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霊剣歴程  作者: kadochika
第09話:華冑、輝く
59/145

EX.サルドル・ネイピアの物語1

 寛容なれ。


――聖典より抜粋。






 神聖啓発教義領(ミレオム)に朝が来る。多彩な合金と珪素化合物とで作られた超科学文明の朝を照らすのは、神聖な存在の生み出した光などではなく、多様な波長を含んだ太陽からの輻射。

 夜が明けるにつれ、啓蒙者(けいもうしゃ)たちの国の空から星がまた、消えてゆく。時折天球の動きに逆行する天体があるのは、それが太陽を中心にこの惑星より外側の軌道を、この惑星より時間をかけて回っているから。

 そこへ巡礼に訪れた無翼人(むよくじん)たちが、朝早くから聖都に、聖跡に集って病の快癒(かいゆ)を祈る。彼らを襲う疾患の原因の多くは、彼らの遺伝子予防や薬学技術が未発達である為だ。そして、啓蒙者の技術は無翼人たちに認可無く与えることが許されない。


「(そんな彼らに、せめて信仰が救いになればいいんだけど……)」


 「宣教師便(せんきょうしびん)」と通称される無翼人諸国への布教活動者たちを乗せる旅客機の発着を待ちながら、若き啓蒙者サルドル・ネイピアはそう願った。歳は十七、どこから見ても一般的な啓蒙者の少年であり、ただ、他と比べて少しばかり小さすぎる翼が彼にささやかな劣等感を抱かせていた。そうした事で他者を笑ったりする啓蒙者など、有り得ないのではあるが。

 法衣の支給は現地で行われるそうなので、今の彼は気温の高い中部の気候でも過ごしやすいように肌の露出が多い服装に手荷物と、愛用の短剣という出で立ちだ。服装のために啓蒙者特有の原色の髪と、布教の際には目立たない紫外線を遮る小麦色の肌が露わになっている。彼の髪色は、真昼の太陽のような白。

 時刻は六時十分過ぎ、啓蒙者であろうと寝床にいる者がなお多い時間帯だが、このタチュマワテル空港に人は尽きない。軍も民間も使う空港だからか、時折聖別鎧(ヴィグセル)に身を包んで完全武装したままの僧兵までもが通りかかっていたが、さすがにサルドルもその理由までは分からなかった。空港を重装して歩く理由は、端末も知らない。

 ふと、思い出して再び懐の端末を取り出し、時刻を見る。これも無翼人たちの国では余りに興味を引くため、赴任してからは目を通す機会が減るだろう。


『六時十三分発、ヌーロディニア行き四○四便は、滑走路上での障害により欠航となります。割り当てについては各端末を――』


 先ほどから流れてきていた音声放送に自分の乗る便が挙がらないことを祈っていたが、その努力も虚しく終わった。啓発教義にはその程度の不運を運命や所業に帰すような教えはないが、サルドルは自分が割り当てられた代替便について見ようと、既に通知の表示されていた端末項目を弄る。

 空港を行き交う啓蒙者たちに紛れて、時折巡礼を許された無翼人たちが歩き回って辺りを見物していた。






 空港の外れ、民間の小型機が使用する区画。最新機種から懐古的な名機まで、様々な機種が揃った雑然とした区画に、サルドルは端末に案内されるまま辿り着いていた。

 特にどんな相手かと想像していた訳ではないが、サルドルと対面したのは、僅かに青みがかった金髪を肩よりやや上で切り揃えた、若い女だ。端末で確認しながら彼を見て、彼女が名を呼ぶ。


「ようこそハクオブ航空へ! えーと、一名様ね、サルドル・ネイピアくん」

「は、はい……」


 彼個人の赤裸々な感想ではあるが、彼女は少々、肌の露出面積が大きい。

 無翼人たちに比べて肌の露出が多いのは、彼らに比べて気温の高い土地に暮らす啓蒙者にとって極普通のことだ。だが、とはいってもやはり、目の前の女性の服装は思春期のネイピアにとってはやや刺激が強かった。首の後ろから左右の乳房を覆う布が鳩尾(みぞおち)で交差して腰へと接続する服装で、背中や肩、そこから生えた翼の付け根までもが露出しており、町を出歩けば少々眉を顰める大人もいるかも知れない。

