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霊剣歴程  作者: kadochika
最終話:霊剣、霊(くし)ぶ
126/145

01.世界が終わる前に








 神聖啓発教義領(ミレオム)は、その総面積に占める砂漠の割合が5割を超える啓蒙者世界に所在する。

 その首都エンクヴァルもまた岩石砂漠に中心に広がっており、その地下には様々な設備を内包した地下構造が広がっていた。

 その内部には電力や人工水系、超大容量通信ケーブルが血管のように走っており、中には現代に至っても拡張工事の最中のものも存在する。

 その殆どは聖伐(せいばつ)――第二次大陸戦争の準備のために中断され、保守整備用の広い通路が警備装置も未設置のまま放置されていたのだが、そこを小さな鉄道車両のような保守整備機械が通るための、これまた鉄道のような金属の軌道は施工が完了している。

 照明もなく暗黒のままのはずだったその通路の一つを、しかし今、行き過ぎる奇妙な姿があった。

 がたごと、と規則的な鈍い音を立てながら、それは移動し続けていた。


『このままあと30分とかからず、地上に出ます』


 中性的な音声が、鈍い断続音を貫いて硬質の通路に反響する。

 その声の出どころは、決して広大ではない通路の、人の背丈ほどの高度を飛ぶ純白の鎧だった。

 翼ある種族のための聖別鎧(アノインテッド)、スヴァルティスヴァン。

 その純白の鎧からもう一つ、こちらは女のそれだとはっきり分かる高さの声がした。


「枝道とかは無いの?」


 尋ねたのは、装着者である啓蒙者種族の娘、ジル・ハー。


『ありません。視界左下の図像も参照できます』


 答えたのは鎧に宿った人工知性、コグノスコ。

 経緯はあるが、この状況をどう例えたものかと、カイツは思案した――暇なのだ。

 まず、延々と続く地下鉄道のような通路を軌道に沿って進む、小さな自動車のような物体。

 そこに翼の生えた純白の鎧をまとった啓蒙者の娘が先行し、牽引用の金属索で以って物体を曳いている。

 後ろからはカイツが銀色の体表の魔人に変身し、念動力場を放出して推していた。

 カイツは彼女たちが牽引している即席客車を後ろから押して飛びながら、即席客車の内部に声をかけた。


「何してんスか」


 客車と暫定的に呼んでいるが、これはカイツやジル・ハーのように飛行できない者を乗せて通路を移動するための、放置されていた資材を組み合わせて作った急造品だ。

 全くの無動力だが乗り心地は悪くないようで、内部に座っていた二人のうち痩せぎすの男の方――ジャコビッチが答えた。


「いえね、生き残った飛行案内板(ナビ・ドローン)の本体で通信できればと思いましてねン?」

「え、どこと?」


 カイツが怪訝になって尋ねると、彼はぱたぱたと一抱えほどの鮮やかな板切れ――先程までは回転翼が複数取り付けられており、空中を浮遊して敵の迎撃に向かうカイツの誘導を行っていた――を示して言う。


「カイツくんとジル・ハーちゃんが来た時には留守にしてましたけど、ホントならあそこにはあたしらの上司というか、まとめ役の啓蒙者がおりまして……彼女か、彼女の所属する組織に連絡をとりたいんですのよ。

 “両の目”ってご存知かしらん?」

「……聞いたことあるような、無いような」


 多国間特務戦隊(フォンディーナ)に参加するのに前後して、その名詞は聞いたような記憶があったが、どうにも具体的に思い出すことが出来なかった。

 ジャコビッチはその反応を気にした様子もなく、手にしていた飛翔案内板(ナビ・ドローン)の本体を隣の大男――ブルスキーに預けつつ説明を続ける。


「コグノスコの旦那を保護したのも、旦那が案内してくれてるこのルートも、その人を通して“両の目”が教えてくれたのよね」

「集団の名前ですか? “りょうのめ”って、眼球の意味の?」


 今度はジル・ハーが尋ねると、この痩身の似非啓蒙者は説明好きな性格なのか、更に解説を加えてくれた。


「そそ、秘密器官“両の目”。元々は社会の異変に気づいた啓蒙者たちが極秘裏に集まって作った情報交換の場のことですのよ」


 そこまで言われて、カイツは以前そのような説明を、多国間特務戦隊(フォンディーナ)に助言者として参加している啓蒙者から聞いたことを思い出した。


「かなり前から――うーん、あてくしらが生まれた辺りかしらね――その辺りからなんかどーぉにも、世の中に違和感を感じてた啓蒙者が増えてたらしいのよ。世の中っていうのは、ミレオム、いわゆる啓蒙者の国のことね。

