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霊剣歴程  作者: kadochika
第14話:盲目の鷹、哭く
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06.掃天観測

 スウィフトガルド王国の誇る陸空の機械化戦力は、前回の大戦より大幅に強化された性能でもって、順調な進撃を続けていた。

 空戦性能で大幅に遅れを取っていた空中騎士団の戦闘機は、魔女に対しては平均最高速度では上回るようになり、機関砲も防壁を貫通可能な物が開発された。

 炸裂榴弾型の呪術で破壊・あるいは戦闘不能になることが多かった装甲自走砲は履帯を装備することで踏破力が増し、装甲もよほど強力な攻撃を当てられなければ遠方から一方的にやられるという事態は減った。

 それらの死角を補う空戦型聖別鎧(ヴィグセル)や自動巨人といった兵科・戦術も教導が進み、もはや啓蒙者と聖女の後方支援に徹していたかつてとは違う、そうした自負心が騎士たちにはみなぎりつつあった。

 だが、現実はそれを上回っていた。


『全車、全速後退!』


 無線装置による指令で、レプティナイト装甲自走砲は左右の履帯を逆方向に回転させてその場で旋回、砲塔だけを後ろに向けて最大速度で離脱を始めた。

 場所は、雑草と砲弾の炸裂跡にまみれたかつての田園地帯。そこに進出していた装甲自走砲部隊は、自分たちの轍の跡をなぞって脅威から遠ざかろうとしていた。

 照準装置越しに砲撃手の目に映るのは、東から迫り来る黄金の津波だ。

 その正体は、妖植物の群。

 人類領域の一般的な植物と異なり輝くような黄色をしているのは、妖術の源になるという邪悪な宇宙線を取り込むために進化したからだという。

 本来ならば特に動くこともしないとされているそれらが、このように激しく成長を繰り返しながら地形を変えるほどの勢いでこちらを襲ってくるということが、本当にありえるのか?


『速い……!?』


 装甲自走砲は、時速約60キロメートルで前進・後退が可能だ。不整地であっても、徒歩よりは遥かに早い。

 それが、本来動かぬはずの妖植物の群に追いつかれつつある。

 最後尾に位置していた一輌が、砲撃による抵抗も虚しく飲み込まれた。

 砲塔から脱出しようとした騎士たちも、自走砲を絡めとる強度の植物を相手には、無残に埋没する他無い。

 随伴の自動巨人が対障害物剣(エリミナリウス)で妖植物を除去しようと接近するが、こちらも黄金の蔓が四肢に絡まり、それどころではなくなってしまうようだった。

 このまま部隊は全滅かとさえ思われた時、田園地帯を飲み込もうとしていた黄金の波に、轟音と共に大きな波紋が走った。

 そこを中心に舞い起こる突風、千切れて飛び散る妖植物。

 白地に赤のアクセントで彩られた爆撃機が、その上空を通過していった。

 妖植物の群までもが一瞬動きを止め、そして騎士たちは色めき立つ。

 田園の廃屋の屋根に佇む白い人影を発見し、その正体を知ったのだ。


『聖堂騎士団か!』


 歓呼の声を集めたのは、伝統的な聖堂騎士の装束に身を包んだ、屈強な老人だった。

 右手に護拳付きの太い金属棍、左手にはやはり、聖堂騎士団伝統の神授聖剣(しんじゅせいけん)

