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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
134/145

09.秘境の剣士











 地上滅亡まで残り、約48時間。

 妖魔領域南部、赤道を超えた先の密林の高地。

 タルタス・ヴェゲナ・ルフレートは深海の色の鎧(カテナ・デストルエレ)に身を包み、道なき道を歩み進んでいた。

 時折鳥獣の鳴き声が響き、昆虫などの小動物が草むらを逃げてゆく音、枝間を縫って葉々に当たる音などが鬱蒼とした黄色の楽園に木霊する。

 爛々とした草木や土、そして水系から漂う微小な妖殖物の匂いが渾然一体となって、一行の鼻もすっかりそれに犯されきっていた。

 彼らが暮らす北部より大きく南下しているが、ここも妖魔領域には変わりなく、群生する多様な妖植物たちも、ほぼ例外なく変換小体を含有することを示す黄色い葉の色をしている。

 ただ、その中には大人しく妖虫や妖鳥による花粉や種子の媒介を待たず、より豊富な栄養を摂取しようと打って出る者もいた。


「――!」


 ノコギリのような鋭いぎざぎざの淵を持つ植物の肉厚の葉が、一行の頭上から音もなく振り下ろされてくる。

 長さ1メートル程度の幅広の、斧の刃のような形状。

 普段は樹上15メートルほどの高さまで蔓によって巻き取られているが、直下を進もうとする動物の発生させる振動を検出すると、これが落下するのだ。

 そして音もなく振り下ろされる硬質の刃が哀れな獲物を切り裂く、という生態だったが、タルタスは両手の魔具剣で難なくこれを切り飛ばす。

 彼を先頭に、後ろにはフォレル・ヴェゲナ・ルフレートの姿を借りた太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)、ヴィルヘルム、フランベリーゼ、アルツェン、ハナルースとマナルースが続く。

 隕石霊峰(ドリハルト)でも集まった面々だが、とある目的のために頭数がいたほうが都合が良いということで、連れて来ていた。


「ふん、食獣植物……?」

「タルタスお兄ちゃんよォ、こんなトコこれ以上進んで、マジで会えんのかよ?」


 後ろからのフランベリーゼの不服気な声が聞こえる。

 露出度の高い服装を好む彼女に、今回は山歩き用の装備を着せて同行させているのだから、まあ無理もない。

 タスタスの真後ろを歩いているのは、今は亡きフォレル・ヴェゲナ・ルフレートの姿を借りた太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)だ。

 霊剣はフランベリーゼに、フォレルと瓜二つの声で代返した。


「この中で彼女に会ったことがあるのは、フォレルとタルタスだけだ。あの時もこうして、鬱陶しい山の中を会いに行ったものだ……

 いや、厳密にはそれをしたのはオリジナルのフォレルで、太陽の名を持つ霊剣たる俺ではないがな」

「それにしてもこれは……」「か弱いわたしたちには堪えるわ……」


 弱音を吐いているのは、ハナルース・ヴェゲナ・ルフレートとマナルース・ヴェゲナ・ルフレートだ。

 この双子の王女たちも戦闘に関してはかなりの手練のはずだが、こうした行軍の真似事をしたことはなかったのだろう。

 もっとも、タルタスとしては目的地に着くまで、これ以上の休憩を取るつもりはなかったが。


「ヴィルヘルムもアルツェンも……」「よく黙って歩いていられるわね……」

「……僕はこれ以上無駄に喋りたくないだけです……」


 左右の側頭から角を生やした青年――アルツェン・ヴェゲナ・ルフレートが、手にした杖は突かず、肩に担いだままで呻いた。


「…………」


 そして、列の中ほどを、やはり無言で歩くヴィルヘルム・ヴェゲナ・ルフレート。

 こうして狂王の子女6名と二振りの霊剣は、湿気の多い森を進んでいく。

 湿度はますます増していた――というよりも、むしろひんやりとした霧雨のような涼しさが大気に加わりつつある。

 それだけではなく、ごうごうと地鳴りのような音が聞こえても来ていた。

 時刻は妖魔領域時間の14:30を回ろうとしていたが、緯度が低いため、まだまだ日が落ちてきた気配は感じられない。


「…………ここだ」


 一行がタルタスに合わせて立ち止まると、そこには遥かな高台から下方へと叩きつける瀑布があった。

 アルツェンが、切り立った崖を見上げながら唸る。


「え……まさか……」

「この滝が目印だ。ここを垂直に昇ってゆけば会える」

「マジでか……面倒くせえな……」


 こうした場合は、使用できる程度に妖術の練度が高ければという前提になるが、座標間転移で跳躍するのが最短だ。

 しかし高台の上は1000メートルほども離れているので、よほど練度の高い術者でなくては切り立った崖の中腹に出て、突き出た岩肌に衝突する危険がある。

 念動力や重力反転で以って自分の体を浮かせていくのが順当だが、フランベリーゼのような武闘派の場合、不測の事態に他の妖術で対応するのが難しくなるのを嫌ってこうした反応になることも多い。

