04.撤退戦
「ピナクルが何なのです!」
七翼の女司祭は、通常ならば考えられない事態にさすがに悪態を隠せず、しかし冷静さを失うことはなかった。
軍民関係なく、神聖啓発教義領においては機械とはネットワークに接続して使用するものだ。
敵船との電子戦闘で拮抗状態に持ち込まれて殆どの機能を封じられていた先刻までならともかく、復帰を果たした今となってはこのような事故を起こすなど有り得ない。
迅速に指示を飛ばし、落下してきた退役モデルの消火・検分班を編成させ、残った兵士たちは汚染種への迎撃戦闘を続けさせる。
だが、秘蹟ですぐに鎮火されるはずだった旧型の汎用機から、彼女を目がけて何かが飛び出す。
「!」
七つの翼を全力で振るって弾き飛ばすと、それは剣だった。
一振りだけではない、様々な形状の剣が――七振り。
それが彼女の強靭な七翼に弾かれて宙を舞っている。
しかもそれはよく見れば、ただの剣ではなかった。
肘から先だけの青い篭手が、それぞれの剣を握りしめている。
「(何だというの……!?)」
「帰還する手先よ」
「!」
それらは一斉に、声のした方へと飛び去っていった。
振り向けば、そこには多数の剣を帯びた、深海の色の全身具足。
背後や腰、膝などから腕を生やした異様な鎧。
今の攻撃から見るに、その多数の篭手がそれぞれ、剣を握って振り回すどころか全ての肘から先を自在に飛ばすことも可能なのだろう。
顔面まで装甲に覆われており、その素顔は窺い知れない。
「捧神司祭の一人だな。確か……アルスリィ・アルク・ラ・ヴィエヤと言ったか」
相手は、自分の名を知っていた。
汚染種に名を知られる、あるいは呼ばれることは避けるべきである。そう聖典にはある。
アルスリィは深刻な屈辱に耐えつつ、青い鎧の汚染種に隙を作る方法を思案した。
七翼から発する幻視の秘蹟は、鎧の装甲に阻まれて――同系列らしい先ほどの銀色の鎧の汚染種にもだが――効果が無かった。
ならば、彼女自らが肉弾戦で制圧するしかあるまい。
アルスリィは敵に隙を見出すべく、本音を口にした。
「汚染種に名を呼ばれる屈辱、やはりあなた方には理解できないようね」
「私も、貴様らにドリハルトへと土足で踏み込まれた雪辱を晴らしたい所だが……お前の相手は私ではない」
「あなたの相手も、私ではないわ」
そう告げると、二体の汚染種を砲架に括りつけた砲戦型自動巨人が前に出て、自動巨人用の白い法衣をはためかせながら青い鎧の汚染種に突撃しようと前傾姿勢を取った。
無人なので、汚染種と共に爆散させて構わない。標本が減るのはナイアが残念がるだろうが、許してもくれるだろう。
だが、アルスリィは青い鎧の汚染種と自動巨人との間の空間に"歪み"が生じていることに気づいた。
"歪み"は透明なヒト型の輪郭となって、ずん、と低い破裂音を立てて実体化する。
するとそこには、先ほど火剣神獣に挽き潰されたはずの銀灰色の鎧が姿勢も低く、構えていた。
「(転移――!?)」
鎧に空間転移を行う機能でも持たされていて、それで長時間、どこかに転移して隠れていたか。
いや、復活したエンクヴァルの監視網を逃れて隠れることなど出来ない。
信じ難いことだが、ならば事実はひとつしかあるまい。
「(生物が、空間の狭間に一定時間を隠れ続けていたということ……!?)」
アルスリィは、その驚愕の隙を突かれた。
「悪を罰する鉄拳となれ!」
銀色の鎧の汚染種は両肘から先の篭手を爆発的に発射し、そして背後から光を噴射してそれを追いかける。
一対の銀拳が自動巨人の胴体装甲に衝突し、大きくひしゃげさせた。
かと思うと次の瞬間、二条の光の扇が閃き、輝く刃でいくつにも寸断された自動巨人の両腕と砲身が宙を舞う。
