5.剣の来歴、魔女狩りの歴史
長い時間、相当な距離を走り、何とか騎士たちを巻くことが出来た。
腐葉土の上に固まった雪が残り、時折枝から滑った雪が落ちて音を立てる。漠然と森の中に佇んでいたが、霊剣にもすぐには方策は出ないらしい。
痛みもまだ全身に染み込んだように残っており、これ以上魔法術を使うのは、すぐには避けたかった。
僅かな路銀などを入れた背嚢は、キリエたちの家に置いて来てしまっている。
村との距離もかなり開いており、騎士たちが警戒を続けているであろうその周囲には近づくことさえ難しいかも知れない。
「どうしよう……」
(例の少年と合流したい所であるが、難しかろうな……)
霊剣と共に、暫し途方に暮れる。
最悪、この剣がいれば他に何もなくとも、飢え死にすることだけは無いだろうが。
「なぁ、ミルフィストラッセ……何かいい魔法はないか。
俺はちょっと、もう使いすぎみたいで頭が……」
霊剣に提案すると、彼は少し迷ったような様子を見せてから、告げてきた。
(……実を申せば、御辺の力を使わずに魔法術を使用すると、吾人は代償を要する。
あの時は御辺は魔力を持っていなかった故、緊急手段として吾人の中に眠る戦士たちの記憶を圧縮して、差分を魔力として消費し、発動したのだ)
「え……?」
内容がすんなりと理解出来なかったこともあるが、霊剣の言葉に引っかかるものを覚えて、訊ねる。
「それって……良くないんじゃないのか……?」
(良い筈はない。だが、あそこで待っていてはあと何十年あのままだったか分からぬ。
あの場は何としても、御辺の力を借りて旅を再開せねばならなかった)
「どうしてだ。そこまで大切なのか、旅っていうのは」
(……一人の人間が一生の内に得られる記憶や知識、思い出……それには、人が有限の存在である以上は、限度がある。
それに、 人間がその生涯に持てる価値観と基準の幅にも、限界があるのだ。
しかし、この世界にはヒト一人の知恵や力で対処できない事態など、掃いて捨てるほどにあふれている。その事実が良きことなのか、悪しきことなのかは、ここでは触れぬ。
だが、どうしても単独で限界を超える必要が出てきた時、どうするべきか?
言い換えるならば、ヒトは、魔女は、単独ではどこまで知恵と力を持てるのか?
その問いに対して或る一人の魔女が打ち出した答えが、吾人だ。
吾人は、記憶を蓄積することが出来る永久魔法物質から構成された、云わば書き足しが可能な音盤のようなものだ。
主の記憶を受け継ぎ、主が世を去るか、吾人を手放すかすれば、次の主を探して時間を共有する。
次の主の記憶もまた共有し、蓄積し、受け継いでゆく。
これを幾度も繰り返せば、幾多の戦士が死ぬまでに得た経験、記憶、知識の全てを受け継ぎ続けることが出来る。理論の上ではな。
それを用いて手助けをすれば、健常な魔女ならばまず戦で死ぬことも無いゆえ、益々生き永らえ、受け継ぎうる知識が増える。
吾人を打ち出した魔女は、この繰り返しの果てに、次なる段階があると信じていた。
これは、擬似的に人生を繰り返すことが出来れば一人の人間がどこまで行けるのかという実験とも言い換えうるかも知れぬが……)
腰に下がった霊剣を見下ろしながら、もはや言葉が思い浮かばなかった。
18歳までは辺境の教会で、教士たちの手伝いをしながら普通の啓発教徒として生きてきた彼に、霊剣の持つ背景は巨大すぎるものだった。
分かるのは、霊剣が利己的な目的が多少はあったとはいえ、彼を救うために貴重で大切なものの一部を捨てたということだった。
(吾人を生み出した魔女が思い立った発端は、単に己の無力を嘆いてのことであったのだがな。
そしてその"果て"に至った吾人がどのような存在となるのか、それを知りたいと言う好奇心も、あったのかも知れぬ。
まぁ、当人はとうに世を去り、吾人の中のその記憶は34人分もの内の一人分に過ぎぬゆえ、今では少々考える所もあるが、な……)
「ミルフィストラッセ……」
もはや彼の銘を呼ぶことしか出来ないグリュクの知覚に感があった。その方向に向き直ると、その姿を認めて驚く。
「おーい、グリさーん!」
マントを羽織った黒髪の姿は、出国幇助業者のリンデルだった。だがそれより、グリュクには彼がここに居ること自体が驚きだった。
「グリさん、こんなとこまで来てたんですか……」
