06.分断国家
大陸極東には断骨山脈と呼ばれる南北に長い山地があり、普段は高山では珍しくない雪化粧をしているが、時折火山活動が活発化することがある。
産生された火山灰は雪と交じり合って火山灰性の泥となり、山脈の西に横たわる巨大な盆地へと流れこむ。
これが固化して生まれたのが、“狂王の宝物庫”と通称される荒涼とした高地だった。
そもそもの由来は、褒美を求める部下に対し、狂王がこの不毛の地を指して好きに持って行けと言い放った逸話から来ているとされる。
逸話は、途方もない量の泥の中に沈んだ宝物を命がけで探し当てた部下に宝物がそのまま下賜されるという訓話めいた結びで締めくくられているが、ここには実際に、世暦を始まる以前、大昔の妖族が作ったという無数の異物が眠っていた。
ここにそうしたものを投棄する習慣があったのか、何らかの原因で重要な物品が封じ込められる結果となったのかは、よく分かっていない。
その発掘と保全を行う事業を千年以上続けてきたのが、トラティンシカ・ベリス・ペレニスを現当主とする妖魔領域の名門ペレニス家だった。
「そういう訳でして、ここなら、始原者に対抗するための武器など探し出せるんじゃないかと思いましたのよ」
「トリノアイヴェクスみたいのがまだ埋まってるんですか?」
半信半疑半眼で尋ねるグリゼルダに、トラティンシカはやや困ったように答える。
「恐らくは宇宙での戦いで破れたエメトの付属品が多く落ちた土地なのでしょうから、同型艦が埋まっている可能性も無くはないと思いますけど……
あれは発掘と使用法の解読に100年ほど要しましたので、これから探し当てるとなるとあまり現実的ではないでしょうね」
彼女の逸らした視線の先をグリゼルダが追うと、そこには遥か深くまで螺旋状に抉り抜かれた円錐状の掘削跡があった。
あそこまで巨大な穴を掘ってトリノアイヴェクスを使用可能にしたのだから、この妖女のセオ王子への恋慕というものは尋常なものではなかったのだろう。
アリシャフトが、補足する。
「埋まってても、使える保存状態とも限らないしね。
あと40時間で始原者を倒さなきゃならない僕らに必要なのは、天変地異の災害レベルの破壊力を、人類が現実的に可能な対価を支払えばすぐに、深刻な副作用を生じずに使える。
そんな兵器だと思うんだけど」
「虫の良すぎる発想よね……」
キルシュブリューテが頬に手を当て、首をかしげた。
「使い方まで解析が終わっていて、武器として多少なりとも有望そうなものが、こちらでしてよ」
トラティンシカが彼女たちの背後に向かって手をかざすと、学芸員らしき妖女が魔具を並べた陳列棚を運び込んでくるところだった。
当主である彼女の指示か、学芸員たちが几帳面な性格なのか、魔具は背丈よりも高い陳列棚の中に、美術品のように丁寧に並べられている。
傍らには説明書きを付け加えた札まで貼ってあり、グリゼルダはその内の一つ、一見して金の延べ棒か何かのような物品を手に取ってみた。
「……エマース・バタ。
念じながら投げると相手を追尾してぶち当たる……こんなんじゃ始原者の頭はかち割れそうにないなぁ」
次に、アリシャフトが無数の印を刻まれた古風な様式の長剣を手に取る。
「グラスクムル。
振ると魔法物質で複製された刃が現れて間合いに入った敵を切り刻む……無理だな」
キルシュブリューテが、その中では最も巨大な、中が空洞であれば大人一人がまるまる収まりそうな大きさの魔具の傍らの説明書きを読んだ。
「鈍塔。
投げると相手を追尾して巨大化、頭上から覆いかぶさる。覆いかぶさった後は熱と有毒ガスを出して敵を殺傷、最大直径およそ4メートル……横幅だけで100キロメートルある相手にこれは……」
多国間特務戦隊の主要構成員も、今はそれぞれ別行動を取っていた。
カトラは所用で船を離れており、アダはヴィットリオと共に破損した両肩の修復を終えてカトラに同行した。
レヴリスも、移動都市の様子を見たいと途中で下船し、今ここにはいない。
セオは船内で、アムノトリフォンに持ち込んでいた通信機器を使用してどこかと連絡をとっているらしい。
聖女たちは、彼女たちに生態改造を施した啓蒙者たちが仕掛けた敵対防止策――身体維持のための薬物が欠乏し始めたらしく、天船が医療検査を行っていた。
出土した魔具の検分に来ているのは、トラティンシカの他には霊剣使い三名のみだった。
「……正味のところ、昔の武器というのはどうしても対人になってしまいがちですわよね……
大規模な破壊力を発揮できそうなものは財源維持のために競売で売り払ってしまったこともありますけれど」
「今の話、黙ってたらいくらくれます?」
キルシュブリューテが人差指と親指で円を作る仕草をすると、トラティンシカは大まじめに憤慨した。
「しつれいな! 出土品の競売はちゃんと大円卓で認証を受けた我が財団の権利ですのよ!
