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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
142/145

17.使命











 始原者の翼を覆い尽くす、滅びの輝き。

 グリゼルダたちはそれに気づき、戦慄した。

 始原者の形状こそ違うが、隕石霊峰(ドリハルト)で見た未来視と同じ輝きだった。

 この直後に無数の光の矢が放たれて、世界は終わる。


「…………!」


 嘘だ、などとは言わなかった。

 それは彼女たちの敗北なのだ。

 何度も始原者を追い詰めながら、その度に形勢を覆されてきた。

 この星の生命と文明が、別の星の生命と文明に負けた。

 これはただ、それだけのことなのかも知れない。

 一際輝きが強まり、思わず目を背けて覆った。

 だが、そこでパピヨンが彼女を呼ぶ。


「グリゼルダ! よく見てください!」

「!」


 そこには、既に眩い輝きは消えていた。

 代わりに始原者の巨大な翼を、それをすっぽりと覆う鞘のような形状の、やはり巨大な光の壁が覆っている。

 発射された光の矢は、それにぶつかり、内部で激烈に荒ぶった。

 しかし、その世界を滅ぼす威力は外には漏れず、始原者の翼だけを焼いたようだった。


「…………あれは!?」


 未だ数十キロメートルの高度にいるグリゼルダたちには知り得ないことだったが、ついに到着した妖魔領域(ヴェゲナ・ルフレート)の総軍の力だった。

 大将軍を中心とする共同妖術によって、極大射程と極大質量を実現し、滅びの矢を放とうとしていた始原者の翼に鞘を被せ、自爆させたのだ。

 グリゼルダたちの視点からも、滅びの矢による攻撃を障壁に阻まれて、その威力で真っ黒に炭化したと思しい始原者の翼――距離が遠いため、大気の散乱作用でだいぶ青みがかった紫に近い色合いだったが――が見えた。


