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霊剣歴程  作者: kadochika
第06話:聖女、来たる
35/145

2.剣士と霊剣と鎧の聖女

 狩られている!

 国境に近い廃墟で、ギリオロックは胸裏で悲鳴を上げていた。

 “ユニット”を託す筈の四人目の魔女は、一時間ほど前に彼の目の前で左側頭を飛散させて即死した。一人目は合流予定地点に着いた時には既に喉を掻き切られて失血死しており、二人で来た二組目も敢え無く頭部を吹き飛ばされた。


「(……とっくに分かっちゃあ、いるんだ)」


 このまま別の魔女が救援に来るようなら敵はそれも殺し、そして彼は敵の射程から出る前に呆気なく殺され、“ユニット”は奪還されるだろう。

 既に次の受け渡し相手を呼ぶことは諦めたが、恐らく上司は四人目の死亡の時点でとっくに任務を失敗と看做し、彼を見捨てている筈だ。確かに“ユニット”は、今まで何人もの魔女を犠牲にして奪取作戦が決行されたほど重要な物だが、敵国の領土で多人数の部隊を展開するリスクは更に大きいからだ。連邦の立場から言えば、逃げ切れないようなら彼はこのまま犬死するのが正しい。

 彼も場数に関してはそれなりの自負があったが、訓練を積んだ魔女たちをこうも立て続けに殺害する手際に対抗出来るとも思えなかった。彼も訓練は受けており、直接戦闘であれば並みの軍人や魔女に引けは取らないという自負もある。だが、姿を見せない狩猟者に対し、(スコア)で姿を隠す以外の明確な対策を打てないのも事実だ。

 だがそれでも、立ち止まりはしない。半ば意地のようなもので以って、彼は“隠蔽”を使用して徒歩で廃墟の合間を縫いつつ、進みつづけた。瓦礫の散らばる大通りを素早く抜け、次の区画へ入る。

 入ったのは賭博場だったらしく、羅紗(らしゃ)を敷き詰めた頑丈そうな方形の卓が、倒れた柱や瓦礫の間に並んでいた。戦場になるまでここで賭け事に興じていた猛者でもいたか、埃が積もって読めなくなった羅紗の白線の図形の上にはチップが散らばっている。


「(……一人目は喉を切られて失血死。二人目以降は狙撃されて即死。大人数を動員している様子は無いし、何よりここは決定的境界地域クリティカル・ボーダー……相手は極少数の神剣使いか、もしくは極少数の聖者。俺を中心に半径二キロメートル前後に広がっているエアロゾル型(ドラ)近接警戒被使役体(ウグル)が反応できない射程距離、もしくは隠密性を持っている……平時に王国が境界地域に派遣できる戦力としちゃ、そこら辺が妥当だろうけど)」


 敵の正体がいずれによ、彼をすぐにも殺せる状態にあるのは疑いようのない所だ。何とか一足掻きの一つもして見せたくはあったが、魔具を媒介に彼を取り巻いて大気中に散らばっている、この微粒子に似た使い魔が反応できないのでは手も足も出ない。

 手持ちの(スコア)は残り少ない。連邦側に抜けても襲撃を受ける可能性を考えると無駄遣いは出来ないが、何人もの優秀な魔女の犠牲を払って機能が生きたまま入手できたこの“ユニット”だけは、何と引き換えても届けたかった。


「(見てろ……)」


 日が沈もうとしている。

 ホルダから取り出した(スコア)の冷たい硬質な感触を確かめながら、ギリオロックは胸中で呻いた。






  対象の動きが建築内部で停止したことを救援要請と判断し、聖マグナスピネルは来るであろう魔女を撃墜すべく神経を集中した。魔女とはいえ既に四体を駆除 している以上、次が馬鹿正直に飛んでくるはずも無いが。特類宣教師用とくるいせんきょうしよう戦闘向上薬せんとうこうじょうやくに分類される複数の分子化合物が、首筋の無痛(むつう)投薬針(とうやくばり)から彼女の静脈に注入されてその集中を極度の域へと高める。

  注入された薬品は集中力を高める作用のあるものだが、彼女に投入されたのは常人であればたちまち神経生理に異常を来して死亡するほどの量だ。このような蛮勇じみた服薬強化は、桁外れの免疫・代謝機能によって薬物量に余剰が生じてもそれを極短時間で分解できる聖者ならではの行為であり、人体では薬物を繰り返し使用するうちにそれに対する耐性が生じてくるが、聖者の場合は啓蒙者の技術によってそれをリセットすることも出来る。

