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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
130/145

05.穿孔









 大陸東部を南北に縦断する、広大な妖魔領域。

 その支配的種族として広く分布する妖族、そしてそれを統治するのが、狂王ゾディアック・ヴェゲナ・ルフレートである。

 普段はあまり意識されていないことだが、この王は国民の前に、極めて稀にしか姿を表さないことでも知られている。

 最も現代に近い記録としても、1000年近く前に遡ってしまう。

 当時、大陸西部の啓発教義諸国が、魔女諸国に対する何度目かの攻勢に及んでいた。

 それを迎撃する魔女諸国の側では、かなりの規模の国家から土侯程度の勢力まで、様々な国が群雄割拠する状態にあった。

 啓蒙者への恭順を示すために自主的な聖伐競争を行っていた当時の啓発教義諸国は、啓蒙者から借り受けた初歩的な火器を使用し、それまで積極的な攻勢に出ることが出来なかった魔女を相手に戦う術を手に入れていた。

 いまだ魔法術の方が遥かに強力な時代ではあったが、それでも小規模な国は危機に陥ることがあった。

 そんな折に、その救援と称して大規模な軍勢を推し進めた王子――狂王ゾディアックの息子――がいた。

 第一王子、ラキュソである。

 ラキュソは記録に残っている限りで確認が可能な、狂王の子とされる人物の中で最古の存在とされている。

 彼より前に生まれた実子の記録はあやふやな伝承を含めても発見されておらず、また、彼は古代から頻繁に、啓発教義諸国や魔女諸国の歴史に顔を出してもいるためだ。

 同一の容貌と名を持つ人物がそれなりの頻度で登場するため、写真記録のない時代にも関わらず、このラキュソという妖王子はかなりの精度で当時の動きを特定することが可能だ。

 彼は啓発教義の軍勢を撃退――文献によっては虐殺――すると、何とそれに安堵した魔女たちにも攻撃を始めた。

 当時から蜜月とは呼び難かった関係ではあったが、それでも頼もしかったはずの圧倒的な軍勢によって攻撃を受け、魔女たちは衝撃を受けた。

 その時、ラキュソの前に立ちはだかったのが、後に“炎の魔女”と呼ばれる伝説上の人物だ。

 ベルゲ連邦においては、この戦いで炎の魔女がラキュソを殺し、軍勢を退けたと明確にされた記述が多いが、妖魔領域側の資料には、彼が“死亡した”とする記述は、極めて少ない。

 肝心の葬儀が行われた記録も、実は無いのだ。

 遺体が未確認なのは、強力な魔女や妖族の、魔法術、妖術を使用した戦闘ではままあることだが、仮にも第一王子なのだから、その死に様から葬儀までを、誰も記録に残さなかったとは考えにくい。

 しかしラキュソは現代においても、妖魔領域の第一王子として未だ継承者第一位に名を連ねている。

 これは当時の妖族たちが、ラキュソの末路を恥じたために記述を抹消したのだという意見も存在するが、これはまた、先日フォレル・ヴェゲナ・ルフレートの国葬が大々的に行われたこととは矛盾する。

