14.ホワイト・リフレクション
その啓蒙者の神は、大雑把に表現すれば、伏せた丸い深皿の上に楕円球を立てたような形状をしていた。
実際には、どこか翼を畳んで枝に止まる鳥を思わせる形状となっていたが、極めて簡略に捉えれば、概ね楕円球となる。
その内部には無数の機器と資源が収まっていはずだったが、離床速度から推定された質量を見るに、今はそれも心許ない筈だ。
元来はエメトを”還元”してから軌道レンズによってメトの身体に再構築する、いわば乗っ取りに近いことをするつもりだったのだから、月面を僅かに抉って得られた通常物質ぐらいでは、十全な状態での再臨などは望むべくもない。
今のメトは、人間で言えば極度の空腹に近い状態にある。
一方、深皿に相当する部分は、今は強烈な光を受け止め、メトに推進力をもたらしていた。
核分裂性物質の崩壊によって生じた膨大な熱エネルギーが核融合反応を引き起こし、生成された巨大な白い電離爆炎が宇宙に輝く。
差し渡しにしておよそ300キロメートル、推力からの推定質量は2兆8千億トン。長さの上では小さな国、重さの上では世界最大級の湖の貯水量を超える質量を持つ始原者メトの巨体が、近傍の青い天体に向けて加速し続けているのだ。
推進力源は、後方で発生させた核爆発。
進行方向の後方に向けて広がる巨大な金属の色の傘は、核爆発の連続で発生した莫大な電離爆炎によって生じた反動を受け止める。人間にとって見れば途方も無く膨大なこの巨重を、この太古からやってきた破壊者は核爆発の連続という極めて乱暴な手段で無理やり加速し続けているのだ。
原理的には風を受けて洋上を進む帆船に近いが、最大の違いは後方に巨大な破壊をもたらす点。
何より、村を略奪しに向かう中世の海賊船や、決戦を目指して波をかき分け進む近代の装甲艦隊よりも確固たる、文明に対する純粋な害意を秘めている点だろう。
そして意図的な推進制御を行う構造体としては比較的巨大な部類となるその神体の奥底には、一つの惑星に根付いた儚い文明を一瞬で蒸発させるための暴力が息を潜めていた。
だが、その後を追う一条の流星があった。
超古代星間文明の遺産の、現代まで残存できた数少ない一つ、構造複合型戦闘艇トリノアイヴェクス。
既に巨人の形状ではなく、全ての推進場生成単位格子を後方に向けた巡航形態に戻っている。
戦闘で大きく損傷したものの、彼女は数十億年の昔から現代に復活した宇宙の宿痾を追って、未だ衰えぬ闘志を輻射して飛んでいた。
その戦闘指揮室で、カトラが問いかけた。
「なぜ今から攻撃してこないのかしら」
もっともな疑問だった。
未来視の内容通りならば、復活した始原者は降臨してすぐに地上の文明全てを灰に出来るような凄まじい攻撃力を持つのだから、多少距離があろうともそれをしたところで威力が足りないなどということは、恐らくあるまい。
始原文明以外の文明を監視、エメトの介入したものであれば滅ぼすという目的を考えれば、手心を加えているのだなどということも考えにくい。
天船はそれに答えて、分析を述べた。
『恐らく、エネルギーが不十分なためだと思われます。本来であればドリハルト群島地下に所在するエメト本体を”還元”し、全ての力を奪い取ることが出来るはずでした。ですが、それは我々によって阻止された。
そんな状態のメトに残されたオプションは、恐らく軌道レンズ本体を囮にして我々の隙を付き、予備に残しておいた必要最低限の還元弾を月面で炸裂させるというものしか無かったのでしょう。
地上への降着を許せば、膨大な地殻の構成物質を吸収したメトはエネルギーを十分に得て、未来視通りにあなた方の故郷を冥府に変える可能性が、極めて高い』
「てことは、あの眩しい爆発を邪魔してやれば、メトは宇宙空間で立ち往生ってこと?」
その推測を聞き――多数の観測機器からのデータも総合して出した、かなり可能性の高い結論ではあろうが――、グリゼルダが更に問う。
