09.天の向こう側
『結論から申し上げれば、軌道レンズは天球上に存在しませんでした』
「あれだけ物々しくやってその結論!?」
黒髪を腰まで垂らした少女が、愕然として呻く。
全天観測を終えたトリノアイヴェクスの答えは、予想できるものではあったが歓迎はされなかった。
黒衣をまとったセオが、天船に問いかける。
「軌道レンズによって怪物が地上に降臨するという未来視が、そもそも外れたということか?」
『いいえ、実はまだ候補地というか、候補の軌道が残っておりまして……』
「どこですの? 世界周航を二回半もして、全ての天を観測したのではなくて?」
トラティンシカの疑問に答えが帰ってくる前に、やや離れて今は軽装のレヴリスが、天船へと尋ねた。
「太陽の向こう、というのはどうだろう? 同じ軌道、同じ速度、同じ方向で、太陽を挟んで正反対の場所を回っていれば、ここからでは見つからないんじゃないか?」
『そこまで離れていれば、始原者をこの世界に降臨させるために、太陽の向こうから移動してくる必要が生じます。
時間もエネルギーもかかりすぎるので、可能性は低いでしょう」
「そうか……」
「あ、もしかして……?」
やや残念そうに俯く移民請負人に変わって、キルシュブリューテが挙手をする。
天船は生徒を指導する教師のように、彼女を指名した。
『どうぞ、キルシュブリューテさん』
「月の向こう側、とか? どうやって重力に引かれずにいるかは分からないけど……」
『本船も、そこではないかと推論しているのです』
天船が、操船室に集まった全員が見て取れる場所に、立体図像を投射する。
青く大きな球と、黄色く小さな球。グリュクたちのいる世界と、その周囲を回る月の縮図だろう。
そして、月の前と後ろに一つずつ、月が回っている軌道を表す点線の上に三つ、合計五つの白い光点が表示された。
『太陽とこの惑星――あるいはこの惑星と月とのように、一方が他方の周囲を回る関係にある二つの天体同士の間では、そこに位置してしまえば引力に引かれずに留まり続けることの出来るという場所が、5箇所存在します。
そしてその内一つだけ、先程までの掃天観測では確認出来ない場所。月の裏側の上空に、それがあるのです』
青い球から見て最も遠く、月の向こうに図示された光点が明るく点滅した後、レンズのような図像に置き換わる。
(ふむ、軌道レンズがそこに隠されているなら、地表からは見えぬ)
「それでいて必要になれば、太陽の向こう側に置くよりも遥かに短時間で引っ張り出して来れるってことか」
相棒が頷き、グリュクも腑に落ちた。
天船が、宣言する。
『そして、これを叩く機会は今を措いて他にないと考えます。本船はこのまま気圏を突破し、月の裏側の高度6万キロメートルに所在するであろう軌道レンズを攻撃、破壊します』
「……何だか、とてもじゃないけど僕らがついていけるような状況じゃなくなってる気がしますね」
アリシャフトの呟いたことは、グリュクも感じていた。
霊剣使いの中で最大の射程距離と火力を持っているのは、恐らくはグリュク自身だろう。
だが、天船が本当に戦闘というものを行う気になったなら、先立ってやってみせたように、それ以上の火力を何度も連続して投射することが可能だ。
神聖啓発教義領に突入した際は隙を突かれて危機に陥ったが、次はそうしたことはあるまい。
『非常時なりとはいえ、本船はあなた方を文明の継承者であると認定しました。ならば、あなた方を守って文明の敵を打ち破るのは本船の義務であり、使命であり、また喜びでもあります。あなた方には、私と船長夫妻の戦いを見届けて頂きたい』
「セオさまの妻として、夫に箔が重なる名誉は歓迎いたしますわ」
