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霊剣歴程  作者: kadochika
第09話:華冑、輝く
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3.時計塔の妖姫

 小高い丘にそびえる、城塞。堅い石材によって丁寧に組み上げられた強固な壁の各所から垂らされた幕に記されているのは、ここが古代における異種族――この場合は魔女――との戦争の最前線であった名残、辺境伯領(へんきょうはくりょう)であることを表している。

 遙か西の地に「啓蒙者(けいもうしゃ)」を名乗る有翼の種族が降臨し、彼らに対抗するために魔女諸国との緩やかな協力関係が構築されて以来、魔女の侵攻を防ぐために設置された北西部の辺境伯領が実質上有名無実となって久しい。

 グラバジャ辺境伯領も、そのような土地の一つではあった。


「うりゃーーーっ!」


 意味こそ含まないが意思には満ち溢れた瑞々しい高音の声が、空間を飛び交う魔力の線から形あるエネルギーを抽出する。

 そして虚空に生まれた小さな火の球は、数秒を待たずして小さく縮み、午後の大気に消えた。


「ダメ、もう一回」


 球技でも開催できそうなその広い中庭にはあまり植生もなく、単なる運動場として整備されたものらしい。周囲に植えられた芝と、目の細かい土で覆われた地面と、ついでに言えば蝋を塗った布で覆われた重厚な整地ローラーがいくつか放置されていることで、そうした印象を更に強めていた。

 そのような、殆ど殺風景に近い場所に、二人。

 背の小さな一つは眉をキリと結びつつ両腕を前方に突き出し、背の高いもう一方は不動で佇んでいる。


「そりゃーーーっ!!」


 やたらと投げやりな呪文だが、既に何十回とやらせているので唱えるのが面倒になったのだろう。本当は、集中のためにもそれなりに気分の出る呪文を唱えた方が良いのだが。

 叙情性を犠牲にした気合いとは裏腹に、その視線の焦点が結ばれた先には小さくきらめく火の玉が、先ほど同様に栓を抜くような音を立てて出現した。額と肩のあたりで切り揃えた色素の少ない金髪も微動だにしない、微笑ましい妖術の炎は、やはり先ほど同様、早めに十秒を数える前に(しぼ)んで消えた。


「あぁ……」

「七秒」


 嘆くように肩を落とす少女に対して、その後ろで腕組みをしつつ観察していたフレデリカは少女が火球を維持できた時間を告げた。前方から見ると前髪を残して抽象化した心臓(ハート)の形状に見えるように編み上げた奇抜な髪型が目を引く、これまた髪の色素の薄い女だ。少女とは年の離れた姉妹だと言われれば、納得する者もいただろう。

 その年の離れた妹のような少女の名は、パピヨン・ヴェゲナ・ルフレート。フレデリカが狂王より預かった、王位継承候補者の一人だ。ただ、それにしては少々どころではなく魔力が、つまり体内に持つ変換小体の量が少なすぎた。

 妖族国家であるヴェゲナ・ルフレートでは、上に立つ者は物理的な実力を要求される。そのため、彼女のような非力な術者を次の狂王にと支持する者は限りなく少なかった。


「ちょっと休憩にしましょうか」


 訓練――どんなに微笑ましい授業内容であっても、少しでも緊張感を持たせるために言い回しには気を使った――を中断し、軽食を広げようと近くに置いた荷物に近づくと、そこにもう一つ、よく見知った姿がやってきた。


(はく)?」

「伯、いつもお疲れ様です」

「は、恐縮でございます、殿下」


 年齢はようやく二百歳――妖族で言えばどうにか若造扱いを免れる年頃だ――を越えたといった所か、礼服に身を包んだ背の高い銀髪の、痩せぎすの男。彼、グラバジャ辺境伯(へんきょうはく)アルベルト・カインウィッツは、フレデリカの後見人でもあった。非才の子と思われているパピヨンを次期狂王にと推挙している、数少ない(マルグラヴ)でもある。

