2.選抜訓練開始
王国では、魔女狩りというものが重要な習慣だった。
啓蒙者たちより授かった検知機材を使用し、異端審問官や地域の教会が定期的に――時には抜き打ちや政治に関わる目的で突発的に――活動し、僅かでも魔女の因子を持つ者を摘発し、「駆除」するのである。
魔女としての能力と因子の多寡は必ずしも比例せず、因子が確認されても魔女としてはなんら無力であることも少なくない。
例え両親に因子がなくとも、成長に従って発覚するというケースがあり、出生時から成長期を過ぎるまで、何らかの形で検査が行われる。
グリュクの母も、そういった潜在的な魔女の一人だった。
当時既に一部で知られていた隔世遺伝という現象だったらしいが、審問官に賄賂を渡した嫌疑まで掛けられ、当時は官民を問わず、王国世論が大いに揺れたものだった。
幸い、反応が出なかった幼いグリュクは教会でも最穏健として知られる一派の庇護を受けることが出来たが、両親と、母に連なる一族はそうは行かなかった。
陽性の反応が出たため啓蒙者に直接“処分”された母を除く全員が、汚染種庇匿罪による悔悟刑処分。
王国には国教と法に定められるところの“啓発教義”に基づき、単純な死刑ではなく、それより“上位”とされる酷虐的死刑が存在していた。名付けられる前に親元から引き離されたことを含め、彼は何も覚えていなかったが。
“穏健派”たちによって徹底的に審問の目から秘匿されながら育ってきた彼がそれを知らされたのは、18歳を迎えた年、審問法に定められた最後の魔女反応検査が無事に終わったその翌日だった。
秘境同然の僻地にひっそりと立っていた故郷の教会が、穏健派が政争で劣勢になったことで周辺開発とあわせて人員を刷新することとなり、それがグリュクが外の世界に出る契機となる。
そして、3年ほど、東部の地方都市をさまようように転々とし、挙句の果てに自分の母と母の家族を皆殺しにしたという教会の、その手先となる騎士団に入団するために、こうして列車に揺られている。
彼にとっては、もはや己がどう生きればいいのか見当が付かないというのが正直なところだった。
かといって、生きるのを止める気にもなれないのではあるが。
四日目の朝、列車が会場近くの貨物駅に到着すると、身動きもままならない車内に飽き尽くしていた志願者たちは率先して駅に下りた。
駅といっても貨物駅で、プラットホームなどはなく、志願者たちは側面の運搬口から思い思いに飛び降りる形での降車だが。暖房でふやけた肌に、東部の冷たく湿った風があたるのが心地良い。
駅の出口の受付で配られた小さな紙切れを見ると、地図だった。印刷機が古いのか図がかすれがちで読み辛いが、少し歩いた開けた場所で選抜を開始する旨が記してある。
駅を出ると、来場者などの担当者と思しき、眼鏡の娘が多少気の抜けた声で通告してきた。
「それでは選抜参加者は地図の所定の場所へ移動をお願いしま~す」
女気の無い道程もあってか、口笛を吹いて色目を送るものもいる。
降りてからは更に歩き、簡素な二階建ての軍施設と思しき建物が添えられた運動場のような場所までしばらくかかった。周囲は申し訳程度の鉄条網以外はグリュクの見慣れない東部の樹木で溢れており、国境近くへとやってきたという実感を強めた。
選抜志願者は千人ほどもいるか。出発前の測定検査で撥ねられた極少数以外は心身両面で問題もなく、列車に揺られての長旅でも脱落者は無いらしい。多かったのは愚痴だけだった。
全員集まりきったかという頃合に、騎士団の野戦服を着た騎士たちの一段が現れ、運動場の入り口から志願者たちを挟んで反対側へと回っていった。
志願者たちがうろたえる間もなく、その中から出てきた軍の礼服を着た士官が、カツカツと木製の指揮台に上った。
「えー、本日は地上軍従士選抜試験へようこそ、歓迎いたします。
わたくしはスウィフトガルド王国歩行騎士団、東部方面第二一六騎士団教練騎士長、ウィレル・アルモリア重騎士です」
物腰からして十分に年季と軍歴を兼ね備えた軍人でありながら、なにやら風采の上がらない役人めいた出だしですらすらと述べたて始めると、志願者たちは聞き逃したら不味そうな気配を察したのか、整列こそしないものの指揮台に向いて直立した。グリュクもつい習う。
「みなさんには当基地の教練騎士隊が付き添いますので、彼らの指示に従って選抜過程に進んでください。
みなさんが栄光ある教会地上軍として共に戦う戦士となれることを願っております、それでは、選抜開始とします。以上!」
そう言い切ると彼はそそくさと指揮台を降り、騎士集団と敬礼を交わし、足早に施設の方へ歩いていき、そこへ繋がる階段の向こうに消えた。
「やたら手短だなおい……」
「立ち続けなくていいのは助かるけどこれはこれで釈然としない……」
熱意に欠けるのか、あくまで時間を惜しんでいるだけか。
気構えの肩を透かされたのか、志願者たちの輪に半ば呆れたようなざわめきが広がっていった。
騎士の辞では選抜後のことや脱落者の扱いなどは一切触れらていない。野戦服の騎士たちに聞けばいいのだろうが、このような東部の小規模な拠点ならば、レジュメを作って配る程度のことをやらせる閑な人員などいくらでもいそうなものだ。