『概ねそのとおりです。現在メトが使用している核衝撃推進は、言わば必死に川を泳いで渡り、対岸に実る果実を手に入れようとする飢餓状態の人間のようなものと思われます。少なくとも、本船が追尾を続行できている現在の状況に対する妥当な推測は、それほど多くはありません』
(敵に文明破砕級の攻撃を放つ余裕が有るのなら、吾人らもとっくに宇宙の塵になっている筈ということか)
『そうです。まだ我々は、勝機を逃してはいません』
天船の人工人格は、意思の名を持つ霊剣の言葉を肯定し、音声に感情らしきものを滲ませた。
『距離2000! このまま、接近します……!』
同時、船体の最後部を覆う推進場生成単位格子が出力を上げ、機構にかかる負荷の本当の限界寸前まで速度を上げた。
単位格子の生み出す推進場は原始的な反動推進とは異なるが、始原文明とはいえ熱力学法則を免れることは出来ず、機構が耐えられる出力の限界というものが存在した。
彼女が現代に意識を取り戻して以来、普段は本当の限界値の1/5程度の出力を最大値として取っている。
だが、今はその限界を考慮している訳にはいかないと、判断した。
本来であれば、エメト本体と三千億余の文明守護船団、それに大きく譲るとはいえエメトに守られて成長した星間文明の戦士たちの兵団が加わり、万全の体制で戦うところだった。
だが、今現在、彼女以外の三千億の船団は存在しない。
彼女一隻と現地の協力者たちだけで、文明の敵を打倒しなければならないのだ。
ならばここは、敵だけでなく彼女もまた、死に物狂いとなるべき局面なのだ。
「始原者にエネルギー反応、問題ありませんの!?」
操船者であるトラティンシカが、モニタの表示を見て悲鳴を上げる。
限界超過出力での軌道遷移などという荒行をさせるわけには行かないと反対したのだが、天船の補助があるとはいえ、この現地の戦士はよく天船を知り、操作して見せていた。
『恐らくは対星間塵用の迎撃兵装です。この程度ならば装甲が耐えます!』
「了解!」
最大速度を維持して、トラティンシカと天船は始原者へと追いすがる。
無数の光束砲が、戦闘で大きく損傷したその装甲をさらに傷つける。だが彼女たちを止めるには至らず、天船はさらに速度を上げる。
その時、その場で魔女や妖族、啓蒙者に聖者改造被験者など、第六の感覚でエネルギーの動きを感知できる者全員が、大きな揺らぎを感じ取った。
霊剣たちも同様で、意思の名を持つ霊剣が叫ぶ。
(何か船内からでも分かるのだが、あちらには更に大きな力が集中してはおらぬか!)
『小天体破砕用の中規模兵装と思われます。直撃すれば本船は消滅します』
「中規模とやらでそれか……!」
タルタスが、半ば呆れたように呻いた。恐らくは、進路の障害となる小惑星――長径は時に数百キロメートル、メト(約300キロメートル)と同程度かそれ以上の規模のものもある――を破砕するための武器なのだろう。
最低でも、合体天船に搭載されている超対称性粒子加速器に匹敵する規模の威力があるはずだ。さしもの天船にも、その直撃を防ぐ装備はない。
『距離1200! 船長、フェーアさん、あれをやります!』
「了解!」
「はいっ!」
呼吸を合わせて、天船とトラティンシカ、そしてフェーア。
その瞬間メトの巨体から、天船を狙って無数の光が迸った。
最大速度で迫る天船にとっては回避不可能、必殺の距離。
だがそこで、極大の妖術が発動した。
「彼方を! 近く!! 程なくっ!!!」
全長約1200メートル、最大開幅480メートルにも及ぶ巨大構造物である天船が、その巨大な船体のひとつ分だけ、左方に転移した。
光速で放たれる超対称性粒子の照射は標的から外れ、虚空へとすり抜けてゆく。
天船の行った擬似船殻縮退によって、一瞬だけ、天船全体の質量を自然法則の目から誤魔化したのだ。
天船ほどの質量そのままを転移させることは不可能だが、もしも重量が一時的に、ゼロに近いものとなっていたら.