  王国などで発行されている書籍などでは聖者について、「戦場で献身的な働きを見せつつも致命傷を負った優秀な騎士を、啓蒙者の技術で超人として甦らせたもの」と教えているものもあり、更にそれは脳や神経以外を機械に置き換えたものであると説明する媒体もあるが、全体の要旨としては適切ではない。時刻を確認すると、午前九時半になろうとしている。

 その時、強化された彼女の知覚が、ごく近くに人間大の熱反応の接近を捉えた。四百メートル強、反応三の内の一つは魔女。聖マグナスピネルが組み込まれている作戦スケジュールには無いイレギュラーだ。気づかれることは無い筈だが、指揮車に指示を仰いだ。


『その件については聖フォルトゥナが任務に当たっておられますが、目標との接触如何では彼女と合流、通常手続きにて処理願います。以上、作戦続行』

「了解」


 通常手続きとは、つまり殺害するということだ。狙撃銃以外にも、その為の武器がある。

 交信が止むと、聖マグナスピネルは再び照準に集中した。






 魔女の国々に生まれながら魔女でない側であるギリオロックに魔女と同等に近い戦力を与えてくれる、手の中の冷たい極薄の金属に似た長方形の(スコア)。魔女でない者でも魔法術同様の手段を行使できるように開発された魔具の一種だ。諜報員として敵地に頻繁に出入りする職を選んだ彼にとっては頼りになる仕事道具であり、使途を誤ってはならない強大な力でもある。


「発動……」


 ギリオロックは小さく呟いて持続型の特殊(スコア)を発動する。その作用でエアロゾル型(ドラ)近接警戒被使役体(ウグル)の分布を変形させ、腕を振り回すようにしてより広い半径を探査させた。大気中に漂う微粒子の姿をしたこの使い魔は、その広がった体積の内側に異状を捉えると警報を発する。近接警戒といっても、ドラウグルは情報伝達にそれを構成する微粒子の距離を一定以下に保つ必要があり、つまりあまり疎らに広がることが出来ない。それを高度二十メートルで圏状に均等に分布させた限界が半径二キロメートル前後であって――これは“早期警戒”とするには近すぎる距離だ――、探知範囲をより遠くに延ばそうとすると細長く変形せざるを得ず、旋回して探査を完了する時間だけ隙が生じる。普通ならば、これは賭け以外の何物でもなかった。

 だが、ギリオロックは敢えてそうした。エアロゾル状の被使役体による警戒は、余程高度な偽装でもない限りはそれを看破する。半径二キロメートル以内にいないのであれば、それより先を探るほか無い。敵の偽装能力が勝っているのかも知れないが、対処の遣り様の無いことは危惧するだけ無駄だ。

 そしてより広い半径を拭うように探査させ、被使役体が微弱な警報を伝えて来た。

 同時に手元に構えていた切り札を発動させる。


「発動」


 指を通して彼を認証した(スコア)が輝き、彼が占めていた場所の座標とある任意の座標とが入れ替わる。魔法術同様(スコア)にも肉声による開放を必要とする弱点はあったが、狙撃者が持っている距離の有利を覆すにはこれしかない。

 “座標間転移”であまり長い距離を移動するのはリスクがあったが、術的に防護されていない三キロメートル以内の距離であれば然程問題はない。

 そして視界が切り替わり、五十センチメートルほどの高さから転移先の足場に着地する。目に入った場所はやはり廃墟だったが、決定的に違うのは長大な狙撃銃を構えて伏せる姿勢を取った兵士が眼前にいることだった。これが救援の魔女を殺した聖者だろう。もう一つの譜を弾いて活性化させ、魔法物質の榴散弾が伏臥(ふくが)姿勢の戦闘宣教師を引き裂く――筈だった。

 しかし、彼が転移してから一秒と経たない間、彼が次の(スコア)を発動する前にその姿は揺らぎ、透過して消失した。


「ッ……!?」


 完全に失策だった。攻撃者は狙撃武器と同時に、高度な視覚迷彩(しかくめいさい)をも備えている! 彼が転移した時点でそれを発動されたということは、榴散弾は躱され、発動後の隙を突かれて見えない相手の反撃を受けるということだ。対策を打つ前に爆散させられることも覚悟しながら、ギリオロックはすかさず別の(スコア)を起動した。


