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第六話 希望の数だけ

 研究開始から二年が経った頃、ディランは学園を卒業した。

 今や学園一の有名人となった彼のもとには、様々な企業や研究室からのオファーがあった。しかし彼は、その一つ一つを丁重に辞退し、それ以降、研究に没頭するようになった。


 昼は図書館で関連書籍を読み漁り、夜は自宅でルミナリアとともにヴィスペラ星の研究の復元と進化を行う。


 交じり合う月の叡智とヴィスペラの知性。ディランは極度の知的興奮の中、研究に熱中していった。


 ―—彼らの研究は新たな局面に達しつつあった。


 重力を多次元干渉によりコントロールするという、これまでの常識を覆す学術である。

 便利な世の中が実現、どころでは済まない。軍用に利用されれば星ごと滅ぼすような兵器になりかねない技術だ。


 ◇ ◇ ◇


 遂に論文が完成する。その内容は結界の真理に迫り、その力の正体を解き明かす一歩でもあった。

「やったぞ! これが認められれば実証実験への道も開ける! ルミナ……」

 ディランがルミナリアの方を向いたその時、彼女はまるで意思を持たない人形のように崩れ落ちた。


「おい!?」

 抱き起こそうとした彼の全身の血の気が引くいた。高熱と痙攣する全身。

ディランは夢中で助けを呼んだ。妻の名前を何度も何度も叫んだ。どれだけ大きな声を出しただろうか。

 やがて救急隊が駆け付け、彼女はすぐに病院に運ばれた。


 待合室で一人、ディランは苦悶に沈んでいた。胸中に後悔が渦巻く。研究に没頭したあまり、ルミナリアに無理をさせ、その異変を見過ごしていたのではないのかと。

 医師がディランに告げた病名は『月死病』。月の民ではない星人だけが発症する、極めて予後不良の疾患。


 この病をディランは知っていた——母を奪った病気と、全く同じ名前だった。

 彼は鮮明に、母を失った時の記憶を甦らせた。津波のように覆いかぶさってくる無力感と父の涙。あまりにも辛く、心が封印していた記憶たちだ。思い出すだけで眼の前が暗くなり、ふと倒れそうになる。

誤診であってほしい、何かの間違いであってほしい、そう願っては祈るように十指を組み、必死に叫びたくなる衝動を抑えようとしていた。


 ◇ ◇ ◇


 しばらく経つと、ルミナリアが意識を取り戻したと告げられた。

 面会を許されたディランが病室のドアを開くと、ベッドの上で彼女は瞼をかすかに開いていた。口には呼吸器、体には様々な機器が取り付けられている。


「ルミナリア……」

 ディランが声を絞り出した。

「……すまない。すまない。」

 口をついて出る謝罪の言葉たち。ディランは歩み寄ると、彼女の華奢な指を、震える両手でやさしく包み込んだ。

「無理をさせてしまった。いや、それだけではない。私は君の異変を見過ごしていたんだ……研究に夢中で——」

 ルミナリアは呼吸器の中で懸命に唇を動かし、音にならない声を出す。そして、目を細めながら微かに首を振った。

 ディランはその仕草に、さらに大きく首を振って返した。


「本当に申し訳なかった……しかし必ず、救ってみせる。必ず……」

 まるで自分自身に言い聞かせるように、ディランは何度も何度も言葉を繰り返した。


 ◇ ◇ ◇


 その後、ルミナリアの体力は徐々に回復し、一月後には自宅療養が許された。調子のよい日には、今まで通り体を動かすこともできる。だが、その体は徐々に病に蝕まれている。定期的に起こる熱発、しびれ。これらが段々と、重症化していくという。最先端と言われる月の医学を以てして、症状を緩和することしかできない。


 ディランは論文を急いで公開した後、これまでの研究を一度棚に上げ、医学関連の書籍を貪るように読み耽った。月死病に関する論文を探し、治療法を模索し、効果があるかもしれないとされる高価な薬を方々から集め、薬の調合も行った。


 しかし、病状が改善することは無かった。


「……もう、私のことはいい」

 ルミナリアが弱々しくささやく。

「お願いだから研究に戻ってください。薬もお金が……」

 すると、ディランが目を見開く。

「何を言っているんだ!」

 厳しい声で彼女の言葉を遮った。

「治療したらまた一緒に研究しよう。お金が気になるというのなら、その時に働いて返してもらうから覚悟してくれ。だからまず、良くなっておくれ……」


 ルミナリアは簡単に望みを捨てるような弱い女性ではない。そのような言葉はきっと、自身の身体の状態を把握してのことであろう。かと言って彼女の願いを聞き入れ研究に戻ることは、ディランにとって彼女を失う覚悟を決めることと同義であった。


