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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
128/145

03.再び大気の海へ










 始原者の降着から約4時間が経過した。

 早朝であったとはいえほとんどの人間は“謎の声”を内容も含めて聞いており、王国時間の午前9時(始原者降臨から約3時間後)には、既に登庁していた法王ククラマートルから法王庁を通して王国のほぼ全ての行政機関に、事態についての簡単な通知が届いていた。

 早朝――時差のため、現地では午前9時頃の出来事だが――に生じた謎の声は、前線に降臨した巨大な物体によるものである。

 また、その物体のために、現地では甚大極まる被害が出ている、と。

 前線の死傷者にとっては無念極まりないことだが、遠く離れた後方である首都ではその実感は薄かった。

 むしろどちらかと言えば、あの悲しげな声を国民のほぼ全員が聞いていたという不気味な事実との関わりを究明して欲しいという、不安に近い感情が働いていた。

 また、それ以外にも懸念があった。

 まず、啓蒙者の動きが鈍っていること。

 一夜明けて、以前はこちらを鼓舞するほどだった彼らの反応が、ひどく不活発になっているのだ。

 戦時に伴う緊急の通信制限が行われている、という回答ではあったが、多くの政治家や官吏、騎士たちが不自然を感じていた。

 やはり、あの謎の声は啓蒙者にも聞こえていたのか。

 そして、もう一つの懸念は事実確認について。

 時刻が昼を回ると、前線や同じ啓発教義の国々との通信も復旧を始め、徐々に前線の惨状が明らかになってゆく。

 これには世俗系、教会系を問わず通信社が大きく貢献し、夕刻までには外務省と騎士団省の推定で死者が騎士団だけで20万人、非戦闘員を含めるとそれを大きく上回る見込みだという、衝撃的な見解が導き出された。

 行政や左右院の関係者を集めた会合に参加した、ある左院議員はこう呻いたという。


「それでは、もはや災厄ではないか……!?」


 啓発教義には、然るべき時が来た際は善の人々が空中の真なる王国へと持ち上げられるとする、“携挙(けいきょ)”と呼ばれる教えがある。

 だが、その時に悪逆の徒は地割れの底へと投げ落とされるとも言われていた。

 信徒として教会に籍を置いてはいても、さほど信心深い訳でもない、いわゆる世俗派とも呼ばれる人々も、この無差別に前線を襲った災害を知って戦慄した。

 本来王国の法には存在しない緘口令(かんこうれい)が緊急で発せされ、各通信社や電波放送局もこれに従う。

 この時点で、始原者の降臨から8時間が経過し、王都ドゥガルでは午後2時を回っていた。

 国王カルナオンと法王ククラマートルはこの時間にもほぼ帯同して動いており、これはこの混乱に乗じて国王殺害を図ろうとする反王国勢力からカルナオンを、高齢とはいえ暗殺者殺しの異名と実績を持つククラマートルが護衛するための措置であったと言われている。

 無論、本来は両者を守るべき護衛騎士たちがそれぞれの周囲につく。

 法王庁の静止を無視して動き回るククラマートルに、法王の本来の護衛である法王庁(ほうおうちょう)警護騎士隊(けいごきしたい)も、国王の護衛を行う歩行騎士団侍従武官部隊(じじゅうぶかんぶたい)も振り回されていたと言ってよい。

 もっとも、本当に翻弄されたのは、恐らく彼らを狙っていた反王国勢力であっただろうが。

 朝は法王庁を通じて国営放送と連絡を取り、公用車で録音機材のある施設に向かって緊急共同声明の録音を行った。

 昼食は護衛騎士たちに買ってこさせた軽食で済ませ、午後は緊急会合に出席するために官庁街に取って返す。

 騎士や官吏たちによる東部戦線を襲った悲劇についての報告を聞き、カルナオンは青ざめ、ククラマートルは眉間のしわを増やした。

 そうして夕刻が近づくと、何とか追いついてきた秘書から彼のまとめた報告を聞き、合同謁見のため王宮に戻った。

 そこで、今日という一日の間は常に一緒にいた老啓蒙者と別行動になる。

 自動車を降りて、二人はそれを追う記者の目などもいくつかある中、手を取り合う。


「陛下、わたくしは法王庁に戻りますが……顔色が優れません。連れ回したわたくしが言えた立場ではないかも知れませんが……お体お大事になさいませ」

「はい、閣下……もし本国から情報が来ることがありましたら、私にもお教え頂けますようお願いいたします」

「兄君のこと、心中お察し申し上げる」

「……お気遣いを、ありがとうございます……!」


 彼の実兄であるマグナオンが、聖堂騎士団の団長として前線に赴いているのだ。

 情報が混乱していることもあり、未だ安否を確定可能な情報が入ってきていなかった。

 そのままカルナオンは法王と別れ、一先ず各機関が今後の方針通りに動いてくれること、そして為政者の理想としてはあるまじきことながら、何より兄の無事を願って床に就いた。