「発動ッ!」


 同じく切り札だった破壊念動場の(スコア)が発動し、超長期魔法物質として封じ込められていた魔法術が最大出力で開放される。発動した破壊的な念動力場が、彼の周囲のあらゆる物体を吹き飛ばした。どこから攻撃されようと、このまま弾き飛ばすことが出来る筈だ。

 周囲の廃屋を構成する建材が崩壊し、瓦礫の群と共に下の階へと落ちて行く。その短い時間の中で、ギリオロックは上方に弾き飛ばされつつもこちらに長大な狙撃銃を向けている赤い髪の聖者の姿を見つめていた。念動場に迷彩が吹き飛ばされて再び姿が露になっており、的確にこちらに狙いを定めているそれは、若い女だった。聖者に改造されてしまえば容姿はその時の年齢で固定されてしまうので、生年などは知れたものではないが。

 使い魔が警報を出しているが、既に遅い。






 太陽もやや高度の上がった頃、彼は全力疾走でその場から逃げ去り、元は路地裏だったであろう一角で腰を折り、息をついた。

 剣を帯びるなどと時代がかった獲物だとは思っていたが、攻撃魔法に習熟した魔女だったなどとは、彼にとっては予想外にも程がある事態だ。元々出国幇助業者はその業務の性質上、旅費や食費、役人に発覚した場合に差し出す賄賂などに使うためにまとまった量の現金を所持していることが多い。彼らの集団はそうして廃墟地帯を渡り歩き、出国幇助業者やその客――客の方も業者への報酬や路銀に用いる現金を多く所持している――から金品を、時にはそれ以上のものも奪っていた。逃がし屋などには逃げられることも多かったが、上手く仕留めれば実入りは多い。

 だが、今は逃げの一手だ。気管は凍気に痛み、疲労も限界だったが爆殺されては堪らない。


「酷いなぁ……今まで散々殺したんでしょ? 逃げる相手を金品目当てに?」


 突然背後から聞こえてきた冷ややかな女の声に、思わず戦慄する。追いつかれたか。


「追いついちゃった。あんたたちみたいな獣と大差ない犯罪者が、あたしたちを撒ける訳ないけどね」


 声は明らかに幼く、獲物の三人の中にいた女ではなさそうだった。後ろをゆっくりと振り向くと、瓦礫の散らばる歩道をゆっくりと、髪を背まで伸ばした黒髪の娘が歩いてくるのが見えた。やはり違った。見た所はまだ年端もいかず、都市ならばどこにでもいそうな冬着の娘だ。魔女の反撃を受けた直後でなければ、顔か腹を殴りつけて餌食にするだけだ。

 だが、それにしてもこの廃墟地域においてはあまりに場違いな存在だった。ましてや、見る限りは一人きりだ。その靴音は小さいが聞こえないというほどでもないというのに、声を掛けられた今の今までその存在に気づかなかったのは、どういうことか。

 そもそも、何故この娘も腰に(・・・・・・)剣を帯びているのか(・・・・・・・・・)


「ねぇ、おじさん……これから全うに生きていく気、無い?」

「……はァ!?」


 突然の頓狂な問い掛けに、思わず声が漏れる。少女は嘆息して、


「……強盗仲間と同じ反応しか出来ないのね。あっきれた」


 その一言に続いて黒髪の少女が鞘から剣を抜き放った。その美術品と見まがうような、刃と柄が一体化した片刃の剣について知識があれば、或いは彼にもそれが理解できたかも知れない。だが彼は次の瞬間、身動きすら取れずに頭蓋を上下に切断されて地面に崩れ落ちた。

 断末魔は無かった。少女が再び無言で片刃の剣を宙に振ると、刃に張り付いていた血と脳漿が滴となって飛び散り、瓦礫に歪な点線を描く。刃には血糊一滴とて残ってはいない。


「炎は罪を灰に」


 剣を鞘に収めつつ少女がそう呟くと、眩いほどの高熱を帯びた火炎が彼の死体を包み込み、激しく渦巻く。本来発生するはずの凄絶な臭気は高熱に伴う強力な上昇気流で巻き上げられているのか、彼女の表情が歪む様子は無い。炎の渦に包まれた死体は急速に灰化し、灰は燃え尽きたそばから巻き上げられて上空に放散されて消えた。五分と経たずに彼の死体は完全に消え去り、瓦礫の散らばる路地裏に何かの焼け焦げたような跡が残るだけとなった。