周囲の意見に心底同意し、グリュクは騎士たちが選抜試験のための列を作るよう始めた指示に従った。
あれから、水の入った水筒を配布され、森の中を二時間ほど歩いた。到着から数えて太陽が昇りきりつつある計算だ。
道は一応の舗装を施されて幅は十メートル程度、大型の軍用車両でも行き交えそうではある。ただしひび割れの補修が追いついておらず、そこから草が生い茂っていることも度々だった。どこもかしこも東部はくたびれている。
思い出したように古ぼけた水銀灯や測量用の標識が設置されているだけで、柵などは無い。道は曲がりも少なく森の中を奥へ奥へと続いており、両側を覆いつくす森は極相に達しつつある林冠から光が差し込み、腐葉土に覆われた地面をかろうじて照らしていた。
そんな道をほぼ真っ直ぐ歩き、グリュクの場合は志願者同士の間隔がかなり延び、脱落者も出たのではないかと訝る頃に到着地点にたどり着いた。
山の麓がそこだけ切り開かれており、千人ほどの志願者たちが十分な間合いで広がっても騎士達が全員を視認できる程度には広さがあった。こういった選抜試験や訓練などで使うために整備されたのだろう。
そこで到着できた志願者たちは思い思いにぐったりと尻を土に下ろし、先に手配しておいたらしい輸送車の荷台から、騎士たちが何やら袋を配っていた。
「……腹減ったなぁ」
彼も体力には少々自信があったが、さすがに朝から飲まず食わずで二時間の歩行は堪えた。
一時間も経った頃から抗議を続けていた腹の虫をなだめつつ、背後の幌の輸送車に大量に積まれた袋の中から一つ、騎士から受け取る。背負ったり腹に巻きつけるためのベルトが付いており、くすんだ緑の色からして、恐らく行軍用の背嚢だった。
呼びかけられている説明によると、どうやら、これを背負わせて選抜を続けるらしく、その前にこの中の糧食で腹を満たせということらしい。
力の入らない腕を叱咤して背嚢を開いている場所に置き、両掌に乗るほどの大きさの角ばった缶を取り出して、ピンを回してこじ開けると、四日ぶりの人間の食事が顔を出した。
全て加熱などされておらず冷たいものの、中身は牛肉のシチュー、塩味の効いた茹で豆、味は無いものの歯ごたえは小気味良いビスケット、干し葡萄。水出し用の穀物茶バッグ(水筒の水を使うらしい)まであった。全て耐水袋に入れられており食器などなかったが、量は十分、味もこの空腹なら文句など無い。先ほどから周囲で先着の志願者たちが無言でガツガツと煩く貪る音がしていたが、グリュクは心底から納得した。啓蒙者たちの栄養食などより遥かに素晴らしい。全て平らげ、水筒の水でトドメを刺すと、思わず溜息が漏れた。
「ふぅ……」
人心地ついて冷静さが戻ったグリュクが来た道を見ると、まだ志願者の到着は続いていた。みな人並みの体力はあるはずだが、空腹のままの二時間歩行では倒れる者もいただろう。そこでそれを放置するような無道な軍ではないはずだが(批判も多いが、彼らとて教義の守護者たる騎士だ)、グリュクは少々、不安を感じた。感じたところで何か出来る訳ではないのだが。
「背嚢を受け取って、中の食料で昼食を取ってくださーい! 空け方の分からない人は聞いてくださいねー」
缶詰も普及していないような地方、あるいは属領から来ている者もいるのだろう。定期的にそうしているのか、騎士の一人がそう呼び掛けていた。
それとは無関係に気づいたのだが、もう四日も同じ服を着て、汗もかいている。さすがに着替えたくてたまらない。
到着できた全員が食事を終えると、そんな希望を打ち砕いて班編成が始まった。
二時間で結構な振るいが掛かったようで(並の体力があれば入れるという噂は疑わしくなってきた)、約二十人ごとに一班、併せて三十前後の班にしかならなかった。様子を伺うと、体力の平均が近くなるように集めているらしい。
一人一袋、配られた背嚢はかなり重い。改めた限りは水筒の他、あと五食分の食料、吊り下げ型の懐中電灯、止血消毒などの簡易医療用品や薄手の毛布、ライター、飲料水調達用の濾過フィルター、多用途ナイフ、呼び笛などが入っていた。
騎士ならまだしも、従士はこれを(実際の戦闘ではこれに銃や予備の弾丸が入り倍以上の重さになる)己の足で運ぶのだ。広大な戦線でこれを背負い、下手をすれば何百キロメートルも戦場を移動するのだろう。
ここで脱落しても再び食い詰めるだけなので、とにかく啓蒙者たちが魔女たちに戦を仕掛けないことを祈るしかないが。
そして編成が終わったのか、合図と共に行軍が始まった。分けられた従士志願者たちが騎士に付いて山道へ入り始め、山道を曲がって消えて行く。
班に番号が振られているのかどうかは分からないが、グリュクは先頭近い班に入れられた。
空腹が満たされたとはいえ、疲労も癒えきってはいないのだろう、後ろからは言葉はほとんどない。
騎士たちも、何か符丁のようなものを交し合ってからは各々の班を率いて無造作に足を運んでゆく。
グリュクも流れに応じて、足を踏み出した。