3.シュレディング・スム・イクスト
少女が息巻き、小さな鼻をふくらませる。
「これはまさしく、横暴の極致よ!」
「気持ちは分かるよ、でもまずはその猟銃を下ろしてくれ」
「何で!?」
恋人の順当な要求を退け、イノリア・キャラウェイが疑問を呈した。その両手には、狩猟用の散弾銃が握りしめられている。
銃などを大きく超越した威力の魔法術を持つ魔女でも、神経痛に悩まされない火力は大いに利用していた。霊剣の助力で短期間に多数の戦闘的な魔法術を扱えるようになったグリュクと異なり、通常の魔女は自分の才覚のみを頼りにそれらの構築や発動の感覚を習得せねばならない。単純な発火や箒という簡素な魔具を使用する推進飛行の魔法術程度であれば基礎の範疇だが、魔弾や障壁となると数段難度が上がり、念動力場のような非物質的な術、神経加速などの物質を補強する術となれば技能者はより少数となる。重力作用転移や座標間転移のような物理法則の根源に干渉する領域の魔法術となれば、更に稀だ。
グリュクは彼女の魔女としての戦闘力は知らないが、少なくとも魔弾などを敵に向かって投射する技術などは無いだろうと、見当を付けた。早い話が、極一般的な魔女であり、他の村人同様、戦うとなれば魔法術より銃器を持ち出した方が早いのだ。
「前世って何よ! それが、私からアイルを勝手に奪おうとする理由!? 寝言は寝てから、世迷い言は世迷ってから!」
(落ち着くのだ少女よ、吾らが必ず――)
「それじゃダメなのッ!! あの女がアイルを誘拐して椅子に縛りつけて愛でようってんなら、それを阻むのはあたしじゃなきゃいけないのよッ」
(椅子!?)
霊剣が魔女と妖族の精神に直接働きかけて意思をやり取りできることについては、適当な由来を捏造して言い逃れた。彼の言葉にも聞く耳を持たず、なおも猟銃を振り回して発砲しかねない少女が部屋を出て森に突撃しないのは、恋人であるアイルが羽交い締めにしているために他ならない。
今は、村役場の一室で対策会議が開かれていた。議題は、「エルメール・ハザクと名乗る妖族から村を守るには」。
列席者は村長ほか村の年輩の男たち、村で唯一攻撃魔法を修めたという魔女一名、グリュク、そして渦中のアイル・トランクリア。イノリア・キャラウェイについてはやはり呼ばれていなかったが、会議の最中に猟銃を持って「どうせアイルを差し出す気なんでしょッ!! 絶対させないんだからーッ!!」などと乱入してきた所だ。
唯一の村外出身者であるグリュクは、暴れる少女にその闘争心の根拠を問いただそうと試みた。
「イノリアさん、彼を渡したくない気持ちは俺も同じだけど……あの妖族に、勝てる見込みは?」
「無くても戦いますッ」
まともな回答になっていない意気込みを見せる彼女に、かわいそうだが追い撃ちをかける。
「魔法術の心得は……」
「箒に乗れます!」
「あとは……?」
「……あと、火が起こせます。……風とか!」
「……失礼だけど、俺に勝てますか」
「勝ちますッ! 相手が誰であろうと、アイルは渡させません!」
「(…………無理だろうなぁ……)」
少女の口をついて出た言葉に思わず閉口していると、
「オレぁ勘弁だね、あの太陽みたいな魔弾は、とても……彼の方が戦えてたろ。あれは、妖族の中でも相当な使い手だよ。率直に言えば、お手上げだ」
二周りほど年上の、攻撃魔法を修めたという男がグリュクを指してそう表明する。その言葉に頭に上った血もやや下降したか、イノリアは猟銃を下ろして俯いた。彼女を羽交い締めていたアイルが心配そうにその手を緩める。
「嫌なの……お願いだから……あたしが戦うからっ! アイルをあの女に差し出すなんて絶対やめてっ!! どんなことでもするから! お願いしますっ…………!」