 まぁ、無翼人たちの言うような「機械のような人種」という表現は彼は嫌いであったし、少々突飛であったり破廉恥な格好をする者がいたところで、それを悪事と咎めて禁止するような啓発教義でもない。

 端末の情報によると、彼が宛がわれたのは小さな民間企業の輸送機だった。乗客は彼一人。代替の航空機がすぐに手配できず、出発中止となった便の乗客の座席は、今回は中小企業の便を中心に細かな余裕をかき集めて賄ったのだろう。大量の乗客を小さな「隙間」に配分できるのも、啓蒙者の社会で発達した機器間情報網(ネットワーク)があってこそだ。そのようなことで文句を言う従業者も乗客も、啓蒙者の社会には存在しない。


「操縦士のジル・ハー・シンディスよ。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 見たところ、今日の従業者は彼女一人のようだ。その動きに合わせて小さく踊る女性性(じょせいせい)の象徴に少々目のやり場を脅かされつつ、挨拶を返す。代わりに目を遣るのは、彼女の背後の輸送機だ。

 機種は確か、“ピナクル・(ディニ)”。旧型の輸送機だがコンテナ部分の交換で旅客機にも戦闘機にもなるという変わり種だ。両舷(りょうげん)に配置された弧型の揚力ユニットや可変脚こそ市販機と同じだが、機体前方の刃型電子走査装置(レーダー)、魔力線変換発動機(エンジン)だけは別の形式が搭載されていた。こうしたちぐはぐさは個人企業などにたまにあるそうだが、彼女の腕に問題が無いかどうか、少しだけ不安を覚えるサルドルだった。


「ささ、乗って乗って。安全運行には自信があるからさ」

「は、はぁ……」


 追い立てられるように昇降機に乗って胴体に入ると、雑然とした機内空間に息を呑む。立ち込める、いわゆる「女の匂い」というものに驚きつつ、様々な器具や日用品が固定された格子状の調度に覆い尽くされた部屋に言葉を失った。ただ、一応の整理・固定はされているらしい。飛行中に工具などが宙を舞ったりする心配もないようだが、しかし異様だ。もしや、この航空船は彼女一人で経営しているのか。


「こっちこっち、扉を開けてまっすぐ」


 脇を通り過ぎるジル・ハーに招かれて重厚な扉を通ると、そこは何と操縦席だった。二つ並んだ座席の奥に広がる一枚ガラスの計器盤は、少なくとも客室にあるべき代物ではない。

 よくある型の防弾気密扉(ぼうだんきみつとびら)を閉じると、彼女が告げてきた。


「悪いけど、コンテナは全部荷物なの。副操縦席で我慢してね」

「…………もう運んでくださるなら何でもいいです」


 軽く舌を出してみせる操縦士に、呆れたようにぼやく。


「他の従業者の方はいないんですか?」

「前はそこそこ大きな会社にいたんだけどね……ちょっと身の回りの変化もあって、独立したの」

「え、お一人で……ですか?」

「宣教師からうちの操縦士に転向希望? 歓迎するわよ」

「いや、そういう意味じゃないですってば……」


 ジル・ハーは「冗談冗談」などと笑うと安全帯(シートベルト)を装着し、サルドルの(ベルト)装着と座席下の荷の収納を確認して管制塔に向かって交信を入れ始めた。彼女が許可を求めると、いくつかの指示の後に許可が下り、そして操縦士が操縦桿を傾けるとピナクル(ディニ)がゆっくりと前方に滑り出す。機体が誤ってほかの機に接触する恐れがない箇所までそうして進むと、副操縦席のサルドルからは見えないが、機体は巨大な白線の図形の上に位置した。

