20.終演
亡骸と残骸に溢れた死の荒野には、やるせない沈黙が漂っていた。
だが、もはや、戦いはない。
リーンはそれを一通り見回して、小さく鼻を鳴らした。
鎧は損傷が大きかったため、既に異空間に召還している。
脱いでみれば、肌も髪も、始原者の尖兵との戦いで無茶をしたせいか、少しばかり傷んでいた。
何やらひどく意欲を削がれたような気がして、彼女は元の姿に戻った従者に告げた。
「アーノルド、帰るぞ」
「はい、お嬢様」
彼女より頭二つほども背の高い――煙突のような帽子をかぶっているので、実際には三つ分だ――アーノルドは、何も言わず、それに従う。
そんな彼に二心など無いのはわかっているが、それでも、リーンは補足して言った。
「言っとくが、俺は何も諦めちゃいねえからな。ただ少しばかり、腹が減った」
「食料を持ったまま死んだ者がいるやも知れません。失敬しますか」
「俺の趣味じゃねえ。それよりさっさと秘密基地に戻るぞ。
お前が昨日作ったパイの残りがあっただろ」
リーンが、てくてくと歩き出す。
アーノルドもそれに速度を合わせつつ、また提案する。
「では、急いで帰って、温め直すとしましょう」
「バカ、ありゃ冷めた方が美味いんだよ」
従者は主に命じられ、大きな青い鳥に変形した。
彼女を乗せて戦場跡を飛び立ち、朝日の昇る方角へと羽ばたく。
事態は巨大ながら、全容としては比較的単純な構図を見て取ることが出来る。
有史以前に誕生した、宇宙最初の文明。
それによる、他の文明への関与・介入の方針を巡っての内部対立。
積極的に文明を育てようとする播種派と、それを認めず一定以上の規模に育った文明を破壊し、それに達する前の文明はそのままに抑制しようとする抑制派。
播種派の遣わした宇宙機械の一群(これを関係者の証言に従い、以後、エメトと呼称する)が、少なくとも狂王ゾディアックの生誕から長くない頃にこの世界に到着し、大陸の一部地域、及び地上の支配的種族であった人類の一部に改造を施した。
これが後の妖魔領域であり、狂王ゾディアックとその率いる妖族たちとなった。
そして、およそ1400年前、世暦の開始直前。
今度はエメトを追って、抑制派の遣わした宇宙機械の一群(やはりこれを関係者の証言に従い、以後、メトと呼称する)がこの世界に到着した。
エメトはこのメトとの戦闘に陥り、相討ちとなった。
前者は中枢部分を喪失して大陸東部の海に落下し、地殻変動によって高度を上げ、ドリハルト群島となった。なお現在、本島であったドリハルト島は沈没している。
一方後者は中枢以外を大きく喪失、現在では啓蒙者大陸と呼ばれている陸地に墜落し、余力を用いてその地域に住んでいた妖族たちをやはり改造し、奉仕種族を創りだした。これが現在の啓蒙者である。
そして、メトは徐々に準備を進め、船体を再生した。
最終的に世暦1440年9月26日、ベルゲ連邦第一標準時間11時55分に、戦線中部、ケザイム共和国-オステン大公国間の国境上に着陸を果たした。
各国の測量機関によると、その標高はおよそ300キロメートル、質量は推定不能(※後に2兆8千億トンという証言を得るが、始原者が消滅する前に組織立った計測が行われなかったため実際の所は不明である)。
直後に、メトによると思われる、およそ2分間に渡る宣告が、確認できる限りは全世界の言語話者の意識に対して直接行われた。
詳細は省くが、趣旨としては「現時刻から72時間後、地上を滅ぼす」となる。
既にその前日、啓発教義連合と大陸安全保障同盟は勢力間の境界上で開戦しており、様々な情報が錯綜した。
両勢力は情報を収集・整理し、最終的には啓蒙者や妖族といった同盟種族の力も借りて、この敵を破壊した。
9月26日の着陸に伴う大規模な熱線の照射、衝撃波による死傷者、行方不明者の合計は、現在判明しているだけで57万人に迫る。
更に9月29日の戦闘集結までに、メトから出現した各種の不明生物、不明兵器によって生じた両軍の死傷者数は、現時点で13,090人と報告されている。
この数字は遺体捜索や身元確認が完了していないため、現在も増加中である。
――ベルゲ連邦大統領府・戦時特別委員会および特別災害対策委員会、“始原者事変”に関する第二次報告より抜粋。
恐らくは、という但し書きがつくものの、大陸が平穏を取り戻してから10日が過ぎた。
