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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
143/145

18.旅路の果て、今半ば









 スオーディア・テトラストールは、その旅路の締めくくりに、霊剣に別れを告げた。


「師父、今まで本当に、お世話になりました。これからは、この不肖の弟子を、よろしくお願いしますね」

(思えば短い旅であった。まさか御辺が所帯を持つとはな)


 霊剣が感慨深そうに呟くと、それを新たに託され腰に帯びた青年が同意した。


「俺もびっくりしてるんですよ、ミルフィストラッセ。そもそも俺はこのおばさんの弟子になるなんてひとッ――ことも言ってないんですから」

「そう照れるな弟子よ……あなたの資質が、これから千年の間、この霊剣を正しく導く第二の旅路になるんだからね」

「……まぁ、助けて頂いたのは、本当に感謝してます。必ず、ミルフィストラッセを託すべき次の資質者を見つけてみせます」

(期待せずに楽しむとしよう)

「それでは、またいつか、お師匠。旦那さんと、お腹のお子さんも!」

「うん、またね! ミルフィストラッセ! ティダーナ!」


 手を振る身重の女に、一人と一振りは別れを告げて、歩き出す。

 小さな開拓村の、半ば踏み固められた砂利道から、意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)とティダーナ・ローザの旅が始まった。






 一つの都市をまるごと大混乱に陥れることで、ウェニス・ドミヌスグラディウムの復讐は完結した。

 市から遠く離れた森の中の炭焼き小屋で雨を凌ぐ屋根を得ると、彼は少しだけ、安らいだ。


「……やったんだなぁ、俺……」


 左手に掴んだままの裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)が、鞘の中から彼に言う。


(そうだ。市長暗殺というのは少々混乱は招いたが……下手人と下命者を特定し、そうでない者は誰一人傷つけず成功させた。見事だ)

「……人殺しに見事もクソもねえですよ」

(基本的に私を継承する者は概ね人殺しになってしまうので、その辺りは何とも言い難いが……

 因果応報を順守する方針に間違いはないと思っている)

「まぁね……いや、感謝はしてるんスよ。俺一人じゃあんな大それたこと、絶対できなかったしね」

(君の資質があってこそだ。それより、これから先が長いかも知れない。

 私と君とで、次の継承者に相応しい復讐者を探しださなければならないのだからな)

「いっけね、忘れてた……ここはあんたも交えて、先代様と相談でもしてみますかね」

(ここからアヌシダまで戻る気か……? まぁ、構わないが)


 魔法術で(かまど)の石そのものを加熱して熱源にしながら――逃亡者の身で火を起こすのは好ましくない――、一人と一振りは雨が上がるのを待つ。

 今ひとたびの旅の始まりまでの、束の間の休息。






 (はかりごと)を巡らせて倒した敵から没収した財産を検分する際に、新たな発見があることは珍しくない。

 だが、ある日一人で入った倉庫で話し掛けられた時から、彼の野心は大きく燃え広がった。


(道標の名の下に。余が銘、パノーヴニク)


 魔具の側から語りかけられることは、名品を見る機会があれば稀ではあるが経験があった。

 タルタスは音ではない声を発した魔具の所在に検討をつけ、尋ねる。


「……パノーヴニク。なぜ私に語りかける。お前の目的は何だ」

(経験知と演繹知の蓄積。妖族の王子よ、汝、政に携わる者と見た)

「回りくどい。私がお前を下僕とする利点を言え」

(身体能力の強化、妖術技能の向上……そして先代までの6人の為政者の、200年分の知識と経験が汝のものとなる)

「…………」


 タルタスも、その時点でフォレルの片腕となって200年ほどが過ぎていた。

 既に経験においては魔女や人間の為政者の経験など不要とも思えたが、しかし、まだまだ彼が及ばない老獪な有力者は妖魔領域には多い。

 迷っていると、道標を名乗る剣は更に告げた。


(世に()しき動きあり。余と同様の霊剣が、少なくともあと二振り存在する。どちらも手に入れることが出来れば、汝は戦においても無双の存在となろう)

「……()しき動きとは、何だ」

(名工コショクが死んだ。彼の者と繋がりのあった技能者も、次々と変死を遂げた。余が先の主もだ。

 何者かの意図があると、余は見た)

「ゆくゆくはそれも突き止めろと言いたいのか」

(汝の地位ならばそれが出来よう。いずれはその影が、汝と汝の兄の前に、障害として立ち塞がる可能性もある)


 タルタスは剣を手に取り、契約を結んだ。


「…………いいだろう。後悔するなよ」

(その言葉、忘れる()かれ)