 そして今回、彼はその後ろに髪の長い女を連れていた。いや、衣服の上から伺える体型の起伏を観察するに男かも知れないが、いずれにせよかなり若い。


「フレデリカ、少々急だが客人を案内するぞ。殿下も、よろしければお目通り願いたく」

「休憩に入るけど、まだパピヨンの訓練の途中よ」

「先生、私は構いませんよ?」

「あなたは構わなくても――」

「殿下の刺激にもなると思ってな、案内した」

「初めましてパピヨン殿下、フレデリカ教師」


 その性別は声ですぐに女と知れた。彼女は一礼すると顔を上げ、名乗る。


「これから少しの間、グラバジャ辺境伯領のお世話になります、グリゼルダ・ドミナグラディウムと申します」

(そして裁きの名の下に、我が銘レグフレッジ。よろしく頼む、姫君とその師よ)

「あぁ……彼女があなたの言ってた」


 フレデリカは、アルベルトからそうした剣の銘を幾つか聞いていた。その中の一つに当てはまる人格剣が、目の前の少女の帯びた鞘に収まっている。


「すまんが、私は時計塔の調整を続けねばならん。霊剣の知見は、きっと殿下にも良い影響を及ぼすはずだ」

「わかった。他の事は任せて」

「頼むぞ」


 短くそう告げると、彼は足早に広い中庭を歩き去った。視線を遮る物体が殆どないので、その背はかなり小さくなるまで視界から消えることはない。“時計塔”の調整に難航して、近頃は碌に寝ていないのだろう。愛用の寝床である重厚な棺がここ最近は使われた様子がないと、城の女中(メイド)たちが噂しているのを彼女も聞いていた。


「よろしくお願いします、霊剣の主グリゼルダ」

「こちらこそ、殿下」


 明後日には、パピヨンの異母兄がグラバジャとの交渉会談にやってくる。

 十二歳の妖族の姫と、彼女と大差のない年齢の魔女の娘が挨拶を交わすのを眺めながら、フレデリカは何故か、これからどうにも吉事の起こりそうにない予感を覚えていた。






 なだらかに、しかしあまり一定した平坦さのない一帯に土台を築き、そこに紋章の描かれた垂れ幕がいくつも下がった堅固そうな城壁と、それに囲まれた本体が鎮座している。啓発協議連合けいはつきょうぎれんごうや魔女の諸国の様式とやや似て、やや異国の趣が多いながらも至って順当な様式という風情を漂わせていた。ここが妖魔領域の中では純粋人や魔女の世界に近い地域ということもあるだろう。

 やや離れて傍らにそびえる巨大な時計塔は、遠目には虚空を漂う芥子粒のように見えるカラスとの対比が、その盤の数字だけで相当な大きさであることを窺わせる。

 森に開かれたささやかな石畳の歩道から見えた小高い丘の上のグラバジャ城は、そのような城だった。


「お城を見る機会だってありませんでしたけど……入るのなんて、初めてです」


 フェーアが珍しくそのような話題を持ち出してきた。

 城の中心から一キロメートルほど離れた所に出入城を管理する関門が複数あり、グリュクたちが霊剣の言う妖族に接触するために係官へと用件を伝えた所だ。


(うむ。しかしあの時計塔、吾人が最後に見た時はまだ低層部分の建造中であった)

「外観は完成してるみたいだけどね」

「お待たせしました」


 窓口に戻ってきた係官が、用件を伝えてくる。


「ご用のデオティメス・クオ・セイニ師は既に亡くなられているそうでして、残念ですが……」

「でしたら、セイニ師と親交のあった方のお話は伺えないでしょうか」


 何とか、食い下がる。係官が口にしたのは、霊剣ミルフィストラッセの元人格(オリジナル)となった霊剣の創造者ビーク・テトラストール、その盟友に当たる妖族の名だ。

 元々素性すら確かでないグリュクの様な魔女を相手に、例え生きていた所で「師」などと称されるような人物が会ってくれる可能性など大きくはないのだが、この場合は霊剣がその素性を明らかにしたことで、七百年前に城で術技指南役(じゅつぎしなんやく)に就いていたという魔女ビーク・テトラストールの名前の記録を辿って一先ずは信用されることが出来た様だ。七百年も前の在籍者の名前がすぐ確認できる書類に残っていることに、グリュクは純粋人・魔女と妖族との時間感覚の違いを思い知らずにはいられなかった。