怒りと悲しみ、無力感、ないまぜになった複数の感情に耐えきれなくなったのか、小さな肩をさらに縮めて俯き、少女が震える。同席している村の全員が、若いどころか幼い花嫁の自らの無力を嘆く有様に、やりきれないように吐息を漏らした。その年上の恋人が、優しく彼女の肩に触れる。
「イノリア……」
(勇敢なる少女よ、御辺の心意気は素晴らしい。だが時には他者に任せるのも、勇気と呼ぶべき決断なり。御辺の恋人は、決して渡させはせぬ。意志の名において、誓おう)
「…………ちょっと、二人きりにさせて……!」
霊剣の説得に少女は頬を膨らませつつそう言うと、恋人の手を引いて会議の場から去っていった。足音が遠のいていくのを確認して、村長が口を開く。
「……彼らには悪いが、我々はアイルを引き渡すべきだと考えています。妖術による封鎖が解除されたあとで、連邦警察に届け出ますが」
(村全体のことを考えれば、その方が確実であろうがな)
「警察の手の届かない、妖魔領域に連れて行かれたらどうしますか」
「…………残念ですがそうはならないことを、祈るしかありません」
「万一、彼女が約束を守らなかったら」
「……村人一人を生贄に差し出すような村ならば、村民一人残らず滅ぶべきとお考えですか」
(力による脅迫に屈するままの共同体は、遅かれ早かれ滅ぶ也)
村としてはそう選択せざるを得ない論理ではあるが、霊剣の覚えは悪いらしく、村長に対する言葉は心なしか棘があった。
総括すれば、状況は以下のようになる。
三百人に満たない人口の村・ドロメナが一人の強力な妖族、エルメール・ハザクによって封鎖されており、彼女の要求は一人の青年の身柄である。これを拒否、或いは否定的な態度を見せた場合、彼女は村に対して強力な攻撃を行う可能性がある。
この事態の早期打開には、妖女の要求を満たす、つまりその青年、アイル・トランクリオを差し出して帰ってもらうのが最も確実と考えられている。警察機関――それで手に負えなければ連邦軍だ――がやってきて彼女を実力で排除しようと働いてくれたとして、村に被害が出ない保証は無い。まして、様子を見た限りでは彼女の要求はそれ以上に増える恐れが小さい。若造一人で済むならそうすべきだという、冷酷ながら合理的な思考ではあった。青年が無事に帰って来る可能性とて、皆無ではない。
グリュクはエルメールが撤退した後で、改めて霊剣と共に村が外部に対して消息不明になっていた原因を調べてみたが、やはり以前魔女ゾニミアが使用していた「敵意を持つ者を迷わせる結界」に近い性質の術であるらしかった。エルメールの意思を反映した力場の半球が村を包み込んでおり、アイル・トランクリオ以外の進入者を幻惑によって界面から遠ざけ、それを突破して入り込んだ異物は罵声と爆風によって元来た側に弾き飛ばす。地面に穴を掘っても同様だった。
或いは霊剣の主であるグリュクならば、強力な魔法術で結界を破壊することが可能かも知れない。だがその際、それを知って逆上したエルメールによって――アイルが帰ってきてすぐに姿を見せたということは、彼女が何らかの手段で村を監視できているということを意味する――村や村民に被害が出る恐れもあった。
以上の状況を踏まえ、村の被害を防ぎつつ封鎖状態の解除を目的とするならば、手段は恐らく、前述の通り青年を差し出すか、彼女を殺害するかの二通りに限られるだろう。
前者の手段であれば達成は容易で、イノリアが恋人を失った悲しみで暴挙に走るようなら、連絡の回復した外部から警察を呼んで連邦刑法を適用すればよい。泣くのは二人の恋人と、その家族だけとなる。後者であれば不利益を受けるのは懸想の相手を諦める、もしくは傷を負うか殺されるであろうエルメールだけだが、それは容易ではないだろう。