 偉い司祭様たちの中にもそれがちらほら出てきて、ちょっと危なげな仮説が出た。“啓蒙者は全て、何らかの存在によって緩やかに精神制御され続けている可能性がある”っていう――」

「!」


 カイツにとって、それはさほど驚くことではなかった。

 彼がベルゲ連邦で聞いたことのある俗説としては、“神聖啓発教義領(ミレオム)のどこかに妖族で言う狂王のような、実体を伴った謎の最高位司祭がおり、それが発している洗脳の秘蹟などで、全ての啓蒙者が操られている――”とするものがある。

 その説は一時期までは一般的に信じられていたが、魔女の扱う魔法術と啓蒙者の扱う秘蹟では発動機序が全く同じであるらしいことが戦死者解剖などで明らかになって以来、それだけの秘蹟を扱い続けることが極めて非現実的であるという指摘によって、俗説としては不人気になりつつあった。

 ただ、当事者である啓蒙者たちの内部からもそのような意見が出ているとなれば、話は変わってくる。


「それ……! どういうことなんですか!?」


 啓蒙者であるジル・ハーが思わず即席客車の牽引をやめてしまうのも、無理のないことだろう。

 カイツも無理はせず、客車を押す推力を止めて停車させた。


「うーん……ジル・ハーちゃんには信じられないかも知れないけど、そういうことなんよ。

 あてくしたちの上司――カトラって言うんだけどね、彼女の専門は思想史で……ある日啓蒙者と純粋人の思想体系を全部ひとまとめにしてそのいろんな思想の流れを分かりやすく図にしようと思い立ったらしいのよ」

「思想樹形図ってやつか」


 かつて生物としての人類の歴史を研究していたカイツは、すぐさまに樹状の模式図を思い浮かべた。

 ジャコビッチの口から出た上司の名で、その奇妙に妖艶な女司祭のことも明確に思い出していたが、ひとまず口には出さずに続きを聞く。


「姐御が考えてたのは審美性も考えた立体的なやつで、原点に設定した啓発教義からいろんな方向に思想の枝が伸びると思ってたそうなのね。

 ところが実際にやってみると、複数箇所でばっさり剪定されたような形跡があった。

 複数の領域で、思想の発展が人為的に妨げられたことがあるのかも知れないと考えたのね、彼女は。

 そこで“両の目”に集まった啓蒙者の共通点を調べてみたら全員軍関係者じゃなかったことが判明して、もっと詳しく診療履歴なんかを突き合わせてみたら、全員が何らかの形で脳機能不全があったわけ。

 もしかしたらそういう電磁波みたいなものが放出されてて、普通の啓蒙者の殆どはそういう方向に考えが向かないよう矯正されてるんじゃないかっていう説まで飛び出した。

 あ、言っとくけど、もしこんなこと喋ってるのがバレたら、いくら啓蒙者の皆さんが優しくてもこれよ実際」


 ジャコビッチは、親指で自分の首を掻き切るような仕草をしてみせた。

 それが殺処刑を意味するのは、グルジフスタンでも啓発教義の国でも同じらしい。


「……あたしもそれなのかな」


 鎧姿のままのジル・ハーが、傍目にも明らかに肩を落として呟く。


「可能性はあるわよン、実際ここ20年で啓発教義に順応しきれない啓蒙者がかなり増えてるそうだし。一般人は聞いてないかしら?」

「全然知りませんでした……」

「気にすることないわー、あてくしたちも自分らの研究が大事で教会を怒らせちゃってぶっ殺されそうになってたとこを姐御に拾われたわけだしね。結果的にとはいえコグノスコの旦那やあなたたちに会えたわけだし。