 更に離陸許可を受けて彼女の指が操作盤の上で踊り、両舷のユニットが発生する揚力で機体が僅かに浮上する。そのまま緩やかに、彼をシートに沈めるような勢いで、旧型機はぐんぐんと上昇を始めた。今だ管制が必要な空域にいるのか、彼女は電波の向こうの管制士と交信を続けていたが、


『――ハクオブ航空一番便、帯域10803へ』

「通信帯域、10803に設定。管制塔、よき信仰あれ」

『よき信仰あれ』


 航路の無事を祈る聖句で交信はひとまず終わったらしく、ジル・ハーが小さく息を吐き出す。


「ふう」


 手馴れたもので特に力が入っていた様子も無く、その所作はどちらかと言えば、客が同乗しているので多少の愛嬌を見せているだけと感じられた。視線をこちらに向けて、彼女が話しかけてくる。


「取り敢えず、しばらくは魔女や空の妖獣も出ないだろうし……ちょっと世間話でもしない?」

「え……僕がですか?」

「いーじゃない。無翼人の国に布教に行くなんて、いつ汚染種との戦争に巻き込まれるかも分からない危険な仕事だし……そういう人生を選んだ少年の決意とか、折角の機会だし聞きたいなぁ、って」

「…………別に、普通ですよ」


 別に、誰もが胸を打たれるような艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてきた訳ではない。父も母も健在で、確かに一人息子の自分が辺境へと旅立つのに全く難色を示さなかった訳でもないが、彼は極々平凡な啓蒙者種族の少年だった。


「学校も行ったし、市民戦闘プログラムも受けました。信仰心は誰にも負けないつもりです」

「そうじゃなくてさ、軍人や技師じゃなくて、司祭系の仕事を選んだ理由。あたしは機械を動かすのが好きだから、最初は軍で戦闘機に乗ろうと思ったんだけどね」

「だけど……?」

「ちょっと、言うと引かれるかも知れないけど……精神検査で引っかかって、戦闘適性に疑問あり、なんて言われちゃったの」

「……そんなことが」

「まぁ、こっちもやり甲斐はあるから、今は良かったと思ってるけどね」


 サルドル自身は特に偏見は持っていないつもりだったが、精神検査といえば、啓発教義を無翼人に布教する使命を帯びた種族の一員として、その資質に難があるとされた人々が受けるものだ。そうして芳しくない判定結果を下された人々は、名誉ある軍務や宣教職には就けない。少し彼女に同情が沸き、言葉が口を突いて出てしまう。


「……父は兵装局の技師で、母は聖別鎧(ヴィグセル)戦士でした。二人とも優秀で……軍人になろうと技術者になろうと、似たような同じ道を志しては比べられてしまうばかりなのではないかと、思ったんです」


 己の語る胸の内が、彼自身の肩から生える矮小な翼への劣等感から派生したものなのだという自覚はあった。だが、精神、つまり脳という器官における就業不適格を言い渡されたジル・ハーと比べれば、自分はまだ選択の自由があった。そんな認識の変化で喋ってしまうのが、不思議と悪い気分にはならなかった。


「で、思い切って全然違う分野を目指してみようと」

「それもあります。でも、昔父の仕事でスウィフトガルド……無翼人の国に行った時、見てしまったんです」


 それは彼らの言葉で貧民街(スラム)と言うそうだが、経済管理技術が未熟なことで――金融や立法、国家運営といった非物質的に存在する技術でさえ、啓蒙者側から必要にならない限り教えることは禁止されている――経済格差が大型化、非合理化し、そのために生存に必要な栄養を摂取することさえままならないという人々が存在するのだという。それを話すサルドルに対し、ジル・ハーは想像を絶する事実を聞いたといった表情で、それでも航路に生じる異変を見逃すまいとしてか、計器盤の表示を観察することはやめなかった。


「技術を教えることは禁じられていますが、啓発教義をもっと深く理解してもらう為の活動はむしろ推奨されています。苦しいであろう彼らの日々に、より確かな信仰が支えになればと……思うんです」

