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霊剣歴程  作者: kadochika
第09話:華冑、輝く
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9.春風と共に

 気づくと、彼は先ほどと同じ部屋に――否、同じようで異なる場所にいた。床の石畳なども失われていない、つまり各所が無事なままの予知室、元の世界の時計塔の地下だった。足下がふらつくような感覚があるが、何とか踏みとどまって周囲を更に確認した。


「おぉ!?」


 まず目に入ったのは、驚喜に顔を(ほころ)ばせた銀髪痩躯の紳士、そしてその周囲を固めてどよめく兵士たちだ。

 ついで、さして距離も置かず、おそらくは先ほどの大きく内装を損傷した複写の予知室内でのそれと同じ配置でそれぞれ位置する四人、フェーア、グリゼルダ、パピヨン王女、フレデリカ教師。今更になって意識してみれば、グラバジャ側はグリュク以外は全員が女性であったことに妙な気分を覚えないでもない。


「パピヨン殿下はご無事か、フレデリカ、他の皆も!」

「私は無事です、伯……ただ何か、気が抜けてしまって……フレデリカとグリュク、グリゼルダは検査が必要かも知れません」


 不動華冑を維持して遙かに格上の義兄と渡り合った緊張から解き放たれた故か、その声は安堵に弛緩しきっており、目には涙も滲んでいた。その点、彼女を支えるフレデリカ教師はあれだけの重傷を負ったにも関わらず――見た目の上では完全に治癒しているが――、危なげなど欠片も感じさせない様子だった。


「心得ました……ひとまず全員、救護室に。異空間を出入りしたのだ、何があるか分からん」

「そういえば、王子の連れてた秘書や護衛は?」


 フレデリカ教師が問うと、伯は眉間に皺を寄せ、嘆息と共に語る。


「予知室に入れる訳には行かなくてな……既にフィッスオーに帰って調査するなどと言って、強引に帰っていった。連日のごたごたで無理に引き止めることも出来なかった」

「そう……これで少しは大人しくなるといいんだけどね、あのキザ王子も。出来ればぶっ潰したいけど」

「あんな人が王子殿下だとは知りませんでした……」


 そう呟くフェーアがグリュクの隣で膝と両手を突き、彼は霊剣を鞘に収め、彼女の名を呼びつつ同じように屈みこんで容態を窺った。目眩に耐えている様子だが、その表情はグリュクには見えない。幸いというべきか、彼が確認できた限りでは、異空間で戦闘に参加していた最中も今も、彼女が左手以外に異状を負った様子はないようだった。ついでにいえば、彼は左方のグリゼルダの突き刺すような視線にも気づいていなかったが、これは幸いなのかどうか。


「フェーアさん……」

「…………ごめんなさい、グリュクさん」

「……はい?」


 その言葉の意図が掴めず、思わず聞き返してしまった。間抜けだったかも知れないと胸中で舌打ちすると、彼女は今にも泣き出しそうになって告げる。


「グラバジャに連れてきて貰って……仕事探しまで手伝って貰ったのに」

「いえ……今はそれより、その手のことを」


 表情を見せないまま、その華奢な肩が小刻みに震え始める。フェーアの身の上で、更に三十日後に毒で死ぬと体への刻印付きで宣告されれば、そこで気丈に振る舞って見せるには無理があるというものだ。

 目の前で泣く女を陥れた相手に義憤を抱くといえば聞こえはいいが、要は勝手に彼女に思い入れを持ち、逆恨みに近い怨念をあの王子にぶつけたがっているだけではないのか。そうした疑念が、彼の中では燻っていた。


(主よ……)


 グリュクは神経の痛みを堪えながら、姿勢を下げて小さくすすり泣く妖女に手を差しだし、そして彼女がそれを取って立ち上がってくれるまでを待ち続けた。


(嘆くことはない)


 そこに聞こえたのは、いずれの霊剣とも異なる声。音楽堂(コンサート・ホール)のような予知室全体に響き渡るかの如き、重く低い言霊に真っ先に反応したのは霊剣たちだった。壇上のような場所に燃えるように位置しているあの炎のようなものが、声の出所か。

 霊剣の声が、感動のような響きで彩られる。


(……! デオティメス……!!)

