力を一時的に上げて、魔力線の放射量を増やせば……あの杖を急速に飽和状態にしてやることも出来るかも知れない」
「壊せば魔力爆発を起こす可能性もあるけど、限界まで魔力線を供給してやれば吸収機能が停止するだろうっていうのは、あの機関長さんが言ってた通り。それで……問題はそこ」
そこまで喋って、グリゼルダは言い淀む。その懸念は分かっていた。
一時的な“心臓"の活性化、“吸魔の杖”の停止。霊剣とその主が二組揃っているのだから、可能だろう。だが、それには霊剣の素性を多少なりとも移民請負社に明かす必要がある。少なくとも、レヴリスや機関長に対しては説明しなくてはならない。
「霊剣狩りのことは……レヴリスさんを信じるしかないよ。君だって裁きの名を持つ霊剣の記憶と経験を受け継いでるんだから、彼が霊剣を欲しがったり、その情報を売ろうとするような人じゃないことは分かるだろ?」
「それは分かってるってば。ただ、ちょっと……移民団が逃げ切れちゃうのも、あたしにとっては問題があって……」
「……レヴリスさんには、聞かれたくないんですね」
「…………うん」
フェーアの指摘に、グリゼルダは小さく肩を落とす。合流した時の不可解な様子といい、その態度の理由はフェーアの手首についてではないのだろう。確かに、「あなたの移民が安全になると困るんです」などとは言えまいが。
「家族の仇が、ファンゲンにいるの。何としても自分の手で殺したい、仇」
「仇……?」
グリュクにとっては唐突な単語だった。仇。
生まれた直後に父を王国に殺され、母を改造兵士に変えられたことを知り、育ててくれた義父すらも政争で失い、同じ国の兵士になってまで生き延びようとしたがそれも果たせず、母国の教義の敵となった。
そうした情けなさ、不甲斐なさの極北にあるグリュクのような男にとって、無縁な言葉。
付き合いはさほど長くもないが、グリゼルダ・ドミナグラディウムは端的に言って善良な娘だ。多少乱暴なところや強引な性質はあるが、それでも悪事や卑劣さを嫌い、グリュクやフェーアに協力してくれる、強く勇敢な魔女剣士。
その彼女が、拙くも自分へと好意を寄せてくれている活発な少女が、そうした過去を、復讐という動機を持っていたことに、率直に言って驚きを禁じ得なかった。
霊剣についてがレヴリスたちに知られることを懸念していると思っていただけに、尚のことだ。
「両親と姉の仇よ。その復讐のために、師から裁きの名を持つ霊剣を受け継いだ」
(虐げられし力なき者に、復讐の刃を与えるべし。世代を重ね、その刃を研ぎ澄ますべし――それが、我が創製者の願いだ)
グリゼルダの相棒が、彼女の後に続いて述べる。
その台詞は、親の仇を討とうと言う気も起こせず、それどころか自分の命惜しさに剣の誘いに乗った――ミルフィストラッセがその思考を読んで憤っているのが伝わってくる――グリュクを、間接的に責めているかのようにも聞こえてしまった。
無論グリゼルダにはそんなつもりはないだろうが、グリュクには過去を打ち明ける彼女が、御幣を恐れず言えば眩しく見えてならなかった。
「移動都市が復活すれば、追撃隊は移民団の追跡を諦めるかも知れない……仇を殺す機会を逃すことになる!」
「それは……」
「八年探して、やっと見つけたの! これを逃したら、どこかに逃げられるかも分からない……さっきお互いに顔を見てるから、もしかしたら、もう!!」
それほどの執念か、グリュクは自分と同じく人格を持つ剣を相棒とする少女の、初めて表す激情に目をみはった。
「フェーアには悪いけど、最悪あたし一人で敵に殴り込みをかけるつもり。邪魔だけはしないで」
「……あの、グリゼルダさん」
「……何」
おずおずと言い出すフェーアを見るその目は、端的に言ってしまえば「復讐について説教でもするつもり?」と詰りたげにも見えた。だが、フェーアの告げた言葉は、少なくともグリゼルダの想定とは違っていたようだ。
「あなたがどのくらい真剣なのか、分かるつもりです。人を恨むって言う気持ちは、私にだってありますから……だから、復讐するって言う決心に、どうこう言う気はありません」
