7.七色のかなた
「その腹の中身、ぶち壊させてもらう……!」
鈍器のような「腕」に大きく吹き飛ばされながらも素早く受身を取って体勢を立て直す。保護色迷彩を纏うことのできる深緑の魔人となって岩盤に溶け込み、そのまま剣士の相手をしているキアロスたちの影になっている部分を伝って接近してゆく。闘虫――この永久魔法物質を腹に抱えた虫を仮にそう名づけて。
しかし、カイツにも多少の知識があったが、昆虫は複眼を備えており、不動の状態でも人間より視界が広い。これに加えて実際には単眼という即時性に優れた別の眼も備わっており、純粋な警戒能力にかけては人間より優れている。そして何故か腹部に備わっている強力な魔力線の源が、妖魔生物であるこの闘虫の運動機能を大きく増強していた。
今度は弾き飛ばされずに斬りつけるが、敵の背から生えた手の平ほどの大きさの翅から虫の音のような高音が鳴り響き、闘虫を中心に発生した強力な念動力場に押し戻される。
「(翅をこすり合わせて出した音を呪文の代わりに――!?)」
魔法術、妖術などと呼び方に差はあるが、変換小体によって魔力線を加工する術の原理は全て同じく、「音に乗せた意思」を必要とする。敵の場合は声帯の代わりに、いわゆる“虫の音”に意思を乗せて魔法術としたのだろう。妖魔生物だから、妖術か。
「それなら……!」
銀色の魔人に姿を遷し、周囲を高速旋回しながら高圧電流を全力で投射する。他のキアロスであれば何頭もまとめて薙ぎ払って爆散させられるほどの出力だったが、今度は防御障壁で防がれた。
(カラノ――クトク――)
「……!?」
突如脳裏に響いたと感じたそれは、グリュク・カダンの携える剣の声ではない。
(――ラハ、ハハヲ――)
声は二つ。
(我々ハ ソノ チカラノ 源ヲ カクトクスル)
(ワレラ ハ ハハ ナル ヲ マモル)
「(何だ――――!?)」
動揺しつつも、地に着いた四本の肢で素早く間合いを詰めて来る闘虫の打撃を前腕で防ぐ。
「ぐゥッ……!!?」
だが、何らかの魔法術の働きゆえか打撃は酷く重く、異様に硬い。飛び退りつつ受けた箇所を見ると、表皮の装甲が砕けて陥没していた。大口径の銃でもなければ傷一つ付かない魔人の体が。
(我々はその力の源を獲得する。この冷たい世界にて生存する)
(我ラハ母ナルヲ守ル)
(我々は必ず外殻支持構造の保有するエネルギー結晶を獲得する)
(我らは母なるを守る)
一方の声は、体内に永久魔法物質を取り込んだ闘虫との接触でカイツの精神との親和性が上がった電磁生命体か。もう一方は、それを通して間接的に流れ込んでくる、闘虫の意思だろうか。
今まで聞こえもしなかった体内の電磁の意思が、理解できるようになってきたということは、
「(このまま融合が進めば……心まで人間じゃなくなる……!?)」
思考が恐怖に塗りつぶされた。
「――――ッッッ!!」
声にならない絶叫と共に繰り出した攻撃は、しかし、全て回避される。甲殻を貫く刺突も、体組織を砕いて撒き散らすはずの蹴打も。
(その結晶は……自己複製を行う動的支持構造の強度をあらゆる側面から加増し――)
「黙れッ!!」
宿主に助言を与えているつもりか。俺を殺してあまつさえ化け物にした、電子のクズが! そう叫ぼうとさえしたが、最早それも声にならない。再び炎の魔人となって仕掛けるも、今度は肉薄する前に念動力場で虚空に縛り上げられた。
永久魔法物質の作用もあるのだろう、五体の全てを極めて強烈に固定する闘虫の妖術に激しく締め上げられ、七百気圧にも耐える魔人の体が悲鳴を上げる。研究所の設備相手でもなければ感じることもなかった痛覚が脳を苛む。
「ぐぁ…………ぁッ!?」
(我々は生存する。我々は連続する)
「――――っ!!」
今となってははっきりと認識できてしまう電磁生命体の生への希求に、苛立ちと共に怒り心頭となる。永久魔法物質との混ぜ物として復元したことで、彼の死を無かったことにしてでもいるというのか。
(否、我々は消失を拒絶し、構造を存続する――)
「ふざけるな……俺はそんな、得体の知れない我々じゃない。俺は、俺だ…………!」
「そんなの、当たり前じゃないですかぁッ!!」
「!?」
熱く凝り固まった怒りを一瞬にして砕く甲高い悲鳴に、我に返る。
「カイツさん、負けちゃ駄目ですッ!! そんなうねうね隠れてる電気みたいなのに、カイツさんみたいな人が負けるのは……」
シロミ、あの亡霊のような少女だ。今も襲い来るキアロスたちを退けながら、女王の部屋を駆け回っている赤い髪の剣士。その懐から風船のように引きずられながらも、健気にカイツを応援しているらしい。
彼女は息継ぎの後、絶叫した。
「絶対ありえないんですーッ!!!」
(負けるな、善き魔人よ!)