 ジル・ハーちゃんも教義に疑問が出てきたら、まずは“両の目”に相談してみなさいな。みんないい人たちよ、ぐふふ」


 落ち込む彼女を気遣ってか、今までのおどけた喋りを一層おかしく誇張して、ヒゲの似非啓蒙者は笑った。


『ジャコビッチの言う通りです。あなたも彼らに会えば、決して自分が孤独ではなかったのだと分かるようになると思います。そのためにも……』

「うん、ごめん! 動きますよ、気をつけて!」


 無事に気を取り直せたらしいジル・ハーが、やや空元気まじりにではあるが宣言する。

 それに驚いたか、客車の内部から男の声が聞こえてきた。


「おんやぁ!」


 似非啓蒙者の大柄な方、ブルスキーだ。

 ただ、よく見れば、彼は客車の再始動に驚いたわけではないらしい。


「旦那! “両の目”と繋がりましてん! そっちからも繋いでみてくんなまし!」

『了解です。ジル、カイツ、このまま進めてください――こちら秘匿研究室のコグノスコ。

 現在我々は黙示者に発見された研究室を放棄し、脱出中。随伴員はジャコビッチ、ブルスキー、他客員二名――』


 コグノスコが饒舌に通信を確認するのを聞きながら、カイツはひとまず、客車を地上に運び出すべく推力を上げた。

 彼らがそこに滅亡が迫っていることを知るのは、ここから丸一日ほど先のこととなる。











 夏もすっかり過ぎ去り、夜はやや肌寒さを感じるようになった季節。

 辺境の村ソーヴルに今日も郵便が届き、周辺の自治体との関係も含めて村がより活気づき始めていることを示していた。

 朝も遅く、村に日に一度の郵便が届く時刻だった。


「ペーネーンちゃん、手紙届いてるよ! あと医者道具!」


 配達員がトラックの荷台から積み荷を下ろしながら、迎えに来たペーネーンや、付き添いの他の村人に呼びかける。


「お疲れ様です!」


 彼女は元気よくトラックの側に駆けつけ、配達員の下ろす荷物を村役場の荷車に積み替える。

 消毒液に包帯や止血帯、脱脂綿などの医療処置用の繊維。

 体温計やマスク、ピンセット、安全ピンといった器具。

 そして滅菌用のオーブンに、王国で認可されている基本的な医薬品と医療行為の初歩的な手引書などだ。

 手紙と共に、ソーブルの村が手配してくれた医療資材の大半が手に入った。

 ソーヴルも東部辺境には珍しくない無医村であり、啓蒙者から宣教補として認定された彼女は、簡単な医療行為なら村を通して王国に申請することで行うことが出来るようになっていた。

 条件として、診療行為自体は無償とすること――つまり開業医のように診療費を受け取るのではなく、村の医療職員として規定の報酬を支払われるだけとなる。

 また外科手術などの本格的な治療行為を実施したければ騎士団領や幾つかの大都市で発行される医療行為免状などが必要になるが、それでもまずは、彼女が公式な医者(に、準じる立場)として、村で第一歩を踏み出したことになるだろう。