それは恐らく、慕っていた大叔母に文字通り人生を奪われかけたことについて言っているのだろう。もしくは、グラバジャで暗殺者に濡れ衣を着せられかけたことを言っているのか。いずれにせよ、ただの気の優しい娘から、一転して気苦労の耐えない身の上となった彼女の言葉には、穏やかながらも力が籠もっていた。
「でも、私も事情があって、逃げてきて……移民団の人たちの気持ちも分かるんです。彼らの旅を応援したい。グリゼルダさんの邪魔をしたくもないんですけど……」
「……あたしが仇を殺そうとしてるとしても?」
「ご家族を、その人に殺されたんですよね。警察では犯人を捕まえられない、法律が裁いてくれないなら、泣き寝入りするより前向きなことだと思います」
「……そう。グリュクは?」
やや意外だったが、彼女としてはグリゼルダの復讐に異存は無いらしい。フェーアの意向を確認し、今度はグリュクの方を見て問う少女に、彼は慎重に言葉を選んだ。
「今更こういうことを聞くのは少し気が引けるけど……その家族の仇が、あの黄衣の妖族だって言う確証はあるのか?」
グリゼルダを怒らせてしまう恐れはあったが、明確な殺意を伴う復讐となれば、そこだけは訊いておかなければならない。
彼女は、しかし至って冷静に答えた。
「お師匠が――レグフレッジの先代の主が、現場で犯人と鉢合わせて顔を見てる。で、霊剣を通してその記憶を受け継いだあたしなら、それを見間違えることも無い訳でしょ。双子か他人の空似かなんていう確率の低すぎる想定は、やってたらキリが無いし」
万に一つの誤認もあって欲しくは無いが、そういうことならばさほどの懸念も無いだろう。彼女に協力しつつ、間違いが起こらないよう極力その近くを離れないようにしておけばいい筈だ。
君にはあまり人殺しをして欲しくない、などという知ったような台詞が出かかりそうになるのを飲み込み、グリュクは懸念だけを口にした。
「そうか……その、でも無茶はしないでくれ」
「ごめん。それは約束できない」
死に急ぐようなその言葉に軽く無念を覚えるグリュクに、裁きの名を持つ霊剣が後を続けた。
(すまないね、グリュク。私は、代々復讐者を主と選んできた霊剣だ。グリゼルダの使命を果たすことを、優先して考えさせてもらいたい)
「いや、何も文句は――」
(構わぬ。吾人とその主が、ただ戦いを重ねることを使命として生きてきたとするならば、御辺ら裁きの系譜は即ち、弱き者の復讐の牙となることを使命として、世代を重ねたようだ。形は違えど、蹂躙されし者たちのための力になろうとする心意気は同一!)
「人の台詞に堂々と被せるな!」
(よ、止せ! だから吾人はその柄を両掌で挟んでクルクルされるのがかなり苦手という、ほわぁぁぁぁぁ!!?)
「ぐ、グリュクさん!?」
火起こしの要領で霊剣に制裁を加える。フェーアがそれを制止しようと椅子から立ち上がり、グリゼルダが眉間を指で押さえて嘆息するのが見えた。
フェーアに止められて霊剣への制裁を中断すると、グリュクは自分なりに要点を整理する。
「俺とグリゼルダ、意思の名を持つ霊剣と裁きの名を持つ霊剣がいれば、多分"心臓”の復旧は出来る。でも、グリゼルダは個人的な事情でそれには無条件の賛成は出来ない……ってことだね。ただ、このまま追撃隊がまた襲撃してくるのを待つのも良い手とは言えない。グリゼルダも、そうせずに済むならその方がいいよね?」
「それは……うん」
「なら、レヴリスさんにも事情を話して、協力してもらったらいいんじゃないかな。戦闘が始まったとして、このヴィルベルティーレだって猫の額じゃないんだ。結構広そうだし、特定の一人を捜そうとするなら人手がいる。俺達で“心臓"復旧に協力する代わりに、戦闘の時は仇の情報を優先して回してもらうようにするんだ」
「それは……!」
「イグニッサ、だっけ。割と有名らしいし、ここには電話は無いけど、使い魔くらいなら飛ばしてもらえると思う。俺からも頼んでみるよ」
「…………」