 この違いについて、妖族たちの窓口は単純に“時代が変わっただけだ”と証言しているが、隠棲説、幽閉説など様々に、民間において生存が根強く言い伝えられている。


――「図説・妖魔領域の民話」より抜粋。









 ()は、そこで意識を取り戻した。

 最後に見たのは、輝き。

 魔女の剣から発した鋭い光に全身を激しく射抜かれた所で、捧神司祭ロメリオ・バルジャフリートの記憶は途絶えていた。

 仮面は取り外されており、今の彼は一糸まとわぬ姿で、再生促進ジェルの満たされた治療機(カルクタス)に沈められているようだ。


「(恐らく……魔女の反撃で高度再生が必要なほどの傷を負ったか)」


 と、自身の容体について見当をつける。

 麻酔などは効いておらず、全身の全てが思った通りに動かせた。

 それを検知した治療機(カルクタス)が、透明な両開きの蓋を、正に葬送で使用する棺のように開く。

 腕と翼を動かして、仰向けの体をへばりつく透明な粘液の中から起こす。

 鼻に差し込まれた呼吸補助管を取り外して、周囲を見回した。

 場所は、どこかの医療区画。

 ロメリオの脳の内部で活動する人工神経回路の一部が、彼の現在位置を神聖啓発教義領(ミレオム)の西の海の上空を飛行する飛行基地だと教えてきた。

 脳内で経過時間を参照すると、あれから一日も経過していないのが分かった。

 それだけの時間で、恐らくは肉塊に等しい有様だったであろう彼の肉体を復元したのだ。

 捧神司祭という神聖啓発教義領(ミレオム)の実質上の最高位にある彼の体は、万に一つの損失も無いよう、強度だけでなく復元性も高められてはいるのだが。

 仮面や聖衣は光の直撃を受けた際に喪失したのだろう、今の彼は一切の装身用品を身に着けていなかった。

 彼の体を納めていた治療機(カルクタス)の他には六台、同様の機械が並んでいる。

 ただ、使用されているのは彼のものだけだ。

 恐らく、機械が彼の意識の再開を検出して担当者を呼んでいることだろう。

 静かに音を立てた扉の方へと彼が顔を向けると、見知った顔が区画へと足を踏み入れようとしていた。


「アルスリィ、か」


 アルスリィ・アルク・ラ・ヴィエヤ。

 膝の高さまで伸びた金色の髪。彼の同胞であり、同じ捧神司祭の一人だ。

 ロメリオとは異なり、七色七枚の翼を備えた、神々しくはあるが異形の姿。

 彼自身、己を差し置いてそのような表現ができる身ではなかったが。


「負傷したあなたを回収した後、色々あったわ」

「ポートを開く。私が知るべき情報は全て入れてくれ」

「……そうするわ」


 やや陰鬱に、彼女。

 何が起きてそうなったのか、すぐに分かるだろう。

 ロメリオは脳内の情報ポートを開くと、アルスリィの送り込んだ情報を受け取った。

 彼がドリハルト島で敗れて回収されてからこれまでの、彼女たちの知る全ての出来事が脳へと入り込み、彼自身の知識となる。

 思わず、声が漏れた。


「おお……!」


 首都(エンクヴァル)への襲撃、及び迎撃。

 啓蒙者の勝利と、始原者の継承、そして再臨。

 輝かしい聖伐の再開から、迷いとためらいの最中へ。

 ロメリオは、地上に降臨した始原者が世界破壊を宣言したのを知って困惑した。


「そうか……お前たちが浮かぬ表情をしているのは、そうした訳か」

「……そうよ。今や神聖啓発教義領(ミレオム)の全ての住民が、あの御方と思しき御声を聞いた。

 もうみんな、混乱しきってる。私も……来るべき携挙がこんな形で示されるなんてね」


 ロメリオは、治療機(カルクタス)の中からゆっくりと立ち上がった。

 備え付けられていた拭き布を使って、体にまとわりついた治療粘液を拭き取りながら呟く。


「妖魔の聖地――ドリハルト島で彼らに敗れた時、思い出したことがある。

 私が全身を覆わねばならない理由を」