始原者に蹂躙された大陸中部、特に降着体が位置していたオステン大公国北部、及びケザイム共和国南東部とその周辺地域、諸国が国土に負った人命と財産の喪失は莫大なものだった。
ただ、損失もさることながら、残されたものもまた極めて大である。
直径100キロメートル、中心部の深さは15キロメートルにも及ぶ巨大なクレーターと、その周辺に堆積した戦死者の遺体や始原者の尖兵の残骸などだ。
知られている中で最も深い海溝よりも深く穿たれたその穴を、字句通りどのように埋めるか。
始原者が土壌や地殻の構成物質を吸収しながら、自重による作用も合わせて掘削していたらしく、本来ならば露出すると考えられていた、高圧と高温で融解した半溶岩状の物質などが吹き出す様子もなかった。
比率が1.5:10の比較的なだらかな穴ではあるので、浸水の危険はあれど整備してそのまま使うという意見が早くも登場してはいたが、時折水脈が間欠泉のように吹き出す、脆弱な部分が崩落するなどの事故も報告されており、地質調査が進展するまではあまり安易に進出することは出来ない様子でもあった。
また、下敷きになった都市やその住民はおろか、電線や道路に水道といった公共設備、一部は残存を期待された地下構造なども、始原者降着時の破壊的な熱で分解され、更にはその船体を維持する資源として吸収されてしまったと考えられ、探索は比較的早期に打ち切られた。
現在、軍民共同で周辺各国が戦死者の遺体の回収や身元照合、そして“メト資源”と呼ばれ始めた、始原者やその戦力に由来する物質の試料分析などを進めている。
――聖堂騎士団・記録総事業部、1440年度の特別中間報告より抜粋。
“始原者事変”の終結から10日目のこと。
天船トリノアイヴェクスの内部に設置された、仮設の身体検査会場。
医療用の測定機器や、その電源となる発電機、診察台や仕切り幕などがところ狭しと並ぶ中、最後の日程が終わろうとしていた。
「検査の全行程、終了しました。お疲れ様です。
ご協力ありがとうございました、グリュク・カダンさん」
頭を下げる医師たちに、グリュクも軽く会釈をする。
「え、えぇ……こちらこそ……」
彼はメトとの戦闘が集結したのちに天船トリノアイヴェクスに回収され、カトラ・エルルゥクたちによる身体検査を受けていた。
本来は彼女の好意で半日程度の生理検査に留まるはずだったのだが、そこに、事変の最中の月などへの独自行動を理由にして、ベルゲ連邦が横槍を入れた。
軍医学部や研究機関からなる急造の調査団を結成し、始原者を完全破壊するに至った、いわば超生物か超兵器となったであろうグリュクの身体構造などを、研究したいと要求されたのだ。
まだ天船には狂王の子女たちが滞在していたため、セオやタルタスの口先で、一先ずは天船トリノアイヴェクスの船内の限られた区域を会場とする、という条件で折り合いがつき、グリュク・カダンの身体検査が行われた。
今も彼は、戦闘終結直後と同じ姿をしていた。
通常の人体とはやや異なる質感の、衣服と一体化してしまったらしい硬質の表皮と、同様の物質で出来ているらしい毛髪、色合いの違う頭部左側と右腕といった具合だ。
誰が見ても、人間や魔女、妖族に啓蒙者といった種族のいずれでもないことは明白だった。
七日間、193項目に渡る検査の日程を終え、グリュクはカトラに尋ねた。
「本当にもう全部終わりですよね」
「終わりよ。あなたの努力の甲斐あって、大学や研究機関は一先ず満足したみたい。
ま、研究者の中でもまともな人倫を見失わなかった部類の人達ね」
カトラ以外にも、ベルゲ連邦が派遣してきた医療関係者、少人数ではあるがトラティンシカやレヴリスなどが監視係として参加させた医師などがいた。
彼らはグリュクの方にそれとなく意識は向けつつ、たった一人の被験者しかいない身体検査の結果をまとめ、撤収に入ろうとしていた。
「あとはもっとタチの悪い、あなたの体の一部を試料に欲しがってる人たちだけど……単純に謝礼を持参して要求される程度で済めばいい方よ。最悪の場合はしばらく抜け毛や垢が付着してないかと家庭用のゴミを漁られる危険があるから、気をつけないと」
「……そもそも何か、髪が抜けるとかそういうのが無くなっちゃったっぽいんですけど」
グリュクは、側頭部を指で軽く掻きながら言う。
