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霊剣歴程  作者: kadochika
第10話:石火、瞬く
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1.霊剣継承

これまでのお話――


 グリュク・カダンと霊剣ミルフィストラッセの旅は続く。

 とある村で怨念に取り付かれていた妖族の娘、フェーアを助けたグリュク。

 故郷を追われた彼女の新たな居場所を探すべく行き着いたグラバジャの城で、妖族の王女パピヨンとその仲間たち、そして霊剣の盟友であるという時計塔に出会った。

 そこで同じ霊剣の主であるグリゼルダとも再会し、王女を狙う暗殺者を逮捕する。

 しかしその翌日、時計塔と霊剣を求めてやってきた第三王子によって異空間での決闘を強いられ苦戦するグリュクたち。

 グリゼルダや王女パピヨン、フェーアたちの助力もあって辛くもこの強敵を撃退するが、その間際、王子によってフェーアの手首に紋章が刻まれてしまう。

 三十日後に致死毒となって彼女を殺すという、その紋章を解除できる者がいるという街に向けて、グリュクはフェーアとグリゼルダを伴って出発するのだった。

 やはり、私が家族を持とうなどという考えは間違っていたのかも知れない。誤った思いを抱いたから、こうして彼にお前を託し、その命を危険に晒そうとしているのか?

 復讐に身を焦がし、お前の主となることを望んだ私が、誰かの安全を願っている。

 炎の魔女よ、裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)よ。

 どうか彼を、守ってくれ!


――ある霊剣の主の追憶。






 秋風の吹く夕暮れ前、町からやや離れた小さなダムに近く、高度は百五十メートル程度。

 太陽はだいぶ低くなりつつあり、このままでは彼女を見失うこともあるかも知れない。そんな懸念もつかの間、重力を擬似的に中和して箒も無しに虚空を飛ぶ霊剣の(あるじ)が少女を見つけたのは、ダムにほど近い小さな開けた丘の古い切り株の上だった。すっかり乾ききって黒ずんだその半天然の椅子に丸まってかけている黒髪の少女。

 そろそろ大気も冷えてくる時間であり、そう意識してみれば娘の服装はこの季節にしてはやや薄着と言える。背中を覆う長く伸ばした髪も、大した防寒作用は持つまい。

 その近く、しかしやや離れてゆっくりと降り立ち、タークス・アフトニは優しく聞こえるよう努めて声を掛けた。


「ここにいたのか」


 子供の足ではどうしても行動範囲は限られる。まして魔女とはいえ、七歳で碌に箒にも乗れないグリゼルダではなおのことだ。彼女が拗ねているのも姉との喧嘩で話題がその点に及んだからだと、彼女の両親からは聞いている。


「(“箒いらずのグリゼルダ”、か)」


 疲れてもいるのだろう、膝を抱えたまま立ち上がることもせず、少し首を動かしてこちらを睨んだだけで、小さな魔女はそこを動こうとはしなかった。


「何しにきたのよ」


 精々険悪に聞こえるように繕った声音、という印象だ。泣いたにしてもそこから一時間以上は経っている筈で、声はそれなりに落ち着きを見せている。歩いてここまで来たからには出来るだけごねてやるぞ、という根性が混じっているようでもあったが。


「お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも待ってる。帰るぞ」

「嫌」

「おい……」


 ぼやく。一度癇癪(かんしゃく)の爆ぜるままに家を飛び出してしまえば、やっぱり帰ります、などと素直にもなれないのが児童の心理と言うものだろうが。家族が直接やってきて説得しない限りはこれまで通り、腹の虫でも鳴かなければ戻ってはくるまい。

 だが、この年頃の児童が森に近い場所でこうしているというのは、近年めっきり数が減った野生動物の脅威を抜きにしても危険なことには変わりない。


「……俺で良ければ、お前に魔法術を教えよう。飛べるようになるまで、付きっきりで見てやる」

「……本当?」

「本当だ」


 短く肯定すると彼女はおずおずと立ち上がり、わざとらしく尻を手で払うとややばつ悪げに彼に、霊剣レグフレッジの主に向かって歩いてきた。


「絶対?」

「絶対だ」


 グリゼルダの念押しに短く答えると、彼女は僅かな疑念を目に宿しつつも彼を信じることにしてくれたようだった。既に彼の人生の残りは抜け殻のようなものだ。この小さな少女に、未だ箒にも乗れない不貞腐(ふてくさ)れがちな魔女にものを教えることに割く時間など、有り余っている。