二体の汚染種を、そこに括りつけたまま。
「救出する大手よ!」
気づいた時には青い篭手が八つ、空中を乱れ飛んでいた。
それは強引に空中に放り出された二体の汚染種の体に取り付き、青い鎧の汚染種の元へと運び去っていた。
自動巨人に至っては、既に胴体まで輪切りにされて崩れ落ちている。
「……!」
「相手は私ではないと言った」
せせら笑う青い鎧の汚染種は、両肩に懸架されていた巨大な二振りの剣を既にこちらに向けていた。
刃と刃の間で擬似質量と運動エネルギーの中間体が、球状の”揺らぎ”として形成されてゆく。
まずい。
「総員、戦闘防御――」
威力が放出され、既に半壊しているアムナガル神殿の一角にまた大穴が開いた。
グリュクは、拘束されたままではあったがその一部始終を見ていた。
「姿が見えないと思ったら、一人だけ別の場所に転移してたのか……!」
(知ってはいたがあやつ、中々に食わせ者であったな……)
目の前で起きた逆転に対して昂揚がなかったといえば、嘘になる。
深海色の鎧と多数の魔具剣を身につけた妖族の王子は、救出した二人の戦士を傍らに横たえつつも、右手を掲げて唱えた。
「沈黙する大気よ」
その妖術の作用で、転移を制限していた特殊な秘蹟の制御が破壊された。
拘束を解かれて自身が立坑へと落下し始めているのを感じつつ、グリュクは叫んだ。
「今だ!」
グリュクの合図で、アダを除いた霊剣使いたちは同時に座標間転移を行使し、自分たちを拘束していた啓蒙者の力場から脱出する。
転移を使えないアダはグリゼルダが抱えて跳び、キルシュブリューテはアリシャフトと共に、グリュクはフェーアを伴って、全員がトリノアイヴェクスの近くへと転移した。
巨大な天船は、未だに蛇の群れのごとく蠢く、無数の青白い手に覆われている。
動けない天船と啓蒙者の部隊との間に挟まれて構える、霊剣使いたち。
「砕けろッ!」
「過たず天上の火へ!」
まずは、グリュクとキルシュブリューテが爆裂魔弾を放った。
「噴進炸裂弾発射筒に、なぁれっ!」
そしてアダが噴進炸裂弾を放ち、巨大な爆炎が天船を覆う手の群を飲み込んで膨れ上がる。
青白い手の群れが飛び散り、その下の白い装甲板が一瞬だけ垣間見えた。
だが、手の群はすぐに元に戻り、再び天船の装甲を覆ってしまう。 意思の名を持つ霊剣が分析した。
(天船はあの青白い手の群から内部を護るために、都市への電子攻撃を中断して防御に専念しているのだろう)
「あの青白い手の群れを排除すれば――」
よく見れば、天船の突き刺さった根本から、青白い手の列が導火線のように伸びている。
それを辿ると、やや遠くに孤立している一人の司祭まで辿り着く。
髪の長い、浮世離れした青年といった姿で、その翼からは青白い手の列が伸びて、蠢き続けていた。
「任せて、グリュク! 我が歩は全ての先に!」
「わたしも、坊っちゃんのいる船を守ります! 運動・交感、加速!」
二人は青白い手を発生させているらしい司祭へと突撃を始めた。
その前に多数の自動巨人や重装した啓蒙者の兵士たちが立ち塞がるが、黒髪の娘二人は二条の閃光となって加速し、装甲化された啓蒙者の兵力を次々に破壊していく。
グリュクは彼女たちを援護しようするが、超高速で構築される攻撃の気配を別に感じ取り、構築中だった魔法術を破棄して組み立て直した。
「護り給え!」
それは辛うじて間に合い、高度20メートルほどの上空に天蓋が形成される。
青白い超高圧の電流が、閃光と大音響を伴ってそこを叩いた。
グリュクが平素に発動できる高圧電流の魔法術とは、比べ物にならない威力だ。
同時に、グリュクの神経にも鈍い痛みがじりじりと蔓延り始めようとしていた。
(落雷もかくや!)