そもそも、アムノトリヌスを発掘するため! あれを掘り出して使い方を解明するのに毎年何億ゾド費やしたか、支障なければ今すぐご説明いたしますわ!」
明後日には世界が滅ぶという状況で口止め料も何も無いのだが、そこに裁きの名を持つ霊剣までもが追撃をかけた。
(現代になって一定の役割を果たしてくれたから良かったものの、当時の動機としてはあくまでセオ殿下の追っかけをするための果てしない公私混同だったよね)
「今となっては反省しておりますから!?」
結局、とてもではないが、すぐに使える魔具の中には始原者攻撃やその一助となりえそうなものは見当たらないという結論になった。
学芸員たちは魔具を並べた陳列棚を回収して退散し、採掘場の一角には三人の霊剣使いとトラティンシカだけが残った。
「セオさま助けて、みんながわたくしをいじめますの……」
しゃがみこんで両手で顔を覆う彼女を他所に、三人の霊剣使いは議論を重ねる。
「やっぱり、最終収束を起こすしかないのかな」
キルシュブリューテが呟いたその言葉は、以前グリゼルダも話題の俎上に載せたことがあるものだった。
「二人に会う前にも話してたことがあるけど……
ビーク・テトラストールの想定していた最終収束は、充分な期間に渡って経験を蓄積した、彼の打ち出した霊剣五振りによる記憶の統合ってことだよね」
(ミルフィストラッセ亡き今、やるしか無いかも知れないな。全ての記憶と経験が統合されれば、そこから新たに妙手が導き出されるか……
あるいは全ての霊剣の特異能が発現した今、新たな特異能が生まれる可能性もある)
しかし、とアリシャフトが反駁する。
「収束しちゃうと、“銀月”が使えなくなる可能性がある。
あれは当たりさえすれば、始原者の中枢を消し飛ばせる。だから始原者はわざわざ分体みたいなものまで遣わして、打ち返してきたわけで……
切り札として残しておくべきじゃないかな」
(我々としては君たちがどちらを選択しようと異存はないが、出来ればこの場にいないタルタス王子やパノーヴニクの意見も聞きたいところだ。
新霊剣を創りだした男の記憶を持つウィルカの知見も得たい)
抗う名を持つ霊剣が名を挙げたことで、グリゼルダは初めて、ここ半日近く彼らの姿を見ていないことに気づいた。
積極的に会いたい訳では無いのだが、気になって尋ねる。
「あの婉曲無責任・ザ・最低男が素直に参加するとは思えないけど……ていうかどこにいるの今」
「何そのすさまじい悪口……ていうかグリちゃん聞いてないの? 会って話をしたい人がいるって言って、ここに来る前に他の異母兄弟たちと一緒に降りてったんだけど」
「んがぁぁぁぁぁこんな時にあんのクソダヌキっっ! 次会ったらタヌキ汁にしてやるっ!!」
残念ながら、持ち帰るべき議論の他には目立った収穫は無し。
一先ずトラティンシカと三人の霊剣使いたちは、その場を離れることとなった。
時刻は、妖魔領域の標準時間で午前10時を回ろうとしていた。
地上滅亡まで、あと53時間。
始原者の降臨から、およそ丸一日が経過した。
ベルゲ連邦やその同盟国の首脳陣は、降臨から8時間後には、多国間特務戦隊からもたらされた情報を共有していた。
彼らは月に向かう直前、ベルゲ連邦などの複数の国家に音声装置などを使用した“置き手紙”を残しており、その解析や、各地の天文台からの報告によって、多国間特務戦隊が月に向かい何らかの作戦を行ったことは、ほぼ確実だとみなされていた。
しかしそれでも、もたらされた情報は政治家たちを大きく混乱させた、
「妖族たちの聖地が、その文明播種船というものだと?」
「それを追ってこの世界までやってきたのが、啓発教義の連中の崇めているメト神で……それが昨日の“声”を出したということか?」
「宇宙始まって以来最初の文明の内部対立が、100億年以上経っても続いていると?」
セオ・ヴェゲナ・ルフレートとその妻による証言だけでは、魔女たちもどう反応して良いのか分からなかったに違いない。
だが、そこに天船の派遣した機械式の使い魔が加わると、話は変わった。