「じゃ、行こうかレグフレッジ」


 少女は何かに呼びかけると、足取りも軽くその場を後にした。






 やや足が重く感じられたが、そう言っていられる状況でもない。特に話すようなことも無く、また話し声で野外強盗を招き寄せる危険もあるので無言だったが、グリュクのやや後ろを歩くアーカディが口を開いた。


「すみません……ぁ、あとどのくらい歩けば……」

「えーと今……大体半分くらいかな? リンデル」

「あと……一時間半くらいですね。ここら辺は丁度見通しもいいですし、ちょっと休憩にしますか」

「は、はい……お願いします……」


 アーカディはそう言うと、少し離れた木枠の酒瓶箱に腰を下ろした。若い二人の男に比べて一回り上の年齢の彼女は、明らかに野外を歩き回るのに慣れていない。まして足場の悪い廃墟地帯で、体温を奪われる冬だ。グリュクはそういったことを失念していたことを思い知り、頭を掻いた。


「あなたの髪の色……」

「……え?」


 唐突に髪について言及するアーカディの意図が読めずに迷っていると、彼女は慌てて視線を逸らしつつ先を続けた。


「私が企業を告発して、逆に破門されたということは聞いていますか」

「はい」

「今更こんなことを言うのは卑怯なことだと、分かってはいるんですが……すみません、私は嘘をついていました」

「……嘘、ですか」


 アーカディがやや沈鬱とした表情で語り始めた言葉に、グリュクは僅かに逡巡しつつも答えた。彼自身の経緯が経緯なのであまり他者の出国の経緯などを細かく聞きだすつもりは無かったが、依頼者自身が自発的に話す分には興味がある。


「名前こそ本名ですが……私が属していたのは、“聖者機関”。魔女を聖者へと改造するための、秘密組織で、研究職に就いていました」


 飛び出た単語が唐突過ぎて一瞬脳が受け付けなかったが、グリュクが質問する前に、リンデルが反応していた。


「ちょっと待ってください、聖者に、改造って……あんなの王国の戦争広報じゃないんですか? 超人化手術とか、そんなお芝居みたいな」

「同盟側の諸国でどういった風に教えているのかは知りませんが――」


 だが、アーカディが答える前に、魔女の知覚に違和感が生じた。今までに感じたことの無い感覚だ。


(これは……主よ、何者かがこの近くに“転移”してくるぞ!)

「てんい……?」


 霊剣が言い終わるが早いか、爆音が耳に入った。聞こえてきた右後方を振り向くと、噴煙と共に瓦礫が空高く吹き飛んでゆくのが見える。やや遠い。


「(最近の引越しっていうのはあんなに荒っぽいのか……!?)」

(それは“移転”だ! 吾人の言っているのは相対座標間転移そうたいざひょうかんてんいであって、忽然と消えて別の場所に現れるような、あれだ!)

「(瞬間移動みたいな?)」

(少々危険だが、接近するぞ。知覚を総動員して転移者の正体を明らかにするのだ)

「…………!」


 面倒ではあったが、何か危険があるのなら、二人の安全の為にも放置は出来ない。噴煙の立ち上る方向を見ているリンデルに、告げる。


「リンデル、ちょっと何があったのか見てくる! ガレルさんを頼むよ!」

「わ、分かりました!」


 そこに更に、闖入するものがあった。爆音のあった方角の廃墟の入り口からよろめきながら出てきたのは、男だ。


「……!?」

「う…………」


 癖がちな赤毛の、中肉中背の男。低い彩度で統一された服装は所々破れ、血と砂埃に塗れている。どこかに重傷を負っているのか、扉を失って久しいであろう民家の玄関部分から危うい足取りで出てきたその男は、力尽きるように倒れ伏して動かなくなった。顔を庇おうとする動作さえなかったのは、いささか不味く思える。


(警戒しつつ応急処置!)

「あ、ああ……リンデルはそのまま、ガレルさんを!」

「はい!」


 事態の変化に戸惑いつつも、グリュクは男に近づき、生死を確認した。魔女の知覚ではかろうじて生存を確認できたが、念のため脈を確かめる。両腕は重度の打撲でどちらも骨折していたが、


「生きてる……」

(創傷の異物を除去、その後骨格の緊急復元、及び創傷の簡易縫合! …………としたいところであるが……!)