「これも最上位の啓蒙者――捧神司祭ってやつの力なのか!」
だが、障壁は導電性の高い魔法物質で以って、半球に近い四脚のテーブルのように形成されていた。
その形状に従い、落雷の秘蹟は内側のグリュクたちを焦がすことなくアムナガル神殿へと吸い込まれていく。
例え破壊力では劣ろうとも、霊剣の通して受け継がれた戦いの記憶はその差を埋める強力な武器となった。
巨大な稲妻の秘蹟を行使したのは、半透明の触手のような異形の翼を生やした少女。
グリゼルダなどと大差のない年頃に見えるその姿に、しかし確信する。
「あの子も……そうなんだな」
(雑兵たちとの位置関係を見ても、相違あるまい!)
だが、彼女はグリュクの展開した防御障壁を見るや攻撃の秘蹟を構築するのをやめてしまう。
代わりに、落雷とは打って変わって大地そのものが揺らぐような轟音がグリュクたちの足元を揺らす。
腹部から巨大な一本の棘を生やした黒い巨鳩と、燃え盛る巨大な剣を持った竜――二体の神獣が、グリュクの生成した障壁を破壊しようと足音も凄まじく突進してきたのだ。
数千トンにも及ぼうかという大質量の突撃に破壊される前に、
「爆ぜろ!」
グリュクは障壁を爆散させて神獣たちを一瞬だけ怯ませた。
大した打撃は与えられまいが、仕方がない。
「あの雷の司祭は僕が引き受けます!」
そう提案して、アリシャフトが単身駆け出す。
行く手を阻む啓蒙者たちを斬り伏せ、投射される災害的な雷電を魔法術で弾きながら。
一方、相方らしきキルシュブリューテはグリュクの目を見て言った。
「グリュクくん、私とオリアフィアマはこの、手の群を退治する!
1分、稼いで!」
彼女とアリシャフトとは、先ほども記憶を共有していない。
よほど重大な秘密があるのだろうが、グリュクは迷わずそれを信じた。
「了解! 60秒、やるぞミルフィストラッセ」
(心得た!)
霊剣使い同士の連帯などというものではない。
単純に、擬似的に700年に渡って人間を見続けてきた魔女の戦士としての第六感が働いて、そうしただけだ。
「戦け!」
グリュクの放った念動衝撃波で、神獣や自動巨人、啓蒙者たちの挙動が一時的に乱れる。
反応が間に合った者には無効化された上、立て続けに大規模な魔法術を使用して神経の痛みが加速を始めた。
それを無視して、彼は妻の名を呼ぶ。
「フェーアさん!」
「その身を深く、重く!」
合図で発動した妖術が、二体の神獣の巨体を捉えた。
妖術によって増加した重力の作用で、範囲内の全ての物体の重量が増加する。
黒い巨鳩はそこから離陸しようと羽ばたくが適わず、火の剣の神獣も燃え盛る得物を振り上げられないまま、大重力に身を捩っていた。
グリュクたちを狙った自動巨人や重装の啓蒙者たちの兵器は、熱線などを除けば全てが異常な重力で軌道を捻じ曲げられ、彼らに届く前に神殿の床を抉って終わる。
重力の影響を受けない秘蹟は、グリュクの生成した障壁が受け止めた。
自重が急激に数十倍にもなったため、さしもの自動巨人や駆動補助鎧を身につけた啓蒙者たちも、駆動系が重力の負荷に負けて続々と崩れ落ちていく。
(倍率およそ150倍……!)
