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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
127/145

02.永訣の夢











 始原者メトを名乗る超巨大物体が地上に着陸して、わずか数分後のこと。

 聖堂騎士団領ヌーロディニアを出発して南東の決定的境界地域クリティカル・ボーダーを越え、そこからやや南の敵領にある街道を進んでいた聖堂騎士団は、そこで着陸の衝撃に伴う巨大な突風に襲われた。

 その難儀の前兆があったかと言えば、まさに該当しそうなものがあった。

 突風の1時間ほど前から、騎士団の機器に不調が相次いでいたのだ。

 自動車の運行にこそ支障はなかったが、無線機や自動巨人が著しい動作不良に見舞われていた。

 いずれも制御に使用していた複雑な電子回路が焼損しており、技師の話では落雷を受けた時の症状に似ているという。

 だが、雨雲の一つもない状況では有様に説明がつかず、それどころか予備部品で修理する側から、機材は破損していった。

 飛行機隊とも連絡が途絶え、空には徐々に高度を下げ続けるもう一つの太陽。

 遮光器を使用してそれを観察すると、上部に巨大な影が伸びていた。

 だが、それ以上その奇怪な現象の正体を究明するための装備は騎士団にはなかった。

 確認されていない新たな魔女の術であるとする説まで飛び出し、最精鋭たる聖堂騎士団といえども一時騒然となった。

 箇条として記せば、以下のようになる。


・聖堂騎士団は、友軍優勢の状況であったとはいえ敵地にいる

・電気回路を使用した機械が全て破損している

・それらの装備は、修理したそばから同じ箇所が破損してしまう

・同時に、周辺の友軍との通信は、全て妨害されたと思われる状態にある

・北の方角に沈みつつある第二の太陽


 こうした事態に対し、聖堂騎士団は二輪車の偵察分隊を各方角に派遣し、本隊は可能な限りで最大の警戒体制に入る。

 電波探信儀なども壊れたままなので、警戒といっても中世さながらの双眼鏡・肉眼観測と、神授聖剣を持つ団員が使用できる秘蹟によるものが主体ではあったが。

 そんな折、遂に始原者降臨に伴う衝撃波と突風が彼らの所まで到達した。

 横殴りにされた車両の一部が横転したが、神樹聖剣を持つ騎士たちが秘跡の防御障壁を展開することで、すぐに一行は難を逃れた。

 数分ののち、静寂を取り戻した世界。

 使い手の身長よりも長い巨大な神授聖剣が、ずんと街道の舗装に突き立つ。

 持ち主である黒髪の聖堂騎士――ネスゲンが、冷や汗をぬぐいながら呻いた。


「山の陰に入ってて助かったな……!」


 神授聖剣を与えられた者たちは防御障壁を解除し、警戒態勢を続ける。

 そうでない団員は横転した車両の復旧や周辺の観測、最初の突風で軽微な被害や損失を受けた物品の点検などを行っていた。

 だがその時、彼ら全員の脳裏に悲しげな、音ではない声が届けられた。

 