 彼女は昂ぶっていた。


「お疲れ様でしたー!」


 郵便配達車が村を去り、ペーネーンは村人達と協力して役場の診療所に医療物資を収めた。

 幾つか荷を解き、説明書を読みながら滅菌用オーブンを組み立てていると、部屋の窓を叩く音が聞こえる。


「……?」


 彼女に割り当てられた診療所は、生垣に囲まれた村役場の裏手側に面している。

 つまり、わざわざ建物を迂回し、裏庭から診療室の窓が叩かれたということだ。

 不審に思いつつ窓の外を見ると、まだ小さな拳がこんこんと戯れるように裏戸のガラスを叩いていた。


「子供……?」


 歩み寄って裏戸を開けると、そこには。


「お姉ちゃん、おひさしぶり」

「キリエ!?」


 悲鳴じみた声を上げてしまい、思わず口を塞いだ。

 小さな少女が、唇の前に人差し指を立てて小さく唸る。


「しー」

「ご、ごめん」


 二つ結びの赤毛の小娘。

 ゆったりとした、小綺麗な異国の装束に身を包んではいるが、その仕草は彼女の妹に間違いない。

 ただ、半年前には重病を患っていたはずだ。

 今のキリエには、以前その肌や髪を侵していた黄色いカビのような病態は窺えなかった。


「病気は治ったの?」

「治ったよ! 魔女の国で薬を貰ったらすぐ治った。魔女もいい人ばっかりでした……信仰がないのがたまにキズ」

「ていうか、うん……ラヴェルさんは? 一緒じゃないの? あなたもうちに戻ってきたりは出来ない?」

「ちっちっち……」


 キリエは目を伏せ、なにやら芝居がかった仕草で人差し指を立てたまま、手をぴこぴこと振った。


「お姉ちゃん、そんなにいっぺんに聞かれたら答えられないぜ」

「……それなりに楽しかったみたいね」


 恐らく、彼女を気に入っていたらしいラヴェルは病気を治すついでと称して、キリエに色々と良くしてくれたのだろう。

 魔女の国にキリエの病気を治しに行ったのなら、そのあとで彼女に事物を見せて回っていてもおかしくはない。

 妹がいない間にペーネーンと母は寂しい思いをしたが、彼女がこうして健やかな姿で一時とはいえ顔を見せてくれたと分かれば、その程度の不沙汰は無かったことにして構わない。

 そこで、キリエが思い出したように話題を変えた。


「あ、それよりも」

「何」

「……ラヴェじじがね、悪い人たちが村に来るっていうの」

「……!」


 幼い眉根を精一杯寄せつつ告げる彼女の言葉に混じる、不穏な単語。

 ペーネーンははやる気持ちを抑え、いつもしていたように、妹の言葉から要領を得ようと慎重に順を追って尋ねた。


「悪い人って、どんな?」

「騎士団だって……」

「騎士団!?」


 彼女はとっさに、以前自分を拘束して尋問を行った騎士たちのことを思い出していた。

 ペーネーン自身はおろか、幼いキリエにまで狼藉を働こうとした、あの薄汚い中年の団長!

 それを思い出すと、胸の底から騎士という人種への憤りがこみ上げ始めた。

 だが、とペーネーンは思い直す。

 それより後には、ソーヴルの村を陥れようとした悪質な企業を撃退してくれた騎士たちもいた。

 結局はどのような立場にも善人と悪人とがおり、キリエを通してラヴェルが言おうとしているのは後者なのだろう。


「あのね、ついさっき、魔界が少し広がったんだって。ここも、その一部に入ったって、ラヴェじじが言ってたの」

「え、妖魔の世界に飲み込まれたってこと……!?」


 キリエの話を素直に解釈するなら、そうなる。

 だが、そのようだと思える兆候などは何も感じられず、ペーネーンは再び尋ねた。


「疑うわけじゃないけど、ラヴェルさんの早とちりとかじゃないの? 妖魔の世界って、確か木の葉が黄色いって言うじゃない」

「すぐ変わるわけじゃないって……キリエもまだ信じられないけど」


キリエは一旦言葉を区切り、拳を握りなおして続けた。


「あのね、お姉ちゃん聞いて! キリエはもう、魔女なのです!

 ラヴェじじに連れていかれるまでは、魔女が悪い人たちだと思ってた。

 でも、グルクさんと剣はいい人でした。

 ラヴェじじも魔女だったけど、そそっかしい、いつものラヴェじじでした。

 魔女にもいい人と悪い人、どっちもいて……だから、妖魔の世界が広がっても、そこに住んでるのは悪いことじゃないって。

 でも、昔のキリエみたいにそれが悪いって思う人もいて! 村を……」

「……消しに来る、ってこと?」

「…………」


 キリエは無言、しかし真剣な表情で首を縦に振る。

 言葉にしたくはないのだと、ペーネーンもそれを察した。


「(もしかして、ラヴェルさんの差し金……?)」


 彼女は使者として、村へと迫る危機の存在を伝えるために遣わされたのだろう。

 そしてそれは、その危機が間近に迫っているという意味ではないか?