本来は超重力天体などに誤って囚われた際に使用する機能なのだが、ここに来て、フェーア・ハザクの超人的な妖術の技量と噛みあうことで起死回生の一撃の起点となった。
彼女は極大妖術を使って伸びてしまったが、後の世に讃えられてもいい働きをしてくれた。
一方、始原者メトは、その光景を観測してどう感じただろうか?
果たして天船が、衝撃反射板に巨大な衝撃と共に突き刺さる。
衝突の反動は慣性減殺を最大にして和らげたので、内部に被害は無い。
人間で言えば、爪の先ほどの長さの棘が突き刺さったに過ぎない大きさのそれが、しかし、メトを動揺させた。
どのようにしたのか、それまで眩く輝きながら巨体を推し進めていた爆発力が、完全に停止していた。
原因は特定中、衝撃によるものではない。
だがこれでは軌道を変更できず、目の前の惑星に降下して資源化する目標が遠のいてしまう。
始原者メトは焦りに近い感情を覚えたことだろう。天船は通信を開き、その立役者へと語りかけた。
『リフレクタに微小な棘が突き刺さっただけならば、そんなものは核爆発の連発で蒸発してしまうことでしょう。ですが』
「……この私が始原者の足止めの鍵となるとはな」
『お見事です、タルタス・ヴェゲナ・ルフレート』
滑らかな鏡面で構成された広大な半球の底に、深海の色の装甲に覆われた男がぽつりと佇んでいた。
正確には、その足元には直径10メートルほどの穴が空いており、何やらそこから物体が超高速で射出されているらしき気配があった。
だが、射出されたそばから、その弾体は何処かへ消えてしまう。
否、正確には消滅しているのではない。
肉眼で見ただけでは分からないが、その簡素な穴は異空間への入り口と直結させられており、その奥から何かが射出されてきても即座に異空間へと送り込まれてしまうのだ。
行程だけを完結に記せば、小型核爆弾が連続して炸裂する合間の隙を付き、天船から転移したタルタスがその射出口へと急行、精霊万華鏡を行使したということになる。
これは、メトが推進力として船体後部で爆発させていた小型核爆弾が爆発できず、衝撃反射板でそれを受け止め、本体の推進力として使うことが出来なくなったということを意味する。
衝撃反射板底部にある小型核爆弾射出口の側に一瞬で転移を行い、そこに残留している強烈な電離爆炎の輻射熱に耐え、そして異空間への入り口を開いて小型核爆弾をそこへ投棄する。
まさに、タルタス・ヴェゲナ・ルフレートでなければ成し得なかった荒業と言えるだろう。
「当然、見逃されはすまいな」
衝撃反射板は連続した核爆発を無数に受け止める必要上、その滑らかな鏡面以外には構造と呼べるものを殆ど持っていない。
近接防御や検知機械などといったものは電離爆炎の超高温と電磁波、光で破壊されてしまうため、設置するだけ無駄なのだ。小型核爆弾の射出口などは開閉装置はなく、弾体を加速する装置は数千メートルの彼方に設置され、射出口から逆流してくる輻射を距離だけで減衰させるという単純な仕組みになっていた。
だから、こうしてタルタスのように衝撃反射板や小型核爆弾の射出口に生じた障害を排除するためには、核の威力が及ばない衝撃反射板の外側から移動戦力を送り込まざるを得ない。
「ならば――この馬鹿でかい銀皿の底に敵という名の水勢が到達せぬよう、俺たちで以って食い止める猶予もあるというわけだ」