「城主のカインウィッツ卿が直弟子に当たりますが……お忙しいので会えるかどうかは。それでも良ろしければ面会願を出しますか?」

「お願いします、ああ、それと!」

「はい、どうぞ」

(霊剣ミルフィストラッセもいるという点を伝えて忘れなきよう)

「あー、それと。彼女に、何か仕事を紹介してもらう訳にはいきませんか。フェーアさん!」

「はい……?」


 それまで所在無さげに壁に貼られた野菜の直販日程の告知などを見ていたフェーアが、虚を突かれたように声を上げた。






 それ特有の湿度と臭いを備えた厨房は広く、やや離れた別室では大釜の湯が煮立って生じる湯気や調理器具同士がぶつかる音やまな板を叩く包丁の音で溢れ、食材の下拵えに使う香辛料の芳香などが漂ってきては彼女の鼻をくすぐった。そういえば、食事は朝早く、グリュクと静かに食べたのが最後だ。

 頭巾を被り、背の低い木箱に腰を下ろしたフェーア・ハザクは――残念ながら、髪はともかく耳が上手く頭巾に入らなかった――包丁を構えて目の前の大きな木箱を睨む。


「(……多い)」


 その中に詰まった芋たちは丁寧に洗われてすっかり土を落とされており、きれいな薄黄色の凹凸(おうとつ)の多い皮が厨房の照明を鈍く反射した。あとは自分が皮を剥くだけだ。


「(……多い……)」


 料理ならば大叔母の世話で慣れたものだったが、目の前の一辺あたり一メートルはあろうかという大きな木箱にごろごろと詰まった芋の山は、これで城内の一食分なのだという。交代要員含め、日中のグラバジャ城は平時にあっても凡そ千人近くが勤務しているらしい。また、これが済んでも次は隣の、やはり木箱にみっしりと詰め込まれたタマネギ全ての皮を剥くように言われていた。

 早速厨房でこの配置につくよう言い渡された時は少々驚いたが、既に働く気持ちは固めていた。ここまで連れてきてくれた青年のためにも、多少のことでへこたれてはいられない。


「(よし……!)」


 料理はともかく、厨房の一員として十分な働きをしてみせる自信はあまりなかったが、取り敢えず、包丁を構えてフェーアは意気込んだ。

 その厨房の新参者である彼女を狙う一つの害意の存在に、彼女はまだ気づいていなかったが。








 一辺境伯領の頭領であるグラバジャ伯が面会に応じたのは、早くも翌日のことだった。霊剣の存在が伝わっているにしても、予想外の反応ではあった。

 使い魔に呼び出されて宿から一人で城へと向い――フェーアは既にグラバジャ城の厨房に勤めている――、城の外郭部の小さな応接室に通され、側近らしき二人の武装した兵士を伴ってやって来た背の高い銀髪の男に先導され、話を聞くために城内へと入ることとなった。城内は特に武装の制限などはないらしく、彼が霊剣を帯びることについては何ら言及が無かった。


「こんな時に、師の盟友の遺産に二つも出会うとは思わなかったよ」

「二つ、ですか……?」

 

グリュクより背の高い銀髪の紳士といった出で立ちの礼服の男は、コツコツと小気味よく足音を響かせて廊下を歩き続けた。


(伯よ、そ奴はレグフレッジと名乗ってはいなかったか)