「! じゃあ、この声は……」

(いかにも。先ほど、複写された精神だけが現代に甦った。少女よ――)


 肯定する声は、フェーアに向かって呼びかけているようだ。涙も拭わずにその面を上げさせる程度には効果があったようだが、何か良い見通しでもあるというのか。


(私こと時計塔は、今だ不完全ながらも過去と現在から未来の可能性を、ある程度の幅で分布したものとして捉えることが出来る。三十日後の未来ともなると湖上を覆う靄のようなものではあるが……そなたの手首に浮かんだ妖毒紋に限っていえば、解消されているようだ)


「どうやって解決するのか、それも分かりませんか」


 立ち上がるフェーアの手を取るグリュクの問いに、然程抑揚も伴わない声で時計塔が告げた。


(残念だが……今の私では三十日程度の未来さえ遠すぎる。一つの事象について知ろうと思えば不可能ではないが、他の全ては拡散して不可知に近い状態となってしまうのだ。或る一つの時点であればともかく、それまでの道筋をとなれば、不可能と断言せざるを得ない)


 ここまで大仰な施設を要してその程度なのか、というのが正直な思いではあったが、霊剣と違って生まれたばかりの時計塔――魔女としては生後二ヶ月未満同然、という点ではグリュクも同じだ――では限界も大きいのだろう。


「…………そうですか」

(主よ、一先ずは奴の言っていた、マトリモニオであったか――へと急ごうではないか。手首の毒紋が取り除かれるのは、まず確実であるらしい)

「……あぁ。フェーアさんは、それで構いませんか」

「はい……ありがとうございます、時計塔さん」


 指で涙を拭いながら、フェーアが揺れ動く予知の炎に対して礼を告げる。予知などという所業を行うことに対する心がけか何かなのか、これまた特に感慨がある訳でもないように、時計塔が返答した。


(礼には及ばない、これが我が望み、己に課せし我が使命。ビークの分身たちよ、アルベルトよ……あとは任せた。私はしばらく、予知精度の向上に腐心することとしよう)

「はッ!」


 顔つきは険しいが、不思議と至福の様子で壇上の師の複製へと一礼する伯、そしてその姿を、父親の愛すべき一面を垣間見たかのような表情で見守っているパピヨン王女とフレデリカ教師の姿に、グリュクは束の間ながら、母のいる家庭とはそうしたものなのかと――三人の間には血縁は一切ないが――感じたのだった。






 城の妖術使いたちによる検査の結果、特に破片が残されたまま傷が縫合されたということもなく、二人の霊剣使いとフレデリカ教師の体は健常な状態にあることが分かった。あそこまで痛めつけられた身体をここまで精密に治癒してみせる妖術を構築したパピヨン王女は、将来的に魔力が伴った場合、どこまで強大な存在となるのだろうか。

 まぁ、そうした埒も無い考えはともかく、今はフェーアが検査を続行中らしい。何とかグラバジャの術士陣でタルタス王子の残した妖毒紋を解除できないかと試行しているそうだが、グリュクが途中まで経過を見た限り、成果は捗々(はかばか)しくないようではあった。破術や、「金色の粒子」と何度か併用した「魔法物質の奔流で魔法物質を分解する術」についてはグリュクが最初に試みようとしたが、それに反応して毒が彼女の体に流れ出す危険があるということで止められた。


「結局あの王子の言った、解毒できる人って言うのを探さなきゃいけない訳か」

「でも、こんな回りくどく強制するからには、罠だとしても解毒を出来る術者自体は用意してるってことだと思うわ。期限を指定するんだから、あたしたちがマトリモニオに着けば――密偵でも使うのかは知らないけど、すぐに知れるんだろうし」


 傍らに腰掛けるグリゼルダが、そのように推論する。


「出てこないようなら、こっちから攻め込んでタヌキ汁にしてやんなきゃね」

「タヌキ……」

「あのカッコつけ王子、タヌキっぽくない? 何となくだけど」


 こうした時に少女の暴言を押し留めるべき片刃の相棒は何をしているかというと、彼の相棒であるミルフィストラッセと共に、束の間の再会を楽しんでいた。

 無論、時計塔に宿る人格との、だ。精度の向上に励むと言っていた時計塔も、さすがに過去の盟友との再会を喜ばずには居られないらしい。

 今の予知室には剣を帯びた十人前後のグラバジャの警備兵と、霊剣を帯びたまま仮説の席の背もたれに腰掛けるグリュク、腰の霊剣の剣帯を外して携え、そこに座るグリゼルダだけだった。グラバジャ伯も居るが、更に地下にある場所で機器の調整に当たっているらしい。


(しかし、よく七百年の間放浪を続けてきたものだな……あと何人いるのだ、ビークの分身というのは)