「お前の核になるアムノトリフォンの船長は俺なのだが……まぁいいだろう。俺は船内のことに専念するとしよう」
もはや従うべき主人などないかのように振舞っていた天船だが、それでもトラティンシカとセオのことはそれなりに尊重するつもりらしかった。
そこで頃合いと見たか、タルタスが声を上げる。
「出発するのだろう、天船よ。ここまで来てはお前に頼るほか無いのだから、行動は早い方がいい」
『その通りです、タルタス王子。万が一、船内に突入攻撃などを受けた際には協力を頼みます』
「それでは……トリノアイヴェクス、発進いたしますわ。目的地は、月の裏側!」
『擬似重力の発生しない区画にいる乗務員は、速やかに発生区画に移動するか、傾斜に対応してください』
完全に破損前の状態に復旧した推進場生成単位格子が、船体の後方に急激に斥力場を生成する。
それに押された天船の大質量は前方へと泳ぎだし、月に向かって急激に上昇を始めた。
進路後方を向いた撮像機があれば、まるでそこ全体が地獄へと落ちていくかのような速度で遠ざかる地表が見えただろう。
1200メートルの巨体が、高度2万メートルを超える。
そこを目掛けて飛来する数十、数百条の飛行爆弾が描く魔法物質の輝線が集中し、推進場生成単位格子から放射される超対称性粒子を追尾した。
天船はことごとくこれらを迎撃してみせ、少しでも被害を与えようと自爆した飛行爆弾たちの放った閃光の河が、天空に燦々と輝く。
それを見ることが出来る位置にあり、かつ夜だった地域は昼のごとくに照らされた。
『このまま月まで直行、軌道レンズの位置の特定を進めつつ、特殊砲による長距離射撃を行います』
天船は加速を緩めず、未だ惑星の丸みの向こうに隠れて見えない月を目指して加速を続けた。
まるで、そこが戻るべき故郷であるかのように。
太陽の光とそれを反射する青い星の惑星光を浴びて、漆黒の空間に破壊の矢が走る。
天船トリノアイヴェクスの船体から投射された光束兵器だ。
その照射範囲に入った全長400メートルの軌道対空兵器運用母体――つまり、海抜高度2万メートル以上を飛行する物体を攻撃するための飛行誘導爆弾の基地は、閃光と共に爆散した。
『準優先目標撃破』
合体天船が淡々とそう報告する。現在グリュクたちは、地表を猛烈な速度で離れつつ、月軌道を目指して進んでいる。
本来であれば何度か世界を周回するような回りくどいコースを取るそうだが、天船は強引に、最大出力で月の裏側を狙い撃てる宙域への最短距離を選んだようだった。
事前の説明では、月に先回りするような形で飛ぶのだというが、慣性や加速度から保護された船内にいるグリュクたちにはそのような実感があるはずもなかった。
ただ、ある程度の推察はできる。
「メトの側が操っている軌道上の兵器は、当然こっちを捉えてるわけだよな」
(天船の如き強大なエネルギーを発する者であれば、当然であろう。斯様に巨大な運命の矢が、これまで静かであったろう高高度を突破し、こうして天の果ての闇の世界へと飛び込んだのだ。月の裏の上空に陣取る敵もそれを察知し、進路上に出来る限りの罠をばら撒くという具合だな)
(だが今回は、我々の方が早かった)
(しかも、あちらさんの手札には限りがあるようだ。ドリハルトの記憶によれば、この惑星に突入する時に大幅にエネルギーを失ったようでもあるしな)
意思の名を持つ霊剣、|輝ける勝利の名を持つ霊剣、太陽の名を持つ霊剣。
霊剣たちが口々に所感を述べる。
その主であるグリュクたちはといえば、天船の用意した船外活動服を着て、減圧室の中で待機していた。
肌に密着する薄布のような服――聖者たちが鎧の下に着ていたものに近いかも知れない――と、頭部をすっぽりと覆う兜。