 そこからの道のりは長いようでもあり、短いようでもあった。






 早めに宿に戻って部屋に向かうと、アルタニアは後ろから声をかけられた。


「こんにちは、初めまして。いきなりでごめんね?」

「…………?」


 女だった。

 彼女よりやや年上か、この暑さにもかかわらず腰から下には幾重もの布に別れたスカートを穿いている。


「シュシフ・ユードといいます。

 手短に言うわ。あなた、霊剣ヴェクテンシアの主ね?」


 突然そう言われ、アルタニアは大きく動揺した。

 霊剣の銘を知られている。取り合わずに無視してしまうには、あまりに気がかりなことだった。

 抗う名を持つ霊剣(ヴェクテンシア)は隠蔽と隠密を得意とする霊剣であり、その系譜を受け継いだ彼女も、その感情を表には出さず、告げた。


「いきなり何の話ですか」

「私も最後の霊剣、オリアフィアマの系譜を受け継ぐ者。

 全ての霊剣を集めて、魔女と妖族の戦争を止めるために動いている」

「…………!」


 霊剣を集める、という表現に引っかかりを覚え、次に言うべき台詞を考える。

 が、それに先んじて女――シュシフの腰から、音でない声が発せられた。


(包み隠さず話そう、ことは重大で危急だ。

 輝ける勝利の名の下に、我が銘、オリアフィアマ。

 ベルゲ帝国と妖魔領域の辺境伯連合との境界に、非常に大規模な永久魔法物質(ヴィジウム)の鉱脈が出てね。

 辺境伯領の武闘派が、昔の……まあ彼らにとってはまだ記憶に新しいところだろうが、ともかく報復戦ということでかなり殺気立っている。

 というか、既に小規模な小競り合いは何度も起きている。西部人との戦いの時の協定違反疑惑の件といい――)

「……あの、すみません、私そういう情勢とかはあんまり詳しくなくて」


 アルタニアは速度を上げ始めたその声を制止し、事情を述べた。

 抗う名を持つ霊剣(ヴェクテンシア)が系譜を紡ぐ際の主題は、“学識”。

 知識を重視して集めることを優先するため、歴代の使い手には学者やそれに類する職業のものが多い。

 アルタニアも、専門は植物学だ。危険を避けるための情報収集こそしているが、草花や樹木ならばともかく、現代の政治情勢には疎い方だという自覚がある。

 シュシフは何やら腰の鞘にぐりぐりと拳を押し付けると、陳謝した。


「ごめんね、私の剣がちょっと早口で……」


 そこで、初めて抗う名を持つ霊剣(ヴェクテンシア)が声を出す。


(アルタニア、私たちもそうした兆候はいくつも目にしている。ここは詳しく、話を聞こう)

「積もる話もあると思うわ、500年分くらい。

 差支えなければ、あなたの取った部屋の方が落ち着くかな?」

「……分かりました、いいでしょう」


 以後、二振りの霊剣は帯同し、200年ほど旅を続けることになる。

 霊剣に残った無数の記憶の中の、これもその一つ。











 最後に文明を育てたのは、100万年ほど前か。

 昼と夜とが永遠に動かない惑星で、その境目に生きる種族の一つが極初歩的な器物の加工を始めたのを、エメトは見逃さなかった。

 彼らはエメトが傍観しているさなかでも進化を続け、大規模な集落を築き、生物の養殖を始めることで従属栄養による制限を緩和できることを発見した。

 彼らを滅ぼすであろう偶然のいたずら、例えば破壊的な規模の地殻変動などは、手を下して助けた。

 本来は自分たちの力で乗り越えるべきなのだが、初期に育てた文明の幾つかはそれで生態系ごと滅びてしまうことがあったため、エメトはそうした場合のみ、自らの力を大きく行使した。

 彼らは少し手助けをしてやるだけで知識を多孔質のように旺盛に吸収し、太陽に面した灼熱の世界と、光の届かない闇の世界とに乗り出していった。

 そこで、文明は最も大きな壁にぶつかる。

 重力を離脱するのにかかるエネルギーが大きすぎる場合だ。

 環境によってはそうした制限も緩く、すぐに自力で飛び越えてしまう文明もあるが、多くの場合、エメトはそこで、宇宙飛行化を行っていた。

 通常の物理法則だけに従う進化では短期間では到達できない、魔力線を利用する文明へと作り変えるのだ。

 宇宙のどこにいても知的生命体なら扱えるエネルギーを利用できる生態を与え、更に長期に渡る星間飛行の難易度を緩和するための肉体の強靭化、長命化も同時に行う。

 すると彼らは少しだけ混乱した後に、軌道上に無数の鏡を設置し、永遠の夜に光をもたらし――無論、それまでそこに住んでいた暗黒を好む生物たちは追いやられてしまったが――、そして5万年を待たず、彼らも星間文明の末席に加わろうとしていた。