 これほどの未開発の地で、敵対する組織に命を狙われるといった事態も考えにくいが。

 タルタスは短く言葉を区切ると、妖術を念じた。


「フランベリーゼ、それ以上喋るな」

「んだとォ……!?」

「舌を噛むぞ」


 タルタスがその頭部全体を覆う兜の下で何ごとかを唱えると、虚空から出現した6基の深海色の篭手がフランベリーゼに向かって殺到する。

 登山服姿のままの彼女は、両手首と両足首、そして両腰をがっしりと固定され、そして篭手の肘部分から青い噴射光が下方へと爆発した。

 彼女はそのまま、断崖の頂上へ向かって打ち上げられてしまう。


「んじゃこりゃあぁぁぁぁぁぁ!!?」

「うわぁ……」


 アルツェンが、気の毒そうに異母姉の末路を見上げて声を漏らす。

 残った者たちをさっと見渡し、タルタスは尋ねた。


「同じ方法で登りたい者はいるか」

「天地の(ことわ)る!」「なれど真逆に吹き上がり!」

「ドゥシュ・アジェヴォレ!」

「……抑制しがたき高揚よ」


 双子にアルツェン、そしてヴィルヘルムは自前で念動力場や重力反転の妖術を使用し、高台の上を目指して飛び上がっていった。


「俺達も行くぞ、タルタス」

「俺に指図をするな」


 残った太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)とタルタスも、それぞれ妖術と、鎧の背部と靴底からの噴進光を使って跳躍した。

 五秒にも満たない時間だったが、タルタスは太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)が機械化啓蒙者の残骸を使用してフォレルと似た姿に再構築された体を操っているだけのはずにもかかわらず、記憶を消耗する様子もなく妖術を使用しているのが気にかかった。


「(あの擬人体と連携した半可な霊剣の力か?

 もし、本来であれば使用者の魔力を消費することでしか術を行使できないはずの霊剣が、それを単独で可能になったのだとしたら……)」


 だが、その思索は一瞬頭を過ぎっただけに終わる。

 タルタスが高台の上を見下ろせる高度に達して妖術を解くと、既に他の異母兄弟たちが辿り着いた目的地が、眼下に見えていた。

 太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)と共に着地すると、フランベリーゼの四肢と腰に取り付いていた六基の篭手を回収する。

 既に、目的の人物も姿を見せていた。


「ヤクネ・ヴェゲナ・ルフレート……!」


 それは、艷やかな純銅の色の長い髪を左の側頭で結んで腰まで垂らした、中肉中背の女だった。

 ラキュソに続き、狂王位継承権の第二に位置する女。

 ラキュソの死――いや、公式では認められていないので行方不明とすべきか――に前後してこの秘境に引き篭もり、剣の道に明け暮れ、そして居場所を探し当てた刺客は、全てその剣の錆に変えたという。

 ただ、現在消息が分かっている狂王の子の中で最高齢であるにもかかわらず、その血のなせる技か、やはり彼女は200年前と変わらず、ひどく若い様子だった。

 さすがにヴィルヘルムのような特殊な容姿ではないが、フランベリーゼ、アルツェンなどよりは年下にも見える。

 タルタスが兜を脱ぐと、銅色の髪の妖女は心やすげな笑みを浮かべて告げた。


「久し振りだね、フォレル、タルタス。

 ん、いや、フォレルの方は……まぁいい、ついに私を殺しに来たかな?