「理由はどうあれ、町を守って一緒に戦った仲間なんだ……だから!」
剣士とその剣までもが、柄でも無かろうに高揚しながらカイツを激励している。このような恥ずかしい声援を送られるのならば、剣士に軽々と素性を話すべきではなかった。
――だが、悪い気はしない。
「だから、そいつを離せぇッ!」
キアロスたちの包囲を突破してそのままその背後から斬りかかった剣士をも、闘虫は念動力場を変形させてカイツと同様に拘束する。しかし、
「抗えッ!」
「解けッ!!」
そこに剣士と魔人の念動力場が互いの目配せすらなく、内から外に向けて同時に炸裂した。闘虫による圧縮念動力場は力負けして内側から破壊され――
そして間髪の隙も無く、高速で放たれた霊剣の刃が闘虫の頭部を、魔人の短剣が腹部を両断する。
切断された部位はそれぞれにごとり、べちと音を立てて地面に落ち、その腹部に取り込まれていた永久魔法物質が断面から体液に塗れて転がり落ち、付着した体液や肉片の中からでも分かる強い光を放った。大人の一抱えよりも大きな結晶塊だ。
それでも幾度か鈍器のような腕を振り回しながら、馬ほどもある巨虫の戦士は数歩を進み、
「(まだ動けるのか……!?)」
そして、音を立てて前のめりに倒れる。戦闘姿勢を維持しながらも観察していると、それは次第に動かなくなっていった。まだぴくりぴくりと動いてはいるが、昆虫にしてもここまで体液を失っては組織に酸素が供給されず、死ぬしかない。
「……やったのか」
「“彼”は、死ぬと思う。あとはこの永久魔法物質をどこか別の所に移動させれば……キアロスが短期間での大発生を起こすことも無くなる筈だよ」
呟くと、剣士はふらふらと頼りなく揺れながらも――魔法術の使いすぎで、恐らく全身が焼け付くように痛んでいる筈だ――剣を鞘へと収め、彼ら自身の行為を咀嚼するかのように死という語を口にした。
(差し当たっては、ミドウ少佐に処理を頼むべきか。思ったよりも強固な結晶、これは生半可な術では壊すことあたわぬ)
「ごめんね、虫さんたち……」
「…………」
剣の解説はともかく、亡霊の少女が哀れみを込めて詫びるのを聞き、カイツは部屋の一角で未だにうごめき出産を続けている女王と、戦闘や仲間の死など無かったかのように彼女の世話を続けている一部のキアロスたちに視線を向けた。
鬼火の光と闘虫の体液を透かした永久魔法物質の赤い光に照らされた巨大な産卵器官は彼の美観からしても不気味の一言だったが、女王までもを流れ弾か何かで殺してしまうような事態にならなかったことだけは、救いと思えた。彼女の産卵ペースを速めていたであろう永久魔法物質は処分してしまうが、虫に遠慮して地上の農家の生活を危機に晒す訳にも行かない。
しかし、そこで再びカイツの体内でざわめく者があった。
「っ!?」
意図せずしてカイツの胸郭は大きく展開し、内部の臓器や組織が覗く。思わず凝視してしまったが、自分の肺腑をこの目で見るのは初めてだ。幸い、赤いままだった。
「ひっ!?」
「な、何を……?」
驚愕する半透明の少女と剣士を他所に、組織の一部が触手のように変形・急伸して永久魔法物質に絡みついたかと思うと、次の瞬間それはカイツの胸の内に、文字通り収納されてしまった。成人の一抱えよりも大きな塊を引き寄せたことの反動で前のめりになって膝と手の平を地面に突き、その分だけ増した体重に暫し混乱する。
「…………!?!?」
そして驚きの最中に体内が爆散するような衝撃に襲われ、目から火花が散った。だが、一瞬吹き飛んだ意識が復帰すると、どこをとっても何の傷も、痛みどころか変化もない。自重も、特に増した気がしない。
(我々は存続する。我々はより適応する)
その体に共存する別の生命の思考は彼の心の内に自然と浮かびあがり、人語に訳せばそんなことを意味していた。
(……御辺の体に宿るという電磁生命体、確か奴は、御辺の運んでいた永久魔法物質を求めて、その過程で御辺を死なせるという過失を働いたそうだな)
「…………ああ」