 その日、世界はにわかに騒がしくなった。

 だが、スウィフトガルド王国の首都ドゥガルの官庁街には、まだそれは十分には伝わっていない。

 東西に長いスウィフトガルド王国の、王都ドゥガルを基準とする第一標準時間は午前6時。

 王都は未だ眠りから醒めつつある状態であり、住民の大部分はこれに戸惑うばかりだった。

 配送事業者や、早朝から営業を行う朝食のスタンドの従業員、交通事業の関係者などは既に始業中であり、唐突に聞こえてきた悲しげな声について意見を交わすこともあった。

 しかし、それは結局、王都を大きくざわめかせるには至らない。

 多くがそれを、取り合いようのない幻聴の類として黙殺しようとする。

 大陸東部にひしめく邪悪な汚染種族たちを絶滅させるための、国家総力を挙げた大聖伐が始まったばかり。

 後方である王都では、まだまだ人々の感性は平常の段階にあったのだ。

 始原者の降臨から4時間が経つ頃になっても、人々の営みは変わらない。

 だが、既にそこには、そのやむなき沈黙を打ち破る機械があった。


『――時刻は10時を回りました。

 この時間より番組編成を変更し、スウィフトガルド王国および啓発教義連合からの臨時放送をお送りいたします』

「?」


 10時の時報と共に、王都の全てのラジオのスピーカーから聞き慣れない放送が流れ始めた。

 いつもの司会の軽妙な喋りではなく、聞き慣れない、やや低い女の声。


『現在、法王ククラマートル法王閣下および、カルナオン国王陛下によって王国全土、全国民に対して発せられる共同声明の準備中です。ラジオの前の皆様は、どうかこのまま公共放送に波長を合わせてお聞きください』


 2つある公共放送はいずれも通常の番組編成を変更し、そのように繰り返した。

 民間の放送局も出資元を問わず、公共放送に波長を合わせるよう聴取者へと要請をし始める。

 だが、そこから10分ほどもして、本命と思しき放送が始まると、王都の空気は急速に緊張感を帯び始めていった。


『それでは、放送を開始します。

 これは危急の事態に際し、ククラマートル法王閣下および、カルナオン国王陛下によって王国全土、全国民に対して発せられた共同声明です。このまま、お聞き下さい』


 この時間帯――休日でもない午前10時に音声放送を聞いているのは、ラジオ放送機器が設置されている公共の施設や一部の商店、街角の露天喫茶の利用者や在宅の主婦に老人などが主だ。

 だが、今挙げられたその二つの名を知らない者など、あり得なかった。


『親愛なる地上の皆様、ククラマートル・キルビリスピリ。今日まで皆様と、お互いに教え、学び合う関係を築いてこられたと考えております。

 ですが本日、こちらのカルナオン・クウェル・スウィフトガルド国王陛下と共に、緊急の声明を発表することとなりました。

 王陛下、お願いいたします』

『賜ります、閣下』


 二人の老人が厳かに語りかけ、人々は耳を澄ませてそれを聞いた。

 先の大戦の際に、啓蒙者から人類へと授けられた、電波による音声放送の技術。

 人類が初めてその音を聞いた時以来の、特別な放送が始まっているのだと。


『親愛なる国民の皆様、啓発競技連合の加盟諸国の方々。カルナオン・クウェル・スウィフトガルドです。

 本日法王閣下と緊急の共同声明を行っておりますのは、まず第一に、皆様が先ほど――標準時間で午前6時05分頃に聞いた”声”は、ほぼ全ての国民、啓蒙者の皆様が聞き取っているようです。