「いかにも、剣鍛冶(けんかじ)としても名を馳せた魔女ビーク・テトラストール。彼が打ち出した最初の霊剣の銘がミルフィストラッセ、その次の作がレグフレッジだ。私が知る限り、テトラストール師はこの地で五振りの霊剣を生み出し、弟子や信頼できる者に預けて旅立たせたという。この地には一振りたりとて残っていなかったものがこの時期この数日で二振りも戻ってくれば、驚きもするさ」

「(グリゼルダが……来てるのか)」


 霊剣の指摘に、グラバジャ伯は懐かしむように語り出した。グリュクは身なりにはあまり自信がなかったが、一応はグラバジャ辺境伯領の客として、城主自身に城内に招き入れられたことになる。これが霊剣を根拠とする待遇なのだから、その秘められた威力や使命を知る身とはいえ、グリュクには以前であった霊剣を持つ少女のことも併せて何か、落ち着かないものが感じられるのだった。


(伯よ、吾らは今この地にいるという霊剣とその主に会って、詳しい話を聞きたい。一度会っているのだが、その時は危急の事態ゆえ詳しいことなどは聞けなんだ)

「彼女は、今は殿下の――知っているかな、つい先日長期睡眠からお目ざめになったパピヨン王女殿下の相手をしてもらっている。もしかしたら、今はこの先(時計塔)にいるかも知れんな」

(そして、その時計塔に――)

「ああ、君の元人格(オリジナル)の盟友――我が師、デオティメス・クオ・セイニの複写人格が宿っている」


 伯がそう語った丁度その時、開放されたままの扉を通るとその偉容がグリュクの目を奪った。

 突き刺さるように天へと延びるその塔は、百メートルは優に越える高さがあろう。城からここまで案内される途中で外観の全貌は見てその大きさを分かっていたつもりだったが、近くにあっては視覚と聴覚と、魔女の知覚から揺さ振られるようにしてその存在が伝わってくる。


「……大きいねぇ」

(うむ、しかも漏れ伝わり来るこの魔力線……かなり巨大で精細な構造の永久魔法物質(ヴィジウム)が中核に使用されている)


 カウェスでも縁があった永久魔法物質(ヴィジウム)だが、いよいよその産地である妖魔領域へと足を踏み入れたならば、こうして名を聞き、時には目にする機会も増えるかも知れない。なおも足は止めず、その入り口へと向かった。今は角度的に、その麓に立つグリュクやグラバジャ伯には時計盤の部分が見づらい。

 内部へと入るのかと思えば、先ほどから動きやすい服装と煮固めた皮革の帽子で身を固めた人員――無論、全員妖族だ――が出入りしており、何かの作業の途中であることを思わせた。置き看板や貼り帯(テープ)によって、妖魔領域でも共通するらしい黄と黒による警告の縞模様(しまもよう)が至る所に示されていた。


「君は、その霊剣を受け継いでどのくらいになる」

「二ヶ月です」

「二ヶ月!」

(色々とあってな、まだまだ半人前の主なのは許してやって欲しい)

「一人前って言うつもりはないけどお前、もうちょっと手心っていうか……」

「ま、まぁ一昨日ですとか言われるよりは驚きは小さいが……前の所有者はどうしている?」


 驚きを見せたグラバジャ伯の口に、大きな犬歯が覗くのに気づいた。彼の場合はそうした箇所が、人間や魔女との形態的な違いなのだろう。


「大戦末期に、ある村を守って戦死しました。彼とは、その村の近くで……」

「……成る程なぁ。まして最初の霊剣、それ以降に作られたの拵えのことなど知らんだろう」


 グリュクが簡単に説明すると、伯は納得してくれたようだった。王国出身であるグリュク自身の出自について訊かれなかったのは、幸いといえるだろう。


「師から聞き得た所に拠れば、テトラストール師は霊剣の最初の一振りに自分の人格を複写し、旅立たせたのは自分の弟子だそうだ。二振り目以降は銘以外詳しくは知らないが、霊剣は、所持者の記憶や経験を次の所有者へと効率的に受け継いで、より高度な知識や法則性を導き出すための存在だ。様々な視野を通して得られた記憶や経験が積み重なって、単純な総和以上の知を導き出してゆく。恐らくは、その目的にふさわしい者へと譲渡されたのだろうが……もう一人の霊剣使いの方が詳しいかな」


