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霊剣歴程  作者: kadochika
第07話:妖虫、群がる
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3.路地裏の魔人青年

 痛い。堪えがたい空腹に痛む腹をさすりながら、着の身着のまま名も知らない町が見える場所まで辿り着いた。着のままといっても、何度も皮膚と同化して装甲板のようになったそれが本当に元の自分の衣服なのかどうかは疑わしかったが。

 さほど高くはない山の腹から見下ろすと、平野の街道に沿って家屋が群れるスポットの周りに色とりどりのモザイク状の模様が出来ている。どうやら都市間商隊か何かの自動車や露天の類らしく、体が自然に、人恋しさを訴えてきた。同時に、しばし忘れていた空腹も。

 カイツはここに辿り着く道なき道のすがら、刺すような痛みに何度も腹を抱えた。水以外は碌に摂らなかった道中でも餓死しなかったのは、恐らく電磁生命体の持つ魔力線(まりょくせん)合成能(ごうせいのう)の恩恵によるものだろう。通常の生物なら行動が難しくなるような飢餓にも、魔力線合成でしばらくは耐え凌ぐことが出来る。だがそれでも消化器や肺などの臓腑、血管に神経など、永久魔法物質に電気知性などという得体の知れないものと融合してしまったこと以外の構造は人間と大差がないのだ。執刀検査は無意識でも体が拒絶してしまうため、あくまで放射線透過などによる推測でしかないが。要は、少しばかり餓死が先延ばしに出来ているだけ。

 季節がらか木の実なども見つけられず、自分がそういった知識に疎いことを痛感した。土中に虫などがいればそれを掘り出して食べるといった方法も考えたものの、それはもう少し先延ばしにしたいという、安いプライドが邪魔をした。せめて人里に着けば、いや、既に指名手配されている、という循環で無為に考えを巡らせつつ、彼は南下を続けていたのだ。それだけに、人の気配が溢れる場所を見つけたということへの安堵は格別だった。

 これからのことを考えると、今更のようにそれなりの待遇が保証されていた研究所での実験体生活を惜しむ思いがこみ上げてくる。それを振り払うように、カイツは苦しい記憶を反芻した。


 剛性(ごうせい)強度試験、つまり魔人と化した彼の皮膚の装甲がどこまでの威力に耐えうるのか、また、骨格は、臓器は? 固定された彼の体の各所に炭素鋼製の杭や刃、果ては銃弾や徹甲砲弾をぶつけることでこれが調査された。

 熱耐久試験、即ち魔人はどこまでの熱に耐えることが出来るのか? 耐熱実験炉の内部で彼を蒸し焼きにすることで、鋼鉄が溶融する温度でも魔人が活動可能であることが立証された。

 化学耐性試験、酸や塩基に対する抵抗力は? 既知のあらゆる酸性、塩基性の水溶液が準備された。加速度耐久力は? 最後には彼を弾丸として射出する大砲もどきの内部に閉じこめられた。

 耐圧性は、放射線耐性は? 電気抵抗は、低温耐久力は、耐爆能力は? 起重(きじゅう)力は、破壊力は、殺傷力は――――


 カイツはそれら全てに耐えきってしまった忌まわしい体を引きずるように、麓の町へと歩きだした。






 眼下を猫が悠々通りすがってゆく。


(あと一分)

「………………」


 両手を広げれば左右の建物の壁に手が付いてしまう広さの裏路地に、グリュクは浮いていた。文字通りに足場無しで空中に浮遊しているのだが、これは彼の体に全体にかかる重力の作用する先を、「半分だけ頭上に捻じ曲げている」ことによる。現在、彼の体重の半分は自然の摂理に従って路面へと落下しようとしているが、残りの半分は天空に落ちてゆこうとしている。それが拮抗しあって、グリュクの体重は見掛けの上ではゼロになっていた。質量はそのままだが、少し壁に触れるだけで、彼の体は反動を受けて反対側へと漂ってしまうような状態だ。

 そんな状態が始まって、五分を過ぎようとしていた。


(五分)

「……!」


 頭上へと落下させていた半分の自重(じじゅう)を徐々に自然法則へ返却し、グリュクはずるずると地上五メートルほどの高さから緩やかに落下、着地した。ただ足を浮かせていただけなら急な圧力変化を受けた足の血管の周囲に痛みが走るところだが、むしろ普段より頭部に血が回っていたことでそちらは然程でもない。