(ならば、これは恐らく奴の意思。もはや御辺とこのように一体化した以上、より不可侵の存在となるべくこのような挙に及んだのだろう……しかしあの巨大な塊を一瞬にして吸収してしまうとは、何とも貪欲な連中らしい)
カイツがより強力な生命体となれば、それと共存する彼らも安泰――それが、存続と、適応という意味だろうか。それは即ち、電磁生命体たちにとって見れば超低圧の極寒地帯である地上で、彼を宿主として生きていく覚悟のようなものを固めたのだと、そう思えないこともない。悪意が一切ないだけに、余計に悪質な部類だとも捉えられるだろうが。
「とりあえず戻ろう、地上はまだ戦ってるかも知れない」
「……さっきと同じでいいか」
「え、あー……」
赤い髪の剣士はカイツの提案を聞くと一瞬豆鉄砲を受けたような顔で呻くも、
「ありがとう、助かるよ」
照れもせずにそう言ってきた。
霊剣に護符の少女を携えた彼を両腕に吊り下げながら、銀の魔人は鬼火の照らし出す岩盤の隘路を潜り抜け、縦孔の底まで辿り着いた。あとは虫たちの足場に頭をぶつけないように上昇してもらうだけだ。
見れば各所に大きく赤い水たまり――殺したキアロスたちの体液が混じっているのだ――が生じており、水滴や落水の音も周囲に無数に反響していた。人間のそれとはやや異なる血なまぐささも薄れ、地上には雨が降っていることを窺わせた。周囲の状況を考えると埋葬をすることも難しく、仲間たちの亡骸を他のキアロスたちが何処かへと解体して運び去っていく有様は、自然の掟の厳しさであるとも、ありがたみであるとも取れた。
徐々に本来の強さになってゆく雨足に濡れながら、グリュクはそんなことを考えていた。
「……結晶のこと、もしミドウ少佐に訊かれたらどうやって誤魔化そうかな」
(嘘をつきたくはないが……正直に話しても戦友の立場が危ういかも知れぬこともまた、出来ぬな……)
「困りましたねー……」
カイツは無言だ。戦友だなどと、馴れ馴れしいことさえ恥ずかしげなくのたまう剣に呆れているかも知れない。実際にグリュクが彼の心境を知ったならば、「電気生命とその剣との交換には喜んで応じる」などという内容に驚いたことだろう。
キアロスたちは侵入者を追い出そうと腹部からの銃撃を続けてきていたが、銀の魔人の上昇速度には及ばない。
そして地上まで出ると、大粒の雨にくまなく洗われている平野が、僅かに赤みのかかった水煙に覆い隠されていた。グリュクたちも傘など持ち合わせていなかったので、ずぶ濡れだ。
だが、影のようになって見える無数のキアロスの死骸以外には、特段注意を引く何かがある訳ではない。既に第二波とやらは退けられたのか、或いは、原因は種々あろうがここは戦場にならなかったということか。
(涙雨というものかも知れぬな……)
「……カウェスに戻れば、少佐もいるかな」
「少し飛ばす。風邪を引くかも知れないが、悪く思うなよ」
「ああ、頼む」
「よろしくですよ」
軽く言ったものの、本気で雨の中を飛翔する銀の魔人に吊り下げられて飛ぶと、雨粒だろうと相当に痛いのではないだろうか。そう危惧した矢先、目に見えて降水が弱まり始めた。
飛ぶように去ってゆく雨雲の後に、やや下がってきた太陽が姿を現す。それは湿りきった空気に熱を与え始め、古今変わることの無い美しい橋を空に架けた。
少女が護符から姿を現し、嬉しさを隠さずはしゃいだ。
「あ、虹ですよ、虹!」
(ふむ……カウェス近傍の今後を思えば大いに多難ではあろうが、ここはせめてもたらされた恵みと心得るべきか)
そのような感じ方は、グリュクも嫌いではなかった。見れば、カイツも同様らしい。
「ま、見てて不快にはならないが……」
(ところで、カイツ・オーリンゲンよ。一つ提案がある)
「…………何だよ」
(魔人、怪物では少々無粋。御辺のその姿、吾人が名付け親となろう)
「いきなり何言い出すんだよお前は!」
「…………何て名前だ」
グリュクの悲鳴を他所に、カイツは興味ありげに聞き返す。
(アルクース……そう、虹だ! 色とりどりに姿を遷して戦う御辺に相応しいとは思わぬか)
「……アルクース! かっこいいじゃないですか、カイツさん!」
「ええと、ごめん、俺の剣が妙なことを……」
