6.人と妖虫の間に
「何だ……これは……!」
グリュク、少佐、カイツの三人で魔弾を撃ち、発見された巣穴への道筋を押し広げた。グリュクとしてはどこまで続いているのか分からず不安に思っていたが、三人の一撃で大地は大きく陥没し、二撃目を放とうとしていたグリュクたちの目の前で崩壊して大きな縦孔の中へと滑落していった。
そして、今彼らの目の前に広がっているのは、巨大な縦孔。直径は差し渡し百メートルはあるだろうか、光が射し込んで見える範囲には橋のような岩石の足場で連結されている多数の横穴が覗いており、時折巨大なキアロスがのろのろとそこを渡って縦穴を挟んだ反対側の穴へと入ってゆくのだった。
(信じ難いが、この空間はキアロスの巣の一部のようだな……)
「……四年前にもキアロス退治で出動したことがあるが、巣穴の中までは入ったことはなかった……しかし、これは……!」
三人ともが魔女の知覚を持つため――カイツについては正確な所は測りかねたが――、彼らは孔の底からほのかに感じられる魔力線の気配を感じ取っていた。ちなみに、グリュクは再び少佐の簡易ホイストに掴まって箒から垂れ下がっている。
(推測するに、これは巨大な永久魔法物質がこの穴のどこかにあるのではないか)
「そうか、大きな魔力線の供給源があれば、大発生の間隔がこんなに狭まったのも説明がつく……けど」
「……!」
霊剣の所見にグリュクが反応すると、魔人は鉄面のような瞳のないその顔でもそうと分かる程に苦々しげな表情を見せた。
過去の霊剣の主に地質学に造詣の深い者がいたらしく、グリュクは永久魔法物質は妖魔領域を中心に産出すること、ベルゲ連邦以西での産出例は皆無に近いことなどを「知っていた」。
「キアロスも、ただ草を食って増えるだけの図体のでかい白蟻みたいなもんだが、腐っても妖魔動物だ。魔力線源になる巨大永久魔法物質が女王の部屋にでも放り込まれれば、ああも増えるのかも知れないな……」
「女王の部屋……!」
ミドウ少佐がそう分析すると、カイツは呟いてゆっくりと高度を下げ、陥穽の只中へと降下を始めた。徐々に速度が早まっており、穴の中へと降りてゆくつもりらしい。
「とりあえず、今は第二波を先に――って、おい! カイツ・オーリンゲン!!」
「あ、ちょっと!」
二人の呼びかけで留まる様子も無く、銀色の魔人は光の届かない暗闇へと溶け込んでいった。慌てて、頭上の魔女を呼ぶ。
「ミドウ少佐、彼を連れて戻ります! あなたは……連邦軍の増援が来るんでしたよね、それにでも合流してください」
「民間人が命令するな。あ、そうだ」
魔女はそういうと懐に仕舞っていた布袋入りの護符を取り出し、真下にいるグリュクに降って見せ、落とした。それを慌てて受け止めると、中から白い冷気が噴き出して少女の形態を取る。
「そいつは奴の、ある意味同郷だ。話をしたがってるんで、連れてってやってくれ」
「よろしくお願いします! 改めまして、シロミ・ユーレン・トウドウです」
「そいつの鬼火は照明にもなるから」
「ランプ扱いは止めてください!!」
鬼火を漂わせながら挨拶してくる少女――とその身にまとわりつかせている鬼火にやや面食らいつつも、霊剣と二人で挨拶と名乗りを返す。
「もし戻ってきて戦闘が終わってたら、カウェスの町役場か、空軍の奴を捉まえて私の名前を出せ。増援もほら、来たぞ」
芥子粒のような幾つもの点が次第に大きくなり、遠目にも魔女の部隊と分かる、箒にまたがった人々の姿となる。それを見届けると、半透明少女の本体であるという護符を懐に仕舞い、空軍魔女の箒の索から手を放した。
「それじゃあ、彼を連れ戻してきます。受け止めよ……!」
魔法術が解放されると、グリュクの体重の半分が天へと不正に流し込まれていく。そしてそれよりわずかに多く残した大地の底へと向かう重量が、グリュクを綿埃より少々早い程度の速度で陥穽の中へと降下させていった。
暗くなる前に霊剣を鞘から抜き放ち、背嚢から取り出した懐中電灯を構える。従士選抜試験の際に配布された、首から吊り下げて前方を照らすカバー付きの様式だが、今は任意の方向を照らせるように取っ手を握っていた。
「行くよ、トウドウさん!」
「どんと来りゃれなさい!」
(元気があって大変よろしい)
よく分からないテンションで返事をする護符に封じ込められた少女と、喋る剣。何か酷く遠い所に来てしまったような感慨をなるべく忘れようと心がけながら、グリュクは開いた孔へとカイツの後を追った。
