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霊剣歴程  作者: kadochika
第05話:恋人、羽ばたく
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2.イェノ・ティガルケッソ

 意外な食い下がりを見せたイェノに対して、グリュクとリンデルが手押し車を使用してイェノの荷物を全て運搬、代わりにイェノが妖獣の死骸を背負っていくことで事態は一応の解決を見た。

 イェノが削り進んできた坑道を十五分ほどで踏破したが、成人の男より重い妖獣の死骸を背負って坑道を歩く彼の体力には、驚くしかなかった。

 ただ重い荷物を背負って歩く程度のことであればグリュクにも覚えがあったが、選抜訓練で渡された荷物は背負い易いよう作られた背嚢に収まって二十キログラムとなく、百キログラムを越えそうな妖猪(ようちょ)とは比べ物にならない。イェノと出会った地点までは一キロメートルにも満たない距離だっただろうが、そこを差し引いてもかなりの体力だ。霊剣さえもが感心している。


(この距離を然したる休憩もなしに、これほどの重量物を背負って出口まで辿り着くとは……)


 ただ、さすがに彼も坑道を出た時には疲れきっており、こちらから話しかけても言葉少なだった。

 地下では時間がよく分からなかったが、地上はよく晴れていた。時刻は昼過ぎといった所か。気候は騎士団領とさして変わらず、傾きかけた太陽から皮膚に与えられた熱が、冷たく乾いた風に呆気無く奪われてゆく。近くで風にざわめく枯れ枝に新芽が膨らんでおり、春もさほど遠くはないだろうが。

 坑道の出口は周囲を枯れ木の混じった常緑樹の林に囲まれた目立たない場所にあり、見た所、なだらかな丘陵地帯のようだった。少し離れた所に曲がりくねった道路が通っており、人里は周囲には窺えない。あるとしても、少しばかり遠いだろう。


「ふぅ……ちょ、ちょっと待ってろ、今車を出してくる」


 イェノは妖猪の死骸をその場に置くと、整えるように何度か大きな呼吸を繰り返しつつ、歩きだした。彼が立ち止まり、ただの茂みだと思っていた枝葉の集まりに手をかけたかと思うと、次の瞬間、そこには荷台を備えた自動車が姿を現していた。枝葉をびっしりと貼り付けた大きな布を被せて、自動車を藪に偽装していたのだ。


「(……盗まれる可能性があるってことなのかな)」 

(そのような輩が蔓延っているなら、自動車を置いた時点で目を付けられている気もするが……遠目に視認しづらくおくだけでも違うのかも知れぬ)


 イェノは枝葉で体積を増している偽装布を器用に畳み込んで紐で縛ると荷台に乗せ、自動車に乗り込むと機関を始動させて、グリュクたちのいる場所まで車体を寄せた。

 白く塗られた車体は所々に大小の陥没や傷跡があり、使い込まれているというよりは使い古されているだけといった方が正しい。外から見る限り、内装もそれに準じていた。形式はヴォン・クラウスで見た種類とは異なり鼻面が長く、車体後部がそこそこの広さの荷台に成っている代わりに前部には運転席と助手席のみという物だった。


「ありがとな、こいつを乗せる場所は残して、他は全部荷台に頼む」


 イェノが妖猪の死骸を指してそう告げると、グリュクとリンデルは持っていた彼の荷物をすべて荷台に積み込んだ。


「それと悪いが、どっちか一人は荷台に乗ってくれ」

「じゃあ俺が乗るよ」

「いいんですか?」

「万一落ちるようなことがあっても大丈夫な方ってことで」


 尋ねるリンデルにそう答えると、後輪を足掛かりに荷台に飛び乗った。軽快な音を立てて荷台の仕切りに鞘が当たり、中からミルフィストラッセが抗議してくるが、無視して空き場所に身を置く。妖猪の死骸や掘削用品の無く、かつ後部窓を塞がないという位置取りに、やや苦戦した。


「あとこれ。冷えるぞ」

「ありがとう」


 運転席の窓から身を乗り出したイェノが雑に丸めてこちらに渡してきた毛布を受け取り、礼を言いつつ広げてマントの上から羽織り、腰を下ろした。荷台は土埃や枯れ葉などでお世辞にも清潔といえる場所ではないが、元々ここ数ヶ月はまともな寝床で寝ていないので、然程気にならない。合図と共にイェノがやや急に車を発進させると、土や草本で出来た天然の段差による上下動で荷台が揺れた――荷台を共にする妖猪の死骸も意外と派手に揺れ、気になった――が、すぐに舗装された道路を車輪が転がる軽快な振動に変わった。

 そしてそれから十数分、森はまばらとなり、畑やその所有者の物らしい民家が目立つようになった。枯れ草色の背の高い草本に両岸を覆われた用水路やポンプ小屋、農具置き場に案山子、時折農業者らしい人影などが視界を通り過ぎた。小麦の畑が多いのかと思っていると規則正しく並んだ冬野菜の畑が現れ、雀の群が飛び交う方向を見れば、遠方に隆起した山が他に群れる嶺もなく青く霞んでいた。