兜は頑丈に出来ていたが、形状は丸く、前面は透明な樹脂か何かで成形されているらしい。ガラスよりもはるかに強固だと天船はいうが、グリュクには少しばかり不安だった。
「(しかもこの部屋、既に空気がないんだよな……)」
減圧室と呼ばれたこのさほど広くない部屋は、呼吸可能な空気で満たされた天船の内部から誰かが外へ出る際に、圧力差で強風が吹き荒れてしまうことがないように処置する区画だという。
天船によれば、既に一切の気体が抜き取られた状態だ。
5人の霊剣使いたちは全員が体の寸法に合ったそれを着ており、霊剣とその他の戦闘用の魔具だけが、船外活動服に設置された固定具で固定されていた。
『船外活動服の操作は以上です。補助頭脳が判断を助けてくれますが、もし船外に放り出されることがあれば、繋留索を放出しますのでご安心ください。
既に軌道上を周回する小型の迎撃装置が天船を攻撃しているものの、今の所は本船の防御を突破できる威力は無いようです。そうなれば、船内に戦力を突入させて攻撃するといった手段に出る可能性も高いと思われます』
(余らは突入に備えた白兵の役割を担うということだな)
道標の名を持つ霊剣の言葉に、主であるタルタスも頷く。
その近くにいた、彼の異母弟のセオが言う。
「気は抜けんな……しかし、どうにもこの船外服というのの珍妙さはどうにかならなかったか、トリノアイヴェクス」
『ご容赦ください。文化の差異によって生じる個人の所感までは、設計時には想定しませんでした』
セオだけは、グリュクたちと揃いの船外活動服の、その上から防御の魔具である墨焉綾を羽織っており、いささか滑稽に見えた。
無重量状態のため、少し動いただけでその布地がゆっくりとめくれ上がってしまうのだ。側から見ても、セオは明らかに閉口している。
彼を宥めるように、その遠い子孫であるレヴリスが口を開いた。
「こちらは快適ですよ大叔父上……しかし本当に問題ないとは」
「水中で問題なく呼吸が出来るのなら、こうした使い方も出来るということだな」
レヴリスとタルタスは、既にそれぞれの全身鎧を着装していた。
銀灰色の鎧と、深海の色の鎧。どこから供給されているのかは分からなかったが、酸素は問題ないらしい。
そして最後に、アダ。彼女に至っては、そうした対真空の措置を一切必要としなかった。
普段着の上から船外活動用の推進装置を体の各部に装着しただけで、今の彼女はスウィフトガルド王国の戦闘聖女に近い外見となっていた。
彼女には悪いが、セオ以上に浮いていた。
「またわたし一人だけ場違いな感じ……」
(動きやすくていいんじゃないかな……)
ただし、大気が無いので音声は伝わらない。
船外服組は兜に、アダは喉元に装着された通信装置によって言葉を伝えあっているが、レヴリスとタルタスについては、驚くべきことに二領の全身具足のどちらもが、周辺に音声を媒介する気体がない状況にあっては装着者の音声を念話に変換する機能が存在していた。
逆にグリュクたちからの声は鎧が口元の動きを解読して念話に変換してくれるようで、これにはカトラどころか、着ていた2人までもが大いに驚いていた。
二領の全身具足を製作したのは500年ほど前の妖族だと言うが、彼が宇宙空間での活動も可能な鎧を作っていた理由は分からない。
(そういえば、霊剣の粒子も弾いていたな。機会があれば調べてみるか)
|輝ける勝利の名を持つ霊剣がそう呟くと、天船が警報を発した。
『船長、本船は基幹構造遷移を提案します。たった今、月裏側上空の軌道レンズ予想位置の方向から、大量の飛翔体の発進を確認しました』
「それって――」
トラティンシカの質問を待たず、天船は続ける。
『遠距離からの解析でも、恐らくは先だってドリハルトに向けて発射されたものに近いと結果が出ました。