「エイスハウゼン将軍かも……!」

「ご存知なんですか?」


 フェーアが尋ねると、パピヨンは我が事のように小さく胸を逸らした。


「ヴェゲナ最強の妖術使いです! 配下の六人の妖術使いの妖術を束ねて極大化する妖術を使うと言われていました!」

「言われていた?」

「わたしは長いこと冬眠していたのでよくは知らなくて……えへへ」


 グリゼルダも、絶句していた。

 まさか、世界を滅ぼし切る熱量を持ったあれを、防ぎきるとは。

 これなら、希望が見えるかも知れない。











 一方、始原者の東に展開した妖魔領域の総軍陣地。

 一世一代の大妖術を成功させた妖族たちは、敵の神に一泡を噴かせたであろう事実に歓喜した。

 ゴルトフォーン・エイスハウゼン将軍は、六人の部下と共に放った極大の妖術が間に合ったことに安堵していた。

 翼の片方だけで、根元から先端までの総延長は恐らく400キロメートルを超える巨大な物体。

 しかもそれが二つ、それぞれに魔法物質の鞘を被せるという力と技の極地――神業だった。

 発射されようとしていた光はそれにあたって爆発し、始原者の翼を破壊した。

 これで全てが終わるとは思えないが、エイスハウゼンは疲労を残しつつ、部下たちを労った。


「貴様たち……急な術の切り替えによく対応してくれた」

「恐悦です……! しかし、まだ彼奴(きゃつ)の息の根を止めてはおりませぬ」

「今度こそ攻撃を! 将軍!」

「うむ……!」


 エイスハウゼンと六華戦(ろっかせん)は極大妖術で大きく疲労していたが、それでもこの程度で休息することはない。

 敵を侮ってはいないからだ。

 だが、事態は更に変転した。











 なおも降下を続けるグリゼルダたちの高度は約1万メートルほど。

 こちらは始原者の本体からやや遠いということなのか、それとも地表近くの戦力が健闘しているのか、何百メートルもあるような巨大な敵の姿は比較的少なかった。

 カイツやレヴリスを見つけることが出来たなら、彼らの近くにいる可能性も高い。

 とはいえ、この広大な戦場で、一人の啓蒙者を探すのは、多少の骨は折れそうではあった。

 そこで、グリゼルダはさらなる異変に気づく。


「……!?」


 巨大な翼に並んだ羽が、伸びている。

 炭化したかに見えた表面も、徐々に元の、白い陶器のような色合いを取り戻し始めていた。

 再生しているのか。

 いや、それどころか――


「何だか、より大きく翼を広げてる気がするんですけど……」


 人間の腕に例えれば、両腕を垂直に掲げた状態に近いか。足場も含めれば全高300キロメートルにもなろうかという巨大な猛禽が、今まさに羽ばたこうとしているかのような。

 だが、始原者は翼を振り下ろすことは無いようだった。

 高く掲げた翼と、より長く伸びた羽は、大陸中部の高空に巨大な紋章のような形状を描いた。

 そして再び、滅びの光が無数の羽を彩り始める。


「また……障壁が!」


 再び妖族たちが極大妖術を行使したのだろう、面積が更に広がった広大な翼を、先程よりも輝きの弱まった光の障壁が覆い尽くそうとしていた。

 しかし、


「あっ――!?」


 今度はそれぞれの羽が、一回り肥大化した。

 やはり強度が弱まっていたのか、妖族たちの張り巡らせたらしい巨大な障壁は、内側から破壊されて蒸発してしまった。

 唇を噛んで呻く、グリゼルダ。


「化物……!」


 そして、今度こそ発射される滅びの光。

 だが、目を灼かんばかりの光量が収まった時、そこには滅びた世界は広がっていなかった。

 グリゼルダたちも、生きて飛行している。


「……!?」


 周囲を見回すと、西の方角の空に、無数の光輝が瞬いていた。

 何事かと訝りつつも反対側を見ると、


「グリゼルダさん、あれ!」

「そっちも!?」


 フェーアの指差す東側の方角にも、同じような輝きが見えた。

 滅びの矢は大地と海を蒸発させることなく、東西の空に向かって発射されているようだった。


「何が起きてるの……!?」











 それは、神聖啓発教義領(ミレオム)から発射された大陸間弾道砲、及び無数の弾道飛行爆弾だった。

 首都エンクヴァルのほか五つの軍区から東西に分けて、惑星の両側から始原者を挟んで同時に着弾するよう計算して放たれたものだ。

 いかに遠く離れていようと、高度300キロメートルの超大型の不動物に命中させることなど、啓蒙者の技術を持ってすればどこまでも容易なことだった。

 アムナガル神殿の戦術統括本部が、地平線の遥か向こう側の戦況を捉える。


「……巨大物体、弾道砲と飛行爆弾の第1波を全て迎撃、撃墜しました。

 第2波から第6波、順次直撃予定」

「よし。第7波から第14波まで、順次発射!」

「第7波から第14波まで、順次発射!」

『了解、発射します』


 人工知能たちも、啓蒙者が戦意を見せたとなれば、それを反映して大いに働いた。

 準備にこそ時間がかかったが、神聖啓発教義領(ミレオム)の全ての都市に存在する大量の軍備が今、始原者に向かって一斉に放たれつつあった。


『現在、第15波から第64派までが発射可能です』

「第65波から第110波までの準備が完了」

「111波以降の準備を順次進行!」


 啓蒙者たちは“始原者”とこそ呼んでいないが、彼らの信仰を真に守る方法を協議して、結果として、始原者を名乗る巨大物体の破壊に協力することを決めたのだ。

 アクロテカトルも、別の区画で端末から様子を見ていた。


「頼むぞ……若人(わこうど)たちよ」