その構図は、図らずも宿場町を守るため、襲い来た虫たちを皆殺しにした時と似ていた。だが、今度は恋慕に狂って手段を選ばずにいるとはいえ、妖族の娘が相手だ。グリュクには、彼女の胸郭に霊剣を突き立てて殺すなどということが出来る気がしなかった。
だが、それを恐れて彼女の行為を看過したなら、それは車に同乗させてくれたアイルに対して「村のために恋人と将来とを捨てて、妖族の女のものになってくれ」と告げるのに等しい。いや、告げるのは恐らく村長の役目なのだろうから、他者を介して宣告する分だけより卑しい。ならば、出来ることをすべきではないか。
「俺と、この霊剣は、何とかして、エルメール・ハザクを説得するか、最悪の場合は殺害するべきだと考えます」
「……個人の恋の存続のために、ドロメナの村全体を危機に晒したいのですか」
「まずは遺恨を残さないために、最善を尽くすべきではありませんか。彼を差し出すのは、私の試みが失敗してから考えて頂きたいんです」
勝手に首を突っ込んで、負ければ差し出して構わないなどとは虫酸の走る傲慢な物言いではあったが、何とかグリュクと霊剣が主導できる展開を作らなくては、アイルが引き渡されてしまう。グリュクだけが唯一エルメールに対抗可能な魔女である、という事実があるのだから、気が咎めるところのあるにせよそれを最大限利用する必要があった。
「……報酬は、お出し出来ませんよ」
「構いません」
(村を脅して恋人を奪い取ろうなどという行為は、許されてはならぬ。ここはどこの馬の骨とも知れぬ剣士一人で事足りると思えば、少女の遺恨も無くなり、万々歳であろう)
「馬の骨……」
「…………いいでしょう、実力は確かに、本物とお見受けしました。無報酬で良いと仰るならば、恋人たちを呼んで彼らの意向も聞いてみましょう」
無報酬を躊躇無く承諾したそばからぞんざいな例えをされて少しばかり怯んだが、村長は、やや渋るような調子ながらも同意してくれたようだった。
「ありがとうございます」
(吾人からも礼を言う、村長よ)
無理もないことではあるが、二人が礼を告げても村長の表情は硬いままだ。しばらく村の上役同士で話がまとまってゆくのを見届け、一先ず会議を解散させるという段まで及ぶと、グリュクは礼を重ねて席を立ち、恋人たちに朗報を伝えるべく部屋を出た。
残った村長が他の面々の前で忌々しげに息を吐き出したのを、グリュクは知らない。だが、知ったしてもその行動は変わらなかっただろう。
温かな腕の中で、胸板の大きさを確かめる。臭いと優しさを愛おしみ、改めて思いの丈をぶつけた。
「アイルが好き……絶対、誰にも取られたくないよ……!」
「うん……」
薄暗くした青年の家で、今日ばかりは彼の両親の計らいもあって――彼の両親が二人の仲に理解があったのは、彼ら自身が十歳差の夫婦だったからということもある――絆を確かめあった。彼女の年齢では怖さも手伝い、このような拙い抱きしめ合いに終始するほか無かったが。
あくまで柔らかく頷いてくれる恋人が、彼女の髪をさすって慰めを与えてくれる。そうしてくれる限りは、優しすぎることも、荷運びを手伝わせてくれないことも、未だに同衾させてくれないことも、全てが許せてしまえた。時折子供扱いされるのは、別に嫌ではなかったので構わない。
「……僕もだ」
そう言ってくれる、どこまでも愛しい男の胸に、もはや見せられないほど涙に崩れた顔を押しつけてしまう。この際、思い切り甘えて心残りを断ちたかった。
だが、それもここまで。ここから先の未来を守るためには、この甘い場所から一度、引き払わなくてはならない。愛を奪おうとする敵に、立ち向かうのなら。
再び彼女の頭を撫でて、アイルが優しく微笑む。
「幸いというか、強い魔女がたまたま居合わせてくれた。彼が手伝ってくれるんなら、素直にお願いするべきだよ。その代わり僕たちは、彼に必要な物があればそれを提供する。まぁ、うちにそういう物があればだけど」