何と言っても、啓蒙者のそれに匹敵するものであると人目で分かる、小さな浮遊機械が出現したのだ。
本来ならば資料などを綿密に準備して説得に当たらなければならないところを、この機械の使い魔は議場に設置されていた映写用の銀幕に様々な画像を表示することで、天船の性能の一部から戦闘の推移、これからの予測までを提示してみせた。
“声”が聞こえたことだけは誰もが認める事実なので、それに関する視覚的な裏付けを得ると、人々は大きく、素早く動き出した。
始原者、討つべし。
とはいえ、社会的な限界もあった。
ベルゲ連邦の標準時間では夕刻に近かったため、大きく活動を進捗させたのはほぼ、軍関係の実働組織だけだったといえる。
降着の時点で正午を回っていた魔女諸国では研究機関などによる主だった成果は少なく、連邦地質学研究所によって測地が行われ、後日、巨大物体がセオ王子の情報と同様の大きさを持つと判定できた程度だった。
魔女諸国全体が本格的に動き出すことが出来たのは、翌日の朝――始原者が地上に現れて、20時間ほど過ぎてからのことだ。
ただ、一つだけ、例外がある。
ベルゲ連邦北東に位置する、グルジフスタン共和国。
その西の湖のほとりには、国立人類史研究と名付けられた人文系の研究施設が建てられていた。
だが、そのあまりに学術的な響きとは裏腹に、今やその周辺は軍事要塞にも似た、ものものしげな空気が張り詰めている。
時刻は午前7時にもなっていない、日の出前の北国の朝。
建物の裏手、大型の輸送車も入れる搬入出用の出入り口から、箒の代わりに小銃を携えた魔女歩兵の隊列が歩み出てくる。
行進と呼べるほどの規則正しい動きではなく、あくまで戦場に向けて列を維持している、という程度の動きだ。
20人ほどが、その裏口の周囲を警戒するように取り囲んでいると、そこから、やや大きな体躯の人の形をしたものが進み出てきた。
正確に表現するならば、人の形をしたものを縛り付けたままの拘束台だった。
四肢にそれぞれ五指が備わり、頭部には両目と耳鼻に口。それぞれの数と比率は、全て人間の条件を満たす。
だが、その表面は複雑で幾何学的な無機質に覆われていた。
そしてその傍らには、ややこしの曲がった老爺の姿。
老いてなお才気溢れる、グルジフスタン共和国の影の国父、シェーニヒ教授だ。
彼は何やら嬉しそうに、厳重に拘束された人の形に話しかける。
「エウォルキオン、調子はどうかな」
進化。
無機物で作った前衛美術的な甲冑にも見えるその人型は、そう呼ばれて、周囲の兵士たちにも聞こえる明瞭な人語で返事をした。
図形を組み合わせたような鋭利そうな頭部には眼窩どころか口元すら窺えないが、確かにそれは、音声を発したのだ。
「……手足が動かないので、不明です」
男とも女とも付かない中性的な声。
その四肢は難断裂性の金属繊維で出来た帯で何重にも縛られており、彼――性別は不明だが、仮にそう呼ぶ――の動きを制限していた。
もっとも、シェーニヒ教授の認識では、このような拘束を破壊するのはエウォルキオンにとっては造作も無いことだ。
ただ彼は、感情の昂ぶるに任せて暴れる性格ではなかった。そのようなものとして、魂を作られていた。
従順なる、被造の怪物。
教授はその性質に満足しているのか、機嫌よく笑う。
「ははは……悪く思うなよ。お前を外部に移送する時はこうしないと、政府や連邦がお冠でな」
「その始原者という者は、どういった存在なのですか」
「まぁ、見れば分かる。実際に目にしたところで恐れをなすお前ではないと、私は確信しているがね」
シェーニヒ教授と拘束台のエウォルキオン、そして護衛らしき魔女歩兵隊が、待機していた複数の装甲車に分乗すると、車列は順番に発車を始めた。
その先には、雪に埋もれた針葉樹が脇を固める、曲がりくねった幅広の道路が続いている。
太陽は徐々に高度を上げていた。
薄っすらと積もっていた雪が溶け始めたその道をゆっくりと進み、そこを抜けると車列は、空港への進路を取った。
前大戦の終結時に、啓発教義諸国と魔女諸国との間の境界線は、ほぼ現在の形となった。