「ロメリオ、それはあなたが昔重傷を負って――」

「騙していたのかなどと言うつもりはない。私は、今の自分に満足しているのだ。

 ()()()()()()()に今の有様を知ったなら、暴れ狂っただろうがな」


 彼は、意識と同様に、過去の記憶をも取り戻していた。

 炎の魔女との戦いに敗れて死亡した、ラキュソ・ヴェゲナ・ルフレート。

 その遺体を入手した当時の啓蒙者が、医療的回帰術いりょうてきかいきじゅつと名づけ、妖族を啓蒙者へと肉体的に改造する実験を行ったのだ。

 啓蒙者の側としては改造ではなく、汚染を受ける前の状態に戻すという意味合いが強かったようだが――

 ともあれそのようにして、実験的な啓蒙者化改造を受けた狂王の息子が誕生した。

 強靭な肉体と強大な妖術――否、秘蹟の力を備えた、捧神司祭ロメリオ・バルジャフリートとして。


「あの光を受けて、私は思い出した。

 今はロメリオ・バルジャフリートだが、かつては汚染種の王の息子だったことを」

「…………!」


 ロメリオは、アルスリィを直視して告げる。

 彼女も、苦しげな表情を見せつつも、一糸まとわぬ姿のロメリオと視線を合わせていた。

 狂王の子にしか顕れない、濃密な変換小体の蓄積を示す金色の瞳。

 全身の皮膚も、啓蒙者同様の褐色ではない。体には足首から首筋に至るまで、妖族だった頃に施した、強靭な鎖に実体化する妖術の刺青が入っている。

 翼も自前のものではなく、手術の際に付加された、武器としての能力を併せ持つ人工器官だった。 


「アルスリィ、過去の記憶を取り戻した私だが、お前たちと同じ信仰を持っているつもりだ。

 この言葉が信じられぬなら、今すぐ私を、反教義の罪で罰してくれ。

 抵抗があるならば、他の者を呼ぶといい」

「……何が言いたいの、ロメリオ」

「言っただろう、今の自分には満足していると」


 尋ねる彼女に、ロメリオはゆっくりと己の右足を持ち上げながら答えた。

 視線を落とし、足からも治療粘液を拭き取る。


暴戻(ぼうれい)の破壊者に過ぎなかった私が、理性と信仰の光を知ることが出来た。

 検証の仕様がない謎の言葉に従い滅びるよりも、私は己を迎え入れてくれた同胞を救いたい」


 治療機(カルクタス)を出て、同じく備え付けてあった病衣を羽織り、尋ねる。


「お前たちは、まだ私を同胞と認めてくれるか? アルスリィ」

「……あなたを改造したのは、当時の捧神司祭たちよ。

 汚染地帯に棲息する動物を改良して神獣を作る試みの、次の段階として……

 死亡した汚染種を改良して、信仰者に変えることは可能か。

 市民として扱えるか。

 司祭の任務を任せることは出来るか……徐々に試験を進めていって、今のあなたになった。

 結局、あなた以外の成功例は出なかったから……汚染種を絶滅させるという教義は変わらなかったけど。

 記憶を取り戻しても信仰の方を選ぶというなら、私は他の捧神司祭の意見も求めたい」

「……時間はないわ。着替えてみんなと話せる?」

「問題ない」

「それなら……」


 そう言って、七翼の女司祭は懐から装甲端末を取り出した。

 黙示者が残らず神聖啓発教義領(ミレオム)を去ったため、それらは何の障害もなく機能しているようだ。


「みんな、ロメリオが目を覚ましたわ。

 ええ、そう……うん。そうよ。

 30分後に神儀室に集まれる? 彼も来るわ。ええ。

 そこで今後のことを話し合いたいと思います。ええ、それじゃあ」


 端末での通話を打ち切ると――通話を終える時に啓蒙者がいつも使う聖句は、このような状況だからか、使われなかった――、彼女はロメリオから目を逸らしながら短く息をついた。

 礼を言いながら、ロメリオは病衣の腰帯を結んで締めた。


「ありがとう。信仰の友よ」

「先に行ってるわ。着替えを持ってこさせるけど……仮面はどうする?