 隕石霊峰(ドリハルト)の攻撃に、一部の司祭を除いてほとんどが参加せず温存されたことも、今回は吉と出た。

 ぎりぎりまで製造に時間と資源を費やし、急増品も多かった。

 とはいえ、今や神聖啓発教義領(ミレオム)の大都市は全てが、地上を滅ぼそうとする敵に向かって科学の刃を放つ攻撃基地になったと言っていい。

 その上、啓蒙者の反抗は、それだけではなかった。











 西から飛来した啓蒙者の大部隊は、レヴリスをほとんど無視して始原者を攻撃するようだった。

 黙示者との戦闘を続けていたレヴリスは、高速で始原者に向かって飛行する啓蒙者の大部隊に圧倒され、思わず高度を下げた。


「(ん――!?)」


 啓蒙者の軍勢の中には、見覚えのある顔があった。

 神聖啓発教義領(ミレオム)の首都で刃を交えた、捧神司祭たちだ。

 七枚の翼を持つ者、巨大な神獣に乗った者、翼から無数の死者の手が漏れ出ている者など。

 彼らの後方を見れば、巨人の形態になった天船と殴りあった、啓蒙者側の巨人の姿までもがあった。


「(あんなものまでここに運んでくるとは……彼らも地上の世界を守るために立ち上がったということなのか……!)」


 先陣を切った仮面の司祭が、ありえない威力の飛び蹴りで始原者の尖兵の一つを破砕する。

 彼らの姿に、レヴリスは安堵を覚え、自分と同様に啓蒙者に無視された形の黙示者に言い放った。


「彼らは始原者に抗うことを選んだようだな。お前も混ぜてもらったらどうだ」


 黙示者は無言で電磁波の乱流を生成し、レヴリスを攻撃した。

 全力で回避し、彼は黙示者に剣を叩きつける。

 先程よりも僅かだが、手にこもる力が増した気がした。











 始原者の土台となっている半球の部分で、何やら虹色の光と、灰色の光が(きら)めいている。

 それに気づいたグリゼルダたちは、正体を見極めに不動華冑を飛ばした。

 そこで探していた姿らしき影を見つけて、グリゼルダは呼びかけた。


「カイツ……!?」

「グリゼルダ! フェーアと……妖族のお姫さまか!」


 そこには、何やら色が混ざり合っている魔人と、翼を生やしたくすんだ灰色の聖別鎧の姿があった。

 パピヨンが不動華冑の向きをかえ、空中に滞空したまま三人と二人が向き合う格好になる。

 グリゼルダは、もっとも気になった聖別鎧の方を指差して尋ねる。


「ジル・ハーさん、だよね。何か……ていうか二人とも色違わない?」

『スヴァルティスヴァンは動力源の触媒を消耗して、装甲表面の構造色が維持できなくなりました。

 少々美観が損なわれますが、これが本来の色です』


 聖別鎧の中から、人工人が中性的な音声――高度は既に5000メートルほどまで降りてきているので、船外活動服の機能なしでも聞き取ることが出来た――で答えた。


「あぁうん、それより、コグノスコ……さん! カトラさんから頼まれて、あなたを連れ帰りに来たんだけど――」


 それに答えて事情を話そうとすると、彼女たちの頭上で光がきらめいた。


「また!?」


 ただし、今度は始原者の表面で爆発が起きているように見える。

 先程までは光るだけだった始原者の翼が、光だけでなく噴煙に包まれていた。


『恐らく、ようやくミレオムの準備が完了したのでしょう。彼らもこの事態に、ようやく腰を上げたか……。

 始原者は既に迎撃にエネルギーを使うのを止め、一旦防御の体制に入ったものと思われます。

 啓蒙者たちの攻撃が途切れた時、彼は再び世界滅亡の行程を再開するでしょう』

「じゃあ今がチャンスか……天船が始原者に殺されちゃって、あなたが代わりに天船を動かしてくれないかって、カトラさんが!」


 コグノスコは一秒ほど沈黙したが、すぐに事態の深刻さを察してくれたようだった。


『是非も無し。ジル、緊急の事態です。一度彼女たちの案内に従い――』

「危ねえッ!!」


 返事の途中でカイツが叫び、不動華冑を蹴り飛ばす。

 そこに上空から飛来した一撃を、魔人の障壁が受け止めた。


「くぅッ……!!」


 苦悶の声。大規模な破壊力を持つ超高速の魔弾が炸裂して全員が死亡するはずのところを、魔人が無理やり威力を抑えこんで止めたのだ。

 上を仰ぎ見てそれを放った者の姿を見たグリゼルダたちは、言葉を失った。

 猛禽を思わせる色の、小さな翼。

 真昼の太陽のような、白い髪。


「(……始原者!?)」

「サルドル君……!?」


 その、驚くべき固有名詞を発したのは、聖別鎧を着装したジル・ハーだった。

 人名らしき名で呼ばれた始原者も、彼女の方を見て、ほほ笑みに似た表情を見せた。


「……ジル・ハーさん、お久しぶりです。

 でも僕はもう、サルドル・ネイピアじゃない」


 彼はそういいつつゆっくりと高度を下げ、全員と目線の合う高さで止まる。

 灰色に変わった聖別鎧の中のジル・ハーは彼と――厳密に言えばこのようになる前の彼と知り合いらしいが、表情から血の気が失われているのが鎧の上からでも分かる気がした。


「本当なの……!?」

『推定質量530万トン! ジル、この少年はもはや、あなたの言う市民ではありません!』

「その通りです、ジル・ハーさん。彼の記憶も、心も残っています。

 ただそれでも、僕は彼ではなくなってしまった。

 使命に従って地上を滅ぼす、あなたがたの敵です」


 彼が悲しげにそう説明すると、そこに魔人が吠えて襲いかかった。


「おおおぉぉぉッ!!」


 しかし始原者は、虹色の削岩錐と化した魔人の右腕を事も無げに生身の左手で受け止め、止める。


「何だか知らんが、お前がヤバいことだけは分かる……!