戦闘中、既に自覚していたことではあったが、彼の体はメトがサルドル・ネイピアの身体を模して作っていた戦闘用の体に近い、巨大な質量を持つ物質で構成されていた。
毛髪の一筋に至るまで、以前のグリュク・カダンの形は再現されてはいる。
だが、これに普通の密度の物体が触れても、睫毛の一本さえ動かすことが出来ないという有様だった。
自分で髪に触れる分には違和感などが全くないだけに、これは彼にとってもいささか不思議だった。
同時に、彼の体からは一切の老廃物が排出されなくなった。
フケや垢といった体表の落屑や排泄物のみならず、汗や涙のような体液すら出なくなったのだ。生物のような生理現象が、ほぼ消失したと言っていい。
その硬度と重量により、体のごく一部を削り出すといった破壊を伴う検査は一切出来ず、仕方なく放射線などによる完全な非破壊検査に切り替えられた。
体重計では多国間特務戦隊参加時に図ったものとほぼ同じ重量を示し、寝そべった検査台が破壊されることもない。
にも関わらず、もっと厳密な検査においては、ベルゲ連邦の機器では彼の質量をまともに計測することが出来なかった。
カトラによれば、彼の体の質量はおおまかな概算で、長さ5センチメートルの毛髪一本で少なくとも20トン以上になる。
その信じがたい膨大な質量が引き起こす様々な影響を、無意識の内に魔法術で軽減しているのではないかというのだ。
何とか髪の一筋を切り取ったとしても、直後にその切片の縮退状態が解けて、爆発に近い急激な膨張を起こす可能性さえ考えられると、彼女は推定していた。
「自分の信じたいことしか信じない人っていうのはいるものよ。
妻帯者なんだから、そのうち家族が狙われる危険だってある。レヴリス社長なら、庇ってくれるとは思うけど」
「……そのことなんですけどね、カトラさん」
グリュクは、啓蒙者の女にそう切り出して相談を始めた。
ベルゲ連邦最大の空港である、ディラスター国際空港。
国民の大半が魔女であるこの国においても、大型貨物輸送や純粋人の多い同盟国の旅客飛行機を受け入れ、また物流の要衝となるためにもこうした設備は必須とされた。
また、純粋に魔法術を用いての飛行が難しくなった年齢の世代にとっても、旅客用大型飛行機は自らのそれに代わる、空の脚としての需要があった。
ディラスターはそうした空の港ではあったが、今日に限っては、ひどく騒然としていた。
天船が着陸したのである。
もっとも、天船といっても、トリノアイヴェクスでも、その合体元である2隻のいずれでもない。
今回初めて目撃された、いわば新型か、新種とても呼ぶべき一隻だった。
既に飛んできた報道関係者の魔女たちが、道路や発着便の運行に支障のない高度で陣取りを始めている。
ただし、その写真に収められた形状は、どうも、船らしからぬものにも見えた。
空軍から要請を受けて急行したミドウ・ユカリ少佐と相棒のシロミ・ユーレン・トウドウも、その騒ぎをやや遠くから見ていた。
「何か寝かせた剣みたいですねぇ、ユカリさん」
「始原者騒ぎが終わったと思ったらこれだよ……もうテキトーに撮って帰りてえ……」
「事変で良いとこなかったからって最近だらけすぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!?」
シロミの本体である懐の護符をみりみりと握りしめながら、ユカリは通信機の波長を管制塔の交信にあわせて盗聴を続けた。
『こちらはディラスター空港管制塔。森の上空に停泊中の飛行体、応答求む。
その場所は私有地の上空である。貴船の行動は、連邦民法に定められた所有権、上空権に抵触する行動である。
繰り返す――』
管制塔が無線で呼びかけると、飛行体は明瞭な言葉で応答した。
『こちら天船テトラストール号。無国籍。
すみませんが管制塔、もう少しだけ待ってもらえますか。お別れを言いたい相手が、もうすぐ来るので』
『テトラストール号、詳細の説明を求む。現在当港は発着便の運行に支障をきたしている』
「……この声!?」
無線越しではあるが、聞いた覚えのある声だった。
共に戦ったのであれば、なおさら忘れるわけがない。
やや興奮を覚え、そのまま沈黙した天船と、諦めずに話しかける管制塔との会話にならない会話を盗み聞きしていると、シロミが言う。
「ユカリさん、あれ! 例の天船ですよね」