「そっか……」


 感じ入ったように頷かれると少しばかり気恥ずかしさがあったが、やはり悪い気はしない。サルドルが彼女の機に乗ることとなったのも、最初の御方(おんかた)の導きによる巡り合わせか。

 そこに鳴り響く、警告音。注意を喚起するための大音量に少し戸惑うが、


「対空警報! 言い忘れてたけど、そろそろ空の妖獣の巣がちらほら出てくる空域だから、ちょっと揺れるの注意ね!」

「もう少し早く言ってくださいっ」


 まぁ、もしもそうして心の準備を早められたところでどう変わったかと問われると、明確なことは言えなかっただろうが。

 金属ガラス越しに見える前方の視野は狭く、せめて比較的ガラスの面積が大きい上方を見ると、雲間に紛れて何かが小さなものがちらちらと動いているのが見えた気がした。学校で学んだのは、真空を内包した高い硬度を持つ泡状の物質を分泌する妖生物がおり、小さな虫のような彼らはそれを巣として高々度をーー時に、教義で進入を禁じられている高度二万メートル以上ですらをーー移動し、繁殖していくということ。

 そして彼らが寿命を終えて死ぬ際に残していったその泡を集めて再利用する別の妖生物がおり、さらにそれを補食し、より大きく集めたその泡を巣作りに利用する妖生物もいる。そうしてだんだんと「高々度(こうこうど)生態系(せいたいけい)」とでも呼ぶべき(システム)階層(ヒエラルキー)を上って行くと、最終的に啓蒙者製の制空戦闘機に互する戦闘力さえ持った恐るべき妖獣へとたどり着く。そして、妖族がそうした妖獣を操り、時折雲に紛れて輸送機などを襲っているのだ。

 その姿は遠くて見えないが、索敵機器群は後ろ足の部分が空力に特化した生体前進翼に変化したワニのような姿のものを同定し、計器盤の片隅の情報欄に表示していた。

 撃墜された航空機器は、汚染種に高値で売却されたり、戦闘のどさくさに紛れたりと言った経緯を経て無翼人たちの手に渡ってしまうこともある。そうした啓蒙者技術の使われた機器を買い取るために、一定の予算が使われ続けているという問題を、サルドルも聞いたことがあった。

 そうした知識に少しだけ意識を向けた途端、機が急上昇して座席に押さえつけられる。


「じ、ジル・ハーさんっ!?」

「これでも慣性中和(カンチュー)してるのよッ! 悪いけど少し我慢して!」


 計器盤の状況を見るに、どうやら誘導性能を持った対空呪弾を回避しているらしい。普通妖獣にそこまでの能力はないから、恐らくは妖族が操っているものなのだろう。そんなものに出くわしてしまう不運の確率は、どれほどだろうか?


「救援要請! こちらハクオブ航空一番便! 現在所属不明の航空へ威力の攻撃を受けています! 一刻も早い救援を……あーもうッ!!」


 救出要請の最中に焦れったそうに操縦桿を倒すと機が急降下し、無数の赤い光が早送りで撮影した植物の成長のようにピナクル・(ディニ)の後部上方に迫っているのが見えた。あれが当たれば原形も留めず海の藻屑となるのだと考えると、サルドルはジル・ハーの操縦の勝利を、最初の御方に祈らずにはいられない。

 そして彼の視点では、とにかく慣性中和技術で軽減されているのにそれでも強力な機動の負荷に耐える他ないが、外部からみればジル・ハーの操縦は恐るべきものだった。機体のあらゆる性能、ボディの強度がどこまでの急旋回に耐えられるか、空気抵抗に耐えて対気制動(エアブレーキ)を効かせることができるか、推進系の機嫌はどうかといった諸々の状態を把握し、理想的状態を逸脱する寸前で運用してみせている。サルドルが後からその動きの滅茶苦茶さを知れば背筋が凍るであろう程に急角度での多角形機動を繰り返し、無作為運動(ランダムウォーク)のような軌跡を描いて執拗に食い下がる誘導呪弾の群を避ける!