 そして胸には、三つ編みにした白く長い顎髭(あごひげ)が垂れ下がっている。

 彼を目掛けて殺到を始めた妖植物たちに向かい、老人は構えて気迫を発した。


「むぅんッ!!」


 彼が金属棍を振り上げると、先ほど妖植物が破砕された地点の中心から何かが飛び出してきた。

 鋭利な棘突起(きょくとっき)をいくつも生やした、超合金製の鉄球。先ほど妖植物を蹴散らしたのは、その直径30センチメートルほどのたった一つの小さな物体だったのだ。

 飛来したそれが何かの不可視の力か、がちりと金属棍の先端に接続する。


圧倒せし極光冠アウラル・アフランファウロ!」


 振りかざされた神授聖剣を中心に発生した秘蹟が、爆轟となって妖植物たちを蹴散らす。

 それを合図にしたかのように、田園地帯の西側から秘蹟弾が次々と着弾し、妖植物だけが劇物を掛けられたかのように萎縮して後退を始めた。

 味方だ。


「聖堂騎士団アーデマイゼフ小隊、到着しました!」

「オヤジにばかりおいしい役はさせねえぜ!」

「団長、後退を!」


 白地に赤の伝統衣装と神授聖剣を身につけた精鋭の戦士たちが、戦域に到着した高機動車から次々と空中に飛び出し、妖植物へと攻撃を浴びせる。

 彼らは宙を舞いつつ見事に妖植物たちの反撃を回避し、装甲や機動補助具など一切身に纏っていない出で立ちで敵に打撃を与え続けていった。


「機動砲撃騎士団は退避せよ! ここは我ら、聖堂騎士団マグナオン隊が引き受ける!」

『感謝します、先王陛下!』


 装甲自走砲と自動巨人、それに乗った騎士たちが街道の向こうに消えると、マグナオンはやや俯いて、小さく独り言を発した。


「あまりその呼び方は……嬉しくないんだがな」


 重量55キログラムにも及ぶ有刺超硬合金球操作棍(デオクラチオン)を片手で構えた、聖堂騎士団の生きた象徴である老超人。

 彼が実弟に王位を譲った先代スウィフトガルド王だということは、あまりにも有名な事実だった。


「んだら、どー呼んじゃいっかねー?」


 感傷に闖入してくる間延びした声に、マグナオンは顔を上げた。

 見れば、東の方角200メートルほどの畑跡に、地中から生えてきたらしい巨大な蕾が屹立している。頂高3メートルほど、未知の存在であるそれに向かって、聖堂騎士達が秘跡を放った。


過ぎ行く破壊の季節デストルイール・ディストリア!」

亀裂にて占う夢(クスシェ・クィヌス)!」

墓石不要の業風トゥルブレントゥム・トゥーム!」


 誓文と共に投射された秘蹟弾が爆音と衝撃波を撒き散らし、高熱が激しく妖花を燃焼させる。


「はっは! やーっど()ぎのいいのに()えだな!」


 荒れ狂う威力を物ともせずに、灰化した妖花を火炎ごと吹き飛ばしながら出現した妖族の男。一見すると貴族然とした風体をしているが――しかもこの猛烈な炎で延焼する気配すらない――、それはつまり、社会的にも、物理的にも強力な個体であることを意味する。

 その額に、火花が散った。

 遠方で機を窺っていた狙撃騎士の対物銃弾が直撃したのだ。頭蓋を貫通こそしなかったが、衝撃で妖族が大きくのけぞる。


「痛っでえが!?」


 そこに出来た隙を突くように、既に三人の聖堂騎士が連携攻撃を仕掛けている。

 長剣、槍、斬馬大剣。三種の神授聖剣による不可避の同時攻撃を、しかし、妖族は身に纏った衣服を樹皮のように硬質化させ、全て防いだ。

 単なる樹皮ならばこうした防御力がある筈も無く、これは妖樹・妖植物を操っての戦闘を得手とする者と見てよいだろう。

 全身の衣服を異常固化させたことで機動力が奪われたことにまでは、頭が回らなかったようだが。

 ところが、


「見ーえ()いでんな!」

「!!」


 妖族は更に、硬化して動けなくなった隙を狙って放たれた長砲身滑腔砲――三人の聖堂騎士は事前に素早く退避した――をも回避する。

 半壊した風車小屋の中で自動巨人に大威力の狙撃を実行させたナヅホも、驚いていた。

 足元で爆発を起こし、硬化したまま上方に自身を射出したのだ。子嚢(しのう)瀑破(ばくは)して種子を遠くへ飛ばす生態を持つ植物の、拡大版のようなものか。

 だがそこに天空から炸裂する、駄目押しの有刺超合金球。

 神授聖剣の刃を弾く強度の樹皮といえど、音速の80倍の速度で落下してくる超硬合金の有刺金属球(バロン・デオクラチア)は防げず、妖族の肉体は原型を留めぬまでに破壊されて飛散した。