『地上の人々、全ての種族。はじめまして、僕はメト』

「…………!?」


 殆どの者が何らかの反応をしたため、聖堂騎士団は即座に警戒を強め、状況を確認、共有し合った。

 こうした奇妙な事態は、魔女の術中である可能性が高いとされている。

 ネスゲンが、近くにいた同僚のロァムに視線を向けると、彼もまた同様らしく、


「まさかネスゲン先輩……聞いたんですか?」

「……お前も? じゃあ……」

『見えている人もいることでしょう。僕は先ほど着陸を果たした巨大物体、それそのものです』

「これ、みんなに聞こえてるのよね?」


 通信手と共に無線装置の様子を見ていたらしい長髪の女騎士――ルオが不承不承ながら、といった様子で切り出す。

 その認識はまもなく騎士団の全員に行き渡っていったが、音ならぬ声は止まなかった。


『突然の勝手をお許し下さい。

 僕はこの世界における72時間の後、世界を滅ぼします。

 実際にはあなた方が許してくれる筈もありませんが、それでもそうするのです』

「……! 何言ってやがんだ。メトって、マジで……?」


 ひたすらに、悲しげな声。

 理解できた内容からすれば、聖堂騎士団にだけ語りかけているわけでもないのだろう。

 彼らにもたらされた混乱を他所に、声は語り続ける。


『どうか滅びるまでの三日間を、大切な人と過ごす時間に使ってください。

 もちろん、僕を滅ぼそうと戦うのもいい。

 あなた方が死の間際まで、少しでも悔いなく生きられるよう、祈っています。

 汝ら、罪なし。地上の人々に、生命体に、祝福あれ――』


 そこまで語りかけて、謎の声は途絶えた。

 聖堂騎士団の困惑が深まる中、騎士団付きの記録官が、それを筆記で文字に起こす。

 ただ、その混乱もすぐに収まった。

 小さなエンジンを唸らせて、赤と白に塗り分けられた偵察小隊の二輪車が到着する。

 運転していた偵察騎士は、頬に擦り傷を作っていた。道すがら転倒などしたのか、二輪車も戦闘衣も土埃に塗れ、所々が損傷している。

 偵察中に何を発見したのか、彼は降車すると安全兜も外さず、青ざめた顔で叫んだ。


「オルナカン副長はどちらですか! 至急の異状が発生しています!」


 たまたま近くにいたその副長――ゴドー・オルナカンがのっそりと、その見上げるような上背をテントの影から現した。


「何があった?」


 茸の傘のような髪型の精強な騎士。

 彼が尋ねると、偵察から戻った騎士は一礼し、口早に報告した。


「北部に巨大な……天を貫く巨大な物体が出現しました。山の向こうなので、まずはここから移動しなくては見えません」

「写真は撮れなかったのか?」

「それが、全て奇妙に感光してしまっていて使い物にならず……」


 彼が懐から取り出したフィルムを(パトローネ)からぴんと引き出し、規則的なまだらの模様に黒ずんだ有様を副長へと見せる。


「! これは……」


 だが、それでも部分的に撮影に成功していた箇所があるらしく、フィルムを受け取ってネガを頭上に透かして覗いたゴドーも、偵察騎士の見たものを察したようだった。


「ネスゲン、偵察車を一台出す。運転手を一人見繕ってくれ」

「そいつに運転させるんじゃ駄目スか」

「案内役の他に運転手と護衛役が要るというんだ。つべこべ言うな」

「了解」


 彼は指示通り、後輩の団員を一人捕まえて運転役に据え、軽装甲車に乗って山の尾根の向こうを目指した。

 この一帯は前大戦以前は啓発教義の国の領土だったため、物資輸送のために整備された道路が劣化しつつも残存していた。

 山の中腹を迂回する荒れた山道を軽装甲車が数分も走ると、否が応でもそれは視認できた。

 後輩が軽装甲車を止め、それぞれが思い思いに席を降りて北の彼方を目にする。


「…………!?」


 信じがたいことに、まさしくそれは、異状であった。

 ここは山岳地帯だというのに、地平線の向こうにうず高く煙る黒煙の中から、それは山よりはるかに高く、天に向かってそそり立っていた。

 大気の散乱作用で青みがかった、極めて巨大な構造物。


「何と……」


 助手席から振り返って、声を漏らした後部のゴドーの様子を見ると、普段は団長よりも泰然自若としている聖堂騎士団の副長が、珍しく不安げに顔をしかめていた。


「方角からすると、もしやあれは第二の太陽だった物か何かなのか……? あれが落下してきて、こうなったと」