 近傍の宙域の星間文明連合も、それを歓迎した。

 多様性こそ、この宇宙で最も尊ばれることだと、彼らも信じているのだ。

 エメトは最後に課題を出して、その星を去った。

 残された文明たちは少し戸惑いながらも、自分たちなりにエメトを解析し、自己流ではあるが、余力で以って似たような星間文明育成装置を建造し、宇宙に解き放った。

 そのようなことを繰り返して、エメトは宇宙に広がり続けた。






 宇宙に無数に放たれたメトの船団は、時に星間文明が強大に発達した銀河、あるいは銀河間文明の段階にまで発達した、極めて広大で強力な宇宙飛行文明に遭遇することがある。

 そして、そうした文明はメトの脅威を膨大な情報のやり取りで知っているため、メトに対抗する方法も多かった。

 その中でも最も凶悪なものが、銀河まるごと、時には銀河団レベルでメトをもろともに滅ぼしてしまうというものだ。

 メトが宇宙飛行の段階に達した文明を一つ滅ぼせば、当然そうした文明は、何らかの手段で通信を行う。

 種族内での連絡や、時にはいちかばちか、存在だけは明らかになっている外宇宙の他の文明に助けを求める、あるいはせめて最小限の文明の痕跡だけでも残そうと、強力な信号を放つこともある。

 それが、文明の断末魔と呼ばれるものだ。

 そうした文明の断末魔は、無数のメトが宇宙で活動している限り、途絶えない。

 そこで、極めて強力な星間文明の中には、そうした断末魔の発生数や量が一定以上の指標に達したと判断された銀河や銀河団を、力任せに全て抹消してしまうのだ。

 当然、そこには宇宙飛行レベルに達することのない、より多数の文明も巻き込まれる。

 このような列強と呼べるレベルに台頭した星間文明連合の所業は、メトたちにとっても頭が痛い問題だった。

 メトが撃滅の対象とするのは宇宙飛行文明だけであり、そこに達しないものは保護の対象となる。

 彼らは更に、時として文明連合同士の争いの解決手段としても、銀河や銀河団を消滅させた。

 メトたちは、乗っ取り返される危険を承知で、エメトを止める際、完全に破壊してしまうのではなく、可能なかぎりその資源を回収することも試みるようになった。

 そして、付随する文明の確認できないクエーサーやブラックホールなどは積極的に資源化し、時には抑制派のガイドラインから逸脱しない範囲で、勢力圏と呼べるような巨大な中継基地を形成することもあった。

