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霊剣歴程  作者: kadochika
第05話:恋人、羽ばたく
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3.ユーティスト私立興信所

 ヒーベリーは、北リヴリアという国家の首都にして最大の都市だった。通りの左右に並ぶのは、意匠を凝らした巨大な建築の群。女王時代を思わせる複雑な文様をあしらった手すりで車道と隔離された歩道にはタイルが並び、企業に勤める礼服の男や華やかに着飾った娘たち、観劇帰りらしい老女の一団や、どこかの事務所向け物件に新しく移転してきた事業者に向けてか、運搬業者が多数の机を箱型の荷台のトラックから降ろしていた。

 既に日は殆ど落ちており、イェノの自動車は完全に都市圏に入っている。既に建築の多くは窓に光が点っており、それら全てに呆気に取られていると、たまたまそうした時間帯だったのか街灯の全てが一斉に点灯した。街灯一つにも美しい装飾が施されており、植樹は木枯らしになお茂るその葉で街の灯りをチカチカと反射してくる。

 霊剣の記憶によればヒーベリーとは「首都に近い小都市」ということだったが、彼が眠っている間に首都に代わったようで、ついでに付け加えれば全くの大都市へと変貌していた。


「(お前の記憶と全然違うんだけど)」

(……さすがに半世紀を過ぎれば様変わりもしよう)

「(散々他人の記憶を思い出せとか言っておいて……)」

(すまぬ……すまぬ……)

「これがヒーベリーの夜景ですよ」

「住んでりゃ慣れちまうが、中々のもんだろ?」


 リンデルとイェノが車中からそう訊いてきたが、グリュクとしては散々記憶の反芻を要請していた霊剣に対して失望の混じった恨めしさが止まらない所ではあった。背の高い建築群に明かりが点っている光景はウェンナハーメンでも見ていたが、ここはそれすらも凌駕するように思える。見る限りの一面が、光っていた。


「このまま直進でいいのか?」

「あそこのタバコ屋を左折、伝書局が見えたら右折してください。あと十分もない筈です」


 イェノは都市に入ってからは自動車の速度を落としており、リンデルの指示に従って運転していた。速度が落ちており、車中の会話も比較的容易に聞き取ることができた。

 喪失したサイドミラーや追手の衝突で変形した車体はそのまま、特に警察などから咎めを受けることもなく、夜の街路を駆けて行く。尤も、背の高い建築は徐々に減少し、すぐに民家や集合住宅などの居並ぶ風景に取って代わっていった。

 グリュクが荷台を共にした妖猪の死骸を見つめてこの獲物の処遇について取り留めなく考え始めた時、自動車はさらに速度を落とし、錆止めの塗料の剥がれかけた金網で囲まれた駐車区画へと進入していくのが分かった。






 荷台を降りてマントのフードを下ろすと、髪に籠もった熱が逃げていく。塗料の剥げた箇所が錆びている狭苦しい鉄の階段を上ると、各階六部屋六階建ての共同賃貸住宅、その二階最奥の一角が、リンデルの職場らしかった。やはり錆びつつある簡素なプレスの鉄板にある文字を読むと、ユーティスト私立興信所とある。


「(興信所って……)」

(素直に出入国幇助などと書く訳にはいかぬだろう)

「ただいま戻りましたー」

「おう、おかえり」

「…………」


 リンデルとイェノに続き、扉を入って仕切の向こうに出るとリンデルに男の声が返事をするのが耳に入った。部屋は全体的に暗い。照明があるのは分かるが、部屋の一角に置かれたランプか何かが放っているらしい光を、その間接光で一つ視認出来るだけだ。

 所々が擦り切れて地が覗くタイル絨毯の床に、年代物とは異なる、ただ古びただけの事務調度。入った扉の脇には傘立てと、乾いた土だけが詰まった植木鉢。

 色褪せた事務机に向かって毛布で覆われた事務椅子に腰掛けているのは、冬着をしていても分かる痩せぎすの体だった。何やら変わった色の大きな頭だと思っていると、そこから縞模様の猫が飛び降り、代わって姿を現した白髪の混じった長髪がこちらを振り向いた。