「ていうか、武装は無いんですか! さっきから一方的に攻撃されてますけど……」

「……ごめん、無い」

「うぞ!?」

「だって全然使う必要なかったから倉庫に置いといたのを久々に起動しようとしたら駆動譜(ドライバ)が更新要求してきて言う通りにしたのに今度は変な警告が出て動かなくなっちゃったんだもん!!」

「どんだけ放置してたんですかあなたって人はッ!!」


 操縦席で二人してみっともなく喚きあいながらも撃墜されなかったということは、彼女の腕は良いのだろう。だが、彼女が軍に入隊していたら苦労していたであろうことは想像に難くない。


「しょうがない……推進系の制限を切るから、喋ったりしないでね」

「これ以上出るんですか!?」

「大丈夫、直線で振り切るだけだから無茶な動きはしないって言うか、出来ないし」


 そういってまたもサルドルに心の準備が整う前に、シートの右下方に設置された取っ手状の部品を掴み、小さく気合いを込めて引き抜いた。


「そいっ!」


 がちんと音がして、機内での跳ね回り防止に紐で括りつけられた取っ手がぶらりと垂れ下がる。


「…………!」


 だが、目をつぶって背もたれに体を押しつけるようにした彼の覚悟とは裏腹に、何も始まらない。通常時の機動ですら慣性中和装置の中和限界を超えているのだから、恐ろしい加速度が彼の体を襲うはずだがーー


「……ごめん、制限解除装置(リミット・カッター)がさっきの機動の余波で断線したっぽい」

「うわぁぁぁぁ!?」

「だ、大丈夫、何とか持ちこたえるからっ!」

「もう嫌だぁッ、降ろしてぇッ!!?」


 今にも泣きそうなサルドルを宥めようとするジル・ハーは、そうしつつもなおも回避機動を取って呪弾を(かわ)す。いい加減に敵もしつこいものだが、こうしている間に救援が到着したりはしないものか。

 そこで一撃、直撃はしなかったがごく近い距離で誘導呪弾が炸裂、機体が大きく揺れた。サルドルは悲鳴も上げられずに揺さぶられるしかなかったが、ジル・ハーは小さく呻きながらも表示盤に新たな警告文の行列を呼び出す。

 サルドルには知る由もなかったが、彼女がその中に見出した一節にはこうあった。


『推力系の正系統安全装置(メイン・リミッタ)が物理的に強制解除されました。

 推力系の副系統安全装置(サブ・リミッタ)が物理的に強制解除されました。予備系統安全装置(リザーブ・リミッタ)の復旧まであと七十秒』

「あ、出来た」

「何ですとー!?」


 それは違う状況であれば致命的な七十秒だっただろう。だが、この時ばかりはありがたく、それだけあれば充分な加速が可能だ。サルドルにとってはそれどころではないが、ジル・ハーは眉根を寄せつつ微笑むと操縦桿を握り込み、思い切り引き倒した。


「いよしゃあぁぁっ!!」

「うわぁぁぁッ!?」


 先ほどまでを上回る強烈な加速度で背もたれに押しつけられ、機が前方へと急加速しているのが分かった。変形して着席者の体に負担を与えないよう設計されているシートに、包み込まれそうにさえなっているサルドルにはやはり見えていなかったが、始終新たな物が加わってまとわりつくようにピナクルを襲っていた複数の光点が、諦めたかのように進路後方へと遠ざかって行く! そのまま加速し、航法装置や速度計の数字がその狂気めいた勢いを数字に換えて示していた。

 そして、表示盤に並んだ文の列に最新の一節が加わる。


『復旧終了。推進系は予備系統安全装置(リザーブ・リミッタ)によって安全値を保っています』

『現在、周囲に識別不能の変換小体反応はありません』


 同時、恐るべき加速度は徐々に収まり、サルドルの三半規管に休息を与えつつ安全な速度まで減速していった。攻撃の気配もないように思える。さしものジル・ハーも冷や汗をかいた様子で、額を拭いながら息をついていた。