 そうでないなら茶の一つも出すが……そっちの子たちもね。

 どうかな、私が剣の練習の合間に気分転換に育てた葉を使うけど」


 彼女一人で手入れをしているにしては、その住まいは少々綺麗すぎる気もした。

 そんな古びた庵を指差すと、彼女はこちらを警戒する素振りも一切見せず、その中へと入っていってしまった。


「変わらんな……どれ、積もる話もせねばなるまい。

 お前さんたちも入りなさい。あれが幻の最長女、ヤクネ姉さんだよ。

 取って食いやしないから、お邪魔して振る舞ってもらえ」


 太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)がヴィルヘルムたちをそう促して先に入らせると、中からヤクネの声も聞こえてきた。


「どうした? 別に本当に殺しに来たわけでもあるまい。

 折角だから入りなさい、外の話も聞かせてくれるんだろう?」


 タルタスが深海色の鎧(カテナ・デストルエレ)を分解し、異空間へと収納すると、ヤクネがもう一声だけ、伝えてくる。


「それと、この高地は天気が不安定だから気をつけなさい。

 けっこう急に雨が……ほら」


 ぱらぱらと礼服に染みを作り始めた雨粒が徐々に強まるのもあって、タルタスたちはやや足を早め、彼女の庵の軒をくぐった。











 それから20分ほど、タルタスは現在この大陸に起きている異変と、その元凶についてを語った。


「なるほどね、あの良く分からん声にはそういう意味があったか……」


 左手で頰杖を突いたヤクネは概ねの事情を聞き終えると、小さく嘆息してそう呟く。


「天船がどうのとかの学問の話はよく分からないけど、本当に、世界が滅ぼされるまであと2日あるかどうかという状況なわけだね」

「そうです。姉上に於かれましては――」

「その前に」


 ヤクネは話を続けようとするタルタスを遮って、円形の卓に就いた異母弟や異母妹たちを見回した。


「茶と水菓子の感想を聞かせてくれ」


 茶はともかく、水菓子というのは、彼らの目の前の皿に載っていた、黄色くぷるぷるとした種入りの果肉の果実だった。

 最初にその問いに答えたのは、アルツェン、ついでフランベリーゼ。


「見た目はちょっとびっくりしましたけど、甘酸っぱくて美味しかったです! お茶も良く合う香りでした」

「あぁ、俺もその……良かったら土産にちっとばかし分けちゃくれねえかなと」


 二人とも、甘味好きとしてそれなりに知られていた。

 双子とヴィルヘルムも、ややぎこちないながら感想を告げる。


「まあ見た目は置いといて」「大変に美味でした」

「ごちそうになりました。カルネジロフに戻ったら、執事たちに調理法を研究させます」

「大変ご好評! いいね!」


 森から取ってきただけなどと謙遜して出した割には、自らのことのように手を叩いて喜ぶ。

 その有様は、ともすれば童女だ。このような秘境に引き籠っている女が、千年ばかり剣に精を出したが為に地上最強の剣の使い手とは。

 声には出さずひとりごちる彼の胸の内を見透かしたか、ヤクネは眉根を寄せてタルタスへと感想を募る。


「……君の感想は」

「……以前にも一度頂いたが、変わりなく。美味しゅうございました」

「どことなく真心っちゅうもんがこもっとらん気がするけど、まぁいい。

 大方察しは付いてるつもりだが、君の口から要件というのを聞こう」


 余談になるが、太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)がフォレルの姿を借りている理由も大方説明したので、太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)の前に出された茶や水菓子は一応の礼儀としてのものに過ぎない。

 タルタスは小さく咳払いし、小さな庵の食堂の中で告げた。


「ヤクネ姉上に於かれましては、此度(こたび)の始原者征伐への、ご助勢をお願い申し上げる」

「へぇ。私の剣が、この高地よりでかい始原者とやらに通用するものかな?」

「剣ではなく、狂王陛下のご子女として。

 当方に一計がございます。それにお力添えを頂けるならば――」

「じゃあやだ」

「………………」


 口を尖らせるヤクネに、一瞬とはいえタルタスは調子を挫かれて眼鏡の位置を整えた。


「真剣に、お頼み申してございます」

「真剣ね。君の言った状況が本当ならば、私もこの大地に間借りする身だ、多少の助力なら喜んでするが……

 そこで剣など要らんとばかりに言われてはね……!」


 ヤクネの形相が、見る間に怒りへと変わる。

 先程までは温和で気のいい娘といった風情のそれが、今は憎しみさえ篭っていた。

 あっけにとられて見守る他の子女たちの視線も構わず、ヤクネは腰を上げて卓に手をつき、続ける。


「私が何でこんなとこに篭ってるのかは、昔フォレルと一緒に来た時に説明してやったろ! 言ってみ!」

「記憶に相違なければ……その御血筋を威光と縋る輩どもを疎まれた、と」

「そうだよ。そりゃあ、私がそれなりに達者になれたのも父上の血が流れているからかも知れないけどね。

 でも少なくとも剣の技だけは、私が自分の意思で磨いたもんだ。自分で入れたくて入れたわけじゃない父上の血から来たところだけ、都合よく頼られたくはない!

