1.未来の人類史
広大な熱の海に渦巻く、力。
大地や海に生を営む生き物の持つ五感や感情といったものとは異なる何かを備えたそれらは、確固とした実体はなく、しかし複雑な力のやりとりを行っていた。
いつから「そのやりとり自体が自らを維持する」ようになり、更にそこに存在する微弱な魔力線をエネルギーとして利用するようになったのかは、それ自身にも分からない。だが、いつしか彼らは「天の蓋のその上に冷たい動く物たちが存在する」ことを知り、もし「冷たい動く物たち」の考え方に変換できるなら、「興味」と呼び得るようなことを覚えるようになっていった。
冷たい動く物たちは、それを知らない。
冬のさなか、新年を迎えて早一月が経とうとしていた。雪国であるグルジフスタン共和国西部は珍しくからりと晴れており、皮膚を切るような寒さも僅かに和らいでいた。雪に埋もれた針葉樹が脇を固める曲がりくねった幅広の道路を湖に向けて進むと、凍結した湖の畔に佇む現代的で洒落た公共建築が顔を出すことだろう。
共和国の出資で建設された研究施設であり、名を「国立人類史研究所」と呼ぶ。世間知らずの学者たちの巣窟というのも誤りではないが、周辺に出没した猪や熊を所員自らが銃や魔法術で仕留めて食料にしてしまうことでも知られた、色々な意味で野性味溢れる学窟ではあった。
大型野生動物の出没が耐えないということは即ち、グルジフスタン共和国には文明の隆盛極まる現代――勿論、妖魔領域を除いて――においても未だ自然が多く残っているということでもある。首都ともなれば高層建築が群れているが、少し地方へ離れれば、連合諸国にもその名の知れた研究施設であろうとこの程度だ。
湖に続々と集結しつつある渡り鳥の群を水の滴るつららと窓の向こうに見上げながら、カイツ・オーリンゲンは廊下を歩いていた。神経質そうな青年学士の風采で、頭のそこかしこから跳ねる癖毛の束と、顔面に固着した疲れた表情。徹夜明けの体を引きずりながら、室内の光度に慣れきった目を陽光によって痛めつけられていた。眼鏡をずらして眉間の周囲を揉む。ついでに記せば、連日の研究室籠もりで体臭も悪化していた。
もっとも、研究室籠もりなどと表現してみたところで自分の論文を執筆するなどといった優雅な――異論もあろうが、彼にとっては優雅な――ものではなく、研究助手としてデータをまとめていただけだ。
今は簡素な折り畳みの台車を押しており、乗っているのは酷く重い方形の金属容器だ。地下の実験室で使う試料だそうで、先ほど運搬口で業者から受け取ったものだ。雑用の極みではある。
「(早く自分の研究をやりてぇ……)」
彼の所属する「国立人類史研究所」は文字通り、人類がいかなる足取りで生物として世代を重ねてきたか、それを究明しようという学術機関だ。そこに属する彼も、ヒトという生物種の来歴に興味を持つ。ちなみに、史前一万年から十万年ほど前の時代を専門にしている。
だが、彼はまだ二十代に足を踏み入れたばかりの若造も若造であり、そのような若輩に自分の研究ばかりに専念する時間などはない。大抵は下積みとして、研究の補助となる過去の情報の整頓や資料分析の下準備、装置や設備――考古学や地質学も、意外と物々しい装置の世話になる機会は多い――の確保などを命じられており、運が良ければフィールドワークに連れ出してもらえるといった調子だ。このような荷運びも新人に課せられる一種の通過儀礼のようなものだというが、人類史、ことに化石人類の方面などは戦争には全くと言っていい程縁の薄い分野であったから、政治的なしがらみとも比較的無縁でいられる。爆撃などで大都市ごと博物館が破壊されて標本が焼失といったことも無くはないが、政治的間者や破壊工作者など有り得ないのだから、別に運搬業者を地下まで通した所で構わないはずなのだ。
「(……なのにこんなことまで研究員にやらせやがって)」