 その懸念を裏付けるように、低くくぐもった音と僅かな振動が複数、窓の外から聞こえてきた。


「あ……」


 母親に咎められた時に似た、キリエの表情。

 ただそれは、取り返しのつかないことが起きてしまったかもしれない、という絶望の予感にも見えた。

 ペーネーンは少し考え、指示を出す。


「あなたはここで待ってなさい。絶対に、動かないで。いいね」

「あ、お姉……」

「二回目は言わない!」


 妹の言葉を遮ると、既に包帯や止血布などを詰め込んでおいた携行用の医療箱を引っ掴み、彼女は村役場を出た。











 王国とそれに連合する国々が、魔女や妖族たちに再び大きな戦いを仕掛けてから、二日が経った。

 幸い主要な進軍経路を外れていたソーヴルは、時折街道を兵站を運んでいるらしい輸送車の大群が通り過ぎること以外、際立った異変は起きていなかった。

 戦火は怖いが、それでもひとまず、今日という日も静かに終わってゆくことだろう。

 住民のほとんどが漠然とそう思っていた昼下がり、それは起きた。

 村の入り口になっている小高い丘に、大型の荷台を持つトラックが停車した。

 一台だけでなく、それは複数。

 それぞれの荷台が左右に割れて開くと、重厚な装甲に全身を包んだ鎧姿が多数現れる。よく見れば、運転手まで似たような格好をしていた。

 不信を覚えた村人たちの視線など意に介さず、彼らは荷台を降り、村を目指して散開を始めた。

 そして、鎧のうち数名が、鎧に拡声装置でも備わっているのか、大声で警告を発した。


『こちらはスウィフトガルド王国騎士団です。現在汚染領域が急速に拡大しつつあります。

 避難を行います。急いで広場に集合してください。繰り返します』


 繰り返される急な内容に、混乱が生じた。

 汚染? 避難?

 開戦と関係があるのか、危険なのか?

 経緯は省くが、ソーヴルは先日啓蒙者の政策によってヴォン・クラウスという近傍の村の住民を受け入れたばかりであり、平和ではあったものの完全に馴染みきってはいなかった二つの村の住民たちの間には、若干の温度差があった。

 だが、家宅の捜索を始めた鎧の男たちが村人たちを追い立てるように広場に集め始めた時点で、何か違和感を覚えた者もいた。

 避難。本当だろうか?

 小一時間ほど立ち、わずかな手荷物以外は何も持たない村人達が全員、村の広場に集められた頃。

 多数の重装騎士たちが、広場に集められた村人たちを護衛するように取り囲んでいた。

 そこにソーヴルの全体の確認を終えたらしい一人が、がしゃがしゃと駆動音を伴って広場までやってくる。

 そして、隊長格らしい鎧の騎士に報告した。


『これで全員のようです。離村者もないそうです』

『よし。全騎、浄化措置準備!』


 報告を受けた騎士が、鎧に付属しているらしい拡声機能で大音声を張り上げ、号令すると。


『浄化措置準備よし!』


 村人を背に周囲を警戒していたと思われていた重装騎士たちが、背部から筒状の物体を取り出し、村人たちに向かって構えた。

 その筒は、良く見れば騎士たちの鎧の背部に積まれた大きな円筒へとホースで繋がれているように見えた。

 村人たちはその構えに怯え、集団の中心へと後ずさる。

 実際を明確に知っているものはいなかったが、それは、水をかけた程度では消えない温度で燃焼する液体燃料に火を付け、対象に向かって高速で吹き掛ける兵器――火炎放射器と呼ばれるものだった。