 飛んで帰るために彼女を背負うのだが、タークスは己の肩と脇腹を締め付ける子供の短い手足の思わぬ力強さに、七歳児ともなれば赤子を手に抱くようには行かないことを、今更ながらに思い知るのだった。

 復讐に生きた男の携える剣に、また一つの記憶が刻まれる。






 不吉な予感を覚えていたのは彼女の家の上空に来た時からだったが、それは概ね彼の想定したような、最悪の事態だったと言える。

 この片刃の霊剣を通して得た無数の経験は、戦闘に関するものだけに限らない。野外生活の知識、隠密行動の技術、標的の追跡方法……

 それらの記憶と経験が彼に伝えてくるその漠然とした、しかしかなり強い不安を裏付ける、血液の匂い、音の無さ。

 あるいは幼心にそれらを感じ取っているのかも知れないが、家主の娘であるグリゼルダが背負われつつも尋ねる。


「お師匠、何かあった?」

「その呼び方はやめろ、そこまで何もかも教えてやる気はない」


 そう答えてゆっくりと降り立ち、しゃがんで背の少女を下ろす。恒例のこととはいえ家出をしたのだから両親にはひどく叱られるはずであり、グリゼルダがただいまと家に駆け込まないのは理解できるが、それでもタークスは念のために彼女を制止し、先んじて彼女の家に入った。一ヶ月ほど前から父親との縁で世話になっており、勝手も把握した家ではある。


「(鍵が開いている……!)」


 不気味な沈黙の正体を悟り、小さく絶望すると共に唇を諦念に歪めて状況を検分する。

 結論から入れば、全滅。

 一家はグリゼルダを残して全員が死んでいた。

 玄関からそれぞれの部屋を繋いで真っ直ぐに延びる廊下に、彼女の父親が。

 次いで、彼に庇われたがその犠牲も空しく致命傷を受けて力尽きたと思しき母親と、台所で血の海に倒れている姉が。


 ただし、彼らの何れもが、顔を布や巾で覆われていた。どれも恐らくはグリゼルダの家にあったものだが、清潔なものを選んでそうしたのだと、タークスには思える。殺害の動機は恐らく、怨恨や金銭目当てといった線ではないのだろう。

 そこまで考えて、小さな手が玄関の取っ手を引く音を耳にして叫ぶ。


「グリゼルダ、外にいろ!」


 彼女にこの光景を見せてはならない。そのまま僅かに後退、奥の暗がりから飛来した短剣の刺突を寸前で回避した。意識する暇も無かったが、高速で眼球を動かし周辺を捉えると、タークスは小さく舌打ちして敵のいるはずの位置を回し蹴りで低く払い、ついでに廊下の奥に向かって右手にあった傘立てを掴んでそちらへ投げつける。


「タ……お師匠!?」


 タークスが振り向いて敵をその目に映すのと、敵の手で払いのけられた傘立てが玄関脇の窓を直撃して大きなひびを入れたこと、それらと同時に少女が玄関の扉を開けて中を除き見た。

 幼い魔女の目は既に、父親の遺体を凝視してしまっている。


「駄目だ、グリゼルダ!!」

「……お父さん……!?」


 敵の姿は小柄、ひょっとすると女――玄関に入ってきた少女に危害が及ばないように――そもそも奴の動機は何だ――グリゼルダを逃がさなくては――手に握られた短剣での連撃、敵に逃げる様子は無い――連なり重なる状況に、しかし裁きの名を持つ霊剣に宿る復讐者たちの記憶は即答してみせる。

 迎撃せよ!