“ほぼ”と表現されるのは、大戦が比較的長期化したため、境界線上付近にあった国家の幾つかが内部分裂を起こしたためだ。
純粋な人類で構成された国家の中には、啓蒙者の庇護を得ている啓発教義諸国に付くべきだとする政権と、自由な発展が妨げられない魔女諸国側につくべきだとする政権の勢力が拮抗したところがあった。
それぞれの盟主であったスウィフトガルド王国とベルゲ連邦も、本国を守る緩衝地帯となる領土を欲しがったこともあり、それぞれ次陣営への帰属を主張する側の政権を支援した。
その結果、例えば戦前はリヴリア王国と呼ばれていた国は、ベルゲ連邦を盟主とする立憲君主リヴリア王国と、スウィフトガルド王国の影響を強く受けたリヴリア公国とに分裂した。
俗に言う、分断国家の誕生である。
そして、カイツやジル・ハーたちが、人工人コグノスコの案内で到着した国もまた、そうした経緯で誕生した分断国家の一つだった。
ベルゲ連邦の南東の海に浮かぶ弧状に並んだ島々の内、西側が啓発教義を国教とするレンシュ王国――通称・西レンシュ。
東側が、王家を廃止したレンシュ共和国――通称・東レンシュ。
分断された二国は、所属する陣営同士が開戦したということで、現在も交戦中ということだった。
ただ、彼らが到着した“両の目”の拠点は西端に近い大都市にあり、ここは今のところ、開戦の影響はほとんど無いようだ。
到着後一夜明け、カイツは始原者が降臨したという北北西の方角を睨みながら、やや高くなった朝日を右手で遮った。
「(見えるわけねぇか……)」
魔人への変身能力を得て以来、視力は改善する一方だったが、さしもの魔人の視力も3000キロメートルの彼方、地平線の向こうに隠れてしまったものは見えない。
“両の目”が密かに間借りしている集合住宅の屋上――立入禁止の場所に、ベランダからこっそりと飛んで入った――から、内鍵を開けて出た。
滑り止めのすり減った階段を下りながら、ぼんやりと考える。
「(かっこよさげなこと言ったものの……話に聞くだけでもどうにか出来る気がしねぇってのはどうしたもんか……)」
昨晩に“両の目”の構成員と合流した直後、現在大陸を襲った状況について、カイツたちは地上から把握できる簡単な概要を聞いた。
全高300キロメートル、直径およそ100キロメートル。重量およそ、単純に岩石で出来ていると仮定しても概算で1兆トン以上。
それはもはや、天変地異にも等しい大降臨だった。
不覚を取ったとはいえ、たかだか40、50メートルに2000トン程度の神獣相手に一度は轢断されていたカイツとしては、昨晩、啓蒙者の飛行機の甲板の上で、ジル・ハーを慰めるつもりで抗うだの、大人しく死んではやらないだのといった威勢のいい啖呵を切ったことが、今更になって恥ずかしく思われてくる。
“両の目”が間借りしている部屋に戻ると、彼を出迎えたのはジル・ハーだった。
「カイツ。おはよう」
「あ、あぁ……おはよう」
見れば、風呂を借りたのか、服装が“両の目”の用意した、やや露出度の低い啓蒙者の民族衣装に変わっていた。
髪も濡れて、やたらと色香が漂っている。
「ケティアルクさんの話を聞いて驚いたけど、でもちゃんと寝られたよ。カイツが励ましてくれたおかげだと思う」
「そうか……そりゃあ、何よりだ」
ほのかな劣情と思しき感情を気まずい思いで抑えこみ、呻く。
玄関の鍵を閉めて彼女と共に奥に進むと、そこにはもう一人、啓蒙者の男がいた。拠点の責任者だ。
カイツとさほど変わらない年齢に見えるが、食卓に皿を並べる物腰はひどく落ち着いている。
「朝食だ、召し上がるといい」
「ども、いただきます……」
軽く礼を言うと、カイツはそれとなく、その啓蒙者の男の身体を見やった。
ケティアルク・シェボ。
コグノスコによって紹介された“両の目”の構成員であり、何と両腕と、啓蒙者の最大の特徴である両肩から生えた翼が全て、義体化されていた。
元々は強力な戦士であったが、反啓蒙者勢力の破壊活動を鎮圧する際に運悪く重傷を負い、その際に機械化手術を希望。
だが、体重の2割を占める翼と両腕の戦闘に向けた機械化は彼の体質に完全には適合せず、脊髄神経の拒絶反応の影響で脳機能に障害が生じたと判定された。
