7.再会
「ペーネーン、無事かね?」
「お姉ちゃん! グルクさーん! 剣ー!!」
「キリエ!」
「キリエちゃん!」
(吾人にはミルフィストラッセという銘があってだな……)
確かキリエに“ラヴェじじ”と呼ばれていた老人は、位置をそのままに、キリエが彼の髭から手を離して二人の名と、恐らく霊剣を呼びながらペーネーンに駆け寄って来る。愚痴を呟く霊剣が、場違いにおかしかった。
「キリエ……どこ行ってたのよ、あんたが襲われたって聞いて……!」
「グルクさんとラヴェじじが守ってくれましたー」
どうやら老人が、連れる途中でグリュクへの誤解を解いてくれたらしい。名前の発音は正してくれなかったようだが、彼への印象がやや軟化する。恐らくグリュクと分かれてからはずっとあの老人と共にいたのだろうが、老人がペーネーンの名を知っているということは姉妹と知り合い以上に親しい関係ではあるのだろう。
見れば、騎士団の設営したテントは軒並み破壊され、あの黒い靄に食い尽くされなかった一部を残して、消失したも同然だった。
彼ら以外に、ほぼ消失したテントの周辺で任務に当たっていた騎士や従士たちが、多くは唖然とした表情でこちらを凝視していた。その数はざっと見回した限り、五十人を超える。本陣の周囲では武装しているものも多くはなかったが、それでもすぐに、銃の安全装置を解除する音や部下に行動を命じる声などが響き、戦闘集団として然るべき訓練を受けた人々の組織立った行動が再開された。グリュクも、従士の選抜訓練が無事に終わっていれば、彼らの一員だったかも知れない。
「そのまま動くな! 許可しない動作と詠唱を禁止する!」
銃を構え照準を合わせたやや背の高い眼鏡の騎士が、同様に銃を構えた従士三名と共に彼らを包囲する。顎を振って、主に白髪を腰まで伸ばした老人に対して告げているようだ。
「竜巻の現場にいた魔女だな……そのままゆっくり両腕を前に出すんだ!」
「えー、両方じゃなきゃダメかの?」
老人がとぼけたような調子で発したそんな言葉でも、騎士は宣言通りに発砲した。そして、正しかった。
「この通り、左しか残っとらんのじゃよ」
「ぅう!?」
老人が言葉を続ける中、硝煙が微風に掻き消え、騎士が呻く。いつの間にか、老人と騎士との間の三メートルと開いていない空間に障害物が出現していた。老人の眼前に現れている黒い壁が、銃弾の弾道を変えたのだろう。老人の体にも服にも、弾丸を受けた様子は無い。
ただし、黒一色ではなく、小さな菱形の隙間が多数あり、よく見ると細長い長短二本の黒い長方形が直角に交差して四十五度の角度で傾斜したものが、幾重にも集合した状態だと分かった。
「……黒い……バツ印?」
(バツ印であるな)
「ちーがーう、斜めってるけど十字じゃからこれ!!