 フォレルらしき男に弟たち妹たちを連れていたから通したが、君だけなら追い払ってたとこだ……!」


 ほぼ初手から、逆鱗に触れてしまった。

 情報の少ないヤクネ相手とはいえ、タルタスは己の舌を恨んだ。

 彼は椅子を押して立ち上がると、弟たち妹たちはおろか太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)までもがそれを思わず凝視する中、大きく頭を下げて更に乞うた。


「狂王陛下の臣民の、ヴェゲナの地の……いえ、生きとし生ける者全ての危機なのです。

 そこを曲げて、どうか」

「……ふーん。ヘソの奥じゃ悪いことばかり考えてそうな坊やだと思ってたが、今のは少し、真心ってもんが篭ってたよ。

 じゃあ、こうしようか」


 ヤクネは椅子を引くと庵の奥に消えて、すぐに戻ってきた。

 肩には一振りの、木剣のようなものを担いでいる。


「自分で言うのもなんだけど、それでも私は自分の剣技にはそれなりの自信がある。

 今のとこ、剣じゃ誰にも遅れを取ったことがない。暫定とは言え地上最強の剣士を名乗りもする。

 ここまで言ったら、分かるよね」

「……剣で、あなたを負かせと」

「そう。剣士ヤクネが使い手としてこの地上で二番目以下だと証明できたら、その時は私は君の指示に従おう。

 飯炊きだろうが夜伽だろうが、喜んでやってやるさ」


 見かねたか、横から太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)が割りこむ。


「……姉上、俺が代わっても構わんでしょう?」

「駄目。君はあくまで、フォレルの姿を借りた霊剣だ。たとえフォレルより強かろうと、剣技ならば君にだって負ける気はしないけど……

 それでも剣士は剣の担い手なんだ。たとえ人格剣でも、剣と喧嘩はしないと決めていた。

 ……君が剣の姿に戻って、タルタスの相棒として知恵を貸すなら構わないけどね」


 タルタスは立ち上がると椅子を引き、席を離れた。 


「……場所は。表ですか」

「そうだね。雨も上がったことだし、今からでいいのかな?」

「姉上がよろしければ」


 二人は互いに先んじるように、軒をくぐって庵の外へと向かう。

 太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)やヴィルヘルムたちも特に異を唱えるでもなく席を立ち、外へ出た。


「決まり事はどうなさいますか」

「今のヴェゲナの流行りがあるならそれでいいよ、教えてくれ」


 左側頭にまとめて長く垂らした純銅色の髪を首元に巻きつけながら、彼女。

 タルタスも既に礼服の上着を脱いでおり、更に喉元を緩めた。


「私があなたより剣で上回ったと示せばよい、ということは……あなたにそうと感じさせぬ限り、勝ちではありません。

 ならば、そう思って頂けるまで」

「いいのかな。それなら、剣と併用するために編み出した妖術の幾つかも使うよ、私は」

「お許しくださるのであれば、こちらは己の立場も使って集めた魔具を使わせて頂きまする」

「はは、結構」


 そうして二人は庵の外の小川の近くに陣取り、ヤクネは木剣らしき得物を、タルタスは道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)を正眼に構えて相対した。