「外で待ってろ!」


 単純だが力強くこちらに突き出される短剣を霊剣の鞘で受け止め、その間にも少女を諭そうと喉を絞ると、呼吸がやや乱れる。強い。暗い灰色の装束で全身を覆ったこの敵に――外が見えているのかどうかすら怪しいほどの覆い方だ――向かって霊剣を抜く。そこから漏れ出た片刃の怜悧な輝きが敵を僅かに照らすが、今は教え子となる少女の安否を気遣った。


「お母さんは……!」

「グリゼルダッ!」


 その名を呼びつつ、霊剣を振るう。充分には研ぎ澄まされざる一閃、しかし敵に僅かに当たった手ごたえ。顔を覆う布が切り落とされたのだ。

 その素顔は、女だった。怒りの金型で鋳抜かれた表情が、一瞬だけ本来のものらしい柔和な造作を取り戻し、そしてすぐさま驚愕へと変化した。

 まだ若い、妖族の娘。柔らかそうな褐色の髪、猫に似た形状の瞳孔(どうこう)を備えた瞳は、どことなく見覚えがあるが思い出せない。霊剣の記憶と混同しているのか。

 そこに追撃をかけようとするが、


「お姉ちゃん……!!?」


 玄関に入ってきた少女が敵の前へと出ないようその手を掴んで引き寄せている間に、相手は顔を短剣と手で覆い隠しながら廊下の向こうへと走り去る。


「頼むから聞き分けてくれ!」


 そう言って聞かせた所で、聞き入れる訳が無いだろうが。猛烈に暴れる少女を羽交い絞めにした所で裏口の扉を蹴破る音が響き、タークスは追撃を諦め、もがく手足に体のあちこちをぶたれながらも少女を玄関から外へと引きずり出す方を選んだ。少女の手足が抜き身の霊剣に当たりはしないかと、肝を冷やしながら。

 検分は諦めて、そのまま恐慌を来す少女の体を抑え込みながら魔法術で離陸し、一先ずは麓へと降りてゆく。彼女の家は町からやや離れており、それも襲撃者を利した一員になってしまった。


「(俺の……せいなのか……!?)」


 吹き抜ける空の冷たい空気に肌がかじかむ。タークスが家を飛び出した彼女を追って一キロメートルも離れていない丘に飛んだ間に、惨劇が起きていたのだ。恐らく犯行は彼を狙って行われたものの、誤って父親が殺害され、その現場を見た母親と長女も口封じに殺されたという所か。

 その後、グリゼルダを彼女の親戚へと預け、警察の聴取を受けた。警吏たちの視線と疑念、威圧的な態度には辟易したが、それでも彼らの最終的な見解はタークスの推理とほぼ一致し、その後、彼女の家族の葬儀が執り行われるのを見届ける。幼い次女一人を残して殺害された一家の葬儀に、どこのちんぴらとも知れない剣士が参列することが許されたのは幸いと言う他無い。

 そして、それから二週間ほどが経った。

 幸い金はあったので、町からやや離れた山小屋を借り切って追っ手の再度の襲来を待った。だが、恐らくは霊剣とその主である彼を狙った手合いであろう殺害者は現れず、代わりにやってきたのは陰気な、小娘。


「お師匠」

「…………」


 軽く睨むようにして声のした方へと顔を上げるが、その呼び方はやめろ、とは言わなかった。もう学校に行っているとは聞いていたし、家族を襲った惨劇からも表面上は立ち直れてもおかしくない頃合いだ。魔法術を付きっきりで教えてやれば、多少なりとも気が紛れることはあるだろうが。


「魔法、教えてよ」


 学校が放課になって、預けられている親戚の家にも帰らず、薄暗く電化も完全ではない山道をやってきたのだろう。ただならぬ執念、とまでは言わないが、少なくとも姉妹喧嘩で負けてぴいぴいと泣いていた、二週間前までの彼女の面影は消えていた。

 それも当然のことだと、タークスは思い直す。諍いの翌日にはまた優しく接してくれた姉も、泣き喚く彼女の言い分を半ば呆れつつも聞いてくれていた両親も、もういないのだから。