「やっぱり別の飛び方の方がいいんじゃないかな……」

(確かに後方への推力をイメージしやすい形状ではあるが、箒は携帯性を欠く上、基本的に両手で操作するものだ。霊剣の主である御辺(ごへん)には相性が悪い。念動力場で大地に反発して飛ぶのは有効距離、自由度、効率……あらゆる面で劣る)


 本格化して理論面での講釈も増えた、霊剣ミルフィストラッセの魔法術講座だ。現在は長時間連続しての制御についてが主であり、以前の霊剣の発言から想像するより、長時間の制御というものははるかに難しかった。もちろん過去の所有者たちの記憶や経験による技術的な底上げはあるのだが、まだグリュクは成って二ヶ月も経たない、魔女としては赤子同然に近い状態にあることとも関係があった。これまた霊剣によれば、既に脳を含めた肉体は成人しており見よう見まねで多少複雑な術を構築することは出来るが、それを維持し続けるという感覚が脳に十分根付いていないのだという。その点については、生まれた時から魔女の知覚と共に成長してきた市井の幼い魔女でも、グリュクよりよほど長けているらしい。


(十五分休憩の後、再び挑戦致すぞ)

「あぁ……」


 以前ならば悪態をついていた所だろうが、赤い髪の聖女に力及ばず敗れた今では、グリュクは少しばかり戦闘技術の向上に執着を見せるようになっていた。頼るのが己の経験でない分非常に不正な手段である気もしたが、手が空けば積極的に歴代所有者の記憶を思い出しながら立ち回りを練習した。誰かに頼むことでもない気がしたので、ひたすら自分のものではない記憶を頼りに孤独な(たい)捌きを繰り返しているような、少々情けない有様ではあったが。

 あと二十分ほどで見回りに出る時間だ。背嚢を開けて先ほど買ったパンを取り出し包みを開くと、そこで大きな腹の音が鳴る。


「誰だ」


 グリュクの胃の音ではない。霊剣の柄に手をかけながら音の出所を探して路地の奥を見遣ると、建物の裏と裏の間の狭い隙間、そこから何者かの片手だけが伸びて視界に入る。敵意も無いため気づかなかったが、近寄ってみて初めて、建物同士の間に投げ入れられて溜まったゴミの上で、誰かが倒れているのが分かった。


「おい、大丈夫か!」


 屈んで容態を見るも、かなり体臭がきつい。やや顔をしかめつつ、再び大きな音がその腹から鳴るのが聞こえた。即座に起き出して荷物を掠め取ろうとしないことから、強盗の類ではないように思える。魔女の知覚で判別できる限り、魔女体質ではあるが、飢えて倒れているだけの青年にしか見えなかった。


「……えーと……」


 見る限り歳は二十代、着衣と眼鏡以外は何も持っていない。グリュクはパンを千切ってその口に入れてやり、そこに背嚢から水筒を取り出して中身を軽く注いだ。ついでに下あごを掴んで上下し強制的に咀嚼させると、ゆっくりと喉が下り、胃へとパンの欠片が下ってゆくのが分かる。


「うぅ……」


 同じように何度か飲み込ませてやると、青年は何とか声が出る程度には力が戻ってきたらしい。酷く衰弱していた筈だが、残ったパンを丸ごと渡してやると彼は徐々に勢いを増しながら、それを貪り始めた。


「た、助かった(たふはった)……恩に着る(おんいいる)……!」

「……それじゃ、俺はこれで」


 少なくとも、飢えていただけの相手に素性まで尋ねて世話焼きを重ねるような際限のない類の正義感は、グリュクも霊剣も持ち合わせてはいない。味を占めてたかってくるような根性の相手だとしたら面倒なのでその場を去ろうとすると、その行く手を塞ぐ者があった。


「カイツ・オーリンゲンだな。同行願おうか」


 目深に被ったフードの下は暗くて窺えないが、女の声だ。


「騙したのか……!?」

「いや、違――」


 青年は一言そう呟くと形相を一変させ、パンを齧りかけのままで脱兎のごとくその場から走り出した。フードを被った女はそれを追い、持っていた箒の房の方を前に向けて呟く。


「西風が流れる」


 同時に狭い路地裏に突風が吹き荒れ、逃げる青年もろともグリュクまでを吹き飛ばしてその体勢を大きく崩した。乱れる平衡の中で何とか首を捻って風を放った女を見ると、既に箒を足に挟んで離陸体勢を取っている。


(突風の吹き荒れるこの狭い路地裏で飛び立つとは、正気か!)


