7.恋は燃えているか
黄色い電灯の光が飛んできては、高速で後ろへと去ってゆく。
イェノの昔馴染みだというカティシと名乗った女丈夫の運転で、森に隠してあったイェノの自動車も無事に回収でき、ほぼ満員だったカティシの自動車の乗員が分乗することが出来た。
その後は回り道こそしたが特に障害も無く、二台は無事に北リヴリアへの地下回廊を走行していた。
「しかしグリさん、よく助けに来てくれましたね……僕らは信号弾も撃てなかったのに」
「取り敢えず、リンデルには約束の時間を過ぎて待っててもらった恩もあるからね……」
「グリさんなら、城で立ち往生してたのがイェノさん一人でも似たような手段に訴えてたと思います」
「……俺はそんなに厚情家じゃないよ」
後ろの座席でそう言うリンデルに、グリュクは助手席で霊剣を抱えながら呟いた。彼の言には何やら、情の厚薄とは別の意味も込められているような気もしたが。
「そう謙遜するこたないさ。あんたが来てなきゃ、あたしの車もタイヤを潰されてたかも知れないだろ。大したもんじゃないか、魔女ってのは」
二人が同乗している角張った自動車を運転しているのが、このカティシ・ウェボリーという若い女だった。動きやすそうな服装で、生来の髪質がパーマネントの威力を克服しつつあるのか、肩まで伸ばした金髪が各所で巻き毛になっている。
「こっちこそ、イェノの車まで女の子を連れて走らずに済んで助かりました」
「あぁ……それより、イェノに雇われただけのあんたたちまで襲わせちまって、悪かったな。言い訳じゃないが、あとでささやかながらそちらの会社に慰謝料を出しとく」
「え、いいんですか?」
「グリさんそこは形だけでも遠慮するところですから……」
「あははははは……!」
会って一時間もたっていないのだが、ハンドルを握るカティシは朗らかに笑った。
この自動車で城まで突入してきた彼女は、自ら語る所に拠ればイェノたちの八歳の頃からの友人なのだという。イェノにリューズ、そしてこのカティシ。彼らは全員南北のリヴリアの地下組織における実力者の子女で、学校こそ違っていたが、年に二度の地下組織同士の連絡会議のようなものが開かれている時はそれこそ実の兄弟のように仲良く遊んだそうだ。
北リヴリアで検問まで作ってグリュクたちを妨害しようとしていたのは、本人も認めたとおり、カティシだったらしい。こうして頼みもしなかったのに救出に来てくれたということは、悪意による妨害ではなかったのだろうが――魔女の知覚は、彼女が常人で悪意を持たないことを感じ取っていた――、グリュクにはどうも、何かの裏が感じられてならなかった。
(ふむ……しかし、このカティシという娘が悪意どころか肯定的な感情でいることは事実。イェノとリューズ嬢についてもしかり、まぁ、大は付かずとも団円ではあろう)
「…………」
イェノは傷だらけの車の助手席にリューズを乗せ、カティシの車の先を走っていた。トンネルの黄色がかった照明が影を作って車内はよく分からないが、恋人同士で談笑しているようにも見える。あれならば気持ちよく後金も払ってくれるだろう。
「まぁ、あとはイェノから後金を貰えば俺たちとしては……だよね?」
「えぇ、グリさんにはもっと仕事のことを覚えてもらいますけど」
これで負債分は帳消しになるか、などと期待していると、カティシが再び言葉を発した。
「あ、ところで……リンデルだよな? あんたのとこで……引っ越し業者とか不動産業に紹介して貰えたりしないか?」
「ええ、構いませんけど」
「あとで詳しく話すけど……ちょっと条件が特殊なんだ。驚くなよ?」
自動車は地下を抜けて、太陽の大分下がった青空の下へと出た。
夕日に照らされる、恋人たち。手を首筋、或いは肩や腰に回して互いの体を強く引き寄せ、抱きしめ合う。赤い斜陽が照らし出すその姿は、美しくさえあった。
そんなにも美しい光景ではあったが、
