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霊剣歴程  作者: kadochika
第03話:道化師、揺蕩う
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4.老人ラヴェル











(主よ)

「ん? あ、起きた」


 霊剣の声で横たわっていた男が目を開けるのに気づき、グリュクは小さく喝采した。

 彼は後ろに手を突いてゆっくりと起き上がると、辺りを見回しつつ質問してきた。


「ここは……俺は……誰が助けてくれたんだ」


 低温による体調の異常も、記憶の欠落などもないようだ。

 グリュクは努めて落ち着いた声音で彼に実情を告げた。


「沢の近くに落ちていたトラックから救助しました。ここはそこからすぐ近くのヴォン・クラウスっていう村です」

「……そうか、あー……俺はロレント・コールイス、騎士団領の者なんだけど……家族に連絡したいんだが電話とかないかい?」

「……電話は多分ないと思います」

「あぁ……まぁ、最悪街道を歩けばいいか……」


 ロレントと名乗った男は少々肩を落としたようだが、騎士団領ならば緩衝諸国の一つだ。出国幇助業者と合流できれば、彼を途中まで送っていくことも吝かではない。

 キリエが案内してくれた彼女の家にはその姉と臥せっている母がおり、グリュクは肩身の狭い思いをしつつ、トラックから救助した運転手を連れ込んだのだった。

 老朽化が進んではいるが家には二階もあり、そこで臥せっている姉妹の母には既に了解を取っていた。窃盗か何かだと疑われていなければ良いが。

 遠くの騎士団に勤めているという彼女たちの兄のベッドを使わせてもらい、鍋まで借りて煮沸消毒してから冷ました井戸水を飲ませ、ついでにキリエたちがラヴェルという老人に渡すのだといって作っていたパンを少々分けてもらい、水に溶かして食べさせた。

 幸いその程度の物は飲み込んでくれたので、あとは体調が回復すれば、最悪歩いて最寄の都市まで行くこともできるだろうと見通しをつけた矢先の出来事だった。


「ただいま……あ、起きたんだ」

「あ、お帰りなさい」


 それとほぼ同時に、キリエの姉のペーネーンが帰ってきた。


「あ、家の方? すみませんお邪魔してます」

「……あんまりお持て成し出来ませんけど」


 ロレントが声を掛けるが、彼女の返事にはやや棘があった。

 魔女でない人間に対して濫りに魔女の知覚で感情を読まないように気をつけていたが、そうするまでも無く、明らかに不機嫌な様子だ。

 グリュクと彼が連れ込んだ男をあまり歓迎していない様子だったが、それだけではなさそうだ。

 そう言えば、出る時は一緒だった筈のキリエがいない。


「あれ、妹さんは?」

「何かの事件の調査らしいんだけど、軍隊が来て……あーもう、何から話せばいいのか」


 苛立ちつつも話してくれたペーネーンの説明によれば、キリエは最近ある老人と親しくしており、彼が住処にしていた村の南のゴミ山が騎士団の用地確保のために撤去されそうだったので、彼が留守の間だけ番をするのだといって残ったらしい。


「ったくもー、会って10日かそこらだってのに入れ込みすぎなのよあの子は……母さんにも心配掛けるのが分かんないのかな」


 掌底を額に当てながら愚痴を呟く少女を見て、ロレントが居心地悪そうに再び毛布を被る姿に同情していると、玄関の戸を叩く音がした。

 ペーネーンはため息を付きつつ、玄関へと早足で戻って勢い良く戸を開いた。


「キリエ! もうあんたはいっつも――」


 ペーネーンの声がそこで途切れる。扉の外にいたのはキリエではなく、見覚えのない姿だった。

 彼女に近い年の頃だろうか、少年だ。

 彼女より背は高く、黒髪、黒目の鋭い印象を与える造作が、頭から被った粗末なマントの下から覗いた。


「失礼、悪いけど人違いだよ」

「!? ……あ、ど、どなた!?」

「赤い髪のあなた……グリュク・カダンさん?」


 粗末なのはマントだけだったようで、フードを下ろした彼がその切れ間から手を伸ばしてグリュクを示すと、厚手の革の上着にスラックス、登山用らしき頑丈そうな靴という、この村に於いては少々場違いな小ざっぱりした服装が現れた。手荷物は、紐で口を括るだけの簡素だが頑丈そうな荷袋を下げている。


