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霊剣歴程  作者: kadochika
第08話:恋鬼、猛る
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2.ダウィド・ナッシュトーガ

 地方都市ダンスタークに到着した時刻は午前十一時、緩やかな坂の多い地形ではあるがそれなりに繁栄しており、時折質実でいながら品の良さを漂わせる邸宅が顔を覗かせる。行き交う人々もどこか落ち着きがあり、そうした通行人の通る狭い路地を近道と称して通り抜ける若者の自動車は、橋の近くの喫茶店の前に停車した。


「すみません、すぐに済みますので」

「はい」


 事前に立ち寄る場所があるとは聞いていたので、特に言うことも無く。

 店主はその商売相手らしく、小脇に抱えるほどの包みを持った青年が軒先に立つと、身なりの整った初老の男が扉を開けてそれを迎えた。


「(ん……?)」


 男は彼の顔を見るなり深刻そうな表情で何事かを語り、青年の顔もそれに青ざめたようだった。思わず窓を開けて内容を聞き取ろうとしてしまうが、血相を変えたアイルはすぐに自動車まで駆け戻ってきて、何も告げずにエンジンをかけた。


「何かありましたか」

「実家の村と朝から連絡が取れないそうで……!」


 詳しく聞く前に、自動車が発進した。


「ちょ、ちょっと! 待ってください、それってどういう……」

「契約延長をお願いします! もし何か……あったら……!」

「落ち着いて! 事情を聞かせてください!」


 もどかしそうにハンドルを切る彼から事情を聞き出すのは、苦労した。

 説明によれば彼の村はここから自動車で一時間ほどの距離の山中にあり、一昨日から音信などが途絶えているのだという。根拠としては、村から来るはずの女給が時を同じくして無断で休んでいること。その理由を問いただしに派遣した人物も村に辿り着けずに帰ってきたこと。そして手紙を託した伝書魔女までもが同様であったこと。電話は元から通っておらず――そもそもダンスタークでもまだあまり普及していないが――、届け出た警察機関が明日にもやってきて捜査を始めるらしい。

 このまま警察に任せた方がよいのではないかというグリュクの提案も、恋人を案じる商人の熱意には負けた。断って一人で突撃させるよりは、霊剣と共にある彼が同行した方が危険が少ないだろうという判断もあったが。

 頑丈そうに見えた自動車も緩衝装置の限界なのか、時折道とも思えない藪同然の低木の隙間を突っ切りつつ盛大に揺れた。これだけ走ればそろそろ着きもするだろうと思えた頃、魔女の知覚が何かの異変を捉えた。


「……アイルさん」

「えぇ、よくは分かりませんが、何か(もや)のようなものが……!」


 グリュクだけでなく青年も魔女であり、魔女は五感とは異なる第六の知覚で世界を捉えることが可能だ。その魔女の知覚に、目の前に立ちふさがる気体の壁のようなものが感知されている。魔女の知覚を持たないいわゆる純粋人であったなら、やや霧があるなと訝るだけでそのまま目的地にたどり着けないところだろう。

 不安げな青年に、呟く。


「これに似たものを、以前見たことがあります」


 魔女ゾニミアが資産家の雇った討伐隊を遠ざけるために、住処である小屋の周辺に張っていた術に近い印象だ。音信不通になった村があるという情報と組み合わされば、導き出される答えの候補は限られる。


「(魔女か妖族が作った、結界の術……)」


 だが、その靄のような結界は突然薄まりはじめ、覆われていた林道が露わになってゆく。


「!」


 グリュクどころか、ミルフィストラッセも何も行ってはいない。状況が不可解なタイミングで改善したことに対する疑念は尽きないが、グリュクはアイルの自動車に先行して危険の有無を確認することとした。

 だが、数歩踏み出すと、強烈な拒絶の意志が投げかけられてきた。


『立ち去りなさい! あなたは邪魔で、不要な存在! ここに留まることは許さない!!』


 それは強いて言えば精神に直接語りかける霊剣の声にも似ていたが、彼の腰に下がったミルフィストラッセを含め、グリュクが今まで会った二振りの霊剣は、いずれもこのように排他的な姿勢ではなかった。


(むぅッ、強烈なる敵意……!)