 前から作ってた聖伐再開記念の新デザインが出来上がってるって」

「今は遠慮しておこう。今までは信仰の一部と思って何も考えず使っていたが……

 これからはお前たちの前でくらいは、被らぬようにしたい」

「……病み上がりだからって、遅れちゃだめよ」


 彼女が出て行くと、その時操作されたのか、間接照明の効いた薄暗い治療室が、昼間のように明るい照明に変わる。

 着替えが終わるとロメリオは、どこか晴れやかな気分でそこを出ることが出来た。

 










 現地時間で正午を回る少し前、殺到し始めた情報の処理に忙殺されつつあった東部戦線司令部に、行方不明となっていた聖トルアーレからの連絡が入った。

 移送部隊からの報告はすでに上がっていたが、戦線に出現した巨大物体との思念会話による意思疎通を試みたのだという。

 結果は、不明。

 少なくとも、一時間に渡って思念会話を断続的に送ったが、反応らしきものは一切が確認できなかったということだった。

 極めて広い範囲に思念を送り、膨大な数の人間に受信させることが出来る異様な発念能力を持っているのだとしたら、反応がないのは不可解なことだ。

 あるいは、無視しているのか。

 また、負傷者の救出や行方不明者捜索で手が離せなかった前線の被害部隊に代わり、専用の宣教装甲の機動力を生かして巨大物体に接近し、簡素ながら調査も行ったという内容もあった。

 その彼女の報告を聞いたままに信じるならば、驚くべきことに巨大物体は少しずつ沈降を始めている。

 更に根元付近では、そのためなのか、微弱な地震のような振動が断続的に続いているらしかった。

 この報告は東部戦線司令部に一刻も早い調査を決意させ、王都の騎士団省もこれを承認した。

 謎の多すぎる巨大物体については、魔女諸国や妖族たちも混乱しており、こちらに追い打ちをかけるどころではないようだ。

 何故か啓蒙者のほとんどが本国に帰って不気味な沈黙を続けている今、このまま一時的に停戦を結んでしまおうという意見も強まっていたが、こちらについては騎士団省は回答を保留した。

 ともあれ、巨大物体出現から6時間ほどして、早くも緊急調査部隊が急編され、その麓へと急行することとなった。

 調査部隊として、東部で比較的そうした活動での実績も多く、また今回被害の少なかった歩行騎士団サンティス大隊が抜擢された。

 隊長であったカロナン・アーストス重騎士は不祥事で更迭されており、現在は副隊長であったノヴァル・サンティスの指揮の下、大隊は急ぎ準備を整え、巨大物体の調査に向かう。

 そして現地時間の午後4時半を過ぎる頃、彼らは巨大物体の麓までたどり着いた。

 未ださらさらと塵が降る中、見渡せる限りの左右と上方に向かって、白くなだらかな曲面が広がっている。


「これは……」


 しかし、今すぐそれに近づいてよく観察することは適わない。

 到着した騎士団と巨大物体との間には、極めて起伏の激しい荒地が目測で数千メートルに渡って広がっていたからだ。

 陥没した大地はどこを見ても激しい凹凸を呈しており、垂直機動力を持つ自動巨人や無限軌道を持つ装甲自走砲でも通行は困難と思えた。

 その上陥没の深さは巨大物体の傍が最も深く、目測だが500メートルは下るまい。


「どこまでも続いています。恐らく、巨大物体が着陸した際に陥没したのでしょう」


 それは、今までのことを総合するに妥当な推測に違いない。

 途中で入った国土地理院の東部観測所による分析情報には、恐らく直径にして百キロメートルはある巨大な半球と、その上に高さ数百キロメートルの楕円状の物体が乗っているような構造だろうということだった。

