第七話 凛々しくあれ
月の王、死亡――その報は、月の都全体を震撼させた。
星間サミットへ向け出発した王が搭乗する宇宙船が、月の外周にて大型民間機と激突、大破したというのだ。双方の乗員に生存者が確認できないほどの大事故だったという。そしてその宇宙船には、王のほかに王妃、また、王の弟にあたる将軍も同乗していた。
このあまりの惨事に、普段王家を批判していた人々も口を閉ざした。深い悲しみの中、月の民は在りし日の王の姿を偲んだ。様々な文句を重ねることはあっても、民は王を親のように、友のように、子のように慕っていたのだ。
その報を聞いたディランとルミナリアは、真っ先に、ファニ姫のことを想った。あの、まだ幼い天真爛漫な姫が、両親を一挙に失ったという悲劇。その心中、察するに余りある。ルミナリアは姫の運命を想い、涙を流し続けた。
一方のディランは、不謹慎だと認識しながらもそれでも止められない一つの懸念にとらわれた。
(月死病の研究はどうなってしまうのか……)
当の本人であるルミナリアは純粋に姫を思い自分のことのように泣いている。
彼女は自分のような下卑た考えは持っていないのだろうと、ディランはここでまた、自身の浅ましさを思い知らされた。
事件から十日後――王、王妃、将軍の合同国葬が、月の都の外れにある『王家の谷』にて行われた。ここは王家初代から代々の墓陵。多くの民たちが参列し、悲しみを新たにしていた。
この国葬は月の都以外に、他の星にも報道された。ディランとルミナリアはその様子を自宅で見守っていた。
『賢王』と言われたリテラ・チャース・トアの非業の死。関係者、参列者、その場にいたすべての人が悲痛に暮れている。すすり泣きが月面の荒廃とした丘陵に響く。志半ば、しかも幼い娘を残したままでは、さぞかし無念なことであっただろう。
その娘であるファニ姫はさぞ、悲嘆に暮れていることだろうと、ディランもルミアリアも、皆がそのように思い巡らせていた。
しかしその時画面に写っていたのは、毅然としたファに姫の姿だった。幼いながらに、必死に涙をこらえ、まっすぐ前を見据え、民に威厳を示そうとしている。その姿勢に心を打たれ、さらに涙を流す月の民たちがいる。
「なんという、おいたわしいお姿……」
ルミナリアはファニ姫の気丈な振る舞いを見て、また嗚咽した。
ディランの頬にも思わず涙が伝った。
「なんと……ご立派な……」
苦難、悲哀。すべてを受け止め、まっすぐな視線を前に向け、王家としての威厳を示す幼い姫。この幼き少女が示す民への責任感。一体、自分とどれほどに人としての格が違うのだろう。そう思ずにはいられない。
ルミナリアは画面を食い入るように見つめながら、ディランの手を強く握りしめたのであった。これは彼女なりの、ファニ姫への恩義を必ず果たすという決意の表明だろう。
ルミナリアのか細い指を、ディランも決意を込めて強く握り返す。
(姫に甘えようなどと、私はなんと情けないことを考えていたのだ。できることはすべてやる。生半可な覚悟では、この恩義を返すことはできない)
二人は、無言のままに、同じ想いを誓い合った。
その後、ディランは一心に研究に励み続けた。
様々な論文を学会で発表する。どれも先進的な仮説であり、研究費用が工面出来ればすぐにでも実証実験が可能な、素晴らしい技術ばかりだ。さらに、根回しにも余念がない。学園の教授、OB、知り合い、友達。すべての人脈を温め、強固にするよう動いた。難解な内容の論文であったが、彼は根気強く説得を続け、理解者を少しづつ増やしていった。
一方、王を失った王家は、ファニ姫が成人するまでは摂政政治にて執り行われることとなった。王宮内の評議会に決定権を付与し、国の舵取りをしていく。ファニは第一継承者の王女として月の都の代表ではあるものの、政治を行うにはまだ幼いとされた。次ぐ第二継承者は将軍の娘のアン姫。彼女もファニ姫より生まれが遅く、成人していない。実のところ、忠臣たちはファニ姫の政治的知見やリーダーシップに疑念を持っていたわけではない。ただ、この混乱した状況で急ぎ女王を立てることで、不要な政変を招きたくない。そのように協議し、落ち着くまで姫を庇護する、それが真の狙いであった。
民たちもこの決定を好意的に受け入れた。およそ十年後の戴冠の日、ファニが女王となる日を心待ちにして。
