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霊剣歴程  作者: kadochika
第09話:華冑、輝く
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1.長命者の思索

 (前略)彼らの上に建つ狂王(きょうおう)と呼ばれる存在についても、端的に言って謎に包まれている。世歴(せいれき)が使われ始める前から、その称号と名は粘度板や獣皮紙、木片に記されており、それらを信用するならば妖魔領域(ヴェゲナ・ルフレート)は、妖族は、五千年以上前からたった一人の王を頂点とした社会を営み続けていることになる。これは、妖族の平均寿命が純粋人や魔女のそれの五倍ほどになることを差し引いても、信じがたい数字である。或いは、かの存在が垂れ幕の一つも暴けばただの珍奇な石像だったと確認できるのであれば、それも良いだろう。

 だが、後述するようにその人物像は、ただの口裏あわせで成立している虚像と考えるには、あまりに現実味を帯びすぎている。彼らはこの神にも似た絶対統治者の悠久にも似た治世に、特に疑問を抱くこともしていないらしい。

 この一点だけでも、我々人類・魔女と、妖族たちとの間に横たわる谷の深さをどこまで大きく見積もろうと不足することは無いと、考えるものである。


――連邦の妖族学において古典とされる学術書より抜粋。






 虚空に紫煙がくゆり、彼の咥えた葉巻煙草(たばこ)はじわりと灰になり続ける。

 山脈南部の寒冷地帯に生じた火山から運ばれてくる火山灰は、領土一帯に積もったものだけでも年間で数億トンに達するという。雨期にやってくる大量の降水によってそれらの大半は黒い川となって洗い流されるのだが、そうでない時期はこうして黒い(もや)となって光を遮り、フィッスオー直賜領(ちょくしりょう)を暗く包み込んでいる。お陰で、彼の広大な邸宅では除塵用の魔導従兵(まどうじゅうへい)の休む日が無い。

 それでも魔力線(まりょくせん)は天地から滞り無く降り注ぐため、葉に変換小体(へんかんしょうたい)を多量に含んだ黄色みの強い植生がそこかしこに生えているのが、魔女や人間たちには異様な光景と映るらしい。それを素直に馬鹿にして笑うことなど出来ないのが、こうして思索に耽る第三王子、タルタス・ヴェゲナ・ルフレートの一面だった。

 執務室の机で気管から肺へと葉巻の煙を吸い入れ、(おびただ)しく考える。

 例えば、「何故自分(タルタス)は千年を越えて生きているのか」。医学や生物学的な原理への興味も無くはないが、そうではなく、哲学的な「誰がそう定めたのか」ということが気に掛かるのだ。通常六百年と生きることの出来ない妖族の中にあって、何故彼の一族、すなわち狂王(きょうおう)に連なる血脈のみ――そう、それは彼の異母兄弟姉妹にも当てはまる――がこうして軽々とそれを超越して存在しているのか、千四百年生きてなお、答えは出ない。

 或いは、いくら現生神(あらいきがみ)などと拝されていようと、所詮肉体を持つ存在である父・狂王などではなく、真の神性(しんせい)とやらを備えた超自然的な概念が実在するならば、そこに因果を求めることも出来ようが、それは唯物(ゆいぶつ)主義者たる彼の趣向に沿わない。魚頭(ぎょとう)崇拝の真似事をするのは、少なくともまだ早い。

 (もっと)も、それらは所詮気の紛らわしであり他方、タルタスは実際的なことを考える時間の方が多い。隕石霊峰(ドリハルト)採掘事業の進捗、情報網の不備について。行政、立法、経済政策。理事を務める企業の部門別の収益改善、懇親会の会場準備や兵団の教練などを行う企業の最終決定、従順に見えて細かい所でささやかに反抗的な秘書の扱い。

 いつの間にか口元まで灰化が迫ってきていた葉巻を口から離し、銀の灰皿に置いてその灰の形を崩す。形あるものはいつかこうして塵芥(ちりあくた)になると思い知らせるはずの自然法則が、彼の一族だけを不気味に贔屓にしているような気がして、彼は葉巻の残った部分で崩れた灰を更に潰し散らした。