 その内容が事実だとすれば、これは極めて由々しきこと。

 東部戦線でも、多数の未確認情報が飛び交っているようです。

 私と法王閣下はこれを、看過できぬと考えました。

 よって、ここに両名の署名と、王国協同放送組合の協力を得て、非常事変宣言10の34号を王国全土へと発令いたします。

 他の連合加盟国においても、順次それに類する措置が取られることでしょう。

 国民の皆様、親愛なる連合諸国の皆様は、いつも通りの暮らしを営みつつ、政府からの通達指示、およびラジオからの新たな情報に耳を澄ませて頂きたい』


 カルナオン国王が言葉を区切った直後、より老齢を感じさせるククラマートル法王の声が続く。


『王陛下の仰るとおりです。

 わたくしも、ミレオム本国の同胞たちと連絡を取り、事態の確認把握を進めております。

 歩く人々に於かれましても、この事態に慌て(おのの)くことの無きよう。

 心を静めつつ、出来る限り柔軟な対応をお願い申し上げる。

 どうか、自身と家族、そして命と営みを大切にすることを考えてください』


 老啓蒙者が締めくくると、再びやや低い女の声が続いた。


『以後、この放送は繰り返されます。

 以後も引き続き定時放放送を。また、情報が入り次第臨時放送をお送りいたします。

 ラジオをお聞きの皆様は、可能な限り放送を聞ける状態でいられるようにしてください。

 これは危急の事態に際し、ククラマートル法王閣下、およびカルナオン国王陛下によって王国全土、全国民に対して発せられた共同声明です。

 このまま、お聞き下さい――』


 非常事変宣言がラジオ放送によって拡散され、それを知った上位の聖職者や議会議員は王都の中心へと集まり始めた。

 10-34号と呼ばれる符丁が、国家の危急、存亡の瀬戸際を示すものだったからだ。

 啓蒙者が何とかしてくれる。

 普段であればそう考えてしまいがちな傾向にあったスウィフトガルド王国の為政者の人々だが、この時ばかりは違った。

 国王と共に声明を発したのが報道官ではなく、啓蒙者の最上位者の一人であるククラマートル法王だったことが、今が啓蒙者の手に負えない事態である恐れを示唆したのだ。

 カルナオンにとっては、それが思いもかけない幸運であることのように思われた。


「(これが……啓蒙者たちが人類を対等に扱うようになるきっかけに出来るかも知れない)」


 啓蒙者たちの国である神聖啓発教義領(ミレオム)から、人類の国々である啓発教義連合けいはつきょうぎれんごうへと指示を下す形ではない。

 史上初めて、啓蒙者の最高司祭と人類国家の王が、同時に声明を発したのだ。

 ただ、カルナオンは同時に、やはり不安もあった。

 啓蒙者たちは、今までは広大な妖魔領域を滅ぼすための数合わせ、文字通りの人海として、人類を必要としていた。

 だが、今回は本気で、その力と、支払える犠牲の全てを要求してくるのではないか。

 ククラマートル法王の視線に、彼はそのような決意を感じ取っていた。

 人類の長い幼年期が終わる。

 もう、知恵を授けられるだけの種族でいることは出来ないのだ。











 青空に、真紅の防寒ジャケットを羽織った魔女が飛んでいた。

 髪も赤、またがる箒も赤。

 赤ずくめのその魔女は、高度2000メートル付近を飛行しながらため息を付いた。


「畜生。何なんだ、ありゃあ」


 ミドウ・ユカリ。

 ベルゲ連邦空軍、統括航空大隊所属、少佐。

 連邦空軍所属の魔女として、いや魔女諸国の全ての魔女の中でも飛行速度と空中運動に優れ、特に超音速域での飛行を得意とする。

 空の上で戦わせたなら、彼女に敵はいなかった。

 だが、あの巨大構造物はどうだ?

 目標からは40キロメートルほど離れているはずだが、彼方から立ち上った膨大な土砂や塵、噴煙が付近を薄闇のように見せている。

 すると彼女の懐に隠れた護符から、半透明の少女が無理やり現れて身を乗り出した。


「おいシロミ、飛んでる時に無理やり出てくるんじゃねえ!」

「どうせ何もしてきやしませんて。これ以上飛ぶ意味も無さげだし、もう撮っちゃいますよ」


 ともすれば不気味な少女の名は、シロミ・ユーレン・トウドウ。

 ユカリの相棒だが、その出自はいかがわしい魔法術の実験によって生み出された“人工霊魂”なる存在だ。

 字句通りの幽霊のような存在のくせに、念動力の魔法術を行使して擬似的に物に触れて動かすことも出来る。

 ユカリが肩から下げていた大型のカメラを構えると、シロミはぱしゃぱしゃと巨大構造物の写真を撮り始めた。

 彼女たちが撮影しているのは、連邦標準時間で午前12時ごろ、天空から地表に着陸を果たした謎の存在だ。

 前線に展開していた地上戦力を壊滅させ、更に因果関係は不明だが、ユカリが携帯していたものも含め、地上に存在するカメラ用のフィルムが謎の感光を起こして使い物にならなくなっていた。