 壁を蹴りつつかろうじて脚から着地すると同時、箒に跨った魔女は急加速して横幅の一メートルあまりしかない空間を左右の壁面に接触もせず飛翔し、瞬く間もなく青年の行く手に先回りして着地した。精妙な技術に裏打ちされた、余りに鮮やかな手際だ。風にたなびくマントの下には真っ赤な飛行服を着ているのが見えたが、その奇抜な赤一色も技量を際立たせる添え物に過ぎないのか。


「……!」


 グリュクと魔女に挟まれた青年はたじろぐ様子を見せるが、次の瞬間変化が起きた。小さな爆音と共にその姿は消え、代わりに雪のように白い後ろ背がそこに出現した。


「正体現しやがったな……!」


 正体。女の言葉は確かにそう聞こえたが、変化、変装の魔法術か何かを指して言っているのだろうか。グリュクは自分の、否、霊剣の記憶を探りつつも、状況を分析した。逃げるかどうかといったことまで含めて、自分の取るべき行動を。

 だが、出現した白い魔人が破壊的な術を構築するのを見て、思考が介入へと収束する。


(警戒せよ、念動力場だ!)

「潰れろ!!」

「抗えッ!」


 カイツと呼ばれたその青年が変化したらしい魔人、その発動した大威力の爆発的な念動力場がフードの魔女を襲うが、間一髪、女と魔人と間に飛び込んで発動したグリュクの力場がこれを防御した。双方の念動力場は環状に発動したが、魔人の念動力場はグリュクたちを押し潰そうと、グリュクの力場はそれを押し広げ返そうとする形だ。

 波長の異なる念動力場同士の干渉で余剰エネルギーが縞模様の光の輪となって周囲に発生し、同じようにして発生した高出力の高周波によって周囲の窓ガラスが盛大な音を立ててひび割れ、時に破片を飛び散らせる。

 干渉模様を描く力場の向こうでこちらを振り向いた魔人の形相は、怒りに歪んでいた。


(何という術強度……! 主よ、情けは無用! 下手な手心を加えてはこちらが爆砕されるぞ!)

「……言っとくけど、俺はこのフードのお姉ちゃんとは無関係だよ」

「黙れッ!!」


 咆哮と共に魔人の念動力場が急激に出力を増し、そのままこちらの力場を押し切って内部を圧砕しようとする刹那、魔法術の威力はグリュクたちを傷つけることなく、その頭上で炸裂した。


「ッ!?」


 魔人が怯む。グリュクが念動力場を円錐状に変形、魔人の力場の威力を上方へと受け流したのだ。そのまま力場を更に変形させ、紐状にして急速に魔人に巻き付けて物質化させる!


「固まれッ!!」


 呪文によって魔法術が変型し、念動力場が灰色の拘束具となって白い魔人を縛り上げた。だが魔人は即座にそれに対応、両腕を大きく振り開いて魔法物質を引きちぎった。


(いや――)

「(斬り裂いたのか……!)」


 その両手にはどこから取りだしたのか、有機的な形状の肉厚の短剣が一振りずつ握られており、そして驚く間もなく魔人は今度は真っ赤に変色し、突撃してくる。

 腹部と喉とを僅かな時間差で狙って迫る二つの刃を奇跡的な会心の一薙ぎで弾き、剣の間合いを保って隙を作ろうと試みた。だが文字通り、目で捉えるのも難しい速度で側面や背後に回られ、防戦一方となる。

 路地の前後を見ると、最初に女が起こした突風や念動力場の衝突の影響で窓ガラスが割れたためだろう、付近の住民などが集まり、路地を挟む建物からはまどの破片に注意しつつ身を乗り出している者もいる。

 人間は当然として、他者の財産である建物への被害も、出来れば――最悪補償しなければならなくなるかも知れないのだ――避けたい。魔弾が回避される恐れもあるのならば、手段は限定された。


(主よ、連鎖複合だ!)