「……付近に機影なし。まだ気は抜けないけど、ひとまず安全かな」

「も、もう嫌……」

『ハクオブ航空一番便、こちら飛翔軍エリシス基地航空伍(こうくうご)! 詳しい状況を報告求むーー』


 遠のきそうな意識のままで、無線に入ってきた通信を聴く。遅まきながら飛翔軍が駆けつけてきたらしいが、これで例え危険を脱していなくとも、ある程度は安心していいだろう。

 途中で機内に吐寫物(としゃぶつ)をまき散らさなかったことを最初の御方に感謝しつつ、サルドルは座席帯(ベルト)も外さず、ぐったりと前のめりになった。






 それから三時間後、聖堂騎士団領ヌーロディニア。無翼人たちの国の中でも、汚染種たちとの戦闘で最前線に立つ役割を持っている。中でもこのヌーロディニア国際空港は、啓発協議諸国と啓蒙者国との輸送活動の結節点となって機能する大型空港の一つだ。滑走路や離着陸状も大きく、無翼人たちの巨大な旅客用回転推力(プロペラ)機が複数、検疫棟の向こうで翼を休めているのが窺えた。

 ただ、サルドルの目的地はここではなく、国境を越えて更に南下したスウィフトガルド王国東部の貧困指数の高い一帯を目指している

 彼はタチュマワテル空港を出発したときより少しだけやつれていたが、何とか礼の言葉は発音できた。


「ありがとうございました……」

「お疲れさま、ごめんね大変な目に遭わせちゃって」

「いえ、ジル・ハーさんは、その……あまり悪くないと思います……」


 少々彼女の奔放さに振り回された気もするが、あの場合はどう考えても空の妖獣、もしくは航空情報の不備に原因がある。サルドルは危機に対処しようとしていた彼女に向かって喚いてしまったことを恥じた。武装の整備を怠って搭載しなかった件については、まぁ、そういうこともあるだろう。


「ま、これも最初の御方の与え給うた縁ってやつだと思うから……何かあったら、ハクオブ航空をよろしくね! ついでに就職希望者を紹介してくれたらもっと助かるなぁって」

「とりあえず機材の整備要員をですね……いえ、改めてありがとうございました」

「それじゃあ、あたしはこれで。気をつけてね、信仰の道に最初の御方の祝福あれ!」

「最初の御方の祝福あれ。それでは……」


 彼女は紐を通したピナクルの起動鍵をくるくると振り回し、タラップを上って機内へと消えていった。サルドルが充分離れると、大空を過激なまでに飛び狂っていた旧型汎用機は離着陸脚の車輪で飛行場の別の区画へとゆっくり走り去っていく。


「……何だか疲れた……」


 呟くと、サルドルは飛ぶ気力も起きず、とぼとぼと荷を背負って歩き始めた。広がる天は雲一つ無く青く澄み渡っていたが、神聖啓発教義領(ミレオム)のそれの原色に近い青さと比べると何とも薄い。その差が信仰の強さに起因するものなのではないかという馬鹿げた妄想を否定しながら、彼は少しだけ布教への意気込みを新たにした。神聖啓発教義領(ミレオム)より高緯度地帯にあるヌーロディニアでは、太陽光の入射角と散乱現象の関係で空が白みがかる。そこに信仰は無関係だ。

 この旅路の先に己を待つ結末を、彼はまだ知らない。

 お疲れ様でした、これにて第9話の完結です。

 今回はそろそろ着手せねばならなかった新主人公サルドルのエピソードを最後に挿入しましたが、以降グリュク編1話ごとにサルドル編の1部を追加する形で記述させて頂こうと思っております。

 これにつきましてもご意見ご質問等、ございましたら感想ページや活動報告、ウェブ拍手にてお気軽にお寄せ下さいませ。


 三ヶ月も空いてしまった更新期間を辛抱強くお待ち頂き、本当にありがとうございました。

 また次回をお待ち頂けましたら、幸いであります。

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