言っとくが、先ほどお前さんを防御したのもこれじゃからな!?」
「あ、す……すいません」
何か拘りがあるのか、最初の印象とは異なる様子で老人がグリュクの感想を一喝する。
その崩れた雰囲気で恐ろしさが打ち消されてはいたが、その長い眉の下から覗く眼窩は黒目と白目の色が逆転し、異様な気を放っていた。
「まぁ、それはさておき……貴様ら、ほとほと無能が過ぎるようじゃなァ。わしらに気を取られて、使い魔の小娘にまんまと引っかかってくれたわぃ」
「(……使い魔とかって、演技だよな?)」
(吾人にも気取られずに人間を使い魔にすることなど、いかにこの老人であっても出来ぬ)
「……大隊の装備を破損したことも含め、話を聞かせてもらおうか……!」
「聞きたきゃわしを捕まえればえェ。あ、そっちの小僧も魔女じゃから、何か知ってるかも知れんぞ?」
「え、俺!?」
老人が眼鏡の騎士に対して不敵に話していたかと思うと突然話題を振られ、叫ぶ。
「総員、少女二名と重騎士殿の安全を確保しつつ、両魔女を駆逐せよッ!!」
その命令に、老人の口の端が吊り上ったような気がした。それより早いか、やや背の高い眼鏡の騎士の号令と共に、その場の騎士たちが一斉に行動を開始する。
「護り給えッ!!」
幾つかの銃口から放たれた弾丸の射撃を、呪文によって前方に解放した防御障壁で防ぐ。
「(っていうか、重騎士!? あいつそんなに偉いのにあんなことしてたのか)」
(世も末であるな……それより、恐らく催眠は力場が連中の丸い鉄兜に阻まれて効果が薄い。正面から攻略するのだ)
「(攻略ってお前、何十人もいるんだけど……)」
霊剣の知識によれば、重騎士は騎士団の下部集団である騎士大隊を率いる階級の筈だった。つまり、それより上には騎士団長や将軍といった位しか残っていない程度には上位の階級ということになる。
霊剣とともに胸中で呆れつつ、維持を解いて打撃魔弾の生成を始めていると、
「撫でよ龍の指」
老人の唸るような呪文で、輪郭の明確な黒い球体が出現した。グリュクが見たものは輪郭がやや不明瞭だったが、結界の影響によるものだったか。
球体は不規則な軌道で老人を弾丸の斜線から隠すように動いて高速で従士たちに近づくと、急に大地に突入して爆裂し、盛大に土砂を巻き上げた。それも、各所で複数。
即座に別方向から反撃の銃弾が飛んでくるが、再び十字状の黒体の群れが老人の周囲に出現し、弾丸との衝突で大音量を炸裂させつつもこれを防いだ。
「あの子らに血肉の弾け飛ぶのを見せたくない故の慈悲じゃ、心得とけ」
どうやら手加減しているらしい。グリュクは老人の術の性能に驚きつつも銃撃が止んだその方向に向かって走り出し、置いてあった重機を盾に回り込み、老人を狙おうとしている従士の一人を見つけて、威力を最小限に抑えた打撃魔弾を頭部に当てて失神させた。
「あーあー……何てことしちゃってんですかグリさん……」
離れた高台からその状況を観察していたリンデルは頭を抱えていた。
銃声や爆音は、ここまでしっかり聞こえる。
何があったのか知らないが、ここまで派手に騎士たちにと交戦してしまっては、もはや逃げる他ないだろう。
混乱していたおかげで村にはすんなり出入り出来たとはいえ、彼の背嚢を持ち出した苦労が水の泡か。
「……しかし、あの爺さんといいどういうことなんだろうねホント」
状況の全貌もよく飲み込めないのだが、もしグリュクが騎士たちから逃れられたなら、こちらとしてもわざわざ王国本土まで来て無駄足は踏みたくないので、合流するのも選択肢ではあった。
赤い髪の剣士が剣を振るうと、迫りつつあった歩行重機の四肢が野菜のように切断され、各部が土の上に転がり落ちた。巨大な金属塊が落着する低い音が届いて、彼の奮闘を伝えてくる。
「何か普通に強いな。人格的な問題は無さそうだし……金取るだけってのも勿体無い話かも」
リンデルはそう呟くと、高台を降りて村の東部の森へと向かった。
今日のヴォン・クラウスは戦場じみていた。実際の戦場ほどの流血は無いにしても、それに準じる銃声が間断なく響いている。それに混じって、騎士たちの叫び声が飛び交う。
「重騎士殿と少女二名を確保しましたァ!!」
「負傷者収容完了!」
「村民の避難はッ!?」
「どうにかしてもっと南に引きずり出せ! 森の中なら遠慮は要らん!」
まだまだ甘い。何もかもを捨てた風を気取っておきながら、十日程度で小娘二人に情が湧く。