 その情景が引き金となって、今度は驚くこともなく、ここが間違いなくリヴリア北方であることを意識出来た。


「………………」


 実際に関係する事物を見聞きすることが引き金となって、霊剣が持っている記憶を自分のそれのように思い出しているらしい。


(便利であろう)

「(……聞いた時だけ答えてくれればいいんだけどなぁ)」

(先ほど吾人が解説致した魔力線合成についても、魔女の学生の参考書でも読めばはっきりと思い出せよう)

「(魔女の学校に入る気はないぞ)」

(物の喩えというもの、無論その気になっても構わぬが)


 腰に帯びた鞘に納めたまま柄を持ち、霊剣を荷台の縁へと軽く叩きつけて制裁を加える。丁度その時、魔女の知覚が進路前方に人の群れを感じ取った。運転席のイェノと助手席のリンデルには、既に目視出来る距離だろう。


「グリさん!」

「ああ、分かってる!」


 助手席の窓から顔を出してこちらに向かって叫ぶリンデルに頷くと、


「いや、そうじゃなくて! イェノさんがあの検問を突っ切るそうです」

「検問!? 突っ切る!?」


 彼はそれを否定し、運転手の意外過ぎる意向を教えてきた。人の群れが検問だとまでは、魔女の知覚では察知出来ない。慌てて振り向いて運転席の天板に身を乗り出すと、確かに複数の自動車と何人もの作業服らしき地味な服装をした人々が道路を封鎖していた。

 魔女の知覚をイェノに向かって走らせると、確かに彼が何らかの決意を固めた状態にあることが知れる。焦りや自棄めいた感情も交じっており、この青年が犯罪と関わりを持っているのではないかという懸念が浮かんだが、それよりも先立つ重大な可能性があった。


「まさか審問が無いだけマシって、ここら辺のことなのか!?」

(落ち着け主よ、まずは状況を見極めるのだ)

「そんなすぐに出来るか!?」


 魔女でない二人に不審に思われる危険も忘れて霊剣に肉声で抗議しながらも、運転席の屋根に手を突き、以前霊剣に授けられた遠視の魔法術で目に入る人々の姿を拡大する。複数台の自動車でバリケードのようなものを築き、何とか車一台が通れそうな幅を残して検問の体裁を最低限整えた一団が、目立つ色の赤い短棍を振って存在を主張している。立て看板にも検問所との表示があったが、それ以上を確認する前に自動車が加速した。


「行くぞこのヤロぉぉぉぉぉ!!」


 急加速に体勢を崩し、グリュクは後ろの妖猪の死骸に倒れこんだ。事態の推移に対して驚く以上の反応が出来ず、彼らを乗せたトラックが検問を強行突破するのを見ているだけだった。

 直前まで制止しようとしていた人々が耐えきれずに跳び退き、加速した自動車は立て看板や赤い円錐の置物を蹴散らして、路上で唯一開いていた二台の車両の間を突き抜け――車体の両側に更なる擦過痕を刻み、ついでに両方のサイドミラーを破損――、再び掠れた白線以外は何もない路上を走り始めた。


「しゃあっ、抜いたぁ!!」


 運転席のイェノの勝ち誇る声が聞こえたのも束の間、自動車の後方に視線を戻すと、既にこうした事態を想定していたのか、先ほど検問を形成していた複数の自動車の内の三台が、すぐそこまで迫ってきていた。魔女の知覚で見るまでもなく、運転手たちは怒っている。


「ちょ、ちょっと! 何で検問を突破するんだ!?」


 本来ならばリンデルから聞いた直後に問いただすべきだったのだろうが、後の祭りだった。ここは既に連邦に連なる国なので、魔女として追われることはないはずだったが、犯罪者として追われるようなことになってしまえば何も変わらないことになる。


「あれは検問じゃねぇ、後にしてくれ!」


 イェノはそう叫ぶと、更に自動車の速度を上げた。耳元でバタバタとうるさくなるのでマントのフードは下ろしていたが、代わりに顔面や耳が相当に冷却されており、頬の筋肉がかじかんでいるのが自分でも分かった。振り落とされないように膝立ちになって重心を落とし、後方から迫る自動車三台を睨む。

 グリュクの位置からでも、三台の自動車はそれぞれに乗員を乗せられるだけ乗せているように思えた。どれも王国でも普及していた一般的な乗用車に見える。その屋根の一部が開いて後部席の乗員が身を乗り出すと、グリュクは霊剣を抜かずに身構え、複数の破裂音が響く前に呪文を発した。


「護り給え!!」


 音速を超えて突進する銃弾が魔法物質の盾に弾かれ、鋭い音を立てる。以前防御した銃弾の音より格段に小さい衝突音だ。恐らく、口径が小さいのだろう。障壁に穿たれた弾痕で気づいたが、拳銃はこちらを狙っておらず、主に車輪を目がけて発射されたらしい。