『去りなさい、失せなさい、消えなさい!!』

「(それは無いだろ! せめて理由を話してくれ……!)」

『理由なんて要らない! 邪魔者ッ、邪魔者ッ! 邪魔者ォッ!!』


 玩具をねだる子供のような思念と共にエネルギーを伴った爆風が正面から到来し、グリュクは対抗手段を執る間もなく吹き飛ばされた。受け身を取るが、後ろ向きに転がりながら何カ所か、樹木や落ちていた小石で痛めた。


「痛った……」


 こうなれば、何らかの意図が働いていることは疑いようがない。死ねと告げて魔弾を放ってこなかったのは手加減なのか、術者側の制約なのか。


「グリュクさん!」

「アイルさん、来ちゃ駄目――」


 駆け寄ってくる青年に爆風が殺到するまえにその体を引きずり倒そうと組み付くが、しかし、予想に反して何事も起きない。


「……?」


 青年も吹き飛んだグリュクは見ていたのだろう、腰に縋って押し倒そうとする彼の意図を怪訝な目で見ることは無かった。グリュクが訝しみつつも彼の腰から手を離して再び前方へと進出すると、再びヒステリックな拒絶と共に爆風で吹き飛ばされた。ある種の魔法物質を含んだ風らしく、防護障壁を展開しても水に溶かした角砂糖のように崩れさって用を成さなかった。

 しかし、試しにとアイルが進み出ると状況が変わった。彼一人で進むと、招かれているかの如くにそよ風一つ起こらないのだ。


「……何か、どこまでも進めちゃいますよ!」


 五十メートルほども進んでそう叫んだ青年は、小走りに戻ってきて今度は再び自動車に乗り込んだ。そしてエンジンを始動させるとのろのろと林道を進み、何事もなく進んでゆく。このまま一人で行ってもらうべきか否かを思案していると、自動車が後退してきてきた。


「……試しに助手席に乗って通ってみますか」

「自動車だと壊されるかも知れませんよ」

「僕たちがやってきた途端、靄が晴れました。グリュクさんが吹き飛ばされたのに、僕は自動車に乗っても全く平気――ということは、何故かは分かりませんが僕だけを通したいという何かの意志が……こういうことを仕掛けているんじゃないかと、思うんです」


 果たして、アイルの予想に全く反することなく、二人は村に到着できてしまった。連絡の取れなくなった村に着いて目にするのは廃墟か、折り重なる屍か、はたまた暖かな茶を卓上に残して村人が一人残らず消え去るような、現代の超自然現象か。

 そのような予測は大きく的を外していたことに、ひとまずグリュクは感謝した。

 村の広場に自動車が着くなり何人もの村民と思しい人々がそれを取り囲み、安堵の表情を並べている。


「アイルーっ!!」


 グリュクのことは少々怪訝な目で見る者もいたが、アイルへと飛びかかって猿のようにその首筋にすがりついた少女を始め、得物を持ち寄り総出で迎えられるような険悪な雰囲気ではない。


「良かった、連絡が取れなくなったって聞いて、慌てて戻ってきたんだ」

「こっちも村から出られなくなって、心配したんだよ……」

「アイル、そっちの人は……?」


 それに答えて若き商人がグリュクのことを村人へ紹介すると、攻撃術を得意とする魔女だというくだりで小さく輪がどよめいた。武力に反発するような(おもむき)ではなく、歓迎するような雰囲気だ。一体何と戦うことを期待されているものか、グリュクは王国時代に聞いた、七人の騎士たちが村を護るために戦いその殆どが戦死するという内容の叙事詩を思い出していた。

 そこに、(おさ)らしき年かさの男が進み出てきて語った。


「立ち話も何ですから、私の家ででも」


 そう言われ、特に断る理由もなく彼の家へと案内される。アイルも自動車を自分の家の車庫へと戻しに行き、遅れて村長邸に合流してきた。歩きすがらに村を見た限りでは、彼の所有物が村で唯一の自動車らしい。村はそう推定してしまえる程度には小規模で、魔女ゾニミアのいたソーヴルや、隻腕の老人と出会ったヴォン・クラウスより更に小さい。ドロメナと呼ばれるこの地方自治体は、強力な魔女や妖族が本気で封鎖しようと思えば出来てしまえそうではあった。


「実は先日、お前さんの出発直後に、妖族の女がお前さんを訪ねて来てね……」


 ドロメナ村は連邦国土省の用語に従えば、未電化地域に属する。つまり続々と灯火設備がガス灯から電気照明に置き換えられてゆく時代の趨勢から取り残されており、電気通話回線(でんきつうわかいせん)も未設置という状況にあるという意味だ。