ただの試料、恐らく中身は化石か何かであるはずの箱はかなり重い。一人では持ち上げることも出来ないほどで、手押し車では方向転換に少々難儀した。何度か呻きながら昇降機へと辿り着き、積み荷の乗り込みを確認して扉を閉じる。そのままスイッチを押すと、昇降機の索に吊るされた小さな方形の空間がのろのろと下降を始め、数十秒後にごうと音を立て、彼と積み荷を地下階へと送り届けた。
到着した昇降機の扉を開き、相変わらず重い金属の箱の載った台車を転がす。殺風景で位置関係を把握しにくい白塗りの地下通路は、配電やボイラー管理などの重要区画以外は全て通路番号を記された扉だけであり、しかも殆どの場所は専用の鍵を持つ者でないと出入りが適わない。来た当初は何度も、鍵を合わない鍵穴へと差し込んだ。
そこを抜け出たところにある巨大な鉄扉の鎮座する空間は、何度か来たことがあった。とても地質標本などを納めているような倉庫とは思えない重厚さではあったが、爆撃で消失した博物館の逸話を聞けば、過ぎた用心ではなさそうにも思える。
伝声管の蓋を開いて扉の向こうに到着を伝えると、さして間を置かずに返答があった。
「よく来た。扉が開くまで待て」
声の主は珍しいことに、シェーニヒ教授だった。普段は傍若無人な気分屋という、凡人の思い描く天才の類型に見事に当てはまるような老研究者ではあったが、機嫌と人当たりの良さが比例する点においては一応は人の子らしい。
伝声管の蓋を閉じると、機械の作動音が始まった。眼前の巨大な鉄扉は機械で開閉を制御されており、空気圧で数トンはありそうな防火扉が開く。筈だった。
だが、扉が開く代わりに爆音が耳を打ちのめし、彼は思わず仰け反った。
「……!?」
見れば、目の前の鉄の扉が、二メートル程度の高さの箇所でこちらに向かって錐の様に隆起している。何かが向こう側からこの鉄扉を強烈に打ち、このように変形させたのだろう。
そして次の瞬間、カイツは何があったのか分からないまま死亡した。
活気と喧噪が陽光の下に溢れる。
大陸北東中部は海流や風の関係で冷涼多湿な土地が多く、冬の厳しさを除けば過ごしやすい気候といえた。暦は春に移りつつあり、気温が上がるにつれて人間活動も活発化を始め、街道を行く旅人や商隊の数もいや増すことになる。
冷たさを減じた風に吹かれ、活気の一角の人がやや疎らな場所で、白い古びた自動車に寄りかかった赤い髪の青年がその襟元を開いた。吹き込む大気が熱の過剰に溜まり始めた首筋からそれを適度に奪い、その首元には証明印を捺された札が紐に通されて揺れていた。それを手持ち無沙汰に軽く弄りつつ、やや大柄な体躯に纏っていたマントを脱ぎ、彼は穏やかな表情で呟く。
「今日はずいぶん暖かいな……」
グリュク・カダンは布地を丸めて畳み、それを手元に置いた背嚢の口を開いて中に詰め込んだ。
改めて周囲を見回せば色とりどりの露天が所狭しと並び、広げた様々な模様の敷布に商品を並べ、あるいは折り畳みの机に陳列し、吊し、倒れんばかりに趣向を凝らしていた。上背はある方なので、彼は気持ち程度ではあるがそれを見渡すことが出来た。
見渡せる限りはそれがどこまでも広がっており、露天の売り子たちがひっきりなしに、行き交う客たちに勢い良く掛け声をぶつけている。
「芋はまとめて包んでくれ。温包はすぐに食うから、このままでいい」
「旅のお供に、思い出に! ゼラニアの香木はいかがでしょうかー、今なら連邦統合通貨単位でもお支払い頂けまァス! お風呂でも使えるゼラニア香、仕事の疲れに――」
「一本一本手で打ち込んだ奴だ、ちと重たいが、頑丈さは折り紙付きだよ」
「本場のマルセラ陶器はこちら! 各国上流家庭御用達の最上等級品も、一度ご覧になってはいかかでしょうか――」
「そうそう、ここを手で回してやればどこでも聞ける、短波も長波も問題なし。ああ、湯船に沈めちゃダメですよ勿論?」
「そこを何とか、もう一息! 炎の魔女にかけて、頼むよ!」
「毎度あり! あ、ついでにこっちの懐炉もどうかな? 冬だけじゃないんだなー、星を見る時こいつをレンズに巻くと、結露や曇りが防げるのさ。魔法であっためるのもいいが、何より手が空くしね! それから――」