つまり、還元弾が混じっている可能性が大いにあります。例え陽動であったとしても我々は、これを無視できない』
一発でもそれが混じっていれば、地表の物質が広範囲で魔力線に還元される。
そしてそれが、”盲目の鷹”の降臨に繋がる可能性が高いことは明白だった。
(軌道レンズの射角から離れていれば即時の降臨を許すことはあるまいが、都市にでも落ちれば惨事であろうな)
あくまで、怪物の降臨は二段構えのはずだった。
還元弾で大量の魔力線を生み出し、その地に軌道レンズからの光を撃ち込むことで、一瞬にして巨体の生成を完了してしまう。
故に、本当の最悪の事態を回避するだけならば、軌道レンズさえ破壊出来れば還元弾は無視しても構わないと言える。
だが、意思の名を持つ霊剣の言う通り、人のいる場所に落ちる可能性があるのならば、可能な限り落としておくべきだろう。
恐らく、距離の問題を解決できれば破壊は難しくない。
「ならば、セオさま!」
「うむ。トリノアイヴェクス、基幹構造遷移!」
『基幹構造遷移、了解』
猛烈な速度で宇宙空間を突進しながらも、空気抵抗がないため、天船は地上よりも高速での変形を開始した。
変形に伴い露出した、全身の小型推進場生成単位格子――それでも戸建ての住宅ほどの大きさがあったが――を作動させ、鮮やかに右へと旋回する。
目前に月、眼下に惑星。そして両腕は、前方へと突き出した右腕を左腕で支える特殊砲の発射姿勢を取っていた。
肉眼では確認できない暗さの輝点を観測しながら角度を修正し、6万キロメートルの彼方――眼下の蒼い惑星ならば、五つが直列になって収まってしまう距離――を狙撃する。
「全照準、対群体同期。光束砲、特殊砲、一斉発射」
超対称性粒子の奔流と、全身に装備された長距離狙撃用の無数の光束砲から発振された不可視の光の雨が一瞬にしてその広大な空間を通過し、宇宙を飛ぶ爆弾たちを飲み込み、消し去った。
だが、その直後、天船が僅かに揺れた。
抗う名を持つ霊剣が訝る。
(攻撃を受けたか……)
『今の狙撃の隙を突いて、宇宙塵に偽装した白兵部隊を送り込んだようです。迎撃を要請します。本船は残存の飛翔体を落とさねばなりません』
「分かった。行こう、ミルフィストラッセ」
(船内はそれなりに広い。敵の位置の検索を頼みたいのだが)
『我が体内です。全て診断し、適切に表示しましょう。可能な限りは船内の設備で迎撃補助も行います』
「先に決めた二班に分けて編成する。俺とレヴリスに、それぞれ着いてきてくれ」
『お任せします』
グリュクとしても、特に異存はなかった。
それぞれ破軛戦士団と移民請負企業を率いていた実績があるし、タルタスを除けば両者ともに強力な魔具で防備を固めているので、不意の一撃で指揮者が死亡するという可能性を下げることが出来る。
その深海色の鎧を纏ったタルタスも、グリュクたちに敵対していたことを忘れているわけではないのだろう――そもそも、政治・実務能力を重視した霊剣の系譜にある彼として、戦闘指揮までやるつもりはないということかも知れないが――、不満は無いようだ。
もっとも、レヴリス同様に、鬼面を模した兜に覆われて表情は読めない。
先ほど決定した班分けは、以下のようになる。
レヴリスの班にはグリュク、アダ、タルタス。
セオの班にはグリゼルダ、アリシャフト、キルシュブリューテ。
フェーアについては、転移での緊急離脱要員ということで、太陽の名を持つ霊剣と共に操船室に残ることになっている。
『右脚部からの侵入を受けています。両班は、まずは誘導に従ってそちらに向かってください。フェーアさん、皆さんの送り迎えをよろしくお願いします』
「はい! 行きます!」
フェーアが妖術を解放すると、既に大地を何万キロメートルも離れた空間にもかかわらずそれは発動した。