「……君は?」

「リンデルって呼んでください。ソーヴルのゾニミアさんからのご依頼、って言えば分かりますよね」

「あぁ……!」


 グリュクは合点が行くと、玄関に寄りかかったままの少年に歩み寄った。


「良くここにいるのが分かったなぁ……俺はどんな人が来るか知らないから、どう連絡を取ったらいいのか、ちょっと困ってた」

(そこが御辺の汚点その2だ)

「ま、そこは仮にもプロですんで……あなたの場合は村の人に“剣を帯びた赤い髪のノッポ”の居場所を聞けば、すぐでしたけど」

「……もう少し目立たないようにすべきかな」

(そうするべきであるな。具体的には吾人の指導する低身長化プログラムを推奨する)

「(黙れ)」


 グリュクは、彼の王国脱出を補助しに来た筈のこの少年も魔女ではないのかと思っていたが、霊剣の声は聞こえていないようなので、そう装っているのでなければ、彼は魔女でないと考えて良いだろう。

 霊剣によれば、魔女の国にも魔女でない者はいるらしい。考えてみれば、そうでなくてはこうしてここまでやって来ることもままなるまいが。


「ホントは今日は止めとこうかと思ったんですけどねー。何故か騎士団がこんなとこまで来てるし、ゴミの山を巡って初等生くらいの女の子と押し問答してるし……」

「! それって、赤毛の、二つ結びの!?」

「え、あ、そうだったかな……?」

「何やってるのよあの子は……!!」


 騎士団が来ているという情報にグリュクが反応するより早く、ペーネーンが彼の言葉に強い関心を示すと、リンデルはそう答えて玄関から位置をずらした。そこを、ペーネーンが走り抜けてゆく。


(主よ、何やら予感めいたものを覚える。吾らもキリエを探すぞ)

「ああ、じゃあリンデル、悪いけど、ちょっとここで待っててくれるか? すぐ戻る」

「え、ちょっと!?」


 返事を待たず、グリュクも玄関を飛び出した。ペーネーンは村の南のゴミ山と言っていたか、もしもキリエが魔女であることが発覚すれば、騎士団が彼女をどう扱うか分からない。


「……あー、今出てった彼女のお父さんで?」

「いや、俺は昨日車で崖から落ちた所を今の赤髪の彼に助けられた騎士団領民なんで……完全に赤の他人」

「ややっこしい事になってんなぁ……」

「んなこと俺に言われても困る……」


 姉妹の家に残された他人同士の男と少年が困惑したままどうすることも出来ず、その状況を受動的に保っていた。











 キリエは困惑していた。老ラヴェルの住処を守るために騎士たちに談判をかけたのはいいが、先ほどやってきた位の高そうな騎士は、先ほどから彼女にその話をさせてくれなかった。話せないまま、彼に連れられて村の東の外れを通り過ぎ、森に入ってしまっている。


「騎士さま、あの、お爺さんの家なんですけど……」

「うん、大丈夫だよ、とりあえず、ここら辺でいいかな?」


 そういえば、この騎士の名前も聞いていない。以前紙芝居で見た騎士の物語では、高位の騎士は万が一にも恥ずべき行いを取らぬよう、初対面の相手には真っ先に名乗ろうとすると言っていた。

 いや、きっとただ忙しくて忘れているだけで、もうすぐ慌てて名前を教えてくれるに違いない。キリエは既に名乗っているのだから。

 ただ、何やら彼はキリエの両肩に後ろから手を掛け、体に触れてきた。襟をはだかれ、呼気を直に肌で感じ、その時始めて何かがおかしいことが分かる。

 騎士は彼女の襟首の前側に指を挟みこむと、着衣を一気に破り去り、そして突然彼女から手を離し、叫び声を上げてのた打ち回った。


(霊剣と霊剣の主の参上なり!!)