そして開いた縦孔に接近すると、近い位置にいたキアロスが腹の先端をこちらに向けて弾丸を放ってくる。ほぼ垂直の内壁に開いた無数の横穴は、彫刻等で削り出したかのような岩盤の橋で繋がっており、そこを伝って巨大なキアロスが出入りしている。
巣穴に接近するグリュクの存在に気づいたか、彼らは一斉に腹の先端をこちらに向け、弾丸を発射してきた。重力作用点転移――つまり体重の半分近くを頭上に落ちてゆくようにして重力を疑似的に中和する術を制御している最中なので、別の術は展開できない。上空以外に右、左と重力作用の転移先を動かし、不格好ながら空中運動を行うことで何とか弾丸をかわしつつ、グリュクは更に縦孔の底深くへと降下していった。
命中こそしていないが、射撃はそれなりの精度があった。縦孔内部でグリュクの電灯とシロミの鬼火だけが光を発しているのだから当然だが、こうして巣穴の中に彼ら以外に発光するような物体も無いところを見ると、超音波や赤外線などによる暗視の生態も備えているのかも知れない。
(懐中電灯とシロミ嬢の灯火だけでは光量が足りぬな……)
「任せてください! 進んで明かりを灯しますっ!」
半透明の少女が、それが呪文であるらしい陽気な一声を発する。内容からは光明を生み出す魔法術と推察できるが、普通の術者が使うそれと違い、元から彼女の周囲を漂い照らしていた青い火の玉の光量が増大する術らしい。今までは孔の内壁までは見えなかったが、彼女のお陰でかなり不安が軽減された。魔女の知覚だけでは限界もある。
このいよいよ冷ややかさを増した「鬼火」は、霊剣の記憶によれば特定文化圏に伝わる怪奇現象の一つだという。その不気味さに思わず悪寒が背筋を走るが、少女の好意と思って我慢し、不要になった懐中電灯を仕舞った。
三十秒ほど「橋」やそこからの射撃を避けつつ、数百メートルは降下しただろうか。段々と強まりつつある熱気は地熱だとばかり思っていると、縦孔の底と思しき下方の岩盤の広がりに炎が燃え盛っていたためのものだった。シロミの鬼火の強い光で視界から飛んでしまっていただけで、たった今発火したというような勢いでもない。
「カイツさんかな……?」
シロミの呟くのと同時、亜音速で硬質の固体同士がぶつかり合って砕ける音が響き、次いで鬼火の光がそこまで届くと、先ほども見た赤い体色の魔人が奮闘している。
亜音速で壁や虫の背を蹴りながらのランダムな跳躍を繰り返し、すれ違いざまに腕部に収納されていた短剣で虫たちを斬り刻んでいる。巨大なシロアリのようなキアロスだけかと思えば、成人男子と差ほど重量が変わらなさそうな――それでも十分巨大だが――腹部のやたらに大きな虫が、魔人の超音速の蹴り足に吹き飛ばされて岩盤に肉や甲殻をしぶかせる。あれもキアロスだろうか? 更に加速して嵐のように周囲の虫たちを蹴散らし、着地しつつあるグリュクたちの方向にまで飛沫や欠片が飛散した。
「ひわー、ち、血がー!?」
「(……君の本体は俺の懐に仕舞った護符だから、このくらいじゃ汚れないよね実際には)」
周囲の燃え上がるキアロスの死体で上方からの鬼火の光に気づいていなかったのか、カイツがシロミの悲鳴に反応して動きを止めた。周囲に彼以外の動くものは無い。
「……何で来た」
「君が何も言わずに降りるから、連れ戻しに。増援の魔女部隊は到着したから虫の第二波は心配ないだろうけど、少し無責任だよ」
「俺は……あの女の仮説が気になるんだ。俺は人間カイツ・オーリンゲンと、マントルの中を生きる電気知性と、二つの永久魔法物質結晶を取り込んで生まれた命だと、あの死神ジジイがそう言っていたが」
「……死神……誰?」
「シェーニヒ教授といいまして……グルジフスタンでは国父に近い扱いを受けてるお爺さんなんです。私や、彼みたいな被害者を作るってんで、人によっては猛烈に恨まれてもいますけど」
「そんな人が……」
霊剣の記憶にも、気鋭の鬼才などと呼ばれた若き日の彼のことが、新聞記事の一節として留められていた。記憶は半世紀前の大戦で中断しているので、件の死神教授とやらはかなりの高齢になるだろう。
話している間に魔人はその体色を元の白色に戻したらしいが、彼の体表はキアロスの赤い体液に塗れつくしており、見た目にはあまり変化がなかった。
