第二話 執心と邂逅
ディランは三日ほど昏睡したのち、激痛で目を覚ました。彼は今、第四師団の医療室にいる。
(助かった……のか……?)
脳が握りつぶされるように痛い。全身に巻かれた包帯。少し目を開けたかと思うとまた気絶するように眠る。そのような状態を幾度も経た。
「……すごいなこいつ。結界から生きて帰ったなんて、聞いたことがない」
「全く、団長がいなければ確実に死んでいたぞ」
「無茶しすぎた。こんなやつのせいで王家軍の宝を失うところだった……」
ディランは途切れる意識の中、そんな会話を聞いた気がした。
この第四師団、王家軍の中でも精兵が集まるとされる部隊であり、先の遠征でも鮮やかな手腕で諍いをおさめ、予定外の速さで帰還したようだ。ディランの目論見は外れたわけだが、もしそうでなければ彼は助からなかっただろう。
それから十日後……ディランが目を開けると、今度はまた別の場所にいた。意識のない間に、月の都の中心にある病院まで搬送されていたようだ。
痛みは大分和らいでいた。結界に触れた右腕の感覚が少しずつ取り戻されている。
「おお、起きたか」
ディランの覚醒に気付き、ベッドの傍らに座る男性が声をかけた。
「親父……」
そこに、息子の目覚めに涙を流すディランの父親が座っていた。
ディランがその涙を見るのは、母親が亡くなった時以来だった。
「ごめん親父……迷惑をかけた……今、忙しいだろうに」
「迷惑ならいつもだろう……しかし親より先に死ぬなんてことは……」
ディランの父親は今、長年取り組んでいた機械工学の研究を買われ、月の王が進めている機械兵の開発の主要メンバーとして多忙な日々を送っていた。機械兵が完成した暁には、兵役の大幅な負担軽減が期待されている。
「王はいかにして民に平安をもたらすかに心を砕いておるのに、お前ときたら……」
「別に、秩序を乱そうとしたわけでは……結界の謎を知りたかっただけだ」
「あれは禁忌。もう危険なことはしないと約束してくれ」
「だけど」
「お前に何かあれば母さんに申し訳が立たない」
幼少期に母親を亡くしていたディランは、父親によって育てられた。父親は研究者であり、仕事に勤しみながらも決してディランの養育をおろそかにはせず、近所の人々の助けを借りながらディランをここまで育て上げた。
それは決して……このような無茶をさせるために育て上げたのではないはずだ。
「……分かった」
ディランは苦々しく言葉を吐き出した。
◇ ◇ ◇
三か月後、ディランは退院した。
右手は皮膚が引きつって固くなり、頬には引き裂いたようなやけどの跡が残ってしまった。それがあまりにも痛々しいので、彼は周囲が驚かないよう、傷が隠れるマスクをつけるようになった。
しかしその傷は、ディランにとって自戒を促すための愚かさの証、とはならなかった。退院したその足で、王立図書館へ向かってしまう。
様々な取り調べや注意を受けておいて、全く懲りていない。いやむしろ、ディランは入院中、事象の観察結果を頭の中で何度も再現し、自分が体験したことを言語化しながら知的興奮をさらに高める作業に熱中していた。
結界に触れた今、ディランには真実の所在がぼんやりと見えた感覚があった。あの強烈な違和感……理論上だけのものと思っていた、重力や多次元の技術が実用化されているのではないかと。
書庫を巡り歩き席に戻ろうとすると、読みかけであった書籍を覗き見している女性の姿があった。
その内容は重力場の理論に関する専門的な著作。ディランですら簡単に理解できるようなものではない。
にもかかわらず——その女性はディランの視線にもまったく気づかないほどに、真剣に読み込んでいた。
ようやくディランの接近に気付いた女性は、驚き素早く顔を上げる。
「すいません!」
「いや……あなたはこれが理解できるのですか?」
ディランは眉を上げた。
「かなり難解な書物ですが」
女性は真っすぐにディランを見つめ返す。
「ええ、重力場の理論について……」
彼女の大きな耳。その特徴的な容貌から、ディランは瞬時に理解した。
ヴィスペラ人だ。
「しかし重力は概念に過ぎず……」
ディランが言いかけると、女性が静かにほほ笑む。
「はい、しかしこのような仮説はどうでしょうか……重力は質量による時空の歪みと解釈されていますが……」
流ちょうに理論を語る女性。
……ディランは目を見開いた。それは緻密に計算された、完成度の高い仮説だったからだ。
その後も問答は続いた。二人の議論は深まり、複雑になり、やがて互いに新しい視点を提供し始めた。
「素晴らしい……あなたは一体?」
その質問に、女性は初めて我に返ったような顔をした。
「この図書館で雑用をしている者です……すいません、仕事に戻らねば」
「なるほど、スタッフの方でしたか。是非また、この続きについてあなたと議論したい。お仕事は何時まで?」