彼は高性能な戦闘用義体を手に入れたにも関わらず、不運にも軍務不適格となったのだ。
昨晩は自己紹介と称してそのような深刻な過去を打ち明けられ、カイツもジル・ハーも、やや困惑していた。
「……ジャコビッチさんとブルスキーさんは?」
『二人はまだ眠っています。あなた達が来る前から、私の工房で色々と手伝ってもらっていたので疲労が溜まっているのでしょうから、そのままにしてあげてください』
食卓のある部屋の片隅で、鎧の置物のように直立姿勢で置かれている純白の聖別鎧の中から、コグノスコが拡声装置で語った。
鎧の目が点滅しているのは視覚的に話していることを分かりやすくするためだと言っていたが、正直な感想を言えば、不気味だ。
ケティアルクが、食卓に並べられた料理を金属製の手で指しながら告げた。
「二人の分はまた温める。椅子も足りないことだし、悪いが先に食べておこう」
「そんじゃあ、頂きますか……これ、ミレオム料理ですか」
椅子を引いて腰掛けながら意識を向けてみれば、まだ寝室からいびきが聞こえてくる。
身体の半分以上が強化型の人工細胞に置き換わったジル・ハーや、そもそも身体の組成上は全身の全てが魔女ではなくなっているカイツは長時間眠る必要がなかっただけで、啓蒙者に扮装していただけの二人は純粋人なのだ。
カイツの質問に、ケティアルクは昨晩同様の落ち着いた物腰で答える。
「ミレオムといっても広い。これは俺が育ったドゥアトという地方の料理だよ」
「なるほど」
「いい匂い! いただきまーす」
髪を拭いていたタオルを脱衣所にでも置いてきたらしく、遅れてジル・ハーも椅子に腰掛けた。
カイツも匙を取って料理に手をつけるが、慣れない香りに少し、面食らう。
「ん……」
彼の馴染んだ雪国であるグルジフスタン共和国の家庭料理と、味付けは薄く抑えて香辛料を多用する神聖啓発教義領の郷土料理では勝手具合が違った。
土地柄で根菜や淡水魚をよく使うグルジフスタンと異なり、啓蒙者の料理は豆類やそれを原料に合成された人工食肉が多用されていて食感が大きく異なる。
決して不味いとは思わないものの、食材の保存には困らなかった高緯度の寒冷地と、香辛料や乾燥による様々な保存方法を試行錯誤する必要のあった南国との違いもあるのだろう。
あまり長期に渡って啓蒙者の料理を口にしていると、重度の懐郷病を患うのではないか。
食事の世話を受けておきながら、それは無礼極まる感想ではあったが。
それを視線から見て取ったか、ケティアルクが苦笑した。
「あぁ、気にすることはないよ。俺達の料理は純粋人や魔女には――控えめに言って合わないことが多いらしい。
妖族に食わせる機会は無かったが……口に合うものを出せなかったことについてはお詫びする」
「あ、いやその……すいません。でも折角なんで……全部」
「カイツ、残してもわたしが食べるよ?」
「っ、いやあの、そういう……」
彼女があまりにも自然にそう言って見せるので、カイツは一瞬言葉に詰まった。
だが、匙に掬った分を一息に飲み込んで、説明する。
「……指名手配されてた話はしたよな。その時、町にも入れないから、ろくに飯も食えずに野外をさまよってたことがあって。
でも行き倒れた俺に気づいて、食い物を恵んでくれた奴がいたんだ。
指名手配の件もラジオとかでとっくに知れ渡ってたのにな。
そういうこともあったし、出されたものは残さないって決めてる」
どうにも、彼女の前では恋煩いをした子供のごとく、愚かしいほどに不要なことを喋ってしまう。
スープを啜ってそれを誤魔化していると、ケティアルクが穏やかに笑い、スープの具をかき回す匙を止める。
「まぁ、かくいう俺たちの伝統料理とやらも、果たして本当にそんなご大層なものかどうか、怪しく思えてきたがね」
「……どういうことですか、それ」
少し身を乗り出して尋ねると、ケティアルクは野菜と豆を混ぜて半ばペースト状にしたものに匙を落としながら続けた。
「うん。まあ、昨晩の続きだ。