「光と爆炎が止むと、膨大な土煙の向こうから、あれが空に向かって伸びていました……。

 衝撃波と爆風をやり過ごした後、その……」


 偵察騎士が証言するものの、途中で口籠る。

 その意味を察したか、ゴドーが促した。


「……声が聞こえたのか?」

「! 本隊でも聞こえたのですか!?」


 一人でいた所にあの声が聞こえれば、たちの悪い幻聴を疑うのも無理はない。

 驚く彼の台詞に、ネスゲンはぼやいた。


「こんな時に友軍部隊との交信が死んでやがるとはな……。

 副長、戻ろうぜ! 団長(オヤジ)もしれっと合流してるかも知れねぇ」

「そうだな。第二の太陽が消えてあの柱になったというなら、もしかしたら通信機の回路を焼いていた謎の力も弱まっているかも知れん」


 果たして、二人の推測は正しかった。

 団長であるマグナオン・ラウエル・スウィフトガルドが合流し、更に通信機をはじめ、自動巨人なども修復が可能となっていた。

 聖堂騎士団は一部友軍との通信が復旧し、それまで魔女諸国に対し有利に戦闘を続けていた啓発教義連合軍は徐々に状況を把握し始めていた。

 戦線の中心に、直径にして100キロメートルほど、標高にしてその倍以上の巨大な物体が落着したこと。

 それにより、敵味方を問わず膨大な被害が生じたこと。

 そして、どうやらその極大規模の物体が、啓発教義の神であるメトを自称し、少なくとも戦線全体に72時間後の世界滅亡を宣言したこと。

 驚愕と混乱を孕みつつ、大陸中部戦線は急速に後退していった。

 彼方には、なし崩しに静けさを取り戻し始めた大陸を見下ろす、盲目の鷹。

 自身の降着で巻き起こった無数の土砂と塵で可視光線は遮られていたが、あれが本当の始原者ならばそんなものは何の目隠しにもならないだろう。

 世界の滅亡まで、あと71時間33分。











 始原者降着地点から西に200キロメートル以上離れた、啓発教義連合軍の前線司令部。

 スウィフトガルド王国軍を主力とする連合の後方基地でも、信じがたい情報が集まってきていた。

 戦線に出現した巨大な物体、膨大な被害と災害、蔓延する通信不全、錯綜する情報。

 降着した始原者から同心円状に広がる形で、全ての通信機材が破損し、復旧のままならない状態となっていた。

 前線や各基地との連絡が途絶え、頼れる連絡手段は車両やウマを用いて人間自身が移動する方法のみ――のちに判明するが、伝書鳩は帰還率が激減していた――となり、不安が加速する。

 前線司令部の通路で、通信科長と輸送科長の二人が並んで歩きつつ口論じみた会話を続けていた。


「通信の次は記録か! 全てのフィルムに異常が出るなど、おかしいだろう!」

「しかしだね、ほぼ同時にだよ! 保管庫や暗室だけじゃなく、記録官が携帯していた撮像機の中のネガも、たまたま地下に保管していたもの以外は全滅だ……これが全部、俺達の不手際だって言うのか!」

「ならば何か、逃げ隠れの得意な汚染種あたりが! このようなことをしでかして回ったとでも言うのか!」


 通信科長の語気が荒いのは、輸送科からの報告で通信機材が壊れ、撮影用のフィルムの在庫までもがほとんど、異様な模様に感光して使用不能になってしまったことに由来する。

 現代の戦闘においての記録撮影というものは、魔女や妖族の使用する術の対策を取るためにも写真資料の取得は必須だ。

 だというのに、それがことごとく、原因不明の感光事故を起こして使えなくなった。

 輸送科長としても、そのような怪奇現象で輸送科の落ち度を疑われては気分良くいられるはずもない。

 しかし。 


「……啓蒙者たちがいれば、教えてくれたかも知れないんだがな」


 科学技術の供与に、戦闘教義の更新。

 スウィフトガルド王国陸上騎士団だけではない。

 過去1000年以上に渡って、啓発教義を信奉する全ての国々が、そうした軍事上の経験や騎士を育てるノウハウなどを、啓蒙者の知見に依存して築きあげてきたのだ。

 彼らの世代は祖父母の代から講義などで間接的に教わったに過ぎないが、前大戦の際も、魔女や妖族に対する対処法に新兵器など、基盤の部分で人類の軍隊は啓蒙者の世話になり続けていた。

 今次の大戦のために新たな兵器とその技術こそ与えられはしたが、彼らの助言などがなければ不測の事態への対処が鈍る。

 今の人類は、頼ってきた親がいない状況で過酷な状況に放り込まれた、小さな子供のようなものなのではないか?