半ば口からでまかせではあったが、グリュクの弁にもそれなりの理屈は通っていると感じてくれたか、グリゼルダは唸るように口を閉ざして考えているようだった。
(グリゼルダ……)
「……その交渉は、あたしがやるからね」
その胸中ではどのような思いが渦巻いているのか、ぷいと視線を外し、少女はそう呟いた。
「ああ。それじゃあ、レヴリスさんの所に行こう」
グリュクは苦笑すると、鞘に入れたまま持っていた霊剣を腰に帯び直す。グリゼルダはやや乱暴に扉を開けて真っ先に出て行き、フェーアが慌てて後を追うのを、グリュクも少し早足に追いかけた。
「(グリゼルダ……)」
彼女は、仇を八年追ってきたといっていた。つまり、ただでさえ幼い今の年頃から数えて恐らく、七、八歳の時分で霊剣を受け継いだということになる。グリゼルダとは同様の剣を持つ間柄という以上の関係にあるつもりはなかったが、それでもグリュクは、年端も行かない娘に裁きの名を持つ霊剣を与えた先代の所有者を怨んだ。
そこに立つ青年の背は平均よりも高く、温和そうな視線にも今は闘志が漲っている。握り締めた両手には、柄と刃とが一体成型された、異質な剣。それを中段に掲げ、彼は今、呼吸を整えつつも白線で作られた簡素な円の中に構えている。
もう一方、そこから巨大な機械を挟んだ反対側に描かれた同様の円の中に、少女。背中まで伸ばした黒髪は天井からの光をつややかに反射し、その手に握られているのはやはり、剣。こちらは片刃で、怜悧に輝くやや小ぶりな刀身が輝いていた。
二人は、剣士。
呼吸を整え、集中を高めている。
「俺たち移民請負社は、移民者たちに信頼されてこそ仕事が出来る。信じて打ち明けてくれた話を裏切るような真似は、絶対にしない」
「あなたを信じて……私たちの秘密を明かします」
そうしてレヴリスを含めた数名の要員、移民請負社と移民団の信頼できる責任者たちの前で、二振りの霊剣たちが言葉を発した。霊剣の存在自体は知られていなかったが、それが霊峰結晶で出来ていることを機関長が保証すると、信じられない勢いで話が進んでいった。
そうして一時間と経たずにレヴリスと移民団の代表の承認が行われ、グリュクとグリゼルダ、そして二人の持つ霊剣による“心臓”活性化実験が開始されたのだ。
二人の剣士が闘志を高め、霊剣に秘められた過去の記憶との同調を強め、活性化した霊剣同士の同調が、起源を同じくするヴィルベルティーレの“心臓”の核となっている霊峰結晶の出力を上げてゆく。
「ぐうっ……!」
活性化、それは人間でいえば動かした体が熱を帯びてゆくことに相当するか。霊剣の力が高まっていくにつれ、沸騰する記憶の奔流が二人の剣士へと流れ込んでいく。
(師父、彼にあなたを託します。彼ならきっと、私より強く――)
(何故分かり合わない! このまま魔女と魔女とが殺しあうのが、それがお前らの欲しい未来なのかよ!)
それは、過去の所有者たちの記憶だった。普段は行動に応じて断片が引き出されたり、深く思い出す要領で黙考することで色褪せながらも甦ってくるものだ。
だが、今回はそれが非常に鮮明で、背景の樹木の葉の一枚一枚、更にそこに走る葉脈までもが観察できそうな確かさがあった。
更に、
(――私のことはどうなっても良い……彼を護ってくれ、レグフレッジ!)
霊剣とその主、そして“心臓”の核に限定して記憶の一時的な共有が起こっているらしく、グリゼルダに流れ込んでいる筈の裁きの名を持つ霊剣の記憶までもが感じ取れる。
彼女においては彼とは逆のことが起きているであろう事を察し、グリュクは僅かに気恥ずかしさを覚えた。
だが、流れ込んでくる記憶の数と密度は更に増大する。
(お前に、託す! 魔女の国を、安心して眠れる世界にするために――)
(星々の海よ、まだ見ぬ同胞たちよ――)
(許せるか……定規と荒縄とで人をくびり殺す真似を、正義だとか信じる奴らが!!)
(一族の無念を晴らす……!)
(――生命を信じろ、未来の豊穣を信じろ! 文明は――)
(ミルフィストラッセ、次の主によろしく――)
(君を外道に引き込む俺を許してくれ、グリゼルダ……!)
