5.多色超人
「砕け散れッ……!」
明らかに威力を減じた爆裂魔弾が、それでも巨大な怒濤の一角を破砕する。
「火球が破壊する!」
その間隔を埋めるように、殺到する虫の弾丸を回避しながらもミドウ少佐が同規模の爆裂魔弾を放ち、同程度の虫たちを吹き飛ばした。
少佐が時折飛んでくるキアロスの弾丸を回避しながら息を荒らげる。幸いにして一発も当たっていないが、機会があればグリュクに併せて魔弾も放っているため、彼同様に疲労が溜まって来ている。
「踏ん張れ、もう少しで連邦軍が着くはずだ!」
変換小体は、ある程度までは鍛錬によって強度を増やすことが出来る。数千倍に拡大して見れば前衛芸術のような形状をしているこの小さな細胞器官が、どのようにして魔力線からエネルギーを取り出し形を与えているのか、啓蒙者以外には解明できていないとされている。
だが経験的には、魔法術の連続使用によって疲弊・減少した小体が復活する際、より大きなエネルギーを取り出すことが出来るようになることは知られていた。即ち筋力同様、限界まで疲労させての超回復により、魔女の魔力は強化されてゆく。もちろん、過度の疲弊は神経の壊死と隣り合わせの危険な行為でもあるのだが。
グリュクも魔女になった当初から一ヶ月強が過ぎ、その間何度か限界寸前まで魔法術を使用することで、強烈な全身の痛みと引き替えに変換小体の量も上昇していた。加えて、彼の体は今まさに完全に魔女になろうとしている、いわば遅れてやってきた成長期のようなもので、彼の魔力における成長性は全力疾走の最中に追い風を受けているような状態に例えることが出来る。
筋力と異なり骨格との兼ね合い――成長期における過剰な筋力練成は骨の成長を阻害する――を気にする必要のない変換小体は、グリュクの体内で爆発的に増加し、彼に魔女としての飛び抜けたスタミナを与えつつあった。
だがそれでも、数万体を越える勢いのキアロスの群を殺し尽くす――霊剣の記憶で知りつつも試したが、催眠電場は通用しなかった――には届かない。この半時間ばかりで残り数キロメートルまで迫った背後の町は、今はかろうじて防衛しているが、次の十分間は分からない。グリュクと少佐が防衛線を維持していても、別の箇所が突破される恐れもある。
「まだまだぁッ!!」
気迫で痛みを振り切りながら次の魔弾の魔法術を構築すると、西の方向から眩く光る閃きが虚空を疾り、そこから迸った雷電がキアロスの群をなめた。甲殻の内側に収まった組織が灼かれて膨張し、所々で巨虫が爆発する。爆発しなかったものも死亡したのだろう、転倒して土砂や仲間の体液を撥ね散らしながら動きを止めた。
「誰が……!?」
グリュクの術ではない。誰か、もしやすればたった今疾った銀色の閃光が、大規模放電の魔法術を放ったのか。
爆発や電光に見失っていたが、再び発生したその煌きがこちらまで接近してその光輝を消すと、そこから抑揚の効いた声が届いた。
「俺も戦う」
「君は……!」
「……!!」
「カイツさんっ!」
白い魔人と魔人の赤く変色した姿、その両方に似た面影を残す、いわば銀色の魔人。 グリュクたちから少し離れた空中を微妙に漂いながら、あの青年の声で語りかけてきた。同じ研究所の出身だとかいう縁でなのか、亡霊の少女がミドウ少佐の懐から顔を出し、目を輝かせている。
「パンと水の礼だ。そっちのお化けちゃんも、怖い赤色お姉さんから庇ってくれてありがとう」
「誰が怖い赤色だとぁ!?」
「でしょー? ユカリさんの横暴で絶滅した希少動物は星の数ですよ」
「ぶっ殺す……!!」
真っ赤ないでたちに青筋を立てる少佐を敵に回して何やら意気投合しているらしい二人だが、魔人の方はすぐに体勢を崩して虫の血の海となった大地に向かって自ら落ちていった。
そして銀白色の魔人は再び体色を赤へと転じたかと思うと、目にも止まらぬ赤い稲妻となってキアロスの群へと斬り込んで複数の虫を血祭りに挙げた。
(あやつ……代謝構造を急速に変動させて、身体だけでなく魔法術の特性までを偏向しているのか!)