そうではない場所なのに、まるで街中だ。
本来ここは、宿場町カウェスの周辺の開けた、平野だ。だが、そこには常に無数の自動車が停車しており、持ち主たちはその傍に思い思いに軒を構え、商売を営んでいる。業種は様々で、日用雑貨から銃砲、外国の民芸品に不動産証書など、多種多様を極めた。本来は都市間で経済活動を行う人々なのだが、自動車の整備や社員の福利厚生の一環として、ある程度の間隔で街道沿いのこうした宿場町に立ち寄り、ついでに商品の一部を売り捌いているのだ。宿場町側でも、多人数の商隊を相手に商売が出来るこの立ち寄りは概ね歓迎されていた。そのためか、宿場町には大規模な自動車関連の店舗が多い。
彼はヒーベリーから旅客鉄道で三日、テモシウムで商隊の警備募集に滑り込み、何とかベルゲ連邦とグルジフスタン共和国の国境にほど近いこの宿場町までやってきたのだった。仕事は、こうして商隊が町の周囲に停止している限りは多くない。
「これがこのまま妖魔領域まで行くのか……」
(うむ。昔は自動車など無くてな)
彼の内心に語りかけるその声は、その腰に帯びた剣から発せられているものだ。銘をミルフィストラッセという、この意志を持つ霊剣は、少し前の事件をきっかけにグリュクを主として共に行動するようになっており、その中には過去に彼を帯びて戦った全ての戦士たちの記憶が眠っているという。
彼の帯びた命の都合でグリュクにもその記憶は共有されており、今の彼はまだ蒸気機関が普及する以前、不逞魔女による襲撃を警戒しながら馬の病気に悩まされた商隊の記憶が己のことであるように思い出されていた。過去の霊剣の主に、都市間の治安が現代より不安定だった時代、商隊の護衛に参加していた者がいたらしい。
明らかに記憶に無いはずのことまでが思い出せるというのも最初は不思議、時に不愉快でさえあったが、慣れてしまえばさほどでもない。むしろ便利、と割り切ることまでは出来ずにいたが。
「カダンさん、見回りに行ってた班が戻ってきたよ。俺らも羽を伸ばそう」
「了ー解」
警備人員は三つの班に分けられており、三交代で商隊の状況を見回っていた。
商隊もグリュクたちを雇っている隊だけではなく、複数が入れ替わり立ち代り街の周囲に展開しているので、人口に比べて人間の出入りも多い。そのせいで治安が劣悪という訳でもないのだろうが、連射式の銃を携え紺色のジャケットを羽織った男たちが警備に当たっているのを時折見かけた。宿場町側の警備者で、契約時に彼らには逆らわないよう言われていたものの、時折胸元の許可証をちらと見られはしても、特に問題もなく通り過ぎていくばかりだった。
集合場所になっている商隊所属の自動車の列を離れると、特に当てもなく歩きながら、グリュクは喧噪に耳を傾けていった。
「………………?」
目を覚ましてまず気づいたのは、天井がひどく高いことだった。剥き出しの電灯がやけに小さく、首を動かして天井の各辺から高さを五メートルほどと見積もる――なにやらスピーカーらしき物が設置されているのが一カ所――のと同時、自分の手足の感覚が無いことに気づいて激しく驚いた。
まともな感覚があるのは頭部だけで、あとはかろうじて生暖かい感覚が皮膚から伝わってくる程度。胴体どころか首までがベルトで締め付けられない塩梅で固定されており、首を起こして自分の体を見下ろすことも出来ない。これでは自分の手足がどうなっているのかも判別がつかなかった。
ぎこちないながら何とか首だけは動いたので、そうしつつも無味乾燥な空間に声を張り上げる。
「クソッ……何だよこれ! おいッ!! 誰か!! いたら返事をしてくれ!」
叫びながらも、目の前の鉄扉がこちらに向かって陥没してきたことまでは記憶があることを確認する。僅かな摩擦の感覚や視界の明瞭さなどから眼鏡や衣服をつけたままなのも分かったが、いずれにせよ毛筋ほどにも嬉しくなかった。