 今シロミが使っているカメラの中に入っているのは、たまたま立ち寄った街で地下店舗を使って営業していた現像屋から調達した――軍票を見せたら怒りだしたので現金で支払った。手痛い出費だ――未感光のフィルムだった。

 落着直後に国民全員の脳を占拠したという謎の念話との関連も、恐らくは確実。

 だが、どれだけ確実視されていようと、まずは状況を示す証拠を集め、分析に供せねばならなかった。

 彼女たちが従事している任務も正にその一つであり、それはこの幽霊じみた少女が行使する特殊な魔法術で以って、巨大物体の構造とその要点を暴きだすこと。


「あの声はメトなんて名乗ってましたねぇユカリさん。本当に例の、啓蒙者の神様なんでしょうか? 汚染種めっさぁつ、とか言ってるそうですが」

「知るか、いいから弱点を探せ! あのクソデカブツのせいでどのくらいの被害が出たか知らんが、ただ地面から突っ立ってるだけで空軍の領分に居座りやがって。悪気の有無をいわさず潰してやる……!」

「うわー超ゴーマーン」


 意気込むユカリに対し、レンズが砲身のように伸びたカメラを下げ、シロミ。


「でも確かに大きいですよね。一体どこまで高いんでしょうか」

「連邦地学研の話じゃ、300キロメートルくらいってことだ。大陸で一番高い山が海抜高度で10キロメートルくらいなわけだから、率直に言ってイカれたデカさだが……

 弱点は? ありそうか?」


 十数枚も撮ったか、ユカリは彼女の体を透過して背中から突き出たままのシロミに尋ねる。


「えーと、詳細は現像待ちですが……有望そうな箇所がいくつか。とりあえず根っこの部分のでかい半球は伏せたボウルみたいになってて比較的薄いようなので、ここを全力で叩き割ったら転ばせることくらいは出来るかもしれませんね―」

「そうするなら出来るだけ敵の方に倒れるようにしてやりたいところだが……厳しい話か」


 そもそも、標高が300キロメートルにも及ぼうかという巨大な物体について、ベルゲ連邦の兵器の射程では頂上どころか中腹にすら届かないので、足下を攻撃して落とすしか無い。

 しかし、遠方の巨大構造物を西――啓発教義連合の側に向けて転倒、倒壊させようとすると、まずはそちらに回りこんで下部を攻撃しなければならない。


「(それにしても――)」


 あれは、こちらのことを知覚しているのかどうか。

 首都を出発した時から変わらず、天を貫く盲目の鷹は大気の散乱作用で青みを帯びながら、自ら蹂躙したらしい荒野に鎮座している。

 そこから立ち昇り続ける噴煙は、やはり天高く。

 この末世を思わせる光景に、真紅の魔女は以前の戦いを思い出した。

 押し寄せる妖蟲の群から宿場町を守って、任務中に出会った魔女を徴用して共に戦った記憶。


「あいつら、今はどこで何してるんだろうな……くたばっちまったのかな」

「あいつらって、カイツさんたちのことですか?」

「あぁ。それと天然の赤っ髪と、喋る剣――」

「グリュクさんとミルフィストラッセさんのことですね。人の名前を覚えられないユカリさあだだだだだだ!?!?!?」


 軽口を叩く半透明の少女の本体である護符を、懐の中でみりみりと握りしめて制裁した。

 ユカリは箒を握り直して体勢を反転、シロミの撮影した念写フィルムを持ち帰るべく速度を上げる。

 その時。

 