「クソ! もしや連中、こういう事態になることを知ってたんじゃあるまいな!?」

「残った僅かな啓蒙者も、殆どは王都だからな……俺達は自分でできる対策を考えんとならんよ」


 輸送科長はそう言うものの、不安は尽きない。


「(本当に、神を名乗る存在が世界を滅ぼすというのか?)」


 世界の滅亡まで、あと70時間と4分。











 青くきらめく、大気と水を湛えた球体。

 そこから少し離れた空間を、白と黒、そして銀色の混じった輝きが漂っていた。

 船の名は、トリノアイヴェクス。

 はるかな超古代に建造された、戦いの船。

 今は始原者との戦いに敗れ、残骸のような有様でもあった。

 だが、その外殻は熱と光で破壊し尽くされようとも、内部に匿った者たちを守り抜くことには成功していた。

 艶やかな長い黒髪を船外活動服のメットの中に納めた少女が、小さく苦悶に呻く。


「たたた……」


 グリゼルダは自分が気を失っていたらしいと思い至り、周囲を見回した。

 一部の備品などが船内を漂っており、全身に浸透する奇妙な浮遊感も合わせて、彼女のいる操船室が現在、人工重力の影響下にないことを示していた。

 記憶を辿れば、彼女のいるこの船は始原者の推進力に吹き飛ばされ、下手をすれば跡形もなくなっていてもおかしくはなかった所のはずだ。

 ここが啓発教義の云う、真の王国――実際のところ、死後の世界を指しているらしい――とやらでないのであれば。


「ていうか」


 体が壁に縛り付けられている。

 意識が再開されてまず最初に気づいたことではあったが、何か硬い帯のようなものを使って、船外活動服を着たままのグリゼルダの体は操船室の壁に固定されているようだった。

 角度の関係で判りにくかったが、左腕のあたりのすぐそばの壁には、裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)も固定されている。

 その相棒が、何はともあれといった様子で声ならぬ言葉を発した。


(おはようグリゼルダ)

「うん。生きてる……」

(天船がほぼ全てのエネルギーを装甲防御の強化に回したらしい。慣性中和など船内の維持に必要なエネルギーの大半も振り分けたせいで、内部は少々撹拌されてしまったけどね)


 天船が重力や慣性の制御を維持するエネルギーまで装甲に回したということか。

 言われてみれば、途中、周囲が目まぐるしく揺れ動いたような記憶があった。

 ただ、全身のどこにも――どこかにぶつけたらしい尻を除けば痛みはなく、靴の中の足指の先まで動くと分かる。

 その実感と共に、胸焼けのような怒りがこみ上げ直しても来たが、今はまだ、その前に。

 

「!」

「起きましたのね」


 見ると動力で自動開閉するはずの扉が開いており、そこから船外活動服姿の、線の細い妖族の女が姿を現した。

 トラティンシカ・ベリス・ペレニス。この船の持ち主であり、船自身に船長と認識されている。


「他の皆さんは天船内部の様子を見に行って頂いています。トリノアイヴェクスがうんともすんとも言わなくなってしまって、船内での連絡にも事欠く有様……便利に慣れすぎたかも知れませんことね」