ディランが問う。
彼女の表情が引きつった。
「え……いえ。今日は用事が……」
「明日も出勤されるのですか?」
「はい……では、失礼します」
搾り出すような声で答えながら頭を下げ、そそくさとバックヤードへと消えていった。
その翌朝、図書館に到着したルミナリアを、小脇に何冊もの蔵書を抱えたディランが満面の笑みで迎える。
「おはようございます」
ディランは丁寧におじぎをした。いつからかは分からないが、待っていたようである。
「もしよろしければ、また談義を続けませんか?」
彼女は戸惑った。
「いえ、私は仕事がありますので」
「ああ、そうでした。すいません、また、仕事が終わった後にでも、と……ご迷惑ですか?」
「いえ、むしろ、あなたに迷惑が掛かってしまうかと」
「なぜです?」
ディランが探求の眼差しを向ける。
ルミナリアは察した。
(この人は移民が機密図書を見てはいけないという暗黙の了解を知らないのか)
事情を説明するルミナリアだが、ディランは
「そんなことは利用規則に書いていない」
と主張してくる。そんなことを言われても、彼女は困惑することしかできない。
「ならば、私が読解してあなたに内容を伝えるというのはどうでしょう」
「いえ……そういうことではなく……月の都の技術情報を保護するためだと思います」
「そんな。あなたの知識があればさらに」
「たまたま研究をしていたというだけなので……仕事がありますので失礼します」
話しを断ち切るように言葉を残し、ルミナリアは去っていった。
ところが仕事を終え退勤しようとするルミナリアに声がかかる。
「終わったのですね」
ディランであった。
「昨日の話を元に、あなたが興味ありそうな図書を借り出しておきました。これも、紙でしか記録が残っていない貴重な学術書で……」
それらはルミナリアからすれば垂涎の書物たちであった。彼女がずっと知りたいと願っていた月の技術の髄。
彼女は元々、研究畑の人間であったが、訳あって現在は図書館の植栽管理員をしている。
就業の際にも司書長から、
「王立図書館には機密事項や技術に関することも多く蔵書がある。移民のあなたがそれらに近づけば、いらぬ嫌疑をかけられてしまうかもしれない。気を付けて欲しい」と、牽制されていた。
ずっと気を付けるようにしていた彼女であったが、昨日はディランが読んでいた書籍に思わず引き寄せられ、つい覗いて見してしまったのだ。
しかし彼の反応は聞いていた話とは異なった。咎めるどころか、純真な目でともに学ぼうと言ってくるのだ。その時もルミナリアは、心の内に沈んでいたはずの知的探求心が高鳴るのを感じていた。
(悪い人ではなさそうだ……)
「では、少し話をするだけなら……」
と、知的な欲求に抗えず、ついディランの後を付いて行ってしまう。
二人が図書館の開架スペースで談義を始まる。と、すぐさま周囲からささやきが聞こえてきた。
おびただしく積み上げられた書籍。たまに聞こえてくる「結界」という言葉。それだけではない。この図書館には移民の利用者などいるべきではない。明らかに浮いた存在。
周囲は彼らがなにか月の機密にかかることを話しているのではないか、情報の盗用を図っているのでは、と訝しがっていた。実際にはその通りなのだが……
「やはり問題が……」
ルミナリアが不安げに言った。
それに対し、
「この状態では集中した議論が出来ませんね」
ディランが呟いた。
次の日からディランは館内の小さな資料室を借り、そこで談義を続けることにした。
「ここでなら、誰にもはばかられず、思う存分」
誰にも見られない空間。そこで二人の研究は本格的に始まった。
ルミナリアの話を聞くうちに、ディランはなぜ彼女がこれほど重力理論に精通しているのかを理解した。
彼女は重力の喪失によって滅亡の運命にある『ヴィスペラ星』からの移民。その星では運命に抗おうと、何百年も前から研究が熱心に進められていたという。彼女はその研究員であったのだ。
「結局、崩壊を食い止めることは出来ませんでしたが……」
ルミナリアの声は静かだったが、その奥底には深い痛みが流れていた。
母星を救うために紡がれてきた、生存のための研究。
かたや、ディランはといえば単なる好奇心……
この状況の違いに後ろめたさすら感じる彼であったが、熱意ならある。ディランは彼女の沈んだ気分を変えようと、結界に触れた時の話をした。照れながらマスクを取ったそのディランの傷に、ルミナリアは驚くどころか指を伸ばし、優しく触れて言う。
「美しい……」
鼓動が激しくなる。
ディランは知的カタルシスとは別物の、これまで感じたことのなかった胸の高鳴りを必死に分析しようとした。
後書き
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