「お前らにも分かるだろう、この巣穴のどこかにある、強力な魔力線を放射している永久魔法物質の存在が。そのせいで本来なら何年も後になるはずだった虫の襲来が早まったんだとしたら、問題は抜本的に解決するべきじゃないのか」
魔女の知覚でも、確かにそうと思える波を起こすものを感じることは出来る。彼の言うことも、可能であれば実行すべきことにも思えた。今まで連邦軍なりが巣穴を攻撃しようとしなかったのはグリュクにとっては不思議だったが、考えてみればこの縦孔への道はカイツが偶然見つけたものだ。キアロスの繁殖速度を強化しているという線源を破壊するなどして、彼らの繁殖期間を以前と同じに戻すことはやるべきなのかも知れない。
(吾人は、御辺をここへと走らせたのはそうした理由ではないように見受けたが)
「…………関係ないだろ」
(そうか、無粋なことを尋ねた。主よ、どうする。このままでは力ずくで連れ戻すことになるやも知れぬが)
「……魔力線源を探そう。壊せばいいんだよな?」
(うむ……主の意志とあらば従うが、しかし急げ。第二波との戦い、加勢出来るに越したことはない)
反対する気など無いが一応、といった調子で、霊剣は忠告してきた。
「分かった」
「はいですよー」
「…………」
カイツだけは、黙って付いてきた。側面の横穴などを伝って小型のキアロスが迫ってきていたのを、ほぼ同時の念動力場で弾き飛ばす。だが、迂闊に移動して行き止まりに嵌る訳にも行かず、グリュクは鞘に霊剣を収めて青年に呼びかけた。
「俺が最短経路を特定する」
(すまぬが、御辺にはその間、虫どもから主を守って欲しい。頼めるか)
「ああ……手早くやってくれよ。それと、光を抑えてくれ」
「は、はい!」
カイツの指示にシロミが慌てて鬼火を消すと、光の跡の焼きついた視界に魔女の知覚が捉えている世界が重なる。カイツが周囲に近づいてきている虫を、超高速で端から迎撃しているのまでが感じ取れた。周囲は全くの暗闇になるが、このような時、魔女は第六の知覚のために純粋人ほどパニックになることはない。他の五感を塞げばそれだけ感度が上がるのは、他の感覚器官と同じだ。
「…………」
グリュクは集中を高め、巨大な魔法術を構築した。声に出してそれを解き放ち、制御する。
霊剣の記憶によれば、特に制御されている訳でもない魔法物質の結晶は、大抵放射している魔力線の一部が熱や光に変換されているので、明るい方向を目指せばよいのだという。近くに火山もなく、この深度ならば溶岩だまりなどと誤認することもないだろう。しかし、ここは動いて探すには及ばない。分かりやすい魔力の目印があるのならば――
「探れ……!」
非常に微力な念動力場がグリュクから広がり、網の目のような巣穴の内部空間を辿るように四方八方へと広がっていった。隘路や広がり、内部で息づく虫たちをも覆い尽くして巨大で希薄な念動力場が巣穴の中を拡大して行き、そして、巨大な力の塊を探り当てた。
念の網を伝わって、微弱ながらも暖かな力がグリュクに逆流してくる。
「何だか、落ち着く感じがします」
暗闇の中で、懐の護符に収まった少女が呟く。魔女の知覚で周辺の全てを捉えている今は、彼女の本体がグリュクの懐に収まった布袋入りの護符であることがよく分かる。
(距離が離れているからな。近寄れば眩いどころか、少々痛いくらいには魔力線が放射されているだろう)
「それって、脳とか神経は大丈夫なんだろうな……」
(防御障壁は魔力線も緩和する。それでも駄目となれば安全な距離から魔弾で壊せばよい)
「了解だ」
「おい、まだなのか!」
「もう少し!」
拳打でキアロスを甲殻の上から叩き割りつつ尋ねるカイツに応え、広大な領域に広がった念動力場を徐々に強化してゆく。強度と広がりは両立が難しく、強度だけを上げると、自然に念動力場は縮小して行く。大きく迂回するようなルートを通っている力場などは真っ先に力場が維持できなくなり、力場はより近く、より短い経路へと後退し続け、そして最後には、術者であるグリュクと魔力線源だけを最短距離で結ぶ強靭な一本の紐状の念動力場となって残った。念動力場は余剰エネルギーで緩やかに発光しており、視覚的にも分かりやすい。
念動力場の魔法術の、粘菌の生態をヒントに生み出された応用法だ。実践するのは初めてだったが、たまたま魔力線源がさほど遠くに無かったこともあり、何とか成功したらしい。この場合、術を維持し続けなければならないグリュクはほぼ戦力外となるとはいえ、あとはこれを辿って行けば良い。