ジャコビッチも少し触れていたそうだが、"両の目"がメタ解析を進めた結果、啓蒙者の文化全体に外部からの介入があった可能性があるというのは話したね。
そこから更に進んで、俺たちの至った仮の結論が……そもそも啓蒙者やその文明というものが、外宇宙からの外来物だったんじゃないかということなのさ」
一匙掬って口に入れ、何度か噛んで飲み下す。
それまで口いっぱいに頬張ってもぐもぐとしていたジル・ハーが、中身を飲み込んで先を促した。
「それは分かるんですけど……結局、何ていうか……わたしたちがこの世界の外から来た存在だっていうのは、別にそれ自体は何か、誰かの生活に差支えの出る話じゃないような気がします」
「俺たちの身体も文化も、元を辿れば精々1400年ほど前に、宇宙からの侵略者がでっち上げたものなんじゃないか……そういう不安があるのさ。
元々、人類に何が正しいのかということを教える、という使命を帯びて天から来た種族……なんて自称してたんだ。
その元締めであろう神様が空の上から死を撒き散らしながら降りてきて、お前たちを滅ぼします、だなんて宣言しちゃあな。
俺は昔――この手と翼になる前だが、純粋人たちの恐怖主義者の活動を監視する部署にいてね。
被害妄想が激しいのか図抜けて聡明だったのかは知らないが、啓蒙者は魔女と妖族との戦争で人類を使い潰すつもりだから、よって許さん、なんて主張を掲げる手合いもいた。
これを機に、そういう連中はそれ見たことかと勢いづくだろうな。自分たちが正しかったと思わせる証拠めいたものが天から降って湧くことほど、ヒトが喜ぶことはない」
そこまで聞けば、思い当たることがある。
カイツはスープ皿の底に溜まった柔らかい豆を匙で掬いながら尋ねた。
「…………もしかして、カーテンを締めたままの理由って」
「あぁ。西レンシュはミレオムから最も遠い啓発教義の国だ。啓蒙者の宣教師も少なく、反啓蒙者の意識の強い活動もある。
俺がこの腕と翼になったのも、彼らとの戦いで重傷を追ったからだというのは――昨日言ったな。
ミレオム本国に帰っていない啓蒙者など、堂々と歩いていると襲撃を受ける可能性もあるんだ」
「だからわたしたちを案内してくれた時、あんなに警戒してたんですね」
ジル・ハーも水を一口飲み、そう呻く。
ケティアルクの話は続いた。
「ただ、俺たち啓蒙者にも言い分はある。
俺やジル・ハー君のような、脳疾患の影響で異種原子波の影響を免れた啓蒙者がいるように……
そもそも啓蒙者だって、メトの神による精神や文化への介入がなければ、魔女や妖族を滅ぼそうなどとは思わなかった筈だ。
どうやったかは妄想の域を出ないが……とにかくメトの神は、この星にやってきて何らかの事情で機能を制限された。
その代わり、啓蒙者という名の種族を作り出し……アムナガル神殿という名の異種原子波発生装置――つまり超広範囲、啓蒙者だけに効く、緩やかな洗脳装置だ。
これを使って、奉仕種族である啓蒙者を操り、自らの完全復活と、それに気づいて阻止しに来る可能性がある魔女や妖族の絶滅を画策し、計画を進めていった。
そして今に至って、過程は不明だがそれが為された以上、かくのごとく、地上抹殺を宣言したというわけだな。あくまで仮定だが……
“両の目”は何とかして、あと二日でミレオム本国を動かして、啓蒙者の“禊”というか……せめてもの贖罪をしたいと考えている。
このままミレオムが始原者を何とかするために動き出す可能性は、あまり無いはずだからな」
彼がそこまで語った時、呼び鈴が鳴る。
「ケティア、いるかしら。鍵持ってるから、開けちゃうわよ」
声は何やら、奔放な印象を受ける女の声だった。
匙を置いて、ケティアルク。
「俺が出る」
がちゃりと解錠、続いて扉が開く音がする。
「カトラか。早かったな」
「おひさ、ケティア。うちのかわいい手下どもは元気?」
「あぁ、無事だ……そちらの二人は?」
「ちょっと長くなるわ。紹介するから、一緒に上がらせてもらうわね」
会話の内容が気になり、カイツも席を立って玄関を覗くと、そこには。
「!?」
「カイツさん!」
(ミスター虹色マン!)