 既に、彼の知覚は霊剣と同時にもう一人の存在を捉えていた。重傷を負った男を静かに床に横たえ、それを庇うように前に歩み出る。玄関枠の向こうは、土ぼこりも舞い止まぬ瓦礫の山。


(主よ、最大限警戒せよ……)


 そこに差し込む陽光に照らされているのは、甲冑に身を包んだ女の姿。歳はグリュクと同じ程度か、更に若く、身長はその年頃相応に思える。何故か兜だけはしておらず、顔や頭部の周りにいくつか機械が張り付いているだけで、側頭部に張り付いたそれは髪飾りのようにも見えた。燃えるような赤い髪を編み上げ、髪飾りのように頭部にあしらっている。

 絵物語で見る聖女を連想させる佇まいに息を呑みつつ、グリュクは彼女が右手で構える一メートル以上もありそうな威圧的な形状の銃と、左手から提げた巨大な鞄を警戒した。


(かの女、魔女と思しいが……恐らく、厳密には異なる何かだ!)

「(何か、って……分からないのかよ)」

(分からぬ、とにかく構えよ。来るぞ!)

「来……!?」


 次の瞬間、赤い髪の女が発砲し、銃口から破壊が発散された。爆音で彼の耳にも聞こえなかったが、際どいタイミングで術構成と呪文が間に合い、急速生成された魔法物質の障壁が飛来した無数の弾丸を受止めきった。


(主よ! 新術を発動する!)

「ああ!」


 霊剣の指示に従うと、グリュクの身体細胞に分布する変換小体が振動して空間魔力線から取り出したエネルギーが形を取り始めた。あとは霊剣の合図に合わせてイメージを言葉に載せ、魔法術を自然界に開放するだけだ。


(今だ、唱えよ!)

「沸き上がれ……!!」


 呪文を言い切ると同時に猛烈な加速度で左に吹き飛ばされ、漆喰で覆われた壁に叩きつけられた。だが、痛みは小さい。混乱した思考をまとめつつ立ち上がると、赤い髪の鎧の女に猛烈な速度で壁まで蹴り飛ばされたという所だろうが、何とか視界の端に収めた鎧の女は続いて先と同じ銃を発砲してきた。回避しようと反射的に壁沿いに跳躍すると、今度は自分から別の壁に衝突する。やはり痛みが小さい。


「!?」

(身体統合強化の魔法術! 全身の細胞の強度を一時的に増強し、身体能力を大きく拡張する!)


 そこに対して向けられた散弾銃を、今度は右に跳躍して回避するが、回避した先まで跳躍して間合いを詰めてきた鎧の女に組み付かれ、頭から床に叩きつけられる。恐らく通常時ならば頭蓋が爆ぜ散っているのだろうが、「痛い」程度で済んだ。脳も保護されているらしい。


(だが制御は困難、効果は今の御辺の力量では十分と持たぬ! 制御はこのまま吾人が致す故、急げ!)

「このッ……いい加減にしろ!!」


 霊剣に言ったのか鎧の女に言ったのか、自分でも曖昧なまま叫びながら押し出した手が、鎧の女を大きく後方に弾き飛ばした。女は吹き飛ばされつつ、それでも離さずに持っていた右手の散弾銃を二発撃ち出してきたが、今度は転倒しそうになりつつも空間が繋がっていた隣の廃屋に飛び出して全弾を避けきる。


(ただし、この術を使っている間は他の魔法術が使えぬ! 複合発動が出来ぬ現在、攻撃手段は徒手か投擲、吾人の刃のみとなるので留意せよ)

「……諦めて帰ってくれる相手だといいんだけどな……!」


 撃ち込まれる散弾を回避し、今度は大鞄を捨てたらしい左手にやや短い剣を抜いて斬りかかって来る鎧の女を、グリュクは素早く霊剣を抜いて迎え撃つ。

 その柄の感触がいつにも増して頼もしく思えてしまったことに苦笑しつつ、その刃で高速で迫り来る剣を受止めた。





 