「出来た、こっちだ!」
カイツに指さしで方向を指示すると、
「どけッ!!」
赤い閃光が走り、そちらの方向の横穴から迫ってきた複数の虫が吹き飛んだ。すかさず体色を銀色に変化させたカイツがグリュクの両脇の下に腕を差し込むようにしてその体を持ち上げ、そのまま飛び上がる。彼の体にこびりついた体液などはそのままなので、グリュクの服の一部が赤く染まった。
「案内は任せた」
「任された」
「光度上げます!」
銀の魔人が霊剣の主を抱え上げ、霊魂的な少女の鬼火に照らし出された妖虫の巣穴の中を飛翔する。
突入した横穴は成人が何人も広がって歩けそうなほどに広かったが、それでも大型のキアロスが通ると手狭になり、ただ前方に弾丸を放てばよい相手にとって有利になる。だが魔人は飛行中だというのに苦もなく電撃を放って虫を爆散させてゆき、障害は残らない。
(むむ……飛行の魔法術を使用しているにもかかわらず中断なしで別の術を扱うとは……)
「俺は既に人間クビになってるんだ、このくらい出来させてもらわなきゃな!」
「……止めさせられたって……さっきの話か」
「……あぁ」
グリュクは道順を案内しつつ、カイツに己の人生の転機となった出来事を簡潔に教えた。青年は軽く驚いたようで、飛び続けながらも口にする。
「……別に不幸自慢はしたかないが、少しだけあんたに親しみを感じてきたぞ」
「私はどうですか私!」
「え、いや……君は何というかその……」
グリュクに親しみを覚える前に彼自身が半透明の少女に親近感を持たれているのだが、その彼女の楽天的な様子からは、実験室で撃たれ、焼かれ続けてて擦れきったような青年の憂鬱や陰気さといった風情は欠片もない。
「……人間とは違う形態の知性と共存して、魔法術を扱えるようになったっていう点は同じなのかな」
「俺のはあんたの剣ほど愛想は良くないけどな」
(吾人は別段そうあれと努めていることはない)
「充分愛くるしいよ、俺の中の奴らは未だ無言だ」
(…………)
そう語る魔人の表情は、彼に吊り下げられている形のグリュクには分からない。
そしてグリュクは彼を渓谷のような切り立った縦長の地形を抜けると、比較的細まった――それでも大型のキアロスがすれ違えるだけの幅がある――一本道に入る。ここを通過すれば線源に辿り着けるはずだが、先ほどから体躯の大小を問わず、キアロスの姿が見えなくなっていた。
(固まって女王を守るつもりなのだろう。我らの目的は線源たる永久魔法物質なのだが……話しても分かるまい。良いか主よ、争いの原因とは時に一方に非があるばかりではないという――む!)
「あ、おい……カイツ!」
このまま霊剣の説教が続くことを危惧していたグリュクだが、カイツは突然彼を下ろして先んじ、上下左右に緩やかにうねる一本道を呆れるほどの速度で突撃していった。待ち伏せを受けるのではないか。いや、あの速度なら虚を突いて線源を――
瞬間、巨大な衝撃に周囲の岩盤全体が動揺した。魔人が大規模な落盤すら起こしかねない破壊的な術を行使したのか、いつでも障壁を出せるように体制を整えつつ飛び込めば、そこには名状しがたい光景が広がっていた。
「うわぁ……」
(これが……女王の部屋か!)
シロミが、鬼火を揺らして思わず呻く。カイツが先行したためだろう、迎撃の弾丸を浴びせられることはなかったが、予想通り女王の部屋らしき場所へと出た。シロミの鬼火で照らし出された広大な空間は、養蜂箱から取り出された巣枠の如くにキアロスでひしめいている。甲殻の接触する音、多数の虫たちが岩盤を踏みしめる轟音。五感で受ける圧倒的な衝撃に、思わず絶句した。念動検索で判明した線源の在り処はここなのだが、一瞬グリュクはそんなことさえ忘れてしまっていた。
「……と、カイツは!」
線源も探さなくてはならないが、先ずは彼だ。姿はすぐに見つかり、やや離れた右前方に立って体色赤く、戦闘姿勢を取っている。その背景となる、シロアリに似た甚だしくも膨れ上がった質量の腹部を持つ、女王。カイツとの対比から恐らく前後に数十メートルにも及ぶ、不気味な威容。その先端部分では人間大の小型のキアロスが、せわしなくひたすらに、闖入者にも構わずに次々に産み落とされる卵らしき、人間の頭部ほどもありそうな白い楕円球を運び出している。
(線源は……まさか、奴なのか……!?)