「本当に生きてたんですね……!」
そこにはカイツの知っている啓蒙者カトラだけでなく、全身を義体化した少女アダとその相棒復活せし名を持つ霊剣、そしてアダの主人である少年、ヴィットリオの姿があった。
後頭部を掻きながら、気後れ気味に答える。
「あ、あぁ。心配かけちまったかな」
「生きてて良かったわ、カイツ君。みんなあなたのことを心配しながら、あそこを離れたのよ」
「あぁ……悪かった。ごめん」
「お互いに自己紹介もしたいところだけど……」
そしてケティアルクと三人が食卓部屋に入ると、大して広くもない空間が一気に狭苦しくなった。
まずはカトラが、カイツに語るようだった。
「私たちはそっちのケティアルクから連絡を受けて、天船で近くまで運んでもらったのよ。
コグノスコも、危険な状況だったでしょうに、よく彼らを導いてくれたわね。ありがとう」
『恐縮です』
部屋の隅で直立している純白の聖別鎧の両目を点滅させて、コグノスコ。
そこに次いで、アダがやや居づらそうに所感を述べる。
「何だか狭くなっちゃいましたね……わたしたちは既に知ってるので、坊っちゃんと二人でちょっと観光でもしてきましょうか?」
「いや、あまり出歩かない方がいい。今は戦時の上、“声”を聞いた市民の中には啓蒙者に敵意を抱いているものもいる。
ここを出入りしたことを、あまり多くの目に触れられるのは避けたほうが懸命だ。
やはり狹いが、その引き戸が書庫になってる。椅子もあるから、掛けて待っていてくれ」
(あら、本当)
「分かりました、じゃあ失礼して」
「よ、読ませてもらってもいいですか?」
ヴィットリオが興味深げに尋ねると、ケティアルクが優しく答えた。
読書家らしく、詰め込まれたような密度の書架に大量の書籍が並んでいる。
「ああ、ただし、あまり時間はないかも知れないよ」
「ありがとうございます!」
それを見届けて、カトラはややつらそうな表情で切り出した。
「……カイツくんには多国間特務戦隊の詳しい現状、早速話すわね。
最初に言っておきましょう。あなたには辛い事実になると思うけれど……」
勿体ぶっているのかと思い違えるような数秒の間を挟んで、カトラは続ける。
「始原者との戦いで、グリュク君が亡くなりました」
不意にこめかみを、横から殴り飛ばされたような衝撃。
「…………?」
聞き取った内容がよく理解できず、カイツは憐れむような表情のカトラの顔を見つめ返すことしか出来なかった。
「私たちは、エンクヴァルに残ったあなたこそ、生存が絶望的だと思っていたのだけど……
あなたと別れた後、私たちは始原者メトが月の裏側にある巨大魔具を使って復活しようとしている可能性が高いと考え、月の裏側まで行ったわ。
私達は巨大魔具を破壊することにこそ成功したけれど、間一髪の差で、復活を許してしまった」
だが内容は徐々に、脳と心臓に染みこんできた。
知ってはいけない内容を知り、精神の焼けただれる面積が増えていくのを止められない。
「その結果が――ケティアルクから聞いてると思うけど、全長300キロメートルの怪物よ。
地上に降下する前に天船で突入して、内部からの破壊を試みたのだけど、その過程で……ミルフィストラッセ君と一緒に」
最初からして、啓蒙者の本拠地に殴り込みをかけるという、普通に考えれば決死を覚悟するべき状況に参加していたのだ。
それを、自分は心のどこかでそのようなはずはないと、侮っていたのではないか。
強靭な体の内側は、慢心で満たされつつあったのではないか。
「……そう……か……!」
「カイツ……?」