「おはよう。カイツ・オーリンゲン君」
名を呼ばれ、聞こえてきた方へ顔を向ける。スピーカーから聞こえてきた挨拶はしゃがれ具合ですぐにシェーニヒ教授のものだと分かったが、それに気の効いた挨拶を返せるような心境ではない。
「シェーニヒ教授……説明してください、この状況」
「聞けば知らなかった振りはできん、残酷な話だ。それでも聞くかね」
「……ええ」
芝居被って欲しかった訳ではないが、淡々と回りくどく語られて苛立ちが募る。決して優秀とはいえないが、真面目に研究に励んでいた彼がこのように拘束されていいはずはない。
「単刀直入に言えば、まず君は一度死んだ」
「…………」
「まぁ、一度死ぬ程度ならいくらでもあるな。だが君は、爆発事故で助かる見込みもないほどに挽き潰れて死んだ。はっきり言えば、挽き肉になって即死だ。機械で挽かれた肉を見たことはあるかな」
滔々と続く教授の戯れ言がいつまで続くのかと半ば諦めの境地で聞いていると、
「だが、一つの奇跡が起こった。まず、爆発事故を起こしたのは、マントル中の自己複製型群体電位構造……超高圧・超高熱の岩石の流動の内部で生きる、電気のような生命体だ。実験で地上へ導き出した途端、奴はその仮の住処として我々の用意した永久魔法物質の中へと入り込み、原因は分からないがそれを大爆発させた。貴重な永久魔法物質を喪失し、居合わせた所員は半数が即死、地下実験室は破壊し尽くされた」
「ちょっと待ってください! ……何でそんな物を、考古学施設である人類史研究所の地下で!?」
「人類の歴史は何も過去だけではない。人類の未来を考え、生存競争に打ち勝つために人類を啓蒙者すら越える生命体に進化させる方法を考えること……それも我が研究所の隠された目的の一つ。マントル層に潜む人類外起源知性についての調査も、その一環だよ」
「…………!」
「話が逸れたが、その電気知性は、我々が暮らす地上のような、彼らにしてみれば想像を絶する低圧低温の環境では生存できん。あっというまに構造が破壊され、ただの静電気になってしまう。死に物狂いの奴が見つけたのが、君に運ばせていた予備のヴィジウムだ。それを挽き肉になった君に配合して復元し、奴はこの地上でも防護措置無しに生きてゆける身体を手に入れ……さらに破壊されたもう一つのヴィジウムまでを取り込んだ。天然の永久魔法物質の、結晶構造体を。そんなものを二つも取り込んだ上、高温・高圧を好む電磁生命体を体内に宿した超生命体。それが今の君だ」
突拍子どころの騒ぎではなく、カイツの脳はその解説の意味を拒絶した。彼の四肢が未だ動かないことと、何か関係があるのか。
「ちなみに、今君がその状態なのは、融合直後は怪物化した君が大暴れしたためだ。軍に借りを作って連邦最強クラスの魔女を動員し、何とか生け捕りに出来た。彼女によれば、常人なら一滴で成人男子六万人分の致死量に達する魔法毒がちょっとした量を注入されているそうだよ」
「……もうついていけませんよ。いいからこの拘束を解いてください」
「悪いが、君が再び変態しても正気を保っているという保証がない」
「誰が変態ですか!」
「いや一応学術用語だ、蝶は完全変態昆虫なのに誰も通報せんだろうが」
「ああそうか……じゃなくて、そもそも正気とか、どういうことです」
「“怪物化した君”といったが、そうだと分かったのは、爆発跡で暴れていた白い魔人が力尽きて君の今の姿になったからだ。エネルギーを使う形態が維持できなくなったらしいが、やはり記憶はないようだな」
そう言われてしまえば、何か激しい衝動に身を任せて全てを迸らせたような感覚が、無いではなかった。そのあやふやな覚えに身をよじろうにも、身体はしっかりと固定されていて動かない。
「しばらくは、安全上の措置を講じさせてもらうぞ。死者は全て爆発によるものだが、次の死体は君が作ってしまうかも知れん」
「それじゃ……俺の、身体! どうなるんです!」