「吹き飛べッ!」


 障壁を放棄すると、魔法物質の盾は煙のように掻き消えてゆく。そして右手を目標に対して掲げ、今度は打撃魔弾を発動した。魔法術に分かりやすい身振りを付随させるのは、集中の補助という意味もあるが、魔女に関する知識の乏しい相手に対してはフェイントとして効果を発揮することがあるためだ。本来は寝たままの姿勢でも発動だけなら出来るものを「手を掲げないと撃てない」と錯覚させておくことで、術の矛先を誤認させることも出来るらしい。

 発射された魔弾は先頭を行く自動車の前方部分を直撃し、その箇所を大きく陥没させた。ひしゃげた外板が反り返り、機関にも損傷を与えられたのか自動車は急に蛇行を始め、衝突を回避しようと加速する僚車の合間を抜け、急速に速度を落として路肩の樹木へ衝突して止まった。


「いよっしゃ、やるなお前ッ!」

「(そもそも君が追われてなきゃこんなことしなくてもいいんだけど……)」


 運転席で歓声を上げるイェノに呆れつつも、構えを解かずに残る二台を交互に注視する。

 だが、二台の乗員は拳銃を引っ込め、グリュクが次の魔弾を生成する前に荷台の両脇に接近し、それぞれ車体を衝突させてきた。合計二トン近いを超える重量がイェノのトラックを揺さぶり、積み荷のランタンを一つ後方の路面にばらまいて破片にした。グリュクも一瞬平衡を失って荷台から振り落とされたが、落着した路面に肉を削り取られる前に別の魔法術を発動できた。


「飛ばしめ給えッ!」


 術が発動すると、天地が逆転した。いや、天へと落ちて行く感覚に陥ったと表現するべきか。正確には、「重力の作用する方向を一時的にねじ曲げ」、グリュクは疑似的とはいえ実際に上方へと落下している状態になっていた。


(これぞ疑似(ぎじ)重力(じゅうりょく)作用(さよう)転移(てんい)。作用の転移先を己の重心に移せば、空中静止も――)


 講釈は無視して昨日の霊剣の要領を思い出しつつ、重力作用の転移点、つまり彼が「落ちて行く先」を前方の虚空に定め、イェノの自動車の荷台の上まで「落下」した。平衡感覚が狂ったような錯覚に酔いそうになるが、他方から見れば彼はあくまで、地上十メートルほどを大地に対して平行に移動している。ほかの魔女がどのような原理で飛んでいるのかは知らないが、少なくとも飛んでいるように見えただろう。

 そして今度は荷台に作用点を移し、何とか元いた場所に到着した。妖猪の死骸にすがりつく形になりながら、状況を確認する。

 追っ手の自動車に乗ってイェノのトラックに更に体当たりを仕掛けていた男たちが、落下から復帰したグリュクに明らかに驚いているのが荷台からでも窺えた。


「離れろッ!」


 それに乗じ、術を発して念動力場を形成して急速に膨張させる。爆裂に近しい速度で膨れ上がった不可視の運動エネルギーが左右で次の体当たりの体勢に入っていた二両の自動車に到達した。

 どちらの車もフレームごと板金が大きく歪んで軌道を変え、道路の左右の農地にそれぞれ高速で突っ込んだ。同時に盛大に破損したガラスの破片や急制動の衝撃で重傷を負った乗員がいたかも知れないが、こちらに銃弾を撃ち込んだ挙句に体当たりをかけられてはこうする他無い。

 念動力場を急速に膨張させるのは先日、偶然に習得したのに近い要領だったが、効果は上々のようだ。


「グリさんすごい!?」

(賞賛されて悪い気はしないであろう)

「それより!」


 状況に興奮したのかリンデルまでもが快哉を叫んでいるが、グリュクは霊剣の茶々を無視して追っ手の途絶えたことを確認すると、運転席のイェノに詰問した。


「イェノ、今すぐ説明してくれ! 今のは何なんだ!?」

「あー、クソッ……あんまし言いたかなかったんだが仕方ねぇ。あいつ等は見ての通り、追っ手だ! 俺を狙ってる」

「どうしてだ!」


 イェノは自動車の速度はゆるめず、ハンドルから左手を離して後ろ頭を一通りかきむしると、小さく一つ咳払いを作って告げた。


「……俺がティガルケッソ一家の次の首領だからだよ」

「え、嘘!?」

「……」


 リンデルは知識があるのか、かなり驚いている。ティガルケッソというその単語には、坑道の中でも聞いたような記憶もあったが、彼ほどに思い当たる節はない。


「イェノ・ティガルケッソ、ヒーベリーを仕切るティガルケッソ一家の一員にして、頭領の嫡男」


 彼がハンドルを切りつつ淀み無く述べると、自動車は左に曲がり、自動車一台を通すのがやっとの狭い林道へと潜り込んだ。突き出た低木や草本の枝葉が車体をうるさく擦る。


「それが俺――えげぇ!?」


 そして路面の隆起に引っかかったトラックが大きく跳躍し、その勢いで舌を噛んだイェノが悲鳴を上げた。

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