 王位を継げば、或いはいつかこの大地を制した暁には、そうした無根拠な恐怖も消え去るのだろうか。

 それもまた、答えの出ない疑問ではあった。






 鉄軌(レール)の継ぎ目に車輪が当たり、規則正しく足腰にリズムを伝えてくる。

 グリュク・カダンは狭苦しい個室の寝台に腰掛けて、駅で購入した旅行者向けの観光案内書の続きに目を通していた。狭い客室で独り腰掛けているのでさほど目立ってはいないが、身長が高い部類に入る。

 案内書を読みつつ、髪に妙な寝癖がついてはいないかと、後頭部をまさぐった。切る機会もなく二ヶ月ほど旅を続けたせいか、案の定、備え付けられた鏡では見えない箇所の髪が盛大に跳ね返っていた。髪は全体的にやたらと赤みが強く、人混みの中では身長も相まって、少しばかり目立ったことだろう。いつもならこの程度の寝癖などさして気にしない所だが、今は同行者がいた。


吾人(ごじん)は同行者の範疇に入らぬという訳か。悲しいぞ)


 その声は、グリュクの内心に語りかけてきていた。出所はといえば、彼にとっては言うまでもなく、寝台の脇に立てかけた一本の剣。七百年前に打ち出され、歴代の所有者の記憶と魂を次代の所有者へと継承させる使命を帯びた、(めい)、ミルフィストラッセ。彼のような剣を指して、霊剣(れいけん)と呼ぶらしい。


「俺とお前は、同行者とかいう関係でもないと思うけどな」

(むしろより深い紐帯(ちゅうたい)を結んだ間柄ということだな。御辺(ごへん)も分かってきたではないか)

「お前も大げさだね……二ヶ月程度で何が紐帯だ」

(二ヶ月もあれば(われ)らには十分なり)


 それに対して、グリュクはひらひらと右手だけを呆れたように振って意思を示す。左手は先日とある事情で深く負傷しており、傷口は塞がっているものの、骨の接合が危うい状態だった。今は添え木をしたまま首から下がっており、いかに魔法術や妖術といった手段が存在していても、血と肉と骨で出来た動物の肉体というものはこうも容易に崩れ去りうるのだということを感じさせようとしている様にも思える。

 時刻は夜明け、景色の有様は徐々に徐々に、緑の森に妖魔領域特有の黄色がかった葉を茂らせた樹木が混じり、季節感を狂わせようとしてくる。そろそろ完全に妖魔領域(ようまりょういき)に入ったか。

 そして、車窓から目に映る木々の全ての葉の色がそうなろうかという時、隣の客室から声が聞こえてきた。


「あうぅ……!」

「!?」


 呻き声は、同行者のものだった。 






 フェーアはそこがどこかは知らないし、全く気にならない。むしろ意識の焦点はややぼやけたまま、しかし強烈な畏怖(いふ)と罪悪感とに結ばれていた。

 

(フェーア……!)


 そしてただひたすらに、怯え続ける。


(男をたぶらかして、私を殺させたわね……!! 恨むわフェーア……絶対に許さないッ!!)


 顔も定かではないのに何故か当人だと理解できる大叔母の激しい難詰(なんきつ)に、彼女は身動きも出来ずに晒されていた。理不尽に体を奪われたのは、フェーアの方だというのに。


「(違います、私は――!?)」

(見苦しく言い逃れをする、ふしだらで浅ましい子……! 私の苦しみを思い知りなさいッ!!)


 無防備な体を非難に打たれながらも、相変わらずここがどこなのか分からない――いや、場所などどうでもいい、この胸の苦しさ、痛さ! 不条理に対する悲しみと僅かな怒りで胸が締めつけられ、息苦しさが加速する。