「飛び方を教わりたいって顔じゃないな」

「当然でしょ」


 タークスも疑似的に七百年の歳月を戦い続けた霊剣の主であり、彼女の望みなどは分かりきっていた。陰鬱な表情、しかし瞳の奥には憎しみと悔しさが渦巻いて燃え盛る。彼はそんな視線から一旦顔を伏せ、改めて彼女の目を見て告げた。


「十二年かかる」

「何が……?」

「一般的な魔女がベルゲ連邦の定める義務教育課程を経て、戦闘行動に従事し得る魔女兵士になるために必要とされる期間だ。片やお前はまだ義務教育の一年目、ただの小生意気な七歳児。骨格だって完成しちゃいない」

「……何の話」


 間を設けるとそこにグリゼルダが不機嫌そうに口を挟むが、タークスは彼女が諦めて帰るよう、なるべく高圧的な態度を保って続けた。


「俺がお前の危ない進路希望に気づいてないとでも思ってるのか? 復讐するのはいいが、せめて義務教育が終わってからにしとけっていう、これは忠告だ」

「大きなお世話よ!」

「これから俺に魔法術の練習を世話になるつもりで来たんだろう。それは認めるが、ならば俺はお前の師だ。弟子入りする気があるなら師の(げん)()れろ」

「嫌ッ! 絶っ対に、殺すの!! そいつを見つけだして、この世で一番苦しい方法で、地獄にブチ込んでやるのッ!! そうしなきゃ……!!」


 それより後は、声に出来ないようだった。これまで自分なりに練習してはいたのだろう、グリゼルダの激情で無意識に暴走した微弱な魔法術が極小さな念動力場となって、背中まで伸びた彼女の髪をふわりとわずかに広がらせていた。あまりに強い感情の波で平均以上の強度が漏れ出ているようにも見えるが、タークスの見立て――七百年を疑似的に生きてきた魔女剣士の、精度の高い経験則による見立てだ――では、彼女の魔女としての資質は同年代のそれに比べて出力に於いて平均を下回り、制御力に於いては致命的に未熟。魔女としての才能には期待できない。例えタークスが弟子に取った所で、短期間で警察の手が届く前に殺害者を見つけだし討ち取る――己の手で復讐を果たしうる魔女になれる可能性は低い。絶無と言っていい。

 だが、彼女の、残されてしまった者の気持ちが痛いほど分かるのもまた、事実だった。


(タークス、時が来たんだ)

「……!?」


 思わず、と言った所か、相棒(レグフレッジ)の音ならざる声を聞いたであろうグリゼルダが一瞬、たじろぐ。

 こうした魔女や妖族の精神に直接その持つ意志を届けることが出来る器物で、剣の形状を取るものを特に人格剣(じんかくけん)と呼ぶが、これはそもそもあまり有り溢れたものではなく、産業革命期以降は啓蒙者(けいもうしゃ)たちのもたらした兵器に敗れ、特に数を減じた。

 ましてこの裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)は好事家の間でも知られていない秘中の秘であり、特に明瞭な意志を言語化して周囲に伝えることが出来る。今までタークスはそれを隠して霊剣に発言を禁じていたのだから、彼女が驚くのも無理は無い。

 タークスは訝りつつ、とりあえず禁を破ったことは咎めずに相棒に訊いた。


「……こんな未就学児まがいの年頃の娘を、次の主に選ぶつもりか」


(私が主として認めてきたのは、君や彼女のような、奪い返し得ぬもの(・・・・・・・・)を奪われてしまった者たちだ。そしてそれを奪った者が法にて裁かれず、或いは法にて守られたる時、奪われし側に力を与える。そうやって、君も師から私を受け継いだんだろう)


 この霊剣レグフレッジの主たちは、タークスを含め、歴代で復讐者の系譜を形成してきたと言える。初代から今まで、理不尽な暴力で大切なものを奪われた魔女たちが復讐を果たすための力として、振るわれてきた。故にこそ打ち出され、裁きの名を与えられたのだ。