「狙い撃てッ!」
これに耐えて重力の妖術を解除しようと秘蹟を行使する素振りを見せた啓蒙者は、狙撃の魔弾を放って――重力変動の影響を直感的に計算に入れて当てることが出来るのは、霊剣使いならではだ――殺した。
そして、フェーアの術を破壊出来そうな啓蒙者を排除したことを確認し、グリュクは呪文を唱える。
「遷し給え!」
狙い通り彼は、超科学の機器の威力か、自身は増大した重力の影響を受けずに状況を観察しているようだった最後の司祭の後ろに転移した。
女といえど、斬り伏せるつもりで相棒を繰り出す。
が。
「右より出づるは水晶神獣」
霊剣は易々と女司祭の翼を胴体もろとも両断するはずが、完全に受け止められていた。
彼女の右の翼から出現した、巨大な鉤爪の付いた指によって。
「(身体に空間変形の秘蹟を施して、この指を格納していた!?)」
かと思うと、司祭の右の翼から現れた指は手になり、肘まで露出し、グリュクはそれに危険を感じて飛び退く。
いや、右だけではない。
「左より来たれ黄金神獣!」
唱え終えたが早いか、そこには先ほどの黒い巨鳩や火剣のトカゲを超える大きさの神獣が出現していた。
大型の翼を備えた黄金の龍と、背面から水晶のような巨大な結晶を無数に生やした竜。
女司祭の左右に聳える、それはまるで動く城塞だった。
(巨大! あの女司祭は神獣使いとでも呼ぶべき者か……!)
「――遷し給え!」
意思の名を持つ霊剣が舌を巻くように呟く。
とっさに転移しなければ、黄金の神獣が放った電撃のような魔法物質の鞭の嵐に押し潰されていたことだろう。
あと35秒。神経が明瞭な痛みを訴え始めていた。
「(状況は――)」
タルタスはカイツとレヴリスを救出した状態のまま、立坑の反対側で戦っている。
グリゼルダとアダは、天船を封じ込めた腕の群を操っている司祭を倒すために。
アリシャフトは稲妻を呼ぶ司祭を抑えるために、キルシュブリューテは天船の表面から手の群れを排除するために。
この場を打開するためとはいえ、全員の手が塞がっている状態だ。
一方、水晶の神獣が大きく咆哮すると、フェーアが維持していた重力増大の妖術が打ち消された。
「へ……!?」
術を無効化されたのではなく、水晶の神獣が秘蹟を行使し、反重力とでも呼ぶべき作用を発生させて彼女の妖術を中和しているのだ。
グリュクは意思の名を持つ霊剣を弓状に変形させて、巨大な水晶神獣を殺そうと試みる。
しかし。
(う、主よ!)
「!?」
先に一撃を放っていたためか、粒子の集中が鈍い。
だが、たとえ彼がその一撃を放っていたとしても、無視するつもりだったのだろう。
残った啓蒙者たちが、駆動系の復旧した自動巨人たちが、神獣たちが、フェーアと無防備なキルシュブリューテに向かって攻撃を放った。
秘蹟、飛行爆弾、火焔、光線。
咄嗟に転移したため、グリュクと彼女たちとの距離はやや離れていた。
駆け寄るにも、転移するにも半端な距離。
間に合わない。
「間に合ったァ!!」
グリュクのものではない掛け声と共に、ずん、と不気味な音が大気を揺らす。
虚空に生じた一点から急速に膨張し、銀灰色の鎧の男が形状を取り戻した。
「悪を遮る壁になれ!」
レヴリス・アルジャンの芝居がかった呪文と共に分厚い銀色の防御障壁が爆発的に広がり、攻撃を吸収して消失した。
よく見ればそこには彼だけではなく、その両脇には学士姿のカイツ・オーリンゲンと、黒衣のセオ・ヴェゲナ・ルフレートが佇んでいる。
特にセオなどは、タルタスの鎧の両肩に付属していたはずの大剣二振りを両手に携えていた。
タルタスが魔具剣などを使って治療したのだろう。両者意識を取り戻しており、戦意も旺盛に見える。
「借りを返すぞ、啓蒙者!」
「交錯変身!」
セオは大剣を器用に振り回し、カイツはグリュクの見たことのない赤と銀の入り混じった形態へと変身し、弾雨の中へと飛び込んで行った。
かつて一度は敵対もした二人の戦士が、黄金の神獣が放つ光の鞭のような光線を回避し、フェーアとキルシュブリューテに向かって押し寄せようとしていた啓蒙者たちを押し返していく。
残り20秒弱。
粒子の集中が充分となり、グリュクは再び水晶の神獣に狙いを定めた。
意思の名を持つ霊剣を変形させ、弓となった相棒の架空の弦を引き絞って発射する。
「射抜け!」
金色の矢が怒濤となって水晶の神獣の上半身を飲み込もうとするが、神獣の大きく開いた口から血液を思わせる赤黒い吐息が吐き出された。
霊剣から迸る金色の粒子は、血の色の吐息とぶつかり合って、水晶の神獣まで届かない。
「嘘!?」
(一筋縄ではいかん神獣ということか!)