「あぁ……!」


 いかなる術者であっても、二つ以上の魔法術を同時に発動することは出来ない。また、一つの魔法術を制御している途中で新たに別の術を発動するならば、それまで維持していた方を放棄せざるを得ない。だが、二つの術を一繋がりのものとして構築することで疑似的な同時行使が可能となり、この技法は連鎖複合と呼ばれている。魔弾を発射するような魔法術であれば実践は比較的平易だが、連続して制御を続けるような術を同時に使用するとなると、その難度は等比級数的に跳ね上がる。

 今回連鎖させたのは、「統合身体強化」と「神経加速」。肉体だけを強めるものと、精神の速度だけを早めるもの、その二つの術が組み合わさるならば。


「研ぎ澄ませ給え……!」


 魔法術の開放と同時、時間が鈍化する。周囲に比較対象が少ないので実感が沸きにくいが、それでも皮膚を伝わる油のような感触がそれを教えてくる。空気さえもが体感可能な粘性を持って振舞う、近音速(きんおんそく)の領域に突入したのだ。

 そこを、それでもなお信じがたい速度で動き回る、体色を赤へと転じた魔人。驚異的な身体能力だが、一時的とはいえ今のグリュクにはそれに対抗する力がある。


「(行ける……!)」

(こうなってしまえば、技量においては御辺が圧倒的に優位。このまま押し切るのだ)


 赤い魔人と霊剣の主は狭い路地裏で反跳を繰り返すように互いの死角を狙い合いながら斬り結び、時折器物を大きく破壊して破片を散らした。壁材、ゴミ、舗装、配管、窓。

 恐らく、以前「身体強化」のみを使用したときよりもさらに速い、通常時間にして三十秒にも満たない僅かな時間で神経が限界を迎えるだろう。神経の伝達間隔が増加しているので体感時間自体は長くなるとはいえ。しかし、このような一対一での目まぐるしく状況が切り替わる至近距離戦闘こそは、何十人もの剣士の記憶を霊剣を通して受け継いでいるグリュクにとって、最も得意とする所でもあった。熟達した使い手――歴代の主はほぼ全て、霊剣の作用で短期間のうちに剣の達人となり、そこから更に経験を積んでいる――による膨大な期間に及ぶ戦闘経験が、全く未知の敵を相手にしようとも、正確無比な次の手を導き出して戦いの趨勢を不利から有利へ、有利から圧倒へと傾けてゆく。

 速度さえ同じならば、刃をいなして拳を躱し、勢いを殺さず体を捌く。投げつけられた音速の破片は下手に動かず上半身を傾けて避ける。魔法術で強化された肉体であろうと構わず破砕するであろう威力の蹴りは出がかりで封じて反撃へと繋ぎ、単純なフェイントは構わず撃墜して死角を狙う本命ごと潰す。グリュクの体感時間で二分と経たない内(通常時間では十秒に達するかどうかという長さだ)に、霊剣に眠る剣士たちの記憶は、魔人と化した青年の戦闘経験について、それがほぼ皆無であるという結論を出していた。有体に表現してしまえば、「喧嘩は素人」。

 意図して見せた隙を突くように大きく放たれた刺突を回避し、そのまま腕を掴んで大きく跳躍、


「(ごめんよ!)」


 そして青年の体を遠心力最大、増強された身体能力による加速つきで路面に背中から叩きつける。

 同時、グリュクは維持していた連鎖魔法術を解除、魔人の腕から手を離して尋常な時間の流れへと復帰した。遅れて、手放していた霊剣が路面に落着し、がらんと音を立てながらも抗議してくる。

 戦いの間は相対速度の関係であらゆる音の波長が目まぐるしく変化していたが、魔法術を解除した今では、カイツ・オーリンゲンが路面に叩きつけられて生じた衝撃音が奇妙な音程の乱高下を繰り返すこともない。

 ただ、魔法術の連鎖発動で神経が、その効果を受けて高速で動き回ったために筋肉が、それぞれかなりの疲労を訴えてきていた。この組み合わせは切り札としておいた方が賢明だろう。


「ぐっ…………」

「すまなかった。でも頼むから、攻撃なんてしないで話を聞いてくれ。俺もこれ以上戦う気はない」


 魔人の体色が白色に戻り、そこから間をおかずに青年の容姿が復帰する。


(ある程度の打撃を受けると変化が維持出来なくなるのか、それとも魔人が御辺をたばかろうと弱い姿を装っているのか)