ようやく言葉にもならない音節を絞り出すと、傍らのジル・ハーが案じたように彼の名を呼ぶ。
彼女を救い出したことに後悔はないはずだが、カイツが素直に撤収していれば、もしかしたら。
だが、彼の体内の電気知性は未だその感情を理解しないのか、信号を発してきた。
(危険)
カイツは戸惑った。この悲しみの最中に、何が危険なものか。
「(……いや……駄目だ)」
魔人となった彼の本能は、危険がやってくる方向を否が応にも検出しようとする。
胸が痛もうとも、見極めなければならない。
その変化を見て取ったか、ケティアルクが尋ねた。
「カイツ君、君も何か感じた……ようだな」
「……ケティアルクさんも」
そう答えると、彼はベランダへの出口を塞ぐカーテンを小さく開けて外を窺う。
気がつけば、カイツの身体は既に魔人化していた。全身が黒みがかった緑の色の装甲で覆われた、深緑の魔人形態。
幻影や幻聴を作り出す魔法術を使用する際の消耗が軽減され、ほぼ無音に近い戦闘が可能――それだけでなく、音や光、波長の異なる電磁波などに対する感覚も鋭敏になるものだ。
その超感覚は、耳を傾ければ彼らのいる集合住宅の周辺の人間の、囁くような会話の内容さえ聞き取れる。
「(今ベランダのカーテンが僅かに開いた。警戒されたか)」
「(中止するか?)」
「(いや……逃げられる前に突っ込む。打ち合わせ通りに決行だ)」
「(よし)」
そこまで聞いて、カイツはケティアルクを押し退けて飛び出した。
4階にある、その部屋のベランダから。
「うぉ!?」
脅威は、既に彼のすぐ目の前にまで飛んできていた。
幾何学的な棍棒のような形状をした、炸裂弾頭!
この緑色の姿の超感覚がなければ直撃を受けていたかも知れない速度だったが、体内の電気知性が凄まじい反射速度で念動力場を展開し、これを防ぐ。そして爆発。
射手から見れば、恐らく発射した榴弾が部屋に直撃する直前に破裂したように見えたことだろう。
「ざけやがって!!」
友人の訃報を悲しむ前に、彼の内部に怒りが膨れ上がった。
1区画離れた路上で連絡を取り合っていた仲間も気になるが、まずは遠方にいる射手だ。
コグノスコがいれば、そちらは何とかしてもくれるだろう。
「そこか!」
集合住宅の裏手の草むらに着地し、カイツの体色は深緑から銀色に変わる。
魔人の視力で発射地点は特定しているので、カイツはまずは、北に流れる川の向こうの高台、その藪の中の射手――ではなく、その逃走用らしき、藪に隣接した公園の側に停車している自動車に狙いを定めた。
音速域での飛行を可能とする、銀嶺の魔人。
亜音速まで急加速した銀色の閃光は、集合住宅から爆発的に跳躍して一直線に川を超え、やや弓なりの軌道を描いて急速に降下する。
まさに強襲。亜音速で落ちてきた魔人に踏み潰され、駐車していた自動車はあっさりと破壊されて原型を失った。
大きくひしゃげたその屋根の上で視線を上げると、カイツの視界には幾つかの荷物を引きずって藪から出てきたばかりの男の姿が見えた。
その手には弾頭を発射したらしい空の擲弾筒と、迷彩目的であろう無数の枝葉で覆われた網。
見たところ壮年の、その男の表情は驚愕そのものだった。
「驚いたのは俺の方だってのによ……!」
カイツは再び体色を緑色に変え、両肘の短剣を抜いて呻く。
その刃同士を合わせて打ち鳴らすと、肉厚の刃からは不思議と玲瓏な音が響いた。
魔法術の催眠音波。それを聞いた射手の男はゆっくりと目を閉じて脱力し、無防備にその場に崩れ落ちる。
倒れた彼の襟首を掴むと、カイツは再度銀色に身を遷し、襲撃を受けた集合住宅へと飛んだ。