転移でやってきたのは、船外活動服を着た複数の影。
魔力が強大なものがほとんどで、タルタスはすぐに、それが隕石霊峰で拾った異母兄弟たちだと理解した。
まずは、太陽の名を持つ霊剣。
(現在集まれる中では最強の、狂王の血族が集結したということだな。中々に壮観だろう)
船外活動服をまとってはいるが、長身と獲物である巨大煙管で見紛いようのないフランベリーゼ、両側頭部の角を覆う特別仕様の防護兜を製作されたらしいアルツェン。
「びびったぜ、タルタスお兄ちゃん」
「フォレル義兄さまが、ドリハルトから化けて出たかと」
太陽の名を持つ霊剣がこの姿になったのもつい今しがたのことなので、彼らが驚くのも無理はない。
「無駄話をするな、来るぞ!」
「まあウィルったら」
「私たちを誰だと思って?」
構える小柄な三つの影は、ヴィルヘルムとハナルース・マナルースの双子だろう。ヴィルヘルムの方は長大な考古遺物の如き"碑"を携えているので、これまた一目瞭然だった。
そして、彼ら同様に妖魔領域の神の血を引いているセオと、今は亡き彼の妹の遠い子孫であるレヴリス。
「行くぞ、レヴリス。風来坊なる我が身と言えど、此度は神の血族の末席として侵略者をぶち殺す!」
「あー……疎遠だった顔も知らない親戚の集まりに紛れ込んだ気分だ……」
レヴリスだけは何故かややうなだれていたが、周辺から始原者の遣わした尖兵たちが攻撃を始めると、すぐさま迎撃、応戦を開始した。
始原者の尖兵は、先に戦ったような黄金の翼の啓蒙者らしき、”何か”だった。
「こいつら……一体何なんだ!」
剣なる灯火を振り回しながら、レヴリスが呻く。
その疑問は極めて順当で、タルタスが今まで出会った黙示者同様、共通点は黄金の翼だけ。
本体はといえば、とても啓蒙者とは思えない異形の姿ばかりなのだ。深い毛に覆われたもの、炎に包まれたようなもの、棘皮動物のような結晶体もどき、解かれた巨大な帯から翼を生やしただけのようなもの、ヒザ下から切り落とした人間の足のような形状のもの。
「分からんさ! 分からんが、少なくとも俺達を排除したあと、原子の爆炎で消し飛ばしてしまって構わない程度の代物ではあるらしい!」
敵に徹甲弾を撃ち込みながら答えるセオも、他の狂王の子達もそうしたことはない様子ではあった。
ここまでくれば、心配するだけ無駄というものか。
タルタスはひとまず精霊万華鏡の維持に集中できるらしいが、その前に。
と、彼は別の小規模な異空間に隠していた物資を解き放った。
「使うがいい。何れ劣らぬ史上の逸品ばかりだ」
衝撃反射板の鏡面にばら撒かれる、無数の魔具の武器。
動けない今の状況ではタルタスが有効に使うのは難しいので、彼らに使わせた方が良いと判断したのだ。
だが。
「あーっ、これ!?」「二百年前に盗まれたお母さまの実家の宝剣じゃない!!」
「三代目慈閃光嘉雪!? 何故母の家の失伝をタルタス義兄さんが持ってるんですか!?」
「俺の一家が苦労して集めた武器がいくつもあるじゃねえか! 説明しろタルタスお兄ちゃんよォ!!」
「やはりあなたは最低の男だったな……見損ない直したよ」
異母弟妹たちが喚いていたが、タルタスは無視して異空間の維持に専念した。
「あとは――」
(彼らか!)
タルタスの役割は重要ではあったが、足止めに過ぎない。
本命はすでに、始原者に牙を突き立てようとしていた。