情が湧いてはこのような真似をする。全てが許しがたいことだった。
だが、退けぬ状況になったからには退かない。
何もかもと言いつつも、やはり捨て去れぬ矜持があった。
「ふん、ここは登録抹消村落……お前さん方にとってどうでもいい場所ではなかったのかね。
どうでもいいと言いつつ、気に掛ける……好かんわい」
キリエもペーネーンも、聡明な娘だ。
二人とも、わざわざ伝えずとも彼の意図を分かってくれるだろう。
一方、いつの間にか背を合わせる格好となった、よく分からない剣を帯びるこの赤髪の青年は……
「なあ、小僧っ子よ」
「グリュク・カダン……あんたは」
「ありゃー、名乗っとらんかったか? ラヴェル・ジクムントじゃ」
「ラヴェル……じゃあ昼にペーネーンたちがパンを渡すって言ってたのは……」
「おぅ。で、この際じゃ、二手に分かれてこのまま村を出んか。互いに囮になりあう、お得な話じゃ。そっちの剣もどうかな?」
「…………お得かどうかはさておくとして」
(吾らは東を所望する)
「じゃあ、わしは北かのぅ」
若者にそう告げると、ラヴェルはその言葉で術を発して“衣”を纏い、飛び上がった。
もう未練は無かった。
老人は、虚空から現れた黒い襤褸布の群のようなものをぐるりと全身にくまなく纏うと、一瞬で離陸し高速で北へと飛び去って行ってしまった。
これではグリュクと霊剣だけが、ヴォン・クラウスの南の広場に取り残された格好になる。
「え……」
(高度な複合魔法術による単独飛行……あの領域に達した魔女は、大陸中を探してもそうはおるまい。御辺も見習うのだ)
「バカッ! 標的が俺一人になったってことだろ!?」
(そうとも言うかも知れぬ)
騎士たちの攻撃はすぐに再開された。グリュクは障壁を発生させつつ霊剣の助言で射界の隙間を読み、何とか村を脱出して東に抜けることに成功した。
「あの爺さん絶対に俺のこと嫌ってるだろ!!」
(それは吾人に言われても分からぬ)
既にキリエとペーネーンは騎士たちが保護してやや離れた所まで連れて行かれている。
あの重騎士が目を覚ましてから二人をどうしようとするかは気掛かりだったが、だからといっていつまでも此処にいることも、最早出来ない。
鉄橋を爆破する準備までは行っていなかったようで、若干の伏兵を制圧するだけでそこも乗り越え、そして追っ手の気配も感じ取れないほどの距離まで走ると、既に背後で日が沈みかけていた。
気温も下がっており、背嚢に詰めたマントが失われたのが痛い。騎士たちがさして深追いせずに諦めてくれたらしいのは幸いだったが。
「……あの二人、無事かな」
(運転手に、リンデル少年のこともな)
「あぁ……」
運転手については、騎士団にでも出頭してもらうしかないだろう。連れて行くことはできなかったが、事情を説明すればさして問題もなく騎士団領に戻れる筈だ。
ペーネーンが重騎士に虐げられそうになっていたことといい、よく分からないこともあったが……あとは騎士団がグリュクとラヴェルを追いかけ、ヴォン・クラウスにそれ以上留まらないことを祈るのみだ。それを確認できないのが少々心残りではあった。
(主よ、あれは……)
「グリさーん!」
前方の気配から届いた声は、リンデルのものだった。見ると、こちらにパタパタと手を振り、残る手で村から持ち出してくれたらしい彼の背嚢を掲げていた。
私物も彼との合流も諦めていただけに、思わず足取りが軽くなった。もはや呼び方には拘るまい。
「リンデル! 待っててくれたのか!」
「まー、仕事ですから……明確に損させられた訳でもないし、そうそう見限ったりはしませんよ。これがある前提ですけど」
「あ、あぁ……ありがとう」
円盤状の道具を指しながら告げた少年の台詞で路銀の持ち合わせが碌に無いことを思い出し、グリュクは目を逸らした。
背嚢を受け取り、早速マントを取り出して羽織ると、運動後の冷却で急速に冷えつつあった体に落ち着きが戻った。
「経路は道すがらお教えします。他にちょっと相談したいことはありますけど……それは後にしましょう」
そう言うと黒髪の少年はフードを被って歩き出し、グリュクもそれに続いた。
「(まさか……相談したいことって料金のこと!?)」
(自業自得であろう……今からでも一度ソーヴルに戻るべきではないのか)
「(いやそれは……幾ら何でも情けないというか)」
(この状況の方が余程情けなかろうが!?)