 そして、


「ん……?」


 彼が術者としてそれを操っていたということか、妖植物の群れが動きを失って止まる。

 マグナオンは喉元の通信機で、偵察隊に状況を訪ねた。


「こちらマグナオン、偵察班状況を報告せよ」

『現在付近に敵影なし。我が聖堂騎士団は順調に味方の脅威を排除しています』

「状況解消……だな。各車輌、乗員を回収して前進せよ」

「了解!」


 一旦退避していた高機動車が戻ってきて、彼以外の騎士は全員がそこに乗り込んだ。いずれも白と赤で塗り分けられた5輌の高機動車と、3機の自動巨人が次の戦場へ移動を開始しようと機関の出力を上げる。


「ただし、俺はしばらくここに残る」

『え……!?』


 屈強な老人の発言に、聖堂騎士達が思わず声を出した。


『何故です、団長?』

「用が出来た。終わり次第連絡する、今は前進して苦戦している味方を助けることを優先しろ」


 こうした時に、それ以上彼に事情を尋ねようとしたり、増してその戦意を質す団員などはいなかった。

 これまでの行いを通じて、厚く信頼されてしまっているのだ。

 その信用を使って極めて私的な目的を果たそうとしている己を自嘲しながら、マグナオンは転進する部隊を見送り、たった一人でその場に残った。


「…………」


 そして数分も経ったか、有刺超硬合金球操作棍(デオクラチオン)を肩に担いで手持ち無沙汰に周囲を見回すと、破壊的な殺気が周囲に充満を始めた。


「貴様、いまだにその力を使っておるようだな……!」


 静かな威圧の声とともに、あまりにも不気味で底知れない怒りを背後から浴びせられ、しかしマグナオンは慎重に振り向いた。

 そこに立っていたのは、懐かしくもおぞましい黒い影。

 その姿を見るだけで心が乾き、冷えていくようだった。

 思わず、呼ぶ。


「父上……!」


 怒りの黒炎が妖植物の残骸に燃え広がり、


「勘当された貴様にはその呼び方は許さん。今はしがなく醜いただのジジイ……呼びたくば今の名で呼べ、汚染種ラヴェル・ジグムントとな」

「……!」


 マグナオンは、知らない。

 彼の実父である目の前の異形の老爺が国を追われてからの遍歴を。

 左腕を失った先先代のスウィフトガルド国王が密かに魔女の血を引き、その息子が汚染種と同じ力を使って戦うというマグナオンの行いに、激しく憤っていることを。


「あなたの性格は、知っているつもりです……退き下がっては頂けますまいな」

「ガキが! 王位に立って学んだのは、戯れ言の吐き方だけか!!」


 啓発教義連合の人類側の盟主にして、人類国家最強の大国であるスウィフトガルド王国の暗部。

 戦場で、年老いた親子の確執がどす黒く燃え上がろうとしていた。













 霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムの一部を回収した合体天船(トリノアイヴェクス)は、まさに弾丸だった。 動力源は最大限に充填されており、高度2万メートル弱にあってなお、大地はかなりの速度で遠ざかって行く。

 そして操船室では、トリノアイヴェクスが空――高度2万メートルともなると天空の青みはだいぶ薄らいで、宇宙の色だという深い黒色に近い――を観測し続ける事で入ってくる大量の観測画像の一部が映し出されていた。