 放置する訳にも行かず、リンデルは廃墟から出てきた男に駆け寄った。血まみれの赤毛の男で、かなり出血しているのか全身から血の臭いをさせていた。それでも辛うじて喋る余裕は残っているようで、声を掛けると震えるようなか細い声で何かを要求してきた。

 グリュクは既に何度か銃声や剣戟の音を響かせつつ、リンデルにもちらと姿を窺えた鎧の女と切り結びながら廃墟を飛び跳ね回っているらしい。いつの間にやら化け物じみ始めた年上の後輩に脅威を感じつつ、リンデルは傷を負った男に聞き返した。


「え、もう一度!」

「……腰の右のホルダの……翡翠色の奴を……くれ」

「と、取り出せばいいんですか……!?」


 

 埃や傷だらけになった上着を少し退け、ベルトの通しに繋がっている方形の皮のケースを開くと、中には十数枚程度の金属らしき縦長のカードが入っていた。指を切りそうな薄さだったが、一枚だけ混じっていた翡翠色のそれを見つけ出す。アーカディも傍に来て、傷だらけの男の様子に息を呑んでいるようだった。


「これ、ですか?」

「俺の指に……触れさせて……」


 リンデルは言われた通り、取り出した翡翠の色の札をぐったりした男の指先に押し付けた。擦り傷や切り傷が痛ましい。


「……発動…………」


 男が小さく呟くと、リンデルが男の指に押し付けていた翡翠色の札は蒸発するように消え去り、緑色に光る気体のようなものになって男を包んだ。その直後から鉄板で肉を焼くような気味の悪い音が男の全身から聞こえてきていたが、光と音が消え去ると、男の顔や手指から創傷が消え去っているのが分かった。傷口があった場所にこびりついていた血などはそのままだが、驚くリンデルなど意に介さず、男は立ち上がった。


「ありがとう、助かった。俺はギリオロック・シュムナー。現在特別作戦の遂行中なので、何も言えないのは謝っておく」

「え、あー……リンデル・ストーズです、えーと……興信所で助手をやってます」

「ほーう……じゃあそちらの彼女が探偵さん?」

「え、いえ……私は……そういうのじゃなくて」


 逃がし屋でもなさそうな男に素性を言う訳にも行かないのだろう、アーカディが言葉を濁す。飄々とした様子で誰が見ようとあまり探偵には見えそうにない彼女を指して問うその男ギリオロックについて、リンデルは既に彼らの大まかな素性が見通されているようにも感じていた。


「じゃあ、あの聖者に突っ込んで行った赤い髪の剣士は? 友達?」

「……!」

「聖者って……」


 口にこそ出さなかったが――依頼者の素性を勝手に第三者に漏らしはしない――、アーカディは魔女を聖者に改造、などと言っていた。それが事実かどうか、リンデルの認識は揺らいでいた。学校や新聞では見目良い有名人を使った稚拙な戦争広報などと看做されていたが、垣間見ただけとはいえ鎧の女の身体能力はグリュクを蹴り飛ばすほどであり、確かに人間の常識を超えていた。


「あ……いや、彼はグリュク・カダン、僕の仲間です。こちらの女性はただの協力者で」

「へぇ……」


 何とか、芝居を打つ。逃げ隠れこそ得意だったが、演技は苦手だ。


「いや待て、グリュク……カダン?」

「え、ええ……」


 男の中で何が引っかかったのか、リンデルは内心狼狽した。リンデルたちも同じではあったが、ギリオロックと名乗るこの男は己の身の上も、傷だらけで這いつくばっていた理由も明かしてはいないのだ。グリュクの敵で無いという保証は無い。

 そのギリオロックが、やや芝居がかった調子でリンデルとアーカディを交互に見渡し、言った。


「……リンデル・ストーズ、そっちのお嬢さんも、聞いてくれるかな。少し、真剣な話だ」






 彼の跳躍とほぼ同時、鎧の女の繰り出す装甲に包まれた足が、彼の背後の一抱えほどもありそうな柱を蹴り砕いた。グリュクは鎧の女にやや押されつつ、戦場を館と呼べそうな大きな建築の中に移している。敵が持っていた猛烈な威力の散弾銃はとっくに弾切れらしいが、それでも鎧の女はそれを腰から抜いた剣と併せ、鈍器として振るってきていた。どんな素材で出来ているのか、グリュクに躱されて何度か強烈に石材や金属の手すりなどを叩いているにも拘らず、然したる破損、変形が見られない。

 それどころか、鎧の女は魔法術まで行使してきた。


「熱風よ!」


 強く熱を帯びた液状の魔法物質の奔流とでも呼ぶべきか、光輝くエネルギーの波がグリュクを目がけて殺到する。通路の最中で左右の逃げ場がなかったが、


(右の壁を抜け!!)