「何でここに! ……ていうかグリさんってどういうこと」
「すいません名前が発音しづらくて……何か騎士連中が魔女がどうのと騒ぎ出してたから、こりゃ不味いと思って探し回ってたんですよ……あ、今あの家に残ってるのは多分怪我人のおっちゃんだけの筈です」
「手間掛けたね……ただ、まぁそれは良いんだけどグリさんはちょっと……」
(まぁ良いではないか、グリさん)
「(へし折るぞこの野郎)」
霊剣が再び軽口を飛ばしてきたので、多少安堵しながら胸中で脅迫する。
そういえば、キリエも彼の名前を上手く発音出来ないでいたが、王国東部以東ではかなり聞き慣れない部類に入る名前なのかも知れない。
「さっきは村人に聞き込んだので納得いったけど、今度はどうやって見つけたんだ?」
グリュクが尋ねると、少年は懐から掌程度の大きさの金属の円盤を取り出してきて、それを指した。
「グリさんが魔女だって聞いてたから、逃がし屋で使う魔女の探知機を持って来たんです」
大きな方位磁針のようではあるが、膨らんだ中央のガラスに覆われた部分には、盤の中心を軸に揺れる環状の部品と、何やら変形を繰り返して知恵の輪を思わせる部品が動いているのが見えた。
グリュクには読み方は分からなかったが、この二つの状態の組み合わせから対象の位置を特定するのだろう。最初に会った時も、聞き込みと併用したのかも知れない。
「他に二人も魔女がいるなんて、想定外でしたけどね……お陰でちょっと手間取りまして」
(こやつ、御辺の背嚢は持っておらぬのか?)
「あ、もしかして俺の背嚢は……」
「あれって騎士団で使ってる奴と同じでしょ? 下手すると探られるかも知れないし、僕が持って歩く訳にも行かなくて……村中騎士だらけ、村の外も騎士だらけで、この探査盤だけでも見つからないように持ち出すのはかなり大変だったんですよ……ご勘弁です」
郡庁の役人がくれた偽造出国許可証こそ肌身離さず持っていたが、背嚢の中にはマントや懐中電灯など、失くしては不便な私物も入っている。
少ないとはいえ王国通貨も入っているので、あれを置き去りにしたままという事態は避けたかった。
(そういえば主よ、あの老爺は無事にキリエを連れ帰せたのか?
二人ともが魔女である以上、老爺が騎士たちを皆殺しにでもしない限り、達成は難しくはあるまいか)
「あぁ……どうしよう……」
「え、そんなに大事なものが入ってました? すいません」
霊剣の指摘に再び懸念が浮上し、魔法術の使い過ぎとは異なる由来の頭痛が押し寄せてきた。
王国では、魔女狩りの科学的手法が確立されて久しい。
魔女狩りの起源は王国中世における啓蒙者たちからの要請によって人間たちが主体となり、妖族と交わった人間の子孫=魔女を絶滅させようとする動きであった。
だが中世末期以降、実際には魔女でない者をそうと仕立て上げて民衆を扇動することで謀殺し、その財産を奪うなどするという事例が目立ち始めた。
危機感を感じた啓蒙者たちがこれを大きく是正することで、科学的な裏付けなくして魔女を告発することは出来なくなった。
その歴史的経緯の中で発達してきたのが、血液サンプルを用いた魔女因子保有者の判別手法、そして、"魔法由来残留物質"の分析技術だった。
魔法物質とは、魔女が魔法術を用いる際に発生させることのある物質を指す。
これは仮想質量と呼ばれる、質量に準じた振る舞いを見せる性質こそ持ってはいるが、安定性が通常の物質と比べると低く、何らかの手法で維持されない限りは短時間で崩壊、消滅することが古くから知られている。
しかし近年、予言されていた周期表を埋める元素の発見が相次ぎ、それと関連して、魔法物質は崩壊時に極微量ではあるが通常の物質を跡に残すことが判明した。
これらの“魔法由来残留物質”は水素、遊素といった原子量の小さい元素が多いが、これらの元素を検出、比率を分析することで、魔法術の使用の有無や更に詳しい情報を、ある程度の精度を以って判定することが出来るようになったのだ。
アーストス大隊の技術員たちが検出・分析したのも、そうした"魔法の残り香"の一例だった。
「遊素多数、間違い無いそうです」
「この季節の東部であんな竜巻を起こすのは、啓蒙者か妖族でもなけりゃ、奴らくらいだろうしな」
「…………」