フェーアが悲鳴を上げ、鞘に収まったままの太陽の名を持つ霊剣が頷く。
キルシュブリューテの宣告した時間まであと15秒、水晶の神獣の吐息と、グリュクの放った霊剣の光弾とが同時に途絶える。
彼女の集中を乱す可能性もあるとは考えたが、グリュクは赤みがかった金髪の霊剣使いに尋ねた。
「も、もうちょっと短縮できませんか!」
「無理よ、頑張って!」
(必ず事態を打開する!信じてくれ!)
(信じるからこそこうしておるのだが、しかしな!)
意思の名を持つ霊剣が語気を荒らげ、元の形態に戻る。
彼女とその相棒とて、グリュクたちを信頼してくれているからこそ防御を任せているのだろうから、元より不信などはない。
だが、啓蒙者の攻撃を前に、一秒一秒が数年かとも思えるほどに長かった。
そこへ、更に啓蒙者の戦力が到来する。
地鳴りと共に出現したのは、合体天船の強攻形態ほどもあろうかという、全高数百メートルの巨人だった。
その一挙一動に、エンクヴァルの大気と大地が揺れるのが分かった。
よく見れば、首筋に相当しそうな部位のあたりに筋骨隆々とした啓蒙者が立っている。
(斯様な大巨人まで)
「……こりゃ厳しいかもな」
グリュクは差し迫る頭痛を抑えて、もう一度霊剣の光弾を行使しようと試みた。
だが、
「!」
(ぬう……)
今度は、念を込めても粒子が収束する気配すら無かった。
霊剣の粒子を使用しているためグリュク自身の消耗は無いはずなのだが、そうまで都合の良い使い方を出来るものではないという意味か。
代わりに圧縮魔弾の魔法術を念じて、解き放つ。
「退けぇッ!」
「その威を強く、激しくっ!」
フェーアの呪文が重なり、二つの青白い超高温・高密度の魔法物質が山の如き巨体へと吸い込まれて大爆発を起こした。
だが、その防御はやはり尋常では無いらしく、直撃したはずの胸郭らしき箇所にも目立った傷がついていない。
(主よ、そうも言っていられぬやも知れぬが……御辺の神経が危うい)
「こ、これ以上は……まずいか」
既にかなりの頻度で通常の魔法術を使用しており、余裕は全く無かった。
だが、啓蒙者の大巨人の胸郭が展開し、そこから覗いた砲口らしき部位に光が集中する。
熱線か何かを放って、天船やグリュクたちを焼き払うつもりかも知れない。
守りきれるかと疑念が脳裏をちらついた、その時。
「お待たせ!」
(輝ける勝利を、今こそもたらそう!)