「結構長引いたなぁ」

「いろいろありましたもので……」


 後ろから見た印象同様に痩せた男だが、年齢は五十代前後、目線から落ちかけた眼鏡をかけ、もみあげから口の周りにかけてを短い髭が覆っていた。尻の下にも毛布、膝の上にも毛布という有様で、部屋に染み着いたにおいの元は、おそらく机の端に山と盛られた吸い殻だろう。

 男が立ち上がると、ランプの光で背後からから照らされているせいか、妙に雰囲気がかって見えた。


「私が所長のアッフェン・ユーティストです、よろしく。で、リンデル、どっちがどっち?」


 それに応えてリンデルが二人をそれぞれ紹介すると、


「へー、ティガルケッソ一家の御曹司様ね……」

「あぁ、よろしく頼む」

「こちらこそ。……で、そっちの真っ赤な彼はウチで臨時雇用か。まぁ、リンデルに世話して貰ってくれ。稼げないようならちょっと悲しい手段に訴えるから、頑張って欲しい」

「は、はい……」

「立ち話もなんだから、お茶でもいかがかな。リンデル」

「はい」


 アッフェンと名乗ったリンデルの上司が少し離れた一角の丸い卓を指して言うと、リンデルはどこに何があるのかよく分からない部屋から手品のように茶や茶器を取り出して、別の仕切りの向こうへ消えていった。


「グリュク君には悪いけど、まずはお客さんとの商談からで」

「おう、早速で悪いが、頼む」

「…………疲れた」


 アッフェンがイェノを仕切りの向こうに案内すると、グリュクはその場にあった卓によろめくように縋り付き、椅子に腰を下ろした。悲しい手段というのは少々気になったが、今は疲れていた。






「女を一人、連れ出したい」

「そりゃ誘拐だよ」


 肘を広げて卓に手を突き大まじめに語るイェノに返された答えは、正論だった。仕切りの向こうでグリュクからは見えないが、アッフェンがカップを傾けながらにべもなく言い放つ様が想像できるような気がした。


「いや、まず俺がその女の元へ行って、説得する。説得が成功したら、俺とその女の出国を手伝って欲しいんだ」

「つまり、その女性は啓発教義の国にいると」

「ああ……どのくらい必要かは分からないが、一人当たり相場の五倍は出す。行きは俺一人、帰りは俺と彼女で勘定してくれ」

「ていうか、君、ティガルケッソ一家の御曹司だろう。一家を継げば、俺なんかじゃお目通りも出来ないような権力者になれるじゃないか。たとえ相手が啓発教義国でも、女性一人を拉致するくらいーー」

「拉致じゃねぇっつってんだろ、不穏な単語を使うんじゃねぇ!? ……それに、一家の力は借りねぇことになってる。手前で連れ出すか、手前の稼いだ金で一家の外の人間を雇う分には構わねぇっていう約束だ、親父とは」


 仕切りの向こうの卓で話す二人の様子を伺いながら、グリュクは事務椅子を借りて、リンデルは彼と同じ小さな卓に向かい、畳んであった予備の椅子を広げて腰掛けていた。滞留している部屋の埃がランプの光に照らされてちらちらと光り、リンデルの煎れてくれた茶から立ち昇る湯気にあわせて踊っている。


「……ツルハシで坑道を掘ってたのってそういう理由だったんだな」

(動機は単純なれど……いや故にこその馬鹿力か)

「恋人なんでしょうか」

「さあねぇ……」


 三人して(リンデルは霊剣の声が聞こえないので、三人かどうかは立場によって異なる)仕切りの向こうから聞こえてくる会話の内容について小声で話し立てながら、茶を啜る。何処の何で淹れたものか、不思議な香ばしさだ。