 聖女の報告にもあった通り、確かに微細な振動のようなものが感じ取れる。

 本当に沈み続けているのかどうかまでは、凹凸の激しい荒れ地が周囲に広がっている現在、判断できないことではあったが。


「まさか、地下に潜ろうとしているのか……?」


 上を見上げても天の果てまで途切れる気配を見せない、この巨体で。


「それを確かめるのにも、まずは足場からですな」


 ノヴァルの副官となった旧知の従士長が、諦めたように呟く。

 彼と工作隊に施工計画を立案させようとした時、部隊の一部がどよめいた。


「迎撃用意!」


 北の空を見ると、暗い空に一点の光――いや、一点ではない。

 良く見れば、赤と青の光がそれぞれ左右に並んで点滅している。

 ノヴァルの副官がそれに気づき、迎撃の中止を号令する。


「味方だ! 止め、迎撃!!」


 啓発教義連合の航空機に共通する翼端灯と同じ配置だった。

 味方の探照灯の光に当てられて浮かび上がったのは、低速でこちらにむかって降下してくる自動巨人らしき機影だった。

 程無く、そこから拡大音声による呼びかけが届く。


『そちらの騎士団! 私はスウィフトガルド王国軍、聖者宣教師団の宣教師トルアーレです。

 可能ならば貴隊の任務内容を教えて下さい』


 聖トルアーレを名乗る機体は、ゆっくりと降下を続け、ノヴァルの前方5メートルほどの地点に降り立った。

 直後に胸部から頭部にかけての装甲がばくりと上方へ開き、中から儚げな、全体的に色素の薄い印象の娘が姿を現す。

 周囲の騎士たちから少なからぬどよめきが上がり、ノヴァルは副官を伴ってゆっくりとそちらに近づいていった。


「初めまして、聖トルアーレ。この巨大物体の調査を任命されました、歩行騎士団サンティス大隊隊長を務めますノヴァル・サンティス重騎士です。

 こちらは副官のスワニ・スタフ準重騎士」

「よろしくお願いいたします、聖女様」

「はい……私は身体が極めて弱いので、残念ながら自分の足で動きまわることが出来ません。今はこちらで、失礼」


 自動巨人よりはやや小ぶりか、それでも小柄な娘とはいえ人一人が立ったまま入りきってしまう大きさの胴殻に、宣教装甲が両腕を差し込んで聖女を取り出す。

 そのまま揃えた巨大な手のひらに座った聖女が差し出されると、彼女は懐から小さな四角形の、ぼんやりと光るペンダントを取り出した。

 針の部分が猟銃に置き換わった日時計を象り、秘蹟の力で発光する素材で作られたものだった。

 聖者は、これが歴代の法王によって列聖を受けた証明となる。

 騎士二人も、騎士団省によって発行された顔写真付きの証明証を見せる。


「確かに」

「それでは、早速」


 ひとまずは友軍同士の合流が成立したと見るや、トルアーレは再び宣教装甲の内部に戻り、装甲を閉鎖する。

 再び鋼鉄の巨人に戻った彼女は、巨大物体の方向へと機体を向けると、巨大な腕を無造作に掲げて言葉を発した。


架橋(かけはし)よ!」


 誓文によって自然界に解放された秘蹟が強大な重力場となって、崩れて荒れ果てた大地を平坦化し始めた。


「おぉ……!」


 未だ、開戦して2日しか経っていない。

 本来であれば、騎士も従士も全員が戦後世代のため、こうした超常の力の発現を目のあたりにするのは初めてのことだろう。

 幸か不幸か、サンティス大隊はまだ隊名がアーストス大隊だったころ、年初の出動で似たような力を目の当たりにしたことがあったが。

 程なくして、聖女の手による極めて迅速な進路整備が完了した。

 ひびが縦横に走り、大人一人の身長よりも落差の激しい凹凸で覆われていた大地に、巨大物体に向かって幅15メートルほどの広さの一本道が出現していた。


「手応えはありました。このまま自動巨人の接地圧でも通れるかと思いますが……慎重に進んでください」


 騎士団は恐る恐る軽い順に装備車両を通過させ、聖女が秘蹟で押し固めた通路を進んでいった。