 自分がしていることは覚悟の先延ばしに過ぎないのか……そんな想いを振り払うかのように医学に没頭していく。彼は、あまりにも重い現実を受け入れられず、新たな治療法の発見という、か細いかりそめの希望にすがることしかできなかった。


 ディランは今、孤独を何より恐れていた。


 ◇ ◇ ◇


 来る日も来る日も、ディランは医学に熱中した。月死病に苦しむ家族を持つ人々のコミュニティにも参加し、そこで病状の情報収集もした。そこでは月死病は月の都の純血主義団体が開発した生物兵器だ、陰謀だ、そのような過激な事を言い出す者もいた。ディランにはその話が、荒唐無稽だということはわかっていた。何故なら、そんな主義ができるずっと前から、この病は存在していたからだ。しかし今の彼には、そんな事を訂正する気力もない。


 ディランが医学を学べば学ぶほど、月死病の情報を集めれば集めるほど、彼は希望をなくしていった。知見の深化は彼を味方せず、それどころかむしろ治癒への可能性を固く閉ざし、運命の受け入れを促すものになっていった。

 彼は悔いた。自分にもっと力があれば、権力があれば、大々的にこの病理を研究し、治療法を解明できたのではと。


 ——そんな時、一陣の風のように、彼らの住居へとある訪問者が表れた。


「やっと見つけたわ! どうして図書館にいないのです!? ずっと話したかったのに!」

 玄関の扉の前で目を丸くするディランの前に、一人の少女が立っている。


「ファニ様!?」

 そう、その少女とはこの月の都の姫、ファニ・チャース・トア。かつて図書館に突如として現れ、移民の権利是正を約し、それを実現してくれた、ディランとルミナリアにとって運命の恩人である。


「探したのよ、すごく。論文、すごかったわ! あの理論が正しければ、もっと安全に、重力を活用できる! って……体調は大丈夫ですか? 顔色が悪いわ……ヴィスペラの方は? 一緒ではないのですか?」


「それが、病に伏しておりまして……」


「どうしたの?」


「はい……月死病です」


「ああ、あの、移民の方々がかかるという」


「はい。今は失礼ながら臥せっておりますが、調子のよい時には起き上がることもでき、意識は正常です」


「月死病、臣民のためには取り組まなければならない分野ね……わかった!」


「はい?」


「お父様に提案してみる。絶対大丈夫! きっと治療法が見つかるわ! 彼女にもよろしく伝えておいてね!」

 少女はそう言うと、また風のように駆け出て行ってしまった。従者が後を慌てて追いかけていく。


 ディランはその小さな背中を見送りながら、胸に刺さったトゲが溶けていくような、かすかな暖かさを感じていた。

(このようなことが……ファニ様の話が本当なら……いや、姫のことだ、きっと!)

 これでルミナリアの病にも研究にも未来が描ける。暗雲の隙から差し込んだ一条の光。ディランの曇り切っていたその目に、希望の光が再び宿った。

「しかし、なんというお方だ。礼すら言う間もなかった……」

あまりの一瞬の出来事に、感謝の意を伝えることすらできていないことに後から気づいたのだった。


 ◇ ◇ ◇


 目を覚ましたルミナリアの前に、笑みを浮かべるディランの姿があった。

「ふふ。久しぶりに微笑んでいるあなたを見ました。何か、良い事がありましたね?」

「ああっ……あったぞ!」

 ディランは時に言葉をつまらせ涙ぐみながら、興奮気味に姫の来訪を伝えた。ルミナリアは目に涙をためながら、ディランの手を優しく握り返した。

「素敵。私もお会いしたかった……」


 その日以降、ディランは研究に戻った。論文の実証実験に向けた研究計画や、実用化に向けたアイデアなどをまとめ始めた。論文は姫に届いていた。しかし、満足してはいけない。実用化に向けては、もっと伝えなければ、もっと広めなければ、世間にうねりは起こせない。困難な道のりではあるが、暗闇に突き進むように医学を学んでいた以前とは全く充実感が違う。

 ルミナリアも調子が良いときは研究に参加した。彼女の頭に中に閃いていた一つの仮説、電子、光粒子、量子そして重力子。全ての理論を編み込んだ、最高性能の演算機器の試作をするために。当初は休むように懇願していたディランであったが、いつしか言葉を飲み込むようになっていた。彼女の真剣な目が雄弁に、彼女の望み、長生きなどではなく、その理論の実現こそが彼女の願いであり、これは彼女にとって存在意義をかけた戦いなのだと、語っていたからだ。


 そのように二人は、ファニ姫への感謝をあらたに研究に再度取り組むとともに、その忠義をさらに強固にしていくのだった。


 ――そんな時であった。月の都史上最大と言われる悲劇が起こったのは。

後書き


読んでいただきありがとうございます!

次回もお楽しみに!

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