「あが……がががががが……ががが…………が……」
だが、端から見ても哀れなほど、イェノは度を失っていた。夕陽に向かって両の膝を路面に突き、針の壊れた蓄音機の様に奇怪な声を発している。
その日、一人の青年の心が砕け散ったのだ。
為す術なく佇むグリュクとリンデルは、その儚い魂に差し伸べる手を持たない。
名残惜しそうに唇を離した二人が、イェノの方を向いて、申し訳なさそうに告げた。
「ごめんな、イェノ。あたしたち、ずいぶん前からこういう関係なんだ……去年、非公式だけど婚約もした」
「あなたには、どう表現しても足りないくらい感謝してる……本当にごめんね」
「リューズ……」
「カティシ……んっ……」
互いにしかと相手を背中から抱きしめての、更なる口づけ。互いに相手の口腔に己の舌を差し込む行為は、何と言うのだったか。そんなことをぼんやりと、色々な意味で居た堪れない空気の中で考える。二人はグリュクとリンデルのことなど、最早眼中にはあるまい。壊れかけのラジオのような有様で呻いているイェノを、改めて憐憫の思いで一瞥した。
「あばばばばばば……ばば……ば…………ば……」
(哀れなりイェノ・ティガルケッソ……だが吾人にしてやれることはもう何も無い……)
「(お前も薄情だね……)」
まさかイェノも、グリュクの帯びた剣が密かに自分を気に入っていたなどとは、知る由も無いだろうが。
後から知った事情を総合すれば、イェノがリューズを連れ出しに行くことを知ったカティシが、まず恋人を奪われまいと手勢を使って妨害を試みた。だが、手勢を突破されたカティシはリューズの父に連絡し、万一イェノがリューズを連れ出した場合に備えて自ら自動車を駆り、後を追う。
国境を抜けて南リヴリアに出た彼らを、今度は娘を奪われまいとするリューズの父の手勢が妨害した。これが黒い自動巨人の部隊であり、彼らはそれも突破してリューズの元へと辿り着いた。そしてそこにカティシが追いつき、恋人同士が再会を果たし、そして一人の哀れな青年が役割を終えて燃え尽きたという次第だろうか。
場所はアッフェン・ユーティストの事務所のある集合賃貸の前の駐車場だ。恋人たちの場を憚らない営みを見かねてか、既に太陽は西の彼方に逃げ去ろうとしている。
そこで、さすがにリンデルが話を切り出した。
「えーと、カティシさん……というかお二人は、引っ越しや不動産業者をお探しでしたよね」
「ああ。まぁ、見ての通り、二人の新居が欲しくてな。地下組織と縁が切れる外国がいいんだ。出来れば一家と縁の薄い所がいい。出来るか?」
「イェノさんがこんな有様ですけど、よろしければ所長がお話を伺いますので、どうぞ」
「よろしくお願いしますね」
リューズがはにかみつつそう答えると、リンデルは気を取り直すように髪をかき回し、二人の女をアッフェンの事務所へと案内するべく錆の浮いた階段に足をかけた。グリュクはイェノに肩を貸して宥めすかし、何とか引きずって行く。
「イェノ、せめて立てって! あんなに体力あっただろ!」
「大きな星がゆっくり沈んでいく……あれは……彗星かな?」
(太陽だ、正気に戻れ!!)
霊剣が、言葉の届いていないことにも構わず必死に呼びかけていた。
太陽は既に沈み、あとは夜闇が来るのみだ。だが、時間が経てば再び陽は昇り、例え闇夜にあっても、人は人造の光明でそれを照らす。彼の心に再び光が射す時を、グリュクはそれなりに祈った。
「恋愛、この悪徳の泥濘こそが、人類を堕落させる張本人に他なりません。一体全体、何故私はこのような過ちを犯しておきながら……あなたも気をつけた方がいい。婦女という存在には、実に名状しがたい恐怖が潜んでおりますれば……」
――ある大文豪の晩年の著作より抜粋。
これにて第五話の完結です。
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