彼女の指差す方角を見れば、やはり巨大な影が飛来するところだった。
滑らかな乳白色の装甲の隙間から、鋼鉄の色の内部を覗かせる、天船トリノアイヴェクス。
前後長は1200メートルほどもあるという。
「マジだ……お別れって言ってたな、あいつ」
対して、空港の南東の森の低空に停泊していたテトラストール号とやらは、かなり小さかった。
目測だが、およそ500メートルあれば良い方か。
そうして見ていると、声を荒らげる管制塔を無視して、トリノアイヴェクスは速度を落とし、空中でゆっくりとテトラストールに接舷する。
あのような巨体を空中に静止させるのに、どれほどとてつもない技術が使われていることか。
しかもよく目を凝らせば、テトラストールの船体上部、剣で言えば腹の中ほどに人影が見えた。
ユカリは反射的に箒を走らせ、急発進にわめくシロミを引き連れたまま、その接舷箇所に強行接近した。
特に迎撃を受けることもなく、彼女は“彼”と対面した。
容貌は随分変わり、どこかあの魔人を思わせる姿になり果てていたが、それでも面影の印象は同じだった。
彼は彼女の姿を見ると、残念ながら以前とは似ても似つかない色になってしまった、銀と金の色の目を細めて微笑む。
「あれ、ミドウ・ユカリ……少佐でしたよね?」
「あ、あぁ……お前……本当に、あの……
……えーと……」
名前を思い出せずにいると、懐の護符から身を乗り出したシロミが補足を加えてきた。
「グリュク・カダンさんですよ」
「うるせえ名前くらい覚えてるよ!!」
「ひぁぁぁぁぁぁひどいぃぃぃぃぃ――」
苦笑しながら、彼は続ける。
「すみません、お別れは出来るだけ近い身内だけで済ませたくて……呼びませんでした。
もしかして、その件でお叱りとか……ってことは、無いですよね」
「……用事で近くに来てただけだよ。そもそも……お別れって何だ?」
「始原者を倒したんです。その時、少しやりすぎてこんな体になってしまって……」
「始原者……倒したって……!?」
結婚したこと以外は、全く知らなかった。
彼は、ユカリの知らない事情をかいつまんで説明してくれた。
そうした複雑な経緯を、全く知らない彼女に伝えるのは煩わしい限りであっただろうに。
「――こんな、超兵器か希少資源みたいになってしまった身体では、元の生活にも戻れませんので……
妻には悪いんですが、俺は霊剣たちと、宇宙に旅立つことにしたんです。
この天船も、あっちのトリノアイヴェクスを真似て、自分で創りました。
またあんな始原者みたいな敵が宇宙にいないとも限りませんので……必要なら、それとも戦うつもりでいます」
「宇宙ってお前……!」
狼狽してろくな台詞を言えずにいると、接舷したもう一つの天船から通路が展開して降ろされ、妖族らしき女が搭乗口から顔を覗かせた。
心なしか、その握り拳とこめかみのあたりに血管が浮き出ているように見える。
「グリュクさん……誰ですかその赤い魔女の女……!」
妻だったらしい。
危機を感じて彼から十歩ほど離れると、彼女以外にも何人かが降りてきた。
その中には魔人の姿もあった。
「あれ、ミドウ少佐、と、シロミ?」
「カイツさん!」
それから、グリュクは仲間たちと言葉をかわし、先にユカリに語ってくれた理由を話す。
シロミは、カイツから何やら研究所出身の同輩の話を聞いていたらしい。
「(……ホント、世の中どこで何が繋がってるか分からんな)」
きっと、グリュク・カダンと霊剣たちの旅も、この世界と何処かの異世界とを繋ぐことがあるのだろう。
だが、旅立ちには別れが伴う。
妻だという白い大きな耳の妖族の女は、他の仲間の見守る中、グリュクの首元に固く抱きついて大声で泣きわめいていた。
聞き耳を立てると、どうやら、連邦の組織に実験台にされる前に、一芝居を打って逃げようということらしかった。
逃げたグリュクを説得する多国間特務戦隊、しかし説得は失敗し、彼は連邦政府の監視と追跡を振り切り、宇宙へと逃げ去る。
確かに、多少芝居が下手だろうと、始原者メトを滅ぼした存在が本気になれば止めることは出来まい。
多国間特務戦隊が仲間を隠匿したのだという疑惑も、実際に宇宙に出るところを見せてしまえば一旦は鳴りを潜めるだろう。
「(とはいえ、あの嫁さんの泣き様は芝居にゃ見えんがな……)」
しかし、本当に?