「あーそうだ、晩飯どうする? 肉で良ければそこら辺で適当に取って……」
リンデルに話しかけて、霊剣の叱責から逃れようと試みるが。
「いや……自分の分くらいは持ってますから……ていうか食べ物も無いんですかグリさん!?」
「……面目ないです」
(吾人は知識や経験なら授けられるが、そうしたことだけは自ら学ばねばならんのだぞ主よ……)
追い討ちを掛けるようにため息を付く霊剣には取り合わず、日の沈む細道を進む少年を追いかける。
気温が急速に下がり始める寒空を、二羽のカラスが鳴き声を上げつつ飛んで行くのが見えた。
既に日は沈みかけており、ヴォン・クラウスは一時の飛び交う銃声など無かったかのように、いつもの暗闇と静けさに包まれていた。
夜は各戸で火を炊いているので、何も見えない程ではないが。
それに、今日は晴れて月も出ていた。
雪が解け固まって白く濁った氷になりつつある沢で、ペーネーンは立ち尽くしていた。
雪に混じってわずかに水分に固まって丸い小石の隙間などに残った小麦粉の塊を見つめて、妹がポツリと呟く。
「小麦粉、無くなっちゃったね……」
「……まぁ、あんたがグルクさんと助けてきたロレントっていうおじさんの会社が運んでた物みたいだから……騎士さんたちが一緒に持って行っちゃったのね」
折角集めて隠した小麦粉だったが、あのまま騎士たちに居座られて痛くも無い腹を探られるよりはマシだ。
妹と共に解放される際、彼女はおろか妹にまで狼藉に及ぼうとしたあの重騎士が他の騎士たちから弾劾されている様を横目に見ていたが、それもあって、今のペーネーンは少しばかり気が晴れていた。
啓発教義の神などは信じていなかったが、キリエの話もあわせると、あの重騎士は青年に合計三度も強烈に打ち据えられたようで、今日だけは“神様”の熱烈なファンである彼女に意見を合わせても良かった。
村の住民は、騎士たちが村に隠れていた魔女を撃退したという報告に喜ぶ者が多かった。
村として王国に見捨てられていながら、バカらしい。
彼女たち二人に暴力を振るおうとしたのは彼らの親玉であるあの騎士であり、魔女たちはむしろそれから彼女たちを守ってくれた存在だった。
元から啓発教義はあまり好きではなかったが――そして、実はカロナン重騎士もその点については同じ思想の持ち主だった――、明日からはますます熱心な妹と、信仰に関するケンカが増えるのだろうか。
「せっかく神様がくれたと思ってたのになー……」
「今日はともかく、そんなに上等なもんじゃないわよ神様なんて」
「お姉ちゃん、だめだよそんなこと言ったら」
彼女が啓発教義に対して文句を言うと、決まってこうして、キリエが諌めてくるものだった。
「あんたを助けてくれたのはラヴェルさんでしょ。あんたを助けるために、あの人を十日前からゴミの山に住まわせるように手配してくれてたって言うの?」
「それしかないよ! で、ラヴェじじにそのごほうびに小麦粉を入れたパンを作ってあげるように……あ」
「そのせいで、ロレントさんは会社の車と、頼まれて運んでた小麦粉がいっぱい駄目になっちゃったんでしょ?」
「うん……」
「神様はそんなことしないわ?」
「……うん……」
かの運転手が悪人だったのだ、とまで言い出すのではないかと危惧していたが、妹の心が未だ人間的な優しさで占められていることを確認し、ペーネーンは安堵した。
「じゃ、帰ろ。母さんにもご飯作らないと」
「はーい……」
彼女には珍しく、元気がない。いつもはペーネーンが“神様”に文句を言った程度で軽く口論になるだけに意外だったが、やはりラヴェルが去ってしまったのがショックだったか。
だが、すぐにいつもの活発さを取り戻してくれるだろう。
姉として、彼女の本質が優しく、そして強いものだということを知っている。
姉妹は手を繋いで、短い家路へと就いた。