「……」


 グリゼルダとレグフレッジを壁に縫い止めていた固定帯を外しながら、彼女。

 始原者メトに手酷くしてやられたためか、その声には自嘲か、自棄のような響きが感じられた。

 そこで、電力が回復したのか照明が復旧する。


『皆さんお待たせしました、現時刻を以って、本船は基幹機能と制御人格の復旧を完了しました』

「……生きてましたのね、トリノアイヴェクス」

『船体全体が一瞬で還元でもされない限り、ある程度の容量を持つネットワークさえ残っていれば、そこに圧縮退避が可能です』


 彼女がそう説明すると、次に操船室内の画面が点灯した。

 船の内外の状況の他に、各種の計測数値を視覚化したグラフのようなものまでが一斉に表示され、グリゼルダの周囲は始原者に敗退する前とほぼ同様に戻る。


『ただし、至近距離での連続した熱核反応の防御に大きくエネルギーを消耗しました。

 船長、本船からは始原者の追撃を要請します』

「無論ですわ。位置関係を見る限りメトはもう落着してしまったようですけれども、地上に降りてまだ何もしていないということならば!」


 トラティンシカが無重量の最中、ゆっくりと回転しながら意気込むと、そこに天船が言葉を続けた。 


『船長。本船は始原者追撃にともない、アムノトリヌスの分離を提案します』

「!」


 天船トリノアイヴェクスは、中核となる鋼鉄色の天船アムノトリフォンと、それを装甲として覆う白い天船アムノトリヌスの二隻が合体することで構成されている。

 前者はトラティンシカの夫であるセオの所有だったが、後者は彼女自身の家の所有だった。

 至近距離での爆発によって大きな被害を受け、今や爛れて白化した飴細工のようになっている天船の外殻部分は、船長であるトラティンシカが発掘から使用法の解読まで長い時間をかけた箇所でもあるのだ。

 天船は、それを放棄するよう告げていることになる。

 そのやり取りを見ていたグリゼルダにとっては、相棒である裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)を捨て去ることに相当するのではないかと思えた。

 その表情を窺っていると、トラティンシカは眉根を寄せつつも、天船の提案を解釈する。


「……資源と人員をアムノトリフォンに集約して、追撃再開を早めるということですのね」

『はい。基幹構造の修復に使用できるほどの資源が残っていません。ヴィジウムの残量も減少しているので、今の魔力線強度の環境にとどまったままでは戦闘行動能力の回復に800時間ほどを要します』