 俺はお前を倒さなきゃならねえッ!!」

「君は……そうか、アセノスフェアにあった帯電現象は君の仲間か……すまないことをしたと思う」


 表情どころか、削岩錐の先端を受け止める右腕さえ微動だにせず、少年はカイツにも語りかける。


「僕は、宇宙に出るつもりのない文明は手を付けないつもりだったんだけど……彼らは君を通して地上の文明のことを知っていたようだ。

 僕が妖族の聖地にまで探針を伸ばした時も、岩石流体の内部に潜む群体電位構造が抵抗してきたよ」

「何……!?」


 彼の体内が、更にどよめく。

 相手が何を言っているのか、知識に乏しいはずのカイツにも理解できてしまう。


「彼らも、自らを電気信号化して宇宙に出ていくようなことを企てていた。

 なので、ひとまず目についた集団は全て殺してしまった」

「…………ん、だと……!?」

(――――━━! ――━━――!!)


 まさか、地下に触手を伸ばした時にそれをしたのか。

 カイツの中の電磁生命体たちが、今までになく大きくざわついていた。

 少年の姿をした始原者は、淡々と話し続ける。


「すまないけれど、宇宙のことを知り、そこに出ていく手段を持つ文明は滅ぼす。全て。

 地上の次は、地下の彼らを滅ぼそう」

「ッがあああああああああ!!!!」


 全力を振り絞って、念動力場の魔法術を放出し、目の前の敵を押し出そうとする。

 余波が背後に広がり可視光線となって、遠目にはまるで、巨大な昆虫の羽のようにも見えた。

 だが、進化を重ね果てたアルクースの力でさえ、この小柄な敵一人を押し返すことが出来ない。

 カイツの脳裏に去来するのは、怒り、焦燥、無念――


「カイツっ!!」


 そこに加勢する、ジル・ハーとコグノスコ。

 灰色に色落ちしてしまった純白の聖別鎧(スヴァルティスヴァン)の前腕部装甲から二本の端子が伸びて、少年の体内に高圧電流を流そうとするが、やはりこれも通用しなかった。

 しかし、そこで少年の体勢が、わずかに揺らぐ。

 カイツが、強化された虹色の魔人(アルクース・イリス)の力を。

 コグノスコが、純白の聖別鎧(スヴァルティスヴァン)の出力を、それぞれ限界まで振り絞る。


「エウォルキオン……俺に力を貸してくれェッ!!」

質量推進(フュストリオン)、最大極限!』


 小さな衝撃波が、大気さえ歪める。

 虹色の魔人と灰色の聖別鎧が、質量530万トンの矮躯(わいく)を押し出す――かに見えた。


「!?」


 その湧き上がる力は、少年が体をひねることでいともたやすく受け流された。

 次の瞬間、魔人アルクースは北東の彼方に見える山の尾根へ、ジル・ハーとコグノスコの聖別鎧は南西の森へと超音速で振りほどかれ、吹き飛んでいった。

 衝突の後、山からは爆煙と雪崩が、森からは大量の樹木と土砂が吹き上がる。

 そして次の瞬間、グリゼルダも宙を舞っていた。


「……は!?」


 体を反らせて不動華冑の方向を見ると、どうやら、投げ捨てられたらしい。

 その主であるはずのパピヨンが同じ方向に落ちてくるのを見て、彼女は更に混乱した。


「(フェーアは……!?)」


 彼女は、パピヨンから魔力炉の制御を強引に奪い取り、グリゼルダとパピヨンを放り捨て――そして始原者へと掴みかかったのだ。巻き添えを、避けるためか。

 かつての大妖術使い、エルメール・ハザクの技だけを受け継いだ彼女にとって、一度共同で発動した妖術の制御を奪い取ることは、その気になってみれば不可能ではなかったのかも知れない。

 グリゼルダは魔法術を発動してパピヨンを回収すると、フェーアを止めるために上昇のための魔法術を構築する。

 だが、遅かった。






 細身ながらもしっかりと訓練で筋肉を身に着けたと見える体躯の少年を睨みながら、フェーアは不動華冑の巨大な両手で、彼の体を掴んでいた。


「…………!」

「仲間の仇を討ちたいと思っているんだね。すまない。

 全ては僕の罪だ……僕と、始原文明の犯した大罪を、許して欲しいとは言えない」

「そんな……そんな言葉で謝ってもらったって……っ!