多国間戦隊の戦士たちは変形していく空間に飲み込まれ、敵を迎え撃つ地点へと転移していく。
大規模な囮を放って、感覚装置の注意をそちらに向ける。
そして星間ガスに偽装して復元不可能寸前にまで希薄化していた黙示者は、星間船特有の軽子輻射の反応を検知して元に戻り、そして数キロメートルほど離れた空間を通過しようとしていたトリノアイヴェクスに接近した。
宇宙空間にもかかわらず赤い装束に身を包んだ黙示者は、全力を込めた赤い稲妻の秘蹟を放ち、合体天船の強固な転還装甲を破壊する。
導電する大気もない状態で作用する、まさに始原者の御業であった。
その振動は船内の警報装置を作動させたほか、与圧区画とそこに充満した空気にも伝わってゆく。
乗員が生活するための区画にいたアイディスが、元聖者の仲間たちと共に生活用品の整理を手伝っていると、それがやって来た。
けたたましい警報音と、点滅する極彩色の警告標識。
船の人工知能だという声が、天井の放送装置から状況を説明する。
『乗船員各位。現在本船は敵の侵入を受けました。非常隔壁を閉鎖中ですので、乗船員は表示案内の支持に従って適切な避難を遂行願います。乗船員各位――』
倉庫の出入り口が防護扉で急速に閉鎖され、警告音も相まって彼女は急迫する危険を感じた。
聖女時代の癖で思わず、自分を防護する11式宣教装甲を呼び寄せる。
するとダメージを受けているのか、それでも倉庫の廃棄品置き場からよろよろと、各所から推進剤を噴かせながら鎧が飛んで来る。
またも思わず、言葉が漏れた。
「良い子!」
悲しいことだが、実の息子よりも共に過ごした時間は長い。
本来ならば待機時の普段着を兼ねた鎧下が欲しかった所だが、さすがにあれには着用者追尾の性能はない。
他にも機能の生きていた装備を呼び戻せたのは、彼女を含めて四名。
妖族たちのくれた服の上から無理やり装着し、かつての同僚たちと共に、そうでない者達の避難を助けようと周囲を確認する。
「避難路は!」
幸い、この宇宙の船というものは緊急の際の脱出経路を分かりやすく説明してくれるらしく、少し見回せば目に入りやすい緑色の大型の表記が壁面に浮かび上がって輝いていた。
大きな緑色の矢印は、安全地帯への順路を示してくれているようだった。幾人かの妖族などは不慣れな者を誘導するなど、訓練を受けていると分かる的確な行動を見せている。
『侵入したのは主に無人兵器のようです。既に船内の設備を破壊しながら中核施設を制圧しようと行動しています、注意してください!』
それと同時、扉を突き破って何かが倉庫へと入り込んでくる。
「!!」
アンネラ――元、聖アッシェンブレーデルが、改造手術に由来する超人的な反射で以って跳躍し、出入り口と逃げる妖族たちを繋ぐ直線上に割り込んだ。
すると、彼女が構えた盾から白色の耐熱塗料が瞬時に蒸発し、小さな雲を作る。白い鎧の元指揮官はそのまま着地して走り、ちらと後ろを見て非戦闘員が退避したのを確認する。
扉には溶け落ちたような穴が空き、熔融した構成材が溶けて固まっていた。
アンネラは今度は備蓄資材の陰へと走り、盾ごと焼かれるのを防ぐ。彼女の動きを追って、扉に開いた穴もじりじりと文字を綴るように移動していった。
アイディスともう二人の聖女も、既に物陰に隠れて攻撃を免れていた。
だが、これは気休めにすぎない。
指揮官位の聖女だった女は高熱で歪んだ盾を捨てて、アイディスの脳に電子文書を届けてきた。
『敵は光束兵器を持っています、注意を』
電灯のような拡散して広がる光ではなく、その進む方向を一つに揃えて照射対象を加熱、破壊する兵器。
溶断された扉を蹴り飛ばして侵入してきたのは、機械のようなものだった。
「(移動銃塔……!)」