カロナンは、彼の副官と共にテントの表で分析報告を受けていた。彼も下手に言い繕うことこそしなかったが、彼が衛生従士に鼻の骨折の治療を受けたことを知った者は各々が皆、どのような天罰がその身に降りかかったのかを概ね事実に近い形で想像していた。
重騎士は鼻を鳴らせず少々歯がゆい思いを煩っている所に、更に報告が舞い込んだ。
「行方不明だったトラックを沢で発見しました、運転手は微量の血液以外影も形もありませんでしたが、形式・登番共に届出と一致するそうです。
積荷の小麦粉が近くに隠すように積み上がっているのもほぼ同時に見つかりまして、トラックからは製造過程に由来しない焦素や焼銀石などが微量。
ただ小麦粉の方は特に何も出ず、袋に付着した指紋を照会中です。村民から採取する必要がありますが、少々時間がかかるかと」
「ふむ……」
カロナンにとって、警察の真似事までしなければならないのは愉快なことではないが、彼はどちらかというと、彼の楽しみを邪魔して顔面に膝蹴りまで入れた、あの赤い髪の男のことを考えていた。
あまり注意深く観察していた訳ではないが、帯剣した長身の青年。左に立っている副官が、仕事では間違いなく有能であるカロナンの歪めた表情からその内心を察して苦々しい思いでいることを、彼は知らないが。
トラックからの残留物質の検出は、事故を魔女の仕業と考えるべきだということだろう。
だが、一方でそれらが小麦粉から検出されないということは、トラックは何らかの原因で積荷の小麦粉を失ってから攻撃を受けたことになる。そもそも小麦粉などを狙う動機は?
村民に魔女が混じっている可能性と、魔女が外部の者である可能性。そして、運転手が僅かな血痕を残して姿を消していることも総合すると、やはり村民を洗うのが堅実だろう。
カロナンの指示を伝える副官の言葉で、非公式村落ヴォン・クラウスとその周辺に展開していた騎士たちが、魔女を探し出すべく動き出した。
先ほどから続く酷い匂いに、顔を顰め続けている。
「ミルフィストラッセ、臭いを軽減する術とかないか」
(あっても教えぬ。この光輝同様、長時間制御しつづけねばならぬ術は御辺にはまだ早い)
「お前はいいよな鼻とかないから……」
(御辺と感覚は共有しておるゆえ、臭気もばっちり分かるから安心せよ! その上で言っている)
「……そうかい」
霊剣の反駁に適当に相槌を打つと、通路を右に曲がる。
幸い、村の東まで流れ込んでいた川に架かっていた鉄橋の下に下水道への入り口があり、グリュクたちは入り口の鉄柵を壊してそこに進入出来た。
リンデルには頼み込んで、単独で地上から村へと戻ってもらうことにしたが、少々恨まれたかも知れない。
彼も部外者なので、あまり不審な動きをさせてしまっては巻き込まれる可能性もあった。
ヴォン・クラウスの生活排水が流れ込んでいるため、慣れていないグリュクにとって悪臭は想像を絶したが、それでも霊剣が正確な距離と方角を記憶してくれていたお陰で、村の南に当たる位置まで迫ることが出来た。
照明は霊剣が魔法術で弱く光る魔法物質の塊を生み出して維持しており、光量を小さく抑えているのはもし万一下水道にまで展開している騎士などがいた場合、発見される危険を減らすためだ。魔女の知覚では熱や微弱な電流といった生物的な起伏に乏しい下水道内の地形を把握することは難しいので、この場合は頼れなかった。
もはや鼻が麻痺してきた気がするが、それでも出来るだけ口腔での呼吸を意識しつつ、ミルフィストラッセに問いかける。
「どうにかしてキリエちゃんの安否は確認できないか」
(土砂岩盤の遮蔽力を甘く見るな、ここからでは無理なり。彼女一人だけで良ければ、あの老爺と共にある限り心配はなかろうが……もし騎士団の機材が十分に整っておれば、朝に沢で下ろした事故車に残った魔法術の痕跡から、魔女捜索の手を強めたやも知れぬ)
「……善意が裏目に出るって空しいな……」
(人生とはそうしたものだ)
霊剣の言い回しに口を尖らせつつ、グリュクは静かに下水道内に設置された保守点検用の歩道を歩きつづけた。
グリュクも霊剣も与り知らぬことではあったが、騎士たちは下水道内の捜索は「魔女が地の利を踏まえていて苦戦を強いられる恐れがある」として、地上の捜索を優先しており、彼らが下水道内で発見される恐れは、今の所はまだ小さかった。