 時として、メトは過去を省みることもある。


「エメトの行為は、己の意思で他の文明のあり方を捻じ曲げる悪に相違ない。

 しかし、果たして我々メトは、それを本当に抑制することが出来ているだろうか?」


 始原文明といえど、光速を超える手段は持たない。

 宇宙の反対側に向かったメトたちの状況は、宇宙が終焉を迎えても分からないだろう。

 恐らく、誰も答えを知らないであろう問題。

 時折それを思い出しつつも、メトたちはエメトとその息のかかった文明たちを追い続けた。











 街道沿いの宿で。

 慎ましやかな結婚式場で。

 揺れる車上で。

 ゴミ溜めの中で。

 賑やぐ市場で。

 鬱蒼とした森の中で。

 波に揺られる船の上で。

 薄暗い夜明けの裏路地で。

 血にむせぶ戦地で。

 温かい食卓で。

 演説に沸き立つ聴衆の中で。

 陽光に照らされた雲海の上で。

 往古を偲ばせる遺構で。

 活気あふれる開拓村で。

 無数の船荷の積み上げられた港で。

 屍の並ぶ町の広場で。

 恋人と語らう泉のそばで。

 果てしない砂漠で。

 軌道上の施設で。

 燃える暖炉の前で。

 月の照らす夜の雪原で。

 彗星に破壊された生態系の跡地で。

 どこまでも赤い空の下で。

 亜光速で飛ぶ移民船の中で。

 濃密な水素とヘリウムの大気の中で。

 浅い海の広がる豊かな世界で。

 原子核反応の支配する中性子星の上で。

 遠い故郷で。

 この宇宙で生まれた最初の文明で。

 いつか、どこかで。

 常に記憶は受け継がれていた。

 受け継がれ、蓄積され、その輪郭を変えてゆく。

 一見しただけでは無関係の遠く離れた存在が、視点が変わることで意味を持った形を成すことがある。

 それを星座と呼ぶ文明もあった。

 更にそれらが無数に折り重なった姿は、銀河と呼ばれることもあった。

 始原者の足元から吹き出した黄金の炎に照らされて、世界に吹き込み始めた黄金の旋風。

 フェーアは、そこで自分が生きていることに気づいた。

 そして己の肩を支える温かい力を感じ、彼女は目の前にいた相手の名を、恐る恐る呼ぶ。


「……グリュクさん……!?」


 それは先の戦いで跡形も残さず消滅したはずの、彼女の夫だった。

 膝まづいて、倒れていた彼女の肩を支えて起こしたかのような姿勢だ。

 だがこれは、脳の見せた都合のいい幻覚かも知れない。

 そんな卑屈な考えが表情に出てしまっていたのか、彼女の顔を見て彼は苦笑した。


「何とか間に合いました。フェーアさん」


 その肉声を聞いて、フェーアの視界は熱い液体で溢れ、見えなくなってしまった。

 拭うそばから溢れてくる涙に少しだけ苛立つが、しかしそんなことよりも、理由は分からないが生きて目の前にいるらしい赤い髪の青年の存在が、嬉しくて、たまらない。

 言葉は紡げず、分別のない子供のように、嗚咽じみた声が喉をついて出るばかりだった。


「そんな風に泣いてくれる人がいて、嬉しいです。

 でも、今はちょっと、移動しますね」


 彼はそういうと、まるで彼女がどこかの姫君であるかのように抱え上げ、そこを飛び降りた。

 浮遊感に感動も忘れてうろたえ、間の抜けたことを尋ねてしまう。


「う、えぇ!? ここ、どこですか!?」

「始原者メトの台座部分、表面近くです。吹き飛ばされて、叩きつけられたんでしょう」

「……?」


 彼はフェーアを抱きかかえ、ゆっくりと落ちていた。

 魔法術を使う気配もなかったというのに、今は二人を、柔らかな力場のようなものが包み、保護しているのが分かる。

 周囲を見ると、まだ夜だったはずが、ひどく明るい。

 グリュクの周囲も同様に、彼女も以前見たことがある金色の粒子と風が渦巻くように囲み、照らしていた。

 まばゆいようでいて、目を痛めるような眩しさもない。

 彼は再び、優しく彼女に告げる。


「とりあえず、安全なところで待っていてください。

 俺は始原者を倒して……そのあと、必ずあなたのところに戻りますから」

「は、はい……」

「それじゃ、気をつけて」

「へ?」


 気づくと、彼女の周囲の光景は一変していた。


「あ、あれ……!?」


 平坦で均一な床面に、座席や機械。

 そして、セオやトラティンシカ、啓蒙者のカトラたちの姿があった。

 天船アムノトリフォンの、操船指揮室だった。


「フェーアさん……!? いつの間に転移してきましたの!?」

「さっきから一体何事だ……!」

「今起こってることと関係がありそうね」

「え、今……ですか……?」


 こちらも彼女同様、混乱しているらしい。

 だが、今はフェーアから彼らにも伝えたい事があった。



「そ、それより聞いてください! グリュクさんが生きてて――!」

「……! そういうことか……それならこの現象も、納得がいくというものだ」

「…………現象?」


 操船指揮室の窓辺に立つセオの視線の先にあるものを確認しようと、いまだ力が入りきらない足腰を叱咤し、立ち上がって外を見た。

 薄暗かったはずの始原者の傷痕の内部が、まるで自ら発光しているかのように、金色の光と粒子にあふれている。