 そこへ。


「待って!」


 村人を包囲する重装騎士たちの輪の外から、叫ぶ声があった。

 そこに居た全員が一斉にそちらを振り向き、騎士たちの一部が銃を向ける。

 小道から姿を表したのは、小さな箱を携えた娘。


「あなたたち、村の人達をどうするつもり……!?」


 騎士たちの隊長はそれに答えず、鎧に付属した通信装置で部下に問う。


『あれは』

『捜索に漏れがありました』


 騎士隊長は部下の説明に頷きもせず、腰の速射騎銃を掴んで娘に向けて照準、号令する。


『浄化措置、始め!』


 だが、それは適わなかった。

 彼女――ペーネーンを銃弾が貫く前に、それは虚空に出現した漆黒の十字模様の群に弾き返される。

 村人たちに向かって散布された高温の燃焼液の雨も、同様に防がれた。


「!!」


 騎士たちがにわかに動揺するが、さすがに村人たちほどではなく、隊列までは乱れない。

 明らかに、外部からの妨害――それも汚染種によるものだと判断し、浄化部隊の隊長は指示を下す。


『交戦準備、索敵!』


 そして彼が後ろを振り向くと、民家の屋根の上にどす黒く、どこまでも邪悪な影が佇んでいた。


『――!!』


 詳細を見定める前に発砲すると、複数の部下がそれに続いて射撃を始める。

 だが、数十発のそれは事も無げに、再び虚空に出現した黒い十字模様に防がれた。

 黒い十字模様の群に守られ、黒い炎のような揺らめきに包まれた、人間大の何か。

 複数の速射砲から連射されている“連合規格(れんごうきかく)弾種(だんしゅ)3”は、聖別鎧の重量と筋力補助が無ければ、人間一人など一発撃つだけで後ろに吹き飛ぶほどの反動がある。