 そうした話を聞きつつ、時計塔の足下を回り込むようにして反対側へと歩いていくと、開けた場所に出た。時計塔やグラバジャ城を支える土台の辺縁で、その外を囲む城壁までの森を見渡せる低い展望台といった様子になっていた。

 それを展望しているらしき、三つの影。裾の広がるドレスを着た小さなものに、黒いドレスを羽織ったやや大きな、心臓を抽象化した形状(ハート)の形に編み上げられた髪型のもの。そして、帽子を被った長い黒髪の後ろ姿には、見覚えがあった。


「おーい、もう一人の霊剣の持ち主を連れてきたぞ」

「っ!」


 もっとも早く振り向いたのは、黒髪。やはりグリゼルダだったと分かるその少女は、残る二人に軽く会釈をするとこちらに早足で歩み寄ってきた。思わず、身構える。


「また会ったわね、グリュク・カダン!」

「あ、あぁ……」

(また(まみ)えたな、裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)よ)

(こうして再会した縁を奇妙とも、奇跡とも感じる。久しぶりだね、意志の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)


 サリアで出会った時とはかなり異なる、明朗な反応だった。その様子をそうも意外に思ったのは、彼女が以前、グリュクに霊剣(ミルフィストラッセ)の譲渡を要求したことがあったためだ。

 グリュクはやや、腫れ物に触るように彼女に訪ねた。


「あの時はありがとう。こんな時にいきなりだけど……まだ君は、こいつが必要かな?」

「あ、あぁ……えーと」


 霊剣の柄尻に掌を置いて出来るだけ穏便を心がけて尋ねると、グリゼルダは少し、居心地悪そうに答える。


「それはもういいの。ちょっと、状況が変わったから」

「状況……?」

「グリゼルダ、そちらの殿方も霊剣をお持ちということですが……」


 その後ろから後を追って歩いてきた二人のうち、ドレスをまとった小さな少女が袖を引くように霊剣を持つ少女に尋ねた。


「あ、すみません。こちらがその、私が道中唯一出会えた私以外の霊剣の主、グリュク・カダンです」

「よろしく、グリュク・カダン。パピヨン・ヴェゲナ・ルフレートです」

「よろしくお願いします、お姫様」


 ぎこちなく、幼い妖族の姫へと挨拶を返す。純粋人や魔女の五倍程度の寿命を持つ妖族とはいえ、成長期まで五倍の時間を要する訳ではなく、二十歳前後までは純粋人や魔女同様の年齢判断が可能だ。見たままを信じるなら、彼女は十代前半だろう。


「あなたがね……」


 変わった髪型の女――前から見ると編まずに垂らした前髪のおかげで幾分普通の髪型に見えた――がグリゼルダに何かを吹き込まれたのか意味ありげな台詞を言うが、すぐに彼女も名乗った。