高まるエネルギー、混線する記憶。グリュクには意思の名を持つ霊剣以外の記憶――裁きの名を持つ霊剣と、“心臓”の核の――までもが流れ込み、そのせいか、グリゼルダもまた、相棒以外から流れ込んでくるそれに戸惑っているのが分かった。
付近にはレヴリスや機関長など、移民請負社や移民団の立会人などがいるが、彼らにその様子は無い。グリュクとグリゼルダ、そして霊峰結晶で出来た器物たちの間でだけ、起こっている事なのだろう。
接続と、交感。呼吸が早まり、体温が上がる。
グリュク・カダンと意思の名を持つ霊剣、グリゼルダ・ドミナグラディウムと裁きの名を持つ霊剣、そしてヴィルベルティーレの"心臓”に秘められた核。
「“心臓"の出力は順調に上昇中!」
機関長が叫ぶ声が、僅かに聞き取れた。 二人の主と二振りの霊剣にも、“心臓”の出力が上がっていることが、移動都市の核心部分の活力が高まって、高揚していく様が力強く伝わってくる。
高まる出力が、漏れでた魔力線が音や光、衝撃に変換され、霊剣の主たちを中心として、眩い光や低周波などが強烈に放射された。グリュクとグリゼルダは、自分たちを中心に余剰エネルギーが放出される現象で髪や衣服が逆立つように巻き上げられるのにも構わず、更に共鳴を強めた。
痛みなどは無いが、流れ込んでくる情報に脳がひたすら翻弄される。ミルフィストラッセからやってくる記憶の怒涛が、思い知れといわんばかりに心を叩く。
「っ……!」
(主よ、負けるな!! 己と、吾人を信じよ!!)
「あ……あぁ……!」
“心臓”を挟んでいても、反対側で相棒と共に集中しているグリゼルダの存在が肌を振るわせた。霊剣と霊剣、そして二振りの霊剣に波長を同期された“心臓”の核。霊剣たちが強く念じれば、それに同調して“心臓”の出力が上がる。
(グリゼルダ、君は強くなった……師に恥じぬ使い手となった! こんな所でどうにかなったりは、しないだろう!)
「(当たり前でしょうがッ!! 殺されたって、死ぬもんかッ!!)」
彼女のそんな、健気さと旺盛な闘争心の交じり合った気迫が羨ましかった。本質的な所で、グリュクは負け犬なのか。
「…………!」
だが、今はうなだれている場合ではない。何とか己を鼓舞し、心を凝らして精神の昂揚を促す。
「はあぁぁぁぁぁぁッ……!!」
グリゼルダに影響されたか、はたまた別の要因か、自分の闘志が大きく高まっていくのが分かる。危機にある何かをそのままにしては置けないという思いに似た何かが、胸に燃える。具体性を欠いてはいるものの、それでもグリュクはその柔らくも激しい感情の昂ぶりに身を委ねた。
そして、二対の剣士と霊剣たちの精神の熱量が最高潮を迎える。
その一方で、“吸魔の杖”と仮称された、ヴィルベルティーレの“心臓”に突き刺さっている魔具。植物のように根を伸ばして隔壁に一体化しながらもそれを貫通し、“心臓”から発生する魔力線を吸収していた杖だが、その巨大な容量は霊剣たちの干渉によって高まった“心臓”の膨大な出力によって、急速に満たされようとしていた。
限界を超えてそれ以上を吸収してみせようと意地を張ることもなく、張りだした根は自動的に収縮していき――どういった理屈なのか、隔壁などには毛筋ほどの傷も残っていない――、“杖”は本来の姿に戻っていった。
機関である“心臓”を制御しようとする側である機関長たちは、既に機関を停止させており、ただ“杖”が、ひたすらに魔力線を放射し続ける“心臓”から力を盗み続けていたにすぎない。
しかし、霊剣やその主たちの見せた超常的な現象によって“心臓”の核の出力はますます高まり、吸魔の杖も限界を迎えた。魔力をせき止めていた堤防を失ったダムに向かって、再び激流が襲いかかろうとしているのだ。
(停止している今の状態から、突然高出力の魔力線を与えられては……!)
(移動都市が損傷する危険もある!)
それは出力を支えきれなくなった“心臓”かも知れないし、そこから出力を受け取る、重力を反転だか念動力場を発生だかするであろう巨大魔具の部分かも知れない。
だが、熟練者である機関の操作手たちは、そんな兆候を見逃さない。
「全制御弁・全解放、全脚固定そのまま!!」
温厚そうな見た目に反した大音声を張り上げる機関長の号令で、配置について身構えていた妖族たちが一斉に動き出し、あるいは状況を報告し始めた。移動都市の動力管理を司る熟練者たち――シロガネは見習いだが、彼女も精一杯働きを見せていた――が適切に動き、魔力線は外部へと開放された。
移動都市が暴走する危険も、取り除かれたのだった。
(主よ、これより出力を尋常に戻す!! 平静を心がけよ!)