 惑星を模した球体の上を、平たい逆円錐がゆっくりと移動しており、惑星に触れているように見える円錐の頂点がトリノアイヴェクスであり、円錐の底面が観測している範囲を示しているらしい。

 観測しているのはトリノアイヴェクスだけではなく、よく見るとより小さな平たい逆円錐が、別の場所を動いている。これは途中でトリノアイヴェクスが放出した小型観測機で、位置情報を天船本体と互いに連絡しあいつつ、少しでも観測時間を縮めようとしているのだ。

 まるで青いリンゴの皮を、複数の見えないナイフでゆっくりと剥いていくように、合体天船は暗く深い空の情報を集め続けていった。

 それから少しして、ベルゲ連邦南部に位置するティアナ・ルイゼ市郊外の高架道路建設予定地に、長辺が1メートルほどの直方体が、落下傘を付けて落着した。

 住民の通報を受けて警察が到着するが、その直方体は彼らの目の前でゆっくりと変形し、現在任務遂行中の特務部隊から現地統治体――つまりティアナ・ルイゼ市議会への連絡を要請した。

 そこから多少の認識の齟齬(そご)に伴う連絡遅延はあったものの、無事にティアナ・ルイゼ市庁舎へと情報は通り、そこから州へ、更にベルゲ連邦政府関係者へと伝わっていった。

 また、ベルゲ連邦以外の魔女国家の幾つかにも同様の直方体が投下されており、それらにも全く同じ情報が収録されていた。

 魔女諸国とそれに味方する一部の純粋人の国々の連合体である大陸安全保障同盟――正確に言えば、各国政府上層の一握りの人々に限られたが――は、信じがたい情報を共有する事となる。


「この世界は、降臨する盲目の鷹によっていつ滅ぼされてもおかしくない」

「現在の所それを防げる可能性が最も高いのは、超大型航空船を持つ多国間特務戦隊(フォンディーナ)だけである」


 電波通信などで連絡を取ろうにも、魔女諸国で使用されているどのような周波数でも、彼らが応答することはなかった。

 これは魔女諸国の電信機材の性能不足もあったが、多国間特務戦隊(フォンディーナ)の側が啓蒙者たちへの情報漏洩を危惧して一切の返信を行わなかったことも大きい。

 各国政府にしてみれば、啓発教義連合の艦隊に打撃を与えたのなら、今現在大規模な戦闘が続いている決定的境界地域クリティカル・ボーダーに対しての支援が欲しかった所だろう。多国間特務戦隊(フォンディーナ)の保有する戦力は、陸上に展開する機甲師団や機械化飛行騎士団に対しても多大な効果を持つはずだ。

 だが、急な開戦で監視役となる魔女部隊を参加させるのが間に合わなかったのは、グリュクたちにとっては幸いと言えた。


「(あそこでは、魔女や騎士たちが殺し合ってるんだよな……)」


 はるか下方の大地で起きている大規模な戦闘は、高度2万メートル付近からでも大小の火花や土煙、荒廃した地形として視認できる。

 窓があるわけではなく、居住区核の畳ほどの大きさの画面に映しだされた外部の映像を見て、だが。

 グリュクも意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)と出会わず魔女の力に目覚めていなかったならば、一人の従士としてあの戦場にいたかも知れない。

 また、国境を超えた先の道中で会った人々が一人でも欠けていたならば、魔女兵として参加していたかも知れない。

 グリュクはそれを知りつつも、軌道レンズ発見の報を待ち続けていた。

 動力源であり演算回路でもある霊峰結晶ドリハルト・ヴィジウムを回収した合体天船(トリノアイヴェクス)の戦闘力は、恐らくこの星の上においては追随を許さない懸絶(けんぜつ)した存在だろう。

 軌道レンズを発見すれば、合体天船(トリノアイヴェクス)は即座に大巨人に変形し、特殊砲でそれを破壊してしまうに違いない。

 そこに霊剣使いなど、いかほどの出番があるだろうか?