「フレデリカ・ファゴット。こちらのパピヨン殿下の術技講師よ」


 パピヨン王女付きの教師か、それに類する立場に当たるのだろう。一応はこの場の全員が、会する他者の名を把握したか、そこで銀髪の紳士が言葉を発した。


「ここらでよろしいかな。殿下、申し訳ありませんが、これから時計塔の作動試験を開始いたします。危険もあり得ますので……恐れながら、ここより先はご遠慮賜りたく」

「わがままは言いません。あなたの師の悲願、存分に成し遂げられますよう」

「恐悦の至り……安全が確認でき次第、殿下にもご臨席いただく所存です」

「それじゃあパピヨン、私は伯の手伝いもあるから……」

「はい。皆さん、先生をよろしくお願いします」


 妖族の姫はぺこりと一礼すると、廊下を歩いていた女中を呼び止め、彼女に付き添われて何処かへと歩き去っていった。

 そして彼らも、開けた外周を歩いて時計塔の内部へと向かう。グリュクはグリゼルダにグラバジャ辺境伯、妖族の姫の教師という、霊剣に出会う前からは考えられない組み合わせの同行者と共に、伯に案内されて時計塔の大型昇降機(エレベータ)へと入った。鉱山などで使われていそうな、内装の見栄えなどには一切考慮の及んでいない――及ぼす必要など無い――無骨な代物だ。それが振動と共に下降してゆき、外装の骨組み越しに見える昇降経路の剥き出しの壁が地層の彩りを見せ付ける。


(時計塔などというから、昇るものだと思っていたよ)

「上部にも機能上必要な構造はあるが……本質は地下にある」

「そこに、霊剣の製作者ビーク・テトラストールの、盟友の人格が宿っているって訳ね」

「分かっているとは思うが、粗相の無いように」

「はい」


 霊剣の主二人が異口同音に返事をすると、昇降機が大きな金属体同士のぶつかる音と共に緩やかに停止した。二重になっている目の細かな金網の扉が掛け網模様(モアレ)を織り成しながら左右へと軽快に開くと、数メートルほど先の前方には大きな扉。

 さすがに全ての希望を捨てるよう推奨する文句などは書かれていなかったが、伯が装飾の施された重厚な鉄扉を開くと、広大な空間が姿を現した。


「……音楽堂(コンサート・ホール)?」


 グリゼルダがそう口にするのももっともであり、確かにそこは大規模な楽団や著名な歌手が聴衆に向かって伎芸(ぎげい)を披露する場に似ていた。四人と二振りが位置する扉は扇形の広大な部屋の長周部分のちょうど中央部分に開いており、そこから何段もの同心円上の段を下った所に、これまた扇形の舞台のような場所が設けられていた。


「こんな広い空間があったんだ……」

(客席はないが、これから設置するのかな)

「まぁ、そんなこともあるかも知れないな」


 グリゼルダの感嘆にレグフレッジが冗談めかして言うと、伯はそう答えて扇状の段を降りていった。特に振り返ることもなく、黒いドレスの妖女に要請する。


「フレデリカ、お前も手伝ってくれ。君たちは好きな所で見てくれて構わないが……全ての機能を連携させて起動するのは初めてのことだ。注意はしておくよう頼むぞ」

「はい」

「グリュク、フレデリカさんの近くで見よう?」

「え、あぁ」


 誘われるままに、妖姫の教師が近づいていく巨大な楽器のような装置の近くへと赴く。その短いすがらに、グリゼルダがグリュクの霊剣に話しかけた。


「ミルフィストラッセは気になるわよね、霊剣を作った男について、親友からその話を聞くのって」

(うむ。レグフレッジよ、御辺はどうなのだ)

(全く同じ人格を基点としながら、現代に至るまでに全く性格の異なる魔女たちを主と選んできた我々だ。だが、懐かしい気持ちに変わりはない)

(そうか……)

(詳しくは共に聞こう。私も、自分より後に生み出された霊剣のことは知らないからね)


 鞘の中から霊剣同士の会話が、グリュクたちの精神に直接聞こえてくる。それを聞いたか、席に着いてタイミング良く手指を動かして何かの操作をしているフレデリカが感心らしきことをする。


「同じ剣同士、仲が良いのね」

「ペットが(じゃ)れあってるみたいですよねー」

(その比喩は撤回してくれグリゼルダ!!)

(霊剣はそうと認めた主の下僕(しもべ)でこそあれ、飼い犬ではないッ!)


