第四話 優秀よりも
騒動の翌日、いつも通り図書館へ向かったディランであったが、ルミナリアの姿はどこにも見当たらない。
(どうしたのだろう……やはり昨日の事を気にしているのだろうか)
館員に聞くと、本日は休みと取ると連絡があったとのことであった。
気を揉んでいるディランであったが、実際のところ、ルミナリアの連絡先すら知らない。普段、研究の誘いも直接的にしかしたことがない。なぜなら、プライベートに踏み込むようなことをして、彼女に「純粋な研究の誘いではなかったのか」と疑念を持たれることを恐れたからだ。
しかし次の日も、ルミナリアは現れない。
来る日も来る日も、ディランは待った。
しかし彼女は現れなかった。
ルミナリアへの思いが募っていく。
館員に訪ねても、教えられないとしか言わない。ディランはじっとしていられず、移民管理局や警察、思い当たる省庁を訪ねては、動向を探るようまねもした。しかし、何も得られない。
彼は自分のそのような行動が、状況にとってプラスに働かうのかマイナスに働くのか、それすら考える理性を失っていた。それほどに、彼は追い詰められていた。
このような状態で研究が捗るはずがない。彼は日々、悲嘆に暮れていた。見る見るうちにやつれていく彼の姿は、館員たちの心まで沈ませ、胸を痛ませる程であった。
そのようなディランを見かねて、遂に館員が口を開く。
「実は――」
館員はディランに告げた。あの騒ぎの次の日、ルミナリアから退職の願い出があったこと、そして、彼女から、そのことを口止めするよう願われたことを。
ルミナリアはディランに迷惑をかけることはできないと考え、すでに図書館を退職していた。
優しいディランは自分のために、犠牲を払おうとするだろう、あれだけ優秀な、未来ある彼がそのように道を断たれるのは耐えられないと、自分が罪を背負う覚悟を決めたのだ。
そう……ルミナリアは純粋で熱心なディランのことを、好ましく思っていた。
だからこそ、身を引いた。
あの出来事があった夜、彼女は泣き明かした。そんなことは、これまで幾度となく辛いことがあった彼女の人生においても、初めての事であった。
状況は動きだした。今までの日常は終わり告げたのだ。
ディランは苦しんだ。
(私と距離を取ることが、ルミナリアの意志……しかし、私だって)
彼女の善意につけ込み研究に加担させ、結果的に追い詰めるような事態を招いたこと。充実した日々がいつまでも続くという楽観に浸り、取るべき対策を怠ったこと。
自分の不甲斐なさ、甘さ、すべてを悔いた。
それだけではない。
――姫さえ現れなければ!
——なぜルミナリアは私に何も言わず消えたのだ!
……そんな身勝手な負の感情すら湧いてくるほど、焦燥は彼の論理性を完全に曇らせていた。
◇ ◇ ◇
ディランは資料室で一人、蔵書を相手に、悶々とした日々を過ごしていた。
そんな日々に、とある一報が舞い込む。
あの、姫との邂逅から約一月後、ついに、月の都に移民の帰化に関する条例が整備されることとなった。王家が正式に受け入れを表明した移民に限り、月の都の民が保証人となることで帰化の申請権を与えるというものであった。
今回の条例は、移民の扱いに対し、王家が一定の理解を民に求めたことになる。
(これならルミナリアを守ることができる!)
姫は行動していたのだ。ディランは姫を疑い、あろうことか逆恨みまでした自分を深く恥じ入った。
だが、一瞬晴れたディランの表情は、すぐに沈む。
あれ以降、ディランはルミナリアと連絡が取れていない。
彼が彼女を救いたいと願っても、本人がそれを望んでいるのかは分からない。お節介だと言われてしまうかもしれない。そもそも、今更そんなことを言えば、退職までして距離を取った彼女の決意を蔑ろにすることにならないか。
そんな迷いの中、ディランは図書館に通い続けた。条例をきっかけに、またルミナリアがここに来るかもしれない、そう淡く期待しながら。
(また会えるのなら、最後になってもいい。もう二度と会えなくなろうとも、自分はルミナリアの幸せのために全てを捧げる覚悟があると、君に会えて幸せだったと、そう伝えたい)
「あの……」
受付にディランが現れると、館員は冷たく
「少々お待ちください」
とだけ告げた。
カウンターの奥に入り、しばらくの後に司書長と共に歩み出てくる。
その司書長、ディランを一瞥すると再び館員の方へ向き直り、
「先ほど、ルミナリアさんから連絡があったのですが」
と、会話を始めた。ディランはその不意にでたルミナリアの名前にビクッと反応し、そのやり取りに聞き耳を立てる。
「戻ってきなさいと連絡していたんですが、言いつけを破ったうえ突然やめてしまったので、厚意に甘えることはできないと」
「実に彼女らしい。高潔というか、頑固というか……仕事が増えるこちらの身にもなってほしい」
「ええ。せっかく空席にしているのに、今は旧帝都街近くの職業紹介所で職をあたっているとのこと。移民の女性がたった一人で。かわいそうに、どれだけ心細いのでしょうか……」
「あの!」
たまらずディランは二人の会話に割って入った。