 それを全弾叩きつけても破れない、強固な障壁。

 弾倉の残弾が切れると同時、黒い十字模様の群も消失し、黒い影の輪郭が明らかになる。

 それは、ゆったりとした異国の礼装に身を包んだ老人だった。

 毛筆のような眉、滝のごとく口周りを覆う白い髭。

 そしてその顔に浮かぶ、激しい憤怒の形相。


『…………!?』


 すると、黒の老人は忽然と屋根の上から姿を消した。こちらが弾倉を交換し、射撃を再開する前に。

 彼が気付いた時には、既に味方が蹴散らされつつあった。


『何だ、こいつ――ぐあ!!』

『汚染種、はや――』


 黒い炎を捲き上げる老人が目を疑う速度で跳ね跳び、舞い踊る。

 村人たちの混乱をよそに、魔弾を弾く複合装甲の鎧が砕かれ、総重量が200キログラムを超える重装聖別鎧騎士たちが空中に舞い上がり、砂利道に叩きつけられる。


『啓蒙者が撃退したんじゃなかったのか……!』


 特殊装甲で覆われた浄化任務用聖別鎧は、汚染された環境からの防護も兼ねている。

 それが破壊されては、たとえ即死を免れた彼の部下たちも、妖魔化された大気と土壌に汚染されてしまっていることだろう。

 怒りと共に、隊長は歯噛みした。


『汚染種め……!』


 隊長は急いで輸送車に退避し、増加武装の装着を始める。

 近接防御用の機関砲と高感度のセンサー、増加装甲とその補助駆動機が一体化した、言わば切り札。

 本来ならばこのような低烈度の浄化任務で使うことなどあり得ない装備だが、使う時が来てしまった。


『間に合え……!』


 40秒ちょうどで装着が完了し、かれは汚染種を迎撃するために推進器を噴かし、外へと急展開する。

 だが、


「着替え中じゃったか? いやすまんことをしたの」


 そこで彼は禍々しい汚染種とばったり、鉢合わせる形で出くわしてしまった。


「!!?」


 胸部の後退用推進器を展開、噴射炎で敵を攻撃しつつ、離脱を試みる。


「撫でよ龍の指」


 汚染種のかざした左腕から、漆黒の弾丸が複数殺到し、装甲を打った。

 だが、強力な汚染種との戦闘を想定した重厚な増加装甲が、見事にそれを弾く。

 このまま、背部の徹甲砲で仕留める――そう判断して後ろに手を回すと、既に汚染種は姿勢も低く飛び出し、彼に超高速の飛び蹴りを見舞っていた。


『かぁッ……!』


 だが、なおも装甲は耐える。

 汚染種とはいえこの大きさの老人とは思えない、緩衝機構で相殺しきれない重い威力に呻くが、そこで敵の土手っ腹へと照準が定まった。

 外しようがない距離だ。


『発射――』

「砕け甲龍の拳」


 だがその直前、至近距離にいた老汚染種の()()が黒い炎のように燃え上がり、彼の鎧の二重の複合装甲を貫いた。

 破片を撒き散らしながら、浄化騎士団の隊長は吹き飛ばされてゆく。











 ペーネーンは、ラヴェルの獅子奮迅の戦いの様子の、一部始終を見届けることとなった。

 いや、全ての騎士たちが動けなくなった時には、既に老人はやれやれといった様子で左肩を回していたが。

 村人たちはといえば、未だにどのように動くべきか判断できないのだろう、そわそわとしつつも大勢で一箇所に固まっている。


「……脅かしてすまんな。わしゃこれで退散するが……こいつらがこれだけとも思えん。

 もう、西にある騎士団基地から、わしの姿を見て別の騎士団が出動した。事後処理はそいつらに任せるとええ。

 そっちはこんな真似はせんはずじゃからな」


 彼は、あのラヴェルに間違いなかった。


「あ、あの……」


 話しかけようとしたペーネーンは、しかし、漆黒をまとったおぞましい筈の老人が優しく微笑むのを見て何故か、何も言えなくなってしまった。

 終わってから考えてみれば、それは彼が、村で医者としての道を歩み始めたペーネーンの立場を守るために、細やかな魔術の一つも使ってみせたのかも知れないが。


「じゃあの、ペーネーンよ。気を落とすでない。

 生きてりゃ、たまさか出会うこともあるかも知れんからな」


 独り言のようにそう呟くなり、老人は彼女から視線を逸す。

 そして黒い布のようなものを体に巻き付けるようにまとうと、以前そうしたように、一気に南へと飛び去っていってしまった。


「――!?」


 そしてその後を追うように、箒にまたがった小さな、二つ結びの赤毛の影が同じ方向へと飛び去っていった。

 顔は見えなかったが、あれはやはり、妹のキリエだったのだろう。

 ラヴェルに連れられて魔女の国へと行き、既に箒で飛ぶ方法を会得したのか。

 彼女たちの命を救ってくれた剣と剣士のように、妹もまた、行ってしまった。

 またもう一度、会えるだろうか?

 切なさに小さく痛む胸に、手を当てる。


「…………あれ」


 だが、ふと視界に入った大きな違和感が、その痛みをかき消してしまった。

 東の空に、太陽が二つ浮かんでいるように見えるのだ。

 今のペーネーンには知る由もないが、それは始原者メトが地上へと降臨する、1時間ほど前の出来事だった。











 その日、地上にいた全ての、ある程度以上の知性、感受性を持つ生命体は全て、その声を聞いた。

 その営みと、その住処とを全て壊して滅ぼすという、音声ではない宣告を聞いた。

 魔女や妖族、啓蒙者はこれを、魔法術や妖術、秘蹟と解釈することが出来た。

 魔力を持たない純粋な動物としての人類である人々も、表に出れば自分と同様に戸惑う同胞の姿を見て、恐る恐る尋ねて確認できた。


「聞こえましたか、今のが?」


 ただ、それでもほとんど経験のない事態に、他の種族に比べて影響の波及がわずかに遅かった。

 ほとんどの啓蒙者が、汚染種――魔女と妖族を滅ぼすための最終戦争に備えて本国に戻っていたこともある。

 しかし、ここに例外がいた。


「……容認、できぬ。いかに魂に響こうとも……!」


 啓発教義連合、戴典法王ククラマートル・キルビリスピリ。

 スウィフトガルド王国を筆頭とする啓発教義を国教とする国々における、実質上の最高指導者でもあった。

 早朝の、小さな、しかし静謐を至上として設計された瞑想室で、彼はメトを自称する悲しげな声を、痛ましいほどに心に聞き取っていた。

 老啓蒙者は目を見開き、静かに立ち上がる。

 瞑想室を出て、装甲端末を起動し、ククラマートルは話しかけた。






 おはようございます、カルナオン王陛下。

 早速ですが、今の声……あぁ、聞かれていましたか、結構です。

 ええ、もちろん、わたくしではありません。

 もしかしたら、陛下の恐れておいでだったことが、起きるかも知れませんので……

 そう。そうです。

 一応は教義の象徴を務めるわたくしと、世俗世界の最大者である陛下と。

 二人で人心を落ち着かせなくてはなりませんからね。

 そして――


――ククラマートル・キルビリスピリの通信記録より抜粋、書き起こしたもの。











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