本当にグリュク・カダンは、あの饒舌な剣は、宇宙などという遠くの彼方へ行ってしまうというのか。
「ていうか……もしかして、私もシロミも軍から何か訊かれるかな……ヤバいな……」
「しらばっくれるしか無いですよユカリさん……」
そして、そんなやり取りを眺めている内に、その時がやってきた。
グリュクの妻たちは既に天船に戻り、足場も再び収納された。
「――それじゃあ、少佐も、お達者で。あんまりシロミちゃんを虐めちゃダメですよ!」
「そうです!! もっと言ってやって欲しいのです!!」
「やかましい!!」
しつこく陳情する人工幽霊を黙らせながら、彼女も無難に、挨拶を返した。
「……じゃあな、グリュク・カダン!」
そして、霊剣の戦士は微笑みとともに、何の出入り口も使わず、甲板の床に沈んで消えた。
ユカリは箒にまたがり急加速して、その場を離れる。
ゆっくりと加速を始めた天船テトラストール号は、ディラスター空港を離れて徐々に速度を上げ、魔女たちの追跡も虚しく天の彼方へと消えた。
その船影が見えなくなるまで、時間にして一分足らず。
短い別れだった。
彼が宇宙に消えてから、はや三日。
彼が――彼自身は、決して自分を主語にしてそれを語ることはなかったが――始原者を打倒してから、二週間が経過していた。
暫定的に終結を宣言する国家や条約機構も多かったが、しかし、大陸全土を脅かした“始原者事変”については、立場によって様々な反応が見られた。
国家組織、特にスウィフトガルド王国やベルゲ連邦のような大国は、前述の通り終結宣言を行い、情勢の安定を図った。
妖魔領域については、狂王ゾディアックの一時的な外出――専門用語では外現と呼ぶらしい――によって混乱が生じたが、狂王がすぐに戻ったため、混乱はなきが如し、と言った様子だ。
彼は何を咎めることもなく、以前同様に地底深くの玉座につまらなさそうに座り込んでいるという。
神聖啓発教義領は、大きく変革を迫られた。様々な状況証拠などによって、彼らが外宇宙からの侵略者によって尖兵化されていた存在だと、内外に知れたためだ。
指導者層はこれを強力に牽引し、これまで1440年間に渡って継続した、汚染種の絶滅政策――そして汚染種の呼称を廃絶すると宣言した。
極めて長期に渡ったことゆえ、魔女諸国の全てがこれを素直に受け入れ切るはずも無いが、それでもそこに残された科学技術と、温和で正義感に溢れた有翼人種たちの存在は現実だった。
長い時間はかかるが、徐々に、確実に関係は修復されてゆくことだろう。
ただし、メトの精神制御が停止したことで緩やかに封じ込められてきた動物的な衝動の復活は続き、犯罪率などの好ましくない数字は増加を続けると見られていた。いずれはスウィフトガルド王国の都市部などと同様の水準に並ぶだろう。
こうした情勢は、臨機応変かつ政治情勢によって身動きを縛られることがない強力で機動力に富む戦闘集団を、という目的で設立された多国間特務戦隊の存在意義を、半ば喪失させた。
加えて、緊急事態における二度の完全な独断行動と情報封鎖が決定打となった。
隕石霊峰に飛んだこと、メトの復活に使用される巨大魔具の探査中に設立者であるベルゲ連邦に連絡を取らなかったこと、その後独断で月に向かったこと。
出発前に幾つかのメッセージを天船が投下していたが、その程度では彼らの不信は収まらないようだった。
セオとトラティンシカの側にも、始原者が消滅したことでベルゲ連邦による監査を自分たちの船に乗せ続ける理由がない。
合意成立後、史上初の多国間特務戦隊は99日の使命を終えて消滅した。
以下に、その後の彼らの動向を、私の聞いた限りで記す。
グリゼルダ・ジーべは、再びベルゲ連邦のサン・ヴェナンダン軍学校の教員として職務に復帰した。