最後には苦笑する彼の言葉に、黙って頷く。冷静になった今では、猟銃で妖族をしとめようとする無謀さは理解できていた。髪の赤い剣士に頼んだ方が、成算もある。少し悔しくはあったが、そうした感情だけで綺麗に回せるような世の中ではないことは、アイルの仕事を見て多少は理解しているつもりではあった。
決心すると、彼の手を引いて部屋を出る。扉の向こうの窓の彼方、夕焼けが木々を黒く染めていた。エルメール・ハザクが必ず宣言通りの時間にやってくるという保証がある訳ではないが、約束を守るはずが無い、などとも彼女は思えずにいる。横恋慕であるなりの真摯さを感じたからだろうが、未来の夫を奪おうとする存在に対してそのような評価をしていたことに、彼女は少しだけ驚いた。
内海の空には雲一つ無く、そこに昇って全てを飲み込まんばかりの黒煙が勝利を呪う。
地上部分まで盛大に燃え盛る城塞を眺めながら、シュレディングは感慨を弄んだ。これで、内海沿岸の東半分は全てが帝国の領土となった。
既にベルゲ帝国が大陸中部の大半を統一して百年が過ぎようとしていたが、勢いを得た帝国はそこより更に先へと、未だ版図を広げつつあった。抵抗する国は正面からねじ伏せ、もしくは絡め手で取り込み、互いに争うばかりで協調に乏しかった周辺諸国や魔女部族を次々に吸収していった。啓蒙者から与えられたらしい西部の技術を無意味に忌み嫌う専制者たちの軍隊が、科学の威力を得た魔女国家であるベルゲ帝国に勝てるはずもない。或いは決戦の末に破れて傘下に降り、或いは積極的に恭順を示してきた。帝国は無敵を誇った。
徹底抗戦の末に廃墟に塩まで撒かれた敵国の都に上がる火の手は、そうして魔女の国々を統一しつつあるベルゲ帝国に対する、十重二十重に折り重なった無念の掲げた怨嗟なのかも知れない。ならば、この期に及んで止まることなど出来るものか。
シュレディングは政治など知らず、あくまで今次の単独執政者と個人的に親しいだけの魔女の将に過ぎない。魔女の軍勢を率いて敵を下すなり、翻弄なりすることにかけては帝国最大の資質に恵まれたが、国と国との政治の壇上で複雑に絡み合う事物の全てを慮り続けることなど夢のまた夢という、不器用な男だった。そうしたことは友に任せ、ひたすらに軍勢を率い続ける。
それしか出来ぬ身であるならば、それを為すより他は無し。戦いは終わらず、呪詛の狼煙は黒さを増してゆく。
また、シュレディングは帝民たちから支持されすぎてもいた。凱旋すれば、次は休息もそこそこに北の合集部族を攻めることになるか。それが終われば、ここより更に南の天帝国を。議院や他の将たちはとっくに彼を危険視しているし、単独執政者も政治を知らない彼が傀儡にされる可能性を考え、長く戦場から離れる時間を与えてはくれないだろう。それ自体は望むところではあるが、場合によっては、友情より国情安定を取った彼に殺されることも覚悟すべきだ。
(主よ、後悔しているか)
腰に帯びた霊剣が、皮肉抜きに純粋に、主である彼の胸中を案じて声をかけてくる。過去の魔女たちの記憶を宿すというこの剣と出会って既に三十余年が過ぎ去り、彼は後継者と定めた養子の青年にこの霊の剣を託そうと決めていた。
「後悔して時間が巻き戻るなら、幾らでもしてやるさ」
(うむ……)
「もう行くぞ。今までだって、そうしてきたんだからな」
もはや増える一方の顔の皺を撫で、シュレディングはその場を後にした。次の戦場までの別れを、更なる怨念へと告げて。
人類を統一し妖族と啓蒙者に抗う、その野心の為にやり残したことは多かった。次の世代のために、出来ることは全て済ませておかなければならない。
時に、世歴1014年。