 懸念されたような進路の再陥没などはなく、小一時間もすると、施設騎士中隊によって迅速な設営と調査準備が開始された。

 トルアーレは更に秘蹟を使って陥没した荒れ地を整理し、施設騎士たちは重機や作業用自動巨人を使用して簡易施設を作り上げていく。

 巨大物体の降着によって生命が根こそぎ薙ぎ払われた荒れ地に、騎士たちが力を合わせ、活動のための足がかりを作り上げていった。

 一方で、主目的である巨大物体の調査も平行して進められた。

 試料の採取に、内部調査。

 ハンマーで叩く、自動巨人に更に大きな工作槌(こうさくつい)で叩かせるなどして反響音から内部を推定しようとしていた班が、ひとまずの調査結果をノヴァルに報告する。


「恐らくですが、壁の厚みは100メートル以上ありますね。地盤貫通用の10トン爆弾を落としても、破れるかどうか」

「……啓蒙者の武器なら違う、ということだな」

「そうでもありますが……」


 情報によれば、彼らは現在、極めて連絡が取りにくくなっているという。

 こんな時に、とノヴァルは胸中で何十度目かの舌打ちをした。


「今のところ表面の強度はそれほどでもないので、地道に穴を開けて発破をかけ続けることで、ある程度は削れるかと思います。

 ただ、奥の方はどんな強度か、掘り当ててみないと分かりません。恐らくは、重量に耐えるためにより強靭になっているはずですが」

「そうか……そうなった時はやはり、聖女に依頼するしかないか」


 トルアーレは現在休憩中なので、様子を見計らって声をかけ、戦闘用の秘蹟で壁面の破壊を試みる。

 それでも上手く行かなかった場合を考えるとなると、もはや現状ではお手上げだろう。

 ノヴァルは腕を組んで唸った。


「…………」


 聖女との合流から二時間が経過したが、試料の採取や後方に送る地形図、分析報告書の作成は順調だ。

 しかしノヴァルとしては未だに、何としてもこの巨大物体の具体的な内部構造を、少しでも早く明らかにしたいという気持ちが強い。

 被害を受けた基地の復旧もままらないまま出発し、街道沿いの自治体の被害が巨大物体に近づくごとに悲惨なものになっていく様子は、心胆を冷やすには十分すぎるものだった。

 道中で国土地理院の関係者から受け取った、急造の手書き混じりの地図によれば、彼らの現在地は被災前で言えばオステン大公国のバラハラナグ県南部に位置する。

 だが、彼らの目の前のこの巨大な巨大物体の下には、同じバラハラナグ県の北部地域が全て下敷きになっているのだ。

 隣接していた二つの県も同様で、つまりそれは、人間の肉体で実感を覚えるのが難しいほどの、途方もない規模の被害だった。

 たとえ今すぐこの巨大物体をどかしてみたところで、そこは彼らの足元と同様、前線に展開した騎士たちを焼き払った光で全て灰になっていることだろう。

 ノヴァルは計り知れない現実に瞠目しつつ、改めて巨大物体を見上げ、睨みつけた。

 そこにゆっくりと、巨大な宣教装甲から顔を覗かせたままの聖女がやってくる。


「重騎士。心中お察しいたします」

「聖トルアーレ……お休みにならなくては」

「お食事は頂きました。それよりこの壁に、穴を開けたいご様子ですが」

「はい。後ほどお願いに伺おうと」

「すぐやりましょう。穴を空ける予定の場所を教えてください」


 一瞬だけ戸惑うが、本人が積極的なら拒む理由はない。

 血色を見るに、健康上も特に問題はないようだ。


「それでは、準備をさせます。恐縮ですが、余波を考慮し機材を撤収するまでお待ちください」

「分かりました。お手間をかけます」


 こうして調査部隊を退避させ、聖女による秘蹟を用いての穿孔作業が開始された。

 スウィフトガルド王国の騎士団では、工作・施設作業に聖者が参加することについては決して一般的ではないもののそれなりの伝統があり、中には長距離のトンネルを敵地まで開通させたことで土木の守護聖人として再列聖された者もいる。