「なら、私も別に、君を殺したいわけじゃない。

 互いに相手を殺さぬ前提ではあるが……万一死んでしまっても致し方なしとしよう。

 受けてくれた君に失礼の無いよう、そのつもりでやる。

 ……誰か、合図を頼むよ」


 それを受けてタルタスは、やや離れて観戦の構えを見せる異母妹の一人に呼びかける。 


「フランベリーゼ、花火でも上げてくれるか」

「ん! お、おう……我が狼煙こそが、その時を知らせる!」


 呪文によって解き放たれた小さな魔弾の妖術がフランベリーゼの上方へと投射され、十メートルほどの上空でぱんと破裂する。

 それを合図に、秘境の剣士と霊剣の継承者は高地の土を蹴って戦いを始めた。











 リズムが早まる。心拍数が増大する。

 いつの間にか懐にあったかのように次々と迫る木剣の切っ先を、タルタスは霊剣の刃で弾く。

 まるで、無音の羽虫の毒から肌を守るかのように、彼は為すすべ無く後手に回っていた。

 ヤクネ・ヴェゲナ・ルフレートは、純粋な剣の技に限って言えば、かつて戦った二人の霊剣使いを凌駕しているだろう。


「(これで恐らくは様子見……何という速度だ……!)」


 彼女は見たところ、通常の妖族と比べて身体能力に大きく勝る点は無い。

 ただ、狂王の娘ではあった。タルタスもそうだが、偉大なる妖魔領域の神であるゾディアック・ヴェゲナ・ルフレートの遺伝情報が、その肉体に表現型となって顕れている。

 例えば、狂王の子は通常の妖族と比べても、断面積あたりの筋力が倍以上に大きい。

 脳機能においても、タルタスが接触して試験を実施できた子女たちの学習能力や知能などの平均値は、明らかに他の妖族のそれを上回っていた。

 同じはずの種族に対して、先天的に圧倒的な優位を持つ血脈。

 だがそれを疑問に思う妖族は、恐らく全くと言っていいほどいない。

 現実に存在してしまっているのだから、そこに文句をつけるのはリンゴの落ちる方向に難癖をつける狂人だけだということなのだろう。

 何度目か、ふらりと喉元に迫った木剣を、ヤクネの手を蹴って寸での所で回避する。


「!?」


 そこで彼は、手品の種を理解した。


「ばれたか」


 動きが止まってみると、ヤクネは木剣を二振り持っていた。

 右と左の二振りで攻めながらも、巧みな位置取りと剣さばきで一振りしか持っていないように誤認させられていたのだ。

 妖術の中でも幻惑や撹乱を得意とするはずのタルタスが、だ。


「(妖術によるものではなく、純粋な剣の技の一種ということか……切って突くだけが剣ではない。確かにな……)」

「まずはその剣の加護も、君の研鑽も中々のものと認めよう」


 微笑むと、剣士は姿勢を落としながら更に告げる。


「仕切り直そう、もう少し地金を見せてみ?」

(後ろだ!)


 そこで今度はヤクネの姿が忽然と消え、タルタスは道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)の助言を受けて前方へと跳ぶ。

 後頭部にちくりと痛みがあったのは、かすめた木剣が髪の数本を巻き込んで引き抜いためか。


(これ以上一振りでは無謀。複腕を召喚せよ)

「く……全複腕、駆動系、来陣(ライジン)!」


 必死にヤクネの木剣――霊剣の刃で何度も受け止められているにも関わらず、破断する様子がない。木剣に見えるがやはり魔具なのだろう――を受け流しつつ、彼は霊剣の助言を受け入れて深海色の鎧(カテナ・デストルエレ)の一部を異空間から召喚した。

 妖魔領域の伝説の怪物、十臂(じっぴ)を象った鎧の、一部分だけ。そしてそれに付随した十二の魔具剣が、雷鳴と共に密林の高地に出現する。

 通常は召喚者の直上1メートルほどの位置に現れて即座に着装が完了するが、今回はタルタスがヤクネとの競り合いで小川のほとりを目まぐるしく動き回っているため、少しずつ位置が離れていった。

 通常空間に現れた深海の色の鎧(カテナ・デストルエレ)は、複腕と駆動組織だけを各部に分解し、着装者を保護するためにタルタス目掛けてバラバラと飛んで行く。

 だが、なんとヤクネは召喚されてタルタスの体に殺到するその部品を、彼が着装する寸前に次々と、木剣で弾き飛ばし始めた。


「(何だと……!?)」


 各部の部品はその程度で破壊されたりタルタスの位置を見失ったりはしないが、しかし今まであり得なかった事態に思わず刮目(かつもく)する。


「練習すれば、このくらいはやれるのさ」


 そう(うそぶ)きつつヤクネは、二振りの木剣の剣先で、タルタスの元にたどり着こうとする四ヶ所の装甲を妨害しながら、お手玉のように器用に弄んでみせた。

 他の装甲は既にタルタスの元にたどり着いて着装を完了し、今の彼はほぼ全ての外部装甲と、右肩の複腕周辺がない状態――ヤクネに奪われている――の深海の色の鎧(カテナ・デストルエレ)を纏っている。