 そこに今度は世界全体が揺らぐような衝撃が到来し、視界を埋め尽くす火花と共に全てが暗転した。


 ――一瞬遅れて意識できたのは、声だった。何がそこまで気がかりなのか、扉を叩く音と、彼女を案じているらしい声が扉の向こうから聞こえてくる。


「フェーアさん!」

「………………!?」


 記憶を呼び起こしながらもやはり意識は混乱していたが、その声は、確か。記憶同士が再び結びつき始め、彼女の周囲の混沌が確かな意味を帯びだした。


「グリュク……さん……?」

「大丈夫ですか! (うな)されてるような声が……」


 どうやら、死別した大叔母に責め立てられる夢を見ていたらしい。背筋は冷たく、不愉快な汗が額を湿らせていた。僅かながら頭痛さえ感じる。

 自分が薄着になっていることだけは覚えていたので、本能的に毛布を引き寄せながら上体だけ起こす。彼女が大きな借りを持つ青年とはいえ、このような状態で中に通してしまうのは悪夢で罵られた通りに己のふしだらさを認めるようで、出来なかった。きっと、彼から見れば自分は随分と面倒な女だろうな、などと自嘲さえする。


「…………」

「あ、すみません……あまりに声が苦しそうだったので……勝手に入ってしまうべきかどうかと」

「い、いえ……こちらこそ、その……」


 扉の向こうの青年に魘される声を聞かれたという羞恥もあったが、まずはありがたいことだった。鍵を開けっ放しにしておいて黄色く悲鳴でも上げてしまえば、互いにもっと楽だったのかも知れないが。


(無礼を許して欲しい、フェーア・ハザク。吾人も主も、ただ御辺を案じたのだ。無論下心が欠片も存在しないなどとは――いや、失言であったな)

「いえ……ありがとうございました……」


 彼女の先日までの苦しみに比べれば、多少の下心など、あったとしてもかわいいものだ。剣士の厚意と剣の釈明に礼だけ告げて、視線を伏せた。列車に寝床を借りて、一夜が明けてこれだ。目的地(グラバジャ)に着くまでにあと二日ほど要するというが、それまで眠る度にこうして彼に醜態を聞かせてしまうのかと思うと、気が重かった。


「……お大事に」


 青年は、申し訳なさそうな声で扉の向こうから歩き去る。フェーアは頭まで毛布を被ると、うつ伏せになって小さく呻いた。悪夢を見たあとで肝が冷えていたはずだが、羞恥に体温が上がっているのが分かる。

 それから少しして外から何度か大きな金属音が聞こえたが、それも今はどうでも良かった。






 露店の壷が割れて飛び散り、蹴爪(けづめ)に鉄の(かぎ)を括りつけられた見世物の闘鶏(とうけい)たちも争いをやめてバタバタと不格好に飛び回った。そうして市場が一時騒然となったのは、まぁ、彼女のせいだと言って良いかも知れない。


「しつこい!」


 グリゼルダ・ドミナグラディウムはそう呟くと霊剣を振り、その刃で串刺しにした椅子を引き抜くようにして飛ばした。遠心力のかかった椅子の脚が顔面を直撃した妖族の男は、派手に倒れて失神する。

 後方に振り向き、突進してくる新手にしゃがんで足払いをかけると倒れ込んだその膝裏を全力の踵で踏み抜き、両側から同時に飛びかかってきた二人は一方へ踏み出しその腹を蹴った反動でもう一方の顔面に跳び膝蹴りを浴びせた。


(キリがない、一端逃げよう)

「駄目よッ、あたしに襲いかかろうなんて奴らは徹底的にボコって、胃もたれするまで後悔させてやらないと気が済まないッ」

(……まぁ、連中が正義でないのは明らかではあるが)


 その腰に帯びた剣、レグフレッジの提案を却下して唸る。霊剣と呼ばれる一振りにして、人生の半分近くを付き合ってきた口数の多い相棒。

 それはともかくとして事情を記せば、グリゼルダは先ほど、声をかけてきた性風俗の関係者らしき男の執拗さに忍耐の限度が来て顔面に裏拳を叩き込んだ。そうすると今度は用心棒らしき妖族が複数現れ、霊剣で得物の刃を切り飛ばして戦意を喪失させたつもりが、こうして新たな集団が群がってきて、現在に至る。

 本来であれば襲撃者など霊剣で全て血祭りに上げている所なのだが、さすがに妖魔領域とはいえ市街地での流血沙汰は避けたいという事で、彼女は霊剣を鞘に収めて徒手や拝借した周囲の物品などで襲撃者を撃退し続けていた。複数のよほど強力な術者か、練度と装備の質の高い軍隊でもなければ、七百年分の戦闘経験と強力かつ精緻な魔法術を行使する霊剣の所有者を仕留めることなど出来はすまいが。