霊剣の感嘆は、要約すれば「体自体を大きく変化させ、その得意分野ごとに姿を使い分けている」ということになる。気を取り直した少佐の箒に吊り下がって爆撃を再開している間に、今度は体色を黄金に変化させてあろうことが腕を何十メートルも伸ばし、その縮む勢いを利用して掴んだままのキアロスを正面から貫通する蹴りを放ったりしていた。そしてそのまま、今度は再び銀色に変化して空中へと舞い上がり、先ほどと同じ雷電を放って広範囲を焼き払う。
尋常な戦闘力ではない上、あのような力は霊剣の記憶には全く存在していない。
(む……吾らも負けておれぬぞ主よ)
「ああ!」
「お前ら何する気だ?」
(少佐、空から援護を頼む。吾らは、地上で彼の魔人を援護する)
「……奴が孤立する心配はなくなるか。よし、許可する!」
「了解……!」
許可を受けて――グリュクとしては許可が無くてもやるつもりだったが――ホイストから手を離すと、魔法術で重量を軽減して音も小さく数十メートルの高度から着地する。そして、
「劈けッ!!」
少々魔人の戦い方を意識して高圧電流を投射する。地上に出現したもう一条の稲妻が、同じく虫たちを薙ぎ払った。
深紅の体色に変じた魔人が巨虫を蹴り砕けば、霊剣の刃がそれを抜き去ろうとするもう一頭を両断する。
霊剣の主が念動力場でキアロスの一団を大地へと釘付けにすれば、その身を蒼穹より青く変じた魔人が熱線と魔弾の一斉射撃でまとめてそれを消し飛ばした。
ミドウ・ユカリ少佐はそのやり方こそが本分だとでも言うかのように、超音速で低空を切り裂き、衝撃波で広範囲の敵を破壊していった――飛行の不得手なグリュクの面倒を見なくて良い故の戦い方だ。
こうしてカイツの参加で虫の第一波とでも呼べそうな集団は、東側ではほぼ一掃されていたが――もちろん、周囲を埋め尽くすキアロスの甲殻の破片と肉片、老廃物や体液を腐敗が進む前に回収するという課題は残っている――、既に地平線の近くには土煙が上がっていた。
「うぉぉぉぉぉォッ!」
雄叫びと共に、いつの間にか、今度は魔人=カイツの体色が土色に変化し、右腕に大きな削岩錐のようなものが出現している。螺旋の刻まれた、鈍く輝く円錐。
(赤、銀、金、青に続いて土色とは……しかしあの腕、よもや)
霊剣が悪寒を覚えたように呟いた時には、カイツは既に上空から真っ逆様に大地へと突撃し、その余波で虫の最後の一群を土砂と共に吹き飛ばしていた。少佐が土砂を避けようと急上昇するが、そこより遠いはずのグリュクの元にまで、大量の土煙や芥子粒大の小石などが飛んでくる。上方の魔女から罵声が飛ぶ。
「バカ野郎、んな真似するなら事前に言え!」
確かに、魔女の呪文は戦場で友軍を下手に巻き込まないための確認の合図にもなっているが。
今の一撃で、先ほどまで付近一帯を怒濤のように流れていた虫たちの戦列は完全に消滅したようだ。
(第一波のカウェス蹂躙は阻止したか……!)
「連邦軍はまだですか少佐……」
安堵と共に疲労が堰を切りつつあるのを抑え、使い魔と交信しているらしい空軍の魔女に訪ねる。
「すぐ近くだ、次が来る前に交代出来るさ……カイツ・オーリンゲンのことも、この貢献を私が証言すれば少しは手柔らかな扱いにしてやれるかも知れない。そういや……あいつ潜ったままか? 逃げちまったかな……」
だが、魔人はすぐに帰ってきた。どうやら飛行能力に優れているらしい銀色の姿となって、穴から高速で飛び出してくる。
「まずい……」
「おい、どうした!」
少佐の尋ねに、銀色の魔人は焦燥を浮かべつつ答えた。
「ここの地下に……でかい巣穴が広がってる!」
大陸の東の南北に広がる広大な妖族の世界、妖魔領域。その遙か南、極寒の山脈に所在する館の執務室で、タルタスは部下の報告を聞いていた。彼が火山灰の影響で年中薄暗いこの地に住み着いて、千年以上になるか。
「予定より三十分ほど早いものの、既に連邦東部中北地域では各個に戦闘が始まっています。発生数は前回の七倍、ですが連邦軍も必死に即応戦力をかき集めているようですので、被害は前回の二倍から四倍程度に収まる見込み」
「今の所は順調だな」
「はい」
眼鏡の位置を直し、呟く。
霊峰結晶は予想通り、神経構造の簡素な妖生物に対しては単純な代謝エネルギーの供給源として恐るべき効果を発揮した。
結晶を体内に移植された直衛個体を巣に戻すだけで女王個体の生殖サイクルを早め、出生した個体の成長速度も大きく上げた。十一年を要するのが通例の巣の飽和も、三分の一の期間で達成した。少ない魔力線で生存可能な妖生物に与えてこれなのだから、この恐るべき結晶を、十分な知性を備えた強力な妖族に与えることが出来たならば。
だが実用に供するには、今より更に検証を進めなければならない。
「採掘ペースを倍に上げろ。最低でも現保有量の三十倍は欲しい」
「倍速でも三十倍となると、単純計算で百三十年かかります。ドリハルト採掘はご兄弟や大円卓の追及も今なお厳しく」
「うるさ方は私が黙らせておく。来月以降の採掘予算を期間あたり四倍増、研究費二倍増。削る予算の選定は任せる。最悪ここの土地だろうと遠慮なく貸してやれ」
「……お言葉ですが、直賜領は……その」
「構わん。責任は私が取るし、どんな時でも委任状が必要なら遠慮せずに言え」
「はい……」
父である狂王から直接に与えられた領地ではあるが、売却はともかく貸し出しなどは可能なはずだ。直轄・直賜領の使用権程度でも、有り金をはたいて欲しがる者は列を成す。火山灰で年中薄暗い土地だが、王位継承第四位である彼との繋がりを欲しがる者は絶えることもない。既に事態の収束後にベルゲ連邦に行う援助の資金についても準備が済んでいる。
密易、流言、謀殺、実力。とにかく、自分より上位の継承権者を蹴落とし、より下位のものたちを牽制するための手段は選ばず、可能の限りを成さなくてはならない。
妖魔領域の覇権国家ヴェゲナ・ルフレートの第三王子、タルタス・ヴェゲナ・ルフレートとして。
※12/08/29:タルタスの継承位を第三から大四に修正。