しかし館員はディランをにらみつけ、色無く
「……図書館ではお静かに。その場で少々お待ちください」
と言い放ち、司書長の方へと向き直る。ディランは理解ができないというように目を丸くしたまま、そこに放置された。
「オホン……話の続きですが……」
「そういえば司書長、彼女、他には何か言っていませんでしたか?」
「それですよ。もうね、しきりに「彼は大丈夫ですか、大丈夫ですか」と」
「彼?」
「ええ、彼女がここをやめる原因となったあの男ですよ。まったく、あんな男にひっかかって……」
「あの意気地なしですね。私ははらわた煮えくりかえってますよ。優秀なのか知りませんが、利口ではないですね」
「だから私、言ってやりました。そんなに気になるのなら自分で聞ききなさい、と」
「出た、司書長節。でも彼女から聞けというのは……」
「ええ、そうですね。ああ、かわいそうに。ああ、今も旧帝都街近くの職業紹介所で……」
「あの!」
再びディランが声を上げる。
それを館員がキッと睨む。
「何ですか? まだ、こ、ち、ら、に何か御用ですか!?」
その言葉を受けたディランの目が、息を吹き返したように輝いた。
「いえ、ありがとうございます! 失礼します!」
そう言いながら頭を下げると、出口へ吸い込まれるように駆けだす。
「館内は走らないでください!」
そんな司書長の怒号を背中に受けつつ、彼は図書館を飛び出した。
◇ ◇ ◇
ディランは旧帝都街区へ向けて走った。走りに走った。
(会ったら何と伝えようか。保証人になる。また研究をしよう。いや……)
思考がまとまらない。息が上がる。それなのに足は止まらない。気持ちが止められない。
ルミナリアへの想いが、熱く熱く、彼を動かしていた。
一方、ルミナリアは――
あの出来事の後はしばらく沙汰を待っていたが、稼がなくては生きてはいけない。彼女は職業紹介所にて新たな職探しをしていた。しかし、月の都の就業事情は思わしくない。彼女がここに通い始めて、かれこれ二週間は経っただろうか。
もちろん、条例の話はルミナリアの耳にも入ってた。
いざ帰化となれば、ヴィスペラ人としての誇りや星への愛を奪われてしまうようで、感情的な負担は大きい。それでも、もし叶うのであれば、またあの日々のように研究を……彼と研究をしたい。
(しかし……何も言わず消えてしまった私を、彼は恨んでいるのではないだろうか)
ルミナリアはディランに何度も連絡をしようと試みていた。しかし、自分の存在は彼の負担となる。そんな思いが、彼女を逡巡させていた。希望と絶望の間で揺らぎながら、今日もいつ呼ばれるかわからない自分の番を待っている。
――紹介所の扉が開け放たれる。
激しく息を切らした青年が一人、飛び込んできた。あたりをきょろきょろと見回し、おもむろに歩き出す。汗だくで息を切らせた青年の姿、あらわになった頬に大きな傷跡。こいつは一体何者かと、その動向へ視線が集められた。
青年は、ルミナリアの前に立った。
周囲の視線がさらに集まる。その青年の目はうるんでいるように見えた。
「はぁ、はぁ、やっと……見つけた」
うつむいていたルミナリアが、その声に気づき顔を上げる。
「ディラン! ごめんなさい、あなたに何も告げずに……」
ディランは息を整えながら、無言で大きく首を振った。ルミナリアの申し訳なさそうな顔が、張り裂けそうな心臓をさらに押し広げるようで苦しい。
「はぁ、はぁ。条例は?」
「はい、帰化の要件が緩和されたと」
「ああ。例の件は不問になった。そのように捉えていいだろう。はぁ、はぁ」
「しかし……」
「帰化のためには月の民の保証人が要る」
ディランは膝をつく。その勢いのまま、言葉を紡いだ。
「あなたを妻として迎えたい。ルミナリア、私と結婚してくれませんか?」
周囲が呆気にとられる。少しのざわめき、息をのむ音。求職者も職員も、全員が女性の返答に注目した。
「……ディラン」
「もうルミナリアと、離れたくない」
ルミナリアの目に涙があふれる。
「なぜ私を……」
「あなたでなければならない。隣にいて欲しいのは、あなたなのだ。他の誰でもない、代わりなどどこにもいない。愛しているんだ」
偏見かもしれないが、職業紹介所はおよそプロポーズに適した場ではない。その違和感は強烈に働いたためか、そこにいた全員が女性の返事を固唾を飲んで見守る状況となった。彼のあまりにも直情的な告白に、頬を赤らめている者もいる。
ルミナリアは口を開きかけ、そしてまた閉じた。
彼女の震える指先がとめどなくあふれる涙をぬぐっている。
うつむく。目をつむり口を結び……顔を上げた。
彼女の表情は笑みでほころんだ。
「ええ、喜んで……」
と、震える声で、答えた。
二人の手が、そっと重ねられると、歓声と拍手が巻き起こる。
「やったな!」
「何だこれは!? 驚いた!」
その場にいた全員が、民族も所属も何もかもを超えて、喜び合った。
ここでようやくディランは我に返る。衆目に気付くと顔を赤くし、マスクを着けなおしたのだった。
後書き
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