「ん……?」


 何かが、空に光った。

 形状までは分からないが、流星か何かか。

 このような状況で、その現象をただの天文事象だと切って捨てることが出来ず、ユカリは無線機を起動した。

 こちらも地下室から引っ張り出してきた旧型だ。


「西部防空指揮所、こちら司令部偵察班のミドウだ。ああ。

 少し気になることがある。西の空に流れ星。

 機械が直ってるなら追ってみてくれるか?」











 濃度を増してゆく大気を切り裂いて、鋼鉄の色の輝きが地表へと落下していく。

 赤熱化する大気をその船底に孕み、重力と空力の導く軌道を滑りながら、惑星を一周ほどもする流星となりつつ。

 今や全長400メートルの敗残の船は、冷ややかな冷気の漂う高度3000メートルほどまで降りて漂い続けていた。

 天船アムノトリフォン。

 今は狂王の息子であるセオ・ヴェゲナ・ルフレートが妖魔領域各地を乗り回していた時と同じ形態で、そこの上部には乗員が立ち入ることが出来る甲板と呼べる広さの設備が存在していた。

 甲板に出たセオは、遥か彼方、舞い上がった塵芥の生み出す薄暗闇に包まれながらそびえ立つ、始原者メトの巨大な異容を目の当たりにした。


「…………!」


 高度3000メートルから見下ろす高空の世界の彼方に、存在してはならないものが見える。

 これが紛れも無い現実なのは、復活しようとする始原者の勢力と戦ったセオには痛いほど理解できていた。

 一人、胸中で呟く。


「(大地に根を下ろしてなお、俺の空を足元に置くか……)」


 隕石霊峰(ドリハルト)の事件をきっかけとして天船が本来の使命を思い出すまでは、セオは現在の1/10の性能も発揮出来ていないアムノトリフォンを駆り、天を行く風来坊などと(うそぶ)いていたのだ。

 それが今や数日と経たず、ことの次元は空の彼方の、その更に向こう側の深淵に属するものとなっていた。

 啓発教義が飛行高度に奇妙な制限を定めているのを知らなかったとはいえ、かつての彼は天船でその高度の突破を試みることも、啓蒙者の国へと攻め込むこともしなかった。

 それは天下のセオ・ヴェゲナ・ルフレートもその心のどこかで、大人しく身の程をわきまえようとする怯懦(きょうだ)の精神が働いていたということか。


「(いや……)」


 彼はかぶりを振って、別のことに思考を移す。

 天船の話では、始原者は土壌や岩盤を構成している物質を吸収し、自分のエネルギーや物資に変換を続けているはずだという。

 更に彼女の分析するところでは、72時間後という猶予は、恐らくは地表を破砕するのに必要なエネルギーを蓄積するのに必要な数字。

 そしてそれをわざわざ多国間特務戦隊(フォンディーナ)や地上の人々に教えたのは、地表抹殺の攻撃を放つその瞬間に妨害を集中されないため。

 72時間の猶予を与え、戦争中ゆえ連携を取れない地上の二大勢力はばらばらに攻撃を行い、勝手に消耗していくと見ているのではないか。

 なぜ、そのようにして純粋人類と魔女、妖族と啓蒙者が相互に争っていたのかといえば、それは始原文明の内部対立が持ち込まれたからということになるのだが。


「それが、倨傲(きょごう)以外の何だと言うのだ……!」


 宇宙の恒久の安寧のために、この地上の生命全てに礎となって死ねと言うのか。

 セオは憤りのまま、甲板に踵を打ち付けていた。

 唯一美点があるとすれば、それはあの始原者を名乗る幼い啓蒙者が、己の所業を相手にどう認知されるか把握した上で、滅ぼす相手に自ら陳謝している点か。

 それほどまでに同情しつつ、なおこちらを容認できず滅ぼすと言うのなら。

 そこまで自問して、セオは胸中で妖術を構築、呪文を唱えて解放した。


「その火花の名は電流!」


 すると、虚空から姿を現した何かが、甲板へと投げ出された。

 箒にまたがり、透き通るような白い装束をまとった、魔女。

 光を屈曲させる魔具を着用して近くまで忍び寄ってきていたのを、セオの放った空間放電の妖術の直撃を受けて麻痺させられたといったところか。

 痙攣する小柄な体躯は、見たところ女だ。

 その襟首を掴み、驚くほど柔らかい奇妙な布地の魔具ごと魔女を持ち上げて囁く。


「聞こえているな。舌が動かねば魔法術も解放できまい。

 然るべき処置を施した後、事情を話してもらう。事によっては――」


 その先を言いかけて、セオは全身を麻痺させた魔女を脇に抱えて後ろに飛びすさった。

 甲板に炸裂する爆炎、そこには次々と迷彩を解除したらしい魔女たちが、着地して彼に向かって速射銃を連射してくる。


「その闇の名は――」


 今のアムノトリフォンならば、船外で多少暴れたところで余波はほぼ無視できる。

 強力な破壊妖術を構築し、一気に蹴散らす!