「――そうなると……二人とも、払っといてなんだけど来てくれ」

「?」


 その招きに応じてリンデルと共に卓の空いた椅子にかけると、アッフェンはイェノの依頼内容をかいつまんで説明した。


「そういうことだ。で、少々急だが、リンデル。任せた」

「僕!?」

「うん。単独でもいいし、グリュク君と一緒でもいい。イェノ君の依頼を遂行してくれ」

「俺!?」

「数少ない他の社員は全員別口で出払ってるし、俺は表の業務もある。依頼人としてはなるべく早い方がいいそうだし、彼と相談して、予定を組んで実行してくれればいい。成功すれば報酬はウチの規則通りに渡すから、書類とかは俺に任せとけ」

「………………」

「………………」


 彼の表の業務とは、表の看板に記してあった探偵業なのだろうが、アッフェンの台詞は「お前らに丸投げして成功すれば報酬は中抜きする、これ所長特権」と言っているに等しくはあった。国境越えの旅で疲れてそこを問い質す気力は既に無い。リンデルもさすがに疲労が溜まっているようだったが、イェノは二人の表情を気にした様子もなく、二人の肩を叩いてきた。


「んじゃあ、早速打ち合わせようぜ。改めて頼む、リンデル、グリュク!」

「(……どこで寝ればいいんだろう)」


 肩を叩かれながらも散らかった部屋を見回し、グリュクが思ったのはそんなことだった。






「貫けッ!」


 呪文と共に自然界に解放された魔法術が自らを形成、射出した。

 運動エネルギーを帯びた貫通魔弾が外板を貫通して車輪を破壊し、後ろに迫っていた自動車は大きく旋回、そのまま壁に激突して停止する。


「やっぱりこうなるのか……」


 その被害をものともせずに迫る後続の追撃車からの銃撃を防護障壁で弾きつつ、そのまま障壁を魔弾代わりに射出して見舞った。運転席のガラスが真っ白に染まり、そこにめり込んだ障壁が淡い粉雪のように大気中に掻き消えるのを見届ける前に、隣の斜線から追い越してきた自動車を念動力場で強制的に急停車させ、後続の僚車を巻き込んで同時に脱落させる。

 既に四台を走行不能にしており、グリュクとリンデルを乗せて持ち主のイェノが運転するトラックは四車線ある幹線道路を疾走していた。

 追っ手の自動車は全て塗装を黒で統一されており、時折接近する無関係の自動車を巻き込む心配はなかった。恐らく周囲の自動車と自分たちを誤認しないための方策なのだろうが、彼らによって走行を妨害されようとしているグリュクたちにとっても有り難い話ではあった。自動車の外板に阻まれ、魔女の知覚で精神状況を読みとって敵意を判別するのが難しいのだ。

 緩やかな下り坂にさしかかり、直線の先にそれらしい車影のないことを確認するが、後方には僚車の巻き添えを食わずに生き残った黒塗りの自動車が五台追随してきていた。


「まだ来るのか……?」

(主よ、右前方だ!)


 霊剣が叫ぶと、前方に荷台の後部が見えていた大型輸送車が回頭しつつ急停止をかけ、その前後に長い車体で車線全てを塞ごうとしているのが分かった。大型の貨車を角ばった車両が牽引する形式のもので、グリュクは王国にいた頃には殆ど見たことがなかったそれが、彼らの行く手を阻もうとしている。

ゴムの車輪が路面に削り取られる高音が盛大に響きわたり、反対車線を通る自動車のものであろうクラクションがそれに混じる。


「げぇッッ!!?」

「停まるなイェノ、このまま!!」


 悲鳴を上げるイェノに荷台から呼びかけつつ、術を念じた。彼の身体に散在する変換小体が神経パルスに反応して振動し、空間を高速で飛び交う高エネルギー線から力を取り出して形を成した。