 大威力の攻撃用の秘蹟は、戦闘は元より土砂岩盤に瓦礫を破壊することにかけても威力を発揮した。


『衝撃よ!』


 然るべき秘蹟の行使訓練を受けた聖女が放った対要塞の秘蹟弾が、巨大物体の壁を穿って大爆発を起こした。

 閃光と爆炎が、300メートル以上離れて退避していた騎士たちを一瞬だけ照らす。


『風よ!』


 聖女が再び秘蹟を放って風を起こすと、噴煙は吹き散らされて巨大物体に穿たれた巨大な穴が出現した。

 地面から3メートルほどの高さに着弾し、半径にして5メートル、深さはおおよそにして15メートルほどか。

 秘蹟の弾痕の荒々しく削り取られたような有様に、聖女が実戦で行使する威力の大きさが遠目からでも窺える。

 破砕されて吹き飛んだ破片の量も相当なもので、トルアーレの搭乗する宣教装甲の周辺には、巨大物体からの無数の破片が目の粗い土で作った陶器のような断面を曝して堆積している。

 先の大戦よりも大きく性能を増した近代兵器を操る騎士たちも、榴弾砲も裸足で逃げ出すであろう破壊力に息を呑む。

 だが、聖女の口元の通信機から伝わってきた独り言に、ノヴァルは思わず身の毛がよだった。


『む、やはりこの程度では足りないようですね……!』


 確かに、その外壁を貫通して内部の構造らしきものを露出させることは出来なかった。

 だが、大型の鎧に保護されているとはいえあの儚げな少女が、今の一撃より更に強力な秘蹟を放つというのか。


『騎士団は更に50メートル後退を!』


 ノヴァルはその指示を聞いて、息を呑みつつ答えるしかなかった。


『りょ、了解です、聖トルアーレ……!』


 騎士たちはさらに後退し、そこからは、秘蹟が荒れ狂った。


『雷轟よ!』


 聖女の放つ超常の現象はその破壊力を増して行き、


『極光よ!!』


 頭蓋を揺さぶる衝撃波と鼻を突く焼け焦げた噴煙の臭いに、


『灰燼よ!!!』


 騎士たちは自分が演習中の射爆場のど真ん中に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚え、


『彗星よ!!!!』


 巨大物体の側面に穿たれた穴は加速度的に広がっていった。

 ただ、結果的には。


『……これは』


 巨大物体の外壁は、今や厚みにして200メートル以上を削り取られていた。

 聖女が噴煙を風の秘蹟で排除すると、"大柱”の壁には直径にして100メートルはあろうかという巨大なクレーターが形成されている。

 そして、その奥からはどうしたことか、破裂したかのような勢いで大量の泥が溢れ出してきた。


「!?」


 しかも流れてくるだけでなく、そこかしこから盛大な量の湯気を発している。

 かなりの高温と見ていいが、それを除けば噴出してきた粘性の高そうな流体は本当に、いわゆる泥――土砂に水が混じった、粘性の高い流体を思わせる色をしていた。

 少なくとも、巨大物体の内部にはそれが高温・高圧の状態で内蔵されていたことになる。

 聖女の秘蹟で内壁が薄くなり、圧力でそれが自ずと、内側から破れた形か。

 秘蹟を発動して急速上昇するトルアーレ。

 粘性の高い液体が飛沫をあげて彼らに向かって噴出する有様に、騎士たちもこの時ばかりは統制を乱しかけつつ全力で後退した。


「何なんだ、あれは……!?」


 ノヴァルも、さすがに青ざめる。

 その後15分ほどで何らかの原因で穴が塞がったらしく、事態は聖女が開けた穴の周辺が泥を思わせる流体に塗れた状態で収束した。

 騎士たちも落ち着きを取り戻し、ノヴァルは騎士たちに指示を飛ばした。


「状況確認しつつ、試料採取!」


 一見ただの泥ではあるが、巨大物体から産出したような存在が、そのようなありふれた物質である筈もない。

 聖女の秘蹟がもうもうと周囲に漂う湯気を吹き飛ばす中、騎士たちは探照灯の照らす夜闇の中、検分を開始した。











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