霊剣の加護は失われたが、既に教導魔女として、雷のグリゼルダなどという恐ろしげな二つ名を囁かれているとも聞く。
タルタス・ヴェゲナ・ルフレートは、地元である極東のフィッスオウに戻り、今度は比較的真剣に狂王位を狙うようになったらしい。
個人的に良い感情は持っていないが、彼はきっと、上手くやってのけてしまうことだろう。
レヴリス・アルジャンは、すぐに移動都市に戻った。先の隕石霊峰での大きな発光の際に、移動都市に変化が起きた為だという。妻と二人の子供と従業員たち、そして預かった移民たちの為でもあろうことは、想像に難くない。
新たな進展としては、妖魔領域に籍を置く企業としては恐らく史上初めて、啓蒙者の組織と協力関係を打ち立てていた。もっとも、その組織というのは多国間特務戦隊時代に知り合った“両の目”の啓蒙者たちなのだが。
セオ・ヴェゲナ・ルフレートとトラティンシカ夫婦も、自領に戻った。本来の驚異的な性能を取り戻した天船の存在は、妖魔領域の情勢にも影響を与えることだろう。
加えて、彼らはスウィフトガルド王国に戻りにくい状況になってしまった聖者部隊の面々の身柄も預かることとなった。
彼女たちの身体機能を維持する為に必要な薬剤を調合できるのは、元々在籍していた聖者機関と、天船だけ。
戻ってしまえば再び実験体として働かされる可能性もある上、彼女たちのほとんどは数十年以上前の生まれだった。故郷に帰っても知り合いがいないか、自治体自体が消滅している恐れもあるのだという。個人的な身の上からではあるが、彼女たちには同情せざるを得ない。
アイディス・カダンについても、息子が宇宙に飛び立ってしまってはと、同僚たちと共に機を窺う方を選んだようだった。
また、故郷に帰り難いという点では、アダ・オクトーバとヴィットリオ・ヒルモアもそれに近い状況だった。啓蒙者やその意向を受けた星霊教会の指名手配を受けている彼女たちは、それが解除か、撤回をされていることが確認できない限り、大手を振ってリァツゴー市に戻ることが出来ないのだ。今は、“両の目”が提供した、啓発教義の別の国の支部で生活しているという。二人の早い帰郷を祈るばかりだ。
カトラ・エルルゥクとその二人の部下、そして義手義翼の戦士ケティアルクは、両の目の支部でそうした動向について情報を集めているらしい。
啓蒙者社会が本来進むべき望ましい方向に踏み出したということで、彼女たちは希望に燃えていたが、メトの神を名乗っていた存在が消滅した現在の神聖啓発教義領の情勢は混乱しており、中々苦労してもいるようだった。
始原者に取り込まれながらも奇跡的に救出された啓蒙者の少年、サルドル・ネイピアは、彼らが保護していた。
事変の最中の記憶をほぼ全て覚えている彼の罪悪感は、自身の体を押しつぶして余りあるものだろう。だが、同胞であるカトラたちは根気強く説得を続けるという。
出来るなら、彼を救った人の分も生きて、良いことを成し遂げてくれればと思う。
魔人アルクースことカイツ・オーリンゲンからは手紙も届き、移民請負社から“両の目”への出向という扱いで彼らに協力しているとの報告があった。
彼がエンクヴァルで助けたという啓蒙者の少女ジル・ハー・シンディスは、正式に多国間特務戦隊に在籍したことはなかったが、彼との縁で“両の目”に参加したらしい。カイツからの手紙は、傍目から見ても恋仲に近かった彼女の参加について、明らかにそこだけ文体が激しく浮ついていた。
そして、残念ながらあまり親しく話す機会はなかったが、やはり霊剣の戦士であるアリシャフト・エントリアと、キルシュブリューテ・ソウトリィ。
アリシャフトについては霊剣が宇宙へと旅立ってしまったことで継承の使命を見失い、一先ずはセオ王子の元や移民請負者に身を寄せることなく、サン・ヴェナンダン軍学校に編入試験を受けるために勉強をしたいと言っていた。