アイディスも、何度か戦場で見たことがあった。施設内や市街地での要撃のために製造された、複数の足を持って移動する兵器だった。
彼女が知っているのは、自動巨人でも入れない規模の屋内で使用するための、人間の倍程度の重量をした支援兵器だ。通常は、旋回銃塔に三本か、四本の機械の足を放射状につけたような形状をしている。
だが、侵入してきたこの兵器はどうだ。
全高3メートルほど、胴体と脚部は重々しく装甲され、重量はおそらく十倍以上。
光の反射でかろうじてそうと分かる感覚装置、通常搭載しているはずの機関砲と榴弾は、平面部分をガラス張りにした円筒――つまり、光束兵器に置き換わっているように見えた。
そして、それが続々と、倉庫に入ってくる。内部は広いが、移動銃塔たちは機械らしい無造作さで彼女たちへと不気味に接近してきた。
アイディスは周囲を見やり、状況を確認する。
「(――既に避難は完了している)」
増え続ける移動銃塔は10台。いや、20台以上か。
入り口に最も近かったアリクシア――元・聖ルミーレが、それを見て電子文書を発する。
『せ……アイディスさん! わたしが敵の目を隠します!』
四人の中で最も小柄な彼女だが、しかしアイディスの知る限り聖者改造被験者の中では最大の起重力を与えられていた。
そのアリクシアが、倉庫に保管されていた生活用水の大型容器を両手に一つずつ下げて、駆け出す。
「晴嵐よ!」
秘蹟で霧を発生させて、光束の威力を減衰させる意図のようだ。
だが、金属の扉を一瞬で破壊するような規模の光束が相手では、多少の目眩ましにしかなるまい。
するとそこで、アリクシアは生活用水の大型容器を前方に全力で放り投げ、容器は移動銃塔の光束に迎撃されて破裂する。
合計500キログラムの水が膨大な熱に晒されて一瞬で沸騰し、秘蹟の霧に重なって深刻な濃霧と化した。
これなら、秘蹟を維持し続けなくとも光束の威力をそれなりに殺せるだろう。
だが、
「熱っ! あっつっ!」
濃霧の中でも捕捉されて攻撃を受けているのか、アリクシアの悲鳴が聞こえてきた。
アイディスは秘蹟を念じて誓文を唱え、質量弾の秘蹟を開放する。
「隕鉄よ!」
それを移動銃塔に向かって投射し、損傷を避けて後退した一機を素早く追撃する。
聖女の跳躍力は10メートルの距離を一瞬で埋め、質量秘蹟弾は移動銃塔の群からの光束の一斉照射でも蒸発することなく、敵に衝突した。
「てぁッ!」
音を頼りに体勢を崩した移動銃塔の胴体と円筒を両断し、崩れ落ちた残骸の上に着地。
展開しようとしていた無人兵器たちの中心に位置を占めたアイディスは、威力が落ちたとはいえ至近距離からの光束の斉射で蒸発していてもおかしくはなかった。
だが、互いの射線が重なってしまった移動銃塔もどきたちは、中心の一機だけがアイディスを狙い、ほかは彼女の仲間の元・聖女たちを狙うことにしたようだった。
「神罰よ!」
そこに、アイディスの干渉念場が炸裂する。
移動銃塔もどきたちは、しかし、吹き飛ばない。
「!」
秘蹟は確かに発動し、壁や天井などは強烈な運動エネルギーで半球状に陥没した。だが、敵にだけ効いていないのだ。
秘蹟による攻撃を無効化する装甲や力場などという装備でも、あるのか。
慌てそうになりつつも、即座に足元の残骸となった移動銃塔もどきの脚の一本を引きちぎりながら、其の勢いで彼女に照準を合わせたらしい無人兵器に叩きつける。
今度は効果があり、陶器のような素材で出来ているらしい円筒と胴体の装甲が弾け飛んで、無人兵器がずしりと擱座する。
すると背後から、誓文が響く。
「夜露よ!」
直後、アイディスの頭上から全身に、黒い液体が降り注いだ。