キルシュブリューテを中心として軽微な念動力場が発生し、大気中のほこりや戦士たちの毛髪などを、勢力を問わずかき乱した。
それだけでアムナガル神殿に集結した全ての戦力が、キルシュブリューテと|輝ける勝利の名を持つ霊剣へと目を向けた。
無数の視線を浴びながら相棒の霊剣を掲げる彼女は、観衆の眼前で舞う歌姫にも見える。
だが、今までの経験からして|輝ける勝利の名を持つ霊剣の刀身から粒子が迸るものだと思っていたグリュクには、意外な現象が起きた。
「……月?」
アムナガル神殿の上空に、大きく、銀色に輝く満月が昇っていた。
しかし、それは本物の月ではあり得なかった。
今夜は確かに満月のはずだが、まだ月が昇る時刻ではない。その面に見える模様も、実際の月とは違うようだ。
ならば、あれは――
「オリアフィアマなのか……!」
「大正解! うん、超広範囲かつ精密な破術と思ってもらえばいいかな?」
キルシュブリューテが溌溂とそう宣言すると、グリュクの背後で何かが音を立てて崩れる音がした。
振り向けば、そびえ立つようにアムナガル神殿へと突き刺さっていた天船の表面から、青白い手が分解されながら、こぼれた液体のごとくに剥がれ落ち続けているところだった。
グリュクの視界の外の出来事だったが、グリゼルダとアダの攻撃を無傷のまま捌き続けていた、白髪の青年司祭の表情が強張る。
合体天船が、息を吹き返した。
銀色の月が静かに消えて、天船――船長のトラティンシカが吠える。
『トリノアイヴェクス、緊急基幹構造遷移!!』
外部拡声器で高らかにアナウンスされたその号令を受けて、突き刺さった先端が分割され、船体が急速に変形していびつな人型に変形を始めた。
大地が唸り、大気が震える!
合体天船が変形した大巨人が、もはや半壊した神殿をまたいで聳えた。
啓蒙者の軍勢を散らし、対比としては小動物ほどに見える神獣を蹴り飛ばし、啓蒙者の大巨人に掴みかかる。
合体天船がその長細い巨大な左腕で敵の胴殻を殴りつけるとくぐもった爆音が鳴り響き、エネルギーが集中していたらしい胸郭の砲口を砕いた。
大爆発とは行かなかったが、そこから勢い良く黒煙が生じる。
敵の大巨人もそのままでは終わらず、全身の各所から細く白い糸のように見える線――恐らく飛行爆弾の群だ――を射出して合体天船を攻撃する。
爆炎が生じて煙と火の粉が舞い散るが、そこから飛び出した合体天船の右腕が、今度は敵の頭部を叩く。
衝突した箇所にそのまま右腕の火砲を叩き込んだのか、そこからもまた、派手な爆炎が上がった。
「ミルフィストラッセ!」
(心得た!)
相棒の応答を受けて、グリュクは集中した。
今度は戦闘的な使用ではないためか、集中が早い。
「みんな! 粒子を使う!!」
出来る限りの大音声でそれを叫ぶと、意思の名を持つ霊剣とその主から黄金の旋風が溢れ出た。
その行動には、それなりの成算があった。
既にその正体を知っている仲間たちならば狼狽えず、逆に啓蒙者たちならば混乱させることが出来る。
立坑の底でも防御されたように、神獣や捧神司祭には効かないかも知れないが、この場の大多数を占める啓蒙者たちに冷静さを失わせてしまえば。
果たして粒子の渦はアムナガル神殿を押し包み、その風の中にいて粒子を浴びた知的生命体の意識を共有させた。
怒りと正義感に浴びせかけられる、困惑の冷水。
「(何だ、これは……!)」
「(何!? 信仰が試されてるというの!?)」
「(あぁ……最初の御方……!!)」
啓蒙者たちの動きが、傍で見ただけで哀れみを覚えるほどに鈍っている。共有している意識を感じ取っても、それは明らかだった。
グリュク自身も、かつては社会の泥溜まりに近い所にいながら同じ教義を信じていたことのある身だ。
彼は純粋人限定とはいえ、親切で公正さに溢れる啓蒙者たちが、決して嫌いではなかった。
「でも、今は……!」
「(グリュクさん! わたしもグリゼルダさんとそっちに行きます!)」