「…………好きに呼べばいいさ」
謝るグリュクに対してやや気だるげにそう呟くと、銀色の魔人は宿場町の方向を目指して推力を上げ、湿度の高い大気を緩やかに飛翔し始めた。
カウェス全体に安全宣言が出され、少年を家族の下に送り届けた現場で伝書魔女のシェイリーは、見覚えのある顔をやや離れたところに見出していた。
「あ、あなた……!」
「…………よう」
服装が大いに汚れてはいるが、神経質そうな眼鏡の青年。彼は確かに彼女と少年の前で魔人へと姿を変え、東の空へと飛び去っていった当人に、間違いない。彼はあの後、どうしていたのだろうか。まさか、キアロスの群と戦ったのか。
「え、えーと……」
「あー……!」
言うべき適切な言葉が思い浮かばずに硬直していると、両親に抱きしめられて涙ぐんでいた少年が、後ろを振り返って同じ姿を認めたようだった。息子が見知らぬ青年に駆け寄って行った筈だが、彼の両親は微笑ましげにそれを見ている。馴染み深い土地ではなかったが、カウェスは治安も良いのだろう。
「怪人大作戦のお兄さん!」
「……ご両親に会えてよかったな、少年」
「う、うん……あのさ?」
「ん?」
「虫の軍団、お兄さんがやっつけたの?」
「あー……」
言葉に詰まる青年だが、シェイリーには少年の質問の真偽は分からない。彼を送り届ける途中で同じ事を訊かれたが、「きっとそうだよ」などと言って、はぐらかした。
「俺だけじゃないけどな。その……仲間がいた」
「仲間!? 一緒に戦ったの!?」
「そ、そうなるかな……」
「すげーーー!! ねえ、今どこにいるの!?」
「……もう、どこかに行っちまった。悪いけど、俺も行かなきゃいけない」
「うぇー……そっか……」
「でもありがとうな、少年。君のおかげで、俺は戦えたんだと思う」
青年の、あながち世辞を言っているとも思えない賞賛に少年がはにかむ。
「照れるなぁ……でも少年じゃないよ、イスト・ユリオン。お兄さんは?」
「…………アルクースだ。あ、ちょっと待ってくれ」
虹。そう名乗りつつも、青年は今度は彼女の方に近づいてきた。足取りは速い。
「(え、嘘、もしかして……これって!?)」
だが、彼が渡してきたのは青春の予感ではなく、中身の入った封筒と現金だった。
「急いでる。釣りはチップってことで、悪いが預かってくれるか」
「へ!? え、あ……はい…………」
「よろしく頼む」
彼女は伝書局の制服を着たままなのだから、当然と言えば当然に、そうなる。出来れば窓口に着て欲しいのだが……
青年はやや怪訝そうにしつつもシェイリーの手に封筒と現金を渡し、早足に離れていった。何かやりきれない気持ちになりつつも、鞄の中の所定の袋へとそれらを収める。
「じゃあな! イスト・ユリオン!」
青年が振り返って手を振り呼びかけると、両親の元に戻った少年も呼応して跳ねた。それを祝福するように――やっとポンプが運転を再開したらしい――公園の噴水に一斉に水勢が戻り、シェイリーは思わずそちらに視線を戻す。
そこに生じた七色の橋の向こうへと、虹と名乗った青年は消えていった。
三日後、セステルタム商会第一都市間隊の出発は延び延びになっていた。
まず、キアロスが魔女部隊に撃退されたことにより、街道を含めたカウェス北から東にかけての平野の広範囲がその死骸の山に覆われてしまったこと。これは連邦軍の助力もあって解体撤去・啓開作業が進んでいるが、都市間商隊が順調に運行できるほどの経路は確保できていない。
休憩時間の終了間際に報告もなしに商隊を離れていたことで最悪解雇を覚悟していたが、ミドウ少佐の手回しで解雇どころか小言もなかった。少々横柄な女性士官だと思ってもいたが、グリュクは彼女に大いに感謝して別れを告げた。彼女に臨時雇用に対する給付金として渡された額は、苦労に反してあまり多くは無かったが。
キアロスの群との戦闘でカイツ・オーリンゲン=アルクースが偶発的に掘り当てた巨大な縦孔は、建設工事によって埋め立てることとなった。現在も魔女部隊が工事業者を護衛し、時折進出してくるキアロスを撃退しながら鉄材による基礎が組まれ始めた所だが、安全の目処が立つまで一ヶ月はかかるだろう。