 そのような村だから、夜はあまり本数も多くはないガス灯が輝く。ガスと水道は来ているので、未電化地域は年中不衛生、夜ともなればほぼ全てが暗闇であるというような偏見とは無縁だった。都会に比べれば時間の流れの穏やかなものの、それでも村人は電化生活にほのかな憧れを抱く者もいれば、森林保護を絶対至上視する一部の都会人の傲慢に少々腹を立てる者もいる、ごく普通の村だと言って良い。

 そこに飛び込んできたのが、その妖族の娘だった。妖族がベルゲのこのような小村まで一人で来るというのは、珍しいどころか突拍子もないことだ。

 彼女は忽然と現れ、井戸の水を汲んでいる最中の男にこう問いかけた。


「すみません、人を捜しておりまして……このような顔立ちのはずなのですが」


 ガス灯の明かりに照らされた彼女の見せた人相書は自らの手によるものか、彼の知る同じ村の若者に似た顔が描かれていた。


「……アイル・トランクリオかい?」

「今はそういう名前なのね」

「っていうか、失礼だけどあなた、どこのどちら様……? あいつとどんな関係なのさ」

「……エルメール・ハザクです。彼とは前世で恋人同士でした」

「…………?」


 妙な女だと思いつつも彼が商売で村にいないことを説明すると、その女は目を疑わしく構えつつ、彼が帰ってくる頃にまた来ると言い残して姿を消したという。

 心霊現象の目撃談じみた内容だが、それ以前に、彼女は前世などと言う概念を本気で考えてやってきたというのか。


「……前世と、言ったんですか。彼女は……」

「でしょおっ!? あり得ないわ!!」


 質素な作りの応接間、アイルの腕にしがみつきながら、彼に半ば無理矢理付属してきた少女はそうまくし立てた。色素の薄い髪はうなじのあたりで切り揃えており、本来は村長とアイル、グリュク他数名だけが臨席するはずなのだが、青年とはどう行った関係にあるのか。

 それはともかく、少なくともグリュクの知る限り、超科学を操る啓蒙者(けいもうしゃ)たちが信仰する啓発教義(けいはつきょうぎ)は前世の存在を否定しているし、過去の霊剣の主の記憶を見ても明確にそうと理解できる事象はない。

 彼にとっても、前世の恋を現世で成就させようという執念は、現世の人々を蔑ろにする考え方としか思えなかった。


「あの女、彼やあたしのことはガン無視で決めつけるんだもの」

「……彼?」

「アイルのことだけど」


 少女の答えに、目の前のその容姿を改めて確認して、軽く驚く。当然のように告げる少女はまだ十代前半と言うところか、何から何まで幼い。妹か親類だと思っていたのだが、恋人だという。そう言われてみれば、隣のアイルに触れる仕草は年相応ながらどこか大人びた色気を主張しているようにも感じられた。


 恐る恐る、青年に問う。


「……失礼ですけど、アイルさん、おいくつ……」

「二十四です」

「……君は」

「十四歳」


 それがどうしたとばかりに何の疑問も無く返ってきた返事。すると、彼は車中でグリュクに向かってこの十歳年下の娘と結婚する、店を大きく、などといっていたことになる。


「………………」


 幼年期から決まった婚約者、権力者が見目良い娘を幼い頃から囲っておくなどというものではなく、また双方成人してからの十歳差などとも話が違う。本人たちや周囲が何も言っていないのだから、グリュクがとやかく口を挟むことではないのだろうが、それでも数秒ほど絶句して、グリュクは新たな気配に気づいた。


「ハウブレイス! 迎えに来たわよーっ!」


 人物伝や叙事詩の中には時折、決して聞き逃されることのない一声というものについて語られることがある。そうした声は到底響くとは思えない環境、即ち(かまびす)しい盛り場や怒り狂った群衆のさなかでもそれを鎮圧するかのように響くとされているが、その場に聞こえたのはつまり、そうした声だった。ただし、声音はとりわけ甘く作ったようではある。

 それは屋外から、腰の霊剣の柄に手をかけつつ急ぎ、グリュクは飛び出す。出ると同時に防護障壁を展開出来るよう準備しつつ、前に出た。相手が攻撃するつもりであれば彼らが屋内にいる時点で可能であったろうから、このような戦争じみた応対は過剰な可能性もある。だが、