「(僕も合流します!)」
それぞれ捧神司祭を足止めするために飛び出した、アダとアリシャフトの内心の声が聞こえる。
「(私が戻るまで、せいぜい生き延びることだ)」
「(ムカつく!)」
こちらは、タルタスにグリゼルダか。
啓蒙者たちの攻撃が止まったために、手の空いたカイツとレヴリス、セオが戻ってくる。
「心配かけた!」
「グリュク君! 合流次第、天船に戻る!」
「まだまだ意趣返しが足りんところだがな……!」
そして全員が転移などを使用してグリュクの周囲に集結すると、啓蒙者の大巨人が強攻形態の合体天船を殴り返す爆音が響いた。
転移して内部に戻るにしても、天船が動き回っている状態では難しい。
『何とぉぉッ!』
外部拡声器のスイッチが入っていることにトラティンシカが気づいていないのか、凄まじい形相の彼女が想像できそうな声が漏れ聞こえていた。
必死になりながらも的確な判断ができているのか、合体天船は殴打されてバランスを崩しかけた勢いまで利用し、敵に巨大な足払いを掛ける。
運悪くその軌道上にいた黒い鳩の神獣と火剣の神獣は、低空を爆走する天船の蹴り足の直撃を受け、エンクヴァルの外縁の方へと吹き飛んでいってしまった。
「あ……」
「うわー、痛そう……」
カイツとフェーアがそう漏らすのと同時、一見ゆっくりとした蹴りにしか見えない合体天船の足は、実際には超音速で敵の脚部を打った。
啓蒙者の大巨人も、機体各部から前方へと光を噴き出して後退回避しようとしたが、間に合わず両足を脛の下から破壊される。
高層建築が崩落するかの如き膨大な土煙を巻き上げながら、崩れ落ちる敵。
グリュクがそろそろ金色の粒子を停止して天船に帰還しようと考えた所で、彼らの思考に粒子を通じて悲痛な叫び声が飛び込んできた。
「(何で! 何で分かってくれないの! 私はみんなの役に立とうとしただけなのに!)」
「(連れて行け! 汚染種の邪術に絡め取られた可能性が……何なんだ、さっきから誰かの考えていることが……!)」
「(いや! 今まで散々、役立たずの、要観察市民として扱われてきたのに……この上背教容疑者!? 嫌ッ、絶ッ対に、イヤ!!)」
金色の粒子の力で思考が流れ込んでくることで、状況もおおよそが分かる。
先ほど墜落してきて事態を打開する切っ掛けになった啓蒙者の航空機から、搭乗者が引きずり出されて連行されようとしているらしいこと。
そして、それが一人、立坑の中で連続転移を行った最中に別行動に移ったタルタスの仕業だったことも。
搭乗者に変化して機体の認証を誤魔化し、何とか運転してきたのだろう。
グリゼルダが長い黒髪を振り乱して、タルタスを糾弾した。
「前から陰険酷薄ヤローだと思ってたけど、あそこまで酷いことする!?」
「そのお陰でお前たちを助けられたのだがな」
ぎゃあぎゃあと言い争い始めた二人の霊剣使いを他所に、歩き出す影があった。
「カイツ!」
「悪いな。無実の罪で捕まりそうな奴は、たとえ啓蒙者でも見捨てたくねぇ」
カイツの過去を知っていたグリュクは、彼を止めるべきかどうか、僅かに迷った。
彼はかつて人類学を学ぶ学生だった所、事故で魔人となり、実験体として生きる道を嫌って出奔し、連邦の機密を盗んだ廉で指名手配を受けている最中に、グリュクと出会ったのだ。
意思の名を持つ霊剣も、同じ考えのようだった。
(その筋合は斟酌する。しかし)
「……助けて、その後はどうするんだ」
「お前たちは脱出しろ。俺は残る……ここであいつを見捨てたら、自分がこの体になった意味を納得出来ない!」
そしてそのまま赤と銀色の混じった稲妻となって、彼は未だ混乱している啓蒙者たちの只中へと駆け出して行ってしまった。
合体天船の中から、トラティンシカが慌てて尋ねる。
『ちょ、ちょっと! 脱出するんじゃありませんの!?』
「トラティンシカ! 酷なようだが、奴の戦士としての判断を尊重してやってくれ!」
『……承知いたしました』