ざば、と大量の液体が叩きつけられる音が響き、驚いて状況を確認する。どうやら接近していたアイガン――かつては聖ルフェウと呼ばれていた――が秘蹟で墨汁に似た架空物質の粘液の洪水を降らせ、敵の視界を塞いだらしい。
アイディスも全身がカラスのように黒く染まっていたが、行動に支障はない。
想定通り、移動銃塔の装甲と構造支持基幹が、聖女による鈍器を用いた打撃攻撃で破壊できる程度の強度であるならば。
架空物質で出来ている墨汁はすぐに蒸発を始めるが、それまでの数秒で、聖女たちが敵を討ち尽くすには充分だった。
全ての敵が沈黙したのを確認すると、対艦弓銃――こちらも敵の装甲を貫通した――を携えたアイガンが、アイディスを気遣って話しかけてくれた。
「大丈夫ですか、アイディス」
「……大丈夫です。それよりアリクシアは」
肉声で応答し、捨て身の目眩ましを放った少女を案じる。
「あ、熱いけど大丈夫です……ただ、鎧は駄目になっちゃいました……」
まだ完全には収まりきっていない霧の向こうから、憔悴した少女の声が聞こえた。
姿を現した彼女を見れば、宣教装甲は熱のダメージから主人を守り抜き、溶けた蝋燭のように原型を失っている。
「全員無事なようで、何よりです」
アンネラも、敵機の残骸から剣を引き抜き鞘へと納め、近づいて来た。
「こんな生活物資の倉庫にまで攻め込んできたということは、他の区画にも同じような敵が来ている可能性が高いと思えるわ。引き続き、侵入した移動銃塔を迎え撃ちましょう」
「えぇ……それは気になります」
会話は聖女だった頃の電子通信ではなく、肉声によるものだ。
その気になれば可能のようだが、同窓の間柄同士だけでそうした秘密の会話をしていては同乗している妖族たちに不信感を持たれてしまう可能性があった。
また、聖女たち自身にとってはこの方が気が楽だという点が大きい。無論、通信を行ったからといって露見するわけでもないのだが。
『迎撃行動へのご協力、感謝します』
船は、彼女たちに礼さえ言うようだった。
アンネラも、それに返答する。
「空気と呑食の世話を受けたなら、当然のことです。迎撃行動を続行します」
『それについてですが、現在フォンディーナ戦闘班が侵入した敵を追跡しています。この物資庫は人体で言えば腰の上辺りに位置しますが、先ほどの無人兵器や一部の啓蒙者らしき戦力が、腕に向かって進攻中なのです。
お二人はこれを追跡し、フォンディーナ戦闘班を補助して頂きたい』
「承ります」
アンネラは頷くと、聖女たちの元指揮官だったのを思い出させる表情で、アイディスたちに指示を出した。
「アイガンさんは、アリクシアさんと避難した皆の護衛を。私とアイディスさんはトリノアイヴェクスさんの指示で、腕の部位に向います。
トリノアイヴェクスさんはアイガンさんたちの誘導を」
『分かりました。ただし、敵もその誘導先に向かう可能性がありますので、こちらで指示を行います。従ってください』
「了解。アンネラさんも、最初の――あ、えぇと……お気をつけて」
アイガンが思わず聖句を口にしそうになり、言い換える。彼女たちは再臨しようとする始原者を討つ行程に同道しているので、禁止されていないとはいえかつての慣習を口にするのは気が咎めるところがあった。
「ご武運を、アンネラさん、アイディスさん」
アリクシアも、適切な言葉を見つけたようだった。
「ありがとう、二人とも気をつけて。アイディスさん!」
「はい……!」
同じ船の中にいる息子のことなど、心残りが無くはない。
ただ、今は避難した同乗者たちの安全を守ることを考えるべきだと、駆け出す。
それぞれの目的を果たすために、彼女たちは生活資材倉庫を後にした。
※軌道レンズの位置について気になる方は、「ラグランジュ点」で検索してもらうといいかも知れません。