「心配しなくていいのよ、争いに来た訳じゃないもの」

「………………」


 心晴れやかな表情でそう告げる女は、妖族だった。件の妖族の女と見て間違いないだろう。特に名乗ることもなく、その女は――先日ドロメナを訪れた際はエルメール・ハザクと名乗っていたか――佇んでおり、アイルが遅れて姿を見せると顔に喜色を顕した。


「待ってたわ、ハウブレイス。あなたを、あなたとこうして、また会える日を」


 差し迫った危険はないと判断し、防護障壁を解除する。ハウブレイスという呼び名は、その視線をみる限りはアイルに対して向けられているらしかった。

 その印象は鋭く、物理的な切断力すら持っていそうな女だ。何かの民族衣装のような衣装をまとっており、顔面以外の肌の露出は手首と脛から下程度。

 ただ、人間と明らかに異なる点として、耳が目立った。生え際の位置こそ人間と同じだが、大きく広がったその耳は白く長い産毛に覆われた木の葉のような形をしていて、肩幅ほどの大きさに広がっている。そこには自ら開けたのか元からか、左右対称の位置で穴が三つずつ開いていた。それが感情を反映しているのか時折ぴんと揺れ、今は彼女の機嫌が良いことを表しているらしかった。


「……僕は、アイル・トランクリオですよ。あなたの仰るその名前じゃありません」

「前世のことだもの、少しくらい不確かでも仕方ないわ。そのうち思い出すでしょうから、私と一緒に来て頂戴?」


 何と答えればいいのか分かりかねた顔で、彼がその視線から目を反らせないでいると、その妖族の女――エルメールは迷い無く歩み出て、青年の手を取った。


「さあ、行きましょう? あぁ、しばらくはこっちにいた方がいいかしら――」


 全ての物事は彼女の都合で進むのかとすら思えるような流れに、グリュクは介在する隙を掴めずにいた。だが、


「ダメぇッ!!」


 その空気を無視して飛び込んだ意志が、事態を変えた。


「アイルは私の、お……男なのよッ!? いきなり現れて連れていこうとするなんて、何考えてるのッ!!」


 イノリアだ。アイルの十歳年下の、恋人。その切実な声に、グリュクの硬直も解けた。出ずに済むに越したことはないが、万一を考え、霊剣を抜く機を見計らう。


「……ハウブレイス、この子は誰?」

「彼女は……」


 僅かな硬直の後に、意を決した顔つきでアイルが答える。


「イノリア・キャラウェイは僕の恋人です……!」


 そして、少女に向かって降り下ろされた小剣を霊剣の刃の腹が受け止め――並の剣をその鋭利すぎる刃で受ければ、切断された剣の破片がイノリアを直撃する可能性がある――、眩い火花が散った。肩ごと吹き飛ばされるのではないかと錯覚するほどの、妖族の膂力。その刃になおも力を込めつつ、グリュクを睨んでエルメールが呻く。


「……世も末ね。何から何まで私の恋路の邪魔をしたがっている」

「恋路を主張するなら、もっと穏やかにすべきだ……!」


 恋人を抱き抱えて驚き後ろずさるアイルと入れ替わるように、グリュクは鍔競り合う二振りの剣を挟んで妖族の女と対峙する。人間を大きく上回る妖族の身体能力を勘案して彼女の腹を狙って蹴り込むが、同時に突き出された相手の足と蹴りあいになり、両者の距離が開いた。村人たちの動揺が強まる。

 そして、グリュクが電流を投射しようと魔法術を構築しようとしたときには、既に相手の術が完成していた。


「燃え尽きなさい!!」


 天に向かって彼らへの罰を要求するかのように差し出された彼女の掌の上に、魔弾が出現する。僅かな余剰エネルギーが表面に炎となって渦巻く、直径数メートルの高圧魔法物質の火球。


(主よ、何とか説得できぬか!)

「無理だろ……たぶん下手に何か言えば逆上するタイプだよ彼女は」

(ま、まぁ、何か話した所で無駄っぽくはあるが……)


 さすがに黙っていてはまずいと判断したのだろう、霊剣が遂に発言する。だが、それが妖女の不興を買い増ししたらしい。


「そんなものまで持っていたのね……その人格剣で私を斬り殺す気でしょう!」

「受け止め給え!!」


 そして飛来した魔弾を、グリュクは念動力場で受け止める。防御障壁では魔弾が破裂して超高熱の魔法物質が飛散し、村人や村に被害を出しかねない。


「受け止めてどうする気ッ!」


 数メートルしか離れていない魔弾から念動力場越しに伝わってくる超高熱の輻射で、グリュクの体は焦がされる。だが、皮膚に重度の火傷を負う前に、念動力場に連鎖させていた魔法術が発動した。