(吾人らも三週間前に会ったばかりでな……吾人などは、それまで己以外の霊剣があることなど知らずに、頼りない主と旅をしておった)

(私も、二振り目だからね。ミルフィストラッセの存在は追い続けていたが、昔君に話した通り、基本的に霊剣同士はどうしても必要になるまで接触は控えるべきだと思っていたのだ。このたび妖魔領域(ヴェゲナ)で霊剣を狩る動きが出てきたために、接触を決めたのだが……何せ私の主も場数こそそれなりに踏んだが、如何せん乱暴で短絡的――あぁぁぁぁ悪かった、グリゼルダ! 君はとても魅力的だ、ただちょっと発いくぁぁぁぁぁ!?)


 幸い、警備兵たちは見て見ぬ振りを決め込んでくれている。席を飛び出して剣帯を握って振り回し、遠心力で相棒の霊剣に罰を与える少女を止めようという気にもなれず、彼は少しだけ溜息をついた。






 昨晩からの雨も弱まり、妖族の大都市を覆っていた陰気さも薄らぎつつあった。小高い丘に美観を綴る名城の自室の展望窓からその有様を一望するフォレル・ヴェゲナ・ルフレートは、今日は客人を迎えていた。彼が湯を注いだ丸い硝子の茶瓶の中で揺れる茶の葉の動きは、外洋性の魚の群を思わせる。

 それを淹れる手とその手つきは無骨ながらも優しく、短く刈り込まれつつも癖の残る金髪と、無造作なようでいて手入れの行き届いた髭。それらは全て、悠久の時を生きる政治家にして温かみ溢れる妖族の戦士でもある彼の、内面までもを存分に表現していた。

 そして適温に暖められたカップに十分蒸れたその茶を注ぎながら、フォレルは話を切りだす。


「お前さんの秘書から聞いたぞ、どうしたんだ。会談の最中に霊剣を二振りも見て我慢できなくなったのか?」

「お恥ずかしながら、まさしくその通りです。あの道標の名を持つ霊剣を持つと、かように視野狭窄となるらしい」


 礼服を着たタルタス・ヴェゲナ・ルフレート、彼の異母弟(いぼてい)は遠慮なくゆったりと柔らかな椅子に腰掛けており、この部屋の主人がどちらか分からなくなるほどに馴染んでいた。件の霊剣は、フォレルの部下が邸宅の別の場所で保管している。


「ふ……まぁ魔女たちと比べれば、我ら妖族は血の気が多い者ばかりだ。最近日和見気味になっていた後継闘争も、お前さんの失態でやりやすくなるだろう」


 体の作りが脆い人間や魔女たちとは違い、妖族であればこの程度の刃傷は日常茶飯事とは言わないまでもよくある事ではある。最近は人間や魔女たちのように何かと法廷に持ち込もうという輩も増えては来たが、そうして決着をつけようとも納得出来ない方から武力沙汰に持ち込むのだから、大差は無い。

 どうせ手に入らない時計塔であるなら、この程度の呼び水にはなってもらおうということではあるが、義兄であるフォレルにしても、先日の義弟の行動は意外であったとしか言い様が無い。ただ、不可解ではあっても動揺は無かった。例え失態であっても、タルタスは何らかの形で別の成果に結びつけてみせてきたからだが。


「汚れ役は全て私に押し付けておいでの義兄上(あにうえ)が、抜けぬけと仰る」

「お前さんが朗報などと言って俺の元に来る。これが気の緩んだ俺を陥れる罠では無いと申すか」

「義兄上も人がお悪い。私はそんなに信用なりませんか」


 双方、二人だけで会えばこうして軽口を叩き合うのが常だった。

 義弟が、声音だけさも心外そうな調子を作り、しかしむしろくつろいだ表情で声を上げ、義兄もまたそのように答える。


「出来ないな。この権謀術数主義者め、何を企んでいる」

「義兄上の治世を」

「よく言う」


 互いに嘯くように言ってみせてはいるが、妖魔領域で嫌われがちな策謀家であるこの異母弟について、彼は高く買っていた。異母兄である彼のために様々なことをしてくれているのは事実であるし、よしんば彼を利用しているのだとしても、少なくとも目の前の青年――いや、既にフォレルと同様に千年以上を生きているが――の弾除けになるのであれば悪い一生でもない。