「うぉりゃっ!!」


 目に付いた露天のフライパンを掴み取り、飛びかかってきた角の生えた男の顔面にその底を叩きつける。これで鼻を折る程度で済むのだから、妖族というのは頑丈な体をしているものだ。


「ちょいと、売り物に何するかねッ!?」

(きず)は元の形にっ! はい、ごめんなさいっ!」


 敵を殴って凹んだフライパンはグリゼルダの魔法術で変形箇所が復元され、老店主の許に戻った。その隙を突いて振りかぶられた金属材の、その握る手を蹴って攻撃を潰し、逆にその手から落ちた獲物を奪ってその角が当たるように頭頂を打ち据える。

 そして人通りを縫って駆け抜けてはこちらを見失った者を奇襲し、派手な張り紙だらけの壁を駆け上がって空中を回転しつつ上空から追っ手を踏み倒し、狭い路地では体の小ささを生かしてすり抜けるように七人を叩きのめした。

 そこへ、彼女の持つ魔女の知覚に術行使(じゅつこうし)(かん)が走る。


「必殺丸太飛ばしィ!!」


 (おもむき)に欠ける呪文の生じた方向から、大量の材木が高速で空中を突進してくる。だが霊剣の主はそれが彼女に衝突する前の僅かな時間に魔法術を構築した。


「その針路は錯誤(さくご)の果てに」


 迫る丸太の群に対して必要最小限の大きさで円錐状の念動力場(ねんどうりきば)が発生し、それは飛来する材木の中で彼女に衝突する物の軌道だけを捻じ曲げた。その軌跡の軽やかさとは裏腹に、民家や(へい)に当たって生じた音はどこまでも重く生々しい。飛び散る木片、大小の瓦礫、それに土煙。


「!? ど、どこだ!?」


 熊のような丸い耳をした術者が、狼狽して辺りを見回す。どこに集積してあったのかかなりの量の材木だったが、彼は一度に投射しすぎて目標であるグリゼルダの姿を見失ったようだ。特に苦もなく音を抑えてその背後に立った彼女は、その延髄に小さな打撃魔弾を当てて戦闘不能にした。

 通算で二十五人になるか、襲撃者は特に技能に秀でる訳でもなく、今しがたのように力任せの術で丸木を投射してくる程度のものだ。現在の情勢下(・・・・・・)では、霊剣を持って妖魔領域に入れば襲撃があることは想定するべきではあるのだが。


「……これで終わり?」


 妖族の身体強度が高いといっても、枝打ちしただけの丸木材が飛んできて体を直撃すればそれなりに負傷する。よってと言うべきか、既に避難したのか周囲に主だった気配は無かった。ふと見れば、煉瓦の塀が砕け、植彩の鉢が割れて散乱し、周囲はちょっとした災害の跡になっている。

 さすがに罪悪感も湧いたが、無責任に撒き散らされた材木を回収していては犯人扱いされかねないので、霊剣使いの少女は止むを得ず逃げた。もし万が一にも法廷沙汰になったとして、彼女は数人分の武器を霊剣で破壊した後はそれを鞘へと仕舞っており、一度もその威力を行使していない。実際の下手人はそこら中に倒れている上、あれだけ派手に追われていれば証言してくれる者もいただろう。


「てか、何であたしが逃げなきゃいけないのよ……」


 グラバジャ中心部に近い所までやってきて、そんな溜息をついた。先ほどの市場とはうって変わって閑静な高級居住区といった趣の場所だったが、転移も使って距離を稼いでおり、さっきの今で再び襲撃を受けることはないだろう。

 腰を落としたベンチのある公園では、様々な容姿の妖族たちが白墨(チョーク)で引いた奇妙な図形にそれぞれ陣取り、何か複雑な遊興競技(ゆうこうきょうぎ)らしきことをしていた。


(しかしまた随分と、乱暴で稚拙な襲撃者だったね)

「あんたも暢気ね……状況分かってんの」

(分かっているさ)


 そう、それは彼女も分かっていた。

 今、霊剣が狙われている。

 何か競技の流れに変化でも起きたのか、公園で試合に興じる妖族たちから歓喜や非難の声が様々に上がるのが聞こえてきた。

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