(主よ。それでも何が起こるかわからぬ以上、備えは必要だ。巨体の弱点はその内側にある)

「船内戦闘になるってことか? タルタスが乗り込んできたこともあったし、全くありえない訳じゃないだろうけど……この高さでそれってあるのかな」

(今の状況で可能性をどうこうと弄んでも意義はあまり無かろう。それよりもだ、御辺)


 意思の名を持つ霊剣(ミルフィストラッセ)の台詞に、グリュクは短剣を喉元に突きつけられたような、小さな戦慄を覚えた。


母堂(ははどう)には会わぬのか?)











 ヴィルヘルム・ヴェゲナ・ルフレートは、今日も変わらず、超古代の文明の産物だという機械天船の内部の構造を見て回っていた。見て回ると言っても、部外者なので手当たり次第に内部を物色というわけにも行かないのだが。

 要は、通路を散歩しているだけということだ。

 彼は隕石霊峰(ドリハルト)で天船に救助回収されて以来、この魔女たちと妖魔領域(ヴェゲナ・ルフレート)の有力者たちが結成したという多国間特務戦隊(フォンディーナ)とやらの行く先に着いて来ざるを得なかった。

 行動の趣旨については先立ってタルタスからおおまかな説明があり、それが事実ならば理解もするが、まさか神聖啓発教義領(ミレオム)に突撃してひと暴れまでするとは。

 ヴィルヘルムは、隣を歩く執事に尋ねた。


「ここらで降りるべきだと思うかい、マーシュ?」

「さて……複雑すぎて、マーシュめには少々分かりかねます。希望した所で、降ろしてもらえるかどうか」


 齢が千に届こうかという年頃にしては、体つきも造作も少年そのものであるヴィルヘルム。

 そしてそのやや後ろを、彼よりも小柄な、頭頂部から深海魚のように発光する誘引突起(ゆういんとっき)を生やした妖族の男が付き従っている。

 名をマーシュといい、隕石霊峰(ドリハルト)での戦闘の際には採掘区画に避難させておいた、ヴィルヘルムの執事だ。戦闘能力こそ皆無に近いが事務や雑務の能力は非常に高く、口を開くと少々間抜けな失態を見せる点を除けば大いに信頼していた。

 彼らを初め、隕石霊峰(ドリハルト)に展開していた戦力で、即時脱出する能力を失っていた者は殆どが回収された。

 誘いに応じて他の異母兄弟たちとともに乗り込んだのは、セオと、その妻となった女の持つ天船の内部を観察する機会だとも思ってのことだ。

 だが、巨大建築がそのまま飛んでいると言っても過言ではないこの天船の構造は、思いの外難解だった。

 当然ながら部外者であるヴィルヘルムたちには出入りの出来ない場所もあり、そして恐らく、彼らがどうこういった所で現在の方針――少なくとも、ヴィルヘルムたちの送迎ではないはずだ――を変えることはあるまい。