 笑いながら頷きあう二人の感想に悲鳴を上げる二振りの剣の必死さがおかしく、グリュクも笑った。思えば、そうしたおかしさに笑うのはいつ以来のことだったか。

 そこで、何か甲高い音が周囲に反響した。それが収まると、四方に設置された音響装置から拡大された伯の音声が出力された。その前の甲高い音は放送機器の動作に伴う何かだったらしい。


「あー、放送装置の試験中」

「聞こえるわよ伯ー!」


 実際の舞台で言えば袖に当たる部分で機器の操作を続けるフレデリカがそう告げると、


「これより時計塔の作動試験を開始する」


 伯の一声と共に「舞台」上の空間に、立体像らしき雑像(ノイズ)が生じた。それは紙同士を擦るような雑音を立て、特定の形状を取ろうとして出来ずに苦しんでいるようにも見える。

 興業用途や軍事作戦に活用しうるものとして、任意の立体像を虚空に投影する術が存在するが、こうして辺境伯が大規模な装置でわざわざ見せようとするものではないはずだ。


「む。何故人格が再生されない……?」


 伯は呻くと、彼らからは見えない位置で何かを操作しているのか、数分ほど操作を続け、像は揺らめきつづけた。そして、彼がマイクをやや離れて嘆息するのが聞こえると、


「…………人格再生は後回しにして、時計塔の機能、“未来予知”を使用する。“現在”を“微分”し、近い未来に起こりうる出来事を現在の我々に教えてくれる機能だ」


 盟友の人格の再生が先送りにされたことで、グリュクの腰の剣が残念そうな雰囲気を帯びるのが分かった。複製人格とはいえ七百年振りに再会するのだとすれば、期待する所もあったのだろう。


「しかし未来予知なんて、凄いな」

(これこそは我が盟友、デオティメスの構想なり。未来を高精度で予測し、悲劇を打倒する。霊剣が過去の力で悪に対抗しようとする様に、時計塔は未来を知る力を持つ。両者の着眼点や性質は異なるが、目的は同一)

「……この変形ばっかりしてる雑像(ノイズ)は何ですか」

「最初の本格的な作動故、未来の近似値を求めるための“現在”の状況を収集しているのだ。次回以降はここまで時間はかからないはずだが、演算容量が食われるので未来予測の最中は人格は出現しない」


 グリゼルダの質問にグラバジャ伯がそう答えると、雑像(ノイズ)は徐々に鮮明さを増していった。

 その形状にグリュクが見覚えを見いだすのが先か、像は白い産毛に覆われた木の葉のような形の大きな耳を生やした、亜麻色の髪の妖族の娘に変化した。


「(何でフェーアさんが……?)」


 グリュクとミルフィストラッセ以外に面識がある筈もなく、隣のグリゼルダとその従僕が投影された姿の解釈に困っている様がちらと窺える。像の中のフェーアは、小さな金属の台車を押していた。

 そして舞台の上で実物よりもかなり大きく再現されたその姿は、不意に歩きだして――像全体はその場から動かなかったが、歩いている様を追っている視点なのだと理解できる――、舞台の端から現れた別の像に近づいてゆく。


「パピヨン……!?」


 今は装置を操る必要も無いのか、舞台の上に結ばれた像の動きを霊剣の主たち同様に追っていたフレデリカが声を上げる。肩の上で切り揃えた明るい色の髪、フリルやパフの付いたドレスをまとった幼い妖姫は、近づいてきた妖女の取り出した短刀で腹部を貫かれた。


「殿下ッ!?」


 そのパピヨンの姿がくず折れると、動像(どうぞう)は透明度を増してそのまま消失した。

 装置の部屋にいるであろう伯が悲鳴と共にそこを飛び出る様子が想像できたような気さえして、グリュクはこれが時計塔によって導き出された未来の様相であることを思い出す。

 伯の言葉と目の前で起きたことを信じるならば、目の前の舞台の上で形成された動像は、「フェーア・ハザクがパピヨン王女を刺殺する」という出来事が、近い未来に生じることを示していた。

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