 重みを減らすために篭手の部分以外は白い駆動組織が露出しており、防御力は下がっているが速度は上がる。

 そこに、ヤクネが木剣を打棍(バット)、弄んでいた深海の色の鎧(カテナ・デストルエレ)の装甲を玉に見立てて、四連続でタルタスに向かって打ち出してきた。


「!」


 タルタスはその連射を複数の副腕で防御し、そして次の瞬間、地を這うように接近してきたヤクネに掌底で腹を殴打された。


「(捉えきれん……!)」


 体が空中に浮き上がり、両膝の副腕での攻撃はすり抜けられ、逆に右脚を掴み投げられ、大地に叩きつけられる。


「ん?」


 その直前、魔具剣を握ったままの両肩の四基の副腕で衝撃を和らげ、足裏の噴進光を爆発させてヤクネを引き剥がした。

 噴進光の勢いを利用して後方へと回転して体勢を立て直し――ついでに弄ばれていた右肩の副腕一基をようやく着装――、周囲を確認する。


「(多少は目眩ましになると思ったが……)」


 既に彼女はその攻撃の気配を察していたか、爆光で視覚と聴覚を狂わされる前に退避したらしく、10メートルほど離れた位置で左右の木剣を下げた姿勢でこちらを眺めていた。


「食えないやつだ。でもそういう道具も使ってハンデが埋まるなら、遠慮なく試す。いいね」

「――!!」


 その瞬間、ヤクネは宙を舞った。

 重力も、上下も足元の有無も無視して、魚が水中を踊るように剣を繰り出してくる。

 また剣捌きか、体術による幻惑か。

 いや、小規模な妖術で空中に足場を作り、そこを伝って虚空を跳ねまわるように移動しているのか。

 驚愕するタルタスを、想定外の方向からの木剣の連撃が打ちのめす。

 防御も、受け身も取れず、彼は突然の豪雨に惑う蝶のように弾かれ、叩かれ、大地を舐めた。

 噴進光で離脱し距離を取ろうとすると、木剣の先で突かれて推進軸をずらされ、意図しない方向へ投げ飛ばされる。

 空中を蹴って四方八方から剣撃を加え、こちらの反撃は髪の一筋とて捉えることが出来ない。

 これが刺さる刃を持つ武器相手であったならば、こちらの体に突き立てられた瞬間を狙って武器を絡めとり、反撃に繋げる望みもあっただろう。

 だが、木剣はこちらの鎧の上から重い一撃を与えた直後にその表面を滑り、そうした真似を許さない。

 何とか出来る、何とか説得してみせる――そのような甘い考えが。

 曲がりなりにも戦闘者として、啓蒙者の司祭を打ち据えたという自負が。

 黄金色の楽園を背景に連続して飛来する純銅色の閃光によって、粉砕されてゆく。

 ふと見えた、観戦している者たちの表情に、タルタスはそれを深く自覚させられた。


「(ウィルカ……そんな目で俺を見るな……!

 兄上と同じ顔で……本当の兄上は、俺のことなど――)」


 本当か。

 本当に、そうだったか。

 フォレルがタルタスを省みていたかどうか、では無く――本当に自分は、敬愛する兄に対して何の見返りも求めず尽くしていたのか。

 いつかは彼が、時の彼方に生き別れた懸想の相手(エルメール・ハザク)ではなく、自分をこそ片腕と、気にかけてくれるのではないかと――そんな期待を、してはいなかったか。

 そうした、このような状況では無意味極まる雑念が、剣撃のダメージを受けた脳に充満する。


(タルタス・ヴェゲナ・ルフレート。

 今は昔日ならず、汝もまた不変たる能わず)

「(未来を見ろというのか――ドリハルトでお前の特異能が発動したのは土地の作用による偶然だ。

 あれ以来、折を見て試してはみたが一向にその気配もない)」

(汝の心が未来を視ようとせぬ故に。試みぬ者に結果は訪れぬ)

「(兄上の居られぬ未来を……違う、俺は……兄上の見たかった未来を……せめて俺の手でと……)」

(自覚せよ。それを望むは汝――その欲望は汝のもの。フォレルのものでは無い。

 自覚せよ。過去は省みるべきなれど、決して戻っては来ぬ。

 過去は過程。仮定すら出来ぬ去りにし日々。

 未来をこそ望め。為政者の系譜を渡った霊剣を手にしたならば!)