「(いや……!)」


 だが、そこでセオの脳裏を打算が巡った。

 なぜ魔女が襲撃を仕掛けてくるのかといえば、恐らくは、彼らが一方的な宣言を残して月軌道へと出撃したためだろう。

 事前の協定では、魔女で構成された監査部隊を乗り込ませることになっていた。

 多国間特務戦隊(フォンディーナ)の結成を認め、支援する代わりに、ベルゲ連邦の不利益になるような行動を取らないよう監視する役割。

 その取り決めが、急な開戦と隕石霊峰(ドリハルト)への攻撃阻止のため、有耶無耶のうちに破算となった。

 こうして多国間特務戦隊(フォンディーナ)のそれと思しい船が降りてきたからには、その背信行為に報復――することまでは無くとも、実際を確認するために部隊を差し向けてくるのはもっともなことだ。


「(タルタス兄上なら、予期して然るべきだ、などと言うのだろうな……!)」


 彼とて狂王の息子であり、この場には墨焉綾(ぼくえんりょう)を含めて三器の魔具を持ってきていた。

 ここで襲撃してきた魔女たちを殺してしまうのは、決して難しくはない――というよりも、以前なら間違いなくそうしていた。

 しかし、妻を得た彼の立場では、そうした無思慮は、今やあり得ないことだった。

 そうしてしまえば、ベルゲ連邦との対立はほぼ決定的となるだろう。

 降臨した始原者を残り僅かな余力で討って見せねばならないこの状況で、魔女諸国までを敵に回すべきではない。

 セオは執拗に降り注ぐ非殺傷型の魔弾(もちろん、対妖族のために威力は高めてあるのだろう)を墨焉綾(ぼくえんりょう)で弾きながら、妖術で麻痺させた魔女を脇に抱えたままで船内へと後退した。


「アムノトリフォン――いや、分離前の名で呼んだ方がいいか?」


 妻が操舵をしている操船室へと走りながら呼びかけると、天船の人工人格は即座にそれに応じる。


『構いません。それぞれの分離時の人格は発掘時の登録に従います、セオ船長』

「もう知ってるだろうが、魔女の攻撃を受けた。存在を察知していなかったのか!」

魔力線行使技術(ソールス)による偽装が情報庫(データベース)にないもので、極めて巧妙でした。

 やはり宇宙を多様性で満たすべきという、拡散派の指針は間違っていなかった』


 宇宙の全てを見てきたかのようなことを言う船にも、知らないことがある。

 その事実に安堵のような失望のような複雑な感情を抱きつつ、呻く。


「関係のない話だな、百億年も昔の者たちの取り決めなど。

 それより、今後はああいう魔女たちの術を、アムノトリフォンの搭載機器だけでも検出できるように対策を講じろ」

『了解です、船長。なお、未だ周囲に魔女兵多数。戦術を提案しますか?』

「……一先ず、可能であれば船内におびき寄せて、無力化後に人質にする。抵抗の有無を問わず情報を引き出す機械などはないか」

『走査装置はありますが、この惑星の生態系に適切化する時間が必要です。それよりは、霊剣レグフレッジの縺続性(れんぞくせい)超対称性(ちょうたいしょうせい)粒子(りゅうし)の放射現象を利用するべきです』

「あの赤い雨のことか」


 その作用を知っていながら利用しようという発想が自分の脳から出なかったことに、セオは僅かに歯噛みして尋ねた。


『本船の記憶もそれによって揮発から復旧しました。

 霊剣ミルフィストラッセのそれよりは大幅に小さいものの、共有作用も有しているため非加害の尋問に適しています』

「よし……ならば方針を主要隊員に伝達、敵魔女の確保を実行する」

『了解です、船長』

「それと、霊剣使いたちに礼服を。着替えるように伝えておけ」

『こちらも了解です』


 後ろでは、魔女が超高温の魔法物質の刃を生成して天船の扉を焼き切ろうとしていた。強行突破するつもりだろう。

 天船があらかじめ準備しておいてくれた昇降機に飛び乗ると、扉は急速に閉鎖され、彼と捕虜の魔女を乗せた昇降室が高速で上方へ向かって移動を始めた。











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