「おまえも疑り深いね……」

(寝首をかかれてからでは信じることも出来なくなるのだぞ)


 路地裏に転がったままで青年に対して疑義を呈する霊剣を回収して鞘に仕舞うと、今まで戦闘の余波を避けて上空にいたらしい魔女が降下してくるのが分かった。彼を問答抜きで傷つけたり、殺したりすることが目的だとは思いたくないが……


「協力感謝する」


 女は一言そう呟くと、懐から厳つい手錠を取り出した。輪と輪の間を無垢材の柱で繋ぐ、自由度のより低い形式のそれを携え、倒れた青年へと近づいて行く。


「待って!」

「何か……?」

「襲いかかってきたのはともかく……彼は何をして、あなたに追われているんです?」

「……私には連邦軍から彼を確保するべく命令が出ている。お上の威光を笠に着るのは大嫌いだが、邪魔立てされても笑顔で許せるほどお人よしでもないんでな」

「説明くらいしてくれてもいいでしょう、彼は飢え死にしかかってたんですよ……!」


 苛立ちながらも告げる女に、反発を覚えて食い下がる。青年の世話を焼くつもりは無かったが、冤罪か何かで追われている可能性があるのなら話は別だ。


「駄目だ。私にそれを話させない役目という物がある。そもそも逃げられてからじゃ話も聞けんだろ」


 だが、実力で制止出来る訳でも青年の詳しい事情を知っている訳でもなく、グリュクはそれ以上を言い返せずに黙った。冤罪で無い可能性もあり、もしそうなら、グリュクは犯罪者を解き放ったことになってしまう。心情としては青年を擁護したかったが、それは魔女として王国から逃げてきた彼自身の身勝手でしみったれた憐憫以上のものではない。


「ま、待ってくださいっ!!」


 そこに投げかけられた悲鳴は、フードの魔女のものでも、ましてやグリュクやいき倒れていた青年のものでもない。


「こ、こら! 出てくるなって言ったろうが!!」


 急に魔女が狼狽するような声を上げ、懐をまさぐり始める。すると、そこから霧を思わせる気体じみた何かが漂い出てきて、意味のある形態をとり始めた。

 出来上がったのは、下半身のない少女。何の冗談なのか、小さな青い火の玉をいくつかまとった半透明のその姿は、戯画化した亡霊を想像させた。確か、亡霊には足がないとする国もあったか。


「カイツさん! あなた、人類史研究所でそうなったんでしょう! 私も、あそこで生まれたんです! 私の話を聞いてくださいっ!」

「…………!?」


 足のない亡霊の少女は、何とか上半身だけでも起こそうとしている青年に向かって必死に訴えかけていた。カイツと呼ぶらしい青年も、さすがに驚きを隠せないらしい。反対側の背景が透けて見える少女の言っている内容はよく分からないが、真剣なことだけは見て取れる。


「このバカッ! 話すのは捕縛してからでも――」


 集中が解けて、女の魔法術が発動することなく霧散する。フードの女が何か小さな護符のようなものを握りしめながら少女を叱った時、青年は再び白い魔人へと姿を変えて一気に上方へと飛翔、途中で建物の間に干された洗濯物などをぶちまけつつ、人工の隘路の向こうへと姿を消した。


「あ…………」

「あークソッ!! どーしてくれんだこの半透明小娘!?」

「ご、ごめんなさい……」

「お前もだよ!!」

「俺!?」

「折角捕捉した被疑者に食事をさせて余力を与えた! 奴の容疑はともあれ、まずはとっつかまえなきゃならない所でだ!」

「(おい、何か言ってくれよミルフィストラッセ……!)」

(………………。)


 剣幕激しくこちらを責めてくる女に、霊剣は押し黙ったままでいる。純粋人が相手の場合には無言での会話が可能だが、魔女や妖族を相手にしては逆に、内密の会話が不可能となるのが霊剣の泣き所だ。当局の所属かも知れない相手の前で不審がられることは避けるべきだという判断なのだろうが、グリュクは薄情な剣を恨んだ。


「……さっきも聞きましたけど、彼は何をしたんですか。それを知らないのに責められても」

「ラジオや新聞で出てたろ! スパイ、器物破損、傷害致死……」


 もしそれが本当なら、空いた時間は魔法術や戦闘などの練習に充てていたためメディアの類に一切触れていなかったというのは迂闊な話だ。スパイが行き倒れるものなのかという疑問はあるが。