「たとえ実力行使に出ても、セオやタルタス兄上だけじゃなく、フォレル兄上を殺した魔女もいるからね。

 まぁ、神聖啓発教義領(ミレオム)に突撃して逃げ帰るなんてことが出来た船なんだから、そうそう落ちる心配は――」


 言い終えかけて、ヴィルヘルムは通りすぎようとした部屋の扉が開いているのに気づき、そこに珍しい光景を見た。

 思わず立ち止まり、それに気づかなかったマーシュに後ろからぶつかられる。


「も、申し訳ありません殿下!」

「しっ」


 ヴィルヘルムは自分の唇に人差し指を立てると、不自然にならないよう通路を少し先に行き、配置されていた長椅子に腰掛けた。

 そして、聞こえてくる会話に聞き耳を立てる。


「改めて見ると……本当に大きくなったのね、グリュク」

「ああ……俺の方は、ごめん。自分自身じゃ、母さんの顔は全然覚えてないんだ」


 垣間見た限りでは、男が一人、女が二人。

 男は背の高い赤い髪をしており、ヴィルヘルムの記憶が正しければ、フォレルを殺して恋人を奪い返したとか言う、魔女の剣士の特徴と一致する。


「仕方ないわ。フルスもきっと、あなたが元気だと知れば喜んでくれる」

「嬉しいけど……でも今はほら、体質がさ。俺のは……本当に魔女になっちゃったから」

「私も後天体質だって言われて、表向きは魔女として処分されたことになってるのよ。フルスも、私の家族も、それでも私とあなたを庇おうとしてくれた。その結果は……本当に残念だったけど」

「……父さんのこと、好きだったんだね」

「愛しているわ。あなたも同じよ、グリュク」


 そこで、会話が途切れた。

 男の方が、泣き崩れたのだ。

 嗚咽(おえつ)というものは性別を問わず聞くに耐えないものだが、ヴィルヘルムはつい、自分の母親を思い出していた。

 彼も狂王ゾディアック・ヴェゲナ・ルフレート――すなわち妖魔領域の神の子であり、狂王の子を産んで一族に栄光をもたらそうとする女達を襲うのは、命の危険を伴う苛烈な情交だと言われている。

 その過程で、あるいは第二子を望んで命を落とした女も多い。彼の母も、そうした不幸な女達の一人であった。

 マーシュが、彼らに聞こえないよう小さく呟く。


「母子の愛とはよいものですなぁ……」

「あぁ……」


 だが、男がすぐに立ち直ったのか、部屋の中の会話はまだ続くらしかった。


「ミルクレープさん、今まで息子を守ってくださって、本当にありがとうございます。グリュク、彼には立派な飾り棚を作って差し上げないと……」

(あー、アイディス殿、吾人の銘はミルフィストラッセ……)

「ははは……」


 人格剣のものらしい脳に直接響く声が聞こえて、ヴィルヘルムの推測は決定的となった。

 かといって、彼としては女を巡っての決闘で死んだ異母兄(フォレル)の敵を討つようなことがしたくなったわけではないが。


「それと、フェーアさんも」

「はい」


 もう一人の女の声がした。


「グリュクのこと、よろしくお願いしますね。私は……見た目だけはこの子を産んだ時のままみたいだから、一緒に住んだりすると変な噂を立ててしまうかも知れない」

「そんなこと無いよ! 無理強いはしたくないけど……母さんが嫌じゃないなら、一緒でいいじゃないか。俺とフェーアさんが住んでる家だから、狭かったら改築でも移転でもするよ。変な噂が立たないように、説明だってする」

「でもね……夜に息子夫婦が勤しんでるのが聞こえて妙な気分になっちゃったりしたら、ちょっと気まずいし」

「そ、そんなことは……するけど」

「自分のお母さんに何言ってるんですかグリュクさん!!」

「あぁ、いや、そんなつもりじゃなくて!」

「気をつけてねフェーアさん。夫に似たとしたら、この子ものすごいムッツリスケベだから」

「母さん!?」

「やっぱり……最近どんどん普段の視線がやらしくなってきて」

「フェーアさんまで!?」

(吾人と出会った時には既に手遅れで……)

「ひどい……ひどすぎる……」


 最初はやや重苦しげな雰囲気だったはずが、部屋の中から聞こえる声はにわかに喜劇の様相を帯び始めてきた。

 ヴィルヘルムは時間を無駄にしつつあったことに思い至り、席を発とうとするが、俯いたまま動かない執事の様子に異変を感じ、尋ねる。


「マーシュ?」

「バカップルはさっさと爆発しませんかなぁ……」

「マーシュ……!?」


 操船室から離れた区画にいる彼らにはまだ知らされていなかったが、掃天観測は全天面積の八割が終了しつつあった。

 軌道レンズはまだ、見つかっていない。










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