「昇れえッ!!」


 言葉によって解放されたそのエネルギーが不可視の力場となって、二十トンを超える重量の大型トラックを虚空に持ち上げる。全ての車輪が路面を離れ、代わりに影だけがそこに落ちる。巨体を構成する金属の集合が、力場のムラによって生じる負荷でバキリと悲鳴を上げた。聞きなれない声の出所を見ると、牽引車の開いた窓からは運転手が身を乗り出して自分の運転する車を襲った事態に慌てふためいているのが見える。


「しゃぁぁぁぁぁぁッッ!!」


 イェノがアクセルを踏み込んだか、彼らの乗る小型トラックが大きく加速する。変換小体は現在の限界に近い量のエネルギーを空間から取り出し続け、その結果、力場の強度を維持することで小体の振動が神経に与える痛みの量が徐々に増してきていた。だが、彼らの乗る車がそこを完全に通過するまで、耐える。

 そして、彼らの自動車は浮揚された大型車の真下を勢い良く通り抜けた。それを確認して力場を解除すると、路面から数えて五メートルほど上空にいた大型トラックは鈍い衝突音を立てて落着し、細かな破片をばら撒いた。そして同様に浮上していた大型トレーラの下部を通り抜けられると思っていたのか、派手なブレーキ音と直後の衝突音が複数、墜落したトレーラの向こうから聞こえてきた。

 トレーラは意外に重く、グリュクは安堵と共に荷台にへたり込んだ。集中に伴う興奮で体温も上がっており、車上の冬風が今ばかりは心地良い。こうして襲撃を受ける以上、警察がどうこうと気を揉んでも始まらないだろうと割り切れてしまえば、特に苦は無かった。


「なっははは!! 最高にイカすぜ魔女ってのは!!」

(何たる喜び振り……)

「……潜る途中で落とすかと思ったよ」

「あとは越境だけだな!!」

「何で国境を越える前にこんなスペクタクルしなきゃなんないんですかもう……」


 運転しているイェノだけは喝采していたが、リンデルなどは肝を冷やした様子を露にしている。三人の乗る小型トラックは、隣国への秘匿回廊に通じる地下街へと驀進していった。






 太陽が下がり始めた正午前、カティシ・ウェボリーは厨房で冷凍肉と格闘している最中に、襲撃の失敗と、イェノ・ティガルケッソの更なる奔走を知らされた。


「そうか……分かった」


 隊長の報告の内容は苛立たしい限りではあったが、借り物とはいえ女の身でティガルケッソ一家の隊を一つ仕切るからには、不首尾程度で顔色を変えていては示しが付かない。髪を弄るなど以ての外だ。

 彼女が本家に持つ影響力では、イェノが国境を抜ける前に勝負をかけるしかなかったのだが、一家の外からどんなコネを持ち込んだか、彼は魔女まで雇っているらしかった。セミトレーラまで持ち上げるような魔女が相手では、拳銃程度が精一杯の自動車部隊で止めることなど無理な話だ。実行隊を提供してくれたイェノの父には、後でしっかりと埋め合わせをしなければなるまい。


「カティシさん……」

「いや、いいんだ、ありがとう。あとは祈るしかねぇ……あの色ボケ跡継ぎが考え直すようにな」


 気遣うように声を出した隊長を止めて、呟く。一人の女としての意地もあったが、ボスが貸してくれた一家の戦力の手前、彼女は失意を抑えて彼らに命じた。


「さっき念のため、壁の向こうに『ウチのスカタンが娘を奪いに行った』と伝えておいた。もうウチらに出来ることはないしな。ボスにも、また改めて礼をするとよろしく頼む」

「分かりました、では――」

「あ、そうだ、これ食ってくか? もうすぐ出来るんだけど」

「すみません、別件が控えとりまして。失礼」

「おう……」


 本家の隊長はそう告げて、きびきびと退室して行く。階段を下りる足音が聞こえなくなると、カティシはイェノの失敗を祈った。

 婚約者を差し置いての逢瀬など、認める訳にはいかないのだ。

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