 あの少年――始原者メトは、自らの宣言した地上の一掃まで、72時間を待つと言っていた。

 それを考えれば、やるしかあるまい。


「致し方ありませんわ。アムノトリヌスは軌道上に残して微速修復を続けましょう。

 速やかに乗員をアムノトリフォンに移動。物資も短時間で移動可能なものは全て搬入して、合体解除。アムノトリフォン単独で大気圏突入を行います!」

『了解。合体解除準備。ただし、被害に伴い一部の合体維持系統が分離障害を起こしています。合体維持系統の破砕排除を依頼します』


 一瞬解釈に戸惑う言葉が出たが、要は二つの天船を繋いでいる箇所がダメージで歪むなどして、分離が出来なくなっているという意味か。

 トラティンシカは天船から来る大量の情報をさばく都合もあってか、急速に船との間で暗号じみた会話を交わすようになっていた。


「よろしくてよ。もう連絡は回復しておりますわね?」

『はい』

「船内確認に散った突入班全員に内容を伝えます、通信準備!」

『通信開きます』


 すると、彼女は船内各所にいるらしいセオやレヴリス、アダにアリシャフト、キルシュブリューテといった面子に連絡を取り始める。

 後ろにいるグリゼルダに伝える都合も考えてか、通信装置の向こうにいるらしいセオ・ヴェゲナ・ルフレートの声がはっきりと聞き取れた。


『グリゼルダの方はどうだ。目を覚ましたか』

「特に支障はないようです。生活区画の様子はいかがです?」

『負傷者も一時的な無重力で混乱した以外に被害は無しだ。ただ……』


 そこで、セオの声にやや、翳りが差した。


『グリュクの妻も俺が着いた直後に目を覚ましてな……』

「……!」


 グリゼルダはそれを聞いて、己の背筋に針金を差し込まれたような衝撃に身を捩りそうになるのを堪えた。

 画面の向こうのセオは続ける。


『嘘は言えん。多国間特務戦隊(フォンディーナ)の責任者として、陳謝しておいた』


 先ほどまで気を失っていたのが自分だけらしいと分かり、腑甲斐なさに僅かに顔が歪む。

 そこまで聞けば、考えるより先に体が動いていた。


「行ってくる」

「……ええ」


 エネルギーが復旧したため、扉は近づくだけで彼女を感知して開く。

 グリゼルダは体の冷や汗を船外活動服が吸い取ってくれることに感謝しつつ、生活区画へと向かった。

 世界の滅亡まで、あと69時間24分。











 二人分の服と新しいシーツと、足りない食器。書店に寄って、魔法術の理論書と読み物をいくつか、それとカレンダーに、便箋と封筒。

 金物屋で釘と金槌と、ついでに扱っているというので石炭と――まぁ、とにかく、方々で色々と買った。

 その荷物を二人で分けあって、家路につく。

 フェーアはそこで、傍らをゆっくりと――彼女に速度を合わせて歩いてくれる夫に尋ねた。


「今日の夕飯は何がいいですか?」

「うーん……」

「『フェーアさんの作るものなら何でもいいです』は無しです」

「い、いい答えだと思ったのに……芋と、あと油もまだ残ってましたね。潰して揚げ物とか」

「パン粉がもう無いです……あ、でもこの前おすそ分けしてもらった変な大豆の保存食がカチカチしてましたから、あれを摩り下ろして代わりに使ってみましょうか?」

「味は別に変なこともなかったし、それで行きますか」

「あとはあの丸々と太ったあんまり辛くないタカノツメ……何て名前でしたっけ、また煮ておきましょう。グリュクさん好きでしたよね」

「あ、是非」


 そして二人の新居の前まで着いたところで、フェーアは気づいた。気づいてしまった。

 夕食のことなどではなく、ほかにもっと、どうしても、口に出して尋ねたいことがあった。

 だが、喉が詰まるばかりで、舌が動かない。


「…………!」


 なぜ、なぜ?

 彼もそれを分かっているのか、どこか悲しげな目で妻である自分の目を見つめ返すだけだった。

 何も出来ないでいるうちに、次第に悲しい大気が彼女の周囲の世界に溢れだし、フェーアの視界は暗転する。


「っ!?」


 そして、薄暗い部屋の中で毛布を抱きしめ、泣いている自分に気づくのだった。


「………………」


 グリュク・カダンとその霊剣は、グリゼルダたちの目の前で、真空にほどけるように消えてしまったという。

 大叔母の狂奔に巻き込まれ、家族殺しの犯人として故郷を追われた。

 その彼女に生き写しということで狂王の王子に見初められ、かどわかされた。

 ただし、それも今は過去のこと。彼女は伴侶を、そしてかつてとはかなり違うとはいえ、新たな生活をも手に入れた――

 そのはずだったのに、なぜ。

 なぜ、私の幸せはこうも取り上げられてしまうのか。


「(どうしてですか……グリュクさん……!)」


 全身で毛布を固く抱きしめ、悲しみの痛みと熱に疼く。

 だが、部屋の扉を叩く音がして、その金縛りめいた硬直が溶けた。


「入るよ」


 開いた個室の扉から光が差し込み、そこから部屋に入ってきたのは、グリゼルダだった。


「……フェーア、大丈夫。声は出せる?」


 幸い、入り口には背を向けていた。

 せめて涙が残っているところは見せまいと、起き上がりつつも袖で目の周りを擦る。

 すると、今度は舌に違和感があった。


「……? ぁ、はぃ、出せ……ぇほっ! げほ――あ、だ、出せます……!