キルシュブリューテは特に行く当てを告げずに姿を消したが、別れ際のアリシャフトの言によると、故郷に残した恋人がまだ独り身だった場合は粉をかけてみるつもりらしい。
陳腐さを恐れず表現すれば、あの三日間、世界はまさに危機にあった。
これに立ち向かった、私の知る戦士たちの足跡は、ここまで。
あとは、各々の行くべき途を信じて進むことだろう。
私だけが、足踏みをしている……
――ある手稿より抜粋。
夕暮れ時、一人の家路。
移動都市ヴィルベルティーレの歩道を、陰鬱な表情で一人の妖族の娘が歩いていた。
彼女の生活についてはほぼ以前の状態を取り戻し、フェーア・ハザクは再び、移民請負社の所属――今度は家を守る妻ではなく、妖術の指導要員として勤務することになった。
慣れないながらも筋は良いとされ、フェーアの恐れていた、未亡人としての新たな生活が始まるのだった。
永遠に宇宙に旅立つという夫の首元にしがみつき、みっともなく泣き叫んだのは覚えている。
約束破りだと、子供のように責め立てもしてしまった。
最後の最後で、彼を失望させてしまったかも知れない。
フェーアは長く深い溜息をつくと、己を責めながら自宅――今や遠く離れた夫との新居の前にたどり着いた。
「……?」
見ると、少々背の高い、赤い髪の男が玄関の前に立っている。
「(……まさか……お兄さんとか弟さんとか?)」
そのような肉親は、いないと聞いていた。
最悪の場合、彼女の心が生み出した幻影か。
扉を閉めずに門の中へ踏み入り、尋ねる。
「あの――」
ややゆっくりと、その男は振り向く。
そして、見たものを受け入れるべきか否か戸惑っているフェーアに、苦笑して語りかけた。
「すみません、フェーアさん……
あんな大口叩いたのに、出発直後に一人だけ……追い出されちゃいまして……」
「…………!?」
目の前にある事実らしきものに、フェーアはただ、絶句していた。
顔立ちは、そのままだ。
先日見たような、よく分からない物質に変性した様子は、どこにもなかった。
出発直前、船外活動服の中に来ていた私服姿――生身の彼の、ままだった。
何も反応できずに呆然としていると、彼は更に後を続けた。
「ミルフィストラッセたちが言うんですよ、『御辺ホントにそれでいいの?』とかって……
どうしようもないんだからしょうがないだろ、って、言い返したんです。
そしたら霊剣たち全員からめちゃくちゃ怒られて……最後の言葉が本気で酷いんですよ、『御辺もう用済みだから』『むしろ邪魔なんだよね』って……
仮にも一緒にあそこまで戦ってきた相棒にそこまで言われて呆然としてたら、いつの間にか地上に戻ってて、身体も前と全く同じ状態になってて……
ただ、ヴィルベルティーレを見つけるのが意外と難儀しました。なので地上に戻ってから三日もかかってしまって……すみません。
まぁ、その……フェーアさん……」
彼も言うべき言葉に思い当たったか、やはり言葉が見つからないフェーアの眼前まで歩み寄り、その体を抱きしめた。
フェーアも荷物を手放して、その温かい胸板にしがみつき、名を呼ぶ。
「グリュグざん……っ」
「ただいま……!」
「お、おがえりなざい!!」
グリュクは何度も謝りながら荷物を拾って門扉を閉ざし、フェーアは何度もしゃくりあげながら嬉しそうに、彼のいない間の恨み節を綴った。
連れ添って、寄り添って、二人は帰宅する。
そこから再び、霊剣の旅路とは異なる物語を始めるために。
無数の歴程は、時に合流し、時にまた分かれ、どこかへと続いてゆく。
<完>
本作はこれにて完結です。お疲れ様でした。
五年弱の連載の間に多くのブックマーク・ポイント評価・感想・レビューをいただき、大いに執筆の励みとなりました。
無数の作品の中から本作を見出していただき、本当に、ありがとうございました。