「キリエちゃん、無事か!」


 突然変転する状況が飲み込めなかったが、耳にした二つの声には聞き覚えがあった。


「……グルクさん?」


 キリエは、すぐそこに呼吸を荒らげて立っている彼を認識すると、その名を呼んだ。











 着地し、少女の無事を確認する。

 泥の上でのた打ち回っていた騎士は、顔面にグリュクの飛び膝蹴りの直撃を受けて打った鼻から血を滴らせ、よく聞き取れない罵声を並べながら走り去って行った。

 息を切らしかけつつも、惨事を未然に防いだという安堵と高揚、そして少女の窮地を発見してからの全力疾走で上昇した代謝で心臓が高鳴っている。


「はー…………間に合ってよかった……」

(危うい所であった、御辺を見直したぞ)

「そりゃどうも……」


 霊剣は素直に褒めているらしいが、それを喜ぶ気にはなれなかった。

 見ると、キリエは引き裂かれた衣服を寄せ集めるようにしながら彼の方に近寄ってくる。


「グルクさん……確かに騎士さまに服破かれちゃったけど、顔をけるのはひどいよ……すごく痛がってたじゃない。キリエも一緒に行くから、謝りにいこうよ? 偉い騎士さまだから、きっと許してくれるよ」

「……いや……違うんだ、キリエちゃん。これは……そうじゃなくて」


 この年頃の少女に逃げ去った騎士の醜行について説明することなど出来ず、グリュクは取り敢えず、上着を脱いで彼女に着せることでその場を凌ごうと考えた。

 だが。


「何が違うのかねぇ……?」


 言葉と共に、殺気が森に轟く。


(主よ、身を守れ!)


 その指示とどちらが早かったか、グリュクが鞘から抜き放った霊剣の刃が、死角から飛来した脅威を弾いた。


「ッ!!?」


 その脅威は黒い。先日目撃した“黒体”に通じる黒さだ。

 動きは速く、かろうじて視界の端に、黒く蠢くその像を捉えることが出来ただけだ。村の東の森の一角、グリュクの周囲には、怒気と魔力と殺気が充満していた。以前ミルフィストラッセが言っていた、魔女の知覚を欺く然るべき手段、その一つというものだろうか。

 黒い力は立て続けに襲い掛かってきた。捉え所が無いようでいて、明確な強度と意志を内包した力だ。

 黒い、水の流れに墨壷を落とした様に揺らめく、細長い流れ。

 それはふと、蝶か何かを思わせるように空中に揺らめいてから、突然目に止まらぬほどに勢いを増して襲い掛かり、弾かれるとまた大気に回遊し始めるということを繰り返していた。


「切り裂け!」


 呪文と共に魔法術を発動し、今度は全ての黒流を術の威力を込めた霊剣の刃で弾き、あるいは体を捻って回避する。

 霊剣の刃を伝わってくる強烈な衝撃を堪えつつ、脅威の出所を何とか探ろうと、辺りを見回し、耳を澄ませた。


「ほーぅ、“髭”を凌ぐかい」


 黒い威力が襲来する前にもちらと聞こえた、間延びした老人の声が聞こえた。声音で判断する限りはそこには何の感情も乗っていないが、それは森に反響する殺意を否定するものではなかった。


(所在が掴めぬ……主よ、今暫し耐えよ、何とか吾人が奴を捉えてみせる!)

「なら“指”でどうじゃ」


 再び声が聞こえると、今度は黒い大きな塊が行く手の正面から高速で突撃してきた。回避が間に合わずに霊剣の刃で受止めるが、一際大きな衝撃を受けて、グリュクは踏みとどまれずに大きく後ろに弾き飛ばされた。

 その先に待ち構えていたように出現したもう一つの黒い塊に、飛ばされた勢いを利用して遠心力まで乗せた渾身の一撃を叩きつける。

 だが、威力に反して攻撃に対する耐久力は無いのか、黒い塊は霊剣の刃を受けるとあっさりと両断され、そして幾つもの黒い奔流に分かれて飛び散ると全てがグリュクを目掛けて殺到した。


「護り――!!」


 漆黒よりも黒い破壊の束が、獲物に喰らいつく肉食魚の群れのように突き刺さる。そしてそれも束の間、強く煌いて轟音と共に爆散した。

 剣士とその携えた霊剣が、光の爆炎の中から無事な姿を現す。


(反応障壁か……善くぞ!)