「そもそもお前、シロミの話したことを聞いてたよな。あれはこのアホがペラペラ喋ってしまったが、立派な国家機密だ」


 そのシロミと呼ばれた半透明の少女はうつむいたまま、こちらのやりとりをちらちらと見ている。この魔女とはどういった間柄なのか、全く想像がつかなかった。

 彼女がため息をつきながらフードを取り払うと、意志の強そうな顔立ちと、恐らく染色しているらしい、グリュク以上に真っ赤な長髪がその背に垂れた。先ほどマントの下から窺えた真っ赤な飛行服も含め、全身が赤い。確かに、フードつきのマントで全身を覆いでもしなければ被疑者の追跡もままならないだろう。


「君の所属と姓名を聞かせてもらおうか。私は連邦空軍少佐のミドウ・ユカリ」

「……グリュク・カダン、今はセステルタム商会の商隊警備に就いています」


 改まって名乗られれば、無視して逃げる訳にもいかず、グリュクは正直に名乗った。霊剣の記憶にもあったが、大陸安全保障同盟の国々では騎士たちとは異なる呼称で階級分けがされているらしい。

 ヒーベリーでアッフェンに申請してもらった脱連合国者(だつれんごうこくしゃ)に向けた身分証を見せると、彼女は多少胡散臭そうにしながらも納得したようだった。グリュクのような境遇を偽って諜報行為を行う者もいるそうなので、かえって疑われた恐れもあったが。


「まぁ、いいだろう……君の処遇を問い合わせるから――どうした」


 ミドウ・ユカリが何かに聞き返すような素振りを見せると、どこからともなく大振りなカラスが路地裏に飛来し、彼女の手前に重ねられていた酒瓶のコンテナに止まった。間近に目にするのは初めてだが、使い魔というものか。それはそのまま、嘴を開いて人語を語りだした。


「現在使い魔の連関網(れんかんもう)が局所的に混乱しておりますので、確度がやや下がりますが……グルジフスタン南から連邦北東中部にかけて、キアロスが連鎖的に大量発生しているとのことです。前回の出現から四年でありながら個体数は既に前回を上回っており、本来連中が食べる筈だった森林はいまだ成長中……群はほぼ確実に、以前より遠くへ足を延ばすものと思われます。残念ながら、カウェスは予想食害範囲に完全に内包されています。作戦中の少佐にも、余裕があれば協力を要請したいと」

「忌々しいことにそこのボンクラのせいで被疑者には逃げられた。今は手空きだ」

「ボンクラって……」

「とりあえず、群は今どのあたりかわかるか。情報魔女が欲しいが……」

「このカウェスの東約四十五キロメートルを時速三十キロメートル弱にて西進中。既にここの町議会や防災組織には連絡が行っているはずです」


 使い魔の言葉を裏付けるように、一帯の鐘楼の鐘やサイレンがけたたましく鳴り始める。


「分隊級以上の技能者を探さないとな……」

「すみません、キアロスが大量発生って……」


 苦る空軍の魔女に尋ねると、彼女は軍人らしからぬ赤すぎるいでたちで、至極まじめに通達してきた。


「民間人は逃げなさい。相手は自然災害、ベルゲ連邦軍が責任を持って対処します」

(それについてだが、ミドウ少佐)

「え、何お前喋るの……!?」


 それまで黙っていた霊剣が言葉を発すると、少佐が僅かに泡食う。もしこの場に魔女でない者がいれば、彼女が独り言を言っているように見えただろう。


(名乗り遅れて申し訳ない、吾人はミルフィストラッセ、このグリュク・カダンを主にグラバジャを目指している。だがここは、是非とも防衛に協力したい。軍事基地からも少々遠い宿場町、虫どもの進路上となれば嵐に舞う蝶より危うかろう)

「……俺も、そういうことなら協力します。魔法術については心得がありますので、さっきの通り」


 自分自身の力で習得したものはありませんが、などと謙虚ぶる事態でもないだろう、霊剣との関係は伏せた。


「…………いいだろう。臨時作戦行動法に基づき、空軍ミドウ・ユカリ少佐があなた方を雇用します」


 深く遠く、腹の底から体全体を震わせるような地響きが、東の方から聞こえてきたような気がした。

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