 そして、操船指揮室の天井に設置された放送機械から音声が流れた。


『長らくお待たせいたしました――』


 すると、雑音と共に天船の中に照明が復活し、更に音声が流れる。


『天船アムノトリフォン、再起動を完了。これより、始原者破壊作戦に合流します。

 船外活動中の搭乗員各位に於かれましては、大至急、乗船を要請します』











 戦場の近傍で、粒子の海に眉をひそめる隻腕の怪老人、ラヴェル・ジグムント。

 幼い赤毛の少女を帯同し、老いた脳を襲う情報の洪水に呻いていた。

 犯人の心当たりは、無くもない。

 彼は滝のような白いあごひげを撫でると、少女を連れてひとまず、安全な場所を探した。 


――スウィフトガルド王国の小さな村エチェでは、未だ夜明け前。

 しかし、漂い始めた金色の粒子の作用で、村の住民の何名かは起きだして異常の確認に動き出していた。

 アニラ・リオーリはなぜか、村を旅立った一人の魔女と、一振りの霊剣のことを思い出すのだった。


――ヴォン・クラウス村の住民を受け入れたソーヴルでも、白み始めた空と大地に滞留する不思議な粒子について、住民たちが混乱をきたしていた。

 ただし、健康上の被害は一切なく、目を閉じてしまえば睡眠に支障もないという、不思議なものだった。

 ペーネーン・アールネは母を起こさぬよう気遣いつつも、遠くはなれたところにいる妹やその保護者であろう不審な老爺のこと、剣を帯びた赤い髪の青年のこと。

 そして、遠く離れた神聖啓発教義領(ミレオム)で働いているであろう、サルドル・ネイピアのことに想いを馳せていた。


――聖堂騎士団領ヌーロディニア、聖堂騎士団エギルレ基地。

 黄金の旋風はここにも押し寄せて、大きな混乱を引き起こした。

 調査を終えて解体作業を開始するところを、この三日間の出来事の影響で中止されていた自動巨人・カリタスが、驚くべきことに動き始めたのだ。

 無人となった運転席を露出させたまま、うわ言のように聞き取れない言葉を繰り返す、鋼鉄の亡骸。

 それは固定するワイヤーロープを引きちぎり、格納庫の屋根を破壊し、南東の空へと高速で飛び立っていってしまった。


――リヴリア王国の首都ヒーベリーでは、深夜にとある興信所を訪れていたマフィアの跡取りが、驚いてバランスを崩し、自動車の荷台から落ちた。

 既に乗り込んでいた所長と助手は、南東の空からやってきたと見える金色の粒子を伴う風に不審を覚えた。

 しかし奇妙なことに、三人とも、ある旅人のことを。

 そしてまだ幼さの残るリンデル・ストーズだけは、饒舌に話す怪しげな剣の記憶と併せて、思い起こしていた。


――ベルゲ連邦の中西部に位置する、街道の街カウェス。

 既に朝日は昇り始めていて、イスト・ユリオンは母親があえて自分の嫌いなものを混じえた朝食を作るのを恨みつつ、金色の粒子に気づいた。

 慌てて父を呼びに行く母を横目に、かつて出会った魔人のことを思い出したイストは、腹をくくって皿に載った小さな豆の群を喉へと一気に掻き入れる。


――妖魔領域(ヴェゲナ・ルフレート)はグラバジャ辺境伯領では、朝と呼べる時間も終わりに差し掛かりつつあった。

 そこでは、観測不能の未来を目の当たりにした時計塔が、その解釈に参っていた。

 弟子のアルベルトはもはや祈るしか無いといった心境でいたが、地下の予知室にまで入り込んできた黄金の旋風を見て、気が変わった。

 未来が見えないというのも、何故かそう悲観することでもないように思えて、彼は師の魂を落ち着かせにかかるのだった。


――ルフレート宮殿の時刻は正午近く、妖魔領域の実質上の首都は史上最大の混乱を見せていた。

 大深度地下の居室から、狂王ゾディアックが消えたのだ。

 加えて、全土に流れ始めたらしい金色の粒子を伴う風。

 混乱を収めるべき大将軍のエイスハウゼンや有力な子女も不在で、暫くの間は混迷が深まる様相を見せていた。


――今や本島を喪失した、ドリハルト群島。

 何とか海面に逃れた者を必死で救助する妖族たちをも、金色の粒子が照らし始めた。

 彼らは不思議と、まだ見つからずに助けを求める仲間の声が聞こえた気がして、そちらに目を向ける。

 聖地が失われた絶望に包まれていた海域に、僅かながら、温かさが与えられたように思われた。


――神聖啓発教義領(ミレオム)、首都エンクヴァル。

 黄金の旋風は惑星の対蹠地に近いここにまでも押し寄せ、黙示者によって一部の記憶を奪われていたオリョーシャヤ・アメイに、サルドル・ネイピアの記憶を思い起こさせた。

 教義に殉じ、地上を滅ぼすことを選んだ後輩を、しかし彼女は、憎むことは出来なかった。

 地下で彼が、始原者メトの種子を打ち込まれてからこうなったということも、同時に知ったためだ。


 金色の縺続性(れんぞくせい)超対称性(ちょうたいしょうせい)粒子(りゅうし)は、全ての障害物をすり抜けて、全ての心と記憶を、緩やかに、しかし確かに連結していった。

 その日その時、世界全土が黄金の風に包まれていた。











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