「我々にしても、まずはそれを知る必要がある。こうして君にその協力を頼むために、こうしているという訳さ」
「…………」
協力を承諾してから三日が経ち、動けるようになると拘束を解かれた。シェーニヒ教授の談によれば、カイツの身体は驚異的な分解能力で魔法毒を分解しきったらしい。一滴で六万人を殺すという、魔法物質の毒をだ。もっとも、実感は果てしなく薄く、それがどこまで本当のことかは未だに信じかねた。
だが、そんなカイツが協力の最初に差し向けられたのは銃口だった。
「!?」
正しくは、拘束が外されて最初に通された部屋の扉が開くと、重厚な台座に固定された拳銃が、ワイヤーで銃爪を引かれて発砲したのだ。銃口は元から扉の方を向いており、カイツが扉を開けるとその胸の位置を目掛けて作動する、そのようなからくりで。
臓器という臓器の温度が氷点に達する感覚に続き、胸部に炸裂した弾丸の運動エネルギーによって、後ろに倒れる。腰に続いて背、頭と床にぶつけ、心臓から血液が噴出して失われるのを覚悟した。
「……?」
だが、胸郭を濡らす生暖かい鉄の香りすらないことを訝り、ゆっくりと体を起こす。
「すまんな、カイツ・オーリンゲン君。あらかじめそうと告げておいては、変態が起きない可能性があった」
またもスピーカーから聞こえてくる、シェーニヒ教授の声。心なしか嬉しそうな響きを帯びていたが、カイツが恐る恐る胸元を探ってみると、何か硬質で、仄かに暖かい感触に行き当たった。
見ると着ていた服が、胸のあたりに出現した板のようなものに変わっていた。いや、これは貼り付いているのか? 手のひら程度の大きさのそれを上からまさぐってみると、周囲の衣服の生地とその下の肌が同時に移動した。襟元から服の下を窺うと、その板のような部分の周囲に沿うように、服と皮膚が糊か何かで強く貼り合わせられたように、離れなくなっている!
「どうだね、異常はないか?」
「ひ、皮膚と……服が……!」
「君に変化したあの怪物、仮に進化と名付けたが、奴は力尽きると着衣のままの君に戻った。服を破らず変化していたのだ。君の中の電気生命体が衣服も外皮と見なしたか、何らかの作用で皮膚と併せて装甲化したのだろう。痛みなどはあるか?」
「な、無い……です……」
「思った以上に人類についての理解が深いな。今は君の危機感に呼応して被弾箇所を急速に変化させたようだが、どこまでの速度で反応できるかどうか、慎重にデータを取りたい。このような不作法が続くと思うが、給与は一定期間あたりで研究職員の二十五倍を約束しよう」
「そんなことより、元に戻るんですか、この部分!?」
「もう周囲に危険はない。君か、君の内部に潜む電気生命体が同じように判断すれば、エネルギーを必要とする装甲の維持が解けて、衣服と皮膚も元に戻るはずだ」
教授が解説するそばから、胸部でそれが起きているのが感じられた。火にかけたフライパンに投じられた水が蒸発するように徐々に面積を減らしつつ、ついには板化――装甲化した部分は消失した。服が再び、重力に従って自然に胴へと垂れる。
そして起きあがりつつ、声を抑えて訪ねた。
「……こうならなかったらどうするつもりだったんです」
「その恐れがあった故、ライフル弾や対物弾ではなく、拳銃弾にとどめた。医療スタッフも私の直属の外科チームの他、臓器修復が可能な魔女を待機させている」
こうして親切な風に解説してくれてはいるが、少し離れて鎮座を続ける、自分の胸を撃った仕掛けに目を遣る。カイツは、もはや実質、自身の意志や権利といったものは考慮されないであろうということを悟った。
「…………俺の研究は……どうなりますか」
「……出来ればこちらへの協力に専念して欲しい。未来の人類史を塗り変える研究では、不満かね」
「…………」
花形競技選手の年棒に匹敵する額には大いに興味が沸く、というのがしがない一所員の偽らざる本音だ。具体的に教授に何と告げたのかは覚えていないが、こうして、カイツの実験体としての日々が幕を開けた。