 タークスは、先代である師を殺した者への復讐を。

 そして四十五人の先代全ての復讐の理由を、その成否を、霊剣の主となった今では知ってしまっていた。それも己の復讐を果たした今では、この相棒と共にいる理由は、霊剣の主となるのに支障の無い、正しい心を失わず、しかし力を持たない復讐者へと受け継がせる為であるに過ぎない。

 現代的なものの考え方には必ずしも即していないが、当時の製作者は復讐を正義と――少なくとも不正義ではないと――考えており、それはタークスも同意見だった。


「お師匠、今のは……その剣が?」

「……あぁ」


 少女の質問に曖昧に答えつつ、痒くもない頭を掻いて舌打ちする。答え自体は、出ている。それを自分の口で吐き出すのが、少し躊躇われただけだ。立ち上がると、それまで腰掛けていた彼と佇む少女との視線の高さの差が、再び明白になった。それを改めて意識しつつ、彼女の名を呼ぶ。


「グリゼルダ・ジーベ!」

「は、はい……!」

「これより、儀を行う。裁きの名を持つ霊剣と、その主の名を受け継げ。()すべきことのために」

「…………!?」

「判断は霊剣(こいつ)に任す。認められたら、いつでも(かたき)を追って旅立つがいい。年齢などはこの際、不問だ!」


 本当は、そのような儀式など無い。彼自身、彼を守るために死んだ師から、成し崩すように相棒を受け継いだのだから。

 だが、せめて儀式のようなことでもでっち上げ、グリゼルダ自身が今の彼女の人生と、一旦の別れを告げることを補助してやらねばならない。それが、せめてもの義務だ。

 ともあれ、少女が目を丸くするのを見て、少しだけ愉快さを覚えた。今から復讐の道にこの年端も行かぬ小娘を引きずり込むというのに、本心の部分ではこの無力な童に力を与えてやれる嬉しさが脈を打っている。立ち上がって鞘に収めた相棒を掲げ、少女に尋ねた。


「覚悟はあるか」


 改めて見ると、やはり小さい。このような小娘を、いじけて泣いて、夕飯時にはけろりとして帰ってくるだけが能であったはずの愛すべき糞餓鬼(くそがき)を、今から彼は外道へと引き入れるのだ。


「はい……!」


 真剣極まりない表情、はきとした返事に、胸が鋭く痛んだ。ああ、外道なり、タークス・アフトニ。

 彼はそんなことを自嘲しながら、グリゼルダを預かってくれている彼女の親戚にどう言い訳すべきかを考えていた。






 そして、グリゼルダは儀に臨んで誓いを立てた。家族の名にかけて、炎の魔女の名にかけて、そして霊剣の持つ裁きの名にかけて、仇を追い、殺すことを。敵を討つまでは剣の主(ドミナ・グラディウム)を名乗ることを。師も、仇を討つまではタークス・ドミヌスグラディウムと名乗っていたらしい。

 霊剣に蓄積された歴代の主たちの、奪い返し得ぬものを奪われた復讐者たちの過去を受け継ぎ、彼女に霊剣を授けた師の悔苦を受け継ぎ、彼らの(わざ)と悲しみ、報復の虚しさを受け継いだ。

 師の垣間見た、仇の姿かたちの記憶も受け継いだ。

 それらを、少しだけ後悔した。

 だがそれでも、立ち止まることはしなかった。そうした来歴や記憶の詰まったこの剣に主と認められたことの意味だけは自覚していたから、立ち止まることなどしたくても出来なかったという方が、正しかったが。

 だが、道中同じ霊剣を受け継いだ青年と出会い、霊剣を持つ魔女というものがこの地上に彼女一人ではないと己の目で確認できたのが、グリゼルダには嬉しかった。彼ならば、彼女のことを理解してくれるかも知れない。

 深く、彼女の望む所まで。

 そこで、グリゼルダ・ドミナグラディウムは苦しげな女の唸り声で目が醒めた。


「(またか……)」


 宿の一室の、それなりに上等な寝台。月は出ておらず、土地柄ゆえ街灯なども無い。グリゼルダの頭はやや朦朧としつつも、事態には既に慣れているので体だけは割合と迅速に動き、隣の寝台で(うな)されている女の肩を掴んで揺り起こした。毛布はずり落ちており、足がもどかしそうにもがいている。