 霊剣によるその押し付けがましい問答が、実際には何秒に相当する時間だったか、タルタスには測る術がなかった。

 だが、覚えていることはあった。

 前後・左右・上下の三軸を縦横無尽に飛び交ってこちらを打ち据えていたヤクネの木剣の太刀筋が、ふと、どこから来るか分かるように思えたのは、錯覚ではなかった。

 タルタスの周囲にいつの間にか咲き乱れていた植物――の、ようなもの。


「あれは――」


 同じものを見た記憶も未だ鮮明な、狂王の子女たちが声を上げる。

 それは先日ドリハルト島一面を覆い尽くした、青く光る草花だった。

 それがタルタスの足が踏みつけた跡に、一輪、また一輪と育ち、花開いてゆく。


「……これは、君の妖術か……?」


 こちらを睨む視線はそらさず――しかしヤクネが、初めて訝しむような声を上げる。

 彼女はタルタスの返答を待たず、フェイントを織り交ぜながら彼の死角へと奇妙な歩法で接近する。

 ――それが、読めた。


「っ!」


 道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)の刃が()(せん)を制し、初めてヤクネの木剣を受け止める。

 度重なる手加減無しの打撃の嵐に、狂王の遺伝子に由来する頑強さを備えたタルタスも限界が近い。

 だがそれでも、次に来る太刀筋の位置さえもが、分かっていた。

 受け止める。


「何――!?」


 四連続で剣筋を読まれた彼女が、僅かに表情を歪めて後退するのに合わせ、タルタスは呪文を唱えた。


散参(サンジン)


 すると、駆動組織と魔具剣を握った副腕だけの状態だった深海の色の鎧(カテナ・デストルエレ)が一斉にタルタスの身体から分離して、爆発的に飛び散った。

 ヤクネはこれも難なく木剣で弾くが、タルタスはそこに、道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)の一振りを握っただけで突進する。

 まず一撃、これは右の木剣であっけなくいなされた。

 二撃目、三撃目、いずれも右だけで防がれる。

 そこに飛来するヤクネの一撃を回避せず、タルタスは左手を柄から離し、彼女の襟首を狙って首筋に手を伸ばした。あわよくば締めるか、投げ飛ばす。

 しかし、直前で霊剣を握る右手の肘を痛打が襲い、出来た隙を突いてヤクネは飛びのき、距離を取ってしまった。

 もっとも、彼女が離れたことで打撃が浅くなり、かろうじて霊剣を手落とさずに済んだのだが。

 首筋に巻いていた純銅色の髪の手触りが、僅かに残っていた。

 秘境の剣士の目に、初めて警戒の念が宿る。


「……なるほど、その霊剣に秘められた、先読みを可能にする力というべきもんでも解放されたか」


 今のタルタスは、道標の名を持つ霊剣(パノーヴニク)の特異能の発現によって、ごく近い距離の、数秒程度とはいえ未来を読めるようになっていた。

 効果の範囲は、青い花の咲く彼の周囲の半径3メートル前後。


「(――来る)」


 彼女が妖術を構築する気配が感じられた。


「なら、いくら先が読めても関係がない太刀筋というものを披露しよう」


 恐らく、剣術と併用するために最適化された、神経の交感間隔と体細胞の強度を大きく増加する――複合加速の妖術だ。

 木剣のそれとはいえ狂王の娘の膂力で放たれた数十回に及ぶ打撃を浴びているタルタスが同じことをした所で、対抗できるものではない。


「天に脚、地に指――」


 呪文と共にヤクネが加速し、不可視の速度の一撃をタルタスへと見舞う――その直前。


匍匐(ほふく)する魔手よ」


 タルタスが小さく呟いた呪文と同時、彼女の動きが急激に鈍った。

 見守っていた太陽の名を持つ霊剣(ウィルカ)たちがよく見ると、ヤクネの背後から両脇腹を通して、タルタスが先ほど着装を解除した鎧の一部――左右の篭手が。

 彼女の両の乳房のふくらみを、揉みしだくようにして貼り付いていた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?」


 神速の一太刀を放つために肺に込められていたであろう空気が、黄色い悲鳴となって密林に木霊する。

 その隙を受けて、この上なく卑劣な一撃が、ヤクネの鳩尾へと吸い込まれていった。











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