 霊剣の指示に従い、右側の朽ちた壁を蹴り抜いて作った抜け穴に逃げ込む。間一髪、灼熱波の直撃を回避するが、超高熱の余波が僅かに皮膚を炙った。


「あっつ……!」


 鎧の女も、壁の別の部分を蹴りぬいて同じ部屋に突入してきた。信じがたい足捌きで急速に側面に回り込んできた鎧の女の刺突の軌道上に霊剣の刃を差し込んで避け、反対側から旋回してきた散弾銃による打撃を右足の蹴りで叩き落とす。魔法術での強化がなければ骨まで弾け飛びそうな威力の、その反動を殺さず左に跳んで離れ、再び魔法術を発動される前に突進、左の跳び蹴りと霊剣の一撃を立て続けに防がれつつも残る右足で踏みつぶすように蹴りを入れ、鎧の女を大きく吹き飛ばして壁に叩きつけた。


(主よ、時間がない!)

「ああ!」


 既にグリュクの全身の神経が魔法術の連続行使で疲弊し、脳に痛覚として伝わってきていた。あと数十秒で、動けなくなるほどの激痛になるだろう。

 そうなる前に、鎧の女を戦闘不能にしなければならない。既に殺意が明確である以上は容赦するべきではないのだが、目の前の女に先の野外強盗たちの一部のような身体の大きな損壊を伴う死を与えてしまう可能性を考えると、やはりグリュクには躊躇いがあった。


「雹よ!」


 鎧の女は壁に叩きつけられながらも魔法術を発動する。飛来する魔法物質の散弾の嵐を転倒しつつ回避するが、一部が脚に命中した。


「ぅぁッ……!」


 身体強化は防護障壁ほど鉄壁ではないらしく、当たった箇所が激しく痛む。それでも何とか跳躍を繰り返し、狭い廊下へと逃げ込んだ。死角から魔弾などを撃ち込まれたり、側面や背後に回り込まれる心配は減るはずだ。

 だが、追い込まれている。リンデルたちのいる場所から引き離すはずが、繰り返し斬り結んでいる内に彼らの存在を近くに感じられるような距離まで後退してしまっていた。

 警戒しつつ打ち捨てられた屋敷の廊下を進むグリュクに、霊剣が語りかける。


(主よ、それでは有効打を与えられぬ……四肢のいずれかを動けなくするか、せめて武器を使用不能にするのだ!)

「(……彼女、腕だか脚だかを斬られたら……恨むだろうな)」

(恨むだろうとも! そして御辺を殺し、あの赤毛の男を殺し! やもすればリンデルと依頼人を殺すであろう!!)

「(………………)」


 反論の余地も無い。神経の痛みも極大に達するまであと僅か、グリュクは何とか猛り狂う神経を宥め、周囲の状況に対して集中した。


空隙(くうげき)よ!」


 やや離れて呪文が聞こえてきた方向を振り向き、霊剣を構える。だが、脅威はそちらからはやってこなかった。


(転移だ、警戒せよ!)


 転移ということは即ち、相手に有利な位置を取られるということだが、霊剣もそれがどこなのか細かくは特定できないらしい。

 だが、壊れた屋根から射し込む光に照らされた埃や微粒子が暗闇を背景に踊る、その動きが大きく変化した。反射的にその大元を追うと、そこに鎧の女が音も立てずに出現するのが見えた。霊剣に宿る剣士たちの生前に習い覚えた呼吸に従い、体が反射のように動く!

 そして斬りかかってきた鎧の女の斬撃の軌跡の内側に踏み込み、肉薄した。相手の表情が小さな驚愕に揺れ動くのを見つつ、香水などをつけていればそうと知れたであろう距離まで近づき、全力で頭を突き出す。

 グリュクの額が鎧の女の眉間を強かに打ち、その動きを一瞬、硬直させた。その胴鎧の左の脇腹を狙い、破れかぶれに近い粗暴な太刀筋を全力でぶつける。

 胴鎧に霊剣が達した瞬間、大きな威力が膨れ上がった。

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