 何より敵に回さずに済むのがありがたい。今までに幾人もの継承者候補を排除出来たのは、彼の協力があってこそだ。今でこそ第二位のフォレル、第四位のタルタスではあるが、彼らより先に生まれていた何十人もの異母兄姉たちは、半数以上が彼らの策で後継闘争から脱落した。


「朗報と申しましても、我々の前途と直接は関係がありませんが……これは是非ともお耳に入れねばと」


 そして、義弟がその内容を告げると、フォレルは久々に心が華やぐのを感じた。暖かな雨と花々が、果てしない権力闘争で荒んだ魂を癒すかのようだ。


「一足先に、我が世にまことの春が来るか……待ち遠しいな」


 確かな季節の移り変わりが、湿り気を含んだ優しい春風となって室内に吹き込んだ。雨は止み、彼の居城一帯を雲間から覗く陽が照らしている。






 時刻は昼前、グラバジャ最南東、森に覆われた山道に設けられた隣の伯領への関。その直前の町に、グラバジャからの妖馬車が到着した。体に炎のような模様が走る、妖魔領域の馬二頭に曳かれた、質素ではあるがしっかりとした作りの車両だ。御者台には簡素な服装の男が一人、彼が広場の停車場に馬を止めると、幌の中に向かって告げる。


「着きましたよ。あの関の向こうがフェルマータ伯領です」

「ありがとうございます」


 幌の中から礼が言われると、副御者が後部から飛び降りて乗客が居りやすいように付属の足場を展開した。


(丁寧な送迎、痛み入る)

「いえいえ。お陰で伝説化していた存在を間近に見られましたし」


 降りる乗客たちを見守る副御者の調子も良いもので、時折警戒するような所作を見せつつも和やかな雰囲気を保っていた。


「っと」


 足場を降りてくるのは、黒髪を長く伸ばした娘と長身の赤い髪の青年、大きな木の葉型の白い耳をした亜麻色の髪の妖族。


「ありがとうございました、こんなにして頂いて……」

「いえ、本来であれば馬車か自動車を進呈すべきだったのですが……」

「グラバジャを離れたら、飼料や燃料を気軽に補給できる保証もありませんしね。そもそもグラバジャの領内でだって、そうさせてもらうのは気が引けますから……」


 馬車の運行だけならば、霊剣を通じて得た知識と経験があるグリュクとグリゼルダには問題なく可能ではあるし、更にグリゼルダは自動車に関しても運転できるという。ただ、やはり妖馬ならば飼育、自動車であれば補給や整備の課題は避けられず、妖魔領域(ようまりょういき)では航空輸送の手段も未発達、内陸ゆえ船舶なども使えない。結局は申し訳ばかりの交通機関を乗り継ぐか、徒歩となるのだった。


「ともあれ、我々はここで。旅のご無事をお祈りしております、お気をつけて」

「ご苦労様ー、ありがとね!」


 荷物を肩に、ひらひらと手を振るグリゼルダのあとを、意外に足が早いフェーアに付いて歩く。フェーアは車輪の付いた大きめのトランクを持っており、グリュクが背負っているのは相変わらず、容量の大きな従士選抜の時に配布された背嚢だ。それぞれ食料や最低限の着替え、グラバジャ発行の通行保証書や路銀――護衛隊の役目を果たせたとは言いがたい気もしたが、その名目で結構な額を提示されたので甘んじた――などが入っている。

 見てくれだけはちょっとした旅行のようではあるが、南東に徒歩で二十日の距離にあるというマトリモニオに向けて、フェーアの左手首に刻み込まれた毒の紋を解除するための行脚(あんぎゃ)だ。王子の言葉が真実である保証は一切無いのだが、だからといって無視する訳にもいかない。

 故に当初はグリュクだけで付き添うつもりだったのだが、グリゼルダまでもがついてくるというのは、心強いようでもあり、僅かな憂鬱の種でもあった。見れば、いつの間にか彼女はグリュクの横についている。


「取り敢えず、どこかで腹ごしらえしないと……あ、あの料亭とか、結構雰囲気良さそうじゃない?」

(いつもは適当に屋台やら歩き食いで済ませてるくせに……)

「うっさい!」


 まぁ、話し相手が剣だけというよりは、華もある状況なのだろう。

 そう言い聞かせながら、グリュクは手で(ひさし)を作り、暖かな春風の吹きぬける妖魔領域の空を見上げてみた。

お疲れ様でした、これにて第9話の本筋は完結です。

10部予定のうち、残りの1部は外伝というか、9000字弱の新規キャラクター主役のエピソードになります。

よろしければ、このままお読みいただければ幸いです。

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