「フェーア……フェーア!」

「違うんです、私は誘惑なんてっ……」


 寝汗にまみれた寝台の女は、先日から同行するようになった妖族の娘だ。名を、フェーア・ハザクといった。字句通り寝言を喚いているが、肩を少々激しく揺すっても起きる様子が無い。

 グリゼルダは一端離れて照明から下がった紐を引いて点灯すると、再び彼女の寝台に上がって馬乗りになり、多少の苛立ちと共にパタパタと暴れるその両耳を掴んで軽く左右に引っ張った。


「何の夢か知らないけど起きなさいって、それ絶対悪夢だからッ!」

「い!? いた痛い痛い!?」


 両耳の付け根を押さえて間抜けな悲鳴を上げ、彼女は体を丸めてようやく唸るのをやめた。

 白い毛に覆われた木の葉の形をした大きな耳は、電灯の光で余計に白く見える。妖女はその付け根をさも痛そうにさすりながら――寝起き故に加減を出来ずに少々強く引っ張ってしまったのかも知れない――こちらの名を呼んだ。


「ぅう……グリゼルダさん……?」

「あなた、毎晩その調子なのね」

「すみません、うなされたい訳じゃないんですけど……」

「分かってるって」


 呟いたが、夢のことは彼女にとって少々苦であるようで、表情と共に白い耳がぱたりと俯く。深夜の恒例行事となりつつあったこの手間を少なからず面倒に思っていることはなるべく隠しながら――彼女が悪夢で苦しむのを望んでいるのではないが、やはり毎晩となるとそうした思いが先立つ――、グリゼルダは小さく手を振って気にしていないことを表し、自分の寝台に乗る。だが、壁掛けの時計を見ると四時半を指しており、別室のグリュクが起き出してきて剣の練習を始めるのが四時前後だから、フェーアに関して心配が無いなら彼の所に行くのもいい。

 だが、当の彼女は寝台の傍らの椅子にかけてあった上着を羽織りだした。


「あれ、寝なおさないの?」

「さっきみたいに悪い夢を見るので……」


 この亜麻色の髪の仮想敵がボタンを閉め終え、申し訳なさそうに耳を下方へと垂らして釈明するのを見て、グリゼルダは少々己の意識が軟化するのを自覚した。寝ている間も過去に苦しめられるという共通点ごときで(ほだ)されるつもりはないが、この妖族の娘の身の上は気になる。


「……もし気に障らないなら、何の夢だったか教えてくれない?」

「死んだ大叔母に責められる夢です。お前は淫らだ、男をそそのかすなって……詰られてました」

「……その、ごめん」

「いえ、気にしてませんから。こちらこそ起こしてしまって」

「そこはお互い様っていうか……」


 何か触れてはいけない箇所に触れてしまったというばつの悪さを覚えて、グリゼルダは陳謝した。霊剣譲りの人相見の技を以てしても、とても親類からそう罵られるような性格には見えないのだが。


 当のフェーアは、小さく苦笑いを浮かべたかと思うと衣類を着終えて軽く宿の備え付けの鏡を覗き、二、三度己の頭髪を撫でてからドアノブへと手をかけた。乱れが無いかを確認したらしい。

 今は気にしていないように見えるが、その彼女の左手首の包帯の下には、先日妖族の王子によって刻み込まれた、あと二十日ほどで致死毒を発生させるという紋章が刻まれている。正確には、あと二十一日。


「鍵、お願いしますね」

「どこ行くの」


 扉の取っ手に手を掛けた彼女に尋ねると、フェーアは静かにそれを開きながら――まだ夜明け前だ――答えた。


「グリュクさんの所ですけど……」

「あたしも行く」


 嫌な予感に限って当たる。まぁ、こんな時間に外出する筈もないのだが。

 出来るだけ動揺は隠すようにしながら、グリゼルダも慌てて鍵を手に取り外着をまとって扉へと駆けた。鏡を見て最低限の身だしなみを整えることも、忘れない。

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