激動の事件の傷はまだまだ癒えないものの、月の都は徐々に、平穏を取り戻しつつあった。
◇ ◇ ◇
そんなある日、状況が一変するニュースが流れた。
あの宇宙船衝突は事故などではなく、仕組まれたテロであったというものだ。
さらにその犯行は、移民たちが差別への報復として実行したものだという……
捕らえられた容疑者たちは一様に冤罪を訴えた。しかし、犯行を裏付ける証拠や通信が次々に発見されたという。それでも彼らは主張した。
「これは陰謀だ! 私たちは何も知らない!」
その日から、移民を取り巻く環境は一変した。
月の民はこれまで以上に移民への態度を硬化させ、ついには敵対視するようになった。元々就業や住居において不平があった人々も多く、その一因が移民にあるとして、移民受け入れへの否定的な風潮は存在していた。その人々は今回の事件でより決定的に、移民の月の都からの排除を訴え始めた。
政府は過激な言動を控えるよう訴えたが、民たちの王家への慈しみは今、移民たちへの非難という形で発散されるようになっている。
その影響は当然ながら、ディランとルミナリアにも及んだ。
これまで必死に根回しに励んできたディランであったが、彼の妻が移民だという話が広まると、その功績はすべて否定され、努力は水泡と化した。
月の都の研究界隈ではもともと、月の都の民への礼賛、民族主義のような保守的思想が根強い。これは、先進的な科学力を持つ月の都のおごりからもたらされるものでもあった。
「功績などいらないのです。信じてください。これは月の都をより良く発展させる技術です」
学会でディランが訴えても、聞く耳を持つ者は少なくなった。
「今更いい子振るな。昔は俺らを見下していたくせに、虫がいい話だ」
昔からディランを知っていた者たちは、ここぞとばかりにそのような心無い罵声を浴びせた。
中にはディランに理解を示す研究者もいた。しかし、研究内容が高度すぎて、実証実験の失敗が続いていた。
もし、ディランやルミナリアが直接その研究に参加できれば、実験の結果は変わっていただろう。それほどに、並の研究者では扱えないほどの高度な前提知識が必要な実験であった。そこで研究者の中には二人を共同研究者に加えるべきだと訴える者もいたが、保守的な学者たちの反対により、二人の参加は認められなかった。
(ファニ様が我々のために手を尽くしてくれたのに。このままではルミナリアの幸せも、姫への恩義もなすことができない……)
差別は許せないことだが、その報復の対象が王というのはいかにも違和感がある、ディランはそう考えたが、聞こえてくる情報だけでは何もわからない。
「ディラン……」
ルミナリアが部屋の片隅でうつむいているディランに声をかける。
「ごめんなさい……私のせいで……」
「何を言っているんだ。君のせいではない。きっと、報われる日が来る」
ディランはルミナリアの手を握り言う。
「自身の世渡りの下手なせいで、君の知恵が社会の役に立つことを妨げている。私が不甲斐ないばかりに申し訳ない」
「あなたのせいではないでしょう……私にとって、あなたが世間に認められないことが、何よりも苦しいのです」
ルミナリアの瞳には、静かな愛おしさが宿っていた。
「とても幸せな日々でした。あなたと出会えたことで、私の人生は意味を持った。だからディラン、私のことはもう……」
「なっ、バカなことを言うな!」
ルミナリアに言葉を続けさせてはならないと、咄嗟にディランが声を荒らげた。
「……すまない、つい興奮してしまった。ルミナリアは私の生きがいだ。そんなことは二度と言わないでくれ」
ディランは優しく、ルミナリアを抱きしめた。しかしディランにはわかっていた。こんな言葉は彼女の信念に届かないであろうと。
「お願い。どうか、私の心を見つめて」
ディランはそのように哀願するルミナリアの顔が見れなかった。
移民がテロの首謀者と判明した時点で、月死病の研究は確実に中止となっただろう。ルミナリアもそれを悟っている。最近ルミナリアは「自分のことは見放せ」というような事を口にするようになった。
(なぜルミナリアは私に「自分のことだけを愛せよ」と言ってくれないのだ)
ディランはそれが苦しくて、悲しくて、怖くて堪らなかった。