永久魔法物質については、ミドウ少佐はそもそも無視を決め込んでくれたようだった。確かに、キアロスが周期を外れて大発生したことについては調査が行われるだろうが、どこかの国の軍に渡って秘密裏に兵器になるなどといった事態ならばともかく、既に指名手配されているカイツが持ち去ったのであれば、黙っていても空軍に大きな不都合は無いという判断らしい。そこの辺りに詳しくないグリュクは――霊剣の主にも、上位の軍人や権力者はあまりいなかったようだ――、とにかくそういうものなのだろうと思うことにしていた。ただ、カイツの罪状を白紙に戻すことまでは残念ながら出来なかったらしい。
シロミ・ユーレン・トウドウはミドウ少佐の許に送り届ける前に、さすがに空軍所属とはいえ指名手配犯と顔を突き合わせるのはまずいというカイツの意見ももっともなことと、彼との別れを惜しんだあとでの帰りとなった。
そして、カイツ・オーリンゲン。何か力になりたいというグリュクと霊剣の申し出は断られた。代わりに家族に手紙を出したいというので、永遠に貸したことにして紙幣を一枚渡したが、この先再会して返済を要求する機会などあるだろうか。行き先も告げずに姿を消してしまったが、グリュクは彼が自分で納得できる道を新たに見出すことを、祈る。
そして今、グリュクはセステルタム商会の警備を辞して、再び根無し草となっていた。正確には、仕事を急いでいるらしい小規模な個人商を見つけ、格安で東部への護衛を請け負ったのだ。これから先は時折迷い込んだ妖獣、それも捕食性のものの遭遇例も月に数度の割合で生じている地域になる。
偶然にも、以前リヴリアで乗ったものと同じ車種の、今度は助手席を占め、グリュクは車体の振動を感じていた。
「いやあ、助かりましたよ。これで式も挙げられます」
「えーと、その話はさっきも……」
「すみません、嬉しくってつい何度も……この通りしがない雑貨商なんですが、でも彼女とはいずれ、店をもっと大きくしたいと――」
彼より少々年上で、普段は物腰の落ち着いた若者なのだろう。だが、長く苦しいのろけ話が続くことをこの半日で思い知っていたグリュクは、霊剣の記憶を駆使して聞き手に徹した。
彼も魔法術はさほど達者ではないものの魔女だった。その話に巻き込まれたくないのか、霊剣は卑劣にも沈黙を貫いている。
(……………………。)
「(あとで覚えてろよ……)」
「で、ですね、彼女がそこで言うんですよ――」
地図を見れば、彼の故郷はカウェスと目的地の中間をやや過ぎた先といったところか。そこに近い都市で下ろしてもらい、路銀に余裕を作ってから鉄道を使う。
そんなことを考えつつ、グリュクは若き商人の妻となるその女性の魅力についての問いに無難な答えを返した。
月が替わり、春の気配が街道を包んでいる。
――家族へ。
今まで迷惑をかけた。もう、俺は家に帰ることが出来ない。帰りたい気持ちで一杯だが、諦めるよう心がけるつもりだ。この手紙は人に頼んで届けてもらったので、俺が家に帰ったのはあの時が最後になる。俺としてはもう少し穏当なお別れをしたかったけど、親父にはすまないと思う。母さんがあんなことを言うのも無理のないことだ。昔から苦労をかけておいて、トドメがこれだからな。爺ちゃん、メイノには、親父とで、一緒に母さんを支えてやって欲しい。俺のことでこれからも苦労をかけてしまうだろうことについては、申し開きのしようがない。本当にごめん。
こんな別れが来るとは思っていなかった。でもきっと、別離というのはこうも唐突で、こっちの都合は薄笑いを浮かべて却下するようにやってくるものなんだろう。
こう書くのは無上の卑怯だとも思うが、それでもそれを許してもらえるならば、愛する家族の幸せを願って。
――カイツ・オーリンゲンの私信より抜粋。
以上、第7話の完結です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
次回以降もお楽しみ頂けましたら、これまた幸い。
ご意見・ご指摘・ご感想等お待ちしております。