 私の……私の、一番大事な人は!! 帰ってこないのよ!!!」


 不動華冑が大気中の魔力線を最大効率で取り込み、フェーアの構築した大規模妖術に力を与えてゆく。

 ()空間(くうかん)転移(てんい)

 通常であれば、座標間転移は難易度こそ高いが、致命的な失敗は生じにくい部類の術だ。

 固体の中に転移先を設定しても、そうした場所への転移は物質と空間の復元圧によって座標がずれて、決して実行できない。

 だが、それとは原理の異なる、より真正な空間転移に近い原理の術が存在する。

 流体はおろか固体の存在も、力場も質量も無視し、隣接するあらゆる時空――つまり通常空間に潜んでいる亜空間などへの転移も可能となる、完全な四次元の転移。

 不動華冑は過去にも、近い要領でパピヨン、フェーアと共に異空間への突入を果たしている。

 フェーアは不動華冑をパピヨンから奪うことで、その真なる空間転移の転移先を、極めて小さな空間の隙間に格納された、こよなく微かな次元へと定めた。

 有り体に表現してしまえば、始原者を道連れに無へと消え去ろうというものだ。


「そうか、君の恋人は……本当に、本当にごめんなさい。

 ……でも、僕も止まれないんだ」

「もう……聞きたくない……!!」


 不動華冑の手を振りほどこうともしない少年の言葉を聞いて、フェーアは()空間(くうかん)転移(てんい)を発動する呪文を唱えた。


「全てを小さく――」


 だが、妖術が発動する前に、巨大な上半身だけの甲冑は強大な念動力場に吹き飛ばされて、戦場にそびえる始原者メトの台座の部分まで吹き飛んで衝突、爆散する。


「………………」


 空中にただ一人残った少年は、悲しみに胸を痛めた。

 もっとも、高次縮退物質で形成された彼の心臓は、もはや元の啓蒙者とは異なり脈打つことはしなかったが。

 戦闘は未だ続いているが、もはや啓蒙者たちの放っていた飛行爆弾も途絶え、実質的に彼を阻む者はいなくなったと思しい。


「……いや」


 彼は頭を振って、認識を改めた。

 まだ、いたのだった。

 東の荒野を見やり、語りかける。距離にして20キロメートルほど離れていたが、もはやその程度の隔たりは問題にはならない。


「今さら出てきたのかい、エメトの子の王」


 そこには、王が立っていた。

 妖魔領域最初にして、最新の王。

 狂王、ゾディアック・ヴェゲナ・ルフレート。

 光学上の外見は、ただの年若い男だった。簡素な装束に身を包み、付き人の一人すらなく、荒野に佇んでいる。

 しかし、可視領域外の波長や魔力線の波形で見れば、それが、地上で恐らく唯一、高次縮退物質の体となった始原者メトに抗い得る、物理的な力を持っている存在だと分かる。

 神聖啓発教義領(ミレオム)にいた際は詳しい情報は無かったが、宮殿の地下深くで無聊(ぶりょう)(かこ)ち、全てを嘲笑しながら生き続けているという伝承程度は伝え聞いていた。

 それが今、幻影の妖術の類でもなく、実在を伴ってここにいる。


「もう君が出てきても、この星の文明抹消は止められない」


 だが、その言葉に対する彼の返答――千年近くの間、誰も聞くことがなかったかも知れない、妖族の王の肉声――は、少しだけ意外だった。


「興が湧いてな。だが、そうだな。今更だ……この期に及んでエメトの使命など、もう飽いてしまった。

 戦も、(つま)を孕ませるのもな。たとえお前と戦って死のうと、我が無聊は慰められぬ」


 その言葉は、メトの中に残ったサルドル・ネイピアの価値観に照らせば、不愉快なものだった。

 ゾディアックの肉体の特異性は、恐らくは彼が、地上で最初にエメトの力に触れた、この星の人間であった可能性を示唆している。

 最初の被験体となったがゆえ、抜きん出た強度と寿命を得た。

 そのような力を得ていながらにしてこうした精神性に至るとは、信じがたいことだったが。


「播種派から使命を授けられながら、興か不興かを感じるだけの価値観に堕ちたか……

 いいだろう。ならば君だけは、僕が殺す」


 その言葉に対する返答は、更に意外だった。


「まだお前の相手は残っているぞ、破壊の使者よ。

 俺が興を覚えたのは、それだ」

「…………!?」


 背後で、炎が上がる。

 振り向けば、全高300キロメートルの“抹殺体”の台座の一角から、巨大な炎が猛烈な勢いで吹き上がっていた。

 通常の大気中で見られるような赤や橙の色ではなく、金色の火焔。

 吹き上がる高さは、始原者の翼を焼き焦がすと思えるほど。高度にして100キロメートルは下るまい。

 そして、その炎の色に照らしだされたが如く――空と大地に、黄金の旋風が吹き始めた。












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