霊剣の驚愕が指すのは女王ではない。山のように膨れ上がったその産卵器官などでは断じてなく、左前方やや遠く、カイツと対面して位置している何か。
カイツが魔人なら、それは有体に言って、魔物に例えられるだろう。他の個体と同様に足は三対六脚だが、鈍器めいた前方の二本が掲げられているその態勢はカマキリに似ている。大きさ自体は馬ほど、体表を覆う甲殻は黒く、岩石のような質感を帯びている。頭部は大きな複眼と、遠くからでも強固さの窺えるいかにも昆虫という左右の顎。地上で主だった種類のキアロスたちよりは小さいが、それでも体重は数トンほどもあるだろう。ただ大型化しただけのシロアリのようだった他とは、大きく異なっているのは確かだ。
「あの馬カマキリが……永久魔法物質?」
(いや……戦前、こうした社会性妖虫の研究はあまり進んでおらなんだ。もしやすれば、あれは女王の直衛のようなものなのかも知れぬが……しかし、奴は……奴は! 魔力線源を取り込んでいる!!)
「そういう生き物ってことじゃないのか……?」
(……仮にそうだとして、御辺は、奴があれをどこで手に入れたのだと思う。そのあたりに埋まっていたものか?)
「あ……!」
先ほども思い出していたことだが、永久魔法物質はベルゲ連邦では産出しない。遠く離れた妖魔領域の地下でそれを手に入れた個体が、このベルゲの地下まで移転してきたということか。
だが、それをもっとよく観察する前に、カイツが動いた。体色は赤いままに、間合いを詰め――そして大きく弾き飛ばされる。
「カイツ!!」
助勢するべく走り出したグリュクだが、周囲のそれまで無関心であるかのように蠢いていたキアロスたちからの一斉射撃がそこに集まり、慌てて障壁を半球状に広げて防御する。
「邪魔するなってッ!!」
頭痛も構わず障壁を外方向に爆散させ、追撃に環状の念動力場を炸裂させて周囲の巨虫たちを弾き飛ばす。それでも布束のような繊維――腹部の大きい個体が射出しているそれが飛来して手足に絡みつき、岩石の弾丸が側頭の髪をかすめるが、構わず小規模な爆裂魔弾を連射してキアロスたちを爆破し、焼き払う。
もはやカイツのことを気にしていられる状況ではなくなってしまった。痛みがなおも押し迫り来る中、グリュクは霊剣と共に巨虫を刃で、術で殺し続ける。もはや地表からここまで何百匹をこちらの都合で殺したか、数えるのは止めてしまっていた。今まで彼が殺したのは一頭の妖獣や、少数の無法者であったりしたが、今度は赤い血の流れる虫たちを大量に殺し、ともすれば彼らの女王すら殺してしまいかねない勢いで魔法術を攻撃に使用している。
だが、ここで魔力線源を破壊しなければ、以前に倍する頻度で大発生するようになった彼らはその数だけ町村や田畑を食い荒らすことになるだろう。「命があっただけマシだろう」では、被害者たちは納得すまい。彼らの食害を防ごうとして、命を落とす魔女兵が現れないとも限らない。
ヒトの幸福と巨虫たちの幸福の、相反する故に。
(戦うぞ、主よ! 吾らは、人類を護る!)
「大袈裟なんだよお前は……!!」
「グリュクさん、ストラッセさん、がんばって!」
そうして飛び散る赤い体液を正当化し、自我を保つ。正直に言って、人間が相手でないだけで随分と気が楽だった。そういう風に出来ているとしても。
自嘲気味に人間を辞めさせられたと言っていた、あの青年はどう思っているのだろうか。或いは、赤い体液の嵐に動じることもなく彼らを応援してくれている、この護符の少女は。
「展びよッ!」
ほのかに鉄の味のする空気を吸って大きく飛び掛り、振り上げた霊剣の刃を魔法物質で伸張させた。長大な輝く刃で腹の砲口をこちらに向けようとしていた大型個体を両断、そこから振り下ろす軌道にもう一頭を捉え、続けて屠る。
「(……洗って落ちるかな)」
シロミの鬼火で誤魔化しようもなく衣服が赤く染まっていることが分かってしまうが、それでもグリュクは相棒を振るった。