 グリュクの精神に、霊剣の驚きが伝わる。自分の発想によって手を加えた術だったが、間に合って上手く発動までしてくれたようだ。障壁を生成する術の構成を変更し、外層部分を強い衝撃で爆散するようにして発動したものだ。

 霊剣の刃の強化に続けての魔法術の使用で体の所々に現れ始めた痛みを意識しつつ、相棒に催促する。


「ミルフィストラッセ、まだ見つからないのか!」

(今捉えた所だ!! 唱えよ!)

「巻き起これッ!!」


 今度は霊剣ミルフィストラッセが術を念じ、グリュクの呪文でそれが発動した。

 頭痛に小さく呻きながら周囲を見渡すと、風が荒れ狂い、二人の周囲を旋回して壁を作り始めた。

 渦巻く風が砂塵を巻き上げ、目に見える暴威となって周囲の大気をかき乱していく。

 少しすると耳鳴りが始まり、体が周囲の気圧の低下を知らせて来た。


「……これって……俺たちは竜巻の中にいるのか?」

(うむ。大気の流れを操作する術の、一つの派生形なり。だが単なる竜巻ではないぞ)


 グリュクにも、この竜巻がただの空気の渦ではなく、電気や光のようなものを伴ったエネルギーの風であることが分かった。

 それに付随して気づいたが、先ほどから付近を覆っていた坩堝の中身のような煮え立つ殺意の渦が消え去り、魔女の知覚が比較的尋常に機能するようになっている。


(不覚にも、吾らは術中に嵌って居った。知覚を妨げ、己の術の効果を増幅させる一種の魔法術結界に閉じ込められていたのだ)


 霊剣はそう語ると竜巻を解除し、グリュクの視界も少しずつ晴れていった。

 新たに軽く風を起こして巻き上がった土煙を排除すると、そこには一人の老人が佇んでいた。

 長く伸ばした白髪と白髭、顎下まで延びた黒い眉と右目の眼帯が特徴的だった。

 服は薄汚れているが、左手に握った杖と同様、元は高級品であるように見える。

 そして更によく見ると、右腕が無い。

 そんな老人であるにも拘らず、恐るべき殺意が全身から放射されていた。

 グリュクと霊剣は、先ほどの超絶的な殺気と圧倒的な魔法術による連携攻撃を行ったのが、目の前のこの老爺であることを確信していた。


(主よ、恐らくこの老人、卓越した魔女である。御辺が初めて刃を交える魔女がこれほどの使い手になろうとは、予想しておらなんだ)

「なかなかどうして、やるもんじゃ。何でお前さんのような使い手がキリエを襲おうとするのか分からんねぇ」


 霊剣がそこまでの術者と評価したその老人が悠々と述べると、その後ろからキリエが姿を現した。

 老人の術に翻弄されて気に掛ける余裕を失っていたが、どうやらずっとそこにいたらしい。

 そのキリエが、その右袖を引いて老人に告げるのが聞こえた。


「ラヴェじじ……グルクさんはキリエに何もしてないよ?」

「何……じゃと……」


 その殺意と共に言葉を失い、急激に老人が凍り付く。

 キリエを含めれば、王国のこの地に、戦時でもなく密命を帯びてでもなく、在ってはならない筈の魔女が三人も、ほぼ偶然の下に邂逅を果たしたことになるのだが。


「いたぞ!!」


 不意に聞こえた大声に振り向くと、一団の人々が殺到しつつあるのが目に入る。

 もはや何の障害も無くなったので魔女の知覚も動員すると、多くの敵意と焦燥が感じ取れ、いくつかは森を迂回してグリュクや老人を挟み込むように移動していた。

 村にやってきていた騎士団だろうか、先ほど顔面を蹴り飛ばして撃退した男が呼んだものか。

 もっとも、危難を退けるためとはいえ小規模ながら竜巻すら生成したのでは、軍隊ならばその不自然さに魔女の存在を感じ取っても不思議は無いだろうが。

 老人はキリエを左腕だけで器用に抱え上げると、グリュクに向かって告げてきた。


「グルクというたな、キリエはわしに任せて、逃げるがええ」

(主よ、ここは好意に甘える他あるまい)

「さっきまで殺意全開でこっちを嬲ってた爺さんの好意に!?」


 霊剣の言葉に納得の行かない点を叫びながらも、グリュクは魔法術で突風を起こして迫り来る騎士の一団の足を止めると、霊剣と共に森の奥へと走った。











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