 ちょっと口の中が渇いてた……だけです」


 寝台から這うように降りて、簡易机に伏せてあったコップを手に取る。

 すると、グリゼルダが透明な何かを差し出してきた。天船の内部で製造されている、水の入った透明な樹脂の瓶だ。


「あ、これ。食堂で分けてもらってきたやつ。飲用水だって」

「ぁ……ぁりがとうござぃます」


 泣いたことで水分と熱を失ったのだろう。

 声の調子がおかしくなるのを自覚しつつ、蓋を回して口をつけた。

 夫の訃報を聞いた後だというのに、体が水分を喜んでいるのが分かる。

 思えば、婚前にはグリュクとグリゼルダ、そしてフェーアの三人で比較的長い距離を旅したことがあった。

 そんな時、宿で夜にうなされるフェーアをいつも起こしてくれたのが、彼女だった。

 魔女の世界でも青年に達していないようなこの、やや幼さの残る少女には、何故だかよく世話になる気がした。

 片思いの相手を奪ってしまったという負い目も感じていたが、表面上は彼女も、それを感じさせない振る舞いをしてくれている。

 そう考えると自分の存在が、急に取るに足らない卑小極まるものに思えて、フェーアは胃の奥から飲んだ水が逆流するのを抑えた。


「ぅ……!?」

「だ、大丈夫!?」

「………………ぐ、だぃ……じょぅぶ……です…………っ」


 喉とその奥にじんわりとした痛みを覚えて胸を押さえ、グリゼルダの手を借りて立ち上がると、その時。


「フェーア……こんな時で悪いんだけど、ちょっと話しておきたいことがあるんだ」

「……何ぇすか?」

「えーと、無理に声は出さないようにしたほうがよさそうね。まあ聞いて」

「……?」


 机の上に樹脂の瓶を置くと、目の前の霊剣使いが、その腰に下げていた小ぶりな曲剣の柄尻に掌を被せる。


「もしその意思があるならってことなんだけど……

 あなたに、レグフレッジを渡そうと思う」

「……え?」


 真剣な表情の彼女の口から出た言葉の意味が分からずにいると、霊剣自身が補足する。


(君に、霊剣レグフレッジの48人目の主……表現は少々血なまぐさいが、復讐者の系譜を受け継ぐ者になる気はあるか、という意味だ)

「ぇ、えぇ……!?」


 そこまで聞いて、ようやく理解する。

 見ればグリゼルダの目は、あくまで本気のそれだと思えた。

 彼女はゆっくりと視線を落とし、


「気持ちのいい話じゃないけど……資格はあると思う」


 それは、重い意味を持つ。

 妖族は寿命が長いため、短期間に多様な経験を積むには不向き。

 今は亡き意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の黄金の旋風の作用で共有した記憶だが、彼はそう言っており、恐らくは裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)も同様の見解であるにもかかわらず。

 少なくとも、裁きの名を持つ霊剣(レグフレッジ)とその当代の主が彼女を後継者候補として選んだということは、一度受け入れておいて、やはり止しますなどとは言えない。

 フェーアは少しその意味を考え、やや置いて、意思を告げる。


「……お気持ちだけ、頂いておきます」

「いいの?」

「仕返しをしたい、私はこんなに怒ってるっていいたい気持ちもありますけど……

 あと3日で、始原者メトが世界を滅ぼすって聞きました。

 お恥ずかしい話ですけど、それまでにレグフレッジさんを使いこなせるようになる自信が……

 それだったら、他に今の私でも出来ることがないか、みなさんと相談したいなと」


 その方が、結果的には始原者の目的を挫くことに繋がるだろう。

 自信が無いという情けない理由の方が比重は大きかったが、そちらも本心だった。

 少女は視線を逸らすと、開いた扉の縁に手をかけて呟く。


「……ごめんね、フェーア。今の話は忘れて。

 もうすぐ地上に降りるらしいから、もしどこかを手伝いに行くなら重力の無い区画とかあるっていうし、気をつけて」

「は、はい。ありがとうございます、グリゼルダさん」

「いいって」

(邪魔をした)


 そう言って、彼女とその霊剣は素早く、通路を曲がって去っていってしまった。

 扉を閉めると、部屋は再び薄暗くなった。

 フェーアは脱力して寝台に倒れこみ、そのまま膝を抱え込んで考える。

 

「(出来ること……やりたいこと)」


 まぶたを閉じて思い出すのは、幸せな記憶。

 それを消し去ったものを許すことは、断じて出来ない。

 ふらふらと立ち上がり、机の上の樹脂の瓶に残った水を飲み干すと、フェーアは浴室へと向かった。











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