EX.サルドル・ネイピアの物語6
秘匿されていた転移通路を使用し、彼は月面へと出る。
軽量な啓蒙者の体重をさらに減ぜしめる小さな重力と、宇宙線を素通しする透明な真空が、始原者の後継となったサルドルを出迎えた。
現在位置――月の裏側の、片隅の岩場――には一切の太陽光が当たっておらず、周囲は暗く冷たい。
彼に付き従っていた黙示者たち――先代のメトが1400年前に残した神体の近衛兵たちは、汚染種の船を落とすために別行動を取っている。
真空活動用の軽聖別鎧を着て月面に佇むサルドルの行く先を示すものは何もない。
ここが既に、動物から進化した生命としての終点なのだから。
「(自分以外の生命、一切無し……)」
月面の地形は荒涼の極みと呼べるほどで、ここまで生命を感じさせない風景は地上にはほとんどあるまい。
もっとも、もうすぐ地上も同じような状態にしてしまうのだが。
それが、サルドルには悲しかった。
「(いや――これが宇宙全体の、生命のためだ。これが陽子崩壊までの長い時を、生命と文明が最も平穏に過ごすために必要なんだ)」
彼はそう嘆き、頭上を見上げた。
同じくメトが、1400年前に残した再構築機の輪郭が見えた。
それもその大きさゆえ、汚染種たちに捕捉されようとしていた。
「(抗うんだね……汚染されてしまっても、生命の本質は失われていない)」
サルドルは――いや、今や再臨の使命を帯びた継承者は、安らかな心持ちで還元弾を起動した。
物質と空間の持つ対称性――過去も未来も変わらぬ性質を保とうとする性質――を破壊し、いかなる素粒子や力のやりとりも魔力線へと還元してしまう。
メトの知る兵器の中にはその魔力線すら消してしまうものもあったが、宇宙を食い荒らすに等しい道具を使うのは、本来宇宙に生を受けた存在に許されることではない。
ともあれ、月の地下深くで作動した還元弾は月の地殻を大きく抉り、サルドルの肉体も魔力線へと分解した。
そして再構築機はその発振体から始原者再構築という強大な秘蹟を放ち、直後に破壊された。
「…………………………!」
うたた寝のような僅かな断絶ののち、再開する意識。
サルドルの肉体は月の元素と共に再構成され、巨大な始原者メトの身体となった。
クレーターの底に佇む全高300キロメートル、総重量2兆8千億トンに迫る巨体。
減衰のない宇宙線と真空に晒される表皮、赤外線から紫外線、重力波から異種原子波までを捉える感覚。
エネルギーは最低限だが、それでもここから地上へと飛び立つ力は残っていた。
再臨は成功したのだ。
確信すると同時、月の裏側に朝がやってきた。
サルドル――再臨した新たな始原者はこうも考えた。
これは、正しいことだろうか?
それは疑念ではなく、再確認の意味合いが強い。
途方も無く長い時間を駆け抜ける星間飛行においては、修復や複製を行う度にごく僅かに、複製エラーが生じて自己が変質してゆく。
それが長い時間を経て蓄積されてゆくと、身に帯びた使命を見失ってしまうことがあるためだ。
知性を持つ存在であれば、その過程で再発見を得ることもある。己の出発点を思い返す行為は、単なる回顧以上の意味を持っていた。
(最後に文明を滅ぼしたのは……8000万年前か)
それは、まだ初歩的な自動計算装置を発明したばかりの幼い文明だった。
弱肉強食、離合集散、群雄割拠、栄枯盛衰。
小さな勢力が勃興しては統合、滅亡するのを繰り返す文明を、最初はメトも温かい目で観察していた。
エメトとの接触を防ぎ、若い文明が星間化しないよう監視するのも、メトに与えられた役割なのだ。
予め星系外縁の惑星に、彼らが他の太陽系に進出しないように警告、場合によっては滅亡させる装置を設置したりもしたが――それも彼らが星系内にとどまって繁栄する限りにおいては、作動するはずのないものだった。
系外にメッセージを送ろうとする無邪気な試み程度であれば、メトがこっそりと邪魔してやればいい。
だが、彼らはエメトの遺産を使っていた。
正確には、近傍の星系で破壊されたエメトが発信した通信波を、神託の類として受信できる種族がいたのだ。
それを発見して以来、彼らの技術レベルの発達速度は通常の文明より大きく加速し、ついには肉体改造を施して魔力線を扱う生態を身につけることまで始めてしまった。
せっかく、エメトの介入を受けていない健全な文明を見つけたのに。
容認できる段階を超えてしまったため、メトは悲しみながら、彼らの母星と、入植の始まっていた二つの系内天体から彼らの太陽を覆い隠して滅ぼした。
(すまない。出来れば君たちが健やかに繁栄する姿を見たかった……)
だが、文明の断末魔を聞きつけた近隣のエメトが大規模な艦隊を率いて攻撃をしてきた。
そのためメトはその時は星系を放棄し、次の星系を探してはるかな旅に出た。
エメトの追跡が困難になる超空洞――銀河がほとんど存在しない広大な宙域――を横切り、エメトやその息のかかった星間文明を探した。あるいは、共闘できる他のメトを。
ただ、やはり超空洞を横切るというのは無謀だったのか、特に何とも出くわすこと無く、彼は今の星系へとたどり着いてしまった。
そこで、既に文明を拐かしていたエメトと出会い、辛うじて中枢を破壊した。
彼自身も重傷を負っていたが、ひとまずは安堵して、緩やかな眠りについた。
啓蒙者たちに後の準備は任せつつ、復活したその時こそ、使命を果たせばいい。
そこから更に、1400年の時が流れた。
紆余曲折はあったが、彼は再臨を果たした。
地殻の構成物質を吸収し、エネルギー資源も回復を始めた。
72時間で彼は単体としては最大の力を取り戻し、この惑星を覆うエメトの子たちを滅ぼすことが出来るだろう。
その後、惑星の物質を使用して星系全体を複製工場化し、今回の戦闘の経験を反映したより強力なメトとその発進基地を建造するのだ。
5万年もあれば、護衛の船団を含めて3000億程度を従えた新たなメトを5兆ほど送り出せるだろう。
(ペーネーン……ようやく僕の使命が果たされるよ)
その固有名詞を反芻し、メトは推進装置を作動させた。
巨体は月面を離床し、惑星と衛星の間の空間へと飛び出す。
ささやかな抵抗を退け、彼は可能なかぎり穏やかに地上へ降臨し、その際に犠牲になった人々に陳謝した。
そして、サルドルは地上の人々へと宣告を行った。
安らかに終焉を迎えられるように、少しでも悔いを減らせるように。
これがもうすぐ一つの文明を滅ぼそうとする側からの、せめてもの誠意。
意識を保って生きていれば聞こえるはずだが、ペーネーンは聞いただろうか?
キリエは? オリョーシャヤは?
非常勤宣教師のクォートは? 信徒ノンブレイは?
ラヴェル老人は、聖堂騎士たちは、詐欺師のマシューたちは?
いずれ消し去ってしまう彼らのことを思うと、サルドルは己の使命について、巨体の片隅で僅かに残念に思った。
サルドルは、これから宇宙が実質的な滅びを迎えるまで、何度でも同じ悲しみを繰り返すだろう。
それはきっと、使命だからというだけではなく、今まで滅ぼしてきたか弱い文明たちの犠牲を背負っているからに違いない。
地上の滅亡まで、あと3日を切った。
お疲れ様でした。これにて第14話の完結です。
潰える希望、襲いかかる滅亡の物語。
次回、最終話:霊剣、奇ぶ。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。