「(あぁ……!)」
(グリゼルダ、その調子だ!)
「(わかったからちょっと黙っててよ!)」
熱気にあてられて高揚したような“心臓”を、今度は宥めるように、霊剣たちが調子を下げ始めた。
霊峰結晶は莫大な量の魔力線を途切れなく放出し続ける、まさに魔法のエネルギー源ではあるが、こうして“心臓”の出力が上がったままではいざ都市全体を移動させようとした際に、やはり炉などの機構に負担がかかる可能性が高い。
熱いソヴァの茶から湯気と共に熱を逃がすように、霊剣とその主たちは高ぶりを徐々に収めていった。魔女の知覚に感じられる“心臓”の高鳴りも、それに併せて徐々に穏やかになってゆく。
そして、記憶の濁流に翻弄されることもなくなったと意識できるようになったのは、何分経ってからのことだったか。グリュクは心臓室に良く響く機関長の一声で我に返った。
「ぃよし、機関復調!! これなら通常の休眠とほぼ同じ状態だ!」
あちこちで作業を続けていた移民請負社の妖族たちから歓声が上がる。
だが、まだ油断は出来ないぞ、と機関長が嗜めると、彼らはすぐに真剣な表情を取り戻して作業へ復帰した。
昂揚感と無数の記憶に打ちのめされた直後だからか、グリュクはそんな彼らを妙に無感動に眺めていた。
「(……終わったのか?)」
(うむ、まずは第一段階である。おそらくヴィルベルティーレは栄養を奪い取る悪質な病原体に犯されていたようなもの。しかし今は、療治の甲斐あってか安らかな寝息をたてている状態にある。御辺とグリゼルダの協力があったればこそなり)
「(……そうか……)」
「お疲れ様……グリュク」
霊剣を鞘に収めると、かなり疲れた様子のグリゼルダが声を掛けてきた。感覚、特に魔女の知覚が疲労しているようで、普段なら気づく筈のことにも気づけなくなっていたらしい。
「あぁ……何とか上手く行ったみたいだ」
「二人ともお疲れ様でした。あとは刺さったままの杖をレヴリスさんが引き抜くだけですね」
どこで調達してきたのか手ぬぐいを二枚携えたフェーアが、それを二人に差し出してきてくれる。グリゼルダは早速それで顔をごしごしと拭きながら礼を言っており、グリュクも礼を告げてそれを受け取り軽く汗を拭き、首にかけた。
“心臓”が落ち着いたら、万に一つも魔力線爆発で被害者を出さないよう、他の全員の退避後、銀灰色の鎧で完全防備をしたまま動けるレヴリスが杖を除去することになっているのだ。
「……それにしても、何か疲れたな」
大したことをした訳でもない筈なのに困憊していると、その視野の片隅に何かが閃く。
それとほぼ同時に、グリュクの脇を銀灰色の風が吹き抜けていった。
「レヴリスさん!?」
名前を呼び終えた時には、“心臓”に向かって突進した完全武装の移民請負人――いかめしい兜を被っているので顔は分からないが、しかし見紛いようも無い――が高く跳躍し、上方から落下してきた吸魔の杖を掴み取るのが見えた。そして、レヴリスは小さな金属音と共に穏やかに着地する。
「……満タンになったんで、ひとりでに抜け落ちたみたいだな」
レヴリスがグリュクたちの方に拳を差し出すと、そこには鉄を思わせる色合いの、一メートル四半程の杖が握られていた。“吸魔の杖”なのだろう、それは簡素な装飾を施された、一見したところは儀仗か何かにしか見えない代物だ。
「所で、依頼の件は決まったかな」
重量もそこそこにありそうな吸魔の杖を玩具のように肩に担ぐと、レヴリスは笑ってそう言う。
「ええ、多少お願いすることはありますが――」
赤い髪の剣士は、そう告げて口元に手を当てる仕草を見せて答えた。
「お引き受けします。ね、師父?」
(なぬ!?)
腰に帯びた鞘から、驚愕の感情が強く伝わってくる。
「師父……?」
ミルフィストラッセは驚愕し、グリゼルダも単語を口にして訝るが、フェーアやレヴリスはその反応に要領を得ない様子で小さく首を傾げている。そしてグリュクは――
「私が何か変なこと言いましたか? 師父?」
その呼び名で呼ばれた霊剣は、鞘の中で絶句しているらしかった。