セオがそう声を張り上げると、彼の妻の操船で合体天船は無傷の左腕をグリュクたちのそばにゆっくりと降ろし、そこに設けられていた緊急用の脱出口を開いた。
レヴリスが、その心情を案じてかセオに尋ねる。
「大叔父上……よろしいのですか」
「奴はお前と共に俺を下した、七色の勇者だ。死にはしないと思ってやることも、時には礼儀だろう。
それに、奴には悪いが……俺はトラティンシカやお前の命を預かってもいるのでな」
『早くなさって!』
「……みんな、行こう。作戦は失敗した。カイツは、自分が納得できる答えを見つけるまで戻ってこないだろう。
それまで彼が生き伸びて、無事に帰ってきてくれることを願うしかない」
グリュクは自分の気持を整理する目的もあってそう口にすると、霊剣から迸る粒子を止めた。
黄金の旋風に包まれ、超科学の軍勢で溢れかえり、巨大な神獣と更に巨大な大巨人とが跋扈していた非合理な空間が、少しだけ正常を取り戻す。
そして、突入要員たちは搭乗を完了し、強攻巨人の形態のまま、天船は空中へと離脱を開始した。
再び青白い手の群が何本も連なってそれを追うが、天船が手を伸ばし、その手の先端部分の入り口から身を乗り出した霊剣使いたちが共同で破術を行使すると、不気味な手を連ねた綱はばらばらになって地上に落ちていく。
天船はそのまま更に高度を上げ、グリュクたちはトラティンシカの操船に命を預けた。
安全圏と呼べるところまでよろよろと――それでも亜音速ほどの速度は出ていたが――飛んで行く間、混乱が続いていたのかエンクヴァルからの攻撃はなかった。
緊張の糸が切れたか、トラティンシカがぐったりと椅子の背もたれに体重を丸投げにして呻く。
「はー……随分と壊してくれましたわね……」
『あの手の群の攻撃が効きました。大型ガス惑星の水素の海の底に放り込まれたのと同じレベルの異常圧力です』
「煙の巨人……? よく分からない喩えはお止しなさい」
『はい。それではお疲れのところ恐縮ですが、被害の確認を行いたいたいと思います』
早くも息のあった軽口を叩き合うようになった、船長と天船。
だが、事態はとても楽観も出来たものではなかった。
グリュクの視点から見えただけでも、天船は足払いの時に右足首の装甲が変形・破断していた。
右手首から先がないのは、大巨人の頭部を破壊した時の損傷だろう。
よく見れば、太腿と脹脛の辺りにあった金色の推進機関も、かなりの面積がぼろぼろになっていた。
『そしてそれに耐えるよう装甲を維持した結果、エネルギーの残量が以下の具合に』
「……これってちゃんと帰れますの?」
グリュクからは見えない画面を見て、天船とトラティンシカが被害の確認を続けている。
『気圏内全速でこの惑星の極軌道を三周回する程度です。十分ですが、しかしこの状況では万全とは言いがたい』
「変形に支障はなくて?」
『可能です。航行中は推進場生成単位格子の再建を最優先としますが、よろしいですか?』
「エネルギーの配分はあなたに任せます。強行形態から天船形態へ!基幹構造遷移、開始!」
『基幹構造遷移開始』
巨大な天の巨人は、心配を覚えるほどの不安定さで、元の天船の形状へと変形を開始した。
捧神司祭の追撃もないらしい。この状況では恐慌をきたしていない数少ない要員として、状況の回復に努めるしか無いのだろう。
神獣による断続的な攻撃が当たりはしたが、合体天船の巨体に致命打を加えられるほどではない。
未だ混乱が続き、アムナガル神殿に尻を向けた合体天船が、残った推進機関で少々弱々しげに速度を上げた。
「セオさま。トリノアイヴェクス、離脱しました」
「あぁ……皆、よく生き残ってくれた」
カイツのことは、敢えて言わないのだろう。
突入要員の表情――兜を被ったままのタルタス以外を確認したセオが、宣言する。
「無念極まることではあるが……多国間戦隊、撤退する!」
そして、天船は所々が綻びた紡錘形となって、加速を開始した。