「凍えよッ!」


 呪文によって変形した魔法術は、受け止められた魔弾の下方から負のエネルギーの激流となって噴き上がり、火球魔弾を急速に冷却することで虚空に発散させた。生物が相手であれば一瞬で全身が粉となって崩れ落ちる強度の低温に気圧が低下し、強い風が周囲から殺到する。少なくとも、そのような規模の冷流でなければ相殺できないような規模の魔弾を、彼女は村人たちの集まったこの場所で放ってきたことになる。


(こうなれば、もはや容赦は無用……何としても無力化を実行するぞ、主よ!)

「あぁ……!」


 戦意を見せる霊剣を抜き放って構えようとすると、そこに駆け寄る土を蹴る音。


「二人ともやめてください、ここで戦う意味がどこにあるんです!」

「アイルさん、離れて!」

「…………」


 焦る剣士の警告に構わず両者の間に割って入る青年の勇気は、武器も持たない状態では無謀や蛮勇と紙一重の行為だ。だが、妖族の娘はそれを見てしばし動きを止め、静かに吐息を吐き出すと小剣を腰の鞘に収めた。


「……彼に免じて、今日の所は一旦引くわ。でも、私はただ恋人とかつての暮らしを取り戻しに来ただけなの。明日の朝、また来るけど……その時もまた邪魔をするようなら、今度はハウブレイスの頼みだろうと躊躇なく灰になってもらうから。私が彼を取り戻すそれまでは、村を囲んでいる結界は解除されないと思いなさい」


 警戒を解かずに霊剣を下段に構えているグリュクにも既に興味はないと言った風情で、エルメールは軽く肩を竦める。


「それじゃあね、ハウブレイス。また明日。今度は必ずあなたを取り返してみせるわ……」


 そう言って、驚異的な術の技量を見せつけた亜麻色の髪の娘は優雅でさえある足取りで去っていった。

 また、戦闘の最中に霊剣が発した言葉は、村人たちにも聞こえていただろう。それについても説明する必要があるかも知れないことを考えると、世に厄介事は尽きないものだと思い知ったような気にさせられるのだった。






 大陸は南北に長い東部と、啓蒙者世界に海峡を挟んで隣接する西部に分けられる。東部のさらに東半分には妖魔領域(ようまりょういき)が南北に横たわり、西部は純粋人類を自称する啓発教義連合けいはつきょうぎれんごうの縄張りとなっている。

 魔女たちの世界はその中間に位置し、二つの勢力の狭間で揺れ動く状態の連続だったと言って良い。

 大昔には妖族たちの武闘派との戦争で危機に陥り、炎の魔女の活躍でそれを乗り切ったと思えば、天から降臨した啓蒙者たちに「啓発」された西部人たちが火砲を用いて侵攻してきたりした。

 魔女の国々は個々にたち向かいこそすれ連合するといった機運に乏しく、技術はあっても火力で大きく劣る西部人たちにすら押され気味な有様だ。このままでは、大陸中部(ケントリオン)は魔女の血に染まるだろう。

 そんなことを考えながら、月明かりだけが頼りの中部の空を、ダウィドは飛んでいた。今年から帝国を称するようになったばかりのベルゲの走狗となって、周辺国との折衝に奔走しているのだ。

 それを阻むかのように、魔女の編隊が山の向こうからこちらを追ってきた。敵国の魔女兵団だ。ベルゲ帝国による魔女諸国の統一を快く思わない彼らの心情を、理解できないダウィドではない。だが、魔女諸国の共同なくして数や技術、統率に勝る啓発教義の国々に対抗することは出来ないこともまた、痛いほど思い知っていた。

 部隊を組んで相手を襲う知恵があるというのに、何故多少気に入らない相手であろうと手を結び、もっと大きく危険な敵を撃とうという発想に至れないのか――


(来たぞ、十六対一だ! やれるか(あるじ)!)

「やるさ。しっかり助言を頼むぜ……ミルフィストラッセ!」


 十六人の魔女兵を正面から一人で引き受けるなど、正気沙汰ではない。本来であれば一瞬で全身を炭化させられてもおかしくはないが、しかし、今は師より受け継いだこの霊剣がいる。

 ダウィドは無理矢理に微笑むと、飛来した魔弾を霊剣で叩き落として反撃のための魔法術を解き放った。

 時に世暦(せいれき)889年。

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